創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会に未来はあるか-3

2017-11-30 09:01:11 | Weblog

創価学会に未来はあるか--藤原弘達/内藤国夫 日新報道出版
  「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相   1979年(=昭和54年) ¥900
                 ----(P16)---(以下、本文)---
第Ⅰ部 創価学会の中身は何も変わっていない
  日達上人の死で創価学会はどう変わるか
◆ したたかだつた日達上人の政治力
藤原 『創価学会を斬る』を出してからもう十年になるが、ぼくとしては創価学会は池田教的な戦闘性やカリスマ性を失って、だんだんこれまでの新興宗教のように民衆の中に溶け込んでいき、いわば人畜無害型になればまあそれでもよいと思つていた。
 ただし、自民党が過半数を割るとか、公明党が妙な形で勢いづくとかいったことで、政治状况が急激に変わつてくればその時に応じて考えるというのが基本的態度だつたんだが、昭和五十四年四月二十四曰の池田大作の創価学会会長から名誉会長への退陣と、昭和五十四年七月二十二日の日蓮正宗第六十六世日達上人の死と、このところ大波が続けざまに起こってきた。そこで今後の残された問題の焦点の一つは宗門と学会の関係ということだが、一般会員にもなんらかの影響はでてくるだろうね。
内藤 たしかに、日蓮正宗大石寺と創価学会との関係がこれからどうなるのか、どう変わっていくのか、創価学会を出た人も、残った人も、非常に迷い、悩んでいるのが現状だと思うんです。ぼくのところへも、そういう疑問を訴えてくる人が非常に多い。そういうことへの疑問にも答えられるように、これから討論を展開したいわけです。
 たとえば、大石寺と創価学会の関係にしても、いろいろ悶着があって、昭和五十三年十一月七日に、池田さんが学会幹部二千人を連れて大石寺に参詣し、日達上人に詫びを入れ、これからは真の“僧俗和合”への前進を誓っているわけです。
 ところが、こうした非常にキレイごとを並べている反面で、たとえば日達上人の死にしても、学会の集まりでは「それ見ろ!! 池田先生をあんなにいじめるから、バチが当たって死んだんだ」といっているわけです。
藤原 やはり宗門の頂点に立つ人はそういったことをいわれるもんで、まあ、何としてもことの良し悪しは別として、妙なことをいおうと思えばばどんなふうにでもいわれる宿命にあるんだよ。日達上人はとくにね。われわれだって、何をいわれるかわからんから、まあうかつには死ねんということだよ、お互いに(笑)。
内藤 日達さんという人にぼくは会ったことがないんですが、大変な政治家だったようですネ。二枚腰、三枚腰ではないけれど、二枚舌、三枚舌の持ち主だった。
 学会に対しては学会を持ち上げるような発言をし、反学会派の会合に行っては、かなり厳しい学会批判をする。どちらが本音なのかわからないところがあつたんですが、やはり本音は学会批判だったろうと推測するんです。しかし、学会を切ってしまったのでは、財政的にも日蓮正宗は成り立たない。そこで学会と反学会派とを自在に操ってきたのではないだろうかと、その点でもかなりしたたかな人だったようですね。
 ぼくの聞いたエピソードでも、まだ創価学会が上昇期にあった頃の話ですが、池田大作さんが、親子ほどにも年齢の違う日達上人を、まるで子供を叱るように怒鳴りつけたことが、しばしばあるんだそうです。日達上人は「池田がワシのことを、大衆の面前で小僧っ子のように扱いやがって」と、肩をブルブルふるわして怒っていたというんですが、こんな話を聞くと、やはり本心は学会批判だったように思えますネ。
藤原 次の大石寺の管長になった阿部さんというのはどんな人物なのか、ぼくはよく知らないが、日達上人の面目はこの後継者の決定に際してでていたというが……。
内藤 日達上人がしたたかだなァ、と痛感させられるのは、まさにこの自分の後継者を決めた場合にも出ていますね。
 六十七世の法主上人になった阿部さんは、伝えられるところでは、学会寄りでもないが、批判派でもない。日達上人と同じ中立的な立場の人だろうといわれています。この人を後継者に決めたのが、昨年(昭和五十三年)の四月なんだそうです。ところでこの四月がどんな状況だったかというと、宗門が創価学会の日蓮正宗からの逸脱言動について総点検し、是正せよということで、質問状を突きつけて厳しく迫っていた頃です。
 この質問状の結果が、例の六月三十日の「聖教新聞」紙上での“お詫び”ということで、路線修正につながっていくわけですが、こうして創価学会を非常に厳しく批判している時に、秘かに自分の後継者を決めていたんですね。
 それも、従来までの既定路線でいけば、当然の後継者視されていた早瀬さん(当時総監)が、創価学会寄りすぎるということでこれを後継者から外し、より中立的な阿部さんを秘かに決めていた。これは非常にしたたかな態度だろうと思うんです。
 阿部さんという人は、中立、温厚、慎重な人らしい。日達上人のような政治家タイプではなく、むしろ学究肌だといわれていますが、それだけに、これから創価学会に対しどんな態度をとるか、非常に注目しているところです。

◆ 大石寺と学会の“欲の皮”のつっぱり合い
藤原 ぼくが創価学会を斬ってから、じつにいろんなところから講演のお呼びがかかつたんだ。
 それこそ、日蓮正宗大石寺を除くあらゆる宗門、宗派のところへ講演に行ったね。
 日蓮宗関係も、北陸とか佐渡を初め、日蓮ゆかりの地といわれているところは、ほとんど行った。身延山にも富士市にも行ってるんだが、その富士市で講演すると、地元の人がいろいろと大石寺や創価学会についての噂をもってきてくれる。
 一番面白かったのは、選挙があると必ず公明党侯補が落選するということだった。とにかく、創価学会・公明党は大石寺の地元で非常に評判が悪い。土地はどんどん買い占め、参詣者はぞくぞくやってきて、大石寺は空前の賑いを見せているが、これは全部外からの持ち込みなので、地元には全然金が落ちない。地元とは無関係にお寺だけが賑っている。これがまあ悪評の原因なんだ。
 多かれ少なかれ、お寺というものが形成される一つのパターンは、それなりの地域社会が根っ子なんだ。日蓮宗の場合、日蓮が死んだ途端に、弟子たちがそれぞれ日蓮ゆかりの地に、「オレが正統派だ」と、分派を建てたことが各派の発端なんだ。これが、今日の日蓮宗六派の源流になっている。そこに植家が出来て、お寺を中心とする地域社会というものが形成され、それがだんだん広がつていく形だ。
 ところが富士市の人間にとっては、いままで自分たち檀家の人間が大切に守ってきた大石寺が、いつの間にか自分たちのものかどうかわからなくなってきた。全国何百万世帯かの代表だ、というので創価学会の会長が檀家総代ということになってしまう。この創価学会が運んでくる信者に比べると、地元の植家なんかものの数じやなくなってくる。
内藤 そうすると大石寺はどうしても、地域というよりも、全国的な創価学会の方に顔を向けざるをえない。
藤原 たしかに日蓮宗各派の中でも、あの正宗大石寺の勢力が一番小さかったんだよ。だから初期の段階では、日達上人にしても、創価学会の全国ネットワークを利用しょうとしたんだと思う。それまでは、なにしろ単なる地方の新聞か放送局のようなもの、ローカル局だったんだからネ。ところが、だんだん創価学会の力が大きくなってくる。これが昭和四十九年の「このままでは大石寺は軒を貸して母屋を取られる」という心配発言になってくるんだな。このままでは、創価学会のメッセンジャーボーイになってしまう。やがては、管長まで学会が自由にきめるようになるかも知れない。そうなると、もう「創価学会池田教大石寺支部」になりかねない。
 そんな危機意識のようなものが、日達上人の晩年の屈折した抵抗になっていたんじやないかな。
 特に「言論妨害事件」問題以後、「政教分離」や「王仏冥合」のストップといった大波を経て、日蓮正宗の基本理念である国立戒壇の放棄といったことになってくると、全国の僧侶の中から正宗の教義に反することじやないか、教義をねじ曲げているんじやないか、といった当然といえば当然の批判がジワジワ起こってくる。日達上人という人は、こうした変化をじっと見てきたんだ。
 そのうちに正本堂は完成する、周辺の施設は整備される。あれはみな寄進だからネ。檀家からの寄付なんだから、原則的には日蓮正宗の所有になっている。創価学会のものじやない。日達としては、もらうものはもらってしまったから、今までは創価学会の無理押しにもシブシブうなずいていたんだが、ここらで宗門の優位性、学会はあくまでも植家であるという、そこんところのケジメをはっきりさせようとした。そこに、今回の抗争の基本があるとぼくは思う。
 この宗門の出方に対抗して学会側は、大石寺への参詣者を一時止めたり、それまでは行っていた末寺での座談会や供養を止めさせたり、いわゆる“兵糧攻め”の日干し作戦に出たんだが、これは大石寺の方も相当こたえたようだネ。だけど、昔から精進というくらいだから、坊主はこの手の日干しには強いんだよ。ところが即戦即決ならいいが、こうして執拗にガンバラれると、かえって学会の方は旗色が悪くなる。やはりなんといっても宗門に対して植家が抵抗しているわけだからネ。
 次に、やはりご本尊模刻のことがある。なにしろ大石寺にある日蓮直筆の板曼陀羅がご本尊ということになっていて、これを代々の管長が印刷を許可したものを信者に売っている。もしも大石寺側がこの一種の著作権を主張して、創価学会に模写を渡さなくなったら、創価学会の布教のキメ手は失われるどころか、今いる信者までおかしくなり離反してしまう。
内藤 先ほどもいいましたように、創価学会には、外面のキレイごとと、内面のキタナサというか、極端な二面性がある。しきりに口にする僧俗和合なんて、その代表みたいなものですよ。
藤原 あれは、まあ日達と池田大作のなれ合いだからネ。そもそも、元祖の日蓮聖人の方は、一生一派を建てちやいかんといってる。ところが六人の弟子どもは師が死ぬと、途端に各自が一派を建てて自分が正統派だと主張を始めている。これがまず日蓮の基本精神に反しているんだな。
 たまたま日興上人が日蓮の直筆という板曼陀羅を持っていたため、“正宗”ということで続いてきたんだが、日蓮六派の中では正宗が一番勢力が弱かったんだよ。
 それだけに、日蓮正宗にしろ創価学会にしろ、互いにそういう相互利用の弱味を表面化したくはない。そこで、綱引きのようにアッチへ引いたり、コッチへ引っぱられたりということになる。こんなのは、お互いの欲の皮ばかり突っ張って動いていることで、どちらも日蓮本来の信念、宗教のあり方とはおよそ縁遠いことだよ。
       ---------(23P)-------つづく--


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創価学会に未来はあるか-2

2017-11-29 09:14:28 | Weblog

創価学会に未来はあるか--藤原弘達/内藤国夫 日新報道出版
  「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相  1979年(=昭和54年) ¥900
         ----(P10)---(以下、本文)---
目次 まえがき
 第一部 創価学会の中身は何も変わつていない
Ⅰ 日達上人の死で創価学会はどう変わるか
  したたかだった日達上人の政治力/
  大石寺と学会の“欲の皮のつっぱり合い/
  今から学会と大石寺の本当の綱引きが始まる
Ⅱ 池田は辞めたのか、辞めさせられたのか
  池田無謬説の崩壊/
  池田大作の一つの“時代”の終わり/
  興から亡の時代へ
Ⅲ 学会組織に何が起こっているか
  突然の会則変更のうら側/
  まだまだ人事権、財産権は池田の掌中に/
  「最高教道会議」の中身
Ⅳ 変わらぬ、信者を食いものにする金権体質
  北条就任とともに早速始まった金集め/
  学会会館の建設を何故急ぐのか/
  学会の資産はすでに三兆円?
Ⅴ 学会の「宗教度」を診断する
  学会は「ネズミ講と同じ金集め集団」?/
  金集めに利用されるだけの信者
Ⅵ 会員の学会離れ--その後の動き
  ダマされた怨みは忘れない/
  学会員の実動部隊は百万以下
Ⅶ 学会は十年前と本質的に全然変わってない
  学会批判のキッカケとボクの立場/
  みんな学会の“数と金力”に騙されてきた/
  オドしてダメなら買収/
  言論出版妨害事件がなかったら池田は衆議院に出ていた/
  世間より池田大作が大事な学会

第二部 創価学会・公明党の未来を探る
Ⅰ 宗門と学会の関係は改善できるか
  池田退陣で大石寺との闘争にピリオド?/
  抗争の火は再び燃えあがる/
  学会、宗門の亀裂は簡単には癒えない
Ⅱ 池田の学会外活動はますます露骨になる
  強化される池田院政、池田人脈/池田大作の果てしない野望/
  「世界平和問題研究所」構想の狙い
Ⅲ 「創共協定」は空洞化した
  仕掛人は松本清張氏/
  池田大作お得意の事なかれ主義/
  共産党を利用したのか、されたのか
Ⅳ 公明党の政治路線はどう変わるか
  公明党は変質している/
  公明党員の実数と学会員以外の党員数/
  公明党にも派閥ができつつある/
  自民党のつっかい棒としての公明党
Ⅴ とうとうやってきた学会・公明党の限界
  公明党は解体、解消せよ/
  公明党の危険な役割/
  権力の手先になつてしまった公明党/
  竹入・矢野体制のゆくえ/
  池田の限界、公明党の限界

<内藤国夫・巻末インタビュー>
  だから私は創価学会を脱退した/
  ドン底で絶対的幸せを信じて入信/
  フロにも入れなかつた毎日の猛烈活動/
  ネズミ講よりひどい池田大作の金儲け主義/
  增上慢、無慈悲、ご本尊の模刻/
  中堅クラスが続々脱会している/
  結婚をも阻む学会の壁
 あとがき
       ---------(15P)-------つづく--

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創価学会に未来はあるか

2017-11-28 09:06:42 | Weblog

創価学会に未来はあるか--藤原弘達/内藤国夫 日新報道出版
  「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相  1979年(=昭和54年) ¥900            

まえがき
 早いもので、創価学会・公明党による出版妨害事件が明るみに出てから、もう十年になる。
 私の『公明党の素顔』が出版されたのは、昭和四十四年五月十日。半年遅れて、藤原弘達氏の『創価学会を斬る』が、同年十一月十日に出版された。
 ケンカのへタな私は、創価学会・公明党の組織をあげての強引きわまりない出版妨害に、手もなく封じこめられた。圧力に屈したわけではないが、ともかくもせっかく出版したがほとんすベての書店に並ばず、悔しい思いをしながらも、いずれ「時」が解決してくれるのを待つほかはなかった。
 だが、あとから登場した藤原弘達氏は、さすがに大もの評論家だけあって、派手なケンカをくりひろげて、創価学会・公明党による出版妨害事件をまたたく間に世間に知らしめた。それまで十数年にわたつて、新聞、テレビ、雑誌等のあらゆるマスコミが不本意ながらもタブー視してきた創価学会・公明党批判を、正面切って挑みかけ、タブーの壁を破った功績の多くは藤原弘達氏にあるといってよい。その悪口雑言のひどさ、柄の悪さ、創価学会・公明党に負けず劣らずの強引な手口等に多少の批判や反発はあろうとも、氏が用意周到に、かつ、身体をはってケンカをしかけ、そして勝利したからこそ、ツルのタブの一角が崩れさったのである。

 おかげで、それまで書店に並ばなかった私の本も、ほかの一般書籍と同様、販売されるようになり、氏の『創価学会を斬る』の十分の一以下の売れゆきながら、大勢の人に読まれることにもなった。その意味で、藤原弘達氏は私にとって、恩人であり、救い主であり、かつ、創価学会・公明党のありようを問題にするという点で同憂の士であり、共闘仲間であり、また、ぺンの切先を競うことではライバルでもある。
 あれから十年。出版妨害事件そのものは、池田大作会長が「猛省」を表明し、「政教分離」を世間に誓って、一応決着がつけられた。以来、今日に至るまで、創価学会・公明党はさまざまにゆれ動き、予期せぬ出来事があいついだ。なかでも決定的なのは、宗門・日蓮正宗との対立・相剋であり、ついには、池田大作氏が教義逸脱・謗法化の責任をとり、会長の座を降りるほかなくなる事態にまで発展した。
 もはや、タブーの上にあぐらをかいていられる創価学会・公明党ではない。内部のもめごとは外部につつぬけとなり、脱会者の続出が情報流出に輪をかけた。宗門との対立をはじめ、深刻な問題が生じる都度、週刊誌や月刊誌を大きくにぎわしたのである。
 だがしかし、「知らぬが仏」とでも信じているのだろうか、創価学会・公明党は“依らしむべし、知らしむべからず”を地でいくように、組織の内部の人々に対しては、いまだに一切の真相を明らかにせず、ごまかし通そうとしている。人をバ力にした話であり、一般の創価学会員をそこまでなめきっているのか、と憤りをさえ覚える。
 この情報化時代に、自分たちの所属している創価学会・公明党にいまどういうことが起こっているのかをさえ知らされていない一般の学会員や公明党員から、真相を知らせてほしいとの切実な要望が、私たちのところには多数寄せられている。創価学会の内部では、疑問に思うことを口にもできないでいるからだ。
 藤原弘達氏にしても、私にしても、すでに創価学会・公明党のかかえている問題点や現状を何冊かの本にまとめ、雑誌に寄稿したりしているが、今回あらためて二人が直接、大いに論じあい、創価学会・公明党の現状と将来を浮きぼりにしょうと試みたのも、知らされて然るべき真相があまりにも知らされていなさすぎると考えたからである。真実を知りたい、との要望に応えたかったからでもある。
 十年前の出版妨害事件も、創価学会・公明党には大きなマイナス材料となったが、結果的には災いが転じて、姿勢を正すきっかけになった。創価学会・公明党内部の心ある人々は、“良薬、口に苦し”を痛感したはずである。

 さて、しかし、創価学会・公明党を今日のように大きな組織に成長・発展させた池田大作氏は、その功績を過信するあまりか、あるいは組織の内部に“現状はこれでいいのか”と問題提起する安全弁を欠いているせいか、暴走と脱線を重ねて、今日また、宗門・日蓮正宗との対立・抗争を初めとする大きな混乱を招くにいたった。
 ために、池田大作氏にだまされていた、と知った多くの学会員が、いま、なだれを打ってとまではいかずとも、つぎつぎと創価学会を離れ、日蓮正宗の檀徒へと転じている。創価学会にとっては、まことに憂うべき事態になっているのだ。にもかかわらず、創価学会は、例によって“知らぬが仏”をきめこみ、あるいは、口うるさい反抗的分子がいなくなってかえってせいせいした、マイナスではなくプラスである、などと強がりをいっているようである。
 しかし、事態を甘くみてはいけない。いま、創価学会を涙をのむようにして離れていっているのは、学会組織を大きく成長・発展させた功労者の中堅幹部がほとんどであり、創価学会員の中では決して多いとはいえないインテリ層を中心としているからである。将来ともに創価学会の中核になったであろう人々が、これまで信じきっていた創価学会なり池田大作氏なりに、ふとしたことから疑問を持つようになり、学会の内部での解決を願いつつも、「信心が足りないからだ」のひとことで片づけられ疑問が解消されぬままに、泣く泣く、学会を脱け出ていっているのである。
 その量的損失もさることながら、質的損失をこそ、池田大作氏以下の創価学会幹部は思うベきである。強がりをいっていられる状況ではないのだ。いまこそ、個々の学会員が口に出さないまでも、密かに胸を痛めている疑問に応え、暴走・脱線の事実を率直に認め、再出発を誓う以外に解決策はないのだ。

 それをしない、できない創価学会・公明党に、「明日」はない。いまはムリヤヤリに信じこもうとしている一般の学会員が、いずれ真相を知り、なだれを打って脱会することさえ、なしとしない。いや、池田大作氏の側近幹部の中にまで、そういう事態を予測して、創価学会はすでにして「興」の段階から「亡」の段階へと歩を進めている、と私にもらす人もいるのである。
 なんなら、どういう人々が正義感と危機感にかられるあまり、貴重な内部情報を私に漏らしているか、ここに明らかにしてもいいのだが、「取材源の秘匿」の大原則がある。それに、情報提供者は五人や十人にとどまらない。数十人の幹部が同憂いのもと、個々別々に私との接触を求めて、組織の内部では問題提起できないことを私に知らせ、組織の外に安全弁を求めようとしているのである。
 この本の末尾に紹介した公明党の地方古参議員・水海道市議の小沢利夫氏は、すでに自らの責任において、半生を共にした創価学会批判を展開している。その氏にして、池田会長への疑問と不信を十数年来胸にだきながらも、創価学会にとどまつている間は、それを内部で問題にすることはできなかった。組織としての創価学会の不健全さ、危険な体質を見せつけられる思いである。すでに公然たる学会批判にふみきっていることでもあり、あえて小沢氏へのインタビューを卷末につけ加えた。
  いま創価学会にどういうことが起こっているか、真相を知りたいあまり、たまたまインタビューに同席した二人の若もの、とくに父が学会の県のブロック本部長をしており自らも大プロック長をつとめているF子さんの心の悩みに、創価学会はなぜ耳を傾けまともに応じようとしないか、宗教人にはあるまじき狡猾さには、あきれるばかりのものがある。

 『公明党の素顔』を著わして以来、縁あって、私はこういう若ものを初めとして、創価学会に関係するさまざまな人々の相談役のような役割を果たしてきた。『創価学会を斬る』の著者・藤原弘達氏も同じである。個々の相談にはとても応じていられないこともあり、今回、一括してお答えする意味もこめて、『斬る』と『素顔』の両著者の対談を試みた次第である。
 テレビ出演で話しなれている藤原氏はともかく、話ベタの私には、対談をそのまま本にすることへのもどかしさを感じないではないが、その不十分さは、今後、創価学会・公明党への観察及び情報収集を続けることで、ペンによって補っていきたいと思う。読者のご寛宥をお願いする次第。
 対談の最後でも明らかにしているように、創価学会・公明党の内部に安全弁ができるまで、つまりはわれわれのような部外の観察者による口出しが余計で無用となる日まで、「興」から「亡」の段階へとさしかかったといわれる創価学会・公明党の「亡」の進行のしようを、あるいは「亡」から「再生」へと転じるとするならば、そのありようを、心ある同憂の士の協力を得て、機会あるごとに報告していくことをお約束して、ペンを置く。
    一九七九年八月二十一日          内藤國夫
       ---------(9P)-------つづく--

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新・創価学会を斬る-43

2017-11-27 08:48:51 | Weblog

新・創価学会を斬る 藤原弘達 (昭和47/6 ¥500- 日新報道)

         ----(P299)---(以下、本文)---
むすびにかえて
 すでに『斬る』および『続・斬る』においても述べているように、学会・公明党がこれからどう変わってゆくか、とくに政治の推移の中における公明党の役割を、第一次段階と第二次段階、今度の第三次段階というように、言論出版妨害問題発生以来いまや三年になろうとしている時点をふまえて若干の見通しをのべて、むすびにかえたいと思う。

 第一段階とは何か。すでに『斬る』の結論のところでも述べているように、あの段階においては、自由民主党がその多数を維持するために公明党をだきこみ、日本の革新勢力、ないし革命勢力に対する防波堤としてこれを利用するということについて、支配勢力もようやくその利用価値を認めるようになっており、これを政治的に利用しようとする動きが具体的にあったということだ。
 例えば当時の田中角栄自民党幹事長が何故に公明党の依頼をうけて、言論出版妨害に一役かおうとしたかということにも、政治的には端的な形で現われていたといわなければならない。さらには当時の三菱銀行会頭、現在の田実渉三菱銀行会長が公明党の幹部を有力財界人に会わせる、いうならば彼らをそういう体制の側、体制のトップ・レべルの連中に斡旋するというような役割を果たしたことは、単に豊富なる資金を持つ創価学会の金を利用するということだけではない政治的意味をもっていたといわなければならないのである。
 そういう段階にあって、もし「政教不分離」のままで自民党と公明党が連繋した場合、恐るべき勢いによって学会のエネルギーが自民党をファッショ化するところの大きな原動力となり、保守独裁体制変じてファッショ体制に転化する可能性があると、そのように状況を判断したワケである。
 というのは、こと学会や公明党に関しては、あれだけ体制側の矛盾を衝くことに急な日本の言論やマスコミが、全く口をとざし、これをタブー視するというような、まさに言論不自由的状況が展開されており、これを前提とした場合、自民党と公明党との連繋は必ずや言論のうえでもファッショ化の危険性をもっていると診断したワケである。
 その意味において、第一段階における危険性とは明らかに学会・公明党のファッショ化の危険性の指摘にあった。そこで自民党と公明党との関係にクサビを入れ、同時に学会と公明党との間に政教分離を実現させ、言論の自由を尊重させ、さらに市民生活を脅かすような学会の折伏方式等々に対する自由侵害の実例を論拠としながら、まさにぶった斬る役割をあの本は果たしたわけである。
 「蛮勇」的な『斬る』の政治的効果は、それなりにあって、第一段陪における学会の危険な方向性は、一つの転機を迎えて第二段階へ移行することになる。

 第二段階とは何か。一つは京都府知事選における自民党との連立体制の失敗、次にはその後における公明党・学会の動揺、最終的には、四十五年五月三日の日大講堂における池田大作の「釈明演説」ということで、外見的には第一段階における危険性が、ともかく表面的にせよ一応後退した段階とみなすぺきであろう。
 その点はすでに『続・斬る』の中で述べている通りである。自民党との連繋プレーにブレーキがかかり、同時に公明党という政治組織と、学会宗教勢力との一応の切断がこころみられた。ともあれ『斬る』の批判にマトモに応えて、政教分離、言論の自由、折伏の停止等々を天下に誓ったわけであるから、まさに一種の組織的、戦略的後退を行なったとみなければならないのだ。
 では、第一段階において指摘したような、政治的危険性はなくなったかということになると、むろんそんな甘い診断はできない。げんに政教分離の実はほとんどあがってはいないのだ。
 それは、『続・斬る』の中にさまざまな形で実例を提示した通りである。いうなれば、一種の戦略的後退と、力モフラージュ作戦が行なわれ、いかにも政教分離を行なったかのように見せながら、内容においてはまず学会の組織を守り、公明党と一見別居した形でこれを泳がせながら、世間の非難を回避し、マスコミ工作をより積極的に行なうことを通じて、その失墜したところの権威を再建しようと努めたということである。
 それは誰の目にもインチキに映ったといわねばならない。そして公明党は竹入委員長へのテロ事件がこれを象徴したように、ともかくこんどは逆に日蓮宗の信者による暴力的行動によってその党首を脅かされるという事態にまで追い込まれたのである。
 そういう状況の中から、公明党の求めていた政治の方向が、いわゆる社・公・民連立方式にあった。その社・公・民の中に、社会党の左派まで含めるかどうかということについては大いに問題があり、少なくとも社会党の右・江田三郎派と民社党との連繋を通じて、野党による中道革新政権を担うに足る勢力を結集し、それを通じて自民党独裁体制に桃戦し、少なくとも政権をとり得るような野党勢力の構築に一役をかうという方向に転じることになったことは、すでに述べた通りである。
 しかも、そういう方向も成功したかといえば、これまた决して成功してはいないのだ。国会での社・公・民共闘も、思うにまかせないし、さらに政教分離下において、はたして公明党が従来のような国会勢力を持続していけるかどうかに対する不安も新たにでてきた。
 四十六年の地方統一選挙、および参議院選挙において、公明党が候補者を絞って全員当選を狙わざるをえなかったのも、まさにそういう戦略的後退のあらわれであったとみなければならない。
 そういう転進の意味するところは何であろうか。一方においては政教分離の実をあげるためには、新しく“新党”でもできるならば、そういう野党連合形式の中に公明党を発展的に解消することによつて、政教分離の不十分さを衝かれるというマイナス面をカバーしたいという発想も結構池田大作会長の側にもあったようである。また公明党の幹部たちもだんだんとそういう方向に進まざるをえないと観念するようになってきたという見方もできるのである。
 しかも、そういう政治方向を何によってある程度までまとめていくかといえば、一つは一九%の国民の支持しかない(四十七年四月二十一日付「毎日新聞」より)、この不人気絶頂の佐藤内閣を打倒するというカケ声によって、国民の不評、つまり己れの不評をもっと不評とみる佐藤内閣という「悪玉」に転嫁することによって、相対的に己れの陣営に対する批判をかわそうとすることである。
 もう一つは、外交政策における対中国接近である。その点については『続・斬る』にも述べているように、学会・公明党の体質にも関係があろう。文化大革命当時における毛沢東への個人崇拝、ないしは極端な原則外交論、禁欲的リゴリズム等々は、ある程度学会・公明党の精神構造とマッチするものをもっていたといわなければならないのであり、そういう方向を中国接近ムードのうえにのせ、そのイニシアティブをとることによって、野党連合内における公明党のキャスティング・ボードを握ろうとし、さらには学会・公明党の下からくるさまざまな不満を外に対する希望や、中国接近ムードの中に吸収しょうとした、つまりは内の矛盾を外へとふりむける外交戦略であったと見ざるをえないのである。

 私は、第二段階の運命を歩む学会・公明党の政治的方向に対しては、何よりも公明党を解散することが第一であることを強調した。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあるのであって、政教不分離の疑いをはらし、日本における自民党にとってかわれる政権担当能力のある野党結成の捨て石になって、思い切って解散する覚悟を公明党がもてぱ、そこにはそれなりの存在意義があるであろうと。そういう予測、ないしは方向指示もしておいたものである。

 そこで、第三段階の問題がでてくるわけである。実はそうはいっても、ことここにいたった学会・公明党のもつ矛盾はやはりいま更ながら深刻ということなのだ。池田大作自らが政教分離を誓いながら、政教分離の実行はほとんど行なわれてはいない。言論自由を守るといいながら、実はきわめて悪質極まるマスコミ・文化人工作を依然として行なっている。 さらには、折伏を止めたといいながら、座談会その他の方式を通じて、結構“日本の底辺”に対するさまざまな働きかけを行なうという点においては、どれだけ改革が行なわれたか大いに疑問なのである。組織内部におこった論理的矛盾、池田大作会長の権威の失墜、分裂者、退転者の続出、公然たる批判の台頭等々、こういう状況の下に、第一段階の危険性から第二段階の転進をへて第三段階においては、一種の末期的症状を呈するに到りつつあるということである。
 こういう学会・公明党のあり方に対するハッキリした国民の審判は、やがて来るべき衆議院の総選挙において国民の意思を通じて表明されることになるだろう。

 そういう意味において、彼等が第一段階、第二段階においてとってきた言動、さらにはこの本がでている時点以後に考えられる第三段階の問題などをひっくるめて、国民が学会、および公明党に対しておこなう国民的審判こそ、私が学会を斬ることによって起こった問題の、それなりの総決算の意味をもつものである。
 公明党という政党を、はたして政教分離した、学会から切り離された政党と国民は認めるものであるかどうか。さらには学会員自体もこれを認めているかどうか。この判断を行なうべきタイミングにきているということである。
 その具体的なあらわれは、口では学会員は政党支持の自由をもつといいながら、選挙にあたっては学会の命令によって会員を選挙期限に合わせて三か月以上も前から組織的に移動させ、寄留をやらせて人為的に投票数を信者によつて増大させるがごとき、現在の選挙区地域住民の意思反映を逆なでするような、まことに卑怯なやり方をこれまでやっていたが、今度の総選挙においてもこれをやるかやらないかということであろう。すでに地域によっては、これをやっているところがでている。
 もし学会の号令によって、選挙のために学会の会員が動員され、ないしは地域を移動するようなことを今度の総選挙で行なったとするならば、これは明らかなる政教不分離であり、学会会長・池田大作が天下に誓った政教分雄は真赤な嘘であることを選挙運動自体の中で証明することになるのである。
 その意味ではこんどの総選挙は、学会・公明党に対する国民総監視の下に、われわれはこのなりゆきをしかと注目せざるをえないということであろう。
 さらにいえば、われわれは創価学会会長をはじめとする学会幹部の命令に、あたかも羊のごとく従わされ、無批判に服従させられている日本底辺の大衆層、この精神構造を問題とせざるをえなかったということである。

 少なくとも、『新・斬る』は、私が斬るのではなくして、そういう底辺の国民大衆自らの意志と判断によつて学会を斬ってもらいたい、そういう発想の下に組まれた書物である。
 総選挙にあたっても、学会からの命令があっても、そういう選挙運動を拒否する信者こそ、私は政教分離を実現した学会員といえると思う。
 “パチ論”とか“ご利益”とか、みえすいたべテン的論理を通じて、大衆の零細な金を収奪しこれを選挙に投じていくというようなシステム自体のなかにある大きな問題性に、学会員自らが目覚め、これを批判し、ないしはこれと敢然として闘うことが、いまや必要になっているということである。
 そういう学会員以外の人々の批判とあわせて、学会員自体が学会に対する厳しい批判をし、不当なる命令や指令に屈しないだけの思想と行動を身につけたとき、はじめて私は日本の底辺に“市民による、市民のための、市民の社会”が訪れる時であると、そういっていいのではないかとも思つている。
 つまり、市民の常識の通用しない“バチ論”や“ご利益論”が結構、人間の弱みにつけこんでキキメをあらわすような、陰湿にしてカビのはえたような社会を一掃するためにも、まずそういう人々の自覚と、またその自覚を裏づける行動こそ重要なモメントになるということなのだ。
 いかに私が斬る斬ると叫ぶとも、また批判の本を書こうと、講演や放送を通じて彼等の問題性を指摘しようが、底辺の人々がこれを正しく吸収しそうしてそのなかにおいて自らの権利は自らが守ろうという自覚をもたぬ限り、学会の卑怯極まる圧力は、まだまだ日本の底辺において猛威を振う可能性があるということである。
 おそらく彼等は政治的には右往左往し、キャスティング・ボードを握ろうとして日本の社会をかえって混乱させ、また日本の政党政治を確立していく上には、マイナスの役割を尚々つづけていく可能性をもっているということである。
 私が声を大にして言い、『斬る』以来、巻を重ねること三度、あえて三年間におけるこの段階を通じながら、学会の急速な凋落のなかにおける問題をここに指摘するのも、そういう日本の底辺からの変革、底辺から底あげされる幸福の実現ということのために、なによりも必要なことは、そういう“迷妄”からの解放であり、“魔術”からの解放であり、“非合理”なものからの解放でなければならないと信ずるからにほかならない。
 これが、私自身がその口火をきった学会批判の、いうならば最終的とどめになることを心から望んでやまない次第である。
   一九七二年(=昭和四七年)六月
                               藤原弘達          --おわり--

藤原弘達と創価学会
 1.創価学会を斬る-この日本をどうする2-=1970年・昭和45年<言論出版妨害事件>
  2.続・創価学会を斬る=1971年・昭和46年
 3.新・創価学会を斬る=1972年・昭和47年
 4.創価学会に未来はあるか=1979年・昭和54年  共著・内藤国夫
     「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相
 5.創価学会・公明党をブッタ斬る=1985年・昭和60年
       -いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか-
 6.創価学会池田大作をブッタ斬る=1988年・昭和63年
   藤原弘達・1999年=平成11年没 
  7.藤原弘達『創価学会を斬る』41年目の検証=2012年・平成24年

次回から--
 創価学会に未来はあるか=1979年・昭和54年  藤原弘達/内藤国夫
   「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相
 --です。

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新・創価学会を斬る-42

2017-11-26 06:23:18 | Weblog

新・創価学会を斬る 藤原弘達 (昭和47/6 ¥500- 日新報道)

             ----(P290)---(以下、本文)---
底辺層の精神構造とその背景
 そこでもういちど図表に目を移していただきたい。図Ⅳの「梯型社会」の発展の方向がそこには図示されている。その内部での治者と被治者の区別がだんだんと小さくなり、人間の上昇下降の自由が保証されて、その能力に応じた位置づけが可能になってゆく方向に「矩形型社会」を観念することもできるだろう。私はそれを「ヨーカン型」という名で一つの理念型社会類型としてかかげてみた。
 このヨーカン型社会というものは、その成員の同質性を優先的前提として観念された理念型にほかならない。少なくとも今の日本社会はそういう型に近いものになりつつあるといえるのではあるまいか。
     ヨーカン型の上辺の砂糖のかたまりが佐藤であり、最底辺のところにあるのが創価学会員であるというようなたとえを≪この日本をどうする≫第四卷『人材総点検』の中にもかかげておいたものである。この「ヨーカン型社会」においては、創価学会の象徴であるところの「大作」と権力の最高位に座していると思われる「栄作」と大した差はないことをあらわしている。むろん身分的差別もなければ、ソーシャル・ランクにおける格差もそれ程深刻なものではない、時によって上がった者が下がり、下がった者が上がるに過ぎない。そういう状況に人間の社会的役割は置かれているというこどだ。そこではたしかにこれまでのような権威は通用しないだろう。既成の権威は崩れており少なくとも人間の同質化や平等化というような社会的条件はかなり理想的な形態にまで実現された社会、これを「ヨーカン型」として図示したワケである。
 さて次にⅤの図の菱形的階層帰属意識という図表を参照してもらいたい。この図表は私の『現代日本の政治意識』という本の中にもいろいろと書いてある。十数年に亘つて試みたところの、民衆の政治意識の調査の結果でできた図式で、これは『保守独裁論』(昭和三十三年中央公論社刊)にも出ているし、昭和三十二年秋の日本政治学会で、私はこの図表をかかげて研究発表を行なったものでもある。この階層帰属意識は前述の「梯型社会」のなかにおいて一般化されてきているランキング意識を実証的研究にもとづいて定式化したものにほかならない。
 民衆の主体的な自覚反応の角度からみた場合にでてきたものである。つまり「あなたの属する階層は上、中の上、中の中、中の下、下と、このいずれに帰属すると思いますか」という質問に対する反応の集計を基礎として組み立てられたものである。その質問に対して、「上」というのが大ていの調査で〇・二%~〇・三%「中の上」というのが四%~五%、「中の中」というのが六十%前後、「中の下」というのが三十%前後、「下」というのが新しい調査においてはもう一〇%割るというような傾向がはっきりと出ているのである。そういう結果をそのまま図表化してみると、「菱形的階層帰属意識」という意識構造が現われてくるワケである。国民の殆んどが、つまり九〇%前後の者が中産階級意識をもっているということなのである。そういうようになったのは、経済の成長による生活意識の平準化、分配の平等性などの意識を媒介としながら進められたものではあろうが、同時に日本人自体がそういう中産階級的平準化意識というものを非常に強くもっているといえそうである。その実際の所得格差以上に、平準化を志向しょうとする意識傾向が強いということが、そういう階層帰属意識の調査結果の中にも出ているからである。そういう意識がテレビの驚くべき普及スピードをはじめとし、家庭電化、レジャー等々の大衆的普及を生み、自家用自動車のハンランを生んだ大衆意識の構造的背景をなしていると考えるものである。こういう意識の方向を、先ほど述べたような“ヨーカン型社会”という一つの理想型と組み合せながら、その未来に向かってより理想的な形態の社会を求めて公式的図式的に組み立てるとすれぱ、そこに「正方形社会」、立体化して考えれば「サイコロ型社会」(Ⅶ図)がでてくるというものだ。
 正方形だから各辺の長さが同じであり、サイコロのようにどちらにころがしてもその価値が上下格差がないということをあらわそうとしたワケだ。ある面が名声とか権威であり、またある面が権力や指導力であり、ある面が富であり、経済力であり、ある面が健康とか美とか、生理的な条件とみてもよいだろう。病気の人にとっては健康が何よりも価値であり、醜い人にとつては美が追求に価する価値であるというように考えてもらってさしつかえないだろう。人間がそれぞれに追求する諸価値というものがまさに正方形的サイコロ型に等置されている社会、どちらにころばしても人間が劣等感コンプレックスをもたなくてもいい社会、そういう社会という意味もふくまれている。こういう社会を実現していくためには、やはり科学的な骨組みというものをしっかりとつくらなけれぱだめである。
 コントの有名な“段階説”ではないけれども、神学的虚構的段階から理念的形而上学的段階それから科学的実証的段階へと進歩してゆく人間精神の発展段階というものはやはり常識的だが、無視できない。
 現在から未来へ架橋する場合にも実証的科学性が最優位に尊重されなければならないことは当然であろう。病気という不幸に対しては、科学的根拠にもとづく医療制度確立の先行を図らなければならないし、政治のあり方についても、富や名声のあり方についてもそれらのうちのどれかが不均衡にのさばることのないよう科学的実証的にコントロールすることが必要になろう。権力も健康も富も名誉もそれらの諸価値がほぼ等価関係のパランスを形成し、不当にあるものだけがのさぼるということのないような、そういうまさに調和された価値体系を科学的に組み立てたものが、「サイコロ型」社会の理念型になる。
 こういうサイコロ型のフレーム操作の段階では、宗教がそれ程入ってくる余地はないといわざるをえない。しかし、そういう骨組みの操作だけでは理想的な社会が実現するかといえば決してそうは考えられない。そこには科学や哲学だけでは捉えられない人間の複雑な精神や情念の問題が常に残る。それを私は「円球型社会」への志向といっておこう。
 円球型社会の骨組みの基本的合理性を否定しないで、なおかつその周辺にちょうど斜線を引いているような所がいうならば円球化機能を担当するところ、私はここでゴルフの球を連想する。フレームの外には無数の細いゴムがはりあわせてあるので、その球としての弾力性を保つ。情感を保ち、ふくよかで寛容で、思いやりがあり、慈悲があり、神との対面に人間の気持を絶えずかきたてていけるような機能を果たすのが宗教であるということが、いえるのではないかと思う。そういう意味において宗教が余りでしゃばり、科学的的な合理性を無視したりする場合には、イビツな社会になり、アナクロニズムに陥る。宗教は常に科学的フレームの外側を蔽うところのゴムの役割の中に徹しなければならない。
 宗教によって何もかも問題を解決しょうとするなら中世にもどるほかはなくなる。中世は近代からみれば最も人民搾取と政治ペテンに宗教を乱用した社会であったというべきであろう。それでは近代社会になって、中世のやり方が否定され、経済が発達し、政治が民主化し、科学が発達しても、ではどれだけ人間の幸福が精神的にも確保されたかという点についてはなおなお多くの問題が残ること言をまたない。それが宗教の滅びざる理由でもある。

 今後日本の宗教界は、そういう宗教のもつ限界というものをハッキリと自覚し、基本的な社会の仕組みの合理性を実現する上のマイナス要因になってはならないということである。政治のルールを宗教が犯せば、宗教的ファシズムの危険性が起こるだろう。経済に対しても、芸術や学問に対する関係だって、そのことは同様である。まさに宗教はそういうすベてを蔽って、なおかつ社会に弾力をあたえ、人心のゆたかさを与えるという機能に限定されるべきものなのだ。
 マルクスは宗教をアヘンと言った。しかしそアヘンもこれを麻薬として常用すれば、社会に大きな弊害を与えるけれども、これを正しく科学的に管理して医療に使うこともできるのであって、アヘンなるが故にこれをすベて排除しなければならないということはいえない。“宗教はアヘンなり”としりぞけた共産主義社会においても、結構、宗教政策が問題になり、中国における文化革命が問題になる。こういう現実は、まさに物質構造の科学的構築だけでは片づかない人間の複雑さと精神の微妙さを物語るものであるといわなければならないであろう。
 そういう意味において私は現在の日本とその未来像を考えれば考えるほど、宗教の場と機能はむしろ増大することはあっても減少することはないと信じるものである。
 そういう展望に立って日本の宗教界の現実をみる時、まさに「神仏のラッシュアワー」という状況にありながら、これに対する交通整理は殆んど行なわれておらず、その目標と機能に対する驚くべき混乱がある。いまや日本の宗教界は一種のアナーキーにあり、そういうアナーキの中から最もマキャべリスティックな怪物、創価学会を生んだという反省を日本の宗教界は何よりも痛烈にもたなければならないであろう。

 福沢論吉は明治時代のはじめ、『文明論之概略』のなかで「……新教を開き人を教化し寺を建るもの多しと雖も大概皆天子将軍等の眷顧を徼倖し其余光を仮りて法を弘めんとするのみ……日本の宗旨には古今其宗教はあれも自立の宗政なるものあるを聞かず……然り而して其威力の源を尋れば宗教の威力に非ず唯政府の威力を借用したるものにして結局俗権中の一部分たるに過ぎず仏教盛なりと雖も其数は悉皆教権の中に摂取せられて十方世界に遍く照らすものは仏教の光明に非ずして政権の威なるが如し……仏法は唯是れ文盲世界の一器機にして最愚最陋の人心を緩和するの方便たるのみ其他には何等の功用もなく又何等の勢力もあることなし……則ち僧侶は政府の奴隸と云うも可なり」(『文明論之概略』明治八年巻・五--“カタカナはひらがなになおした”)と述べ、まことに峻烈な宗教批判をやっている。

 この批判は現在の既成宗教のみならず、新興宗教にも、そしてそのもっとも象徴的な創価学会の存在にもそっくりそのままであてはまるものであろう。
       ---------(297P)-------つづく--

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