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イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

アブドゥッラーギュル大統領の日本訪問

2008-06-09 23:16:49 | Weblog


トルコのアブドゥッラーギュル大統領が6月4日から8日の日程でトルコの大統領として初めて日本を公式訪問されました。5日間の日程を終えて今日9日無事にトルコのアンカラエセンボア空港へ到着した様子を今朝のニュースで見ながら思わず「おかえりなさい~」と言ってしまいました。「日本はどうでしたか?」とあれこれ聞きに行きたいくらいです。夫は「どうして私たちを連れて行かなかったのー」と。




美智子皇后陛下の微笑みはいつも光り輝いています。
以上の3写真はHURRIYET新聞より拝借。


日本のTVや新聞では余り大々的に報道されなかったようですが、目的は日本とトルコの経済・文化の交流と振興発展、ということでした。天皇陛下に謁見、福田総理との会談、日本を代表する大手企業の代表と朝食を共にした他、大統領の来日にあわせてトルコ大使館が開催した文化行事「シャーマン舞踊団による公演」「オスマントルコ時代の女性用民族衣装展」などにも出席されたようです。


シャーマン舞踊団の公演を鑑賞される大統領ご夫妻。
写真は日本のトルコ通友達tonicanが写して送ってくれました。



帝国ホテルで開催された「オスマントルコ時代の女性用民族衣装展」での
高円宮妃殿下と大統領夫人。



以上2枚もtonican撮影。

またイスラム教徒にとって大切な金曜日の礼拝を「東京ジャーミー」で行ったり、日本とトルコの友好関係の始まりとも言える1890年に起きたトルコの軍艦エルトゥールル号の遭難慰霊碑(和歌山県串本町)も訪問されたそうです。

日本から見たトルコ、余り興味ももたれていないし重要視もされていない、まだまだ誤解や間違ったイメージが一人歩きしているような気もします。またトルコ側も「日本、日本人大好き」と言いながら中国も韓国もフィリピンも日本も一緒くただし、なんだか違うんじゃないの?と言う思い込みの日本の紹介があったり…。このエルトゥールル号の遭難者を命がけで助けた118年前の日本人、そしてNHKの「プロジェクトX」で放送された「トルコ航空によるイラン在留邦人救出」、自国の飛行機が救助をしなかったにもかかわらず1985年のイラン・イラク戦争でイランに取り残された邦人を救助する為に自国の飛行機を送ったトルコ人、利害関係なく見返りを求めずに助けようとした姿勢が胸を打ちます。

おりしもエルトゥールル号事件から120年目の節目を迎える2010年は「トルコにおける日本年」が実施されるそうです。トルコが大好きで縁あってトルコに住むようになった一人としてイメージだけではなく本当の意味で日本とトルコのお互いの正しい理解が深まっていくといいなあと思います。



☆エルトゥールル号遭難事件とイラン・イラク戦争時の救出について興味のある方はWikipediaでご覧ください。→ エルトゥールル号遭難事件

☆エルトゥールル号の遺品発掘作業についての動画をこちらから見ることができます。
→ http://zoome.jp/uncommon/diary/61/





舞踊公演を行ったシャーマングループのサイトはこちらをクリック。
            






☆現在のイズミル☆


右前

2008-05-25 01:30:57 | Weblog


先日、9日に亡くなったトルコの歌姫「LEYLA GENCER」のことを書きましたが、「蝶々夫人」を演じた際の写真でLEYLA GENCERが着物を左前に着ているのが皆さんに見つかってしまいました。

