創価学会に未来はあるか--藤原弘達/内藤国夫 日新報道出版
「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相 1979年(=昭和54年) ¥900
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第Ⅰ部 創価学会の中身は何も変わっていない
日達上人の死で創価学会はどう変わるか
◆ したたかだつた日達上人の政治力
藤原 『創価学会を斬る』を出してからもう十年になるが、ぼくとしては創価学会は池田教的な戦闘性やカリスマ性を失って、だんだんこれまでの新興宗教のように民衆の中に溶け込んでいき、いわば人畜無害型になればまあそれでもよいと思つていた。
ただし、自民党が過半数を割るとか、公明党が妙な形で勢いづくとかいったことで、政治状况が急激に変わつてくればその時に応じて考えるというのが基本的態度だつたんだが、昭和五十四年四月二十四曰の池田大作の創価学会会長から名誉会長への退陣と、昭和五十四年七月二十二日の日蓮正宗第六十六世日達上人の死と、このところ大波が続けざまに起こってきた。そこで今後の残された問題の焦点の一つは宗門と学会の関係ということだが、一般会員にもなんらかの影響はでてくるだろうね。
内藤 たしかに、日蓮正宗大石寺と創価学会との関係がこれからどうなるのか、どう変わっていくのか、創価学会を出た人も、残った人も、非常に迷い、悩んでいるのが現状だと思うんです。ぼくのところへも、そういう疑問を訴えてくる人が非常に多い。そういうことへの疑問にも答えられるように、これから討論を展開したいわけです。
たとえば、大石寺と創価学会の関係にしても、いろいろ悶着があって、昭和五十三年十一月七日に、池田さんが学会幹部二千人を連れて大石寺に参詣し、日達上人に詫びを入れ、これからは真の“僧俗和合”への前進を誓っているわけです。
ところが、こうした非常にキレイごとを並べている反面で、たとえば日達上人の死にしても、学会の集まりでは「それ見ろ!! 池田先生をあんなにいじめるから、バチが当たって死んだんだ」といっているわけです。
藤原 やはり宗門の頂点に立つ人はそういったことをいわれるもんで、まあ、何としてもことの良し悪しは別として、妙なことをいおうと思えばばどんなふうにでもいわれる宿命にあるんだよ。日達上人はとくにね。われわれだって、何をいわれるかわからんから、まあうかつには死ねんということだよ、お互いに(笑)。
内藤 日達さんという人にぼくは会ったことがないんですが、大変な政治家だったようですネ。二枚腰、三枚腰ではないけれど、二枚舌、三枚舌の持ち主だった。
学会に対しては学会を持ち上げるような発言をし、反学会派の会合に行っては、かなり厳しい学会批判をする。どちらが本音なのかわからないところがあつたんですが、やはり本音は学会批判だったろうと推測するんです。しかし、学会を切ってしまったのでは、財政的にも日蓮正宗は成り立たない。そこで学会と反学会派とを自在に操ってきたのではないだろうかと、その点でもかなりしたたかな人だったようですね。
ぼくの聞いたエピソードでも、まだ創価学会が上昇期にあった頃の話ですが、池田大作さんが、親子ほどにも年齢の違う日達上人を、まるで子供を叱るように怒鳴りつけたことが、しばしばあるんだそうです。日達上人は「池田がワシのことを、大衆の面前で小僧っ子のように扱いやがって」と、肩をブルブルふるわして怒っていたというんですが、こんな話を聞くと、やはり本心は学会批判だったように思えますネ。
藤原 次の大石寺の管長になった阿部さんというのはどんな人物なのか、ぼくはよく知らないが、日達上人の面目はこの後継者の決定に際してでていたというが……。
内藤 日達上人がしたたかだなァ、と痛感させられるのは、まさにこの自分の後継者を決めた場合にも出ていますね。
六十七世の法主上人になった阿部さんは、伝えられるところでは、学会寄りでもないが、批判派でもない。日達上人と同じ中立的な立場の人だろうといわれています。この人を後継者に決めたのが、昨年(昭和五十三年)の四月なんだそうです。ところでこの四月がどんな状況だったかというと、宗門が創価学会の日蓮正宗からの逸脱言動について総点検し、是正せよということで、質問状を突きつけて厳しく迫っていた頃です。
この質問状の結果が、例の六月三十日の「聖教新聞」紙上での“お詫び”ということで、路線修正につながっていくわけですが、こうして創価学会を非常に厳しく批判している時に、秘かに自分の後継者を決めていたんですね。
それも、従来までの既定路線でいけば、当然の後継者視されていた早瀬さん(当時総監)が、創価学会寄りすぎるということでこれを後継者から外し、より中立的な阿部さんを秘かに決めていた。これは非常にしたたかな態度だろうと思うんです。
阿部さんという人は、中立、温厚、慎重な人らしい。日達上人のような政治家タイプではなく、むしろ学究肌だといわれていますが、それだけに、これから創価学会に対しどんな態度をとるか、非常に注目しているところです。
◆ 大石寺と学会の“欲の皮”のつっぱり合い
藤原 ぼくが創価学会を斬ってから、じつにいろんなところから講演のお呼びがかかつたんだ。
それこそ、日蓮正宗大石寺を除くあらゆる宗門、宗派のところへ講演に行ったね。
