「民主主義を教える」6月25日
埼玉県済生会栗橋病院副院長の本田宏氏が、『国家を支える基本は「教育」』という標題で、社会保障論を述べていらっしゃいました。その中で、デンマークの幼児・初等教育を取り上げ、『「自立と民主主義」を教えること。「自立」と民主主義の重要性を認識できると、医療、福祉、介護、教育等の社会インフラ整備の必要性が理解でき、公共サービスの質向上には合理化・効率化が必要で、「税金を無駄遣いしない」という国民意識が醸成される』と述べています。本田氏のいうところはよく理解できます。しかし、教える内容としての「民主主義」について、本田氏はどのように考えているのでしょうか。
私は、教員時代も指導主事時代も社会科を専門としてきました。その間、ずっと民主主義を教えることの難しさに悩んできました。当然のことですが、民主主義は、最良のシステムではなく、今のところ最もましだと思われるシステムに過ぎません。その点をどう教えるか、ここがまず最初の難しい点です。
また、民主主義を教えるということは、我が国の政治システムを教えるということとも異なります。我が国の議院内閣制は、あくまでも大きく民主主義に括られる統治システムの中の一形態に過ぎません。民主国家といわれる諸国を概観してみても、英国は民選議員に限れば一院制ですし、米国は大統領制、フランスは大統領制でありながら、内政においては首相が力をもっています。どれも一長一短です。
民主主義が衆愚政治に陥る危険性についても触れなくてはなりません。さらに、私は、「民主主義の原型」というと、西部劇で見られる群衆が保安官事務所に押しかけ口々に「吊せ!」と叫ぶシーンを連想してしまいます。民主主義はときとして人権を圧殺することさえあるのです。付け加えれば、ヒットラーは民主的に選ばれてきたことも忘れてはいけないことでしょう。
納税者という存在にも留意が必要です。納税者は自分の納めた税金がどのように使われているか知り意見を述べる権利があるという考え方でさえ、税金を納めていない者や少額しか納めていない者、納税額よりも国家から受け取る補助金額の方が大きい者は、口をはさむな、という考え方を導き出してしまう可能性があるのです。
そんなことから、私は個人的には、民主主義はそれ単独では「よいもの」として機能することは難しく、法治主義や人権思想、権力の相互チェック、情報の開示などいくつかの支柱が必要なシステムであると考えています。しかし、これらをすべて扱うには、小学生の理解力は十分ではありませんし、下手をすると、民主主義の否定、もしくは不完全さの強調という内容に陥ってしまいます。
だからといって、単純にみんなのことはみんなで決める、意見が合わなければ多数決という押さえ方では、間違った民主主義万能論を植え付けることになります。こうした指導をしている教員も実際には少なくありません。その結果、学級会で話し合って授業の内容を決めるとか、みんなの意見で1人の子供に全員がビンタをするという似非民主主義がはびこることになってしまうのです。
分かっているようで説明しにくい「民主主義」。もっと研究授業で取り上げられてもよいと思います。
埼玉県済生会栗橋病院副院長の本田宏氏が、『国家を支える基本は「教育」』という標題で、社会保障論を述べていらっしゃいました。その中で、デンマークの幼児・初等教育を取り上げ、『「自立と民主主義」を教えること。「自立」と民主主義の重要性を認識できると、医療、福祉、介護、教育等の社会インフラ整備の必要性が理解でき、公共サービスの質向上には合理化・効率化が必要で、「税金を無駄遣いしない」という国民意識が醸成される』と述べています。本田氏のいうところはよく理解できます。しかし、教える内容としての「民主主義」について、本田氏はどのように考えているのでしょうか。
私は、教員時代も指導主事時代も社会科を専門としてきました。その間、ずっと民主主義を教えることの難しさに悩んできました。当然のことですが、民主主義は、最良のシステムではなく、今のところ最もましだと思われるシステムに過ぎません。その点をどう教えるか、ここがまず最初の難しい点です。
また、民主主義を教えるということは、我が国の政治システムを教えるということとも異なります。我が国の議院内閣制は、あくまでも大きく民主主義に括られる統治システムの中の一形態に過ぎません。民主国家といわれる諸国を概観してみても、英国は民選議員に限れば一院制ですし、米国は大統領制、フランスは大統領制でありながら、内政においては首相が力をもっています。どれも一長一短です。
民主主義が衆愚政治に陥る危険性についても触れなくてはなりません。さらに、私は、「民主主義の原型」というと、西部劇で見られる群衆が保安官事務所に押しかけ口々に「吊せ!」と叫ぶシーンを連想してしまいます。民主主義はときとして人権を圧殺することさえあるのです。付け加えれば、ヒットラーは民主的に選ばれてきたことも忘れてはいけないことでしょう。
納税者という存在にも留意が必要です。納税者は自分の納めた税金がどのように使われているか知り意見を述べる権利があるという考え方でさえ、税金を納めていない者や少額しか納めていない者、納税額よりも国家から受け取る補助金額の方が大きい者は、口をはさむな、という考え方を導き出してしまう可能性があるのです。
そんなことから、私は個人的には、民主主義はそれ単独では「よいもの」として機能することは難しく、法治主義や人権思想、権力の相互チェック、情報の開示などいくつかの支柱が必要なシステムであると考えています。しかし、これらをすべて扱うには、小学生の理解力は十分ではありませんし、下手をすると、民主主義の否定、もしくは不完全さの強調という内容に陥ってしまいます。
だからといって、単純にみんなのことはみんなで決める、意見が合わなければ多数決という押さえ方では、間違った民主主義万能論を植え付けることになります。こうした指導をしている教員も実際には少なくありません。その結果、学級会で話し合って授業の内容を決めるとか、みんなの意見で1人の子供に全員がビンタをするという似非民主主義がはびこることになってしまうのです。
分かっているようで説明しにくい「民主主義」。もっと研究授業で取り上げられてもよいと思います。