ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

大部分はそこそこに

2024-06-13 08:39:06 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「難しくはなっていないはず」6月8日
 専門編集委員伊藤智永氏が、『親はあっても子は育つ』という表題でコラムを書かれていました。その中で伊藤氏は、『出生率の最低更新が加速している(略)一番変わったのは子供へのまなざしではないか。子供を大事に考えるのは結構だが、あまり神経質に構いすぎて、親も子も社会も国も、互いの首を絞めている気がしてならない(略)子育てを失敗できないミッションのようにしゃちこばる母親たちの息苦しさも怖い。リスクゼロの潔癖症は、テロとの戦いで人類が取りつかれた偏執である』と書かれていました。
 同感です。子供に大きな投資をしなければ子育てに失敗してしまう、という考え方が、出産・子育てへの忌避感を募らせる要因となっているという思いがしてならないのです。その一つとして、以前から気になっていることがあります。塾についてです。
 私の子供時代にも塾はありました。クラスで7~8人が通っていたと記憶しています。他に、社長の息子が一人、家庭教師を付けていました。残りの30人は、宿題をするくらいであとの時間は遊んでいました。私はその30人の中の1人でした。子供心に、学校で勉強して、また塾で勉強するなんておかしいと思っていました。当時の私の成績は、国社算理が5段階の4、音図家体が3というところで、中の上か上の下といったところでした。もちろん、授業についていけないなどということはありませんでした。そして、私より成績が悪い級友たちも、数人を除いて授業が分からなくて苦痛だ、という者はいませんでした。
 両親がどう思っていたかはよく分かりませんが、私の成績に悲観はしていなかったことだけは確かです。思い出したように勉強したの?と尋ねることはありましたが、そう言われた私が相変わらず勉強しないでいてもそれ以上何か言うことはありませんでした。父はサラリーマンで、私は家業を継ぐというような立場ではなかったのですから、ある程度勉強ができて、ちゃんと就職してほしいという思いはあったはずですが、うるさく言われたことはありませんでした。
 時代が違う、という声がありそうです。確かに、私立中学校に進学を考えるとなれば、塾は必要でしょうが、現代では、私立進学など考えてもいない子供も塾に通っています。私は長く小学校教育に関心をもってきましたが、私の子供時代と現在の小学校の学習内容を比べてみた場合、学習内容が著しく高度化し、難しくなっているということはありません。近年、英語が教科として加わり、プログラミングが新たに始まったという点を除けば、学習指導要領に示された内容の難度はあまり変わっていないのです。
 もちろん、昔の子供と今の子供で、脳に変化が起こって、知的能力が低下しているというようなことはありません。つまり、私の子供時代のころのように放課後を過ごしていても、大部分の子供は学習内容を理解できるはずですし、酷な言い方ですが、ごく一部の理解が遅い子どもは塾に行っても完全には理解できないという状況に変わりはないはずです。それなのになぜ、多くの家庭が、特に都会ではほとんどの家庭が塾に通わせるのか、理解ができないのです。
 勉強は、授業がおおよそ理解できればいい、どうしてそのように気軽に考えることができないのか、そう考えることができれば親も子もずいぶん楽になれるはずなのに、と思うのです。そしてその考えはおそらく正しいのです。そうは言っても、周りの子供は塾に行っているのにうちの子だけ~、と心配になる親心は理解できますが、誰もが名前を知っているような名門私立中学校への進学を狙っているのでなければ、そして我が子は小学校の授業が分かると言っているのであれば、それは過剰な心配です。
 塾も習い事も、さまざまなイベント参加も、しなくても、毎日学校に通い、授業内容が分かり、きちんと食事をして睡眠をとっていれば、99%の子供は大きな問題なしに育つ、そうしたことが「常識」として理解されれば、子育てへの忌避感は大きく減ずると考えます。

 

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