ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

恥ずかしいと言われたら

2022-08-01 08:14:06 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「どこまで?」7月25日
 『ラッシュガード 授業でも着たい 水泳 紫外線対策 見られる恥ずかしさ軽減』という見出しの記事が掲載されました。『紫外線防止などのために上半身を覆う「ラッシュガード」の着用を巡り、学校の対応に困惑する保護者もいる』ことを取り上げた記事です。
 記事の中に、『中学生になると、体形の変化から水着を嫌がって授業を見学する生徒が増えます。ある学校では『参加率が高まるなら』と長袖着用の許可を出したところ、見学していた生徒が授業に参加してくれた例もありました』という記述がありました。
 私は基本的に、学校の教育活動に支障がないのであれば、子供が望むことは許容していくべきだという考えです。この「ラッシュガード」着用問題についても、思春期の生徒が自分の体形等を見られることに対してもつ抵抗感を考えれば、認めていくべきだと考えています。ましてこの問題は、水泳授業の見学にとどまらず、水泳授業の日には休むことにつながり、場合によっては不登校に陥ってしまう可能性も無視できないのですから。
  もちろん、懸念もあります。ラッシュガードは、従来の水着よりも高価ですから、経済的に苦しい家庭の子供にとっては、周囲の同調圧力の中、保護者に購入するように頼まなければならないことに罪悪感を抱くケースもあるでしょう。また、将来的には、小学校でもラッシュガードが一般的になると、成長による変化度が高い低学年から数回買い替えることになり、経済的負担が問題になるかもしれません。
 しかしそうしたこととは別に、より根源的な問題があるように思います。それは子供の「恥ずかしい」思いをどこまで尊重するかということです。室内プールがある学校においては、ラッシュガード問題は、純粋に「恥ずかしい」という感情の問題です。今、マスクは顔パンツと言われ、マスクをしないことは恥ずかしいという感覚の子供がいます。この感覚を尊重すれば、マスクを取ることは強制できないことになります。
  髪をカットしたから恥ずかしいという子供には、ウィッグ着用も帽子をかぶったまま授業を受けることも認めることになります。足を出すのが恥ずかしいということになれば、体育の授業でハーフパンツや半袖の体操着は着なくてもよいことになるでしょう。
 また、体育の着替えを他人に見られるのは恥ずかしい、という感情を尊重すれば、個室の更衣室を準備することになります。健康診断も、個室のパーテーションで着替え、一人ずつ校医の前に行って、一人が終わったら次の一人がパーテーションから出て行くという形になるでしょう。
 自分の作品が見られるのは嫌だからということで、習字や絵などを教室に張り出すことも出来なくなるかもしれません。足が遅いのが知られると恥ずかしいということで、運動会の徒競走はなしということになってもおかしくありません。学芸会も個人が目立つ出し物はNGとなり、合唱や合奏だけになってしまうかもしれません。授業参観などできなくなる可能性が高いです。
  鈍足で悪筆、悪声な私は徒競走で恥をかき、授業参観日に教室に張り出されたひときわ下手な習字で「お母さんに恥を書かせた」という思いを抱きました。学芸会では一度もセリフのある役をやったことはありませんでした。ですから恥ずかしいことは拒否できるのであれば…、と考えないでもありませんが、そんなことでいいのかという思いも湧いてきます。
 恥ずかしさへの対応は、学校においてどこまで進めていくべきなのか、何か基準はあるのでしょうか。
 

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