ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

教室の中の人

2022-08-02 08:03:18 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「教室の人」7月26日
 精神科医香山リカ氏が、『「病気の人」にならないで』という表題でコラムを書かれていました。その中で香山氏は、他所の病院から来た初めての患者との出会いの場面について書かれていました。
 『「はじめまして。ちょっと自己紹介していただけますか」その人は、ちょっと戸惑った顔をしてこんなふうに話し始めた。「えーと、私は高血圧で薬を飲んでまして。あと糖尿病予備軍、尿酸値も高いですね。それに認知症もそろそろ心配で…」私は「ありがとうございます」と言った後で、「次は病気のこと抜きで、あなたのことを教えてください。これまでのこと、いまの趣味などもお聞きしたいですね」(略)』。
 香山氏は、こうしたやりとりの意図について、『いくら診察室であっても、私も患者さんも一人の人間。特に長いお付き合いになるときは、なるべき「人と人」として向き合いたい』と述べていらっしゃいます。
 なるほどな、と思いました。私は教員としての自分を振り返りました。私は、子供と「人と人」としてではなく、「授業をする人と受ける人」として対峙してきたのでは、と反省させられたのです。
 私にとって子供の情報とは、「機械的な計算はよくできるが、文章問題では題意を理解するのが苦手」「難読漢字もよく読めるが書くのは苦手。大体の形はよく覚えているが、点を忘れたり、横画の数が違っていたりすることが多い」「教員の話はよく聞いているが、級友の発言には上の空である」などといった、教科学習の能力や興味関心の傾向、態度などといったものだったのではないか、ということです。
 しかし、当然のことですが、子供が国社算理の時間に見せる言動は、その子供のごく一部に過ぎません。私はそのごく一部を把握しようとすることだけに力を注いできたような気がします。私がいつまでたっても学級経営や生活指導がうまくない教員であったのは、この辺りに原因があったのです。
 目の前の子供が、家で一つ違いのお姉さんとどんなふうに言葉を交わしているのか、小学校に入る前にはどんな遊びを好んでいたのか、小さい頃体は丈夫だったのか、長期休業中は何時に起きて何をしているのか、大切なタカラモノは何なのか、好きな女の子は誰なのか、おかあさんへの不満はどんなことなのか、何も知りたいとは思わなかったのです。 知ってどうなるのか、ですか。どうにもならないかもしれません。しかし、立場を変えてみましょう。自分という人間について、校長が、「昨年度は校内研の研究授業1回。講師からの評価は普通。保護者からの苦情は3件。うち2件は教頭が話を聞くだけで解決。特活主任としては可もなく不可もなし。学年の教員間の人間関係は良好。学級はややまとまりがない…」というような情報を得ていてそれで私を理解してつもりになっているとしたら、少なくとも校長に親しみをもつことはないでしょう。子供も同じはずです。
 人として興味をもった人間からだけ、人として興味をもってもらえる。子供と教員の関係もたの全ての人間関係と同じです。人と人として相手の興味をもつ、教員はそうでなければなりません。

 

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