創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

内藤国夫の池田公明党-1

2016-04-30 11:40:11 | Weblog

今、改めて問う創価学会・公明党 1995/4  内藤国夫   五月書房

今、改めて問う創価学会・公明党 目次
はじめに
創価学会,公明党の六つの体質
  「事実無根発言」体質
  池田大作「免貴構造」
  「不疑曰信」
  「右往左往」
  「正論排除」
  不平等と不公正

池田大作が公明党を切る日
「学会が主で宗門と党は従」と信じていただけに、宗門から
 破門され、党創立者の猜疑は強まるいっぼうなのだ
  大作氏の本能的警戒心
  規の処分でないわけ
  強い教祖頤望
  学会のパトリオット作戦
  大石寺に右翼の街宣車
  消えた宗門外護の神通力
  リハーサル済みの質疑応答
  日本を牛耳る公明党
  池田流分断工作
  「王将」が逃げだす

政権参画 教祖就任 日顕上人追放
池田大作氏 三つの初夢
 93年は、天下取りの野望と、曰蓮世界宗の旗
 揚げが実現しそうだ。大作サンは大はしゃぎ
  「中道政治」の看板も捨てる
  背後には“国師”狙いの創設者
  金銭スキャンダルが統出
  ガンジー賞はとれず
  ホンネを漏らしたスピーチ
  困難な「管長追放」

定年前に使い捨て
矢野前委員長の“引退”の真相
 「世代交替」とは表向き。党創投者の大作氏の手で、どの功労者も顕次お払い箱になるのだ
 やる気まんまんだったのに
  果たせなかった「シースルー」
  「世代交替」という権力闢争
  一枚のスコア力ード
  自動的に古参封じ込め
  秋谷会長もいずれは同じ運命
  明電工との関わり
  次は神崎武法氏
  やがて学会戦国時代に

念願の政権入りにはしゃいだものの
 むろん「回し者」ではないだろう。しかし、学会の依頼で書いた鑑定害は、
 今読めぱ赤面ちのだ
  「将兵は水の如し」
  事勿れ主義の石田長官
  坂口労相は桂三枝?
  学会の依頼で鑑定書を
  三ヶ月教授の誤算
  時間こそ宗教紛争の裁判官
  善意の学者を利用
  最高裁が双方却下の判決
 
内部告発が明かす
「政教分雌」これだけの嘘
 人事も一体。機関紙の配達、集金も一体。議員の
 研修では信心指導。これで何が「普通の政党」か
  党と学会の渾然一体入事
  鈴木都知事を嫌ったわけ
  「エキセン男」は市川氏

細川内閣を動かす
一・一 ラインの「大作作戰」
 小選挙区制への豹変、奇襲戦法、改名好き、それに
 強引さ--市川公明党のやり口は“師匠”譲りだ
  わからないことだらけ
  かつては小遵挙区制阻止
  創・公にプラス効果は
  古い上着よ、さようなら
  政局のシナリオライターは
  誰が政治改革を要求したか
  スピードと奇襲戦法
  マスコミへ総反撃
  窓際族になった副会長

甘い汁を吸えなくなつた公明党
 勝ち馬に乗ることで池田喚問も阻止してきた
 学会・公明党 さて、一体これからどうする
  瓢箪から出た駒
  頭に血がのぼった池田氏
  選挙を支配の道具に
  社会党のホンネ
  小沢に渡った署名簿
  発足した四月会
  丁・丁ラインができた
  活用された早大人脈

証人喚問阻止への右往左往
 「仏法は勝負」が口癖なのに裁判は連戦連敗。
 身勝手な「信教の自由」コールが虚空に響いて
  モノ扱いの学会票
  薄い有難味
  「亀井を撃て」
  「四月会」とは何か
  ヒステリックに決意表明
  幼い娘の争奪戦

片棒を担ぐ大新聞
狙いは一つ、政権政党の旨み
 公明党Aがいつのまにか公明党Bになり、支
 援と支持の使い分け。これが池田流政界手品
  イロハも知らぬ論説委員
  一体、何を言いたいのか
  A代表はチャランポラン氏
  影が薄くなつた市川害記長
  決定していない新方針
  馬の耳に念仏
  執念だけは不変

空々しい回顧記事
昔も今もどうせ「池田大作党」
 党名公募、党首選挙。「開かれた政党」をアビールする
 新進党のなかに潜る異形の「閉鎖集団」
  取材もせずに
  大作の大作による……
  七十歳の“番犬”
  “人間党”は商標登録?。
  奇妙な結党大会
  党側は感傷的だが
  「切る日」はいつか

あとがき
       ---------(09P)-------つづく--

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菅直人の公明批判-3

2016-04-28 09:20:55 | Weblog

小泉総理は公明に魂を売った--菅直人 
  自公は連立の矩を超え「融合新党」になった
  (文芸春秋 2004/4 144~151P)
       ----(3-3.150)----(以下、本文)-----

◆公明党は政治とは異質の原理で動く
 自民党がどんどん変質していくのに対し、公明党の本質は、以前から変化していない。
 私は、ひとつの政党とひとつの宗教団体が、一対一で対応していることは、やはり本質的な問題を抱えていると考えている。つまり、公明党は、政治の次元とは別の、異質な原理で動くことに問題がある。
 かって新進党が解党した原因も、公明党をめぐるどたばたが原因であると聞いたことがある。 公明党が新進党に合流したとき、合流は衆議院だけであり、参議院は相変わらず参院公明という形で新進党の外にあった。新進党側は、政党政治の原理原則からしても、参院も合流してほしいと申し入れた。しかし、公明党は頑として首を縦に振らず、それが原因で新進党は空中分裂した。
 衆院のみ合流し、参院は別という判断は、通常の政党政治では理解できない行動であり、やはり、そこでは異質な原理による支配が行われていたのだと思う。
 公明党と創価学会の関係については、戦後二十年にわたつて公明党の委員長をつとめた竹入義勝氏が、九八年、朝日新聞に書いた回顧録「秘話 55年体制のはざまで」の中に活写されている。
 竹入氏は、委員長辞任を申し出て、創価学会に慰留されたシーンでこう書いている。「創価学会の世界には独特の論理がある。『辞めるか辞めないかは、自分で決めることではない。任免は池田大作会長の意思であり、勝手に辞めるのは、不遜の極みだ』というものである」。また、「公明党・創価学会の関係は環状線で互いに結ばれているのではなく、一方的に発射される放射線関係でしかなかったように思う」とも書いている。
 公明党の最終的な人事の決定権は創価学会にあり、公明党が政党の形を取りながらも、政治の力学ではなく、別の次元の原理で動いていることを、もっとも長く公明党の委員長をつとめた当人が明らかにしているのである。
 そのことは、自衛隊のイラク派遣でも表れていた。もともと平和の党であることを強調してきた公明党は、このような問題については、民主党以上に敏感に反応してきた。したがつて、公明党支持者も本来であればイラク派遣に反対であるはずである。
 ところが、ある世論調査によると、それが突如として百八十度転換し、今や自民党以上に積極的に自衛隊ィラク派遣を支持する人が増えている。
 公明党の支持者が主義主張に基づいて行動しているならば、このような大転換が起こりうるはずがなく、やはり、そこには宗教団体の意思が働いているとしか考えられない。それゆえ、ある局面では、政治組織としては考えられないほど、無原則な讓歩をすることにつながる。
 声に出して発言してはいないものの、公明党の中には、創価学会と公明党が一対一対応であることに疑義を抱く人がずいぶんいる。創価学会が有力な支持母体のひとつに位置づけられるような、正常な姿になれば、この党もずいぶん変るであろう。

