「冷静な目」6月11日
専門記者川上晃弘氏が、『モンゴル人留学生が見る星』という表題でコラムを書かれていました。そこに登場するモンゴル人留学生ブンブグル・テンギス氏(20)は次のように話しています。『日本の大学に行きたいと考えたのは高校2年のときという。日本の教育は素晴らしいと聞いていた』。
今20歳のテンギス氏が高2のときというのですから、3~4年前のことになります。その頃、モンゴルでは、「日本の教育は素晴らしい」という評価が下されていたということになります。では、当時、我が国において「我が国の教育は素晴らしい」というような評価や声があがっていたでしょうか。私の知る限り、そうした声はほとんどなかったと思います。私は、このブログで、我が国の学校教育は総じて上手くいっていると言えるのではないか、と主張してきましたが、世間では問題山積というのが一般的な認識でした。
私の評価は、贔屓の引き倒し的な面があるのは否めないでしょう。しかし、我が国の学校に何のかかわりもなく、恩義や愛着を感じる必要もないモンゴルではそうした評価があったのです。もちろん、外国のことで実態を知らない、あるいは誤解しているという面はあるでしょう。
とはいえ、身近すぎて日本人には見えない客観的な評価という側面があるのも否定できません。我が国では、「○○では~」と外国の制度や社会を例に挙げて、我が国の後進性や問題点を指摘して、自分だけはそうしたことに気がついている知識人だというような態度をとる「出羽守」と揶揄される人々がいます。しかし、その逆に外国で評価されていることをきちんと把握し、分析するという態度はあまり身についていないのではないでしょうか。
我が国の学校教育について、小中高大院の学校種ごとに、教科構成と内容、教員の質、施設設備、制度、授業の形と質などについて、外国人や外国の研究家などがどのような評価をし、その評価がどのように変遷しているのか、そうした生の声を紹介し、検討するという取り組みがもっと盛んにおこなわれてよいのではないでしょうか。我々が気がつかない、あるいは意識していない長所や利点が浮かび上がってくることもあるのではないでしょうか。
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