創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

池田大作をブッた斬る-14

2020-07-31 08:46:45 | Weblog

  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
    -----◇-----◇-----◇---
  (創価学会)
 池田大作をブッた斬る  藤原弘達(日新報道)1988年(=昭和63年)
    ---------(以下、本文)-------57

◆ 擬似宗教・創価学会の権力構造
 創価学会は、言論出版妨害でつまずいた昭和四十五年、あたかも緊急避難の如く「政教分離」を公約した。事実は、これも戦術的退却にすぎず、公約そのものは反故にされている。高らかに政教分離を謳うと同時に、学会は公明党への干渉を続けている。単なる口先での文句というより、人事から総てについての実質決定である。

 国立戒壇の否定、国教化の否定、政治進出は宗門・学会の事業とは無関係であくまでも大衆福祉のためである、という池田発言がボンボンと出てくる。「国立戒壇」の否定は教義に関することで、一信徒団体が決定するものではなかったはずだが、創価学会はあえてこれをやった。既に、教義は創価学会流ということの何よりの証しなのである。
 もっとも、日蓮の時代の国立戒壇といい、国教化といっても、マイナーからメジャーになりたい願望程度のものとみていいのだが、教義の解釈権をもたない信徒団体が勝手にこれをやったことになる。本尊は本山(大石寺)の持ち物、教義はこちら流というわけで、擬似新興宗教・創価教ムキダシである。

 基本的に新興宗教であるし、それも戦後派であるからには、それにふさわしい教祖が存在する必要がある。狂信的法華経信者・牧口常三郎の「狂」も、二代目・戸田城聖の「信」も、創価教教祖として神格化するには、既に時代が離れすぎていた。
 牧口、戸田ともに、戦後社会で教祖として祭り上げるには、それにふさわしい“神話”が不足していた。
 その点、池田大作は三代目会長を継いで以来、学会発展の先頭に立ってきた。池田の戦後史が学会の歴史というわけだ。新興宗教の教祖として死後に神格化される例があるのと異なり、池田の場合、会長就任十年足らずで神格化が始まっているところにも一つの政治的意味があろう。いわゆる神がかり的創唱宗教の教祖でなくして、生存型神格化パーソナリティとしては、あまり類例がなかろう。戦前においてというより明治維新以来、薩長藩閥勢力などにオミコシとしてかつがれた天皇がそうであったが、戦後社会においてはやはり異例中の異例である。

 生存型神格化も、それなりの“神”が必要である。池田自身の名で昭和四十年から書き始められた大河小説『人間革命』(東西書院社長・篠原善太郎の代作という)が、創価学会“池田神話”になる。学会内では、これを現代の“御書”ともちあげる者もでてきた。日蓮正宗に限らず、日蓮信者にとって日蓮“御書”は聖典だが、『人間革命』は“池田神話”であると同時に、創価教の聖典になろうとする。
 このように池田神格化が意識的に進められたワケであるが、池田自身がこうした一種の神格化、個人崇拝の対象になることをどうしても必要と考え、自分の意志でそうしたのかどうか。それとも、池田をとりまく人間どもが彼を祭り上げ利用しようとしたのであろうか。それは恐らく、両者が相関的に作用しながら進んだものであろう。
 組織としても、池田神格化、「絶対君主」化が必要になっていたのである。なぜなら、牧口創価教育学会や戸田創価学会時代の如く、教祖的カリスマ性だけでは創価学会組織の維持運営が難しい。牧口の「狂」と戸田の「信」、この二つは、信仰組織のシンボルになりえても、「権力」として機能するまでに至らない。戸田の「信」、つまり戸田の信仰は牧口の「狂」といささか異なり、会員を奮い立たせる世俗的パイタリティを発揮した。

