創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会に未来はあるか?-11

2019-02-28 08:52:24 | Weblog

 〈「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相 〉  1979/昭和54
創価学会に未来はあるか     藤原弘達/内藤国夫    曰新報道出版
    ------(P.56)---(以下、本文)-------

◆ 学会会館の建設を何故急ぐのか
藤原 文化会館というのか、最近全国にいっぱいできているが、あれは創価学会の法人所有なのかね。
内藤 その辺が奇妙な例もあるんですよ。例えば、東京の目黒区に目黒文化会館というのがあります。これが一時期創価学会の所有物だったんですが、いつの間にか公明協会に売られていたんです。そして、公明党の別館のように使われていたんですが、それがまたいつの間にか民間の会社「拾伍」という組織に売られていて、今や結婚式場になっている。ちょうど田中角栄元総理の不動産ころがしが社会問題化しましたが、あれとまつたく同じことが創価学会でもおこなわれている。
藤原 宗教法人だと営利行為ができないから、名義だけ変えてるんだろう。
内藤 ぼくが最近痛感しているのは、なるほど法律というのは大切なんだなァ、というごく平凡なことなんです。というのも、後で話しますが、創価学会についてどんどん取材を深めていくと、われわれの常識ではとても判断できないことがいっぱい出てくる。そうした社会の常識の枠を越えた行為が現実におこった場合、そういう不測の事態に備えて取りきめをしておくのが法律なんだ、というあたりまえのことがわかってくるのです。

 先ほど会館の話が出ましたが、さらに問題なのは、創価学会の土地買い占めの全国的規模の膨大さなんです。いくつか例をあげますと、まず昭和五十一年に和歌山県の白浜温泉にあるホテル・ブルースカイの買収、これは現在「大洋山・関西研修道場」と名づけられて学会員の保養に使われている。その総面積は二万平方メートルを超す広大なものです。さらに九州の霧島・屋久国立公園には高さ十二、三メートルの「広宣流布の塔」つき「創価学会九州研修所」で、こちらは四万一千平方メートルだそうです。これがどんなに広いかは、東京の後楽園球場が約一万一千平方メートルですから、いずれもその二倍から三倍ということでもわかる。いくら民有地とはいっても、国立公園の中にこんな建物がどんどん建てられているのは、環境庁などへの公明党の圧力なしには考えられない。しかもこの時は、ある民社党の議員が、国立公園内にこんな景観をこわすようなものを建てるのはケシカラン、というので調査に行ったところが、創価学会の青年行動隊に入口で阻止されているわけです。国会議員の国政調査権も入れない、治外法権地区になってしまっている。
 さらに同じ国立公園である東北の十和田・八幡平の「錦舞山・東北総合研修道場」の場合は、十和田温泉郷から歩いて十五分ほど十和田湖寄りに入った、奥入瀬渓流の中でももっとも眺望のよいところに四万三千平方メートル。これも後楽園球場の三倍以上という広大なものでもっと広いところは、北海道の大沼国定公園内にある二代会長・戸田聖城氏の記念公園にすると造成中のもので、約六万七千平方メートル。後楽園球場が五つすっぽり入ってもまだ余裕があるというほど広いんです。

 その他、那須や富士山ろくにも一万平方メートルクラスのものがあり、全国の国立公園、国定公園、自然公園等々七か所を合計すると、のべ七十五万平方メートルという途方もない広さです。後楽園球場が七十近くも作れるということですネ。樹木一本動かすだけでもきびしく規制される国立公園の中で、公明党の圧力をバックにして、宗教団体の活動とはとても信じられないことをしている。
 しかも、いずれも宗教法人だから税金は一切かからない。こんなバカ気たことは、とても普通の常識では考えられないんです。

藤原
 そこが日本の税制の奇妙なところで、宗教法人の名がつくと一切税金がかからない。ぼくは、純粋に宗教的な活動であるならば免税してもかまわないと思うが、少しでも営利に抵触するような、あるいは宗教的なものから逸脱した、いま内藤君がいった国立公園を破壊して建てた記念公園なんてのはその最たるものだが、そうしたものには一般の企業並みにどんどん税金をかけろといってるんだ。そうすりゃ、大平首相のように、財源がないなんて泣き言をいわなくても十分余裕があっておつりがくるくらいだよ(笑い)。もっとも、自民党としては公明党に恩を売っておきたいから、目をつぶっているんだろうが、そういう巨大な財源に目をつぶって、マジメに働いている中間階級やわれわれのようなものからだけ取り立てようなんていうんだから、こりゃ大平首相も池田大作と同罪だよ(笑い)。

内藤 土地の問題もそうですが、初めに出ました会館の問題ですネ。あれは昭和五十五年に創価学会が創立五十周年を迎える、その時までに全国で四百か所以上もの研修所や会館を新増設しよう、という池田大作さんの大構想から始まっているわけです。
 すでに昭和四十九年からの四年間だけでも、全国で百五十か所以上もの研修所、文化会館、婦人会館、記念館、センター、クラブ、公園、庭園、墓苑、学校、図書館が新設され、増改修されている。この会館建設は曰本だけでなく、東南アジアから北米、南米、ヨーロッパにまで広がっているんですから、その資金力には驚かざるをえない。

 特にこの土地買占めで象徴的なのは、東京都八王子市なんです。ここ五、六年で八王子市の北端にある丹木町、加住町、谷野町、梅坪町の四町にまたがる山林や田畑を、札ビラ切って買い占めている。ご存知のようにここには創価大学があるわけで、この創価大学を中心に、噂では約三十万坪を買い占めたといわれている。おそらく将来は現在東京の信濃町にある学会本部をここへ移すんではないかと予想されるのは、たとえば、ここは自然環境に大変恵まれた“第一種住居専用地域”なのに、公明党の都議会議員が東京都や八王子市に圧力をかけて、高層ビルの可能なただの“住居地域”にしろ、とムリヤリ迫っているからです。
 地元の人たちにとっては、一種の恐慌なんですね。いつ“豊田市”や“日立市”のように、八王子市が“創価市”にカネで買い取られてしまうかわからない。豊田市や日立市の場合ですと一般の企業だけに、事業税であるとか雇用であるとか、それにイメージにしてもそれなりに納得できるものもあるが、これが“創価市”では税金は一銭も入ってこないし、市民はみな創価学会の信者と間違えられてしまう。
藤原 そこまで行くと、やはり大きな社会問題になるだろうな。そりゃ、「創価市」市議会議員の共産党員や社会党員なんていうの、みっともなくてやれたもんじやないや。自民党にしても民社党にしても、それは同じだろうがね。おそらく問題は、そこまで手を広げている一宗教団体の純然たる営利行為を安易に見逃がしている政党、行政、マスコミを含めた、すべての人の側にあるんだな。
 そうした会館が全国にできるということは、大石寺にとってはやはり脅威だろう。大石寺としては、そういった会館等を末寺にして、そこに坊主を派遣したいんじゃないかな。本願寺の場合は、そうして相続を認めることで今日のように全国的に広まったんだが、日蓮正宗の場合、相続を認めてないからね。末寺を乗っとられる恐れもある。

