「教員もなる」11月22日
『可愛いと感じるまでそばに』という見出しの特集記事が掲載されました。ボンディング障害について報じる記事です。ボンディング障害とは、『子どもを虐待する母親の中には、「可愛い」「守ってあげたい」といった情緒的な絆(ボンディング)をわが子に感じられない』ことです。『愛情や慈しみの感情がわかないだけでなく、いらいらしたり、敵意を感じたりする母親もいる』とのことで、悩む人も多いそうです。
私はこの記事を読んで、こうした感情は母親特有のものではなく、教員にもあるのではないかと思いました。私自身、小学校の教員になるときに家族から、「子どもなんか好きじゃないのに大丈夫なの?」と言われた経験があります。末っ子で甘やかされて育った私は、可愛がってもらうことには慣れていましたが、他者を可愛がる経験は乏しかったのは事実ですし、そう自覚してもいました。だからこそ、私をよく知る家族は、不安を感じたのでしょう。
実際に教員になってみると、懸念するほどのこともありませんでしたし、経験を積むにつれ、教員にとって子供が好きというのも程度問題であり、あまりに子供を好き過ぎるというのも望ましいことではないと理解できるようにもなりました。とはいえ、実際に教員になってみてから、自分は子供が好きになれないということに気付き苦しむ教員もいるのは確かです。私は、教委勤務時代に指導力不足教員研修を担当していました。そのときの受講者であったT教員がまさにそうした人でした。とにかく子供の馬鹿さ加減が許せないという人でした。なんでこんな簡単なことが分からないのか、と子供を見下し軽蔑し、嫌悪してしまうのです。
もちろん彼も教職課程を学んで教員免許を取得しているのですから、頭の中には「共感する」とか「寄り添う」といった概念が存在するのですが、子供を目の前にすると、マイナスの感情を抑えきれないのです。彼は教え子たちから「冷たい先生」と呼ばれていました。多くの受講者が、教員を続けるために本心を隠し、研修の評価者でもある私に対して表面的には迎合的な、見ようによっては卑屈な態度をとりましたが、彼だけは常に胸を反らせているような態度でした。そして、最も早く自ら研修を辞退し、退職の道を選びました。最後まで、苦しんでいる様子は見せませんでしたが、私には彼が間違った職業選択によって不幸になった人にしかみえませんでした。
記事では、ボンディング障害を克服する方法について、『子どもの写真を見ることを勧めた。写真を見る時間を徐々に延ばし、次に子どもを撮った動画を~』という例が挙げられていました。教員に対しても、そうしたきめ細かな指導体制があれば、彼も退職せずに済んだかも知れません。子供が好きではない彼は、良い意味で冷静な対応ができる良い教員になったかも知れないと思うのです。