◆小泉首相、本質的な議論をしょう
 すでに述べたように、今回の総選挙で自民党の小選挙区候補者は、公明党票をもらうために、なりふりかまわぬ態度に出ている。
 しかし、小泉首相のお膝元、自民党神奈川県連では、県連全体として公明党の推薦を断っている。理由は、公明党の推薦を受けると無党派層が逃げるからだという。このことを小泉首相に質したところ、「私はもともと推薦をもらっていません」と、ここでもまた、的外れな答えを返してきた。要は、裏では公明党の応援を仰ぎながら、表では無党派対策のため推薦を受けないという、非常に姑息な選挙戦術をとったということである。
 自民党がここまで公明党に頼らなくてはならなくなった原因は、自民党の候補者が選挙に弱くなったことのほか、もうひとつ、投票率が非常に低くなったこともある。
 公明党の票数そのものは、それほど変化していない。仮に全国で八百万票あるとすると、投票率が八〇%あれば、それは全体の一〇%にすぎないが、投票率が五〇%に止まると、公明兌票は一六%を占め、当落の決定的なキヤスティングボートを握ることができる。
 投票率が上がりさえすれば、自民党は公明党に頼らない選挙が可能になる。そのためには、国会でもっと真剣に議論を戦わせ、国民全体の関心が政治に向くよう、より切磋塚磨しなくてはならない。小泉首相のパフォーマンス政治は、すでに国民には飽きられている。
 本質的な議論をすることで、政治をよりよい方向に導いていきたい。私の自公連立批判発言の真意はそこにある。
 小泉首相が、連立に配慮したその場かぎりの迷走した政策を続けているかぎり、国民の関心は政治からどんどん離れ、選挙で自民党はますます公明党を頼るしかなくなるであろう。そのことは、必ず、支持者の自民党離れを引き起こし、自民党はシロアリに蝕まれた家のごとく、崩壊を余儀なくされるだろう。
 自民党が崩壊していくことは、民主党にとっては相対的に有利なことである。しかし、その間に、日本の政治経済は混迷を深め、大きな傷を負うだろう。私はそのことを憂う。自民党に、責任政党としての矜持が残っているのならば、自民党の政治家一人一人が私の批判を真摯に受け止めるべきではないか。
       ---------(3-3.151P)-------E.--

次回からは--
 “今、改めて問う創価学会・公明党” 1995/4--内藤国夫 (五月書房 1,400-)
 ご期待下さい。

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菅直人の公明批判-2

2016-04-28 09:13:36 | Weblog

小泉総理は公明に魂を売った--菅直人 
  自公は連立の矩を超え「融合新党」になった
  (文芸春秋 2004/4 144~151P)
       ----(3-2.146)----(以下、本文)-----

◆自民票を減らした者ほど当選しやすい矛盾
 なぜ、自民党がここまで変質したかと言えば、政党政治の常識を逸した公明党との選挙協力のやり方に原因がある。
 自公連立以降、自民党公認候補は、「小選挙区は自民党候補に、比例は公明党に」とアビールし、今回の総選挙では一段とエスカレートした。
 日本の衆議院は、小選挙区比例代表並立制を採用している。小選挙区は候補者個人の争いであり、しかも一人しか当選しないわけだから、協力する政党間で選挙区を調整し、候補者を一人に絞って共通で推薦していくことはありうる。これは、連立政権では世界的によく見られるやり方で、ィタリアの「オリーブの木」もこうして政権をとった。
 しかし、比例代表は党の政策そのものを争うものである。それなのに、政策がまったく違う他党を支持してくれと言われたら、有権者はなにをもって判断すればいいのかわからなくなる。これは、政党政治のあり方と真っ向から矛盾する。
 自民党の抱える内部矛盾は、「比例は公明党に」と声を嗄らして選挙区を走り回った人の中に、自身が自民党の比例代表で当選した議員が何人もいることだ。つまり、重複立候補で、小選区では負けたが、惜敗率で救われて当選してきた議員である。
 議席が確保できたのは、比例代表でも「公明党」と書かずに「自民党」と書いた人たちのおかげである。しかし、自民党内での他の候補者を押しのけてその議席に座るには惜敗率を上げなくてはならず、その鍵を握るのが小選区で彼に投票してくれる公明党票だ。つまり、比例代表で自民党の票を減らした人ほど、重複立候補では当選しやすいというきわめて矛盾した結果を生み出している。
 私は一月の党大会でそのことを指摘したが、小泉首相は、「小選挙区では一人しか当選できない。自公連立による協力は自然だ。選挙区で応援してもらうなら、比例代表で応援してくれというのはよくある。良識をもって協力しても不思議ではない」と、一向に反省がない。他の政策分野についても同様であるが、小泉首相の発言は、論理矛盾に満ち、まったく理屈になっていない。
 こういうありようは、短期的な小泉政権の維持にはプラスかもしれないが、自民党そのものにとってはマイナスであり、自民党は徐々に政党としての体をなさなくなっていくだろう。

◆後援者名簿まで差し出す屈従
 今年のはじめから読売新聞が「政治の現場 自公連立」という連載記事を掲載した。そこには禍々しい自公の選挙協力の実態がレポー卜されている。
 中でも目を引いたのが、衆院解散直後、創価学会の幹部が自民党の前職議員を学会施設に呼び出して、後援会の名簿を提供するよう迫ったくだりである。その名簿をもとに、公明党の運動貝が、「自民党のXX先生のご紹介でまいりました。
 「比例区はぜひ公明党への投票をお願いします」と戸別訪問して回るためだという。
 政治家にとって後援会の名簿は、命や体と同じようなもので、他人に渡すことなど考えられないものだ。昔、ある首相の奥方が、「あなたが何かおかしなことをしたら、この名簿を焼き捨てますよ」と、首相を脅かしたという有名な話があるくらいで、それほど大切なものなのである。
 党内の協力で、他の候補者のリーフレットなどを、自分の後援者に送る場合も、名簿を渡すようなことはなく、封筒ごともらって、それをこちらの事務所で発送するのが普通である。今の自公路線を作り上げた野中広務氏当人でさえ、「選挙協力は候補者調整まで。名簿まで渡してはだめだ」と語っていた。
 しかも、公明党から名簿を求められて渋々出すのならまだしも、自ら積極的に名簿を提供してでも、小選挙区での公明党の支持をお願いする候補者もいる。
 これも読売新聞の連載にあったエピソードだが、総選挙で自公の協力がはじまった二〇〇〇年当時は、まだ矜持があり、あまり公明党との協力を行わなかった議員がいた。しかし、その結果、落選の憂き目を見たため、その後は三年かけて必死に公明党に取り入り、自らの後援会名簿だけでなく、地方議員をつとめる自分の兄弟の名簿まで差し出して、公明党の覚えよろしきを得て、今回の選挙でなんとか返り咲いたという。
 昔と違って、今の自民党は選挙に弱くなり、今回の総選挙でも、公明党の協力がなければ八十名前後の候補者が落選しただろうという新聞の推計がある。そういう中、もし公明党に嫌われたら落選するのではないかという恐怖が、自民党議員に蔓延している。ここに自民党変質の根本的原因がある。
 これまでの連立は、あくまで党という組織同士の問題であり、政策の協調、妥協は、党の幹部の間で、組織としての判断で行われてきた。ところが、今は、議員一人一人が、次の選挙で協力を得られなければ、落選するのではないかと、常に公明党の顔色を窺うようになった。いつでも、公明党から勤務評定をつけられていると考え、行動しているのだから、これでは自民党の代議士なのふ、公明党の代議士なのかわからない状況である。
 おかしな政策が、連立の妥協の結果として出てくるならまだしも、自民党の議員自身が率先して公明党の主張に同調して覚えをめでたくする。これでは、まさしく公明党の代議士である。

自民党支持蓍はうんざりしはじめている
 小泉首相は、かって公明党にはかなり厳しい態度で臨んでいた。ほかにも、たとえば亀井静香氏は、自民党が下野していた時代(細川政権)、連立与党の一角を占めていた公明党を激しく批判し、「学会,公明党は政教一致である」と、池田大作創価学会名誉会長の証人喚問を要求していた。また、野中広務氏も、七〇年に起きた宮本顕治共産党議長宅盗聴事件に創価学会関係者が関与したとして、元顧問弁護士の山崎正友氏の証人喚問を要求した。
ところが、ムマやみんな口をつぐんでいる。こんなことでは自民党はおかしくなると主張しているのは、現役を引退した中曽根康弘元首相くらいである。ここに自民党の変質が象徴的に表れている。
 党首討論のとき、自民党の八代英太議員は一生懸命、私に野次を飛ばしていたが、その八代氏自身、自公連立前の総選挙では、「いまオウ厶真理教が裁かれていますが、政党を作つた宗教団体は、オウ厶と創価学会です。信教の自由は守らなければなりませんが、『王仏冥合』の立教精神のもと、宗教政党として、権力を握るための野望から、自由社会を守らなければなりません」と、過激なことを選挙公報に書いていた。
 それが、二〇〇〇年の総選挙で協力してもらってからというもの、公明党と蜜月である。この変節振りを、もともとの支持者たちは呆れて見ているのではないか。自民党は支持者のためではなく、公明党・創価学会のために働いていることに、旧来の自民党支持層はすでにうんざりしはじめている。
 しかし、小泉首相は、このような連立を「良識」と言つて、恬として恥じるところがない。
 私は、以前は小泉首相の心理が多少はわかるような気がしていたものだが、最近はまったくわからなくなった。小泉首相には「忸怩たる」という感覚が欠如しているのだと思う。
 たとえば道路公団問題でも、自らが信頼して民営化推進委員に任命した田中一昭拓殖大学教授と松田昌士JR東日本会長が、辞任したうえで、『文藝春秋』で徹底的に批判したにもかかわらず、改革案を「画期的です」と言えるのは、普通の感覚、常識的な思考方法ではどう考えても理解できない。
 むしろ、自己催眠の天才ではないかとすら思えてくる。自分にとって都合のいいことは、原理的にも正しいことであると思い込めるのだから。
       ---------(3-2.150P)-------つづく--

