「教育の意味」12月27日
読者投稿欄に、「子供は十人十色 教育も多様に」というタイトルの投書が掲載されました。投稿者は書道教授を務める60歳の男性で、自らの経験をこう語っていました。『学業では人より一歩も二歩も遅れている生徒でした。しかし芸術選択で書道をとってからは、書道の楽しさに目が開きました。学業では駄目でも、自分には書道の世界があるのだと感じた時は、何とも言えない希望を持ちました』と。そして『いかにして人生を渡っていけるかの方向を示してあげるのも教育ではないでしょうか』と教育の在り方について、ご自分の考えを披瀝なされていました。
まったく同感です。ただ、ここで問題になるのが「教育」という言葉です。投稿者は、教育=学校というニュアンスで、「教育」という言葉を使われています。私は、この場合の教育は、家庭や地域、職場など幅広い場所での教育だと思っています。舞台やスポーツの試合を見て、職場の先輩の感化を受けて、読んだ本に影響されて、黙々と働く親の背中を見て、難病を治してくれた医師を見てなど、人は様々な場面で人生を方向付ける出会いをするものです。もちろん、「あのときの○○が」と明確に言える劇的な体験がある人は少数でしょうが、潜在意識の中で何らかの影響を受けていない人はいないでしょう。それが、私の言う「教育」です。
もちろん、その中に尊敬できる教員の影響や感化が含まれてもよいのです。しかし、影響や感化が、学校の役目だとされてしまうと、学校は重荷を背負わされることになりますし、教員にとっても精神的負担は大きくなってしまいます。学校は、様々な進路の土台となる学力を身に付けさせることに責任を負い、他の様々な教育機能をもった「場」が、多様化を担うという分業こそが大切なのではないでしょうか。少なくとも、義務教育学校はそうあるべきだと思います。
読者投稿欄に、「子供は十人十色 教育も多様に」というタイトルの投書が掲載されました。投稿者は書道教授を務める60歳の男性で、自らの経験をこう語っていました。『学業では人より一歩も二歩も遅れている生徒でした。しかし芸術選択で書道をとってからは、書道の楽しさに目が開きました。学業では駄目でも、自分には書道の世界があるのだと感じた時は、何とも言えない希望を持ちました』と。そして『いかにして人生を渡っていけるかの方向を示してあげるのも教育ではないでしょうか』と教育の在り方について、ご自分の考えを披瀝なされていました。
まったく同感です。ただ、ここで問題になるのが「教育」という言葉です。投稿者は、教育=学校というニュアンスで、「教育」という言葉を使われています。私は、この場合の教育は、家庭や地域、職場など幅広い場所での教育だと思っています。舞台やスポーツの試合を見て、職場の先輩の感化を受けて、読んだ本に影響されて、黙々と働く親の背中を見て、難病を治してくれた医師を見てなど、人は様々な場面で人生を方向付ける出会いをするものです。もちろん、「あのときの○○が」と明確に言える劇的な体験がある人は少数でしょうが、潜在意識の中で何らかの影響を受けていない人はいないでしょう。それが、私の言う「教育」です。
もちろん、その中に尊敬できる教員の影響や感化が含まれてもよいのです。しかし、影響や感化が、学校の役目だとされてしまうと、学校は重荷を背負わされることになりますし、教員にとっても精神的負担は大きくなってしまいます。学校は、様々な進路の土台となる学力を身に付けさせることに責任を負い、他の様々な教育機能をもった「場」が、多様化を担うという分業こそが大切なのではないでしょうか。少なくとも、義務教育学校はそうあるべきだと思います。