--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
(本文中の赤文字・下線・太線=兼ブログ主編)
大阪都構想の住民投票、その後の政局が面白い!! 昨夕、僅差で反対が勝利!!
・創価・公明の“常勝関西スイッチ”点灯なし、最後まで…池田創価・公明になし?!!
・全国の創価学会・公明党「新コロナ 一緒にきたか 池田狂」…常勝関西は妄想だったか!!
・自民大阪府連へ…関西六小選挙区に刺客・対抗馬を送れ!!…雌伏??年の挽回だ~!!
・次回の大阪市長選挙も維新から取り返せ!!…雌伏??年の挽回だ~!!
創価と公明党は政教一致!!・政教一致は憲法違反!!・悪の天才・池田の常勝関西は妄想!!
宗教=“独善と無謬”・政治=“自由と民主的”は、アクセルとブレーキ・水と油…で絶対悪!!
藤原弘達 創価学会を斬る 41年目の検証
言論出版の自由を守る会編 日新報道 2012=平成24年
人権侵害・政権簒奪・歴史改竄
創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
--目次は第3回目に掲載--
------(P.197)---(以下、本文)-------
4. 宗教ファシズムの恐怖…カルト体質、批判拒否、敵対者攻撃
(~概説・前掲~ 以下、創価学会のカルト性に言及した各種の論考を紹介する。)
①「巨大カルト」創価学会の危険度
② フランス国営放送ドキュメンタリー
③ 口汚い言論攻撃の温床--池田大作の教唆扇動が発生源
言論出版妨害事件に象徴される創価学会の独善的で排他的な体質は、「聖教新聞」や「創価新報」などの機関紙誌で、自らに批判的な立場にある人物や団体、政党、出版社等を罵り続けることにも象徴的に現れている。
平成一五年時点におけるそれらの記事には、他者の人権や名誉に対する配慮などは微塵もなく、「愚劣者」「極悪べテン師」「へビ」「薄汚いドブネズミ」「人間の皮をかぶった畜生」「金の亡者」「酒乱・女狂い」「クズ野郎」「クズ雑誌」「デマ出版社」「ガセネタ屋」「異常人格」「前科者」「学歴詐称」「クソ坊主」「インチキ坊主」「デマ政党」「宗教弾圧議員」などの、およそ宗教者とは思えぬ口汚い言辞が並び、竹入義勝元公明党委員長や山崎正友元創価学会顧問弁護士をはじめとする造反した幹部や議員、阿部日顕日蓮正宗法主や日蓮正宗関係者、「週刊新潮」や筆者、そして共産党や民主党の一部議員などに対する悪罵が書き連ねられている。 (~以上、前掲 P.222)
◆ 仏教用語を恣意的に解釈
だが、池田氏はこうした点には委細かまわず、我田引水的・恣意的に仏教用語を曲解し、自己の言動を正当化する根拠と位置づけている。
そうした御都合主義的な用語解釈の最たるものに「仏法とは仏と魔との戦い」との言葉がある。
これは創価学会を「仏意仏勅」の正当な仏教教団、すなわち「仏の勢力」と位置づける一方で、創価学会に仇なすものを「魔=仏敵」と位置づけ、「仏法」は絶えざる「仏の勢力と魔の勢力」の戦いであるとして、創価学会による批判者攻撃。対立者攻撃を正当化する考え方である。
衆議院選挙の過程で、池田氏は「聖教新聞」紙上に随時、「随筆 新・人間革命」を掲載したが、その中でこの「仏と魔との戦い」という言葉を多用した。もとよりここでの使用目的は、「仏の勢力」である創価学会が推す公明党候補の当選を阻害する「魔」を断固としてうち破れという意味である。
「仏法は仏と魔の闘争 善が勝つか悪が勝つか--その熾烈な精神の闘争、邪悪との戦いが仏法だ」(平成一五年一〇月二二日付「聖教新聞」「随筆新・人間革命」)
「『人生は仏と魔との戦いである』と、釈尊(釈迦)は示した。蓮祖(日蓮)は、「仏法は勝負である」と説かれた。負けぬために、正しき信仰がある。勝つために正義の信仰がある」(平成一五年一一月五日付「聖教新聞」「随筆新・人間革命」)
「仏敵」である「魔」は「極悪」であり、「犬畜生」に劣る。当然、人権など顧みる必要などないということになる。こうした手前勝手な理屈が、創価学会の批判者・対立者への口汚い言論の温床になっているのである。
◆ 検事や学生に「復讐」を扇動
さらに池田氏は創価学会の活動の基軸をなすのは、「復讐」であると、「復讐」教あるいは「怨念」教さながらの言説も繰り返している。例えば昭和五一年八月二二日、池田氏は神崎武法氏(元公明党代表)ら、「自然友の会」と呼ばれていた学会員検事のグループと面談した際、次のように発言している。
「私が戦ったのは、戸田先生の復讐のためだけだ。革命とは復讐戦だよ。戸田先生は、牧ロ先生の復讐のために戦った。私の復讐は弟子たちがやるんだ」
同様に平成八年一一月三日に創価大学で開催された「創価同窓の集い」の席上、次のように話している。
「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧ロ先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るために立った。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ」
これに先立つ昭和四一年九月号の「前進」(幹部用テキスト)にもこうある。
「戸田先生や牧口先生の仇をうつために、(私は)会長になり、立ち上がったのである。あとなにもない。これが師弟の道です。これが同志の契りです」
学会員の検事や創価大学のOB・OGに「復讐戦」「仇討ち」を命じる池田氏。こうした指導を受けている学会員検事が、仮に創価学会が新潮社や筆者など創価学会と対立する人物や団体を名誉毀損罪で刑事告訴し、その担当となった場合、公正・公平な態度が担保されるのだろうか。
平成一一年の自・自・公連立政権成立以来からすでに四年。この四年間に限っても冒頭で記載したように創価学会は、自らと対立する立場の人物や団体を口汚く罵り、激しい攻撃を加え続けているが、そのすさまじいばかりの「怨念」は、すべて「永遠の指導者」である池田大作氏が発生源なのである。
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