創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

しんぶん赤旗の戦い-08

2016-02-19 06:04:12 | Weblog

(政教一体)公明党・創価学会 政権参加を問う しんぶん赤旗・特別取材班
               新日本出版社  800-  2000/3
    -------(P40)--以下、本文--

◆自民党内の不安と不満
「自自公」連立は、衆院議席の七割を占めます。この国会内での巨大さと対照的に、その支持基盤はいま大きく揺らいでいます。「自自公」連立後、初の国政選挙となった参院長野選挙区補欠選挙(九九年十月十七日投票)で、自民党候補は大惨敗をきっしました。
「党執行部は知名度の差とか理屈をいろいろいっているが、『自自公』批判が一番大きかつたことはまちがいない。昨日も自民党のある会合で話しあったけど、『これは大変なことになる』とみんな危機感もってました」。ある自民党国会議員がそう語りました。
 自民候補は公明党の推薦を得たのに、「自自公」三党の参院比例票の合計を大きくわりこみました。NHKの出口調査によると、自民党支持者の三分の二しか自民候補に投票せず、無党派層からもきらわれました。これにたいし、民主党と日本共産党、社民党の三党の合計票は得票率七割。つまり七割は「自自公」ノーでした。

◆「1+1=2」にもならない
「『自自公』では自民支持層が公明党に反発するんですよ。1+1=2にもならない。とくに自民党についていえば1も出ない。それはことし(九九年)の都知事選でもわかっているはずなのに……『自自公」だから創価学会の票をもらって選挙は楽になる、というのは錯覚だ」
「『しんぶん赤旗』に名前を出すわけにはいかないが、わたしは『自自公』に反対だ」というこの議員が本紙に語った内容をさらに紹介しましょう。
 いまは自民党内に、「ものいえば唇さむし」の雰囲気があって、批判はあっても声はあがらない。だけど「自自公」にたいする不安と不満は党内にくすぶっている。
 たしかに「自自公」で数を集めたら、「憲法改正」はともかく、たいていの法案はとおるだろう。いま役人はこの機会に長年の懸案をかたづけようとはりきっている。しかし、国民がそれを望んでいるかといえば別だ。
 国民は「自自公」に信を与えたことはない。数が必要だからと、「反自民」で選挙をした公明党までひつぱりこんで政権つくったら、かならずきついしっぺ返しをくう。
 地べたをはいつくばって歩いている議員ほど、「自自公」への批判の強さが肌でわかるんだ。とくに都会の有権者は敏感だから、無節操に走ったらかならずきびしい審判をうける。そのことが執行部にはわからないんだ。宗教団体のなかの反創価学会感情は強く、「『自自公』でやるなら後援会から抜ける」という人が少なくない。創佃学会ぎらいの後援会員があちこちで脱会した、という話が出ている。
 前回総選挙で新進党の創価学会員候補と激しくたたかつた自民党員は、公明党・創価学会の体質はいやというほど知った。ポスターをはってもはっても目をくりぬかれる。
「反権力」とかいってきた彼らは、新進党についていけばかならず政権をとれると考えたが失敗し、今度は自民党にすりよって天下をねらっている。

◆公明党に期待寄せた層でも
 他方、公明党に期待を寄せてきた層のなかでも「大転換」に怒りの声があがっています。
 NPO(非営利団体)の「PIJ(プライバシー・インターナショナル・ジャパン)」(石村耕治代表)は、九九年の通常国会で成立した住民基本台帳法を国民総背番号制だと批判し、盗聴法とあわせて反対運動をおこなってきました。
 その機関紙「CNN」には、「公明党が国民総背番号制の父になってしまった」「公明の動きは変節か体質か」などという見出しが躍っています。
 我妻憲利事務局長はいいます。
「公明党の議員は、住民基本台帳法に反対するPIJの集会にも出席し、他党の議員にも協力をよびかけてくれていた。期待していたのに党の方針が『自自公』になったら急に賛成した。驚きましたよ」
  機関紙には「“党の変節”でああなってしまったのだろう。……やはり超トップの『聖断』がないとできないだろう」「しかし、これだけ特定の宗教団体に政治が左右されるということで、本当にいいのだろうか?」「次の選挙で、わたしたち国民が『民断』を下すよりないのではないか」などの疑問や怒りが載っています。
 民主党の衆院議員も怒っていました。
「公明党議員が、『住民基本台帳法の反対運動に協力してくれ』といってきたので協力したんですよ。そしたら、ころっと賛成に変わった。人に反対しろ、といっておいて、その後ぼくにはなんの説明もない。こんなことってありますか」

