ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

案の定

2022-08-29 07:29:04 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「案の定」8月23日
 『実行の決意「最近」 渋谷刺傷容疑の中3』という見出しの記事が掲載されました。『渋谷区円山町の路上で母と娘が刺された事件』についての続報です。私はこの事件の犯人が中3の少女だと知ったとき、「出るぞ」と思いました。
 案の定、記事の中に『少女の通う中学のある戸田市教育委員会は22日、会見を開いた』という記述が出てきました。教育長は、『事件を防ぐ手立てはなかったのか。原因究明と子どもたちの心のケアに務めていきたい』と話しています。この内容も「案の定」でした。
 何で、教委が会見を開く必要があったのでしょう。教委、即ち学校には関係のない事件である、というのが私の考えであり、会見は必要ないと思います。また、仮に会見を開くとしても、「事件を防ぐ手立てはなかったのか。原因究明~」は必要のない発言です。教育長の発言は、学校や教委に原因究明や事件防止の責任があると言っているのですが、私は、そんな責任はないと考えるのです。
 記事によれば、近所の人は、『家族3人で外食に出掛ける姿をよく見かけた。(少女は)会えば会釈をしてくれて、母親が仕事の時には代わりに洗濯を干したり、ゴミ出しをしたりしていた。トラブルは聞いたことがない』と話しているのです。
 仲が良い家族に見えたにもかかわらず、少女は事件の動機を『自分の母と弟を殺すつもりだったが、本当に人を殺せるか試したかった』と話しているのです。理解不能です。こんな事例にまで、学校や教員が子供の内面を知り、事件発生を防がなければならないとしたら、教員は超能力をもった預言者にでもなければ務まらないことになってしまいます。
 学校でのいじめや教員による不適切な指導が原因だとでもいうのであれば学校の責任が問われます。また、母親による児童虐待が疑われる状況であったのであれば、対応する必要があります。また、母親から事件を予感させる何らかの相談を受けていたのであれば、学校の対応が問われるべきでしょう。しかしそうではなかったのです。
 殺意の対象となっていた母親や弟でさえ気づかなかったものを、家庭の様子を24時間監視しているわけでもない教員が気付くことなど不可能です。我が国の学校や教委は、子供に関することは全て自分たちに責任があるとして背負い込む習性があります。それは多忙な学校と教員をさらに追い込む自殺行為です。
 学校内のことではなく、家庭における人間関係のトラブルであり、近隣住民も気づくことができなかった事例であり、学校としては対処するすべのないことであると考える。教育長はそう言い切るべきだったのです。もっとも、教委にいた人間としてそんなことをすればバッシングの嵐になってしまうことは痛いほど理解しています。本当にこう言える日が来ることを待ち望んでいます。
 

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