「分かっているだけ」4月26日
大場あい記者が、『小学生に分かる言葉で』という表題でコラムを書かれていました。その中で大場氏は、『「小学校3年生に原稿を読み聞かせ、彼らがわかる言葉を選び、何度も書き直しました」。環境NGO「WWFジャパン」の小西雅子の著書「地球温暖化を解決したい」で、最新の研究成果などの説明がとても分かりやすかったのでコツを尋ねると、そんな答えが返ってきた』というエピソードを紹介なさっていました。
トランプ前大統領に読ませたい、と思いましたがそれはここで述べたいことと関係ありません。小西氏については存じ上げませんが、市民向け講演を数多くこなすなどのことから、地球温暖化問題の専門家であることは間違いありません。また、研究室に閉じ籠っているのではなく、著作や講演などで活動する実践家、つまり、単に知識をもつだけの専門家ではなく、問題について自分で考え自分で解決策を見出し、行動する真の専門家だということでもあります。
そんな小西氏でも、相手に分かるように伝えるには、「小学生に読み聞かせ~」というような努力が必要なのです。分かっていること=伝えられることではないということです。このことを、全ての教員は肝に銘じておく必要があります。
私は教委勤務時に、指導力不足教員研修を担当していました。小中高の教員がいたのですが、小学校と中高の教員では、そのタイプが違いました。小学校の教員は指導法が拙いと同時に、基本的な知識が不足している者がいました。理科の授業で「水蒸気は湯気」などと言ってしまうイメージです。
一方、中高の教員では、担当教科の親学問については、同僚教員に劣らない知識や技能をもっているにもかかわらず、それを生徒に伝えることに無関心な者が多かったのです。ある高校の英語教員は、同僚の中でも一番といわれるほどの英語力をもっていました。しかし、彼の授業は一方的に話し、それで終わりというものでした。分からないのは生徒のせい、分からない奴は馬鹿という上から目線が顕著に感じられ、生徒は質問さえする気が起こらず、教室にはいても授業には参加していないという実態だったのです。
校長はそんな彼の英語力を「評価」し、「君なら教員などしていなくても、引く手数多なはず」と言い、彼は研修にも身が入らず退職していきました。大変誇り高い人物で、私が「研修に身が入っていない」ことを指摘すると、「お前に俺の真価がわかるか」という目でにらまれたものでした。まあ、実際彼の英語力については、同僚の英語専門の指導主事に聞いて、そうなんだと思っただけですからしかたありませんが。
このブログで何回も繰り返してきましたが、教員は教える専門家です。いくら自分自身が多くの質の高い知識や技能を身につけていようが、それを相手に応じて伝える技術をもたなければ、宝の持ち腐れであり、教員としての責任を果たすことができません。全ての教員は、小西氏の姿勢に学ばなければならないのです。
以前も書いたことですが、私には教員としての劣等感があります。それは5、6年生を担任することが多く、低学年の子供に分かるように話すという経験が乏しかったことです。1年生に分かるように話せる教員は、3年生でも5年生でも、分かりやすく話せることが多いのですが、私は1年生の補教がつくと、気が重くなるというダメ教員だったのです。
頭の中に、受け持ちの子供の2学年下くらいを想定して(理解の遅い子を想定して)伝えるイメージトレーニングを重ねていくことが大切です。