◆自民地方議員の“悲鳴”
 東京では今春(九九年)の知事選で「自自公」が明石康氏をかつぎ、惨敗しました。前回、「自公」中心で推した石原信雄氏につづく二連敗です。
 その痛い体験を持つ自民党の都議会議員が、「自自公」連立についてこう語りました。
「自民党にとっては、全然得にならない。自民党がまず考えるべきは、『どうして参院で過半数をとれないか』です。無理やり数をそろえれば安定するかもしれないが、見かけ上のことです。次の選挙がきびしい。 知事選でも『数合わせ」では勝てなかった。そこらへんの怖さを自民党首脳部は理解してない」
「すでに『そういうところ(公明党・創価学会)と直線でむすんだらもうつきあわないぞ』と私にいってきた団体があるんですよ。創価学会・公明党の政教一致の体質は今後ますます問題になるでしよう。公明党との選挙協力といっても、東京では前回どの選挙区でも新進党と全力でたたかっている。非常にむずかしい。 選挙での都民の批判がいま一番おっかないことです」
「おっかない」の言葉に実感がこもっていました。

◆数がいるから仕方なく……
 東京都内では「自公」が連携して区政、市政の与党となる例が各地にあります。そのなかのひとつの区で、区議会議長もつとめたある自民党区議が以下のような話をしてくれました。
  自民党の地方議員はおしなべて公明党議員とは友好関係にはあるが、胸襟を開いて協力するということはない。政治的心情的には公明党に違和感がある。何かを通すために数がいるから仕方なくやっているということだろう。
 他の政党は、政党としての活動のなかで選挙をたたかう。しかし、公明党は創価学会を対象に選挙活動をする。宗教団体である創価学会のなかで、各人の自由な政治的意思がはたらくのかどうか、わたしは大きな疑問を感じている。
 わたしの知つている焼き鳥屋の主人などは、選挙になると店にも出ないで選挙ばかりやっている。公明党議員を当選させることが宗教的使命だ、とやっている。こうした政党がもっと大きくなると、創価学会の思惑が前面に出てくるのではないか、という不安がある。
 この党は相談しても安心できないという気持ちは自民党議員だれでも持つている。だから閣内という懐にまで入れていいのかという気持ちだ。党員や党友のなかからも「自民党はだらしない」「そこまでやるのか」という声があり、党友をやめていく人も多い。いま集計しているけれど、かなりの数になるのではないか。
 公明党はこうもりだ。政党としての方向づけがまったくわからない。消費税や盗聴法案など「反対」といっていたかと思うと突然賛成に回る。政治というものがそんなに簡単に変わっていいのか。そんな政党と組んでいいのかと思ってる入は多い。

◆公明議員には心は開けない
  政治をつかさどる基本的なものを公明党は持っていないということだ。政党だったらいったん出したものを簡単には変えられない。うしろから公明党を動かしている大きな力が働いているとしか考えられない。
 創価学会と公明党はいちおう別組織だが、運動員はほとんど一〇〇%学会員で占められている。裏で動かすのではなく、いっそ創価学会の池田大作名誉会長が国会議員になって出てきた方がはっきりする。創価学会の願望は、政治の主導権を握るということだろう。
 これほど怖いことはない。
 個人的には公明党議員と酒を飲んだり、議論もするが、組織としてみると異様にうつる。酒を飲んでいても心を開けないな。
「自自公」がいつまでもつづくとは思ってない。困るのはわれわれだ。有権者から見て公明党も自由党も自民党も同じとなっては、自民党にとって深刻な問題だ。だからいま党友が離れているのは大変な問題なんだ。
「自自公」連立はときがたい矛盾をかかえこんでいることが、これらの発言からもうかがえます。
       ---------(46P)-------つづく--

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