ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

そんな子供ばかりではないはず

2022-08-18 08:20:46 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「平均的な反応?」8月15日
 『「誰も戦争知らない」迫る』という見出しの特集記事が掲載されました。『戦争を知り世代が自身の体験を語れるのはあと5年』という調査結果を受け、戦争記憶の継承の難しさについて述べた記事です。
 その中に、次のような授業風景についての記述がありました。『被爆者が小、中学生らに「家族の安否が分からず、焼け野原の中を探し続けた」といった話をした際「電話できなかったのか」などと尋ねられる場面を何度も目にしていた。携帯電話で連絡できる時代しか知らない子供たちが当時を想像するのは難しい』という記述です。
  正直なところ、もっともらしいけど嘘くさい、という感じがしてしまいました。国語の授業でも、戦時下に限らず歴史の授業でも、携帯電話のない時代を学習の対象にすることは珍しくありません。例えば、秀吉の中国大返し、どうして毛利方の配下は携帯電話で信長が死んだことを伝えなかったのだろう、という疑問を口にした子供に出会ったことがありません。賤ケ岳の合戦、何で柴田方は秀吉が夜通しかけて賤ケ岳に急行中だ携帯電話を掛けなかったのだろう、という子供もいませんでした。
 「電話できなかったか」というような質問が出るということは、被災者を講師として呼ぶ以前に、教員がしっかりとした指導をしていないことを表しているのであり、戦争体験を理解させる難しさを表しているのではないような気がするのです。
 また、「電話~」発言をした子供が、子供の多数派なのかというのも疑問です。ごく一部の子供がそうした発言をし、多くの子供は「電話が通じる状況なわけないじゃん」と思っているという状況だったのではないか、ということです。さらに言えば、電話が普及していないということは分かっていてわざととぼけた質問をするという子供がいる可能性もあります。いわゆるウケ狙いです。物語を読み味わっているときに、「どうしてキツネが人間の言葉がわかるんですか」と発言して見せるという心理と同じです。
 ようするに、戦争体験の継承が難しいという記事の主張を強調するために、無意識のうちに、77年前の原爆投下時に携帯電話が使えなかったということすら想像できない子供が多数を占めている、というように現状を誇張してしまっているのではないかという気がしてならないのです。
 我が国では毎年8月になると、各テレビ局が、いわゆる「戦争物」を放映します。中学生ならば、数年間、そうした時期を経てきていることになります。図書室には、はだしのゲンのような戦争を描いた漫画もあります。教員も必ず戦争については何らかの形で触れていることでしょう。私もそうでした。いわゆる保守派からは非難されますが、社会科以外の教材の中にも、「ちいちゃんのかげおくり」のように戦争の悲惨さを扱った「反戦物」は少なくありません。私は、情緒的な平和教育については批判的な立場ですが、現状はそうなのです。戦争とその時代について、何も知らないではなく、知っているけど実感が伴わないというのが実態であり、それを前提に戦争体験の継承を考えていくべきだと思うのです。
 なお、記事にある『被爆者の体験を一方的に聞くだけでは記憶を追体験できなくなっており、その後の「やり取り」が重要』という指摘はもっともだと思いますし、教員がそこでの工夫に加わるべきだと思っています。小見出しにある『AI化』も賛成です。

 

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