創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

お笑い創価学会-13

2014-09-30 07:15:27 | Weblog
○お笑い創価学会・信じる者は救われない〈13〉
  池田大作って、そんなにエライ?  佐高信VSテリー伊藤  知恵の森文庫 光文社
──────────────〈中略〉──────── 79
第2章 公明党議員よ、委員長を選挙で選んでみろ
◆公明党の政治家ほど楽な仕事はない
テリー…僕、思うんだけど、政治家って楽だよね。あんな楽な仕事ないよ。「そんな
    ことないよ、選挙は大変だ」つて言うかもしれないけど、選挙は政治家の
    仕事じやないですよね。入社試験みたいなもんでしょう。
    そう言うと、「何度も何度も入社試験がある」つて反論するかもしれないけ
    ど、いまどき、リストラされて何度も入社試験受けている人はかなりいるで
    しょう。政治家なんだから、このままバッジをつけさせておくかの試験くら
    い当たり前ですよ。それでいつたんパッジをつけたら、あんな楽な仕事ないで
    しょう。
佐高信…みんながみんなというわけではないけど、ほとんどの政治家は何をしているか
    分からないね。あまりにもレベルが低い。
テリー…とくにいわゆる五五年体制が崩れて、村山さんの社会党が長年の政敵だつた
    自民党と組んでから変ですよ。昨日まで闘ってきた相手と組む理由がどうし
    ても分からなかった。
    公明党が盗聴法に反対していたのに、コロッと賛成に回る。いままで言って
    きたことと正反対のことを言っても、平気でいられるのは政治家だけじやな
    いですか。これが民間の会社だったら通用しませんよ。なんで国民は怒らな
    いんだろう。僕は不思議でしょうがない。諦めているのかな。
佐高信…そうだと思うよ。田中秀征という政治家がいる。正確に言うと、前々回の選
    挙で落選してしまったので、いまは政治家とは言えないかもしれないけど、
    彼はこれまでにも何度も落選と当選を繰り返している。彼は前々回落ちてし
    まつて政界からの引退を考えた。小選挙区制度のもとではもう自民党には勝
    てないのではないかというのが理由というんだ。彼ももとはと言えば、自民
    党の議員だつたんだけれど、新党さきがけを作って出てしまった。
    本人が引退を考えると、だいたいは後援会組織は解散するよね。候補者がや
    らないと言っているのに後援会なんて必要ないから。ところが、田中秀征本
    人の意思とは関係なく、いまだに後援会は存在している。いつ、気持ちが変
    わって選挙に出ることになってもいいように準備しているというんだ。上質
    の後援会だよ。そんなの聞いたことがない。
    そういう候補者もいるし、後援会もある。でも、ほんの一部ですよ。大半は
    利益誘導で結び付いた関係だろうな。
    だから、言っていることがガラッと変わっても当選できる。そして、田中秀
    征のような人は残念ながら落ちてしまう。まさに悪貨は良貨を駆逐する。
テリー…そういう人もいるんですか。選挙民も立派だよね。でも落選。悲しいね。
佐高信…社会党は、その後、社民党と名前が変わったけれど、やはり、自民党と組ん
    だことで内部にも大きな揺れがきたし、支持していた人にも大きな動揺があ
    った。それに比べて、どこと組もうがまったく揺れがないのが公明党。
テリー…どうなつているんでしょうね。まったく変わらない。
佐高信…ほかの政党だったら、内部から変えようと思えば変えられるよね。選挙で負
    けた場合は党首、執行部の責任が問われる。ほかの改党と連立政権を作った
    り、共闘を考えると、必ず批判勢力が党内に生まれる。それは当然の成り行き
    です。ところが、公明党はいつでも一枚岩。宗教の怖さを感じる。
テリー…だからいちばん楽なのが、公明党の政治家なんですよ。雨が降ろうが、雪が
    積もろうが、それこそ天から槍が降ろうが、信者が投票してくれる。党の方
    針は議論もなしで池田大作の言う通り。これは楽でしょう。
佐高信…だから自民党にくっつこうが、盗聴法に賛成しようが、変わったという意識
    が公明党議員にはない。池田大作の言うことを聞いているという一点では変
    わっていないからね。公明党の国会議員に変節したという意識はないよ。

◆反論があるなら池田を批判してから来い
テリー…浜四津(敏子)さんが急に盗聴法に賛成したでしよう。それまでさんざん反対
    意見を言っていたのに。あれを見ていて急に「この人、一昔前PTAのおば
    ちゃんだな」と思ったわけ。PTAのおばちゃんのみんながみんな、そうい
    うわけではないけど、いたでしょう、周りがウンザリしているのに延々と自
    説をぶって得意顔の人。多少的はずれでも、前と違うことを言つても自信た
    つぷりで平気でしゃベりつづける。
佐高信…絶対自分は間違っていないと思い込んでいる。ピンク本なんて読みません(笑)。
    そういう感じね。
テリー…ピンク本って、どういう本ですか(笑)。まあいいけど、そうそう、そういう
    タイプ。
佐高信…ずうっと、盗聴法に反対していたのに自民党に切り崩されてコロッと賛成に
    回った。その理由づけが、いつまでも反対では無責任。そういう言い方をして
    いた。どっちが無責任なんだ。
テリー…それですんじやうんだもんな。楽だよ。
佐高信…PTAのおばちゃんの場合、自信の根拠はなくて、たんに図々しいとか、場
    慣れしているだけだけど、公明党が絶対に間違つていないという裏打ちは池
    田大作。前にも公明党の閉鎖性はどこか北朝鮮に似ているという話が出たけ
    ど、公明党の委員長は選挙で選ばれていないという点も閉鎖性を感じさせる。
    神崎(武法)にも浜四津にも対立候補がいない。選挙がなくてトップが決まる。
    それで政党でございますというのはおこがましいよ。
テリー…池田大作がきめているんだろうな。いちいち決めていなくても、承認なしに
    決まるはずがない。いい、悪いは池田大作の心ひとつ。北朝鮮並みだね。
佐高信…反論があるなら、池田を批判してから来いと言いたいね。それとも、池田先
    生は完壁で批判するところなどまったくないと言うのだろうか。もし、そん
    なことを口にするような人間は政治家ではないね。
    批判するということは、その一方で、批判するからにはお前はどうなんだと
    言われる立場になることですよ。自分にも火の粉がかかってくることを覚悟
    して行うのが批判。本来、政党というのは、そういう批判によって政治に取
    り組む集団でしょう。
テリー…なるほど、批判は陰口とは違いますからね。
佐高信…ところが公明党には上に対する批判がない。若手議員が幹部を堂々と批判し
    たなんていうことはありえない。一から十まで信じている。
    一見、信じているという態度は立派なように思えるけど、じつは相手に責任
    を預けてしまうことなんだ。すると責任は信じられた側の問題になってしま
    い、信じた側の責任はなくなつてしまう。
    池田大作を信じることは責任を放棄したことを意味する。公明党議員は全部
    責任を預けているというわけ。そんな政党は無責任集団ですよ。
テリー…こんな楽な仕事はない(笑)。植木等も真っ青の無責任男たち。女性議員もい
    るか。
佐高信…そもそも責任とか無責任という言葉が生じない体質だね。そんな政党、本当
    に怖いよ。その政党と連立内閣を組むなんていう政党も考えられない。
テリー…責任がないというのは弱い人間たちが徒党を組んだときの特徴です。無責任
    は組織防衛の手段のひとつ。強い人間、優秀な人間はそこから出ていく。残
    った人間は誰も責任を取らないことで集団を維持する。公明党は弱者集団で
    すね。
佐高信…よく愛社精神を持てと言われるよね。だけど、いちばん愛社精神を持ってい
    るのは無能な人たち。それ以外、持てるものがないんだ。そこにしがみつか
    なきや生きていけない人。業績を上げたり、技術を開発したりする人はそん
    なことを言わなくてもやっていけるし、外に飛び出すこともできる。弱い人
    ほど、愛社心を口にしたがる。
    愛国心も同じ。それを口にすることで身を守っている。国を愛していると言
    えば、何もてきないことの免罪符になるとでも考えている。それ以外、堂々
    と言えることがないわけだ。
    そういう意味では、公明党が日の丸、君が代に賛成するのも当然の成り行き
    だったかもしれないな。
────(~86頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく)

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては…《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作

◆これまでも……これからも……池田創価・公明党
  大衆へ…言葉(欺罔・甘言・煽動・脅迫・恐喝・恫喝)ありき ……で50年

◆創価の真相3/3
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お笑い創価学会-12

2014-09-28 09:17:23 | Weblog
○お笑い創価学会・信じる者は救われない〈12〉
  池田大作って、そんなにエライ?  佐高信VSテリー伊藤  知恵の森文庫 光文社
──────────────〈中略〉──────── 75
◆宗教とはそもそも危険なもの
テリー…池田大作と創価学会を見ていると、どうしても北朝鮮(朝鮮民主主義人民共
    和国)に近いものを感じてしまうんですけど。北朝鮮のことをよく宗教国家
    という言い方をしますよね。その場合の宗教って、創価学会のような閉鎖的
    な組織をイメージしているように思う。
佐高信…まったく批判ができない組織という点では同じだ。
テリー…一人の権力者が組織、集団を牛耳っているところは同じような構造なんで
    しようね。モラルじゃなくて、メチャクチャな論理が罷り通る。そうでな
    くては権力を独り占めできない。メチャクチャでないと、話し合いできちん
    とということになり、独裁者は生まれないですからね。
佐高信…その権力を批判することに異常にヒステリックになる。いつさい認めない。
テリー…そして権力に近づこうとして、信者は忠勤に励む。批判する勢力に対抗する。
    閉鎖的だから、なおさらヒステリックになる。普通の感覚では、ある程度、
    批判があるというのは当たり前のことなんだけど、それが分からない。
    どんなにきちんとした組織でもまったく批判がないなんてことはありえない。
    批判を受け入れる力がないんだ。
テリー…それにしてはいろいろボロが出るよね。
佐高信…カネにまつわる話はたくさんある。三菱商事がからんだ絵画事件、創価学会
    幹部のおカネが金庫に入ったまま捨てられていたという事件。創価学会事
    件史には事欠かないよ。あれだけの組織になると、商社や銀行との関係も
    コントロールできるんだね。
テリー…オウム真理教がいろいろな問題を引き起こして、宗教に対する見直しをする
    なんてことが言われ始めているけど、現実にはできないですよね。
佐高信…団体規制の法案をオウム新法などと言うでしょう。危険な団体だと。でも本
    来、宗教とか思想というのは、危険な部分を持っている。時の権力者や現在
    の世の中に対する批判から出てきているんだから。危険ではないものは逆に
    宗教でも、思想でもないんだよ。
    それでは今日、オウム真理教が危険で、創価学会が危険ではない分け目は
    いったい何なのか。創価学会は政権与党になったから危険ではなくなつたの
    か。それとも組織自体が危険でなくなったのか。そのことは創価学会にとつ
    て名誉なのか。
    本当は危険な存在であることが宗教団体として.名誉なことだと思うね。
    創価学会は元来は日蓮正宗の信者の集まりです。宗祖である日蓮は他宗を批
    判し、「立正安国論」を書いたことで伊豆に流される。それでも志を曲げな
    かったために次には佐渡に流された。そのくらい危険な要素を持っていたん
    だよ。これが宗教の姿でしょう。
    いまの創価学会は危険ではないことを売り物にしている。オウム真理教とは
    違いますよ、ということを盛んにアッピールする。すでに宗教ではなく、権
    力欲で動いている証拠です。
テリー…危険でないことで権力を握っていることが国民にとっては危険ですよね。
────(~77頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく)

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては…《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作

◆これまでも……これからも……池田創価・公明党
    大衆だまし…偉ぶりごっこ(有名人と対談・書簡に、勲章・博士号)…で50年

◆創価の真相3/3
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お笑い創価学会-11

2014-09-26 22:26:08 | Weblog
○お笑い創価学会・信じる者は救われない〈11〉
  池田大作って、そんなにエライ?  佐高信VSテリー伊藤  知恵の森文庫 光文社
──────────────〈中略〉──────── 42
〔テキスト〕
◎池田大作 欲望と被虐の中で   井田真木子(ノンフィクション作家)
──────────────〈中略〉──────── 68~
◆池田、Sに対する家族の闘い
 モニターした〝元学会家族〟では、長男が先に揺らぎ始め、〝先生〟への疑問を呈し始め
る。ついで次男がその状態に入る。小さい頃から死ねば楽になると思っていた長女は、当時、
創価学園が男子校だったために、運よく〝外〟の学校に進むことができたが、あまりにも大
きな揺らぎを繰り返す長男を畏怖しながら大学を卒業したあと、〝外〟の人と結婚式をあげ
て、実家から実質上逃げた。
 これは次男の強い勧めがあつたからである。実家との連絡を少なくとも五、六年は絶たな
いかぎり、波女はSのネットワークから逃れることができないと、彼女も次男も思ったから
だ。
 もし、現在のように創価学園が共学校で、その女子部に入学していたらどうなつただろう
かと彼女に聞くと、即座に彼女は答えた。
「もちろん母のように字会にとりこまれたでしよう。でも、母と違って私は池田を信じては
いないから、選択は二つだけだったと思う。自殺か、諦めて池田のいいなりになるか」
 彼女が自殺の可能性を語るのは、決して誇張ではない。事実、長女の結婚の、五、六年前
から、長男の精神状態は普通のものではなくなつていった。彼は自分を引き裂くアンビバレ
ントな感情から逃れるために、外界との間に厚いベールをひき、客観的には精神上の疾患と
いう形をとつて、最終的な自己破壊から身を守ったのである。
さすがに、それを見て、彼の両親もとりあえず表向き保っていた池田支持という政治的態
度を変えた。妻と夫との間には目に見えぬ闘争があり、それを池田はきわめて巧妙に利用し
ていたが、どれほど意思疎通のない両親にとっても、子供は理不尽なまでに両者を食い止め
るブイである。そのブイが自らを壊し始めたとき、父は何を捨てても池田批判を公言するよ
うになり、母は初めて自分の池田礼賛を客観視するようになったのだ。
「簡単なことなんですよ、池田批判というのは。あれは、ただの人だと、心から思えればな
んでもない。もちろんただの人があれだけのことをしてしまうのだから怖い。でも、やって
いる本人ははたして自意識を持つているのかどうか怪しいほどのただの人なんです」
 長男ほど自分を追いつめず、一家のうちでもっとも心理的に安定していた次男は言う。し
かし、彼でさえ、池田をただの人と思えるようになるまでの疲労が重なって、高校三年のと
きには、授業中に人事不省で寝入っていることさえあつたのだ。
「面倒なのは、池田を信じ、Sを信じている先生ほど、中高校生くらいの年頃には、いい大
人だなあと思えてしまうことですね。池田を信じきり、創価学園の教育方針に全面的に賛成
している先生は、当然、心理的に安定していますから、生徒に対しても教師としての余裕を
持って応対するでしょう。だから、魅力的で人間味に溢れる先生に見えるんです。
 たとえば、昼休みに学校を抜け出してラーメン食いにいこうぜ、なんて言って、校庭の柵
の毀れたところから這い出したとたんに、そういう先生にみっかったりもしたけど、先生は、
おい、あんまり遠出すんなよ、くらいで見逃してくれる。いい先生だよな、生徒の気持ちが
わかつてるなつて思うでしよう」
次男と、その友人たちであるSを抜けた二世は口を揃えて言う。
「反対に、池田に疑いを持っている先生は、心理的に不安定だから、たよりがいのない先生
に見える。自分が揺れているから、生徒と同じレベルに降りてきてしまって、大人気がない
ように感じる。安定していないからヒステリックな行動にも出る。だから人気はない。
 そういう先生こそ、本当に真面目だつたんだと、今になればそう思いますけどね」
 それから、やっぱり僕らにだって欲はあったわけですよ、と別の二世の男性がいう。
「僕らの母や父の時代には、腹一杯食えることとか、住居を持てることとかが欲望だったわ
けでしょ。もちろん、僕らには、それは欲望の対象になりませんよ。だって、世の中、なん
でもモノが溢れていたんだもの。
 でも、というか、だからというか、僕らの欲望は抽象的になり、はかりしれない。
 いい社会を作ろう。いい世界を作ろう。よりよい国際的日本を作ろう。いい芸術作品を残
そう。誰でもない自分であろう。価値ある人生を送ろう。内面を磨きあげよう。
これ、欲望じやないと言い切れます?こういう考え方にひかれないって言い切れます?
やっぱり、これも欲望なんだ。だから、Sがそれをかなえてあげるよと囁いたとたん、ふ
らりと、そっちに傾く若い人たちがいるのも当たり前だし、僕は、そういう人たちの顔さえ
思い浮かべることができる。
多分、彼らはすごくいい連中なんだ。人間的にもあたたかくて、冗談も通じて、明るくて、
前向きで、そう、つねに前向きで。
 しかし、それこそが欲望的な人間の像なんだと思う。欲望というのは、時代時代によって、
本当にさまざまな形をとるんですよ」
 モニターした家族は、長男を襲った禍を転機として、創価学会を抜け、池田に反旗をひ
るがえし、さまざまな妨害を受けたのち、ほぼ十年近くをかけて今、再生している。父は母
に、母は父に家族だから許される辛辣なこともいい、同時に、互いを長年連れ添った同胞と
していつくしみあおうと努めている。長女も長い別離を経て、ようやく子供を連れて戻って
くるようになった。長男は投薬の効もあり、精神疾病を扱う病院での入院生活の安泰の中で
すごし、次男は学会内のさまざまな分裂騒ぎのたびに担ぎ出されようとして、それをやんわ
り断つて普段の生活を保つている。
 彼らは、今、初めて家族になったのだ。しかし同時に、彼らは、自分たちのような再生が、
学会家族においては、まことに稀な例であることも知っている。多くの家族が、Sをぬけた
二世やそれに同情的な親と、いまだ熱狂的な親(多くの場合、母親)やほかの兄弟たちとの
間で、まっぷたつに裂け、それは修復不可能なほどの亀裂になるのである。

◆学会を利用する二世たち
 もちろん、これまで例に出した、Sをぬけた彼らも二世の中ではとびぬけた少数派で、
「クラスのうちの九〇パーセント弱が、要するに、学会を利用して銀行員や行政スタッフ、
サラリーマン、または本部職員になる」
 そして、銀行員の場合には預金獲得、企業や行政の中では派閥作りに学会ネットワークを
利用して生活しているが、「やはり選挙ともなれば、Sの急先鋒として使われる」と彼らは
言う。
「急先鋒にならなければ、彼らの利益も生じない。いわばもたれかかりあい共同体としての
学会員ですね。
 あとの五パーセント弱が狂信的学会員。これは有事の際にしか使いようがないね。
 残る五パーセントは、学会の利用の方法も知らないかわりに学会からも期待されない、あ
る意味では幸せなおばかさんたち。Sを積極的にぬけた僕たちは、全体の一パーセントにす
ぎないよね」
 そういう彼らは、いちょうにサラリーマンのような〝普通〟の職業にはついていない。
 学会社会に適応する、〝外〟からみれば普通ではない人は、表向きはサラリーマンや公務
員などの職業についた普通の人であり、閉じた社会から抜け出た常識的な彼らは、一見、企
業社会の外で生きる特異な人々だ。これは、創価学会が、また創価学園や大学が、もっぱら
〝内〟の規範に忠実な人々を〝外〟の世界に送り出しているためにひきおこされる矛盾にし
て倒錯なのである。
池田大作の罪状とは何か。それは、国内に倒錯した価値観の王国を作り上げ、その中で二
世、三世世代の再生産を強制的に作り上げたことにつきる。
 ところで、政治上での二者択一が難しくなり、ようやく戦後的政治が終焉した連立政権
以後、いったんは政権の中枢にくいこんだかのように見えた池田─旧公明党の判断が少しず
おつ狂いを見せ始め、池田の国会喚問要請などの事態を招いていることは事実だ。しかし喚問
が可能になったところで、〝池田先生〟学会の体質が急変することはまずないだろう。学会
は、たとえ池田が物理的にいなくなつても、すぐさま消滅するようなやわな構造はしていな
いのである。
 おそらく近い将来、生物的な存在としての池田は終焉を迎えるだろうが、創価学会は戸田
城聖が基を作り、〝池田先生〟が果てしもなく規模を拡大した盤石の構造を維持する形で、
第二の池田への野望を持った人々によって割拠されるにちがいない。〝池田先生〟は物理的
にいなくなっても、そのあとには、いくたの〝池田先生〟が出現し、〝池田先生〟型組織の
上に乗り、〝先生〟が編み出した人心操作方法を踏襲し、あるいは応用変化させて学会的な
るものを存続させるだろう。
では、私たちは学会から何を学べばよいのか。それは人間の欲望はけして過小評価できな
い力であり、また時代とともにさまざまな形をとること。そして、それは私たちを生かす動
力だが、ひとたび〝池田先生〟学会のように過剰になれば、きわめて危険な力にも変わりか
ねないこと。
以上のようなことである。

────(~74頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく) .

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては…《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作

◆これまでも……これからも……池田創価・公明党
    大衆だまし…罰だ!!…功徳だ!!…(欺罔・恫喝・脅し)の脱会防止…で50年

◆創価の真相2/3
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お笑い創価学会-10

2014-09-22 18:18:01 | Weblog
○お笑い創価学会・信じる者は救われない〈10〉
  池田大作って、そんなにエライ?  佐高信VSテリー伊藤  知恵の森文庫 光文社
──────────────〈中略〉──────── 42
〔テキスト〕
◎池田大作 欲望と被虐の中で   井田真木子(ノンフィクション作家)
──────────────〈中略〉──────── 63~
◆学会二世にとっての“池田先生”
 では最後の主題、池田学会下の二世たちについて話を移そう。
 筆者がモニターした家族の中では、息子と娘が二世に当たる。
「私たちは、生れてきたときからすでに家族ではなかったんです。父は母に話せないことが
あり、母は父に話せないことがある。さらに親は子供に、子供は親に話せないことが山のよ
うにある。これでいったい家族でしょうか。私、物心がついた頃から、いつも死んだら楽に
なるのになあと思っていました。死に対しての恐怖はないんですよ。やはり、宗教教育を受
けていますから。だけど、家族のようであって家族でないものの中で生きるのは、恐怖だっ
たし、苦しかった。死にたかったです」
長女はこう言つて続ける。
「大人は学会をやめて、池田の呪縛から離れても、もどる家庭があるでしょう。でも、二世
の子供は、もどりたい、でも、もどるつてどこへ?そういう感じ。もとから家族ではない
家庭から、どこにもどればいいのって」
とはいえ、二世はいわば他の選択肢なしに学会員として生れた人々だから、ある時期まで
は素朴な池田信奉を保つている。
 彼らの父は当時、すでに池田批判を強固に持っていたが、それを少しでも子供に感じさせ
たら、子供の口から池田にその事実が洩れる。子供に白々しい噓をいうのは父として忍びな
いので、ついつい子供と距離を置き、会話を避けるようになる。
 母は父の心中は知っているものの、自分自身はいまだに熱狂的池田崇拝者だから、父もそ
うであるかのように取り繕いながら、子供には“戸田先生”の後継者である“池田先生”が
いかに偉大かを説き聞かせる。子供たちは口を開きたがらない父を怖れながら、母の内面の
苦悶もどこかで察知しつつ、また、母も父も学会幹部であるという立場上、どんな間違いも
許されないし、万が一、間違いでもあれば、それはすぐさま両親の身に害を及ぼすのだと暗
黙のうちに感じとりながら、非常に神経質な子供時代をおくることを余儀なくされる。
 このような関係に変化が訪れるのは、息子たちが創価学園に入り、いわゆる思春期の揺ら
ぎが始まる一五、六歲になったときだ。
 この家族の息子たちと同様、池田学会二世として生れ、今は、学会をやめた人たちは、そ
の揺らぎが訪れるまでは、自分たちの心理は実に素朴なものだったという。
 創価学園出身の二世の一人はこう言う。
「中学に入りたての男の子なんて、半分くらいはわかるけど、半分は難しくてわからない理
論をふりかざされると単純に、凄いなあと思ってしまうんですよ。池田はそこがすごくうま
い。半分わかる。でも半分はわからない。だから“池田先生”は凄い人だということになつ
てしまう」
 また別の創価学園出身の二世はこう言う。
「うぶな中学生だったら一発で憧れてしまうようなすごい美人の先生なんかがいるわけです
よ。そういう先生が、顔面紅潮させて、今日は“池田先生”が学校に来て下さいました、み
んなでお話を聞きにいきましょう、なんて言う。ぞろぞろと講堂に行くと、“先生”はそこ
でピンポンをしている。なんか変な光景だなとは思いますよ、当然。
 でも、“先生”がー言、暑いなと言うと、クリームソーダがさつと出てきて、“先生”は半
分ぐらいそれを飲むと、美人の先生にグラスをわたすわけ。そうすると、先生はそれを高々
と掲げて、これが“先生”のお飲みになったクリ—ームソーダですって叫んでさ、恭しく口
をつけるわけ。で、そのあと、ソーダが僕ら全員にまわってくるの。
 僕は、その美人の先生が口つけたところはこのあたりだったっけ、なんて思いながら、チ
ュッとか口をつけましたけどね」
 よく考えれば、そういう素朴な中学生の行為も、学会の細胞のひとつとして機能していた
わけである。
 創価学会が教育機関を持ったということはある意味で面期的なことだ。それは二世の囲い
込みであり、子供を人質にとるというもっとも効果的な会員の掌握策にして、子供によって
親の行状を知る、新しい密告回路の開設である。また、池田は、若い人材を他の国立大学な
どに合格させたのちに、それを蹴らせて創価大学に入学させることを頻繁に行ない、創価教
育機関の優秀性をアピールした。
 そして、東大や京大を蹴って創価大学に入った優秀な人材は、世間の風に当たらぬうちに、
卒業後すぐ本部職員に採用される。
 創価学園の開設が池田体制下の昭和四三年であることを考えると、この教育システムを作
るにあたっては、彼は、批判者が池田にはそれがないと言い続けてきたオリジナリティを十
分に発揮したといえよう。彼は自らのようにな“外”の規範に曝されず、学会という閉じた
空間でのみ育成される人材を増殖させるシステムを考えついたのだ。
 しかしそのなかでも、いわゆる思春期における価値観の揺らぎとともに、池田への疑義を
持つ二世が生れ始める。そのとき、それまで素朴な信奉しか持ち得なかったぶん、学会と池
田に対する疑問が生れ、すでに高度成長期まっただなかの“外”の世界には、学会員になる
以外の選択肢が溢れんばかりにあることを知ったときの、彼らの懊悩にははかりしれないも
のがある。
 ちなみに、学会をやめることを、二世たちはS(学会のこと)をぬけると言う。彼らの悩
みや苦しみは、単に親が信じ、生れたときから彼らが信徒であった宗教を、自分が大人にな
つたときあらためて選び取らなかったという単純なものではない。彼らの悩みは、いわば亡
命者の悩みと同等に思える。
 そして、彼らは、Sをぬけたのは、もうせ昔のことですからとさりげなく話そうとはするが
話し込めば話し込むほど、彼らの学会と池田に対する思いには、単純にわりきれないものがあ
ることが感じられる。
 それは、自分を迫害する故郷から亡命してきた人たちが、迫害の事実については、はっき
り認めるものの、どこか生れ故郷に対する愛着を振りきることができないアンビバレントな
感情、具体的にいえば、あえてすベてを振りきつて再生したい思いと、振りきることによっ
て、生れてこのかた、たしかに自分の中を滔々と流れ自分の人格を作り上げた十数年と、わ
かちがたい家族の思い出をすベて否定することになる哀しみの間を行きつもどりつする感情
に近いものがある。彼らがまるで亡命者のように見えるというのは、そういう意味である。

────(~67頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく) .

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては…《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作

◆これまでも……これからも……池田創価・公明党
      疑うは……魔の働き・地獄ゆき…で50年

◆創価の真相1/3

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お笑い創価学会-9

2014-09-20 08:06:56 | Weblog
○お笑い創価学会・信じる者は救われない〈9〉
  池田大作って、そんなにエライ?  佐高信VSテリー伊藤  知恵の森文庫 光文社
──────────────〈中略〉──────── 42
〔テキスト〕
◎池田大作 欲望と被虐の中で   井田真木子(ノンフィクション作家)
──────────────〈中略〉──────── 60~
◆醜悪さに従う被虐的な快感
 ところで、この家族の母親は、末端から這いのぼってきた人ではなく、当時としては珍し
く高学歴で、教義解釈でも、人心掌握の力においても有能だったので、入信まもなく戸田時
代に幹部クラスに置かれるようになる。また、会長が池田に替わっても彼女は、いわば学会
の女性たちの憧れの的だった。彼女自身は、その立場としては珍しく、内心、池田を毛嫌い
していた夫のガードのもとに、池田の性的懐柔から逃れられたのだが、末端女性信者の心理
に対して、学会の女性エリートの心理がどのように相違するかを考えるには恰好の人物であ
る。
 彼女はまず教義を真面目に勉強し、着実にその成果をあげた。正しい信徒であろうと努力
し、これまた着実に堅固な信徒となり、彼女は〝池田先生〟は〝戸田先生〟の後継者なのだ
からという理由で彼を完全肯定した。
 また立場に驕らぬ幹部であろうとし、公私両面で自分を完璧に正しく律しょうとして、不
幸にもそれに成功したばかりに、彼女は自らの中に、いまだ矯正できぬ欠点を見つけようと
してやつきになった。完璧さへの欲求は、皮肉なことに矯正しなくてはならない欠点の存在
をなんとしても必要とするのである。
 また、座談会に集まる女性信徒に対しては、自ら信じる池田信仰を彼女たちとわかちあう
のが正しいと信じ、熱心かつ雄弁に、彼女たちに池田のすばらしさを説き、彼女たちの涙を
絞った。
だが、昭和三〇年代なかば、池田が自ら彼女に女子最高幹部になるよう求めたにもかかわ
らず、夫の意図に従ってそれを断った彼女を陰に陽に責め立てたのは、ほかならぬ、彼女が
池田信仰を説いた女性たちだったのである。
 それでもなお、彼女は池田信仰を捨てず、彼女の一挙手一投足をあげつらう地域の学会の
女性たちを責めもしなかった。学会幹部である夫は、次第に池田との葛藤を深めていき、家
庭では彼女に辛く当たり、創価学園に入つた息子たちまでが池田批判をひそかに口にして荒
れるようになっても、彼女はまだ堅固だった。すべての苦難の因縁は自分の中にあって、い
まだに見つけ出せない罪深さのゆえだと信じていたためである。
 それは、ときに彼女を陶酔に誘った。
「すべての人から陰険にいびられ、家庭で孤立していたときでさえ、他人から、とくに池田
から自分の欠点を指摘されると、いいようのない陶酔感が私を襲いました。
池田を美化していたわけではないんです。池田ってとても毛深くて、指の先まで毛が生え
てるの。机の上におかれたその手を見た瞬間、私、うわつ、気持ち悪いと思ったのね。
 でも、そんな不遜なことを思うのは、自分の中には悪いものがあるからだと思ったの。私
は悪い人間だからこんなに辛いんだ。反省しなくちゃ、完璧にならなくちゃ。その頃の私は、
自分の苦しい状況に酔って、苦しければ苦しいほど、胸をえぐられるほどの陶酔感に溺れて
いたんですよ」
男性が自らを磨くとき、それはストレートに上をめざす。だが、彼女のようにありあまる
能力には恵まれているが、男性にハンディをつけられた女性として社会的な限界を感じてい
る人物がいったん解放されたとき、それは実に奇妙な力ーブを描く。彼女はどこまでも優秀
に、美しく、強く、寛容に、謙虚に、完璧に自分を仕上げたあと、上をめざすかわりに、無
意識下で、世の中の誰よりも醜悪かつ奇怪に感じる者に心身を捧げるための急降下力ーブを
描くことによって、この世ならぬ陶酔感を得るのだ。
 彼女自身も、熱烈な池田崇拝者であったにもかかわらず、彼の毛深い指を見たときには、
一瞬、気持ち悪いと感じたというではないか。〝池田先生〟は彼女の意識下では、すでに毛
深い、気持ちの悪い、醜悪な存在だったのである。その池田に欠点を指摘され、それをくり
かえし反省することに陶酔感を覚える心理とは、酷薄に言い放てば、心身を磨きあげた時間
と努力と辛抱が無化される、ほんの一瞬に燃えさかる被虐的快感の極地であろう。
 そのような女性をめざすベく、天井にあいた無数の針の穴から池田大作という奇怪な人物
をみつめるとき、女性は家庭はおろか、〝池田先生〟以外のすべてを忘れ果てている。そし
て、あるときふと気がつくと、彼女は財務として家計維持に見合わぬ金を支払っていること
に気がつくだろう。
 だが、彼女はけしてそれを無駄金だとは思わないはずだ。セールスにおける心理調査のひ
とつとして、内容に見合わぬ過大な価格の商品を買わされた消費者は、むしろその商品の擁
護につとめるものだという結果が出ている。学会の女性たちは、末端においても幹部クラス
においても〝池田先生〟という商品を買い取るために、それぞれ多大な犠牲を払ってしまっ
た。いまさら、それを否定すれば、彼女はまた、元通り、家庭内権力闘争に敗れた家政婦が
わりの人間になってしまう。
 それだけはごめんだ、私は負け犬になりたくない。その気持ちが、学会の女性たちに通底
するものであり、〝池田先生〟は彼女たちの負の要素を利用して、実にうまく女性たちを財
務集めに、亭主や不満分子の監視役に、また選挙対策に追い立てるのである。

────(~63頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく) .

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては…《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作

◆これまでも……これからも……池田創価・公明党
    大衆だまし…罰だ!!…功徳だ!!…(欺罔・恫喝・脅し)の脱会防止…で50年

◆創価学会が言う「法戦」とは、どんな活動?
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