ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

調整ではなく委ねることで

2022-08-12 08:02:16 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「どちらの道を」8月5日
 『環境負荷高い 牛肉はパス 「クライマタリアン」という生き方』という見出しの記事が掲載されました。クライマタリアンとは、『地球環境に負荷が小さいものをなるべく選んで食べる人たち』のことだそうです。不勉強な私は初めて知りました。
 記事によると、『人為的に排出される温室効果ガスの3分の1は「食」に関係している。そのうち4割が畜産分野に起因する(略)精肉のたんぱく質100㌘あたりの温室効果ガス排出量では、牛が約50㌔で、羊(同20㌔)、豚(同8㌔)、鶏(同6キロ)を大きく上回る』ということで、環境問題の視点から、牛肉を食べることを減らす運動が、欧米で盛んになってきているのです。
 記事では、既に、『フランスでは学校給食で週に1度、肉を出さないことが義務化された』とあり、私は我が国における学校給食について考えてしまいました。特定の食べ物の摂取を控える、または止めるという行為について、私は、ベジタリアンやビーガン、またはイスラム教徒のための食事ハラルなどが思い浮かびます。これらは、健康のためや宗教などの理由によるものであり、極言すればその人たちの勝手な価値観であり、他人に強制できるものではありません。
 確かにベジタリアンは、野菜不足に陥りがちな現代人にとって利点もあるでしょうが、動物性たんぱく質が必要な人もいます。例えば、育ち盛りの子供のように。また、イスラム教徒が豚肉を食べないのは他の宗教に人からみると、なんじゃそれ?という感じしかしません。ヒンズー教徒が牛肉を食べないのも、敬虔な仏教徒が獣肉食をタブーとするのも同じです。
 ですから、イスラム教徒から豚肉を給食で出すなという要求がなされても、ベジタリアンから肉を給食に出すなと訴えられても、門前払いできましたし、せいぜい少数派への配慮ということでハラル認証の食事を用意するという対応で済んだわけです。
 しかし、地球環境の劣化、温暖化を阻止するというのは、全人類にとって共通して重要な課題です。つまり、クライマタリアンの主張は、正義であり、他者にも強要するだけの大義名分があるということです。もし近い将来、クライマタリアンの市民や保護者から、地球環境を守るために学校給食には牛肉を出すべきではないという申し入れがあった場合、教委や学校はどのように対応するのでしょうか。少なくとも、イスラム教徒やベジタリアンと同様の対応では済まない気がします。
 対応は大きく2通り考えられます。申し入れを受け止め、牛肉使用を中止するという方向性が一つです。この中には、使用量を減らす、フランスのように牛肉を出さない日を設けるというような対応も含みます。もう一つは、地球環境問題は他の分野で対応するとして、要求をはねのけるというやり方です。前者は、牛肉食べさせろ派から反発があるでしょうし、後者は予知広範な賛同者を得て再要求が繰り返されるでしょう。
 こうした状況は、保護者の中に対立と分断を生み、学校教育の円滑な実施を妨げます。そこで私は第3の道を考えています。それは給食廃止です。保護者がそれぞれ自分の責任で我が子の食を用意するということです。今後、人々の間では、様々な問題を巡り異なる価値観や考え方が対立する場面が増えていくことが予想されます。それは変えることができない時代の趨勢です。そうであれば、公的機関である学校は、合意が得られる基本的な最小限度の部分(例えば学力向上のための授業)に役割を縮小し、価値観の統合が難しい分野については、家庭に返すという方向を取ることが必要になってくると思うのです。クライマタリアンの問題は、その一つなのではないでしょうか。

 

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