「蝶々夫人」を演じるならそのくらい知っておけとまでは、私は言わないけれどやっぱり衣装担当者は注意するべきでしょうかね。「蝶々夫人」を演じる際の注意書きなんてものはないのでしょうか、と思っていたら発見しました!この写真はオペラ「蝶々夫人」の初演時衣装・小道具デザインの原画だそうです。京都のある古本屋さんの目録にありました。
1903年頃の水彩図(25.5×33cm)で1904年にプッチーニがスカラ座においてオペラ「蝶々夫人」を上演するにあたり、高名なフランスの舞台デザイナーLucien Jusseaumeに描かせたものだそうです。ちゃんとあったんですね~、右前に着物を着ています。LEYLA GENCERとそのスタッフはこの絵を知らなかったのでしょうか…。

私がちゃんと着物を着たのは子供の頃、最近は旅行へ行った時にホテルや旅館の浴衣もどきを着るくらいです。それでも「左前」にならないように、なんて一応気をつけているつもりですが、このLEYLA GENCERの写真を見て「あ、左前」なんてことには気がつかない程度でした。そこで一応自分の為にインターネットで検索してみたことをまとめて貼り付けておくことにしました。

通常日本で和服を着る時は「右前」と言って左身頃を上にして、襟のあきが右にくるように着ます。反対に着物の襟のあきを左にもって着ることを左前といい、死んだ人に着せる死装束は左前にします。

日本で和服をなぜ右前にするのか、またいつから右前にするようになったのかについては、諸説があるようですが、大昔の日本では、騎馬民族の影響から「左前」だったそう。騎馬民族は弓を使うため、左前の方が弓矢が引っかからず都合が良かったのですね。それが後に中国(隋や唐)の影響で右前に統一されました。『続日本紀』(しょくにほんぎ)によると、719年に、全ての人が右前に着るという命令が発せられたのです。武士は刀を腰に固定させて携帯していたことと、多くの日本人の利き手が右手だった、という2つのことが最初の原因として考えられるそうです。右前のほうが懐のものを右手で取り出すのに便利だったということもあります。左手の人はさぞや不便だったことでしょう。

と言うことで日本の着物は男女共「右前」で着ますが、洋服の場合は通常男性は右前、女性は左前になっていますよね。これは、西洋で男は左側に帯剣するため剣が抜きやすいように、でも高貴な女性は自分で服を着ず、召使に着せて貰っていたために左前になったとか…。

着るものの合わせ方に人間の利き手が大いに影響しているということにはびっくりしましたが、アフリカのガーナの民族衣装は、利き手に合わせて右前左前を変えるのだそうで、これにもまたびっくり。ずいぶん合理的ではありませんか?そういう柔軟な考え方ができるっていいなあと思います。





今年我が家二度目のクムル雛は二羽とも元気に育っています。
             






☆現在のイズミル☆


EUROVISION SARKI YARISMASI(ユウロヴィジョンシャルクヤルシュマス)

2008-05-20 01:03:06 | Weblog

ユウロヴィジョン・トルコ代表「MOR VE OTESI」。写真をクリックするとMOR VE OTESIのHPに飛びます。

ユウロヴィジョンソングコンテスト、日本では話題になっているのでしょうか。欧州放送連合に加盟している国が参加、イタリアのサンレモ音楽祭を前身とし1956年にスイスのルガーノで最初に開催されました。当時は参加国たったの7カ国。今年は43カ国の参加が予定されています。このコンテストは前年の優勝国が翌年の開催国となるため今年はセルビアのベルグラードが会場となります。




2003年トルコへユウロヴィジョン初の優勝をもたらしたSERTABの熱唱。

トルコは2003年にSERTAB ERENER(セルタブエレネル)が「EVERYWAY THAT I CAN」で優勝したことが記憶に新しいのではないでしょうか。セルタブのあまりの熱唱に目頭が熱くなったことを覚えています。この時のビデオは何回見ても力が入ります。


MOR VE OTESIのボーカル、ギター担当HARUN TEKIN(ハルン テキン)

さて、2008年のトルコ代表は「MOR VE OTESI(モル ヴェ オテスィ=紫とそのむこう)」というグループに決まりました。参加曲は「DELI(デリ=CRAZY…他の題名なかったのでしょうか)」。この代表、その選考方法がよくわからないのですがたぶん「TRT(国営放送)」によって選考されているのだと思います。TRTで大々的に代表が2月頃に発表され、音楽クリップがTVでも流れるようになります。
今年は5月20日と22日に準決勝が行われ、トルコは22日準決勝の3番目に歌います。それぞれのグループごとに電話投票(この電話投票、自国代表には投票できないのだそうです)による上位9カ国ずつと審査員推薦の2カ国の計20カ国によりにより24日土曜日最終決勝が行われます。



私の周りでは不評な「MOR VE OTESI」ですが、私はなかなか気に入っています。顔は怖いですが、メロディーがとても好きで何回も聴いています。毎年参加曲は他国の人に歌詞としてもアピールできる英語がいいとか、いやトルコ人なんだからトルコ語だ!とかその中間でトルコイングリッシュだ!などと騒がれますが、今年は堂々トルコ語での参加です。皆さんはいかがですか?応援してくださいねー。





MOR VE OTESIのDELIのミュージッククリップをご覧になるには、写真をクリック!
            
再生できない場合はこちらのリンクからどうぞ。↓ 
http://www.trt.net.tr/eurovision2008/eurovisionhtm/sarki.html




トルコ時間で5月22日22時から行われたユウロヴィジョン準決勝で
MOR VE OTESIは無事に決勝進出を決めました!

24日に決勝が行われた結果、1位はロシア、トルコは7位に終わりました。
もっと上位に入れると思っていたのに…残念でした。





☆現在のイズミル☆



LEYLA GENCER(レイラ ゲンジェル)

2008-05-15 00:05:22 | Weblog

画面をクリックするとスカラ座のHPに飛びます。表紙の追悼記事は既に変わっています。

このリンクは「ミラノスカラ座」のHPです。「LEYLA GENCERよ永遠に」と「20世紀最高のDIVA(ディーバ=歌姫)」、「トルコの歌姫」と呼ばれたLEYLA GENCERを追悼しています。


写真はNTVMSNBC(http://www.ntvmsnbc.com/news/445855.asp)より拝借。

私はミラノスカラ座もオペラにもあまり興味や知識がなかったので、もちろんこの偉大なDIVAの名前も訃報で初めて知ることになりました。トルコに来て以来、訃報に接するたびにその存在すら知ることなく終わってしまった人々の一生を知るにつけ魅力的な立派なトルコ人がかくもいたことに初めて気がつくことを悲しく思うのです。

1954年ナポリ、「マダムヴバタフライ」でしょうか。

1957年サンフランシスコ、「椿姫」

1928年10月10日イスタンブル生れのLEYLA GENCERはイスタンブルの音楽学校を卒業した後、1950年アンカラでオペラデビュー、イタリアデビューを1953年ナポリではたし、1957年にスカラ座デビューをします。以降1980年に引退するまでスカラ座の常連として活躍し、引退後もスカラ座で後進の指導にあたっていました。

1959年フィレンツェ、「レニャーノの戦い」

1975年フィレンツェ、「マクベス」

※白黒写真は全て「IKSV(イスタンブル文化芸術財団)」の    
HP(http://www.leylagencer.org/index.asp?k1=anasayfaより拝借。
  

1950年代から1980年までプリマドンナとして活躍し、イタリアでは非常に人気が高かったそうですが、日本ではうわさのみであまり知られていなかったようです。おそらく大手レコード会社による録音がなかったためで、最近はお金持ちが持っていたライブの録音が発掘され市場に出回るようになって、ようやく日本でも「本当にすごいソプラノだったんだ」と証明されたようです。



5月9日、イタリアはミラノの自宅で心不全により逝去、享年79歳。ミラノの教会で壮大な葬儀が行われ、遺言により火葬された遺灰は故郷イスタンブルのボスフォラス海峡にまかれるそうです。



上の写真をクリックするとトルコのNTV局のニュースビデオよりLEYLA GENCERの往年のステージをご覧になることが出来ます。



2004年には記念硬貨が発行されています。
              






☆現在のイズミル☆







HIDRELLEZ(フドレルレズ)

2008-05-10 08:49:29 | Weblog


日本ではGWも終わり新緑が青空に映える美しい季節ですね。ピッカピカの1年生や新入社員もそろそろ新しい環境に慣れる頃、トルコでは日本のような学卒社員の入社式なんて聞かないし新学期も9月からなのでいまいち季節の節目感がありません。



日本の百花繚乱、花咲き鳥歌う、と言った心躍る春を懐かしんでいる私ですがトルコにも春のお祭りがあるということを今年初めて知りました。その名も「HIDRELLEZ(フドレルレズ)」。今まで聞いたことがないというのも不思議なのですがおそらく3月にある「NEVRUZ(ネヴルズ)」とごっちゃにしていたのかもしれません。



5月5日の夜、突然近所の通りで激しいリズムでdarbuka(ダルブカ)と言うトルコの太鼓を叩く音と子供たちの嬌声があがり、向かいのバッカル(雑貨屋)のおじさんは火を燃やしていました。何があったのだろうとその日はあまり気にもせず翌日偶然TVのニュースを見て「ああ、HIDRELLEZだったのか」と知った次第。夫も同様だったそうです(一応トルコ人なのに…)。





HIDRELLERZとはフズルとイリヤスという預言者が地上で出会い春を目覚めさせた日である5月6日を祝う日。トルコではフズルとイリヤスと言う言葉が庶民の間で一緒になりフドレルレズという形で呼ばれるようになったそうです。





フズルは「生命の水」を飲んで不死の身となり、特に春になると人々の間を歩き回り困った人を助け、富や豊穣をもたらしたとされます。フズルは善行を愛し植物の芽吹きを助け、動物を繁殖させ、人間の繁栄をもたらすなど吉兆や幸運のシンボルとされてきました。

 
さすがに21世紀のHIDRELLEZ、オンラインでも願い事受付したようです。

HIDRELLEZ前夜は家を掃除し衣類を清潔にし、食べ物飲み物を準備します。家中をきれいにしないとフズルは立ち寄ってくれないからです。新しい服や靴を買います。地域によっては願い事や希望がかなえられるように喜捨をしたり断食をしたり犠牲の動物をささげたりする習慣があります。
HIDRELLEZの行事は緑の多い場所、水際、陵墓や聖者の眠る場所などで行われます。春の新鮮な植物や新鮮な子羊の肉、内臓を食べる習慣もあるそうです。その春一番の子羊を食べると健康になり病気は全快する、野原から花や草を集めて煮た水を飲むとすべての病に良く効く、この水で40日間身体を洗うと若く美しくなる、などなど…。また願い事を紙に書いてNAHIL(ナフル)と言う願い事の木に貼り付けたりバラの苗木に下げたりするのだそうです。写真を見ると日本の七夕に似ていませんか?



HIDRELLEZの夜、フズルが立ち寄りさわったところには豊穣がもたらされると信じられていることから食べ物を入り口に置いたり、倉庫の入り口やお財布の口をあけておくのだそうです。家、畑、車などを望んでいる人は自分が望んでいるものの小さな模型を作るとフズルが手助けをしてくれると信じられています。

メソポタミアやアナトリアの文明、そしてイスラム以前の中央アジアに住むトルコ民族の民間信仰から伝わって来ているという「HIDRELLEZ」、日本の昔からの行事や庶民の信仰に通じる親しみを感じてしまいました。春がもたらすあらゆる植物、生き物の息吹を謳歌し豊穣を願う古くからの人間の営みは世界に共通と言うことでしょうか。






私が見たニュースで紹介されていたイスタンブルで
最も古い地区と言われる「AHIRKAPI(アフルカプ)」のHIDRELLEZ。
今回の写真は全てこちらのHPから拝借いたしました。
クリックするとHPが開きます。
        






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YAGLI GURES(ヤールギュレシ=オイルレスリング)

2008-04-23 12:55:48 | Weblog


4月23日はトルコの「国民議会設立記念日」及びトルコ共和国建国の父ケマルアタトュルクが子供たちに贈ったと言う「子供の日」です。
写真はタイトルの「YAGLI GURES」を見に行った時にたまたま見かけたトルコのフォークダンスグループの子供たち。かわいらしい刺繍の衣装がとっても似合っていました。



先週は「預言者マホメット生誕1947年週間」と言うことでイズミルでも宗教行事課やジャーミー(イスラム寺院)主催の様々な行事が行われたのだそうです。その締めくくりとして今年初めて開催された「イズミルヤールギュレシ大会」へ土曜日に行って来ました。YAGLI GURESはエディルネで行われる「KIRK PINAR(クルクプナル)大会」が有名ですね。



夫が近所でこの招待状を目にし、2枚どこかからくすねてきました。土曜日も14時まで夫の仕事はあるのですがささやかに1時間早退して9時から始まっている大会へ14時半頃到着。「招待状は1名1枚、会場へは招待状で入場できます」と書いてあるのでスタンドで座ってお弁当なんか食べて、とのんきにおにぎり持参で行ったのですがやっぱり…夫もまだまだトルコ的にすれていないんですね…。

貴重な招待状。

招待状?何それ?という状態ですでに会場はおじさんたちであふれんばかり。人と人の間からかすかにPEHLIVAN(ペフリヴァン=競技者)達を見ることができますが背伸びをしようが何をしようがとても競技を観覧できるような状態ではありません。早々と諦めた私は背伸びをしながら写真撮影に張り切る夫の背中を見て芝生の上で座っていました。真夏のような炎天下、エジプト発祥でトルコでも紀元前4世紀には行われていたというYAGLI GURES、楽隊のズルナ(チャルメラの音を思い出してください)やダヴル(太鼓)の音、PEHLIVAN達の激しい取り組みにあがる歓声の声を聞き、芝生の草いきれや太陽の日差しで私はまるで自分がオスマン時代を生きているような悠久の時を感じていましたよ。









この大会には全国から600名のPEHLIVANが申し込みをし180名の参加が認められたそうです。


衣装に身を包んでいるのが今大会のAGA。

YAGLI GURESの大会ではAGA(アー)と呼ばれる親方が選ばれ、このAGAは賞金など様々な費用をまかなう必要があります。今回は13,000YTL(約103万円)とオートバイを提供したとか。ちょっとしみったれているような気がしますがまあイズミルですからね。





会場の外では「マホメット生誕週間」にちなんで各ジャーミーのコーラン教室の生徒達が手作りの食べ物を売るバザーも開かれ、男性はギュレシに、女性はピクニックにそれぞれが楽しんでいたようです。レモネード売りのおじさんも絵になっていませんか?

YAGLI GURESについて検索をしていたら日本語のページを見つけました。YAGLI GURESやエディルネの大会について大変詳しく書かれいて面白いです。興味のある方は下の写真をクリックしてください。




短いビデオですが、特徴的なYAGLI GURESの動作などを写しました。ズルナ・ダヴルの音とともに雰囲気を味わってみてください。

①相撲の土俵入りのような「ペシュレフ」をするペフリヴァン。
②油を体中に塗るペフリヴァンと油係のおじさん。
③取り組みの1コマ。






子供のフォークダンスの衣装の全体。
「私も着たい~」と言ったら夫はふっと鼻で笑いました。

           






