ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

逆?

2024-06-15 08:34:50 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「逆?」6月8日
 書評欄に、政策研究大学院大学教授岩間陽子氏による『「学校社会と「休むこと」 「不登校問題」から「働き方改革」まで」 保坂亨著(東京大学出版会)』についての書評が掲載されました。その中に、とても面白い記述がありました。
 『「保守」の人々が家族を大切にしない、家族と共に過ごす時間を大切にしない』という指摘です。どういう意味かというと、『夫は家族と一緒に夕食を食べるどころか、残業か飲み会である。土日は接待ゴルフ。子どもは一定年齢に達すれば、日が暮れるまで部活、土日は部活、そうでなければ塾三昧。結果的に日本の「家族」はどんどん空洞化し、誰も子育てなどしたいと思わなくなってしまった』ということです。
 近年、少子化の問題が盛んに論じられています。そこでは、子育ての負担が重く感じられていて、子育てを避ける若者が多いという前提があるように思います。しかし、岩間氏は、多くの保護者が、子育てをしていないと言っているのです。子育てとは、生まれたばかりの乳児を考えれば分かるように、多くの時間子供の側にいて、身体的にも心理的にもかかわりをもち続けることが求められるというイメージです。
 独身者や子供がいない夫婦に対して、「自由でいいわね」というニュアンスの言葉が掛けられることからも、子育てとは子供と共に過ごすために自分の自由時間を奪われてしまうものであるという認識が一般化していることがうかがえます。
 しかし我が国における現代の子育ては、子供と離れるものだったというのです。昔はどうだったのでしょうか。私自身を振り返ってみると、子供時代にはとても長い時間を親と過ごしました。そろばん塾に行っている時間と、週に数時間の友達と遊ぶ時間以外は、常に家にいて母や祖母と過ごしていました。6畳、6畳、4畳半の狭い家では、どこにいても母や祖母の視野に入っていたはずです。給食以外の食事は母が作ってくれたものを口にし、銭湯には週3回父と行きました。父は運動音痴は私とキャッチボールや卓球を教えてくれました。夕食も父の帰りを待って摂ることが多かったのです。間違いなく、私を育てるために、両親は私の側にいました。
 不思議な話です。子供と密着するように過ごしていた昔の親は子育てを負担に思うことが少なく、子供を外に出し子育てを外注している現代の親は子育てを負担に感じている、逆ならば分かるのですが。
 少子化対策の肝は、子育ての外注化を止め、子育て中の親は子供と長時間過ごすことができるようにする、ということだとしたら、現在進行中、企画中の施策は的外れということになります。子供よりも経済、この転換は難しいのかなあ。

 

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