ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

民主主義だから「民」が戦う?

2022-08-30 08:19:03 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「望ましいのは?」8月24日
 論点欄のテーマは、『戦争と平和 あなたは戦えますか』でした。『ロシア軍に「専守防衛」で抗するウクライナの状況は、思いもよらなかった問いを突き付けた。私たちは戦えるのか』という問題意識の下、3人の識者が自説を展開していました。
 偶然なのかもしれませんが、その中の2人が言及していたのが、『第7波世界価値観調査(17~20年)』でした。この調査によると、『「戦争になったら国のためにすすんで戦うか」という質問に対し、「戦う」と答えた日本人は13.2%で57ヵ国中、最低だった』ということです。さもありなんという数字です。
 この結果を基に、元陸将山下裕貴氏は、『日本が外国の軍に侵攻されたのは、第二次大戦の沖縄の例があるが、その後、日本を占領したのは民主的な米軍だった(略)何度も戦火に巻き込まれ侵略された経験のある欧州や、植民地化された中東やアジアとは歴史的背景が違う。また、戦後教育の中で、軍隊イコール悪だと教えられてきた』とその背景を説明し、『環境が変われば、国のために戦うという人が増える』と述べていらっしゃいます。
 その通りだろうとは思います。しかし、それでよいのかという思いもしてきます。山下氏の指摘は、日本人はその場の雰囲気に流され侵攻されれば戦うという世論が形成され、反対の人もその同調圧力に押されて、武器を取ると言い出すと言っているのですから。そこに主体的な判断はありません。天皇の臣民であった戦前ならばともかく、国の主権者である国民として、世論に流され、同調圧力に押されて、というのでは問題です。
 一方、早稲田大教授野上元氏は、徴兵制という切り口からこの問題に迫っています。『米国の独立戦争での民兵やフランス革命後の国民軍など、市民の戦争参加や徴兵制は民主主義の歴史と関係が深い。ところが日本の徴兵制は、明治維新で「上から」唐突に導入された(略)日本は「市民が戦う」ことについて民主的な議論の経験が乏しい』と問題点を指摘し、『民主主義と軍事の歴史的経緯を意識することは大切だ』としていらっしゃいます。
 私は、野上氏の指摘こそ、学校教育で生かすべきだと考えます。私はこのブログで、我が国の学校教育における平和教育が、悲惨、悲しいなどの感情に過剰に訴える情緒的平和教育だとして批判してきました。そして、過去の戦争、それは我が国だけでなく第一次、第二次世界大戦における欧州諸国の動向なども扱いながら、戦争への道を歩み始める兆候を知り、早期に戦争の芽を摘むための具体的行動について学ぶ「戦争阻止教育」へと転換すべきだと訴えてきました。
 しかし、そんな私も、国民の戦う意思という問題について、学校教育ではどのように対応すべきかということについて考えたことはありませんでした。今、改めて考えてみても、子供に、自分の家族や大切な人を守るために銃を取って戦うべきだ、と教えることにはどうしても抵抗があるのです。かといって、国が滅ぼされ、国民が外国軍に奴隷のように扱われても、決して銃を取って人を殺すことはするな、と言い切ることにも迷いがあります。
 もちろん、結論を押し付けるのではなく、基になる事実を提示し、子供に考えさせ各自の判断を尊重するということになるのですが、それでもどうしても教員の価値観が滲み出て、子供に影響を与えてしまうことは避けられません。
 そんな中で、野上氏の徴兵制という切り口は、子供に考えさせるためには「良い教材」だと思うのです。お隣り韓国のBTSを巡る問題などから導入し、子供たちが調べ話し合う、誰かそんな実践をし、議論のとっかかりをつくってくれないでしょうか。

 

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