ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

結局は得なはず

2022-08-19 08:38:46 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「子供と保護者が」8月15日
 ヌードルライター氏が、『守れ“絶メシ”』という表題でコラムを書かれていました。ちなみに絶メシとは、『今、愛すべき地域の飲食店が全国でどんどんその数を減らしている。気前の良さが全開な安くてうまい絶品グルメ、地元っ子に「おやっさん」と親しまれる名物店主、その町の風景の一部になっている歴史のある建物』というような飲食店のことだそうです。
 コラムの中に気になる記述がありました。『(跡取りができた)からといって、このちゃんぽんが絶滅から回避されたわけではない。レシピを受け継げば、その味が残るという簡単な話ではないと思うのだ。何度も実際に調理し、時間をかけて体得してこそ、本当の意味で継承される。そのためにはお客が店に足を運び、注文することだ。絶メシは店とお客の両者があってこそ残る』という記述です。
 地方の個人経営の飲食店の廃業を阻止するというと、普通に考えると、後継者の確保、新たなセールスポイントの創造、経費の見直し等利益の出る体質への転換、顧客獲得のための広報戦術の確立など、店側の努力や工夫を列挙しがちですが、筆者はお客が通うことを挙げているのです。ユニークな発想だと思いました。
 もちろん、お客が通うようにするためには店側が努力することが必要なのですから、同じことを言っているだけだということもできますが、微妙に違います。極言すれば、最初のうちは不味いちゃんぽんを出されても、経験を積ませ味を向上させるために我慢して通うべき、という主張なのですから、客側にも責任と覚悟を求めているのです。
 味はイマイチなのに、客が我慢して通うものなのでしょうか。筆者は通うと言っているのです。そうした事例が各地で見られると言うのです。ではなぜ、客はそんな我慢をするのでしょうか。それは、絶メシ店に味以外にも魅力があり、将来への期待があり、必ず期待に応えてくれるという信頼があるからでしょう。
  私は、学校もそうあってほしいと思っています。教員もそうあってほしいと思っています。特に、個々の教員を考えると、誰もが新しく店を継いで、先代のレシピはあるけどその通りに作っても何だか少し違ってうまくいかない、そんな新店主同様、学級経営も教科の授業も、生活指導も教育相談も、一応のノウハウは学んできていてもどうしてもベテラン教員のようにはいかない、という状況なのです。
 子供にも保護者にも、絶メシ店を見守り盛り立てる客のような役割を期待したいのです。以前、子育ては、子供を育てるのではなく、子供を育てることを通して親が親として育ち成長することなのだ、という考え方が支持されたことがありました。教員も同じように育ててほしいというのは甘えなのでしょうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする