ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

別の出会い

2022-08-08 08:04:12 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「出会いの場はあるか」8月1日
 連載企画『学校とわたし』は、憲法学者南野森氏が、『先生との出会いで成長』というタイトルで語られていました。その中で南野氏は、『学校は、いい先生ばかりというわけではありませんよね。でも、いい先生は必ずいます。クラスの担任ではなくても付き合うことはできるし、学ぶこともできる(略)若い人たちには、それぞれの学校で待っている出会いを積極的に求めていってほしい』とお話になっています。
 そんなものなのかな、と思いました。私自身の経験を思い返してみても、小学校時代、担任の教員以外の教員とはほとんど話すことはなかったからです。授業を受けていた専科の教員、音楽のK教員、図工のK教員、家庭科のI教員ですら、ほとんど話した記憶はありません。同じ学年の他の学級の担任、1組のM教員、2組のF教員、3組のO教員とも、話した記憶はありません。
 さらに、私自身が教員になってからのことを思い返してみても、他の学級の子供と話した記憶はほとんどないのです。もちろん、委員会やクラブ、集団登校の地域班などで接する子供たちと話はしますが、それは南野氏がおっしゃる「付き合う」や「出会い」とは異なっていると思われます。言うなれば、事務的な会話、という感じです。
 実をいうと、保護者に頼まれて、他の学級の子供の悩み相談に乗ったりしたこともあるのですが、それは以前担任していた子供の場合でした。蛇足ですが、卒業させた子供が、私と話しに来校することはたびたびありました。しかしこれらは、やはり受け持ちの担任と子供という関係から派生したものであり、「クラス担任ではなくても~」ではないと思います。
 南野氏は、『私は小学生の頃から先生に恵まれました』と書かれているのですから、「クラス担任ではなくても~」は、小学校も含めてのことだと思われます。本当に小学校で、担任以外の教員と「付き合う」「出会う」関係をつくることは、一般的なのでしょうか。
 私がよい教員ではなかったから、他の学級の子供と「付き合う」ことも「出会う」こともなかったのであれば、個人的な事情ということで済みますが、そうではないのであれば、小学校における担任以外の教員と出会い付き合う機会を設けることは、これからの小学校の在り方を考える上で重要になるのかもしれません。教委勤務時代にも、考えたこともなかったのですが。

 

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