☆現在のイズミル☆


残念でした・・・。

2008-04-01 03:34:49 | Weblog
 オリーブがシンボルマーク。 

予定原稿のタイトルは「2015年イズミルで会いましょう」でした。今日3月31日はイズミルにとって「運命の日」。日本では2005年の愛知万博が記憶に新しいところですが(もう忘れちゃった?)、2015年のEXPO(万国博覧会)に我が街イズミルが立候補、最終候補としてイタリアのミラノと残っていたのです。今日はパリで最後のデモンストレーション、そして決選投票が行われる為、イズミル市長はもちろん大統領、外務大臣、その他色々関係者が博覧会国際本部のあるパリに大挙押し寄せていました。


デモンストレーションのフィナーレで。大統領、イズミル市長、共和人民党党首など。

2005年にイズミルで開催されたユニバーシアードの成功を万博でも目指してなかなか力の入ったスピーチやダンス、ミニコンサートが披露されました。そうです私も今日の午後はパリからの実況生中継をしていた地元EGE TV(エーゲテレビ)に釘づけ。この最後のデモンストレーションでは地味だったミラノに比べて我がイズミル、なかなかいい線いってました。同じ頃イズミルの共和国広場では2002年のユーロビジョンで優勝したSERTAB(セルタブ)やKIRAC(クラチ)のコンサートが行われ、パリのデモンストレーション会場へイズミル市民の熱い声を中継もしていました。もう気分はすっかりEXPO2015はイズミル!18時頃から行われるという電子投票の結果を各TV局が固唾を呑んで待っていました。あくまでも公式発表があるまで、と発表を控えたEGE TV、しかしTRT(国営放送)初めその他のほとんどのTV局は「イズミルの勝利!」を報道してしまったのです。確かめずに報道してしまうTV局って…。「まだ公式発表ではありません」と言っていましたが、イズミルの共和国広場は半信半疑ながらもお祭り騒ぎに盛り上がりつつありました。しかし結局最後に大どんでん返し!!!残念ながらミラノ86票、イズミル65票というかなりの大差で敗退。ああ残念。共和国広場に集まった人達は潮が引くようにさーっと帰ってしまいました。EXPO開催が決まればこの先8年間のインフラ整備に伴いイズミルは大騒ぎになり物価は上がるし住民にとっていいことはないんじゃないの?と否定的だった私もやっぱり負けるのは悔しい~!この敗退にがっくりして現在進行中の地下鉄工事、放り出さないでよー。


そしてこちらは「EXPOIZMIR2015公式HP」写真をクリックするとHPが開きます。

今イズミル市のHPを見てみたら市長のイズミル市民へのメッセージが早々と掲載されていました。
「大切なことは一致団結の精神を新たに手にしたイズミル、たとえ負けたとしても勝利したのです」。

せっかくなのでなかなか素敵に仕上がった「IZMIR EXPO2015」誘致の公式ビデオをご紹介します。美しいイズミルをご覧下さい♪





  



実は・・・クムルの雛が生まれました!2個の卵のうち1個が早々と誕生!
見えるかなあ、左下の黄色い塊とその隣の卵。見守っているのは父さんクムル…多分。

   






☆現在のイズミル☆



ありがとう!

2008-02-06 08:48:40 | Weblog

HATAY郵便局。PTTは郵便、電話、電報のトルコ語の略です。

トルコの東部の方では連日マイナス30度の寒さが続いていると言うのに、ここイズミルは立春の声を聞いたせいか小春日和。もう春がそこまで来ているといった陽気です。私の咳もようやく治りかけている様で夜も咳き込まずに眠れるようになりました。そんなわけでよい天気に誘われて久しぶりに街までお散歩。最寄の繁華街(?)はHATAY(ハタイ)地区、イニョニュ通りという大きな通り沿いになります。銀行や郵便局、マーケット、商店など大概のものはここで用が足りますが、いかんせんここへ行くにも坂道をえっちらこっちら昇らなければなりません。