内藤 ただ、状況が現在のように学会員が“酔い”からどんとんさめてくると、今度は施設を維持するための金集めが難しくなってくる。そうすると、そうした会館なんかの不動産を逆に切り売りしていかなくては、といった状況も生まれてくる。
藤原 宗教法人の場合は、不動産にしろ、それによつて利益を上げていたのでは税金の対象になるし、法的にも不可能であるから、そうした目黒区の場合のように結婚業者などに場所を貸して、場所代という名目でビンハネする、という可能性はあるね。
内藤 そこにまた宗門との微妙な対立関係が生まれてくる。というのも、この目黒の文化会館の結婚式場にしても、司祭をやるのはみな背広姿の創価学会の幹部なんだ。これは完全な宗門の否定になっちゃうわけだ。ということが、今回の宗門と学会のトラブルを招いた一つの原因になっている。ところが、トラブルが一応落着している現在でも、それぞれの現場ではやはり坊さん不在で、坊さんを無視した形で在俗の学会幹部が司祭をしている。
藤原 坊主の方も、司祭をしなければそれなりの重要な役目がなくなってしまうからな。
     ----------(次回に、つづく)---------61

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創価学会に未来はあるか?-10

2019-02-27 09:17:22 | Weblog

 〈「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相 〉  1979/昭和54
創価学会に未来はあるか     藤原弘達/内藤国夫    曰新報道出版
    ------(P.52)---(以下、本文)-------

Ⅳ 変わらぬ、信者を食いものにする金権体質
◆ 北条就任とともに早速始まった金集め
内藤 池田大作さんは、ある面において凄い人だなァとぼくが思うのは、たとえば、創価学会というのは池田さんの指揮で会員を、いってみれば酔わせているわけでしょう。だからこそ、あんなに寄付も集められたし、正本堂も寄進できた。つまり、それだけ大衆の心をつかんで酔わせることができた、ということなんです。ところが現在では、心ある会員たちの酔いが、どんどんさめてきている。かといって、北条さんには大作さんのように、大衆を酔わせるカリスマ的テクニックはない。北条さんも大変だろうと思うんです。
藤原 宗教は金をとるために人の心を酔わせないとダメだからね。一種のエクスタシー産業なんだ。ご利益がすぐ現われるような、そういった現証になるものをいつもいっていないとダメなんだ。一種のダマシのテクニックが必要なんだよ。
内藤 つい先頃(昭和五十四年七月)も、そういった会員たちが酔いのさめた状況の中で、恒例の“広布部員”による金集めをしている。これなんかも、創価学会の体質がちっとも変わってない証明のようなものですね。

 かって二代会長だった戸田聖城さんは「創価学会は宗教でカネもうけしようとする団体ではない」「おさい銭箱のない、会費さえないのが、創価学会のいいところだ。信者を欺してカネをとるぐらい、世の中に簡単なことはない。しかしそれをやると必ず地獄におちるから、そういうことはいかん、というのが私の精神なんだ」とはっきりいっている。池田大作さんにしても、昭和三十五年の会長就任直後に「創価学会は、たった一銭のカネといえども、会員に迷惑をかけていない。広宣流布の日まで、学会のつづくかぎり、学会員のみなさんから、一銭も寄付をとったり、迷惑をかけるようなことは、絶対にしない」と明言している。それなのに、いま、金集めのひどさといったら......。

 広布部員というのは、戸田聖城さんの頃、昭和二十八年に“財務部員制度”というのをこしらえて、数少ないお金持ちの会員だけから集めるとしてスタートしたんですが、池田さんの代になると、いつの間にか金持ちだけという枠がはずされてしまい、“すべての会員から集める”というふうに変わってきたのです。昭和五十二年には広布部員と名称を変え、金額もアップしたわけで、まるで、いろいろな生産メーカーが値上げの口実に同じ品物の名称を変えるのと同じ手管なんですね。
 特に今回がひどいのは、一口一万円で、一人最低二、三口、しかも二、三歳の幼児にまで割りあてたり、まだお腹の中にいる胎児まで、つまり名前すらない人にまで広布部員だということで、寄付させていることですね。
 おそらく、こんな金集めの方法は、世界の宗教史上にも例を見ないほど苛酷なものだと思うんです。どんな封建時代や奴隸制の時代にあっても、お腹の胎児から税金を取り立てたなんて聞いたこともない。ましてや、それが精神の豊かさを求める宗教法人がそんなことをしているんだから、あきれかえるほかはない。
藤原 一方では水子供養だといって人口流産で死んだ胎児を供養しながら、他方では胎児にまで寄付を強要する(笑い)。
 創価学会がここまで仲びた一番大きなキメ手は、すぐにご利益がくるといった現証でしょう。ところが、経済の発展がにぶりだして、安定成長ということになると、もうキメ手がなくなってくる。そこで、お腹の子まで範囲を広げなくちやならなくなったんだろう。
内藤 創価学会を辞めた人たちに聞くと、創価学会がタテマェとホンネを巧みに使いわけていることがよくわかる。本部の方では三十歳以上の経済的に余裕のある人、といっておきながら、末端に行くと地区別に割り当てられて、しかも競争意識をあおりたてる。どこそこの地区はン百万円集めたそうだ、といった噂が意識的に流される。そうすると、あそこに負けないように信心しょうということで、カネ集めの範囲をどんどん広げざるをえない。生活保護を受けている人でさえ例外ではない。文字通りムシリ取るようにして、身ぐるみはいでいく。ぼくに泣いて訴えた母子家庭の女性なんか、小さな子供に洋服すら買ってやれない、それで娘さんが「母ちやん、学会に寄付するお金で、一度でいいから私の洋服も買ってよ」と泣きつかれたそうです。その人は、今考えるとなんてバ力なことをしたのかといって、すごく恨んでましたけど。

藤原 “養老の淹”チエーンの木下藤吉郎なんかは、逆に学会をうまく利用して大きくなったんだからな。「大変なご利益があったよ。だけど、後で金とられるのはバカバカしいから辞めたよ。同じ使うなら他の方へ使えばいいんだから」と平気でいっているくらいだ。だから利巧な人間は学会を利用して儲けているわけで、それは酔わないでさめていた部分なんだ。末端で酔っている人間には、利用なんてとても考えられない。だから、身ぐるみはがされてもまだ酔っているんだ。鰯の頭も信心からというけど、金権体質の凄さということでは、やはり類を見ないんじゃないかな。
     ----------(次回に、つづく)---------55

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創価学会に未来はあるか?-9

2019-02-26 07:01:05 | Weblog

〈「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相 〉  1979/昭和54
創価学会に未来はあるか     藤原弘達/内藤国夫    曰新報道出版
    ------(P.47)---(以下、本文)-------

◆ まだまだ人事権、財産権は池田の掌中に
藤原 会則は変わったけど、人事権は池田が握っとるんだろ。
内藤 それは池田大作さんがオールマイティよろしく、全部握ったままになってる。その辺も部外者のわれわれには不思議なことの一つです。
藤原 今度副会長をクビになった福島源次郎なんてのは、池田の腰ギンチャクだといわれていたが、その後どうなったのかな。
内藤 その辺はよくわかりませんね。ただこの福島という人は、宗門と創価学会の闘争の最前線にあって、池田さんの意向を代弁していた人だけに、本当は“冷やメシ”を食わせるのも難しいでしょうけど。
藤原 池田べッタリで、大石寺とのケン力大将だからな。池田が引っこめば行き場がなくなる。
内藤 福島元副会長は、池田さんの書いた『人間革命』を現代の御書であるといったり、池田大作さんをあたかも日蓮大聖人の生まれ変わりでもあるかのように、演出してきた人だけに、創価学会が“池田教”として独立していれば大功績だったでしようけど。しかし、なんといっても致命的だったのは、池田さんが長年の宗門との抗争に決着をつけるために、昭和五十三年十一月に学会幹部約二千人を連れて大石寺にお訖びに行き、当時の曰達上人も「池田会長の信心を信頼して」ということで、一応の妥協をした後の言動ですね。特に昭和五十四年三月の福岡県大牟田での、ぼくはこれが池田さんのホンネだと思ってるのですが、“大牟田失言”事件ですね。

