ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

あいまいでいい?

2014-08-30 06:54:33 | Weblog

「業界の常識との乖離」8月25日
 読者投稿欄に、伊勢崎氏の公務員服部氏の『抽象的な音楽の学習指導要領』というタイトルの投書が掲載されました。その中で服部氏は、『現行の各社の教科書は満足できるものではないと思う。なぜそんな教科書しかないのか。先日、学習指導要領の音楽の部分を読んでみて、原因はここにあると思えた。なぜかというとその記述があまりに抽象的あるいは総論的であるからだ。これでは執筆者は執筆に当たって手がかりを得られない』と書かれています。
 服部氏は、学習指導要領はより具体的な記述がなされるべきと考えていらっしゃるようです。我が国のような自由な社会においては、ある問題について様々な意見が存在するのは当然ですし、健全なことです。ただ、その意見が正しい事実認識に基づいていることが前提です。少なくとも一読した限りでは、事実誤認もしくは理解不足があるように思えてなりません。
 学習指導要領については、ほぼ10年ごとに改訂が重ねられてきましたが、底流として、教育内容に対する国家統制という視点から一定の合意があるということを知っておく必要があります。戦前の国家主義的な教育への反省から、国(政府)が詳細な内容まで決定するのではなく、あくまでも大綱として示すという基本方針です。国定教科書から検定教科書へ、というのもこの流れの中で理解されるべきです。
 実際には、準国定化を求める立場と完全自由化を理想とする立場の勢力があり、せめぎあいを行ってきたのは事実ですが、結局は中間点で決着してきたという歴史があるのです。服部氏の主張は、大綱化を否定し、国(政府、文部科学省)が細部までつめた内容を示せ、という主張をしていることになります。もちろん、そのことを承知でおっしゃっているのであれば問題はありませんが。
 また、抽象的・総論的だから執筆者が手掛かりを得られない、という見方は事実と異なります。文部科学省は、教科書会社の担当者を対象に説明会を行いますし、個別に各社ごとに質疑応答の場を設けてもいます。さらに、学習指導要領の改訂に合わせて、解説書が作成されます。解説書は、学習指導要領の記述について、その解釈や考えられる具体事例、実際に学習計画を作成する際に留意することなどについて詳述したものです。解説書に「法的拘束力」があるか否かということについては現在も意見が分かれていますが、教科書の執筆者は、かなり豊富な手掛かりを得て執筆をしていることは間違いありません。執筆者が苦労するのは、限定された内容の中でどのようにして他社との差別化を図るか、という点なのです。A社は「○○」という曲を取り上げているから、わが社は「◇◇」という曲で行こう、というようなことです。
 そもそも論的に言えば、教科書執筆者自身が、数少ない専門家として、学習指導要領の改訂や解説書の作成に関わっている場合が多いのです。ですから、手掛かりを得られないなどということは考えにくいのです。
 もちろん、以上のようなことが、業界内の閉鎖的な体質を表している、一部の者の密室協議で決められている、国民の目に見えにくいところで談合が行われていると批判する立場があってもよいかもしれませんが、それは別の話です。

 

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