お茶の水健康長寿クリニック院長白澤卓二氏が、『楽観主義と健康長寿』という表題でコラムを書かれていました。その中で白澤氏は、『米ニューヨークのマウントサイナイ・聖ルーカス病院のアラン・ロザンスキー博士らの研究チームは、楽観主義が心臓病の死亡率と全死亡率を下げることに有意に関与していると報告した』と書かれていました。
難しい言い回しをしていますが、要するに『楽観主義的に行動した方が健康長寿への道が開けそうだ』ということです。医学的なことには素人の私もつれあいも、このコラムを読んで、「そりゃそうだろうね。何となくそう思っていたし。そう思っていた人って多いんじゃない」という感想をもちました。つまり、当たり前のこと、常識的な感覚のことをわざわざ調べた、という感じです。
誤解のないように書いておきますが、アラン博士の研究や、そのことを紹介してくださった白澤氏が、無駄なことをしていると言っているのではありません。私は、教員時代に取り組んだ様々な研究のことを思い出したのです。私もつれあいも、東京都の教員にとって「3種の神器」と言われた、教育研究員、開発委員、教員研究生を経験し、区市の教育研究会でも研究部長等、研究の中核を担ってきたという経歴があります。研究好きだったと言ってもよいでしょう。
私は教委に勤務するようになってからも、指導担当者として教員の研究の指導に当たってきました。そうした全てを思い出すとき、「当たり前のことを改めて言う」研究だったと思うのです。
教員が行う研究も、仮説を立て、実際に授業を重ねて検証するという形を取ります。その結果明らかになるのが、「子供の興味関心を生かした学習問題を設定することができれば学習意欲が増す」「学び方を身につけさせると自ら進んで学習を進めることが出来るようになる」「学習過程に他者とのコミュニケーションの場を位置付けると多くの視点から批判的に考えるようになる」というような結論だったのです。
教員や教員経験者にはもちろん、普通の常識がある大人であれば、「そりゃそうだろう」と感じるものばかりではないでしょうか。自分が興味あることについての勉強ならだれでもやる気が出る、そんなことは子育て中の保護者であれば、誰でも体験的に感じ取っていることに決まっています。では、私が、そして教員の多くが取り組んできた研究というものは、意味のないものだったのでしょうか。私はそうは思いません。
当たり前だと言われていることを鵜呑みにするのではなく自分で確かめてみる、そうした姿勢を教員がもつことは、子供にも探求心をもたせる上で効果があるはずですし、自分で調べて納得してこそ、そういう授業を目指そうという意欲が強まるはずです。
また、100の「当たり前」を検証していって結果、1か2でも、当たり前の常識が間違っているという事例にぶつかることがあるかもしれません。そうした「発見」は、小さなブレークスルーとなり、一般的な授業理論を変えていく要因となっていくのです。実はこうした小さなブレークスルーの積み重ねで今日の様々な代表的な指導法が確立されてきたのです。教員の研究とはそういうものなのです。