創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

これが創価学会だ-17

2014-04-28 23:55:15 | Weblog
○これが創価学会だ…元幹部たちの告白…植村左内…あゆみ出版社…S45.2.10(1970)
──────(138頁から)────◇────────◇────────(以下、援用)
◆摂受と折伏
 ○月××日
 午後九時から班長会を開催。
「今月の地区目標を七十世帯引き受けて来た。各班長、班担ともに頑張って貰いたい。男子部も女
子部も、零隊、零区などという、だらしのない成果ではなく、むしろ、この七十世|巿は男子部、女
子部でやり切るという意気で頑張って貰いたい」
 開口第一番から、地区部長は鬼気迫る口調で、今月の折伏が、例にない大闘争であることを示し、て各班長、班担はもちろんのこと、四者一体の闘いを指示した。
 山本班長は、今まで破ることの出来なかった三十世帯の壁を破ることを决意発表し、常に山本班
長の好敵手である島田班長・吉田班長も、それぞれ三十世帯の班目標を决意発表した。出陣式にし
て、すでに殺意をはらむ大闘争である。折伏成果表も駒数を三十五世帯にして、地区の天井まで、
はい上がる長いものを作った。
 地区を拠点に、連日大闘争が展開された。山本班長・島田班長・.吉田班長は、それぞれ毎日仕事
を休んで陣頭指揮をとり、成果もシーソーゲームを続けながら昇っていく。ほかの班も、もたもた
してはいられない。三班だけが、ぐんぐん赤丸が増えていく。赤丸の谷間に取り残された班長、班
担は必死に追い込みをかけて、地区一丸となつて大闘争の火花が散る。
 地区にどんどん新来者が連れ出されて、次々と『决』をしていく。地区の外に待機した車は、オ
ートバイまでが、寺院と地区の間のビストン輸送にあわただしい。地区担は、何時でも誰でも食事
できるよう炊き出しに大童である。班担たちは、思い思いの副食を差し入れ、戦線はヤマ場を迎え
た。
 石井さんの下種は、主人が交通事故で人院している。勝又さんの下種は、妻が間男して逃げてし
まった。遠藤さんの下種は、真言 (真言宗の擅家)で、夫も長男も御難続きである。石川さんの下
種は、何回折伏に足を連んでも、門前払いを食わされたり、塩をまかれたり……。
 そこで慈悲の気持で、題目をあげ切って、はっきりと罰論をいい切って来たら、その日からちょ
うど一週間目に食中毒で寢込んでしまった。さっそくその枕もとで、徹底的に破折したら、ようや
くその気になって来た。伊藤さんの下種は念仏で、煮えたか焼けたか判らない。
 男子部は立正佼成会の破折に、幹部の家を集中攻撃し、漸次成果を挙げつつあるが、なかなか落
ちずに、伸び悩んでいる。末端信者か、せいぜい班長から地区長クラスを、ねらいうちにすれば成
果が出る見込み。立正佼成会は、末端を総なめして、徹底的に叩きつぶすことに作戦を変更する。
街区地図に佼成会員の家を明示して、一本一本旗を立てていく。
 女子部もこれに合流して波状攻撃を加え、遂に六世帯をおとし、有力目標十四世をチェックで
きた。後は題目だけである。同じ地区内でありながら、伸び悩みの班は、いぜん伸び悩んでいる。
山本班はすでに二十三世帯、島田班は十八世帯、吉田班は十七世帯。ところが花沢班はいまだに零
班である。花沢班長、班担はここ四日間一睡もせずに題目を挙げつづけているというが、それにし
ては成果の出ないのが不思議だ。
毎夜地区部長から厳しく指導され、班員たちも全員動いているが、まるで成果が出てこない。こ
れは地域的な問題もからんでいるのかも知れない。花沢班畏の近所で、ここ半年の間に学会幹部が、
たてつづけに三人も変死した。相当ひどい謗法があるに違いない。
 山本班長・島田班長・吉田班長も参加して、花沢班長宅で午後十一時から一万べんの題目をあげ
て、さらに午前四時から朝の勤行。今日一日は花沢班お宅を拠点に徹底的に下種を攻撃する。K地
区との交流闘争の日でもあり、K地区から井出班長・太田班長らがこの日の関争に参加した。花沢
班のほとんど全員が、その下種先に応援部隊を案内し、また拠点に下種を連れだして来たが、この
日の成果はいぜん零。誰かがこの零の壁を破りさえすれば、後は楽らくと成果が伸びるはずである。
 翌日も引き統き花沢班を総攻撃、ようやく三人寺院へ運んだが、寺院まで来てさんざんごねて、
あげくに逃げ帰ってしまった。まったく始末の悪い下種ばかりである。それもさんざんに下種ずれ
した古狸ばかりである。さすがの山本班長も、
「あんなのばかり良くも選すぐったものだ。花沢班長、あんなのは全部捨てて、新しい下種をもっ
てこいよ、そうでなけりゃ駄目だ」
 とさじをなげてしまった。末端のもっている思わぬ下種の中から、どんどん成果がでてきている。
 大闘争は一発勝負だ。相手が『決』をすると思ったら、はっきり『決』をさせてやれば良い。ど
うせ信心を判って入信する人は一人もいないのだから、寺院へ連れていけば良い。
地区目標を遂に突破、大勝利である。

