ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

きっとわざとやっている

2021-12-02 08:20:09 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「きっとわざと…」11月26日
 論点欄は、『対テロ戦争から20年』というテーマで、3人の識者が意見を寄せていました。その中で、千葉大教授酒井啓子氏が寄稿されたものに注目させられました。酒井氏は、『結局、米国は中東で失政を繰り返し、混乱を招いただけだ。しかし、中東の人々の受け取りは異なる。大国の米国が、失敗するわけはないと考え、意図的に中東を不安定化させ、それが米国の利益になっていると信じている』と指摘なさっているのです。
 この指摘が的を射たものなのか否か、私には判断がつきません。しかし、さもありなんという気がします。そしてこうしたケース、つまり買いかぶりという事象はよくあることではないでしょうか。
 学校でも多いのです。子供が友人関係で困っているとします。出来れば教員に助けてもらいたいと思いますが、直接「○○さんのことで困っているから助けて」とは言いたくありません。そこで、表情やしぐさ、ふとした言葉などで窮状を伝えます。「いろいろな子供を見てきた先生なんだから分かってくれる」と信じて。
 しかし、教員は何も察しません。無視したわけではなく、単に感度が悪いだけなのですが、子供はそうは思いません。「先生は、私のことが嫌いだから、、私が困っているのに無視しているんだ」と思い込んでしまうのです。そして、絶望するとともに、教員を好き嫌いで依怙贔屓をする人間だと不信感を抱き、憎むようになっていくのです。
 こうした買いかぶりによる誤解は、人間関係だけでなく、授業中に分からないというサインを出しているのに知らんぷりされた、というように様々な場面で起こっているのです。元々「教員なんて…」と思っている子供や保護者はこうした感情は抱きません。教員という職にある人を信頼している子供や保護者、つまり学校というシステムに好意的なひとにこそ、起きてくる感情の動きなのです。それだけに、学校にとっては、味方を失うようなダメージがあるのです。
 教員も人間です。期待されても、能力には限界があります。ですからこうした不幸な事態をなくすことはできません。せめてできることといえば、誠実であることです。それは、自分も失敗をすること、欠点や弱みがあることを隠さず、失敗は認め謝るという姿勢を子供に対しても持ち続けることに他なりません。これが難しいのですが。

 

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1 コメント

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なるほど、私の感覚です (badmintonmusume)
2021-12-02 19:12:11
 ブログを読むとなるべくコメントすることにしています。以前もコメントしたかもしれませんが、素直に書いているつもりです。
 今日の記事は私の経験を書いているようでした。私は終戦直後の生まれ。小学校の先生方は貧乏。教育というより遊びだけ。授業は私語、自宅で自習だけでした。小中高と先生を教育者として軽んじて見てしまい、大学受験も自習だけでした。塾の先生もバカにしていた阿保でした。
 それなのに会社に入り上司に期待し、衝突ばかり。まさに今日の記事の内容にように、24歳から50歳まで失敗を繰り返しました。

 今は余談です。経営の失敗、商品の失敗、不味い事業方針はわざとやっている、インチキし裏金を稼いでいると見てしまいました。
 しかし私は正直に誤りを周囲に言い謝りました。しかしこの点だけは学校の先生では良くても、会社では阿保を装う方がまだましのよう。正直は社内で損をすると思います。
 世に出るととぼけ方の上手い人が得をするのかもしれません。 
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