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菅直人の公明批判-1

2016-04-27 09:29:59 | Weblog

小泉総理は公明に魂を売った--菅直人   (文芸春秋 2004/4 144~151P)
  自公は連立の矩を超え「融合新党」になった
       ----(3-1.144)----(以下、本文)-----
 私は、二月十八日、国会の党首討論で、「選挙で公明党の支援を受けた自民党議員は、政策的な問題でも公明党の顔色を見ており、自民党はすでに自立した政党ではない。
 自公は連立ではなく融合した状況で、『融合新党』だ」と指摘した。
 この発言に対し、小泉純一郎首相は、「政権交代ができなかったから悔しいんでしょうね。気持ちはわかりますよ」などと、まるで見当違いの反応を示した。
 困ったところに切り込まれると、まるで関係のない話をしてマスコミ的な関心をどこかにそらしてしまう手法において、小泉首相は天才的である。
 この場合も、政権党としての自民党の問題点を指摘されているのに、そのことを正面から理解しょうとしない。
 一方、神崎武法公朋党代表も、「参院選を前に何の根拠もなくレッテル貼りをするやり方に憤りを感じる」と、過剰反応を示して、小泉首相と符丁をあわせてしまった。私に言わせるなら、どちらもまったくピント外れである。
 私が自公連立の問題について言及したのは、今年に入ってこれが三度目である。まず、一月十三日の民主党・党大会で、「小泉政権は公明党に首根っこを押さえられた政権になった」「日本の政治が公明党を通して創価学会という一宗教団体に支配されてはならない」と訴えた。
 次に、一月二十一日の国会代表質問では、違憲である自衛隊イラク派遣を強行した責任を問うて、小泉首相とともに、神崎代表にも辞職を勧告した。
 このことで、神崎代表は、私が公明党批判のキャンべーンをはじめたのかと勘違いしているのかもしれないが、それは大きな誤解である。
 後述するように、公明党が創価学会という宗教団体と、一対一対応の存在であることに、私は大きな問題があると考えている。しかし、私が一連の発言で真に言いたかったことは、自民党のあり方に対する批判である。
 自民党は国民政党を標榜してきた政党である。しかし、今や多様な意見を取り込み、自由闊達に議論を行う民主党こそ国民政党であり、自民党は公明党を介して創価学会に支配される政党になりつつある。政権党としてそれでいいのか、ということに警鐘を鳴らすのが発言の真意であった。
 したがって、小泉首相は、もっと真剣に私の発言の意味をとらえなくてはならない。一方、神崎代表にしてみると、「このような批判が出るのは、公明党が自民党を完全に自家薬籠中のものにした証しである」と、余裕を見せてもいいくらいだと思う。
 私が、辞職勧告したときも、神崎代表は、「野党の一党首から辞職勧告されるいわれは毛頭ない」と息卷いたが、これは短絡な反応である。私が神畸代表に発した問いは、もっと大きな話で、党内手続きのような、小さなことを言ったのではない。
 非戦闘地域という、ありもしないものを前提に決められた自衛隊のイラク派遣は、明らかに違憲である。神崎代表自らがサマーワ現地を視察し、治安は安定しているとしてゴー・サインを出したのは、違憲行為の露払い役をつとめたことにほかならない。平和・護憲を党是とする公明党のこれまでの主張と明らかに矛盾する。臆面もなく、従来の主張と正反対の言動を取ったことに対して、政党政治家として責任を取るべきではないか。それが私の問いの本質である。
 つまり、私は、自民党と同じようなレベルで公明党の責任を求めたのであり、政権与党としての立場を尊重した発言なのである。ところが、神崎代表は、本質的な問いには一切反論せず、公明党内の人事に他党の人間が口を挟むのはおかしいなどと、どうでもいいことに問題を矮小化して反発した。
 私の問題提起を曲解した小さな構図で理解されるのは非常に不本意である。そこであらためて、公明党と連立を組むことで政権党としての責任が果たせなくなつている自民党の問題について述べたいと思う。

自民党支持者より創価学会を優先
 私も、細川政権の七党一会派、さらに自社さ政権と、二度にわたつて連立政権の中にいたが、その経験に照らしても、現在の自民党と公明党との連立のあり方は尋常ではない。とくに自民党は、連立を組み、選挙を繰り返す中で、明らかに変質してしまった。
 あえて言えば、かっての自民党という政党のよさのひとつは、一人一人が自立した保守政治家の集合体であるところにあった。さまざまな利権団体とのつながりなどがあるにせよ、基本的に自分で考え、行動することができる政治家の集まりであった。
 ところが、現在の自民党は、党幹部が連立相手と交渉し、妥協するという連立の常識の範疇を超えて、一人一人の議員が、普段から公明党・創価学会の顔色を窺ってものごとの判断をしたり、発言したりするようになっている。
 その結果、政策も迷走し、本来の自民党では考えられないものが次々出てくるようになった。
 たとえば、小渕内閣の時に出された地域振興券などは、その典型だろう。この「天下の愚策」は、消費喚起に効果があるとして公明党(当時は新党平和)が主張してきたものだが、効果についてはだれもが疑問視していた。
 しかし、国会運営で公明党の協力を必要とした自民党は、十分な議論もしないまま、これを丸呑みし、七千億円という途方もないバラまきが行われたのである。これを実施した宮澤喜ー大蔵大臣でさえ、のちに、「決していいとは思わなかった」と発言している。
 当時、私は国会で、「これは七千億円の国会対策費である」と追及し、公明党から発言の取り消しを求められる騒ぎになった。こんな政策がまかりとおるようになったのも、自公が連立をはじめてからのことである。
 今回の年金改革でも同じことが繰り返された。給付水準は現役時代の平均収入の五割以上を確保する、保険料率は一八・三五%を上限とする、国庫負担率を現在の三分の一から二分の一に引き上げるなど、これらはすべて公明党がマニフェストに謳っていたものに近く、ある新聞は、「年金、公明に『満額』」との見出しで報じたほどだ。
 もともと自民党には、年金に関する確固としたビジョンがなかったこともあつて、ずるずると公明党に引きずられ、公明党の議員自身がホームぺージで、「公明党案を丸呑みしたもの」と宣伝する結果となったのである。
 制度の根本的な問題点にはまったく切り込まず、今後十数年間にわたつて負掘率を上げ続ける--こんな矛盾だらけの無責任な法案を、かっての自民党なら通さなかったであろう。きわめてめずらしいことに、負担率の引き上げについては、連合も日本経団連もともに反対している。
 自民党支持者の間では、昔から「学会アレルギー」という言葉がある。公明党に接近すると、選挙では票を失うと言われてきた。ところが、いまや、接近どころか、公明党の言うがままに動く自民党の体たらくに、旧来の支持者、後援者は、いつまで我慢ができるのだろうか。
       ---------(3-1.146P)-------つづく--

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しんぶん赤旗の戦い④-14

2016-04-26 10:00:04 | Weblog

(政教一体)公明党・創価学会 闇からの支配を問う④ しんぶん赤旗・特別取材班
               新日本出版社  800-  2000/6
       ----(117P)----(以下、本文)-----

◆選挙最終盤に「今度は稲嶺だ」
 九八年の沖縄県知事選挙で、公明党はどういう態度をとつたのか。
 大田昌秀知事を支持してきた公明沖縄県本部(選挙中に公明と新党平和が合流して公明党となる)は、知事選告示(九八年十月二十九日)直前まで態度決定をのばし、同月二十二日にやっと正式決定、「大田支持を基軸に自主投票」という方針でした。
 高良政彦公明沖縄県本部長は「党として大田氏を支持する姿勢はこれまでと変わらない。党内に選対本部を設け、大田氏陣営の大会などへも参加する」と表明。
 同党の白保台一衆院議員は、告示から選挙戦最終日まで、大田支持を訴えました。
 当時の白保氏の言葉がきっちり記録されています。
  出発式で--。
「戦後五十年余、本当の意味の民主主義が定着しなければならない。……
 この選挙を通じて、沖縄県民は自らの意思で自らの方向性を確実に決定しなければならない。基地問題を解決し、一人ひとりの人権が尊ばれる社会にするため、大田知事を必ず勝利させなければならない」(「沖縄タイムス」)
 打ち上げ式で--。
「今、新世紀を迎えるにあたって、平和で豊かな沖縄県の道筋を大田知事につけてもらいたい。……今後も知事に先頭に立ってもらうため、われわれは全力で取り組み勝利する決意だ」(「琉球新報」)
  こんな言葉を県民の前で語りながら、その裏で大田県政転覆の談合を自民党とすすめていたのです。
  そして、こんな事態が進行していました。創価学会員が語ります。
 --最終盤に学会員が集められ、幹部から「今度は稲嶺(恵一氏)だ」といわれた。
 --「稲嶺支持」の話を聞いた学会員が、納得できないので幹部に理由を聞くと「大田知事は共産党にぎゅうじられている。創価学会幹部共通の認識だ」といわれた。
 --選挙後、稲嶺氏が当選したら、幹部が内部の集まりで「稲嶺を当選させたのは学会だ」といった。
 地元紙記者がいいます。
「今月(二〇〇〇年五月)十二日の記者会見で、自民党の鈴木宗男総務局長が知事選での密約を事実上認めたが、公明党はまだ釈明もしていない。白保議員自身、県民の疑問にどう答えるのだろう。こんな両党の選挙協力に県民が納得できるだろうか」

◆自民幹部も「こわい組織だよ」
「公明党は、県知事選挙(九八年)で稲嶺恵一知事を支援したなら『した』とはっきりいえばよかった。最近まで県議会で野党の顔をしていて、“実は稲嶺氏を支援した。その見返りに衆院選挙では白保台一公明党議員をたのむ”なんて、とおる話じやないよな」
 そういうのは、衆院沖縄一区からの立候補をとりやめ、比例に回らざるをえなくなった下地幹郎自民党議員陣営の幹部です。
  県知事選で公明党は表では大田昌秀知事支援を訴え、裏で稲嶺氏を支援する。そのかわりに沖繩一区で自民党が白保議員を支援する--という密約。これには、自民党内にさえ疑問が出ています。
 同幹部は、こうもいいます。
「大田陣営の宣伝力ーに最後まで乗って支援していた公明党に、『実は裏で稲嶺支援をやった」といわれてもね。そんな政党が信用できますか。日本共産党は、裏表がなくてはっきりしているから上等さ。公明党は『味方』と思っていても、どこから石を投げてくるかわからない。こわい組織だよ」
 ある自民党那覇市議は、「沖縄には独自の宗教風土もあり、政教一体の体質もきらわれる。自民票が公明党にいくとは限らない。思わぬ結果になるかもしれない」とも。
 それほどスジがとおらぬ「自公協力」を、なぜやるのか。
 自民党県連幹部はこう説明します。
「沖繩だけの事情ではない。普天間基地の『移設』をはじめ、米軍基地という国の大問題がかかっている。自民党本部が沖縄での『自公協力』にこだわり、非常に硬い態度だったのは、米軍基地問題で公明党の協力を得て、難関を乗り越えたいからだ。自民党だけではやれない」
 今月(二〇〇〇年五月)十二日に那覇市内で自公両党が調印した衆院選・沖縄県議選についての協定合意書には、こんなくだりがあります。
「両党は、……米軍基地問題などの山積みする諸問題の解決と……展望を、協力して切り開くことを合意した」
 自民党の野中広務幹事長は「沖縄は自公協力のモデルケース」といいました。しかし、その実態は県民をあざむく「密約」までむすんで、米軍基地撤去という県民の悲願をもおしつぶす灰色のべールに包まれています。