 戸田の世俗的バイタリティが創価学会を“ご利益”宗教として大衆を惹き付け、その大衆を利用して学会の営利追求が行なわれたのである。田中角栄方式に似ているところがある。つまり、戸田は創価学会の営利虚業組織の基本計画もしくはモデルを完成し、池田がその遺産を継いだ。しかし、それ以後の学会は教祖的カリスマ性がそのまま一種の権力であることを強く求めて動くこととなった。
 池田神格化は、創価学会統合の象徴としてではない。それなりの絶対君主的権力者としての神格化、つまりは神権説的人格づくりなのである。もちろん、このことは公明党による政界進出においても赤裸々に現われる。

 こうして底辺大衆を組織し、そこから集めた金は大衆の救済に向けられず、組織の富、ないしは「軍資金」として、会員大衆をまさに支配する専制的権力のキメ手となった。
 営利虚業集団は宗教法人という無税経営団体を最大限に活用し、その結果手にした社会的、経済的、政治的パワーを、小ピラミッド型「王国」中に組み立てていったのだ。新興宗教の中で、最も徹底して中世的手法をもって底辺層を組織したところに、創価学会の異常な伸び方があったといえるのである。そこから、「池田天皇制」「現代王国」というべきものが生まれたのである。
 池田大作を頂点に典型的なビラミッドを形成した学会組織は、言論出版妨害事件を契機として、見せかけだけでも外の「梯型社会」に合わせようとする動きもでたことがある。それはしかし、あくまでも見せかけにすぎなかった。「梯型社会」のことを、私は旧著の中にこう書いた。 (『新・創価学会を斬る』曰新報道)

 「……この『梯型社会』の特色は、政界、官界、マスコミ界、学界というような新しいエスタブリッシュメント層、ないしは支配層とでもいえるものができたことをあらわす。もっともそういう支配層は私がかって『日本の椅子』(昭和三十七年、文芸春秋刊)の中でも描いたような相互依存の循環的無責任体系とでもいえる関係にあり、支配系列の中核をもたないルーズなもので、何だか『知恵の輪』にでもたとえられるようなものなのだ。しかもそういう新支配層と被支配層との間は多分に流動的である。上下の貧富の差もそれ程顕著なものではない。指導層といってもそれ程威張れるような社会状況にはなってはいない。縱の権威の序列は依然として崩れたままであり、その限りにおいては平等性というものはある程度までこの社会のなかに貫徹されている社会という意味をふくめて、『梯型社会』として……」

 池田創価学会が見せかけだけでも組織原理を外の「梯型社会」に合わせようとしたのは、「民主的外見」を装ったのだ。そうしたペンキ塗りかえのようなインチキ合理主義は、私が既に幾度か暴きだしてきたのだが、本質的なところは一貫して少しも変わってはいない。
     ----------(つづく)---------61

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池田大作をブッた斬る-13

2020-07-30 08:31:01 | Weblog

  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
・本書(1988年)から4年、1992年日蓮正宗から…第二次池田創価造反…創価学会・池田破門!
・我日本の柱とならむ 我日本の眼目とならむ 我日本の大船とならむ…日蓮・開目抄!
・私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、 思想文化いっさいの指導者・最高権力者である…私は現代の救世主である…釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である…世界の盟主である」etc (高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方、昭和40年・池田会長就任五年目・37歳:有紀書房)
宗教をかたる政教一体の欺罔・営利集団…この一凶を禁ぜよ!(本文中の赤文字・兼ブログ主)
    -----◇-----◇-----◇---
  (創価学会)
池田大作をブッた斬る  藤原弘達(日新報道)1988年(=昭和63年)

    ---------(以下、本文)-------54

 ◆ 池田本仏論信仰にならざるを得ないシカケ
 創価学会名誉会長・池田大作がこの組織における絶対的権力者であることは、改めてここでいうまでもない。公明党の実権を握っているのも池田大作なのである。
 学会・公明党という聖・俗をコントロールする池田の権力は、どのような土台の上に築かれているのか。
 一言にしていえば、それは数百万の無名・善良な大衆を中世的迷妄の世界に閉じこめた日蓮正宗信徒団体である。
 本来、日蓮正宗信徒団体であるからには、池田も、学会員も、等しく本山・大石寺、“大御本尊”の前では本仏・日蓮の弟子であって、俗世の階層、身分は関係ない。

 しかし、宗教法人・創価学会は、既に日蓮正宗・創価学会であって、大石寺宗門内にある他の信徒組織とは異質なものだ。
 それでは、創価学会は日蓮正宗における別派として自立しうるかといえば、目下のところ、その条件は未だ満たされてはいない。本尊は大石寺、教義は創価学会流に止まらざるをえない。
 このホンネとタテマエの使いわけで本山との関係を維持することは、絶対に不可能である。学会の本山離れ、つまり創価教の立宗計画は、今でも消えてはいないのだ。
 学会内で本山離れの構想を聞かされたことを、元学会員の羽柴増穂が書いている。(羽柴増穂「創価学会からの脱出」三一書房)
 
 「一宗一派の旗揚げ、つまり、池田教・創価王国構想に関しては、私も、五十二年当時受講していた“仏教大学四期生講座”で聞かされていました。ある日、宮本忠憲副教学部長から、そのころ、いろいろ論議されていた『仏教史観を語る』(編者注・五十二年一月第九回教学部大会における池田会長記念講演)の話のついでに、--
 『ところで、キミたちは、創価学会にとっての最大の敵はどこか、知っているか?』
 と質問を受け、ほとんどが、
 『共産党ですか……』
 『国税庁ですか……』
 などと反対質問をしたところ、
 『とんでもない--』
 と、しばらく 口をつぐみ、やがて宮本副教学部長は毅然として、
 『キミらは、仏大生だから話してもいいだろう……』
 と、若干、言い淀みながらも、
 『いいか、しっかり覚えておけ……。創価学会にとっての最大の敵は、宗門だ。つまり、お山だ--』
 とはっきり言い放ったのです。一瞬、私たちは唖然としましたが、宮本副教学部長はなおも決然と、
 『とにかく、日蓮正宗は、たしかに七百年の歴史と伝統はあるが、いまやまったく腐敗堕落し切って、僧侶たちは折伏もせず、もはや形核化している現状である。このときに当たり、池田先生がご出現なされ、現代に即応した新しい仏法を展開することになった。そして日蓮正宗を含めた一大宗教革命を行うため、すでに八王子に広大な土地を準備し、近く学会本部もそこに移ることになつている--』
 と言明したのです(当日のテープ保存)。

 そのとき、私たちは、すごいショックを受けましたが、--
 『いいか、だからキミらは、どんなことがあっても、絶対、創価学会を守れるなッ。池田先生をお守りできるなッ……』」
 日蓮正宗を含めた一大宗教革命を行なうなどという学会の大構想は、昭和五十四年の池田会長辞任、名誉会長就任で、ひとまず消えた。しかし、本山に詫びを入れ、会長から名誉会長に退いたのは池田流の雲隠れ戦術にすぎないのである。学会は本山を操りながら時至るのを待つのだという
     ----------(つづく)---------57
 

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池田大作をブッた斬る-12

2020-07-29 07:49:04 | Weblog

  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
・藤原弘達の警告“自公一体政権”…から20年、その主犯・池田は“生きる屍”10年!
・池田創価公明のタブーに沈黙する…マスコミ・有識者・野党に国民等々!
・麻薬に酔う自民党に、池田創価公明…今だけ 金だけ 自分だけ!
・新型コロナ・経済不況・中国の独裁に米中激突?……(本文中の赤文字・ブログ主付加)
       -----◇-----◇-----◇-----
  (創価学会)
 池田大作をブッた斬る  藤原弘達(日新報道)1988年(=昭和63年)
    ---------(以下、本文)-------52

◆ 地獄の恐怖をかきたてながら天国への可能性を説く
 人間は罪深いもの……とキリスト教は“原罪"を説く。解脱へ導く仏教はもともと“原罪”意識を説かない。日本に入ってきた大乗仏教は紀元前一、二世紀ごろ興ったものという。大乗仏教以後、仏教には救済思想が入ったという。 嫌倉仏教の中で、日蓮は多分に密教的で、解脱を目的とする仏教にむしろ近かったようだ。しかし、日蓮はいかにも新興宗教の教祖らしく、強烈なパーソナリティで仏の生まれかわりと自称した。日蓮本仏論である。

 ところで、キリスト教の"原罪"に関して、塩野七生の『神の代理人(中公文庫)に、次のような興味ある一節が出てくる。少し長いが、引用すると--
 「善良な人々に、犯した罪の数々をあばきたて、彼らを地獄の恐怖につき落とすのは、キリスト教会の最も得意とするやり方である。地獄への恐怖をかきたてながら、一方では天国へ行ける可能性をちらつかせるのも止めないのだから、ますます効果的というわけだ。
 キリスト教会が、中世期を通じて、どのように厳格な戒律で人々をしめつけていったかは、キリスト教徒の風俗習慣が頽廃したからだとする聖職者側の弁解だけでは不十分である。人間の本質は変わらなくても、それが罪だとされれば、その人間は罪を負うことになる。そしてこの告発者は、またも修道院から出た。
 ましてあらゆる罪とそれをつぐなう方法からなる戒律が、一人の人間の手になったのなら少しは論理的にも作れたろうが、何世紀もの間に多くの人々のこねまわした戒律は、常識では考えられないほどの怪物に変わっていた」

 考えられないほどの途方もない戒律の怪物が人々をいかに苦しめたことか。民衆は悩み、悪夢にさいなまれたのである。これを償う方法は、一種の苦行である。一生かかっても償いきれない難行苦行を何とか免れるにはどうするか? 
 ローマの教会は、金や不動産を出させて罪をあがなったことにする便法をつくった。金も不動産もない者は、ムチ打ちの苦行ときたのである。これが宗教のおきまりの手口とはいえ、ローマンカソリックはかくして「金と権力の法皇庁」となっていったのだ。

 「金と権力の亡者」と、創価学会をやめた元会員はいう。日蓮の格言は「真言亡国 念仏無間(無限地獄) 禅天魔 律国賊」と他宗をボロクソに批判する。創価学会は日蓮を本仏、つまり根本のホトケとし、“御本尊”を信じなければバチ、信ずれば功徳を与えるという。
 他宗、即ち邪宗はダメで、“御本尊”一途でなければ救ってやらない、とくる。キリスト教は“原罪”思想、こちらは“宿業”だ。宿業の転換のため折伏行に励め、“御供養”に励め、といった具合に入信者を駆りたてる。教会が金を苦行の代償とさせたように、創価学会は宿業の恐怖を与えて“御供養”(上納金)を取りたてた。

 なんと、中世と二十世紀の、ローマ教会と創価学会の、古今と東西が、期せずしてこうも相通じるではないか。創価学会の金集めはローマ法王と比ぶべくもないのだが、二十世紀の日本において、宗教法人の名に隠れた擬似宗教団体が虚業的営利を貪り、しかも一方では政治活動という権力行為をあえて行なう時代錯誤性こそ、私が厳しく追究してきた戦後的虚妄、つまりはペテン性の究極にある問題点である。
 イスラム教国のザ力ート(喜捨)とも似て非なる創価学会の財務は、まさに法をかすめる犯罪的行為--実体はユスリ、タカリの最たるものだが、これについては別項に讓る。
     ----------(つづく)---------54
 

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池田大作をブッた斬る-11

2020-07-28 07:25:33 | Weblog

  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
・学会員の入信(入会)動機とは、まず殆どがプライべートな私利私欲の充足期待であった。
・今や学会員は、(池田狂の狂信性で)公的救済である…地方選挙から国会選挙まで、日常的に駆りたてられる。選挙運動、票を読む(票集め)のは即、折伏行なのである。
・折伏=選挙運動は、学会組織雉持の自律的心理運動のようなものでさえある。

・公明党-創価学会=〇 創価学会-折伏(選挙運動)≒〇 ペタルを踏み続ける自転車操業!
 宗教政党は絶対悪なのだ!
(本文中の赤文字も 兼・プログ主) 
    -----◇-----◇-----◇---
  (創価学会)
 池田大作をブッた斬る  藤原弘達(日新報道)1988年(=昭和63年)
    ---------(以下、本文)-------47

第二章 創価学会の末期的病理を衝く
     --“ご利益”運命共同体のゆきつくところ
 池田大作の師匠・戸田城聖にいわせると、「日蓮正宗は七百年の歴史をもつ日蓮宗の正統であるから、断じて新興宗教などではない」のだそうだ。しかし、日蓮宗とて、鎌倉時代における一種の新興宗教であったことは間違いないところである。戸田は、日蓮正宗が日蓮以来七百年の歴史をもつといって、「七百年の伝統がある新興宗教なんかあるか」と豪語したわけだが、正宗はさて措き、「創価学会」はその信徒団体の一つにすぎない。

 信徒団体の一つである創価学会を、戸田と弟子の池田は、それなりの新・新興教団につくり直したのである。宗教法人・創価学会は、そういう新興宗教として戦後を生きてきている。戸田のいった七百年の歴史云々は、論理のスリカエか、ハクつけでしかない。しかし、ここで創価学会が新興宗教であるか伝統ある団体であるかを論じてみても、意味がない。日蓮正宗の信徒団体・創価学会は、歴史的重みをふっとばした一種の擬似宗教として戦後なるが故に蘇生してインスタントにつくられたことを指摘すれば足る。

民主主義の「落ち穗拾い」の意味
 では、その擬似宗教がいかにしてかくまで巨大な組織をつくりあげていったか、社会的背景と彼らの手法を、私は民主主義の「落ち穂拾い」と表現した。さらに具体的にいえば、敗戦後の日本で、没落した中産階級や、戦後労働運動の高揚にもかかわらず大企業労働組合組織の網にかからなかった人々=未組織労働者層、農村の次・三男で都市流入層といったところが創価学会を支えた大衆の根っこであったといえよう。

 彼らは大会社で大組織に属することもできず、大半は中・小・零細企業で働く底辺労働者とでもいうべき生活に甘んじざるをえなかった階層である。現在の学会は肥大し変身しており、必ずしもこのような階層分析はそのまま当たらないだろうが、戦後社会の変動期に独得の教義をもって底辺大衆層に分け入りそれなりの組織化に成功したのが創価学会といってよい。独得の教義とは即ち「南無妙法法華経」七字の題目で、現在安穏、後生善処間違いなし、という“ご利益”保証にあった。組織は即ち強引な“折伏行”だったのである。
 どのように底辺層の大衆が“ご利益”と“折伏”に魅せられたか、当時の大衆情念は、こんなふうに語られている。

 「私は、自分の学会時代を思い返してみても、学会員には、ある意味で被害者意識が強いものが多い。それと、一種、仲間意識というか、連帯感のような結びつきがある。同志的結束ほどではないが、私の経験からすると、寄り合い仲間だ。貧の泣き寄り、という言葉を聞いたことがある。
 私が群馬県から東京へ出てきた昭和二十七、八年当時は、まだ戦後日本は都会も貧しかった。
 それでも東京へ出ればメシがくえると、地方から若者が出てきた。東京ばかりでなく、大都会はそうやって若者を引き寄せ、若者の労働力を呑みこんだ。私は貧しかった。
 ある時、豊島公会堂で戸田城聖会長の講義があった。戸田会長がいった。

 『お前らメシ十分に食えるか? 靴ぬいで足あげてみろ』と。私たちはいわれるようにした。みんなボロ靴で、さらに靴下ときたら穴あきの、憐れなものだった。戸田会長は茶碗を口にもっていきながら『これは水じやないぞ、酒だ。おれは酒好きだから飲むが、お前ら若いもんは飲むな。おれのいうこと気に入らん奴、構うことないぞ、帰れ』やくざの親分みたいな口をきいた。そして、講義を続けた。今は食うや食わずでも、この信心さえやってけば、こんど生まれてくる時は、立派な大邸宅の坊ちゃんに生まれてくるんだ……こんなふうに戸田会長の講義を聞きながら、私はあおられていったのだ。
 学会員の家に連れていかれると、まだ賛沢なものは出回っていなかったが、腹いっぱい米のメシをたべさせてくれ、愛情らしき雰囲気で勇気と慰めを与えられた。折伏大行進で大躍進の時代のことだ。
 私は、焼跡時代に学会で生きる勇気を得たのである。しかし、戸田会長流の『生まれ変わり論』や『ご利益論』が昭和も六十年を過ぎているのに相変わらずまかり通り、おまけに池田名誉会長が本仏だなんていう学会では、情けない」(片山幸一=「私はこうして創価学会をヤメた」日新報道より)

 学会員の入信(入会)動機とは、まず殆どがプライべートな私利私欲の充足期待からであるといっていい。決して公的な問題のために入信したのではないということ、むしろそんなものはてんで無視されたのが、戦後の一般的社会風潮だったのだ。もはや、国家の公的救済の神話は完全に崩壊していた。大抵の人が個人的な私利私欲を巡る悩みでうめいていた、ということだ。
 何かすがりつく“強力なもの”を欲してやまなかった、といってもよい。「南無妙法蓮華経」七字の“幸福製造機”(本尊)が魅力的だった。私的幸福、私的救済のみを期待して信仰に入ってきた人達がそれほどいたとしても、決して不思議ではない。だから、創価学会が与えてくれる幸福と、自分で追求できる幸福とのバランスシートを考えるようになり、それが崩れた時、この巨大に見える組織ももろく崩れる可能性なしとしないのである。これを防止し、締めつけるものは、ひたすらなる狂信性以外にはないことになる。

 “ご利益”を説く一方で、バチで脅す。学会員は、ひたすら“ご利益”を得ようと信仰に熱狂する。そして、ドッグレースさながらの折伏に挺身したのである。前掲の『私はこうして創価学会をヤメた』に出てくる、若者相手の戸田の講義ぶり…一方で優しく手をさしのべ、他方でヤクザの親分のようなドスを利かせるあのイメージは、学会員自身が幹部になるにつれて身につけていく。折伏行は、こうして学会員自身を創価学会という“ご利益”共同体の中に縛りつける奴隸的献身の業的効果をもったのである。
 そして、今や地方選挙から国会選挙まで、学会員は日常的に駆りたてられる。選挙運動、票を読む(票集め)のは即、折伏行なのである。折伏=選挙運動は、学会組織雉持の自律的心理運動のようなものでさえある。ぺダルを踏むことをやめると倒れる自転車操業の典型ということだ。
     ----------(つづく)---------52

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池田大作をブッた斬る-10

2020-07-27 08:55:59 | Weblog

  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
・本日の「池田大作をブッた斬る-10」の後段…最大の問題は、自・公連合が日本的ファシズムへの決定的ステップになるということである…本シリーズ「創価学会を斬る!」藤原弘達、最大・最後の警告である! 
(本文中の赤文字・兼ブログ主)
・本書は昭和63年の著作で、平成20年から小泉・阿倍の自公一体政権…予言・警告的中20年!
・内憂・外患に、何もしない・できない=国家・国民なしの、小泉&阿倍長期政権の20年!
・後継総理候補者は…池田創価公明に土下座が必須か! 宗教政党は絶対悪だ!
      -----◇-----◇-----◇-----
  (創価学会)
 池田大作をブッた斬る  藤原弘達(日新報道)1988年(=昭和63年)
  ---------(以下、本文)-------39

 ◆ 公明党“総裁”池田大作
 公党としての公明党は、池田創価学会の“政教分離”に公式に呼応するなんらの声明も行なっていない。つまり、公明党の方はスポンサー丸抱えの政教一体に全く変わりがないということなのだ。
 そのことは、別の問題を質問された時、公明党委員長・矢野絢也も、ポロリと洩らしてしまうのである。(「週刊朝日」63・7・1号のインタビュー記事より)
 「はしの上げ下ろしまで池田大作さん、公明党は金太郎飴みたいに、どこを切っても池田大作さんが出てくる、というが、そんなことありまへん。支持団体だからそれなりの連絡、打ち合わせはある。それでなきゃ、選挙に負けますがな」(池田大作が党を私物化、という大橋発言に対して)

 「党は信教の自由をあくまでも守ると網領に明記しているから、宗教上の問題で池田名誉会長を批判したからといって処分するのは、なじみません。だが、僕らは信仰しているし、自分の票の圧倒的大部分は学会員さんの票だから、その指導者に感謝と敬意を払うのは当たり前だ。悪口をいわれたら怒りますよ」(公明党員は池田名誉会長を批判できるのかと問われて)

 矢野は党の綱領を持ち出してくるが、これでは綱領にある“国民政党”が泣く。完全に“学会員さん”に顔が向いている。池田名誉会長の悪口をいわれたら「怒りますよ」では、政教一体、語るに落ちる、である。私などからいわせれば、学会はいざ知らず、公明党が世間は政教分離を信じてくれたと思うはずはない。公明党ともあろうものが、委員長ともあろうものが、それほど素朴単純では困るではないか。公明党が今に至ってなお政教分離を口にするのは、“耳ヲ掩ッテ鈴ヲ盗ム”の類いである。

 池田は、自分が公明党のトップに就く時は「委員長」でなく「総裁」だといっているそうだ。
 公明党には陰に総裁がいるわけだ。しかもなおかつ、公明党はこれを否定し統ける。
 民社党前委員長・佐々木良作が、今年九月、朝日新聞(63・9・28、29〕に「一日生涯--証言・佐々木良作」を連載している。
 佐々木の回想中、昭和四十五年、言論出版妨害で民社党は国会で激しく公明党批判をしたにもかかわらず、当時の委員長・西村栄一が公明党も対象にした野党連合政権構想を突然発表し、党内で物議を醸した状況が語られた。その部分を引用してみる。

 「その裏には、公明党よりも創価学会を中心とした側から、西村さんや、私のところに『連絡』や『働きかけ』が何度もあったからです。中身は、西村流の大げさな言い方をすれば『行くところがないから、公明党を買ってくれというんじやないけれど、受け取ってくれないか』というわけです。(中略)公明党は四十五年六月二十五日の第八回党大会で綱領と党則を政教分離に合うような格好に変えました」
 「あの時、私のところにきた『使者』は木川田一隆さん(東京電力社長、経済同友会代表幹事)でした。木川田さん自身は政治的な動きをせん人ですから、私に会うたびに『佐々木さん、あなたはわかるだろう。おれは頼まれたんだぞ』と言うわけです。(中略)

 一方、西村委員長のところには、当時、創価学会の『お金』を預かっていた都市銀行のトップが伺ったようです。いずれの場合にも、『もとの人』がいたわけで、当然、その人の意を受けて来られたのです。(中略)『もとの人』はだれかって。向こうの責任者は、すべて池田大作さんだったと思います」
 四十五年三月、衆院予算委員会において、民社党の塚本三郎(現委員長)が池田大作国会喚問を要求し、公明党と激しく対立している。民社は、公明を全体主義的体質だと反発が強かった。
 池田講演で、学会の“政教分離公約”の後とはいえ、なぜ民社党の西村委員長が「使者」の話に乗ろうとしたのか--
 「池田会長の動きを『本気』だと見たからです。西村さんは最初、非常に用心深かった。ところが相手は政教分離--中道革新連合政権構想といった内々に伝えてきていたものを、次々にオーソライズしてきて、西村さんをして『これじゃ、逃れっこないや』という態度にしてしまった。
 池田さんという入は、政治家じゃなくて権力者ですよ。権力の中枢ではいろいろなことがあると思うが、なかには『(公明党は)もうええわ』という時もあってもいい。だからこそ、あの時(四十五年)にぐっと進んできたのだろう。ただ、オレらの方だって、そんなのを受け取るか、どうかというのは、相手を見ながらだと思いました」(同)

 昭和四十六年四月、まんまと騙され、コケにされただけで西村栄一民社党委員長に病死し、この公民連合構想は頓挫してしまう。昭和四十五年の「言論国会」をダメにした張本人の一人はこの西村栄ーだった、と私は確信している。西村の死後、党内後継者争いが続き、春日一幸委員長は四か月後のことになる。春日は公民連合には背を向けた。
 「……その後『池田という人は、大したオルガナイザーだなあ』という場面に、私自身がぶつかったことがあります。

 確か、昭和五十六年七月に、創価学会の四代目会長だった北条浩さんが亡くなられた時だと思います。委員長の私は、お通夜の晩、東京・信濃町の北条邸を、こっそり訪問しました。ところが、池田さんがでんと待っていましてね。そこに通されたから、びっくりして、あいさつしました。とたんに、池田さんは『わざわざ、きょうはありがとうございます。佐々木先生には、今後、特別いろいろお世話にならなきゃならんと思いますし、「政権」と言っていたかな--も担当してもらわなきやならん筋になります』、そういうようなことを言ってね。これからも政党レベルでお世話になるし『政権』もお互いにニラんでいきましょう。その場合もちゃんと顔を立てますよ、という打診だろうと思いましたが『どきっ』とするような物の言い方でした」(同)

 ともかく長くなった。以上、佐々木「証言」から引用したのは、改めて公明党“総裁”池田大作を説明せんがためではない。当の佐々木良作や西村栄ーのような民社党のトップだけではない。社会党の江田三郎、共産党の宮本顕治、さらには田中角栄や二階堂進のみならず、何らかの政治的野心に燃えたというと力ッコよいが、マトモではとてもモノにできないくせにやたらと助平の色気だけは旺盛なタイプの政治家が、この手の池田大作によるすり寄り作戦にまんまと引っかかって、屈辱の代償を支払わされているのだ。プロの女性の色じかけのような手口が、この佐々木「証言」に生々しい。池田大作にまんまと編されないための政治家必読の教訓を含んでいる。

 創価学会・公明党の政権獲得構想が現実味を帯びてくるに従い、公明党に対する池田のコントロールは一層強くなろう。公明党が野党第一党になるか、或いは政権参加がぐっと近い射程距離に入ってきた場合、池田が公明党をどう動かすか。佐々木証言は、政界のインサイド・ストーリーというより、いわば現場の感覚をまこと生々しく語っているのである。この「証言」の確度は高い。
 最近の俗語ふうにいえば、「ギョー界人」(電波マスコミ、芸能界人種を指すらしい)感覚(政界を「ギヨー界」呼ばわりとは不謹慎、というなかれ。リクルート疑惑のみでなく、公明党行動様式の分かりにくさ、不透明さはギヨー界感覚でみた方がいい)が佐々木証言には確かにあるのだ。

 公民連合構想はついえ、社公民連合も霧散し、それに創共協定、二階堂擁立劇というように二転、三転しながら、このダマシ作戦はしぶとく、ハレンチに続けられている。ガラにもない政治的色気のためにまんまと大作の色じかけに引っかかったバ力政治家どもの老残の醜態のみをさらした。一度あることは二度ある。二度あることは三度か。「もう、いい加滅にせんかい」と叫びたいのは、田中角栄にだけではないのだ。
 自民党独裁、長期単独政権にスキあらば打って出るという公明党は、保守体制補完の大いなる役割をもっている。
 最大の問題は、自・公連合が日本的ファシズムへの決定的ステップになるということである。

 二度あることは三度ありうる。「三度目は喜劇」という言葉があるが、公明党の政権スリ寄りが政治的喜劇であるうちはまだよい。
 しかし、三度目がこなくてもひ弱い日本の議会制民主主義にとって、国民にとって大悲劇をもたらす可能性はいよいよ大きい。いやしくも、そのような動きに対しては、国民総監視下におき、今や麻薬やエイズなみに取り扱う必要があろう。昭和六十三年の創価学会・公明党問題のポイントは、このことにつきるのである。
     ----------(つづく)---------45

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