 これは、三月六日に、創価学会の大牟田会館で大勢の学会員を前にして「坊さんがガーガーいってるのは、カツラなどをつけて酒を飲みに行ったり、御供養を派手に使ったりするのを、われわれがたしなめたため、いいがかりをつけてきている」と宗門との対立を説明しているのです。さらに、よせばよいのに念押しして、これは自分一人ではなく副会長全員の一致した見解だ、とつけ加えているのです。「池田会長さんの姿をみかけると、学会員が“ワーッ、会長先生だ”といってかけよるのに、日達猊下(故人)には、どこかのオジイサンが歩いている、といった調子で見むきもされない、それで坊さんがシットしているんだ」「本山への登山にしても、まるで旅館業のようになんでもカネをとり、髙ぃ。これに比べると学会の会館ならタダで、一銭もとられない」と、文字通り、彼らのホンネをぶちまけたことにあるんです。
 結局、今回の池田会長辞任にしても、この福島発言がダメ押しとなったようなところもあって、断定はできませんが、もしもこの発言がなければ、だいぶ様子は違っていたかも知れない。
 とはいっても、池田さんにしてみれば、最も可愛がっていた人物ですから、失言したからといって、完全に干してしまうわけにはいかない。その辺が悩みなんじやないかと思っています。

藤原 学会の財産は二兆円とも三兆円ともいわれているが、大石寺との抗争も、結局はお互いが自分の金だ、オレの金だ、といい張ったところにあるわけだな。
内藤 今度の学会の会則変更でも、学会批判派の僧侶たちや信徒団体が指摘していることの一つが、その点ですね。例えば、規則の三十五条には「この法人解散後の残余財産は、役員会においてその定数の三分の二以上の多数の議決により決定されたものに帰属する」となってますが、その役員会の人事権を池田大作さんが握っている以上、自分の意見に反対するものを任命するわけはないから、事実上、池田大作さんの思い通りになってしまう、ということです。
 宗門側としては、便宜上、創価学会が宗門とは別個の宗教法人になることを認めはしたが、日蓮正宗の信徒団体であり、信仰の対象である。“ご本尊”や“教義”の展開もすベて宗門に頼っているではないか、ということになる。しかも創価学会の財産のすべては、一般の学会員がこの“ご本尊”さまに“供養”したものである。したがって仮にの話、将来創価学会が解散することがある場合には、すべての財産は日蓮正宗宗務院に帰属するとはっきり明文化せよ、と強く主張しているわけです。
藤原 坊主ってのは基本的に欲張りなんだから、仏さまで集めたものは仏さまがもらうべきだ、しかもタダでもらうべきだ(笑い)というのが、彼らの確固とした信念なんだから、必ず執拗にやってくるよ。

「最高教道会議」の中身
藤原 ところで「最高教道会議」というのができたそうだが。
内藤 これは先ほどもいいました「日達上人が死んだのは、バチが当たったからだ」と、学会の下部でいわれたりするのをチエックしょうということと、それともう一つは、学会のホンネとタテマエの違いというか、教義の逸脱を常々チェックし、修正していこう、ということでつくられた組織です。
藤原 そこで池田大作は大謗法であるとか、そういった戦前でいえば内閣に対する枢密院のようなチェック機能までは、ないんだろうね。
内藤 池田大作さんはここには入ってないんです。名誉会長はメンバーに入れないんです。ただ面白いことには、宗門の中でも、とくにきびしく創価学会を批判している僧侶が何十1人かいるのですが、それらを代表する数人の僧侶と学会の中でもとくに池田さんの信任の厚い若手幹部とが、密かにしばしば会合を重ねているのです。この「最高教道会議」が設置される前にもね。そして、そこで何が話し合われているかというと、池田大作さんが会長を辞めるから、宗門の方でも、いま進めている檀徒づくりを止めてくれないか、といったつっこんだことなんですね。
藤原 そうなると、この最高教道会議というのも、結局は大石寺と創価学会のナワバリ協定会議、といった感じになってくるな。
     ----------(次回に、つづく)---------51

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創価学会に未来はあるか?-8

2019-02-25 07:14:25 | Weblog

 〈「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相 〉  1979/昭和54
創価学会に未来はあるか     藤原弘達/内藤国夫    曰新報道出版
    ------(P.44)---(以下、本文)-------

Ⅲ 学会組織に何が起こつているか
◆ 突然の会則変更のうら側
内藤 池田大作さんの会長辞任に伴って、創価学会は新しい規則「創価学会会則」と「創価学会規則」を、初めて「聖教新聞」紙上に発表したのですが、今まではわれわれ部外者はもちろん、一般の学会員にさえ会則を知らされなかったわけで、ちょっと昔通の常識では考えられない組織だったわけです。まあ、遅きに失っした感もあるのですが、ともかく、今回、一般の学会員に会則が公開されただけでも大きな前進であるとは思う。ただ、例によって池田大作さんは、自分の場合は終身会長だったのを、今度は「会長の任期を五年とする」と改めさせている。しかも自分が就任する名誉会長には任期がつかずに、終身名誉会長になっている。ぼくの得た情報では、この会長と新会則を論議した一連の会合で、池田さんは、「これからの会長は五年きざみだ。五年ごとに会長を変えていこう」と発言しているそうですが、言外に、新しい会長を任命するのは、ほかのだれでもない、自分なんだ、といった自信のようなものがあって、池田ワンマン体制は相変わらずです。

藤原 会長を終身から五年にしたのは、それだけの時間があれば自分の息子を会長にできる。いわば会長にするための布石だ、といった噂もあったね。あるいは、北条は二期十年もやれば六十五歳になる。池田はその時六十一歳だし、自分がまたやるにしろ、息子にやらせるにしろ、それで十分だという読みがあるように思えるね。
内藤 この学会の会則を変えるということでも、それこそある日突然に「聖教新聞」紙上に、これからの学会の会則はこれですと、いきなり決定版が発表されるわけで、今までの会則を知らされていない一般会員には、どこがどう変わったのかもまるでわからない。その辺に、われわれ部外者には理解しがたい、常識を越えた問題があります。普通、われわれの社会常識みたいなもので判断しても、どんな組織にしろ、まず“案”が出されるはずです。
 これこれこういう事情で今回会則を変更したい、ついてはこの部分をこのように変えたいがどうかとね。そこで大衆討議にかけられ、修正意見が出されて、上の方にあがって会議にかけられ本決りになる。そういう手続きを経たうえで、その会則に拘束されるのであれば、誰もが一応納得できる。ところが従来までの学会では、会員にさえ会則が知らされていないんだから、一般会員は内容を全然知らない会則に拘束されていたことになり、まるで中世の農奴よりもひどい状態におかれていたことになる。その点では、今度の会則や規則公開は一定の前進があるわけですが、それでも、どういう論議があったかの、中間にかけてのプロセスがすべて闇の中につつまれており、ある朝、目覚めたらいきなり今日からこの会則でやっていきます、と提示されているわけです。ということは皮肉に考えると、池田大作さんの都合に合わせて、またある日突然会則がこのように変わりました、会長は五年制から終身にします、名誉会長は廃止して池田大作会長体制に復帰します、ということも起こりかねない。やはり根本的なところをあらためないかぎり、表面のツジツマだけ合わせてみてもダメなんですね。

藤原 外見的に一番民主的だといわれていたところが、内実において一番民主的でないわけだ。
 そこには、検討の余地もなく、代案もない。相対化されたのは大作の人気だけで、集団指導制にしたといっても、組織の根本理念が変わらないかぎり、なんの変化も起きてこない。
内藤 形式的には最高幹部クラスを集めての会議のようなものはあったのでしようが、内容が今までと同じで、すべて“殿ご一任”主義ですから、池田大作さんが「こうしよう」といえば、すべて「ハイ、そうしましよう」といいなりになる組織である以上、実質的には単なる事後承認、報告会のような会議でしかない。
藤原 つまり上から下までやはりタテ一本の線だけでつながった組織なんだな。外部に対しては大衆討議みたいにしてるけど、内部については何もない。座談会方式をとり入れたり、信者獲得のために、いろいろ大衆討議らしきものをとり入れてはいるが、内容は一方通行の報告会だからな。こういうご利益がありました、入信したらこんなに得がありました、という“欲と得”の報告会なんだ。それでちょっとでも外部から批判すると、すぐに大謗法ということになる。ぼくなんか、ずい分と非難されたらしいよ(笑い)。
 昔の軍隊、あるいはゲー・ぺー・ウーの組織と非常によく似ていると思うワケね。だから組織化すればするほど、創価学会というのは、組織としてはダメになっていくんだよ。
     ----------(次回に、つづく)---------47

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創価学会に未来はあるか?-7

2019-02-24 09:05:54 | Weblog

 〈「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相 〉  1979/昭和54
創価学会に未来はあるか     藤原弘達/内藤国夫    曰新報道出版
    ------(P.38)---(以下、本文)-------

◆ 興から亡の時代へ
藤原 これからどういう形で生き残るにしろ、やはり率直にいえば、池田大作の時代という、一つの時代は終わつたんだ、といえるなぁ。
内藤 どうやら、そのようですね。だからぼくは創価学会にとって“興”の時代が終わって“亡”の時代に入ったと。藤原さんはもっと前からいっていましたが、あれにはずい分学会の人たちは力チンときていたようですよ。絶対に“亡”はない。もし、“亡”にならなかったら、内藤さんはジャーナリストとして責任をとれ、という声も耳に入ってくる。
藤原 ぼくは、すでに“興亡”を論じる時代から“末法”“滅法”の時代に入ってるんじゃないか、といったと思うんだが(笑い)。
内藤 興亡の亡の時代に入ってる、というのは、実は、ぼくの観方というよりも、学会の幹部がぼくにそういってきてるんですよ。
藤原 それは“政教分離”を口にした時に、既に起こっているんだ。たてまえ上も、戦後の国家の最高機関である国会・公明党という尖兵を送って権力とつながっているんだ、といった立場をとっていたのが、日蓮正宗のいうところの現証になっていた。ところが、たてまえ上もこれを別にしなくてはならない、ということになると、1つの力が二つに割れてしまう。当然、社会的なインパクトの力が弱まる。池田大作にしても、外見上は皆が押してくれれば政治に出てもいい、といったポ—ズだったが、内心は猛烈に政界に出たかったに違いない。それが、あの言論妨害事件でチャンスをつぶしてしまった。他にも、折伏と選挙が今までのようには直結できないというマイナスも出てくる。彼らの選挙活動、布教活動にはものすごいマイナスになっていることは間違いないなぁ。

内藤 もうひとつはリーダーの継承の仕方がある。東本願寺の場合は、親鸞上人の血縁が代々リーダーを続けているわけでしょう。その血を引いた人で、何代目かにバカ殿様が出てくると、必ず東本願寺は揺れたりする。今の十年扮争も、そういう揺れ方でしょう。
 血縁者が連綿として続く、というのもトラブルのもとになりうるけど、今度の日達上人から阿部上人への継承にみられるように、日蓮正宗では血脈相承といって、他の宗教団体にはない継承方法をとっている。これは我々の正しさの証明なんだ、と自慢しているわけですけど、ようするに血縁でなく、信仰のつながりでリーダーが継承されていくのが特徴です。
 まったく同じことが創価学会にもみられるわけで、もし池田大作さんが自分の息子を次の会長にしょうと画策したりすると、きっとトラブルが持ち上がるに違いない。というのも、池田さんが死んだから現在の北条会長が選ばれたのではなく、池田さんが自分の誤ちを一切認めずに、あいまいに形式的に引退のポーズをとつたので、そこにいろんなマサツが生じる。

