ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

免罪符を与える

2014-08-28 07:19:28 | Weblog

「かえってあいまいに」8月23日
 『橋本氏 キス騒動謝罪』という見出しの記事が掲載されました。『日本スケート連盟会長の橋本聖子参院議員がソチ冬季五輪後の宴席で、フィギュアスケート男子の高橋大輔選手にキスを強要したなどと週刊誌で報道された問題』についての記事です。この件に関しては、橋本、高橋両氏ともに「強要」を否定しています。JOCの調査でも「強要」はなかったと結論付けられています。
 この問題は、当初、セクハラ、パワハラ問題として話題になりました。以前、都議会のヤジ問題のときにも書いたことですが、セクハラやパワハラという用語が安易に使われ過ぎると感じます。
 このケースは、セクハラでもパワハラでもないことは明白です。最も重要な要件である「被害者」が「強要」されたと感じ、尚且つ「強要」された行為について不快に感じていること、満たさないからです。もちろん、実際には「強要」と「不快」を感じていたが弱い立場の「被害者」が真実を言えないという可能性については慎重に検討される必要がありますが、引退を考えている高橋氏にとって、6か月も我慢している必要はないと考えるのが妥当です。
 誤解のないように言っておきますが、私は今回の「キス」という行為を問題なしと考えているわけではありません。国会議員という責任ある立場の人間として、橋本氏の行為は非難されるべきだと考えています。だからこそ、セクハラ、パワハラとして取り上げることに反対なのです。
 ややこしい言い方になってしまいましたが、最初にセクハラ、パワハラとして問題にしていくと、セクハラでもパワハラでもないとなったとき、それでは問題ないということになってしまい、問題をはらんだ行為が免罪されてしまうことに懸念を覚えるのです。橋本氏の、下品で軽率で思慮に欠ける行為という本質が見えなくなってしまうのです。
 実は、学校教育で問題になる「いじめ」「体罰」についても同じことを感じています。「いじめ」か否か、「体罰」があったかどうか、という問題の迫り方をしていくと、調査の結果、「いじめ」には該当しない、「体罰」とまでは言い切れないという結論になった途端、追及がにぶり、「加害者」が免罪され、かえって「被害者」救済につながらない事態に陥ってしまうことが少なくないのです。
 「いじめ」の定義には該当しないが、不用意に他人を傷つける行為があった、「体罰」とまだは断定できないが教員として不適切な指導であることは間違いない、という認識の下に指導や再発防止のための行動が可能になるケースの方が多いのです。
 セクハラやパワハラ、いじめや体罰という卑劣な行為を憎むからこそ、安易な決めつけはやめてほしいのです。

 

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