『サヨナラ 私の池田大作』--女たちの決別--
創価学会・公明党を糺すOB有志の会 編著
2013/7/3 人間の科学新社
おわりに--最強の「婦人部」を検証する
創価学会・公明党を糾すOB有志の会事務局長 古谷博
宣徳寺総代
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◆ 何故、婦人部は最強と言われるのか
何故、婦人部は最強と言われるのか?それは池田大作との強固な結びつきによる。
一九六〇年、池田大作が三代会長に就任し、更に「婦人部」への期待が高まっていった。
池田は、婦人部幹部会の席上、戸田会長が指導された「広宣流布は婦人部の手で」をしきりに使い、「婦人部は信心強盛で一家の太陽である」などと宣揚していった。また、いろんな会合で婦人部員をくすぐるような言辞が多用した結果、婦人たちは次第に池田神格化路線へと傾倒していくのである。
「女たちの決別」に寄稿された婦人たちの体験にあるように、毎日の会合の度に「今日も元気で」の中の「先生♪ 先生♪ われらの先生♪~」と歌うことにより、池田に対する思いが募り、感動すら覚えるのである。
知らず知らずのうちに、MC(マインドコント口-ル)による催眠状態となり、身を焦がすような状態となり、学会婦人たちにとっての池田の存在は、亭主よりも子どもたちよりも大事な人となる。
それでも一般人の感覚のように、生理的に池田を好ましく思えない人やただの小太りのおじさんと感じる人には、「とにかく池田センセーはすばらしい」と目を輝かせて話をする学会婦人部の姿は異邦人にしか思えないようだ。
◆ 婦人部に対する池田語録を少し列記する
・創価学会にとって最も大切な五月三日を「創価学会母の日」とした。
・「婦人部が健在であれば、学会は健在である」
・「婦人部は学会の柱である」その「婦人部を大切に」と繰り返し指導。
・十二月三日「妻の日」にちなみ「“微笑みの妻”の皆様に心から感謝を捧げたい」
・「学会活動は、自分が幸福になるのはもちろん、人も幸福にする。一家一族をも無量の福徳に包んで行く」
・「広宣流布のために、祈り、語り、動いた分、大功徳を受けることは間違いない」
・「創価の女性--なかんずく婦人部が盤石なところが勝つ。繁栄していく。それが勝利の方程式である」
これは一部の池田指導であるが、婦人部はその言葉に酔い、池田との共戦を誓うのである。“池田命”の婦人部は、「もし池田センセーが地獄に行くならば喜んで地獄に行きます」と胸を張る。また、池田会長講演集十二卷に「国会前で会長が“"死ね”といえば死にましょう。“生きろ”といえば生きましょう。」とあり、会員を“死”まで教唆していく手法こそがマインドコントロ-ルなのである。婦人部のマインドコントロールの呪縛の深さは計り知れないと思う。
もはや、信仰の世界ではなく盲信・狂信の世界に侵されているといえよう。オウム真理教や統一協会が反社会的活動をしたことで、マインドコント口-ルという言葉が一般的に知られるようになった。創価学会がカルト団体と定着してから随分経つが、学会員に対するマインドコント口ールの手法は、オウム真理教や統一協会の比ではない。
力ルト問題に精通する国際ジャ-ナリストの広岡祐児氏は「人の心の隙間につけ込んで、その人の精神に影響を与えていく手法です。つまり、相手を自分の影響下に取り込むんです」とマインドコント口-ルの手法について述べている。創価学会の最強軍団婦人部の実態は、“池田命”によるマインドコント口-ルの成果であると断言できる。
◆ 「香峰子(カネコ)」という大奥の支配者
いつの頃かというより、いつの間にか、何の役職もない香峰子夫人が、最高幹部や本部職員そして婦人部から「奥さま」と称され、名誉会長とは別格に崇められている。婦人部の中では特別の存在であり、その影響力は絶大といわれる。
ある地方に行った折、そこの方面長から飲みながら愚痴を聞いたことがあった。方面長は、同じ方面婦人部トップとの折り合いが悪く、その婦人から香峰子に些細なことを告げ口され、池田が来訪した時、万座の中でそのことを叱責された苦い経験を持つ。担当だった秋谷副会長(当時)に善処を相談しても、顔をゆがめるだけであったという。香峰子は池田への告げ口を地元婦人部に奨励していたのである。方面幹部は虎の威(池田)を借りているので、香峰子には必要以上の神経を使っているとの話しであった。
その香峰子が創価学会の会合など表に登場してきたのは、一九七五年頃からといわれている。海外に出かける池田に随行したり、組織の会合に参加していたが、その内、記念撮影などにも登場しはじめ、婦人部最高幹部たちを脇に押しのけ、中央の椅子に座るようになった。
◆ 私兵である公明党が国税に圧力
元来、創価学会の組織の伝統は、活動歴を最優先事項にしてきた歴史でもある。例外はほとんど皆無であり、それが美徳でもあった。
戸田会長も「戸田の命より大事な創価学会」と言わしめた組織の伝統を池田自らが破ったのである。私物化の典型は、ファミリーを学会幹部に登用させたことである。何の経験もない息子博正を副会長に抜擢したりしている。
そもそも「奥さま」という役職など学会内には存在しない。聞かれても誰も答えられないし、学会本部も何ひとつ説明責任を果たしていない。
私の後輩に本部事務総局の幹部H君がいた。H君は、経理に堪能な副会長であり常々、池田ファミリーに関する金の使い方を心配(国税が人ること)していた。ある会食会の席上、H君は担当の立場から池田夫妻に対して、金銭の流れについて意見を述べた。
池田の前で発言することにより、香峰子に注意してもらう腹積もりが、逆に池田から叱責を受け、その夜から失踪してしまった。池田大作は大慌だったが、行方不明になったH君は一年有余で戻り、やがて学会の外郭企業で仕事を与えられ、養われてしまった。いわば飼い殺しにされたのである。そんな例はあまりにも多い。
この事件などに代表される池田ファミリーの学会の私物化は、予てより国税から狙われていたが、矢野絢也元公明党委員長の「乱脈経理」にあるごとく、私兵である公明党が国税に圧力をかけて難を逃れている。
---------(279P)-------つづく--