◆隊長会
 ○月X×日
 多田隊長に急用ができたが隊長会だというので会場へ行ってみた。さすが青年部の隊長会だけあ
って生命力がみなぎっている。
 木村部長が指導されていた。今井隊長が成果を報告している。「第○月○月部隊今井隊、折伏成果零。
部員増加零」会場が割れるような大きな声だ。本村部長が目玉をむきだして怒鳴りつけた"「聞え
ないっ」今井隊長は再び起立して直立不動で割れ鐘のような声を張りあげて報告する「第〇○部隊
今井隊、折伏成果零。部員増加零」「聞えないつ」、何回も何回も繰り返して今井隊長の声がから
からに枯れてしまった。今井隊長の報告が声にならなくなってしまった。
木村部長が起ちあがつた。
「よーしっ、今井隊長、お前恥かしくないか、えつ、おい。お前それでも会長先生親衛隊の隊長か。
よくもまあ臆面もなく声が枯れるまで、折伏成果零、部員増加零、と言いつづけられたものだ。あ
きれた玉だよお前は。お前のようなやつの顔を見ていると胸くそが悪くなる、さっさと出ていけ」
 今井隊長の顔面は蒼白である。「中し訳ありません」涙を流して平蜘蛛のように這いつくばつて
謝まっている。
「誰が謝まれといった。〇隊の成果は謝まって済むような、そんな生易しいことではない。折伏成果零。部員増加零。よくもほざいたな、さあ、早く出て失せろ、この破れんち隊長。お前のようなやつが同席していては創価学会の伝統ある隊長会に傷がつく、出ろといったら出ろ、帰れ、帰れ。二度と来るな。今日限り隊長は解任だ。出て行かなければ引きずりだすぞ」
 木村部長のけんまくのものすごさに、今井隊長はすごすごと退場する。可哀そうに、あんなに張り切つていた今井隊長が解仟されるとは、今まで積んだ功徳はこれで一ペんに水の泡。明日からは今井隊長には罰の生活が待っているだけだ。
「馬鹿野郎!!」
 木村部長の落雷のような声が会場に爆発した。
「今井隊長、きさまどこへ行くか。誰が帰ってもよろしいと許可したか。お前はこのわしに楯突く
気か。お前は素直でない。そんな根性だから零隊の隊で平気でいられるのだ。そんなところでも
たもたしていると、ひきずりこむぞ、早くもとの位置へ戻れ。済まないと思ったら成果をだして来
い、良いな」
 やはり木村部長は慈悲がある、だから青年部だけではなく壮年からも慕われるのだろう。今井隊
畏は喜しそうに顔をくしゃくしゃにして答えた。
「はい。必ずやります」
「よーうし」
 木村部長がはじめてお笑いになった。万場感激の拍手の渦だ。さすがは青年部の隊長会、きびし
い指導だ。会長池田先生のために、生命を投げ捨てて散ってゆける立派な会長親衛隊が、こうして
なっていくのだ。創価学会の未来は頼もしい。本当に素晴らしい一日だった。

◆罰と功徳と交通事故と
 ○月××日
 庄司班担は生まれながらに右足が左足より三センチほど短かい。その上、体重七十四キ口という
巨大漢である。ご亭主は日雇労務者で、その上無類の酒好きで、競輪狂いときている。
 だがら、入信した時に、それが条件で借して貰った、線路添いの畑の片隅の鶏小屋を改造した三
畳一間に住んでいる。ここ何年も畳替えをしたことが無いせいで、畳床が歪んで歩くたびに大きく
きしむ。落着いて坐ろうにも不安定な凸凹のために、姿勢のバランスがくずれて坐ることもできな
い。庄司班担は平気なもので、洒臭いご亭主に命ぜられるままの生活を過しているが、ここ何年間
かは米の飯を食ったことが無いという。
 こうした庄司班担ではあるが、信心のこととなると、人が変ったように生き生きとしてくる。班員に
対する信心指導も確信に満ちて、弁舌もなかなかにさわやかである。折伏していれば一日中物を食
わなくとも平気だという庄司班担は、婦人部としては並はずれた折伏成果をだしている。信心だけ
が庄司班担のすべてで、ご亭主の酒と競輪が止みさえすれば何も不足は無いという。
 結婚後七年になるというが、子宝には恵まれていない。庄司班担が妊娠しなかったわけではなく、
今までに六回ほど「そうは」している。生活保護を受けている状態のままで、子どもを生んでも満
足に育てられそうもないというのが、その理由である。
 ご亭主も信心に反対はせず、気がむくと御戒壇の前に坐って、題目くらいはあげることもあり、
庄司班拊にとつては、そういう意味では可も無く不可も無いご亭主だったようである。いい換えれ
ば、庄司班担という人は無欲恬淡な人だったようにも受け取れる。だから、庄司班担が、そんなひ
どい所に住んでいて、そうした生活を過していることを知っているのは、ごく限られた一部の幹部
だけだった。ほかの人たちは、のんきに恵まれた生活をしているように庄司班担の生活を考えてい
た。
 それは、むし暑い夏の夜のことだった。吉田総支部長の指導を受けて、帰宅しようと、わたしが
一歩支部長宅から出かかった時だった。髪をふり乩して、庄司班担が裸足のまま何やらわめきなが
ら飛び込んできた。支部の御戒檀の前に、くずれ折れるように坐った庄司班担は、
「どうしてくれるんだよう」
といって、あたりはばからぬ大声で泣きだした。
「わたしみたいな、おかちめんこのびっこを、今日まで可愛がってくれた、うちの亭主やろうが
死んじまったんだよう。亭主を返して下さいよう。何とかしてってばよう」
 まるで三ッ児が母親に駄々をこねるように泣きじやくっている。庄司班担のご亭主が酒に酔つて、
鉄路の上で長々と寝ているところを、列車に櫟かれてしまつたために庄司班担が半狂乱に取り乱し
てしまったのである。吉田総支部長が、鋭い眼で庄司班担を見据えて一言、
「題目をあげなさい」
そういった。しかし庄司班担は、ますます取り乱して、あたり構わず泣きじゃくり続けるだけだ
った。
「庄司班担。見ぐるしい!!.」
 われ鐘のような声で、再び吉田総支部長が怒鳴りつけた。やがて落着きを取り戻した庄司班担に、
吉田総支部長が一言一言いい切るように指導した。
「あなたのご亭主は、酒乱で競輪狂で、まったくのぐうたらおやじだった。だから、あなたがいく
ら信心しても幸福になれなかった。あのご亭主が生きている限り、あなたは幸福になれない。そこ
で方便としてご亭主が死んだんだ。これからのあなたは、かならず幸福な道がひらけてくる。だか
らより一層の信心に励みなさい。きっと良いご亭主を御本尊さまがさづけて下さる。そうなること
が、あなたの宿命なんだ。同じ宿命でも、結果は幸福にひらけてくる。信心していたおかげだよ」
 御書の何節かを引用して指導する吉田総支部長の言葉を、まるで吸い取るように聞いていた庄司
班担は、
「わたしは、死んだ亭主だけが欲しかったんだ。酒も競輪も遠のいて、良い亭主になって貰いたか
つたんだ」
そういつて再び大声をあげて泣きじゃくり、容易に泣き止もうとはしなかった。