PTTへの出頭要請(?)カード。

でも今日は楽しみな目的があります。日本から友達が荷物を送ってくれたのです。1月中に届いていたのですが、運悪く留守中に配達されたらしく「HATAY郵便局まで30日以内に取りに来てください」と言うカードがポストに入っていました。ようやく咳も出なくなり坂道を昇る元気がわいてきたのです。このHATAY郵便局には専制君主のようなオババ職員がいて、いつも無愛想をふりまいています。でも今日は無表情だったけど気のせいかちょっと優しかった、冗談っぽいことも言ってたし。他のお客さんが私を見て「あら、トルコ語を話すのね」と言うとオババ「話せるわよ!」と自慢げに答えておいてくれました。


開けるまでがどきどきわくわくです。

トルコ語を一緒に習っていた友達、トルコを誰よりもよく知っている彼女、いつもああこんなものがあるのね、と感動するものをちょこちょこっとさりげなく送ってくれます。自分が逆の立場だったらこんなことできるだろうかと思うと本当に感謝の気持ちで一杯、足を日本に向けては眠れません。


玉手箱のよう。たくさん飛び出してきます。

今回の荷物の中身をちょっと公開すると
  ・ノンカップ麺(カップラーメンのカップ無しヴァージョン)。
  ・日本のドラマや映画のDVDをたっぷり。
  ・カレンダー(日本で買い込んで来ましたがちょうどこのタイプのものがほしかった、どうしてわかるんでしょう)。
  ・黒糖羊羹(私が黒糖系が好きだって知ってたっけ?)。
  ・皮膚科のクリーム(トルコの乾燥に悲鳴をあげている私の為にいつももらってきてくれます)。
  ・etc


夫にも1個くらいはあげようかなと思っています。ノンカップ麺。

両親が定期的に送ってくれる「救援物資」ももちろんとても嬉しくて大興奮で荷物を何回も出したりしまったりして何日も楽しむ私。彼女から来る荷物は必需品ではないので自分では欲しいものリストには載せないもの達なんだけれど、あったらものすごく嬉しくなってしまうもの達ばかりです。玉手箱を開いているような気分になります。
先日も夫が「これはどこから来たの?」「これは誰から?」と聞くことが何回か重なりその度に「TONICANからだよ」と答えることに。夫「うちはTONICAN無しでは生きていけないね」と。まさにその通りです。TONICAN!本当にいつもどうもありがとう。





普段は滅多にお土産なんて買ってこない夫が珍しく買ってきてくれたケーキ、ありがとう!
            






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寒の入り

2008-01-04 18:13:30 | Weblog

我が家の大晦日の食卓。

1月5日は「寒の入り」です。冬至の日から数えて15日目が小寒で「寒の入り」となる。立春前日(節分)までの1ケ月が「寒の内」で厳寒の時期。裸参り、寒垢離(かんごり)、寒稽古などの寒中行事が行われる。-「歳時記カレンダー」より-


日本で買ってきた「歳時記カレンダー」。異国の地では日本の季節の移り変わりを愛でる心がとても懐かしいのです。

イズミルもずいぶん冷え込んでいます。こちらでは石炭ストーブを焚く家が多いので寒い日の日暮れ時は、煙突から昇る煙で街全体に霧がかかったようになります。夕刻の明かりとともになんとも幻想的で健康には悪そうな石炭の煤ですが、私は結構好きな風景です。

新しい年が明けて早くも5日。皆さんはどんなお正月をお過ごしになりましたか?こちらは1日だけがお休みで2日からは職場も学校も通常通りなので元日もいつもの休日のような拍子抜けするような普通の一日でした。トルコでは大晦日の年越しを日本のクリスマスののりでお酒を飲んだりケーキを食べたりして祝います。TVはYILBASI(ユルバシュ=年の初め、でもなぜか大晦日のことをこう表現しているような…)特別プログラムやYILBASI PIYANGO(ユルバシュピヤンゴ=年末宝くじ)の当選番号発表番組などで盛り上がっていました。


買い物客でにぎわう大晦日のショッピングセンター。

我が家も31日は一応家庭内(?)ユルバシュパーティーの買出しに大きなショッピングセンターへ出かけました。日本にいた時は年末に自分へのご褒美に大好きな「虎屋の羊羹」を奮発して買っていたものですが(笑わないでくださいね)、こちらには虎屋もないので更につつましくスターバックスコーヒーでコーヒーとチーズケーキを自分に奢ってちょっと贅沢をしたような気分になって帰ってきました(トルコのスタバは、日本よりもずっと高いのです、相当な贅沢です!)。


これが4分の1宝くじ。

さて我が家にもピヤンゴ(宝くじ)が1枚ありました。これは先日AYVALIKへ出かけた時に給油をしたガソリンスタンドで1枚おまけにもらったもの。トルコの年末宝くじは1等賞金約25億円と言うとんでもない額!だからかどうかは知りませんが1枚約2400円もします。この外にCEYREK(チェイレッキ=4分の1)という券があってこれは1枚約600円、そして当選した場合に受け取る賞金も4分の1になります。我が家がもらったのもこのCEYREK宝くじでした。自分で買ったわけでもないし当たるなんて絶対ありえないし、期待もせずに新聞に入っていった別刷りのPIYANGO版を見てみるとなんとー!当たったのですよ。当選金額は80YTL(約8000円)、4分の1になるので受け取れるのは20YTL(約2000円)ですが、それでも結構大金(…かな?)。スタバで奢った分の元は取れたと大喜びでした。今年は春から縁起がいいかな。

トルコの悪いニュースはすぐに日本でも報道されると思うのですが3日にはディヤルバクルという場所でテロリストによると思われる爆発があり5名死亡、70人以上の負傷者が出ています。ディヤルバクルのメイン通りで18時前という通勤通学の時間帯に、しかもDERSHANE(デルスハネ=塾)の前で爆発は起こりました。塾の終業時間前だったのでまだこれだけの被害で収まったけれどもしこれが終業時間に爆発していたら塾から出てくる多くの子供たちや出迎えの親達も被害に遭い大変な死傷者が出ただろうと言われています。

またトルコの国会で、禁煙に関する法案が通りました。大統領が承認すれば4ヶ月後に施行されることになります。法案によると、18歳未満へタバコを販売した者は1年の懲役刑、タクシーやドルムシュ(乗り合いミニバス)、フェリーなどの公共交通機関やモスクや学校などの公共施設での全面禁煙、テレビ番組でタバコを含む映像の放映禁止、カフェやバーなどでの禁煙席と喫煙席を設けることの義務化などが実施される予定だそうです。
試行期間もなく何でもいきなり法律になってしまうトルコ、法律はできるけれどそれを取り締まったり軌道に乗るように啓蒙するシステムがありません(と思う)。だから法律が施行されても右往左往するのはいつも国民、すぐに熱くなるトルコ人ですがこういう不条理に対してはやけに我慢強く耐えるトルコ人、愛国心はものすごいけれど国には期待していないということなのでしょうか。

今日は少し独り言が多くなりました。新年早々頭を抱えたくなるような出来事の多いトルコですが、宝くじ運にあやかって笑顔で明るく過ごしていきたいと思っています。今年も「イズミル便り」ともどもよろしくお願いいたします。






スタバで飲んだもの。名前は…忘れました。
           






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よい年をお迎えください。

2007-12-31 00:05:38 | Weblog
今年もあと1日。あっという間の一年でした。里帰りもできたし落ち着いたよい一年だったと思います。皆さんはいかがでしたか?今年も一年間、このブログを通してお付き合いくださった皆さんどうもありがとうございました。今年最後にとっても気に入ったビデオをご紹介します。新しい年もいつも笑顔で、皆さんとご家族にとって健康で幸せな一年でありますように、そして2008年もよろしくお願いいたします。


    







窓拭きもして気持ちよく年が越せそうです。
             






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