--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
<この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
--言論出版妨害事件-- 昭和44年(1969年)
------(P.41)---(以下、本文)-------
2 創価学会的政治主義とは何か
◆ 創価学会ぺースの政治
こうしたやり方を、われわれは“創価学会政治”ないしは“創価学会的政治主義”と表現してもよいかもしれない。
歴史的前例をみれば、この創価学会的政治主義はきわめてナチスに類似しているといわざるをえない。ただイデオロギーにおいては、日蓮正宗の独得の論理を背景とし、日本において発生した新らしい論理構造ないしは政治主義のあり方として、一つのパターンを提供するものといえるかもしれない。
この創価学会政治ないしは創価学会的政治主義とでもいえるもののスタートは、1961年11月27日の公明政治連盟の結成にはじまる。もちろんこれに先立って、1954年11月には、創価学会本部に文化部が設置され、政治進出への布石が打たれている。さらに翌1955年には、政界への初出馬として東京都議会、横浜市議会などにおいて学会員51名が初の当選をなしとげている。
1955年といえば、10月に社会党が統一大会を行ない、11月には自由民主党の結成が行なわれるなど、二大政党型の政界再編成が行なわれつつあった時代であった。翌1956年、 砂川基地問題が起こり、日本の国連加盟が実現するなど、この一、二年はまことあわただしい年でもあった。
こういうあわただしい激動の時代に、創価学会は政治進出への第一歩ともいうべき地方選挙、続いて参議院選挙に打ってでたのであるが、本格的な政治への進出は、公明政洽連盟の結成にはじまるとみなければなるまい。
当時の創価学会からでた議員の勢力は、『公明党の歩み』=公明党機関紙局発行=によると、参議院議員9、都道府県議会議員7、市区議会議員268、総員284名という陣容であった。
ここまでは、創価学会の政治部が中心となって公明選挙、政界浄化等をとなえる程度で、もっばら政界の腐敗を正す、いうならば批判者ないしは政界に対する粛正者、批判的政界浄化者というオブザーバー的な立場から、つまりかなり宗教らしい角度から政治にアプローチしていたわけである。
そして「創価学会は参議院と地方方議会に代表を送り、政界を厳しく批判し、政界を浄化することが目的てあって、敢えて政権を求める意思にない」と違挙のたびにくり返し強調してきた。ここまでは、宗教の政治進出には違いないが、参議院と地方議会にかぎられ、宗教者らしい一種の職能的立場から政界の浄化をはかろうとしたものとして、かなり好感をもって迎えられたということができる。
ところが、状況即応の論理というか、ともかくその時その時によって態度をかえてゆくというまことに都合のいい変転自在な創価学会的政治主義とでもいえるものは、次の段階になるとたちまち変わってくる。
選挙がうまくいき、政界に人材を送りこむにつれて、スローガンも「大衆福祉の実現」などという民社党ばりの綱領を基調にして、資本家も労働者も繁栄し「個人の幸福と社会の繁栄が一致する」社会の実現、というような方向性を打ち出してくるのである。こうしたものに、いうならば宗教政党らしい味つけをした表現が、前にも述べた仏法民主主義、さらには人間性社会主義、地球民族主義等々の新語となって世に送りだされてくるわけである。
もちろんこうした政治的スローガンは、創価学会のいわゆる大衆福祉路線を彼等一流の教義によって、それなりに裏打ちしたものではあるけれども、いうなればかき集めのコジツケ論理であり、一種のオジヤのようなものであった。大衆にとって口あたりのよさそうなものは、なんでもかんでもぶちこんでかきまわし、そして一応形を整えた、という代物であったということができる。
公明党のいう大衆福祉路線なるものは、ヨーロッパの発達した資本主義国では、保守、革新を問わず、各政党とも今世紀はじめから共通して唱えはじめたものであり、一部ではそういう福祉国家体制とでもいえるものを政策としても実行している。それ自体は反共的社会改良主義の立場をとるものであり、修正資本主義的な傾向も多分にもつもので、日本の政党でいうならぱ自民党左派や民社党あたりがこの大衆福祉路線というものにほぼ立場が近いといって過言でなかろう。
公明党はこういうよそさまのあみだしたイデオロギーや政策綱領を、平気でさっさと頂戴するというようなところがあり、民社研(民社党支持の研究団体)あたりからは、「自分のところでいってるものをそっくり論文その他から引用し、それを公明党の立場に借用しているのはケシカランではないか」といった苦情や批判がでたりした。これは批判をうけただけで結局ウヤムヤにおさまったようだが、そういういけずうずうしいとろが公明党の中にはあるのだ。
つまり、内容がないから他のものを平気で借りてくるのであり、例の無限抱擁型行動様式というものが、政策綱領その他をつくるときにもいかんなく現われてくるということなのである。つまり、自分の中に何もないものは、他人のものを借用するよりほかないわけだが、拝借するならどこから借りました、ということだけは明確にうたうだけのエチケットが必要だということだ。
しかし、何分にも日蓮正宗は万能なはずなのだから、どこかから借りたというのではまことに始末が悪い。そこで無断借用ということになるわけで、こういう点からみた場合には、まことに厚顔無恥というか、そういう立場がいかんなく政策網領のなかにも現われているといわなければならない。
そのくせ、世間態やマスコミの世論を気にするという点では大変なものがあり、自分の不利なことにはビリビリと神経を尖がらせているといって過言ではない。内容がなくて実力が伴なわず、一種のなりあがりものほど、とかく虚勢をはりたがる傾向があるが、創価学会のそういう側面における行動様式は、まことコッケイきわまるといわなければならない。
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