◆統監部
 〇月××日
 いよいよ統監が近ずいてきた。あと三日で折伏成果締切りだ。それなのにまだ零班が三班もある。
全く頭へ来る。
「地区部長、今日緊急班長会をやりましょう。こんな成果じゃ駄目だ。零班の班長にはつめ腹を切
らせましょう。今夜は私もいわして貰いますよ」
「よし、そうしょう」
地区部長と相談して今夜九時から班長会を開くことにした。定刻九時、まだ集合は完了しない。
まったく頭へ来っぱなしだ。九時半開会。冒頭に地区部長の指名で私がはっぱをかけた。
「だらしないぞ、おい、みんなそれでも生きてるのか。第一、九時からの班長会に定刻に集合した
のは何人だ。たるんでるぞ。だから成果がでないんだよ。大野班長、江川班長、野上班長、三人と
も何だい、そんなに人並でかいからだをそろえていて、それで零班とは、そのからだが声をあげて
泣きだすぞ、まったく。よくもまあ、のうのうと、零班でございますと、平気でいられたものだ。
それでも学会の班長なのか。おい大野班長どうなんだい」
「はい、明日までに必ずやります」
大野班長の顔は青ざめて生命力がない。
「明日までに必ずやるつて、何をやるんだい、手品じやない、折伏をやれといっているんだよ。統
監までにあと三日だ。江川班長、野上班長二人ともやれよ、わたしもみんなと同じ班長だよ、それ
でいて十七世帯の成果をだしている。他の班長もだ。良く聞いてくれよ、今月のこの成果はみんな
わたしが『決』をとつたものばかりじやないか。わたしが応援にはいらなければ『決』もとれない。
そんなの、班長じやなくて末端だよ、くやしいと思ったら明日までに全員が独力で一世帯ずつやり
なさい。わたしは三世帯やる。以上」
「今、中村班長からも話があつたように、これじや全くだらしがない。いや、だらしがなさすぎる。
そんなことで宿命転換しょうといっても無理な話だ。御金言にも『謗法を貴めずして成仏を願はば
火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなしはかなし、何に法華経を信じ給うと
も謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し、毒気深入失本心
故は是なり』とあるように、折伏をしなければ何にもならない。
それだけではない。班員さん全部に今月一ぱい罰の生活を送らせることになる。そんなことにな
ったら会長池田先生に申訳がない。みんな今夜は一晩しっかり題目をあげて、明日はがっちり折伏
をやる。良いね」
 今日の地区部長の言葉は鋭い。
「はい、やります」
全員が決意をみなぎらせている。大野班長はいぜんとして元気がない。
「大野班長、どうした」
地区部長も大野班長の様子に気づいたらしい。
「はい、明日はどうしても会社を休めないんです。明日は会社の取引のことで大切なお得意さんに
会う約束になつていますから。会社から帰つてから折伏します」
 蚊の鳴くような声である。
「なに言っているんだ、そんな考えだから何時も零班なんだ。明日は折伏する。そう腹を决めて題
目をあげれば、そんな問題は自然に解決する。そのための御本尊さまじゃないか。それに仕事では
金はもうかっても成仏できないよ、明日は会社を休んで折伏しなさい。この大事な時に会社へ行く
なんて、そんなのん気なことをしたら会長池田先生に申訳ないじゃないか。わかったね」
 地区部長の顔は生命力で油ぎつて、大野班長と対照的である。
班長会が終ってから地区部長と一緒に題目をあげる。午前二時。
「班長。各班長の家を回ってみょうか」
 地区部長も各班の成果が気になるらしい。
 「そうしましようI
 地区部長と一緒に車で各班長宅を回る。あきれたものだ、大野班長は布団の中で寝ていた。叩き
起こして地区へ連れ帰り、朝六時まで題目をあげさせる。
 その日の夜、大野班長が泣きながら地区へ来た。夢中で折伏したが成果は出なかったという。今
日の成果は結局は私の三世蒂と山本班長の一世帯、計四世带に止まった。成果の出ない班長は、明
日も引き続き仕事を休んで折伏だ。大野班長が、
「そんな事をしたら会社を馘になつてしまう」
 と声をあげて泣きだした。全く生命力の無い班長だ。大野班長を地区へ残して、今夜も一晩題目
をあげさせることにした。
 朝七時地区へ行ってみる。勤行しながら大野班長は泣いていた。眼を真赤に泣き腫らしている。
心から御本尊さまにおわびしたのだろうか、それなら良いが……。
 今日も大野班長は成果はでなかった。夜七時から統監部、折伏成果は合計三十一世帯、まあまあ
というところだ。聖教新聞の啓蒙が今月は少ない。啓蒙零の班長、班担にはそれぞれ 一部ずつ請読
させるようにしたが、それでも十二部しか啓蒙できない。パーセンテージも余り良くない。これで
はまた地区部長が大幹部につるしあげられて、がっちり指導されるだろう。来月は少なくとも各班
五部ずつの聖教新聞の啓蒙をしなければまずいことになる。
ブロックでも啓蒙、縦線でも啓蒙、そんなにとても啓蒙できないという班長がいるが、班長、班
担なら一人で五部やそこら講読しても、まだ折伏用としては少ないくらいだ。全くたるみきつてい
る。新聞係の花沢班長は一人で七部とつているそうだが、これくらいで当り前だ。
───────(~150頁)───────◇─────────(引用ここまで、つづく)
◆方便で死んだ!!
今朝某テレビ局が、韓国の大型客船沈没の裏にカルトの宗教あり‥その真相はともかく、注目の教えは、元信者でNO2であったの人の言葉を、得意になって紹介していた。一度悔い改めたら、過去の失敗は勿論、将来の失敗も悔い改めためる必要はない。何故なら最初の悔い改めが〝ウソ〟であったことになるからである。‥‥不安なら、再度の献金・寄附によって最初の悔い改めが強固なものとなり、神??‥に近づく。再度の献金等で2000万円??‥

