画面をクリックするとスカラ座のHPに飛びます。表紙の追悼記事は既に変わっています。
このリンクは「ミラノスカラ座」のHPです。「LEYLA GENCERよ永遠に」と「20世紀最高のDIVA(ディーバ=歌姫)」、「トルコの歌姫」と呼ばれたLEYLA GENCERを追悼しています。
写真はNTVMSNBC(http://www.ntvmsnbc.com/news/445855.asp)より拝借。
私はミラノスカラ座もオペラにもあまり興味や知識がなかったので、もちろんこの偉大なDIVAの名前も訃報で初めて知ることになりました。トルコに来て以来、訃報に接するたびにその存在すら知ることなく終わってしまった人々の一生を知るにつけ魅力的な立派なトルコ人がかくもいたことに初めて気がつくことを悲しく思うのです。
1954年ナポリ、「マダムヴバタフライ」でしょうか。
1957年サンフランシスコ、「椿姫」
1928年10月10日イスタンブル生れのLEYLA GENCERはイスタンブルの音楽学校を卒業した後、1950年アンカラでオペラデビュー、イタリアデビューを1953年ナポリではたし、1957年にスカラ座デビューをします。以降1980年に引退するまでスカラ座の常連として活躍し、引退後もスカラ座で後進の指導にあたっていました。
1959年フィレンツェ、「レニャーノの戦い」
1975年フィレンツェ、「マクベス」
※白黒写真は全て「IKSV(イスタンブル文化芸術財団)」の
HP(http://www.leylagencer.org/index.asp?k1=anasayfaより拝借。
1950年代から1980年までプリマドンナとして活躍し、イタリアでは非常に人気が高かったそうですが、日本ではうわさのみであまり知られていなかったようです。おそらく大手レコード会社による録音がなかったためで、最近はお金持ちが持っていたライブの録音が発掘され市場に出回るようになって、ようやく日本でも「本当にすごいソプラノだったんだ」と証明されたようです。
5月9日、イタリアはミラノの自宅で心不全により逝去、享年79歳。ミラノの教会で壮大な葬儀が行われ、遺言により火葬された遺灰は故郷イスタンブルのボスフォラス海峡にまかれるそうです。
上の写真をクリックするとトルコのNTV局のニュースビデオよりLEYLA GENCERの往年のステージをご覧になることが出来ます。
2004年には記念硬貨が発行されています。
☆現在のイズミル☆
ご冥福をお祈りします。
マスコミなどに取り上げられるのは、ほんの一握りの人たちなのですね。
のちほどゆっくり映像など拝見します。
彼女もソプラノなんですね。
私はマダムバタフライの時の衣装が、左前だったのに「・・・・」してます。
そう言えば、いつだったかトルコのTVの番組で、日本の舞妓か芸子さんの格好をした、トルコの女性が2名出て来たのをみましたが、やっぱり左前でした。
おっと、こんな事は彼女の歌には関係ありませんね。
私も映像はゆっくり見せて頂きながら、ご冥福をお祈りします。
まあ細かいところは仕方ないでしょうね。
日本にいると詳しい事情はあまり聞こえてきませんが、ヨーロッパの各界で活躍されたトルコ人は他にもいらっしゃるのでしょうね。
トルコはヨーロッパから近いですし。
彼女のソプラノ、優しくてとても心地がいいです。
和服を着た時、着た人を見て向かって右身頃が上になっている、つまり、自分にとっては左身頃が上になるようにするのが着物の着方です。簡単に言えば、着物を着た時、右手でひらひらとする裾を押さえると覚えるといいかもしれません。
「左前」というのは死んだ人の着物の着方で、日本では生きている人にはしてはいけないことですね。
私も、この人の事は知りませんでしたが、どれ、聴いてみますね。