 全宗門が批判しているのも、池田大作さんは間違いを犯したんだということを、学会員にもっとはっきり知らせろということです。今のように池田大作さんはあくまでも正しかったんだというのでは、じゃあなぜ会長の座を降りねばならなかったんだ、という素朴な疑問にさえ答えられない。
 そういった意味では、ぼくは自民党の派閥抗争の方がまだしもましだろうと思うんですよ。

 というのも、自民党の場合は、ともかくも我々の眼に見えるわけだ。次のリーダーがなぜ三木さんから福田さんになり、さらに福田さんから大平さんになったかが国民によくわかる。そういう派閥のリーダーの選ばれようが必ずしも百パーセント正しいというのではないが、自民党に派閥があるのはマイナスだけではない。派閥間抗争が公然化し表面化しているのは、シニカルにいえば自民党の良さ、安心できる面でもある、とさえいえる。
 ところが創価学会の場合、リーダーが池田さんから北条さんに突如変わる。しかも、その背景や理由は、あいまいにぼかされたままだ。とすると、我々にはかえって、眼に見えない裏面での陰惨な権力闘争のような疑惑さえ感じられてくる。
藤原 池田は自分の子供を、本当に会長にしたいと思ってたのかネ。
内藤 少なくとも一時期、創価学会の内部では意識的に演出されていましたからネ。池田さんの出席できない集会や会合に、会長代理ということで、かなり頻繁に顔を出したりしていましたから。
藤原 惜しいというのは、財産だろうし、権威だろうし、今日の学会を自分でつくったという意識だろうネ。
 だいたい日蓮という人物は、生涯で数えきれないほど予言しているんだが、例の元寇以外は全部はずれているんだ。ところが、どんなに予言がはずれても、基本的には絶対間違いを認めない。そういう無謬性の信念が日蓮の原点にある。だから日蓮正宗というのは、最終的には一人一派、一人ずつでしか担えないのじやないかと思う。ところが日蓮のある面での偉大さは、一切の宗派を作ることを否定している点なんだ。大作はこの日蓮の教えに反する大謗法ということになるんだ。

内藤 宗教とか信仰というものは、一人で信心すればいい、というのを否定したのが創価学会なんですよね。彼らは集団で信じることを重要視し、集団化して、集団で酔って膨らんでいった。ところが、宗教の根本は一人になっても信じるかどうかである、その辺にもジレンマがあるようです。
藤原 日蓮の時代は、宗教と政治という社会的な力というものが一体であるのが普通だったんだよ。宗教それ自体は一人一人の内面的なものが原点であるとすれば、日蓮宗というのは、それをブチ破ろうとしたところに、あの時代における画期的な意味があるんだ。そこが日蓮宗と他の宗教との根本的な違い、独自性でもある。曰蓮は大師になりたかったし、鎌倉幕府のコンサルタントにもなりたかったと思うんだよ。そうしないと、自分のいっていることすべてがダメになったんで、身延へ引っ込んでしまった。そこで今度は国立戒壇へもっていかなくちゃいかんと、新しい使命感はもっとるんだ。

 だから創価学会としては会員をふやし、信者をふやし、公明党をつくって権力に肉迫して、そういうことを正当化せざるをえない。そこへあの言論出版妨害事件で、たてまえ上は分離して別のものになった。そうすると、今度はどんな現証、ご利益を与えるか、といった新しい難題が残されてくる。
内藤 そうすると、やはり言論妨害事件以後、亡の時代に入ってるということになりますか。
藤原 ぼくはさっきもいったように、十年も前から亡だと思っている。むしろ今や末法、滅法だよ。どんなにかざりたててみても、中身はゴミのようなものさ(笑い)。
     ----------(次回に、つづく)---------43

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