◆元運動員も「裏切られた」
 公明党の白保台一衆院議員は前回、新進党で沖縄ー区から当選しました。看板は「新進党」でも、実際に選挙を仕切ったのは創価学会でした。
 前回選挙で白保陣営の活動に深くかかわった、非学会員のAさんが体験を語ります。
「かって池田大作氏(創価学会名誉会長)が講演で約束した『政教分離』なんてまったくウソ。選挙はいっさいがっさい創価学会が決める、といってもいいほどだった」
 陣営の会議には、白保議員や公明沖縄を代表する高良政彦県議らが出席しました。しかし、「かれらにたいした権限はない。最終的には創価学会の三盛洲洋現総県長が決めていた。みんな三盛氏には頭があがらない」とAさん。
 あるとき「こんなビラを出そう」とAさんが提案しました。公明幹部は「ちょっと待つて」というだけで決められない。創価学会にお伺いをたてて、数日後、「出していい」となった--といいます。
「その三盛氏にしても、創価学会本部にしばしばお伺いをたてる。結局、沖縄の選挙をしきるのも、最後は創価学会本部。その頂点が池田氏だ、と選挙をいっしょにやってみて実感した」というのです。
  白保議員の前に、旧衆院沖縄全県区(定数五)で、六回当選した公明党議員が、玉城栄一氏でした。いまは、白保氏の選挙運動に顔も出しません。
  前回選挙で、Aさんは玉城氏に会って応援を頼みました。
「玉城氏は私の前で泣いて話した」とAさん。それは、こういう内容でした。
 --私は党が决めた議員の定年にも達していなかった。それなのに、創価学会幹部の意向で交代させられたんだ。議員が終わったらそれきりで、働く場所もない。それで、(白保氏と同じ選挙区の)下地幹郎自民党議員の建設会社に入れてもらった(現在は退社)。そんな私が応援できますか。わかってほしい……。
 今回、Aさんは白保陣営から離れました。
「選挙にかかわってみて想像以上の『政教一体」だと思った。創価学会幹部の意向で交代させられた議員は、玉城氏のほかにもいる。それでも白保氏が「反自民』といったから、私は応援した。ところが、公明党は知事選では裏で自民党と通じ、ついに自公連立だ。『裏切られた』『もう許せない』と思っているのは私だけではないよ」

◆現役学会員も「基地なくせ」
 地元紙「琉球新報」(九九年十二月二十日付)の「論壇」コーナーに、こんな投稿が掲載されました。
 見出しは「『死の商人』になるな 普天間基地の県内移設問題」。筆者はNPO (非営利団体)法人イチャリバチヨーデー (出会えば兄弟)代表の城間義勝さん(60)。
「沖縄県民は、自らの意思で軍事基地を受け人れることがあってはなるまい」と、米軍普天間基地の「県内移設」に強く反対する内容でした。
  そのなかに、池田大作創価学会名誉会長の本から二ケ所引用されているのが目をひきました。
「城間さんは「聖教新聞』にも紹介されたことがある創価学会員です」と、ある学会関係者がそのコピーを見せてくれました。なるほど「地域社会で活躍」という見出しの大きな記事で取り上げられています。
 投稿で城間さんはこう主張しています。
「平和は決して軍事基地で守られるものではない。そのような軍事基地と国の経済振興策と取引されている現状があるが、浅はかで浅ましいと思う。軍事基地で金もうけとは、まさに『死の商人』ではないだろうか」
 自分自身のつらい体験も書かれていました。
 --五十四年前の戦争で、父を失い、兄を亡くした。二人の位はいの前で、髮をふり乱し胸をかきむしり、泣き叫ぶ母の姿が今もよみがえる。二度と沖縄の地で、このような悲劇がくり返されてはならない......。
 池田氏の『小説「人間革命」』から、次の文章が引用されていました。
「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない……」
 城間さんは、池田氏の「主張」も引いて、日米政府・稲嶺県政の「県内移設」をきびしく批判したのです。
 投稿に書かれていた住所に城間さんを訪ねました。
 「共産党と立場は違うが」と前置きして語ったなかに、日蓮の言葉もしばしば出てきました。
 「御書(日蓮遺文集)には、『えさにばかされて釣り針をのむ』という意味の言葉がある。
 振興策にだまされて米軍基地をのむことがあってはならない。沖縄の人なら『米軍基地なくせ』が共通の願い。公明党は、この立場にたちかえってほしい……」
 公明党の現状を憂う創価学会員の声でした。
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 次回から……菅直人の公明批判  文芸春秋 2004/4 144~151P
           小泉総理は公明に魂を売った 
           自公は連立の矩を超え「融合新党」になった   
      ……を3回に分けてお届けします。期待下さい。

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