「なぜ個別?」7月26日
『得意教科は個別指導 才能持つ子への支援案 文科省』という見出しの記事が掲載されました。『特定分野で突出した才能を持つ子どもへの対応を話し合う文部科学省の有識者会議は25日、得意教科の授業で一時的に別室でレベルの高い内容を勉強する個別学習を認めるなど支援策を進めるとの提言案を示した』ことを報じる記事です。
教育基本法に定めるように「すべて国民は、ひとしくその能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」のですから、ギフテッドの子供たちが、その能力に相応しい学びの場を与えられることは当然です。今回の提言はむしろ遅きに失したというべきかもしれません。
ただ、一つだけ気になることがあります。それは記事に支援策が『個別学習』とあることです。具体例としても、『別室で勉強することや、大学のオンライン講座などを活用する仕組みを国が設ける』とあり、通常の授業のように、集団で話し合ったり、協力して作業を進めたりすることが全く想定されていません。
ギフテッドの例として「小3で高校や大学レベルの数学を学ぶ」があげられていましたが、高校の数学の授業でも、大学の数学の講義やゼミでも、一人黙々と勉強するという形ではないはずです。
もちろん、小学生と高校生徒では発達段階が大きく異なり、共に学ぶことが難しかったり、学習効果が低いことが予想されるケースはあるでしょう。しかし、学びには、一人で集中して考え抜くことが必要なこともあれば、多くの異なる意見や着眼点に触れ視野を広げていくことが必要な場面もあるはずです。そうであるならば、初めから「個別学習」を打ち出すのではなく、個別も集団も共に視野に入れて、支援策を考えるべきだと思うのです。
実際には難しいケースの方が多いとは思いますが、近隣の高校や大学の授業や講義に参加するといったことも含め、できるだけ実現に向けて知恵を絞るのが、行政側の仕事でしょう。少なくとも東京などの大都会ではいろいろなやり方が可能なはずです。そしてそうした「工夫」が積み重なっていけば、他の地域でもやり方次第で実現できる方法を発見するヒントにもなることでしょう。