創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会を斬る-8

2019-10-31 05:48:21 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 <この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
      --言論出版妨害事件-- 昭和44年(1969年)
    ------(P.41)---(以下、本文)-------

2 創価学会的政治主義とは何か
◆ 創価学会ぺースの政治
 こうしたやり方を、われわれは“創価学会政治”ないしは“創価学会的政治主義”と表現してもよいかもしれない。
 歴史的前例をみれば、この創価学会的政治主義はきわめてナチスに類似しているといわざるをえない。ただイデオロギーにおいては、日蓮正宗の独得の論理を背景とし、日本において発生した新らしい論理構造ないしは政治主義のあり方として、一つのパターンを提供するものといえるかもしれない。

 この創価学会政治ないしは創価学会的政治主義とでもいえるもののスタートは、1961年11月27日の公明政治連盟の結成にはじまる。もちろんこれに先立って、1954年11月には、創価学会本部に文化部が設置され、政治進出への布石が打たれている。さらに翌1955年には、政界への初出馬として東京都議会、横浜市議会などにおいて学会員51名が初の当選をなしとげている。

 1955年といえば、10月に社会党が統一大会を行ない、11月には自由民主党の結成が行なわれるなど、二大政党型の政界再編成が行なわれつつあった時代であった。翌1956年、 砂川基地問題が起こり、日本の国連加盟が実現するなど、この一、二年はまことあわただしい年でもあった。
 こういうあわただしい激動の時代に、創価学会は政治進出への第一歩ともいうべき地方選挙、続いて参議院選挙に打ってでたのであるが、本格的な政治への進出は、公明政洽連盟の結成にはじまるとみなければなるまい。
 当時の創価学会からでた議員の勢力は、『公明党の歩み』=公明党機関紙局発行=によると、参議院議員9、都道府県議会議員7、市区議会議員268、総員284名という陣容であった。

 ここまでは、創価学会の政治部が中心となって公明選挙、政界浄化等をとなえる程度で、もっばら政界の腐敗を正す、いうならば批判者ないしは政界に対する粛正者、批判的政界浄化者というオブザーバー的な立場から、つまりかなり宗教らしい角度から政治にアプローチしていたわけである。
 そして「創価学会は参議院と地方方議会に代表を送り、政界を厳しく批判し、政界を浄化することが目的てあって、敢えて政権を求める意思にない」と違挙のたびにくり返し強調してきた。ここまでは、宗教の政治進出には違いないが、参議院と地方議会にかぎられ、宗教者らしい一種の職能的立場から政界の浄化をはかろうとしたものとして、かなり好感をもって迎えられたということができる。

 ところが、状況即応の論理というか、ともかくその時その時によって態度をかえてゆくというまことに都合のいい変転自在な創価学会的政治主義とでもいえるものは、次の段階になるとたちまち変わってくる。
 選挙がうまくいき、政界に人材を送りこむにつれて、スローガンも「大衆福祉の実現」などという民社党ばりの綱領を基調にして、資本家も労働者も繁栄し「個人の幸福と社会の繁栄が一致する」社会の実現、というような方向性を打ち出してくるのである。こうしたものに、いうならば宗教政党らしい味つけをした表現が、前にも述べた仏法民主主義、さらには人間性社会主義、地球民族主義等々の新語となって世に送りだされてくるわけである。
 もちろんこうした政治的スローガンは、創価学会のいわゆる大衆福祉路線を彼等一流の教義によって、それなりに裏打ちしたものではあるけれども、いうなればかき集めのコジツケ論理であり、一種のオジヤのようなものであった。大衆にとって口あたりのよさそうなものは、なんでもかんでもぶちこんでかきまわし、そして一応形を整えた、という代物であったということができる。

 公明党のいう大衆福祉路線なるものは、ヨーロッパの発達した資本主義国では、保守、革新を問わず、各政党とも今世紀はじめから共通して唱えはじめたものであり、一部ではそういう福祉国家体制とでもいえるものを政策としても実行している。それ自体は反共的社会改良主義の立場をとるものであり、修正資本主義的な傾向も多分にもつもので、日本の政党でいうならぱ自民党左派や民社党あたりがこの大衆福祉路線というものにほぼ立場が近いといって過言でなかろう。
 公明党はこういうよそさまのあみだしたイデオロギーや政策綱領を、平気でさっさと頂戴するというようなところがあり、民社研(民社党支持の研究団体)あたりからは、「自分のところでいってるものをそっくり論文その他から引用し、それを公明党の立場に借用しているのはケシカランではないか」といった苦情や批判がでたりした。これは批判をうけただけで結局ウヤムヤにおさまったようだが、そういういけずうずうしいとろが公明党の中にはあるのだ。

 つまり、内容がないから他のものを平気で借りてくるのであり、例の無限抱擁型行動様式というものが、政策綱領その他をつくるときにもいかんなく現われてくるということなのである。つまり、自分の中に何もないものは、他人のものを借用するよりほかないわけだが、拝借するならどこから借りました、ということだけは明確にうたうだけのエチケットが必要だということだ。
 しかし、何分にも日蓮正宗は万能なはずなのだから、どこかから借りたというのではまことに始末が悪い。そこで無断借用ということになるわけで、こういう点からみた場合には、まことに厚顔無恥というか、そういう立場がいかんなく政策網領のなかにも現われているといわなければならない。
 そのくせ、世間態やマスコミの世論を気にするという点では大変なものがあり、自分の不利なことにはビリビリと神経を尖がらせているといって過言ではない。内容がなくて実力が伴なわず、一種のなりあがりものほど、とかく虚勢をはりたがる傾向があるが、創価学会のそういう側面における行動様式は、まことコッケイきわまるといわなければならない。
     ----------(つづく)---------45

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創価学会を斬る-7

2019-10-30 08:09:12 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 <この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
      --言論出版妨害事件-- 昭和44年(1969年)
    ------(P.37)---(以下、本文)-------

◆ 状況次第でクルクル変わる“創価学会”
 ところで、日蓮の至上命令としたものに「国立戒壇建立」があることは周知のところである「国立」とは、笠原一男の表現によれば、「今日でいえば国会の議決に相当する」ものといわれる。ということは、とりもなおさず衆議院において多数を占め、議会制民主政治のもとにおいて政権を合法的に獲得することが前提になるわけなのである。

 この「国立戒壇」なるものと政権構想とを結びつけると、口ではなんといおうと、内容的、実質的には日蓮正宗を国教にする、という意味に受けとられる可能性が大いにあるといわなければなるまい。創価学会は、こういう批判に対し、必ず一種のいいわけをするクセをもっている。
 学会では、「国立」とは、国民主権の原則のもとでは「国教」という意味ではないということをしきりに強調し、信仰の自由と抵触する国教という発想自体をおさえる形によって、さまざまの批判に対応しょうとしている。しかし、日蓮正宗の本質の中にはまさに国教化ということが使命感としてうたわれているのだ。

 だが、それを認め、これを強く表面に打ち出すということになると、憲法に保障されている信仰の自由にたちまち抵触し、重要問題化し、公明党の議会制を前提とする政党活動に大いに障碍となる可能性がある。したがって、国立戒壇なるものと政権との関係を否定し、日蓮正宗国教主羨を一時おさえるということは、彼等の戦術からして至極当然ななりゆきであり、そういう形の合理化のしかた自体のなかに、彼等のインチキ合理主義といわれるもの、政治的理由によって表面を糊塗するやり方、手ぐちがありありとうかがわれるといわなければならない。
 日蓮正宗を国教にするための政党というのでは、民主主義の原理とあらゆる面で背反することになる。そこで、国立戒壇の建立ということは正本堂の建立で当面間に合わせるという方便をとり、とりあえずは活動目標から削除するというご都合主義的な判断がでてくることになったのである。

 こういうやり方は、創価学会の常套手段なのである。明らかに「衆議院にはでない」と天下に公言しておりながら、「時代と民衆の要望によって、でていかざるをえなくなった」としてでていく。国会で多数をとれるまでは正本堂でがまんしておいて、いよいよ政権をとってしまったら、そこで国立戒壇建立を多数をもって議決しても少しも構わないではないか、といったまさにご都合主義的な戦略戦術の積み重ねは、いったい何を意味するのであろうか。われわれはナチスが政権をとるために行なったところの変転自在なる政権工作、かけひきというものを第一次世界大戦後のドイツ政治史の中でありありと読みとることができるのであるが、創価学会のやり方はまさにこのヒトラー・ナチスの手ぐちときわめて類似しているといわなければならないであろう。

 創価学会・公明党には、この意味において時代と民衆の要望を口実として、どのような原則をも状況次第によって変えるという政治的作為の論理が、いつもその底流にあるといわなければなるまい。
 こうしたことをそのままそっとしておいて、口さきだけの「王仏冥合」の理想実現とか、「仏法民主主義」とか、「人間性社会主義」とか「地球民族主義」というような観念的な言葉を羅列し、その時その時の民衆の低次元の願望に密着し、これを利用し、そのエネルギーを吸収していく手ぐちは、まこと恐るべきものといわなければならないということである。
     ----------(つづく)---------39

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創価学会を斬る-6

2019-10-29 08:08:01 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 <この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
      --言論出版妨害事件-- 昭和44年(1969年)
    ------(P.32)---(以下、本文)-------

◆ “折伏”という奇妙なる説得方法
 それにしても創価学会は、実に巧みに大衆心理のなかにくいこんでゆくさまざまな手をあみだしている。
 学会員にとって、折伏なるものは、大衆を幸福に導くための「慈悲の行為」ということになっている。折伏自体が精神であり、魂である、ともいわれている。したがって、そもそも慈悲の行為なのであるから、これを遠慮なく他人に及ぼしてゆくということは、少なくとも信心をもっている学会員にとっては、当然の使命なのである。積極果敢な折伏が行なわれれば行なわれるほど、そのこと自体が信仰の深さ、信念の深さを実証するものとなる。こういう論理的組み立てなのである。

 したがって、ただ自分だけが入信しておればそれでよいということは、創価学会においては絶対に許されない。学会員は自分自身の内面を深く内省するという行為以上に、わかってもわらなくてもいいから、他人にぶつかり、自分と同じような信念をもたせるために、強く働きかけることを要請されている。そこから信者獲得数が学会員のメリットとなり、そのメリットが彼等を一種の立身出世、学会内立身出世主義のエスカレーターに乗せるキメ手になっている。

 創価学会員の布教活動が、細胞分裂といわれるのもそのためてある。細胞組織戦術なるものは、共産党がしばしば用いた手であり、まさに細胞という表現は、そのまま共産党組織に存在するものにほかならない。この戦術が、いうならば本家である共産党を凌ぐほどにキメ手となったのは何故であろうか。それは、日本共産党を含む日本の革新勢力の、大衆の情感からの浮きあがり、ないしは大衆感覚の欠如という側面からも分析できるであろうし、さらには日本の大衆のまさに日本的とでもいえる宗教的情感、宗教的なるものへの渇望、あるいは政治不振への不満、精神的空洞化の現象等々からも説明できょう。この戦術が創価学会において一つの成功をおさめたことは、日本の政治、宗教にとってまことに皮肉な現象といわなければならない。

 ともあれ、この折伏方式を通じて細胞組織を拡大し、しかもそれを底辺大衆にしぶとく展開していったところに創価学会伸張の基本的な路線があり、その政治と宗教の使い分けは、まこと巧妙であり、その限りにおいては見事であったといってもよい。 たしかに精力的な折伏行為が行なわれ、それはしばしば行き過ぎながらも情熱をもって試みられた。しばしば引用されているものではあるが、池田大作は折伏について次のように述べている。

 「われわれが折伏するのは、相手が駄目な人間であると、非難したり、悪口をいったりするものではない。事実は、まったく逆であり、相手のもつ邪法を打ち破り、邪見、偏見におおわれていた、清浄無染にして、力強い、尊厳極まりなき、妙法蓮華経という大生命をあらわさんがためである。これ最も相手を尊敬する行為であり、かつ生命の尊厳を基調とする民主主義の先駆をなすものではないか。しかもまた、いかなる迫害にも屈することなく一切衆生の幸福を願って忍耐強く折伏していくことは、最大の寛容ではないか。」
 「創価学会がなぜ強いかといえば、それは学会の目的が全民衆の幸福にあるからである。われわれには、なんの野心もない。権力に迎合する必要もない。右でも左でもない。われわれは、中道をまっしぐらに進むのである。折伏は、創価学会の精神であり魂である。だれがなんといおうが、永久に折伏は続けていくのである。」(傍点・引用者)(『立正安国論講義』)

 この池田会長の表現の中に、創価学会が折伏なるものにこめている基本的な姿勢とでもいえるものがほぼ要約されているといってよいであろう。
 折伏行為を通じて、彼等は民衆に幸福をもたらすことができると考えており、それ以外には、極端にいえば何もない。それが基本的な姿勢であり、民主主義そのものであり、民衆の幸福をもたらすものなのである。なんの政治的野心もなく、右でも左でもなく、永遠に折伏を続けることにこそ創価学会の基本的姿勢があるという。その点が強調されているのである。
 私は、「なんの野心もない」というところに傍点をつけたが、こういう単純な発想、素朴な表現の中に、まさにそれなりの野心が秘められていることを否定することはできないであろう。われわれは宗教団体であり、政権をとるなんてとんでもない、そういうことは考えてもいない、というような表現は、かって創価学会が政治に進出した当初、くり返し述べられてきたところである。

 つまり、地方選挙や参議院選挙に出馬することによって、日本政治に対する批判勢力であろうとすることに当面の目標がおかれ、直接、政権獲得をめざすような政党活動を行なう意思はないと、はじめはくり返し強調してきた。たとえば、池田大作は1960年6月の中部総支部幹部会で「創価学会は衆議院には出ません。なぜかならば、あくまでも宗教団体ですから。改治団体ではありません」と述べている。これも、いまから考えてみれば、次の飛躍をするための一種の戦略戦術あったということであり、なんの野心もないということのウラには、大きな戦略、場合によっては謀略、陰謀がかくされているとみることも、こと創価学会に関する限り必ずしも不当な見方ではないということである。

 むしろ彼等のいうことの背後にはそういうウラがあるとみてもよい。当面の妥協と、背後にかくされた真意というものをよく見抜いて判断しないと、しばしば大きなミステークをおかすことになるのだ。こういうやり方自体が、彼等のいう折伏方式のまさにストラテジーになっており、この手ぐちで大衆を折伏している。そういうことを感じさせる事例は数限りなくある。
 創価学会の基本的な立場は故戸田域聖の王仏冥合論からいえば、政治への進出は当然の帰結であり、政治へ進出するからには政権獲得の野望もまた当然視されなければならない。だが、問題は、そうでありながら、「野心はない」というようなことをいっているところにある。創価学会の政治的出店とでもいうべき公明党は、王仏冥合実現のため、実は具体的には政権獲得のため、手段を選ばず精力的に東奔西走している。母体ないし本店にあたる創価学会自身も、そういう公明党に対し、物心両面でバックアップを行ない、これをリードし、折伏行為を通じてその選挙地盤を固め、宗教即政治を実践しているのである。
     ----------(つづく)---------37

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創価学会を斬る-5

2019-10-28 08:14:00 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 <この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
      --言論出版妨害事件-- 昭和44年(1969年)
    ------(P.27)---(以下、本文)-------

◆ 創価学会における内面的分裂症状
 創価学会のいわゆる“意見”なるものと“態度”なるものとは、しばしば食い違い、大きく分裂している場合が少なくない。彼等のおもてだった主張を聞いている限りでは、だいたいにおいて一種の模範答案を聞かされているようなものであって、その限りでは文句のつけようがない。
 たとえば「日蓮聖人と天皇陛下と、どちらが偉いか」という問いに対して、天皇のほうが偉いとも日蓮のほうが偉いともいわない(『文芸春秋』1963年7月号所収)。要するに、非常に暖味でどっちがどうなのかさっぱりわからない。そうした回答では、異常性がすべてカットされ、誰れにきかれてもかまわないような大臣級の答弁がならべられるのである。

 しかし、いわゆる大臣答弁なるものは何かといえば、要するにシッポをつかまれなけれまよいということで、ご都合主義的な模範答案といえる。要領はいいが中味がない。しかも、要領がいいということは、それなりに計算されているということである。へマをやらないで、痛いところをつかまえられなけれぱいいというわけで、基本的には逃げ腰なのだ。大臣答弁なるものは、常にその答弁のウラにかくされているところに真の問題があるわけだが、創価学会の場合も、外面的に唱えている意見の背後にある基本的な姿勢、ウラのウラにあるもの、それを見逃してはならない、ということがいえよう。
 彼等の主張するところは、一見合理的である。私はこれを一種の“インチキ合理主義”という名称でよんだことがある。一応合理的にみえるが、彼等の主張をギリギリの点までおしつめてみると、日本の思想の一つの根源的なパターンともいえる“無限抱擁型”の奇型とでも評しうるものが露呈される。

 “無限抱擁型”というのは何かといえば、何ものも拒否しないということである。外見的にはすべてを抱擁する、つまり限りなく抱擁するということである。だが、何も拒否しないということは、中味に何もないということに通ずる。その無内容性を、外見的には合理的な形でつじつまをあわせているわけで、それを私は“インチキ合理主義”とよんだのだ。それは、無限に抱擁していく過程において、内容はその都度どのようにも変化してゆくということにもなる。
 たとえば、日蓮正宗以外はすべて邪教という立場をとって、宗教的、信仰的には排他的でありながら、イデオロギーに対してはどのようなものからでも、よいものはなんでもとりいれるという態度をとっている。この態度と意見の矛盾、これを彼等はいったいどう考えているのであろうか。ここにも一つの大きな問題がある。

 さらに、創価学会の政治活動が、いまや事実上この学会を支える大きな柱となっていることは否定できないところであろう。創価学会は政治進出を通じ、政治を利用して、学会勢力を伸ばしているといっても決して過言ではない。宗教の側面においては絶対に妥協しないが、政治の面においては妥協がつきものてある、ということを公然と口にしてはばからない。こういう宗教と政治の使い分けという側面においても、つまり純粋を尊ばなければならない宗教と、はじめから一種の妥協の産物として割り切ってとらえられた政治との使い分けのなかに、非常に日和見的な、マキアベリスティックな感覚がみられる。あらゆる他宗を峻烈に拒否しようとする宗教のもつ態度と、政治というものに対応する態度との間に、極端な矛盾、分裂を感ぜざるをえないということである。こういう点こそ、創価学会の意見と態度の分裂をもっとも象徴するものといえよう。

 ところで、それはかって池田大作が、公明党衆議院進出をひかえた1966年5月の総会で「舎衛の三億」の方程式を説いたことからはじまるものといえよう。ちなみに「舍衛の三億」なるものは、シャカに結びついた説話であり、インドの舎衛の地の故事にならって、国民の3分の1が信仰し(学会員〕、3分の1が信仰なしでも理解を深め(公明党支持者)、3分の1が無関心(反対者)という比率において、日本の現在から未来への展望を試み、日蓮正宗の広宣流布を通じて、創価学会の考える王仏冥合の理想世界を実現してゆこうとする主張にほかならない。
 その重要な広宣流布、つまり広報宣伝の戦略戦術にあたるものの一つが、この政界進出であるといってよいだろう。

 ともかく、インドの舍衛の三億の説話を現代の社会状況に結びつけているという驚くべきアナクロニズムは、宗教なるが故にやむをえない主張であると、とらえるにしても、この説話通りに理想社会を実現するということになると、どこから手をつけてよいかわからないほど現実との矛盾が現われてこざるをえない。貧乏な人間からは会費をとらないというやり方、金のかからない宗教というイメージアップなど、アノ手コノ手のまさに涙ぐましいいろいろの手段、方法が打たれてくるわけであろうが、少なくとも創価学会のそういう高遠な理想と、現実における大衆の情感へのピントのあわせかたとをみると、その間に大きな距離、断層があることは
否定できないところであろう。それは単に観念と現実、イデーとリアリティの間ということだけではない。何千年か昔のシャカの説話を現実の社会状況と結びつけようとする、まさに遠大なるストラテジーにあるのだ。そういう意味において、創価学会の宗教性と政治性のギャップは、普通われわれが考えている以上に大きなものがあり、これを合理的に結びつけようとすればするほど、そのなかにおける論理的矛盾は、いたるところに現われざるをえない宿命をもっているということである。ともあれ、創価学会には、その意見・主張と違った別の側面があるとみなければならない。

 あらゆる宗教が、高遠な理想をかかげながら、現実的には大衆の情感にピントをあわせ、さまざまな手を打っているという点については、一応の普遍性を認めるにしても、もし理想の実現が真底からの願いであるとするならば、学会の現実はおそらく際限のない自己矛盾におち入らざるをえない宿命をもっているといわざるをえない。
 宗教は何よりも内面の矛盾を恐れなければならない。しかるに、彼等の外に向ってとる強い攻撃的態度、宗教の高遠な理想とは無関係に、宗教を勢力とし、政党を勢力として拡大していこうとする方法は、宗教を単なる方便に使用しているに過ぎないと受けとられてもしかたがないものをもっており、内面に矛盾をもちきたらすものといわざるをえない。そういう側面からみた創価学会のさまざまな奇妙さについては、幾多これを例示することができるであろう。

 その最も大きなものは、いわゆる邪教論の後退である。創価学会が公明党という政治支店ないし政治出店を出して以来、いわゆる他の一切の既成宗教は邪教であるという主張が、だんだんと声の小さいものとなってしまった。これは彼等の基本的発想、立場が変化したということを意味するものではない。他宗を邪教としてその存在を原理的に否定するということは、そもそも日蓮正宗の基本的な立脚点であり、宗教的な伝統であったはずである。それが公明党という政治支店を開き、衆議院に進出すると、そうしたラジカルな邪教論の立場がどんどんと後退してしまっている。

 政治と宗教のいずれが学会の主体なのか。政治は妥協である、宗教は純粋でなければならない、こうした矛盾、現実と理想の分裂、それが邪教論を政治的配慮のために後退させているものなのである。このことを裏返せば、邪教論の後退は、とりもなおさず、宗教をパワーとしての宗教勢力、パワーとしての政党勢力拡大の便宜的手段として用いているということであり、邪教論後退は戦術的後退というほかなく、現実に対する妥協的な適応態度といわなければならない。
 そういう政治手段の先行が、宗教に与える変質については、驚くべきことにきわめてリアリスティックに割り切られている。そこにも創価学会の大きな問題点があるといわざるをえないであろう。
     ----------(つづく)---------32

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創価学会を斬る-4

2019-10-27 08:53:22 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 <この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
      --言論出版妨害事件-- 昭和44年(1969年)
    ------(P.24)---(以下、本文)-------

◆ 徹底した“ご都合主義”集団
 それにしても、創価学会という人間集団には独得のエネルギーが溢れており、それなりの馬力があることは否定できない。会員を増やすこと、選挙に勝つこと等々、一度目的が設定されたとなると、まさに皇軍無敵の勢いではないが、破竹の勢いをもって進撃を開始することになる。そうして進撃をはじめたとなると、いかなる手段をも辞さないのである。勝つためにはなんでもやる。どんな形態の組織化もいとわない。そのやり方は要するに“力は正義なり”を地でゆくということである。

 マイト・イズ・ライト--強い者が勝つ、勝てば官軍敗ければ賊軍というわけだ。そのやりくちは、およそ人間の内面に自然にくいいる宗教とは無縁な、はなはだ強権的、強圧的なものなのだ。ひとことでいえば、まことに攻撃的性格をもっているということである。こうした団体であり、そういう戦術をとることに特異性をもっているが故に、創価学会を構成している幹部にしても、だいたいは品格のない人ばかりである。なにかというとすぐに脅迫的な威力をかけたがる。さまざまな形で自分たちの組織の強大さをひけらかす。そういう人たちばかりであり、本当に心から感動して、思わず頭を下げたくなるような敬虔な宗教家タイプの人は、まずほとんどいないに等しいといってよい。
 私は、創価学会の幹部にはほとんどといってよいくらい会っているが、そういう世間に名のとおった幹部たちにしても、小型政治家か、中小企業のやり手経営者か、銀行員の支店長タイプか、ないしはヤクザ、グレンタイの親分か、ともかく、そのような類型に入る人々がほとんどであり、宗教家のもつ謙虚さ、謙譲さといったものを感ずる人はほとんどいない。
 まこと世俗性の強い信仰団体といえるかもしれない。そういう印象がいまや決定的になっているということである。

 もっともこういう傾向は、日蓮正宗なるもののもっているまさに避けられない一種の宿命であるかもしない。日蓮正宗という宗教自体の基本的性格の中にそういう傾向があるということであり、そういう傾向があるからこそ、いっそう過大表示というか、自己顕示的病理をアラワにするということかもしれない。
 そうした自己顕示ないし過大表示の精神傾向という点では、ナチスや旧日本軍隊はまさに直接の先輩格といつてもよいであろう。
 彼等の行なうところの大衆運動は、そのほとんどが成功を外見的に誇示するところに狙いがおかれており、内面的滲透は第二、第三のものと考えられている。宗教の形態からいえば、明らかに一種の堕落としかいいようがない。

 それにしても創価学会は、まさにそういう外見的デモンストレーション集団としては、もっとも徹底したものの一つということができる。この種のマス運動のなかにまき込まれ、そのなかで踊らされているといってもいい会員大衆は、まことお気の毒というほかあるまい。会員大衆は、そうした運動にまきこまれればまきこまれるほど、一種のバカになるだけだということにもなろう。踊らされるだけで、大衆自身がいったい幸福になれるのかなれないのか、そのことについては、かってのナチスや旧日本軍隊をふりかえってみてもいいし、大日本帝国の進行形態のなかにおいて踊らされた国民大衆の運命というものをかえりみてもよい。そこにおける問題性については、私がここでいろいろと言及する必要もないところである。

 ともかく、このようなマス・ムーブメント、自己顕示型、誇大広告型の大衆運動を強引に進めながら、「王仏冥合」などというかなりいいかげんなご都合主義的宗教哲学をふりまわし国民大衆を愚弄しているということは、宗教的にみて、まさにこれほど堕落した形態は、古今東西の歴史にみることができないといっても過言でないかもしれない。
 それだけにわれわれは、現代における創価学会のその種の問題をつきつめてみなければならない段階にきていると考えるわけである。
     ----------(つづく)---------27

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