創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

続・創価学会を斬る-38

2018-10-31 09:44:39 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・2/7>
続・創価学会を斬る  藤原 弘達  昭和46(1971)/12  日新報道

    ------(P.186)---(以下、本文)-------
政教不分離への証言-①
 前著『創価学会を斬る』を出した折に、数々の投書が私のところへきたことはすでに述べたとおりである。その内容は悪罵、非難から“殺してやりたい”と脅迫する者がいる反面、“頑張ってくれ”“もっと徹底的に斬ってくれ”“よくやってくださった”という激励の手紙をふくめて、まさに山ときたことはいうまでもない。そうした投書の山は本を出して出版妨害が明らかになったときに最初に押し寄せ、次いで第二の山は四十五年五月三日の池田講演の後にきた。あの池田講演についてはすでに私の批判も展開したが、あまりのインチキぶり、あまりのゴマカシぶりに学会内部からも憤りが生じ、それが投書の山となったということである。
 例えば次のようなものがあつた。(この投書には住所、氏名がチャンと書いてあり実在の人物かどうかも確かめてある。
 「…池田会長は十周年記念大会において、今回の言論問題について、いいわけがましいことを混えながら、猛省しているとか、政教分離するとか、いろいろ言明しましたが、そういうその口で過去については早速ウソの談話をやったのでは反省にもならず、これからの方針も欺瞞にみちたものであります。
 『私は過去三力年間公明党になんの指示もしていない』とか『竹入君たちになにかを云うことは政教分離の自己否定になる』『党のことは党の資任であり自主性をもたせていた』『とくに一昨年からまったくノータッチできております』などと、近い過去をふりかえって、さも民主的なような談話をしておりますが、党にノータッチであった筈の昨年(四十四年)一月、両国の日大講堂で幹部大会を開催したとき、池田氏は神奈川と埼玉の二、三の公明党員が思い上がった言動をしたということで大変な立腹をしてその旨を万余の面前で罵倒したあげく、前列に座していた大幹部である国会議員数十名に対し退場しろと怒号すると、議員達全員は退場するわけにもいかず、返す言葉はむろんなく、ただオロオロと最後部に退き立つておりました……」

 まことに写実的な描き方で、ウソとは思えない。池田会長という男はとにかく大変な存在だったということがよくわかるといってよいだろう。その後も池田会長の「御勘気」は解けず、大石寺に池田がゆくと議員連中もゾロゾロついてゆき、その後を泣きながらすがりついたという。家屋のなかに池田が入ると、これにつづこうとして押し出され、会長が出てくるまで直立不動の姿勢で何時間でも大の男が泣きながら待っている。出てくるとまた手放しでボロボ口と涙をこぼしては泣き、ゾ口ゾ口と右往左往しながら金魚のフンのようにつながってゆく。それが毎日のことで、長期間にわたったというのだから、まさにたわけたというか、ケッサクな話なのである。

 こういう状況を目撃し、かえって多くの学会員は改めて会長の偉大さを自覚したのかもしれないが、当然のこととして人によっては疑問も生じたという。この天下の議員さんたち、いったい何をしているのか。池田会長一人のためにこんなことで徒食し、国会の審議や政策の研究ができるだろうか。会長は現に「公明党は学会のものではない。国民のものです」といっているように、少数でも学会員以外の人々の票もとって当選した「国民の代表」ではないのか。池田個人のために、こんなにバカバカしい時間を空費しては一種の「不正議員」と変わらないではないか。会長も会長といわなくてはならない。若干の不心得者がでたことを理由として、全員に制裁的な暴言と侮辱を加える権限が池田会長のどこにあるのだろうか。まして国会の仕事を怠ってついてくる議員たちを、本来の仕事に戻すという措置をとらなかったのか……等々。

 まさに当然すぎる疑問というべきであろう。そのくせ、その五月過ぎには、その池田自身まことにシャアシャア~として、「いつも私の意見は少数意見でなかなか通らない。公明党の議員さんがたは偉くて私のいうことなどきいてくれませんよ」と平気でいっているのだ。
 投書した学会員が、「これだけ国民の代表をロボットにひとしい私物あつかいにしておきながら、一昨年からノータッチなどと、内情を知らない外のマスコミに向かって臆面もなく言明するこの宗教人、まことに世界一にずうずうしい人だと断定したくなります」と痛憤するのも無理からぬといわねばなるまい。

 この学会員の指摘をまつまでもなく、公明党の議員はその幹部の竹入や矢野をふくめて、池田の前では吹けば飛ぶような存在であり、外にはいかにも民主的な運営をしているように見せかけていながら、内ではまったく逆なことが行なわれており、そういう二枚舌の論理と二つの顔の使い分けという点は、五月三日の池田発言はまさにその頂点をなしたといえよう。
 -----(180P)----つづく--

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・創価学会を斬る-37

2018-10-30 07:16:15 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・2/7>
続・創価学会を斬る  藤原 弘達  昭和46(1971)/12  日新報道

政教混淆--“百害あって一利なし”
    ------(P.181)---(以下、本文)-------
 ところが宗教の近代以前のこうした基本的特質とは 全く逆に「政教分離」が近代国家の原則となっている。そういう原則が生まれたのはヨーロッパでは法皇と各国君主のはげしい闘争、非力トリック教徒の信教の自由を獲得するための闘い、宗教と密着した政治勢力同士の血で血を洗う陰惨な相剋といった生々しい歴史の事実を体験したからである。
 そういう体験のなかから人間にとって最も大切なものは、神の偶像でもなければ、宗教のカタチでもなく、生きた人間であることを知ったのだ。そこからいわゆる近代における人間の尊厳や、自由の価値に対する自覚が生まれ、外的な社会形態としての宗教に対する人間優位が確立されていった。
 そういう人間自覚の立場においてこそ、宗教はあくまで人間の内面的世界に関すること、国家は人間の社会的外面的世界のことと、ハツキリ分雕することがまさに人間のために必要になったということである。宗教の理想とするところを社会に実現しようとするのは当然であるが、これが権力によつて外から人間をコント口ールしようとする政治と結びつくと、とんでもないことが起こることを、まさに体験のなかから知ったということだ。事実、政治と宗教の癒着は過去においておびただしい弊害をもたらし、迫害と弾圧と泥沼的闘争の歴史をつづった。
 その点日本も決して例外ではあるまい。そうした苦い歴史的経験を通じ、人間の優位を第一とすれば当然のこととして政治と宗教をハッキリ分離することが、一番賢明なことを知るようになったということでもある。こうした歴史の体験からえた英知こそが、すなわち政教分離の大原則なのである。

 まさに政教分離は人間の“歴史的英知の産物”なのである。ところが創価学会・公明党はあえてそれを無視してきた。例えば池田会長は三十八年五月三日の講演で、選挙に触れ、「選挙は(会員)全員の団結の力で勝ったのであります」とのベている。つまり創価学会の宗教活動によつて公明党の選挙を推進したことを奇しくもそのまま肯定し、むしろ強調しているわけである。
 そして央忠邦によれば、池田会長は公明党議員に対してかなり厳しい態度をとってきたということである。そのことは池田会長が議員すら自分の“配下”と考えてこれをコントロールしていた何よりの証拠といえるであろう。
 創価学会の目的は、日蓮正宗の教えを、この日本だけにとどまらず世界中に普及することにある。公明党なる政治集団の究極の目的もその点全く同じであり、創価学会の活動に対して政治的アクセントを加える役目をしているのである。こうした点の疑問が払拭されないかぎり、いくら口先で政教分離を唱えても、それは全くの“空念仏”にすぎないといえよう。

 池田会長が実質的に公明党の党首であるということは、例えば公明党の左旋回が池田会長の公明党の“右寄りは残念”という一言でなされたことにもあらわれているが、さらに永田公平によれば、竹入委員長辞任劇をめぐって、公明党内部で対立が生じ、同党にとって初めて重大な局面を迎えたときに、それを収拾したのはやはり池田大作会長であったということである。
 すなわち六月四日池田会長は竹入委員長に対して、「辞めることはなかろう」と、委員長の椅子に坐ることを許可したわけで、この池田の“ご聖断”により、竹入更迭の運動はピタリと止み、党大会前の幹部ならびに党大会において竹入留任がすんなり決まったという(「池田の“ご聖断”で決った竹入体制」『改革者』四十五年八月号)。まさに“鶴の一声”といってよい政洽的威力なのである。こうしたことをみるならぱ、政治のリーダーと宗教の最高権力者が同一でないという発言はどこからでてくるのであろうか。まさしく意識的な二枚舌に過ぎない。

 さらにもう一つ重要なことは、学会の幹部と公明党の幹部がどれだけ分離されたかということが一つのメルクマールになるわけであるが、中央レベルではかなり進んでも、末端の県会議員、市町村議員クラスではそれが全くといってよいくらい進行していないのが実状である。これは地方議員になっている連中が、ほとんど学会の地方での中心的人物であったからであり、議員のことごとくが学会の役職から離れてしまうと、学会の活動が成り立たないし、逆に彼等が議員を辞任してしまうと、公明党の地方組織がガタガタになってしまうという二律背反の矛盾を抱えているためである。
 そもそも学会幹部と党幹部が同一人であったということ、そして地方レべルでは依然として政治上のリーダーと宗教上のリーダーが同一であることに、すでに大きな問題がある。ここにもまぎれもない政教混淆の姿があったし、今なお依然として存続しているのである。
 公明党が結成されたとき、初代の原島委員長は「池田先生は党の生みの親であり、育ての親でもあり、偉大な支えとなっております。そしてわれれの将来を見守って下さり、擁護して下さり、指導して下さいます」と述べている。これは党員にとって池田大作が党の最高リーダーであることを如実に示す言葉ではなかったろうか。

 池田会長はかって、創価学会の目的である国立戒壇の建立を誓ったことがある。この会長が、国立戒壇の建立が憲法違反の疑いがあると批判されると、一夜にして、「いやこれは国民による民衆立の戒壇である」と態度を豹変させたが、こうした日和見主義、権力オポチュニストの言をいったいどこまで信用できるのであろうか。その立場がいつまたひっくり返るかわかったものではないのだ。
 もし公明党が国会の過半数を占めるということになれぱ、それは国民の意思であるから民主主義のルールに従つて国立戒壇を建立し、日蓮正宗を国教としてもよいではないかというように立場をひるがえすかもしれないのである。今までさまざまな発言からみて池田会長のいうことは全く信用できない。会長の今日いった言葉と過去にいった言葉の矛盾はいくらでも指摘できるからである。
 池田会長は、……
創価学会も公明党も「王仏冥合」をめざす“同体異名”の団体、といったこともあるし、一人の人間について「政治の面からみれば公明党であり、……信仰の上から創価学会員である」と論じたこともあるし、「もし公明党が独自に創価学会から離れたものであるならぱ、それは既成政党となんら変わるところがない」と述べたこともある。
また「私は党員の責任者として党の将来を見守る必要がある」と論じたこともある。

 竹入義勝は委員長就任後の記者会見で、「池田会長からいい渡されたばかりで、正直いって面くらっています」と述べているし、池田会長は「ボスターに『皆さんの党、公明党』というスローガンがあるが、これは私がつけた」と述べている。
 しかもそれはほんの数年前の発言である。これで、政教分離をいったところで、はたして何びとが信用できるであろうか。
 こういう矛盾撞着が大衆の目に触れることを恐れて、学会に書店の店頭から池田全集を引きあげたのだといわれても仕方がなかろう。もしそうでないならば、池田会長は新しい体裁をとった本を次々と出すことはない。これまで通りの信念を吐露し、日蓮正宗の価値体系を誇示し、国民を指導する理念としての日蓮正宗の教義その他を論じた体系的著作である池田会長全集を妙な修理などしないで敢然としてだしつづけてしかるべきだろう。
  -----(186P)----つづく--

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・創価学会を斬る-36

2018-10-30 07:07:44 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・2/7>
続・創価学会を斬る  藤原 弘達  昭和46(1971)/12  日新報道

    ------(P.175)---(以下、本文)-------
第二部 そのファッショ的危険性は去っていない
5 創価学会・公明党を何故再び斬るか
     日本を毒する精神“公害源”をえぐる
◆ 政教混淆--“百害あって一利なし”
 私は前著『創価学会を斬る』で創価学会・公明党の犯してきた数々の大罪を明らかにしこれを告発したが、その冒頭に掲げたのは、政教混淆、政教混濁の大罪を犯しているということであった。この指摘が創価学会・公明党をもっともうろたえさせ、四十五年の五月に開催された創価学会の大会も、六月に行なわれた公明党の新生大会も、ともにこの政教混淆をなんとかゴマ化し、少なくとも表向きにほ政教分離をしたことを打ちだそうとしたのである。そのためにこそ、公明党の綱領の改正や機構の改革が行なわれたといってよい。しかしそれでは本当に創価学会・公明党の分離がなされたであろうか。そのことがこの続編としてはまず問われなければならないボイントであろう。

 すでに述ベたように、池田会長はかって創価学会を離れて公明党はありえないと述ベたことがある。まさに然りで、公明党は、創価学会の政治面を担当する一翼として生まれたものであり、その政治理念は、本来は創価学会の宗教理念と全く同じ「王仏冥合」なのである。創価学会の幹部でもあり、総合雑誌『潮』の編集長や、「聖教新聞」の副論説委員までやった岡安博司が編集責任者となっている『創価学会と公明党』という本の中には「公明党は日本に初めて出現した宗教政党である」とはっきり述べているくらいだ。
 しかし、この宗教政党という意味は、池田会長の説明によれば「王仏冥合とは、仏法の哲理と慈悲を根本精神とし、具体的には大衆の福祉を根本として政治を行なうことである」とされる。(池田大作『政治と宗教』二〇五ページ)
 そして学会によれば、「祭政一致(政教一致)とは、政治上の最高責任者と、宗教上の最高権威者とが同一人のことをいう」と、問題をワザワザわい小化してとらえられているのだ。要するに政治上のリーダーと宗教上のリーダーが同じ人物でなければ政教一致ではないというふうに説明されているのである。
 しかし宗教団体と政治集団がその基本において「一体不二」であり、政治集団がその母体である宗教団体を発展させることに存在理由をもつところに大きな問題があるのである。
 また池田会長は公明党のことについていろいろ質されたさいに、公明党の党首でなければ幹部でもないのに、あたかも党首のように発言しているのもおかしなことだ。一例をあげれば次ぎのとおりである。

 --公明党は、いつごろ政権をとれるとお思いですか? またそうなった暁、まっさきにやりたいことはなんですか?
池田 それこそ、国民大衆の決めることであり、私には何んともいえません。しかし、政党である以上、全力を尽して、政権獲得を目ざして進んでいくことは当然だと思います。結党いらい、まだわずか三年、党では十年後に第二党を目ざしていますが、左右の対立を止揚する中道政治が国民にどれだけ浸透し、理解されるかにかかっています。まっさきにやりたいことは、北欧にまさる社会保障制度の確立、電力、石炭などのエネルギー産業等々の公営化です。
 --その公明党ですが、いったい保守なのか革新なのかわからない、という声を一部で耳にしますが......
池田(間髪を入れず) 私はいつも「革新のなかの革新」だと断言しています。ただ保守革新といっても、単純なレッテルでは律し切れなくなってきたことも事実です。(『私はこう思う』ニー九べージ)
 (傍点引用者)

 「まっさきにやりたいことは」とか、「私はいつも」という表現のなかに、池田がいつも公明党を自分の党として考え、極言すれば、まっさきにたってリードしていることがうかがえるだろう。こうしたことは、竹入委員長の発言すべきことであるか、あるいは委員長が「党は…」と表現すべきことといえよう。こうした何となくいわれた発言のなかにも、その形式はともあれ、宗教と政治の最高権威者が同一人であり、宗教団体が党を支配していると感じない方がむしろ不自然であろう。

 もっとも、私が政教混淆・政教一致をきびしく批判してからは、池田会長は政治的発言を慎むようになってきている。しかし池田会長は、創価学会が依然として公明党の有力な支援団体であり、今後も支援しつづけることには変わりないと述べているのだ。これは創価学会員の政党支持の自由を明らかに犯すものといわねばならないであろう。宗教上の最高権威者が特定の政党を支援しつづけるといえぱ、一般信者はそれに拘束されるのが当然だからである。
 創価学会と公明党の関係について、創価学会の幹部や、公明党の首脳は、社会党と総評、民社党と同盟の関係になぞらえ、それらと同じ関係にあることを強調し始めている。
 しかしこれはおかしい。社会党は総評から生まれたものではなく、民社党も同盟から生まれたものでない。その志向するところにおいてある種の共通性はあるが、その支持母体と政党との政治理念が必ずしも一致しているとはかぎらない。しかるに公明党は創価学会の理念を政治理念とし、「王仏冥合」に根ざして政治に進出したことは、竹入委員長や矢野書記長がどんなにごまかそうとも否定できないところである。

 この点について池田諭は勇敢(?)にも「政治と宗教の分離は、民主主義の原則であり、近代国家の原理などといって、その原則・原理を人々に押しつけ、本当には、政治と宗教との間に、思想の次元における戦いがなかったところに、政治も宗教も思想として、肥え太ることがなかったのである。政治が宗教を飲みこむか、宗教が政治を飲みこむかの熾烈な戦いがなかったところにこそ問題がある。政治と宗教の分離など、妥協の産物でしかない。それを、民主主義の原則とか、近代国家の原理などともちまわるのは、全くナンセンスである」と述べている。
 (池田諭・既掲書一八べージ)(傍点引用者)

 この発言は“大作エビゴーネン”の言にしても、その「近代以前的感覚」がよくでていて、なかなか大胆率直でよろしい。 また彼の書が四十五年七月に出版されていることにも注意する必要があろう。
 さて、ここで問題にしなければならないのは、政教分離ははたして「妥協の産物」なのかどうかということだが、私はこれをむしろ「苦い歴史的苦闘の教訓であり、その産物である」とみる。それは何よりも歴史の事実に照らしてみて明らかだからだ。

 宗教とは、その原点からいって非妥協的であり、不寛容なものである。すなわち神や仏に対する信仰を成りたたせているものは一種の絶対性であるといえる。したがってその開祖は神聖不可侵であることを出発点としている。少なくともその原点となる教義は普遍妥当性を持つことを大前提として発足した筈なのだ。
 だから、信仰や教義に関し、その当初から寛容である宗教はむしろインチキ宗教といってよい。またそういう意味において、初めから他宗教に寛容な信徒はむしろ堕落したものであり、信仰の徒と呼ぶに値しないともいえるかもしれない。

  聖書には「イスラエルよ聴け、我らの神エホバは唯一のエホバなり」(申命記第六章第四節)という言葉がある。つまり、キリスト教徒にとって、その神こそが霊であり、永遠であり全知全能であり、唯一最高の存在なのである。したがってそれはとりもなおさず神の事業を成就することが課せられ信徒の義務ということにもなる。そこから異端の説を唱えるもの、あるいは異教徒を迫害することにもなるのだ。だから彼等は、ブルーノを焚刑に処し、ガリレイを投獄したことすらもむしろ当然と受けとったのだ。宗教とは本来、そういう苛烈さや厳粛さを内在するものなのである。それがないなら、自己の宗派の教義が唯一絶対であり、それこそが人類を救うものと信ずることさえできない筈なのだ。
 宗教信仰にはそういう唯一絶対性とでもいえるものを内在するが故にそれを他へひろめ、政治や社会のうえにも反映していこうとする宣教の使命が論理的必然として起こってくるということでもあろう。
 そういう意味で日蓮が天下を正法に帰せしめようと思い、折伏をはじめたのは、それなりにその信仰の原点にかなったものであったといえる。おそらく当時の彼としては国立庇壇建立、日蓮宗の国教化、それによる政治の改革を文字通りに志向していたのではなかろうか。そう考えるのは論理的には全く無理ではなく、むしろ当時にあっては宗教者として当然の考えであったといえよう。
  -----(181P)----つづく--

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特集.政教一致-⑤

2018-10-28 22:59:54 | Weblog

                    (尚、定期のブログ登載は、この前回に登載しています)        
  <創価学会・公明党の‥‥>

政教一致が日本を亡ぼす
  「自公政権-3-1


 音声入りの動画、5回目です。私のオリジナル?‥‥です。

  来年は、全国の統一地方選挙、参議院選挙‥‥面白いですね。

 池田創価(=公明党)は、年末の寄付金集めと選挙の集票活動が目的です。
 池田の脳障害から8年が経過しています。Xデーは近いと思います。 
 参考になることコメント下されば幸いです。
 次回の参考とします。1/週を予定しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・創価学会を斬る-35

2018-10-28 08:20:20 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・2/7>
続・創価学会を斬る  藤原 弘達  昭和46(1971)/12  日新報道

    ------(P.166)---(以下、本文)-------
六割学会員の駅弁教授陣
 しかし、問題は教授スタッフである。たしかに量的にいえば経済学部教授一七名、助教授、講師一四名、法学部教授一六名、助教授、講師一五名、文学部英文学科教授一五名、助教授、講師八名、同社会学科教授一五名、助教授、講師七名、この一〇七名がすべて専任教員であり、このほか非常勤講師が約三〇名に及ぶというデラックス版である。
 これらの教授のことごとくが創価学会会員ではないが「学長の高松教授をはじめ、関順也経済学部長、岩井津一法学部教授、斉藤節教授、川崎寅雄文学部教授、根本誠文学部長、中野三郎教授などが創価学会の会員で、教授の六割が学会員だという」(『週刊読売』四六・一・ニー号)ことである。
 さらに独文学の芳賀檀教授になると創価大学、創価学会へのほれ込みようは大変なもので、「日本のなかに、まだ、これだけ純粋な“民族”がいたのかと驚きました。創価学会の人たちは、とにかくよく勉強はする。責任感は強い、権謀術数などを使って人を裏切らない。やはり、創価学会は、仏教、すなわち日本の精神、民族の精神の凝集体のような気がしました。やたら末香臭くない生きた宗教です。“愛と知と行”とを一致させた世界的な宗教です。それに比べたら、キリスト教は偏狭な宗教ですからね。宗教関係の大学は、学問に干渉することがよくあります。私もキリスト教関係の大学にいたことがありますが、学問の自由なんていうのはどうもいいかげんですね。そのことを創価大学の場合も確かめてから学間の自由を絶対に認めるというんで承諾したわけです。
 いまの日本の大学は学校であって大学じやないです。真理をきわめ、人間をつくるという目的が二つともダメになっていますからね。その意味では創価大学の建学の理念は、人間生命の哲学が土台にありますから、日本で初めての大学らしい大学になる期待がもてるわけです」

 とにかく、芳賀教授にとってはいいことづくめの創価大学である。彼は創価学会の会員にもなり、日蓮正宗、創価学会の本山、富士の大石寺にも参拝してきたという熱心さである(同上)。
 なかにはこんな教授もいるのかというひとつの見本でもあろう。
 それ以外の教授、つまり学会員でない教授は創価大学の建学精神に共鳴して相集い、その理想を実現するために特進しているという。建て前はなるほどそうかもしれないが、それらの教授は学会によるトレー二ングの洗礼を受けているわけではない。そこで学生に対する良き人間教師になるために、教授自身が人間教育をされなければならないとされている。教師は学生に先立って洗脳されなければならないということだ。つまり、たとえ学会員でなくとも日蓮正宗の信者、ないしは創価教育学体系及び池田会長によって示された教育論の信者にならなくてはつとまらない組織になっているようだ。たしかに創価大学は外見的には一応宗教色ゼロということになっている。しかし、池田が創立者であり、その理念にしたがって教育をすることになり、その理念をまず教師にたたきこむというのであれぱ、少なくとも創価学会人間でなければ教師はつとまらない筈である。池田大作は一方で青年をおだて、他方で教授陣にはかなり厳しい言葉をつかっている。まず青年に関しては、池田大作は次のように言っている。

 「育年は純粋である。暴りのないレンズのように、はっきりと被写体の実相を受けとめるものだ。ゆがみはゆがみとして正直に映し出して容赦しない。潔癖で清らかな青年の心情は、腐爛した偽りの繁栄の中に、“昭和元禄”だの“豊かな社会”だのと、うそぶく大人の図々しさに我慢がならないのであろう。‥‥
 現代文明の危機というものも、冷静な英知の眼からみれば、皮肉な戯画の題材になりかねない。頭上に吊り下がっている核兵器のダモクレスの剣や、足もとに押し寄せる戦争の危機、そして、うわべの豊かさに反して、心の中にぽっかりあいた空桐等々…。
 もとより、現代の大人達にも、これらが見えていないわけではない。見えてはいるが、凝視することを忘れているのではないか。
 少なくとも、この社会の矛盾をできるかぎり解決し、正常なものにして、次代に譲るような努力をすることが、大人の義務ではあるまいか。 しかるに、そうした青年たちの不満や憤りを権力で抑圧するなどとは、卑劣とも、愚かともいいようがない。
 私自身、社会の矛盾と不満に対しては、不断の戦いをつづけてきたし、権力の横暴にも真っ向から挑戦してきた一人である。青年たちの憤りと決意が、痛いほど私の生命に共鳴するがゆえに、私は心から同情せずにはいられないのである」(池田論、既掲書一四九~一五〇ぺージによる)

 青年は純粋である。社会の矛盾を、曇りのないレンズのように見つめ、そのゆがみを容赦しない。青年は潔癖である。腐敗した社会に対し、あるいは政治権力の横暴に対し、立ち向かうのは当然である…。と言った調子で青年をおだてあげているが、これもまた戦前の右翼のリーダーが、青年達を煽動した言葉とどこか共通性があるとはいえないだろうか。
 全共闘系の極左の過激な学生と、右翼のラジカルな青年達とは、ある種の体質的な同質性をもっている。池田にもそうした面があり、現代社会や大学を告発する学生に共感を示している。
 「お前らの気持はわかる、決して悪いようにはせん」と青年将校にいった戦前の将官たちのように、池田は一見したところ、極左的な運動を支援するかのようである。しかし、それは同時に場合によっては一八〇度の転換をして、学生をファシズム運動へとかりたてることにもつながりはしないか。
   創価大学教授一覧--省略--
 彼は告発する学生達を抑圧する国家権力、それに同調する多数の大学教授を烈しく批判し、学生と同じ口調で大学革命、学問革命を主張する。そしてその「革命」を実現するために、まず大学のスタッフの人間革命をし、そして創価学会をになうエリートたちをここで養成しようとするワケである。
 それではこの大学にどのようなスタッフが集まったか。その一覧表は前頁にかかげてある通りであるが、学長高松和男は前東北大学教授であり、公明党の福祉経済改策はほとんど彼の手によってまとめられたといわれる。そのほか有名無名の学者連中で構成されているが、後世の学問に貢献するような業績をあげているものはまず皆無に近い。

 ところで池田会長の謳う大学の建学精神は三つのモットーからなっており、それは
  ①人間教育の最高学府たれ
  ②新しき大文化建設の揺籃たれ
  ③人類の平和を守るフォートレスたれ、というものである。

 人間教育の最高学府たれということは、日蓮正宗や牧口常三郎の創価教育学体系のいう全体的人間、創造的人間の育成を目指した教育をなすところたれということで、つまり創価学会的人間をつくりだす本山たれということである。
 大文化建設の揺籃たれとは、はからずもこの新しき大文化なるものが、つまり日蓮正宗の教義、創価学会の池田大作のいう文化であって、しかもそれを建設するということであり、思想的にこの日本を、学会イズムによっておおうという野望をいいあらわしたものといえよう。
 人類の平和を守るフォートレスたれ、つまり平和を守る砦たれということは、言葉だけなら何ら問題はないかもしれないが、しかし、すべての人が日蓮正宗の信者、創価学会の会員とならないかぎり平和を守れないという理念に裏打ちされている以上、大きな問題が伏在しているといわなければならない。池田会長は、この創価学園、ことに創価大学に大きな期待をよせており、宗教団体である創価学会を中心に、右は政治的には公明党、左は思想的には創価大学と、この創価学会なる政治的宗教団体を中心に、左右に政治と教育をたずさえて、そしてこの両面から創価学会の進展をはかろうとしているわけである。

 だが、言論出版抑圧問題で公明党が傷ついたいま、彼に残された大きな望みは、まさに創価大学にあるといえるかもしれない。世俗的に功成り名を遂げたくだらない政治家や財界人が、一定のポストを得たり金をためたあと手を出す事業はしばしば事業としての教育である。そして教育に投資することで、一方で何らかの罪ほろぼしをしたような気になり、他面において、次代の青年を育てるということで自己満足しているが、池田もどうやらその心境になってきたようにも思われる。創価大学によっていかなる人物ができあがってゆくか、まだ発足間もないこととて、必ずしも明確な予測はできないが、ともあれ学会の文化祭で示されたような思想的柔軟性を欠く馬車馬のような人間ができるであろうことだけは確かなようである。
  -----(172P)----つづく--

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする