ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

恋を語れるか

2022-08-21 08:44:05 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「常識とは違う」8月16日
 連載企画『14歳への君へ』は『全国の中学生に、様々な分野で活躍する人が語る「授業」』です。今回は歌人俵万智氏でした。俵氏の語られる内容は、常識とは少し違う見方・捉え方があり、とても面白いと思いました。
 まず、『短歌ならいつでも始められます。あるのは「五七五七七」に言葉の数をそろえる決まりだけ。定型に流し込めばいいから意外に便利』です。定型があり、自由に書けないから面倒臭い、型にはめられて不自由、そんな考え方が一般的ですが、俵氏は、定型があるから便利と真逆のことを言うのです。図工の時間や作文の授業で、何でも自由に好きにかいていいんですよ、と言って子供を困らせている未熟な教員に聞かせたい言葉です。
 次に、『SNSは便利だけど行き違いも生まれがちです。だから、短い言葉を的確に読み書きする力はより大切になります』です。メールやLINEでの短文のやり取りは、楽で手軽な反面、国語力を低下させると懸念する声が強いですが、俵氏は、SNSを使いこなすには、従来以上に読み書きの力、つまり国語力を高めることが必要になると言っているのです。若者に聞かせたい指摘です。
 そして、『教科書も文章がすごく吟味されているから、本を読む手がかりになります』です。教科書の文章については、面白くない、無味乾燥というような批判がありますが、俵氏は、教科書を読み物として得るところが多いと評価なさっているのです。自らの作品が教科書に採用されている俵氏の言葉ですから重みがあります。
 少し毛色の違うのが、『恋は思いが強いからって、点が取れるわけじゃない。努力が逆効果な場合もある』です。考えてみると、学校教育では、「恋」を扱うことは皆無に近いということに気付きます。性教育で自分と相手を大切にすることと教わりますが、「恋」という中高生にとって重要なファクターについては、考えさせる機会はとても少ない、そのことに気付かされました。どう扱うのがいいのか、分かりませんが。性自認や性志向の問題も絡み、教員としては何となく避けたくなりますが、それでいいのでしょうか。
 もう一つ、「恋」の効能として、努力ではどうにもならないということを知る、があることにも気づかされました。とても大事です。学校では、努力は無駄にならない、という美しい建前が横行しています。しかし、現実はそんなものではありません。さらに、「恋」には相手がいます。相手は自分とは異なる他人です。失恋は、他人を自分の思うとおりに動かすことはできないし、そのことに腹を立てることもできない、という厳しい現実を気付かせてくれるのです。独り善がりな自分勝手な行動の弊害を理解させるためにも「恋」は有用だということがわかります。
 俵氏は、元国語の教員でした。現役時代はどんな教員だったのか、知りたいと思いました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする