推薦廃止(10月29日)
大分県教育委員会は、教員汚職事件を受け、校長と教頭の昇任試験について、これまで出願時に必要だった市町村教育長らの推薦を廃止し、年齢などの受験資格を満たせば自由に受けられるようにするなどの改善策をまとめたそうです。昇任が、上司との関係などに左右されないようにするのが狙いだということですが、これでよいのでしょうか。
もちろん、年齢や教職年数などの条件を満たし、本人が管理職として力を振るいたいという意欲をもっている人が、上司から嫌われているために受験できないというのでは、困ります。私が勤務していた教育委員会でも、推薦が受験の必須条件ではありませんでした。
しかし、筆記と論文だけで決めるのがよいのでしょうか。教諭から教頭を目指す場合、普段の職務遂行ぶりを毎日見ている校長や教頭といった上司の人物評価は不要なのでしょうか。校長や教頭もまた教育委員会から評価されています。好悪感情に左右されたいい加減な人物評価をしていては、自分の評価が下がってしまうはずです。校長や教頭と言った管理職であれば、職務遂行上、直接教育委員会の職員と接触することが多く、市町村教育委員会が信頼性の高い評価を行うことが可能であるはずです。
そしてこうした「人物評価」は、長年学校教育に携わってきた校長や教育委員会の幹部職員であれば、概ね間違わないものです。勘というと非科学的という人がいますが、いわば長年の経験の中で培われた「暗黙知」なのです。暗黙知ですから、観点別に基準を設け数値化するということが難しい部分もあります。しかし、こうした「暗黙知」を軽視し、透明化を求めるばかりに、筆記や論文といった客観的といわれる評価に偏り、民間人など外部の門外漢を面接官にするなどの改革を進めすぎれば、かえって適材適所の人事が行えない可能性があります。
私自身、多くの教員の評価を行い、面接官や論文の採点を行った経験がありますが、そうした経験からも「暗黙知」を軽視してはいけないということを痛感しています。今、教員採用や昇任人事などにまつわる不信感が蔓延しています。こうした時勢を考えると私のような考え方は批判が多いと思いますが、安易にこうした時勢に妥協し、形式的な選考に陥らないようにしたいものです。
大分県教育委員会は、教員汚職事件を受け、校長と教頭の昇任試験について、これまで出願時に必要だった市町村教育長らの推薦を廃止し、年齢などの受験資格を満たせば自由に受けられるようにするなどの改善策をまとめたそうです。昇任が、上司との関係などに左右されないようにするのが狙いだということですが、これでよいのでしょうか。
もちろん、年齢や教職年数などの条件を満たし、本人が管理職として力を振るいたいという意欲をもっている人が、上司から嫌われているために受験できないというのでは、困ります。私が勤務していた教育委員会でも、推薦が受験の必須条件ではありませんでした。
しかし、筆記と論文だけで決めるのがよいのでしょうか。教諭から教頭を目指す場合、普段の職務遂行ぶりを毎日見ている校長や教頭といった上司の人物評価は不要なのでしょうか。校長や教頭もまた教育委員会から評価されています。好悪感情に左右されたいい加減な人物評価をしていては、自分の評価が下がってしまうはずです。校長や教頭と言った管理職であれば、職務遂行上、直接教育委員会の職員と接触することが多く、市町村教育委員会が信頼性の高い評価を行うことが可能であるはずです。
そしてこうした「人物評価」は、長年学校教育に携わってきた校長や教育委員会の幹部職員であれば、概ね間違わないものです。勘というと非科学的という人がいますが、いわば長年の経験の中で培われた「暗黙知」なのです。暗黙知ですから、観点別に基準を設け数値化するということが難しい部分もあります。しかし、こうした「暗黙知」を軽視し、透明化を求めるばかりに、筆記や論文といった客観的といわれる評価に偏り、民間人など外部の門外漢を面接官にするなどの改革を進めすぎれば、かえって適材適所の人事が行えない可能性があります。
私自身、多くの教員の評価を行い、面接官や論文の採点を行った経験がありますが、そうした経験からも「暗黙知」を軽視してはいけないということを痛感しています。今、教員採用や昇任人事などにまつわる不信感が蔓延しています。こうした時勢を考えると私のような考え方は批判が多いと思いますが、安易にこうした時勢に妥協し、形式的な選考に陥らないようにしたいものです。