日蓮宗関係も、北陸とか佐渡を初め、日蓮ゆかりの地といわれているところは、ほとんど行った。身延山にも富士市にも行ってるんだが、その富士市で講演すると、地元の人がいろいろと大石寺や創価学会についての噂をもってきてくれる。
一番面白かったのは、選挙があると必ず公明党侯補が落選するということだった。とにかく、創価学会・公明党は大石寺の地元で非常に評判が悪い。土地はどんどん買い占め、参詣者はぞくぞくやってきて、大石寺は空前の賑いを見せているが、これは全部外からの持ち込みなので、地元には全然金が落ちない。地元とは無関係にお寺だけが賑っている。これがまあ悪評の原因なんだ。
多かれ少なかれ、お寺というものが形成される一つのパターンは、それなりの地域社会が根っ子なんだ。日蓮宗の場合、日蓮が死んだ途端に、弟子たちがそれぞれ日蓮ゆかりの地に、「オレが正統派だ」と、分派を建てたことが各派の発端なんだ。これが、今日の日蓮宗六派の源流になっている。そこに植家が出来て、お寺を中心とする地域社会というものが形成され、それがだんだん広がつていく形だ。
ところが富士市の人間にとっては、いままで自分たち檀家の人間が大切に守ってきた大石寺が、いつの間にか自分たちのものかどうかわからなくなってきた。全国何百万世帯かの代表だ、というので創価学会の会長が檀家総代ということになってしまう。この創価学会が運んでくる信者に比べると、地元の植家なんかものの数じやなくなってくる。
内藤 そうすると大石寺はどうしても、地域というよりも、全国的な創価学会の方に顔を向けざるをえない。
藤原 たしかに日蓮宗各派の中でも、あの正宗大石寺の勢力が一番小さかったんだよ。だから初期の段階では、日達上人にしても、創価学会の全国ネットワークを利用しょうとしたんだと思う。それまでは、なにしろ単なる地方の新聞か放送局のようなもの、ローカル局だったんだからネ。ところが、だんだん創価学会の力が大きくなってくる。これが昭和四十九年の「このままでは大石寺は軒を貸して母屋を取られる」という心配発言になってくるんだな。このままでは、創価学会のメッセンジャーボーイになってしまう。やがては、管長まで学会が自由にきめるようになるかも知れない。そうなると、もう「創価学会池田教大石寺支部」になりかねない。
そんな危機意識のようなものが、日達上人の晩年の屈折した抵抗になっていたんじやないかな。
特に「言論妨害事件」問題以後、「政教分離」や「王仏冥合」のストップといった大波を経て、日蓮正宗の基本理念である国立戒壇の放棄といったことになってくると、全国の僧侶の中から正宗の教義に反することじやないか、教義をねじ曲げているんじやないか、といった当然といえば当然の批判がジワジワ起こってくる。日達上人という人は、こうした変化をじっと見てきたんだ。
そのうちに正本堂は完成する、周辺の施設は整備される。あれはみな寄進だからネ。檀家からの寄付なんだから、原則的には日蓮正宗の所有になっている。創価学会のものじやない。日達としては、もらうものはもらってしまったから、今までは創価学会の無理押しにもシブシブうなずいていたんだが、ここらで宗門の優位性、学会はあくまでも植家であるという、そこんところのケジメをはっきりさせようとした。そこに、今回の抗争の基本があるとぼくは思う。
この宗門の出方に対抗して学会側は、大石寺への参詣者を一時止めたり、それまでは行っていた末寺での座談会や供養を止めさせたり、いわゆる“兵糧攻め”の日干し作戦に出たんだが、これは大石寺の方も相当こたえたようだネ。だけど、昔から精進というくらいだから、坊主はこの手の日干しには強いんだよ。ところが即戦即決ならいいが、こうして執拗にガンバラれると、かえって学会の方は旗色が悪くなる。やはりなんといっても宗門に対して植家が抵抗しているわけだからネ。
次に、やはりご本尊模刻のことがある。なにしろ大石寺にある日蓮直筆の板曼陀羅がご本尊ということになっていて、これを代々の管長が印刷を許可したものを信者に売っている。もしも大石寺側がこの一種の著作権を主張して、創価学会に模写を渡さなくなったら、創価学会の布教のキメ手は失われるどころか、今いる信者までおかしくなり離反してしまう。
内藤 先ほどもいいましたように、創価学会には、外面のキレイごとと、内面のキタナサというか、極端な二面性がある。しきりに口にする僧俗和合なんて、その代表みたいなものですよ。
藤原 あれは、まあ日達と池田大作のなれ合いだからネ。そもそも、元祖の日蓮聖人の方は、一生一派を建てちやいかんといってる。ところが六人の弟子どもは師が死ぬと、途端に各自が一派を建てて自分が正統派だと主張を始めている。これがまず日蓮の基本精神に反しているんだな。
たまたま日興上人が日蓮の直筆という板曼陀羅を持っていたため、“正宗”ということで続いてきたんだが、日蓮六派の中では正宗が一番勢力が弱かったんだよ。
それだけに、日蓮正宗にしろ創価学会にしろ、互いにそういう相互利用の弱味を表面化したくはない。そこで、綱引きのようにアッチへ引いたり、コッチへ引っぱられたりということになる。こんなのは、お互いの欲の皮ばかり突っ張って動いていることで、どちらも日蓮本来の信念、宗教のあり方とはおよそ縁遠いことだよ。
---------(23P)-------つづく--