最初の悔い改めが〝ウソ〟であったことになるから??‥
この類似の発想はどの宗教も同じですね。詭弁・すり替え‥‥オウム事件のときは〝ポアしてあげることによって<地獄に行くべくを>天国へ送る〟〝ポアした人は‥法で裁かれても殉教者となり、自身も天国へ行く〟‥‥オウムには、天国・地獄の納得できる説明はない。何故地下鉄の一部の乗客なのか、何故地獄へなのか‥の説明もない。あるのは、独善的なオウム事件自身の保身だけであった。追求すれば信心しないと分からない。〝マスコミは、オウムはワルであって欲しい、邪教であって欲しい〟のだと、詭弁・すり替えを絶叫する教祖に、島田・田原等に(電波芸者の)マスコミも沈黙し、若い女の子は〝上祐さーん〟。

今回の〝これが創価学会だ〟の死んだ〝飲んだくれのお父ちゃん〟‥方便で死んだんだよ‥それが貴方にとって幸福なのよ‥貴方の宿命打開なのよ‥転受軽重‥よからんは不思議、悪からんを一定と思へ‥罪として滅せざるなし‥冬は必ず春となる‥化城喩品‥‥等々
池田も‥方便だよ‥社会党も共産党も‥まして仏法のそれは幸福・成仏するのだよ‥‥人間革命の本でウソ??‥あれは小説だよ、その実践で人間革命するのだよ、感動しないか‥そうだろう‥‥

一回に100万円寄附した、私の関係した昔の会員を3名知りました。このことで‥私は責任ない、懺悔必要なし‥と頑張っています。本人の話から<内心はともかく>そのときは、感動したらしいですね。
老いるとは、切ない懺悔と反省の日々です。若い時の反省の殆どは特に科学的なことでの反省‥カール・セーガンでしたね。所謂、トンデモ話??‥
子供達に負けそうになると、幼年時のトンデモ話??を持ちだす。〝お父さんは、卑怯だ!!‥意地悪!!‥根性悪い!!‥〟と子供達は反撃してくる。
創価学会の池田??‥能弁・やる気・その気・元気・気力・生命力・気迫‥傲慢・脅迫‥‥とにかく、池田は〝詭弁・すり替え〟の天才でしたね‥今も??‥

コメント下さる人に一言‥‥感謝しています。今後も、よろしくお願いします。

(誤字・脱字、文法無視、パクリ・援用・重複・勝手編集も‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)
コメント (1)
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これが創価学会だ-16

2014-04-24 09:12:00 | Weblog
○これが創価学会だ…元幹部たちの告白…植村左内…あゆみ出版社…S45.2.10(1970)
──────(125頁から)────◇────────◇────────(以下、援用)
◆世界の創価学会
 〇月×日─。
 台東体育館で開催された婦人部幹部会の帰りに、地区へ立ち寄った班担さんたちが、地区担さん
を中心に黄色い気焔をあげていた。御本尊さまに題目を三唱し終らないうちに、この話題の渦につ
かまってしまった。
「班長、まあとにかくここへきて坐んなさいよ。聞いてよ。すごかったわよ。素晴らしかったわよ、
ねえーみんな、素晴しかったわね」
 上気した地区担さんの顔に、歓喜と生命力が溢れている。
「そうよ、本当に素晴らしかったよ」
班担さんたちが異口同音に歓喜のつぶやきをもらしている。
「まあ、待って。とにかくこれが先決だからね」
 赤のマジックインキを持って折伏成果表に近づくと、
 「班長、やったわね。待ってたわよ」
 と一瞬、ものすごい拍手を送ってくれた。毎夜の結果報告だが、こうタイミング良く拍手して貰
えるとうれしい。もったいをつけて、成果表に赤丸を一つつける。更に一つ。だまつてみんなの顔
を見る。
「いったい、いくつやったのよ。じらさないで早く教えてよ」
 菊池班担がじれったそうに呼ぶ。
「班長のことだから、少なくとも三世帯はやつたでしょう」
地区担さんも眼を輝やかせているし
「そうね、いくつでしょう」
赤丸をまた一つ、更に一つ、絞けてまた一つ。
「うわーッ、すごい」
 みんなの歓声を尻目に、また一つ。地区は割れかえるような大拍手である。
「よし、良いわ。明日こそやったる。班長、見てらっしやいよ。うちは明日十世带やってみせます
からね」
伊藤班担が闘志満まんで宣言した。
「どうぞ、どうぞ、遠慮なく邪宗のやつらをなで切りして下さい。わたしのところは、すでに十二
世帯、『决(入信を決すること)』をとつてありますからね。なんなら今日のうちに、あと十二、赤
丸をつけておきましょうか」
「くやしいーっ。良いわよ、負けるものですか」
 全員が拍手で激励する。伊藤班担の闘志は大したものだ。これでこそわが地区は万万歳だ。
「班長はやると言ったら、必らずやるからね。とにかくものすごい力だよね。他の班も負けては駄
目よ。とくに零班のところは、どんどん班長に応援して貰って、ぼんぽん成果を出して頂戴よ。班
長頼むわよ」
 地区担さんの力み方もものすごい。
「良いですよ。いつでもどこへでも応援するから、どんどん下種を持って来て下さい。どんな下種
でも『决』させますからね」
 今日くらいは威ばっても良いはずだ。〝折伏した人を上座に据えろ〟とはこんな時のことだろう。
「ところで班長聞いてよ。今日の婦人部幹部会でね。笠原副婦人部長さんが素晴しい指導をされた
のよ。良くおぼえておいて、末端指導にも流して下さいよ。〝今や創価学会は世界の創価学会だ〟
という指導なのよ。
の御供養終わって、その大成果を見届けられてから、会長池田先生はヨーロッパ指導にお
でかけになったけど、その帰り道でね、あるおみやげ品店へお買い物にいらっしやったんだって。
その時にね、何千万円というおお買い物をされたそうなのよ。素晴しいじやないの。会長先生だって、
財産のすべてを正本堂に御供養してしまったでしょうに、それから何ヵ月も経たないのに、何千万円
もお買物できるんだから。
 私たちは、貯金もなにもみんなはたいちゃったけど、明日のおかず代にも困っているじやないの、
信心の違いよね。鈴木班担が明日子どもたちに食わせる米は無いし、質に入れるものも、みんな質
人れして正本堂に御供養してしまった後で、どうにもならなくて、本当に困って御本尊さまに一万
べんの題目をあげて、道を歩いていた。そうしたら人通りの激しい商店街で、誰も気ずかないのに、鈴本班担にだけはそこにおちていた五千円::^がはつきり見えたって。御本尊さまからのさずかりものだったのよ。その拾った五千円でお米もおかずも買えたって、御本尊さまの功徳はものすごいと思つていたけど、さすが会長先生は私たちとは境涯が違うわね。何千万円よ。仏法は勝負だわね。しかも会長先生はおみやげを買われたのよ。私たちみたいに、おかず代だなんて、そん
なみみっちいものじやないのよ。素晴しいじやないの。もっとしつかり信心しようね。班長。
 それでね、そこのおみやげ品店の主人が、今まで旅行者の中で、こんなに豪勢な買物をした人は
一人もいないので、この方はてつきり日本の皇族だと、そう思ってわざわざ自家用車を仕立てて、
会長先生をその地方の名所にご案內したんだって。今や創価学会は日本の創価学会ではなくて世界
の創価学会だって。素晴しいじゃないの"信心如何では私たちもそうした境涯になれるのよ。御本
尊さまは絶対じやないの匸すごいじやないの。頑張ろうよ、班長」
熱のこもった地区担さんの話に、今日の婦人部幹部会の歓喜も新たに、班担さんたちはみんな泣
きながらうなづいていた。素晴しい御本尊さまだ。不自惜身命の信心を、決意も新たにやり切ろう。

◆鼓笛隊
 〇月××日─。
 月給日まで一万円貸してくれと、山田班担がいってきた。中学二年生の娘さんが鼓笛隊に入隊し
て、ドラムを買うために必要な金だという。
 鼓笛隊員は、信心強盛な学会幹部の子弟の中からよりすぐって、本部で鼓笛隊長の面接を受けて
决定される。信心強盛な学会幹部の子弟であるから、経済的に困っているはずがない。従ってドラ
ムの購入に分割支払いは認められない。学会指定の楽器商が、出張販売するそうである。だからそ
の当日に、楽器代金は現金で支払わなければならない。
ドラムは一万円だそうだ。一万円のドラムを買うのに、鼓笛隊員の親たちの劳苦は大変だつた。
楽器商は驚いたという。"「さすがは創価学会、大し
たものである。指定当日に一人残らず現金で楽器を購人した……」と。
 在京を含めて関東地区の鼓笛隊は赤隊と隊にわけられる。これは制服の色わけである。このほかに小学生によつて編制されるジュニア隊がある。ジュニア隊の制服は黄色である。もちろん、自弁の制服である。
 鼓笛隊の訓練は、まさにものすごいの一語に尽きる。ウルトラスパルタシステムだ。ドンジャ
ガ、ピーピーやるのに適当な練習場がない。そこで四ッ木橋の荒川土手を練習場にした。真夏の炎
天も、木枯し吹きすさぶ冬の日も連日午後三時から、深夜すぎまで、星明りを頼りの猛練習が何ヵ
月も統いた。ローティーンの娘たちの帰宅は、遠い人なら午前二時を過ぎる人も少くないという。
 しかし、会長池田先生にお聞きいただくために、血のにじむような練習が続けられた。信心して
ない人は非常識だというだろう。だが、深夜の郊外を一人家路をたどる娘たちに、これを犯罪者か
ら守る諸天善神の加護は、厳然たる事実であった。
 鼓笛隊員は、たとえどんな理由があろうとも、一日も本むことは許されない。一人休むことによ
って、隊の編成が乱れ、団体行動に大きな支障を来すからだ。末法の仏道修業の厳しい一面である。
この厳しさによって、天下に名声をはせる大鼓笛隊が誕生した。一糸乱れぬ演奏ぶり、隊伍堂々た
るパレードは、衆目を驚かせるにじゅうぶんだった。山田班担の娘さんの見事な雄姿に、思わずも
眼頭の熱くなるのをおぼえた。よくも今日までやり切った。鼓笛隊万歳!
 こんな話もある。菊池という中学三年生の鼓笛隊員が、高校受験のため、途中で休隊を願い出た。
この時、大幹部は、
「もしあなたに、高校へ進学する能力と適性があれば、勉強はしなくとも、鼓笛隊の練習をやり抜
き、しっかり題目をあげ切っていけば、必ず高校に合格する。一切を御本尊さまにお任かせして、
しっかり鼓笛隊をやり抜きなさい。『女子部に鼓笛隊をつくってあげよう』と、そうおっしやって下
さった、会長池田先生のお慈悲にお応えする意味からも、今、選ばれて鼓笛隊としてやり抜くこ
とが高校進学より、はるかに、何倍も価値があります。
 あなたには、鼓笛隊員であるという、重大な使命がある。現在では鼓笛隊も、世界広布のための
偉大な武器だ。こうして誇りと使命感をもつて、しっかりやり切りなさい」
 と菊池さんに指導した。菊池さんは高校受験には落第したが、今では立派な鼓笛隊員として育ち、
役職も女子部の班長として、立派に後輩を指導している。学会にしてのみ為し得る人間革命である。
実に素晴らしいではないか。

◆商取引と題目
 〇月X日—。
 鈴本組長が井出地区部長宅の増築工事を請負って完成させたが、五ヵ月経った今になつても工事
代金を支払って貰えないというので、鈴本組長に同行して井出地区部.おを訪ねた。井出地区部長の
返答は、きわめて簡単明瞭なものだった。
「やあ、また来て貰って悪いな。今日は中村班長も一緒かね。御苦労さま"どうも題目が足りない
のかな、一生懸命あげているつもりだが、まだまだ題目が足りないとみえて、今日も払えないんだ。
 六十万円くらいの金は、どうにでもなると思ったが。百円の金も払えないよ。鈴本さんもひとつ、
もっとがっちり題目をあげて、一日も早くわたしから金を受けとってくれ。こうなつたら題目以外
ないよ」
 解決方法は題目以外にないというが、確かにそれは絶対の方法といえる」だが、井出地区部長に
支払いの意思があるのだろうか)こうなつてしまったからは、大幹部の指導を殳けて解决するほか
に解決の道はない。さっそく吉田総支部長に指導を受ける。開口一番吉田総支部長は眼をむいて、
わたしたちを怒鳴りつけた。
「会長池田先生の教えにそむくから、だからこういうことになるのだ。会長先生が、学会員相互問
の金銭貸借はいけないと、そうおっしゃっているではないか。会長池田先生がやってはいけないと
いうことを、それをやるから罰を受けるのだ」
売り掛けと金銭貸惜は別問題ではないか、それを同じだとは、どういう意味だろう。
「金がとれないんだろう。それでは金銭貸借と変りがないではないか。わたしが同じだといつたら
同じだ。わたしの指導に疑問があるというのか。わたしの指導を批判するのか」
 大変なことになってしまった。吉田総支部長の顔面は興奮で青ざめ、眼はつりあがって、思わず
身ぶるいするほどのすさまじい形相である。わたしが鈴木さんに代わって弁明した。
「けっして総支部長さんにたてつくつもりはありません」ただ、鈴木さんは仕事をしたんで、金を
貸したわけではないので、そこのところを判っていただきたいのです」
「そんなこと判っている。学会員間の仕事もやってはいけないのだ。会長池田先生はそうおっしゃ
っている」
 そんな馬鹿な、今のように学会員が増えてくると、どうしても学会員相互の商取引が生じ易くな
る。
「学会を利用して商売をすることは、それは利用信心だ。ほかの人がやっていても、君はやっては
いかん。ほかの入は、どんなことがあっても、ぐちぐちいって来やしない。ぐちぐちいって来るこ
とが謗法なのだ。だから君は今後一切、学会員の仕事をしてはいけない。学会員の仕事をするなら、
金が貰えなくとも、文句をいうな」
 鈴木組長は、相当にあわてていた。あわてるはずである。鈴木組長の仕事先は、その八割が学会
員経営の工務店である。鈴木組長は学会を利用して、商取引をしたことはないといっている。そう
した意味で学会に入信したのではないから、だから決して利用信心ではないと弁明した"吉田総支
部長は、ますます怒り狂ってしまった。
「まだ判らんのか。判らんというなら、たった今から信心させてやらんぞ、それでも良いのか。き
さまの家へ乗り込んで御本尊さまをひっぱがして来るぞ、それでも良いのか」
 それは恐ろしい事である。御本尊さまを無くしてしまったら、生命を亡くした事と同じである。
それにしても、すっきりしない指導である。吉田総支部長は、青年部の部隊長あがりの折伏の常
勝将軍である。将来は副理事長級の大物ともいわれている若い人材である。それなのに、何故か何
時の場合でも社会常識はゼロに近い。一体これはどうしたことであろうか。
 受持即勧心とは、人間革命とは……判らなくなってきた。これは学会批判ではない。素直に判ら
ないだけだ。并出地区部長との問題はあきらめると、鈴本組長はそういっていた。しかし鈴木組長
にとつて、六十万円という金は大金である。どうするつもりだろうか。

◆出陣の日
 ○月X日—。
 「大白蓮華」に掲載された辻副理事長の論文を読み、会長池田先生の深いお心にふれて、思わず涙がこみあげてきた。会長池田先生は正本堂御供養の達成を祈って、三百五十五億へんもの題目をあ
げられたという。
 先生のこの深いお心を思う時、わずか十二万円の御供養しかできなかった自分が恥かしい。月給
三万八千円の三人家族のサラリーマンとしては、これでも力いっぱい、御供養に参加したつもりで
いたが、まだまだたるんでいた。報恩の道はただ一つ、折伏のみだ。今日の班長会で、
「今回の正本堂御供養のために、会長池田先生は三百五十五億へんもの題目をあげぬかれたという。
この会長先生のお心に対して報恩感謝をお誓いしない者は、会長池田先生の弟子とはいえない。今
月こそは、どんなことをしてでも、なにがなんでも五十世帯の折伏をやり抜こう!!」
とゲキをとばし、決意を述べた。
「よーし、やるぞ!! やり抜こう!!」山本班長がたちあがって叫んだ。
「さあ、勝鬨だ」
 みんな歓喜し、力の限り天も突き抜けよとばかりに「エイエイオウ!! エイエイオウ!」と大勝
鬨をあげた。折伏の月にふさわしい出陣式だった。出陣式の後で、
「しかし、いくら会長池田先生でも三百五十五億へんもの題目をあげられるだろうか?」
などと、大野班長がとんでもないことをいいだした。よりによって大闘争への出陣の日に、会長
池田先生を疑うなど、破和合僧も甚だしい。厳罰を受けずに済んだのが不思議なくらいだ。大野班
長は、さっそく支部に呼びつけられて、支部長から目玉の飛び出るほど厳しく指導され、男泣きに
泣いていた。これで良かった。辻副理事長が、大白蓮華に嘘を書くはずがないではないか。

◆三百五十五億へんの題目
※創価学会総務室長(当時は副理事長公明党元委員長)辻武寿氏は、学会機関誌「大白蓮華」の昭和四十一年一月号に六頁にわたって〝正本堂建立と化儀の広宣流布〟という論文を書いている。
 この論文の一節に『かくして、全国から集まった真心の浄財は、三百五十五億円余であり、政界財界に大きな話題となっている。この不況下に,いかに信仰とはいえ、創価学会にして、はじめて実現できる放なれわざであるとは、ひとしく內外の賛嘆するところである。
 御供養の参加人員が七百七十七万人ということも広布の瑞相としか思われない。さらに池田会長が御供養のために題目をあげられたその数と金額が、ほぼ一致されたということを聞くに及んで、いよいよ先生の偉大さと、王仏冥合実現の不思議なリズムを感ずるのは私一人ではあるまい』とある。
 辻総務室長はこの文中で、池田会長のあげた題目の数と御供養金額三百五十五億円余がほぼ一致したといっている。つまり池田会長が正本堂御供養の達成を祈念してあげた題目は、ほぼ三百五十五億へんだつたといっているわけである。
 学会でいうことには絶対間違いはないという日頃の訓練、罰論におびやかされた慣習の中で、大部分の学会員は『池田会長のあげた三百五十五億へんの題目』を事実として信じ、また信心指導の素材として用いてもきた。したがって、大野班長のようにこの事実を疑う者は、鼻もちならぬ学会員として、大幹部から激しく叱責指導され、あらためて罰の恐怖の前におののきふるえさせられたのである。
だが大野班長の抱いた疑問は客観的にこれをみた時に、学会大幹部が目をつりあげて怒りつけ、罰論でしごかなければならないほど非宗教的で、非科学的な愚かな疑問だったのだろうか。
 学会ではしばしば題目を数で数えて『一万べんの題目をあげる』などという。この一万べんの題目をあげるのには、題目をあげつけている学会幹部が早口であげても、普通、四時問から四時間半はかかる。
 池田会長を超人として考えて、一万べんの題目を三時問であげることができると仮定しても、一日二十四時間を不眠不休であげつづけても、あげられる題目はわずかに八万べんである。一日八万べんの題目をあげつづけても、三百五十五億へんの題目をあげ終るのには、なんと九百七十余年かかる計算になる。
 九百七十年のあいだ、一人の人が飲まず食わずに一睡もせず、一秒も休まずに、しかもその早さを変えずに題目をあげつづけることが、現実問題としてできるはずはない。第一、そんなに生きることができないではないか。
 大野班長の疑問は、人間として極めて当然な、また科学的根拠をもつ正当な疑問であるといわざるを得ない。
 辻総務室長は、この不可能な事実を可能なことであるとして、こともあろうに「大白蓮華」に堂々と書き、学会員は無条件でこれを信じさせられてきたのである。
 辻総務室長はさらにこの文中で、学会員らむしり取るようにして強制的に拠出させた金を真心の浄財と呼び、班長以上の親類縁者の、それも学会に関心のない人々の名前までも借り集めた、その入員のトータルを七百七十七万人だといって、これを広布の瑞相とさえいっている。この嘘、この誤魔化し。恐ろしいのは、こうした学会員の一方通行的直線思考が、国民の直線思考とならざるを得ない時が、若しも来たら、そうした恐慌政治下の、国民生活はどうなるかということだ。
───────(~137頁)───────◇─────────(引用ここまで、つづく)
◆信仰と宗教
 前回の〝御秘符〟に関連してコメントもらいました。信仰と宗教に関しては図書館イッパイの本が‥‥
あると思いますね。
 ところで、一部賛同している次の記載を紹介します。
───────創価学会Xデー……2008/6……島田裕他‥‥別冊宝島────
田原総一朗‥と聞き手・島田裕巳   21頁
 (省略)‥創価学会のドキュメンタリーを作る少し前に、やはりテレビ東京でがんに
ついて取材したことがありました。その時に親しくなつた国立がんセンターの肺がん
の先生から聞いた体験談なのですが、その数年前に学会員の患者さんを診断して肺が
んであると告知したところ、「私は信心で治してみせます」と言って帰ったそうです。
二年後、その人を再度診断したら、がんがなくなっていたそうで、「宗教っていうの
は、病気を治す効果があるんじゃないか」と言っていましたね。これには私も同感で
す。 おそらく信心で病気が治る人もいるんでしょう。そういう人がいないと、そも
そも新與宗教は成立しませんから。病は気からとも言いますから、信仰を持つことで
元気になる人がいてもおかしくはない。
 しかし、もちろん宗教ではどうしょうもない人々の方が圧倒的に多く、だから医学
があるわけですよ。(この項おわり)

私も、最初の2~3年‥‥病気の記憶もありません。勿論、20代初期ですが‥‥。
気とか元気は宗教に限らないが、戸田・池田は‥お賽銭不要で万能の〝幸福製造機(病気・金等)〟
だとして、金儲けと政治権力に日蓮を利用した。
‥‥私はその演技にはまった。若かった時の自分を思い出しヘドがでます。
普通なら離れて忘れられるのですが、私の場合カミサンが婦人部の〝グループ長〟に任命され‥‥
認知症まがいの〝池田を夢見る〟おばあちゃん‥です。

(誤字・脱字、文法無視、パクリ・援用・重複・勝手編集も‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)
コメント (2)
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これが創価学会だ-15

2014-04-21 17:48:23 | Weblog
○これが創価学会だ…元幹部たちの告白…植村左内…あゆみ出版社…S45.2.10(1970)
──────(110頁から)────◇────────◇────────(以下、援用)
◆御符と御秘符
 〇月××日。
 御符とは、会長池田先生が真剣に題目をあげて下さった奉書を、五ミリ角くらいに切ったもので
ある。昔は御虫払いの時に、大御本尊さまのおすすをお払いした奉書を切ったものだった。しかし
その需要が増えたので、会長池田先生が題目をあげて下さつた奉書に変えたが、功徳には全く変り
がない。御書を文底から拝し現在に約せば、会長池田先は御本仏である。日蓮大聖人さまであり
大御本尊さまである。
 護秘符は日達上人猊下が真剣に題目をあげて下さった食紅である。共に御戒檀に供えて方便寿量
の両品を読誦して頂くと、いかな難病も急速に癒ってしまうという、学会の一大秘密の法である。
 永井班担から折伏の応援を頼まれて下種先へ同行した。永井班担の顔は紅潮して眼がうるんでい
る。熱があるのではないかと聞いたら、四十度も熱があるという。大したファイトだ、ものすごい
生命力だ。この身体で折伏とは見上げたものだ。よく聞いてみると、発病してからちようど十日に
なるという。
「医者は盲腸だから、手おくれにならないうちに手術しょうとすすめてくれたの。今のうちなら怪
く済むからといってくれたけど、学会大幹部の指導をうけたら、親から貰った身休にメスを入れる
なんてとんでもないって怒られちやったわ。それで御符をいただいて、学会闘争をしながら毎晩一
万べんの題目をあげているの。でも、わたしってとても業が深いのね。御符のおかげで痛みはとれ
たけど、なかなか熱がとれないのよ。大幹部は、学会闘争をして題目をあげ切れば、病魔なぞ、す
ぐに退散してしまうって指導してくれたけど。
それに熱のために食欲がないでしょう。水ものばかり飲んでいるし、一万べんの題目をあげるの
に七時間もかかつちゃうのよ。それで夜もほとんど寢てないわ。今日ね護秘符を頂いて飲んだの。
日達猊下からのお手紙も頂いたわ、わたしの病気平癒を心から大御本尊さまにお祈りして下さった
んだって。もう大丈夫よ、この病魔が退散したら私も幸福になるわ。子供が三人とも未だ小さいで
しょう、早く良くならなければいけないわね。どうしても今日の下種だけは成果をだしたいと思つ
て班長に応援を頼んだのよ。よろしくお願いするわね」
 下種先で永井班担は折伏しはじめたとたん、その場にくずれるように倒れてしまった。すぐに救
急車で病院に運んだが、医者にも全くどうにも手の下しようが無かった。盲腸炎が化膿して、腹膜
炎を併発してしまっていた。その腹膜炎も相当に悪化しているところへもってきて、身体が極端に
衰弱している。
「こんなひどい病人は、この病院はじまって以来ですよ。それにしてもこれは人道問題だ。こんな
にひどくするまで放っておくなんて絶対許せない。今日まで生きていたことのほうが不思議です」
医者が真青になって怒っていた。怒ったって化方がない、医者自ら妙法の不思議をはっきり証言
しているではないか。「今日まで生きていたことのほうが不思議だ」と。病院に運ばれて十分後に
永井班担は息を引きとった。
折伏中に倒れるとは永井班担は大成仏だ。後に残された家族も班担の積んだ福運できっと幸福に
なるだろう。母親の死も知らぬ気に、その枕辺にたわむれている三歳の末娘は、これからの永井一
家の幸福を暗示しているようだ。
 一生成仏抄に日く『一心を妙と知りぬれば亦転じて余心をも妙法と知る処を妙経とは云うなり、
然ればすなはち善悪に付いて起り起る処の念心に当体を指して是れ妙法の体と説き宣べたる経王な
れば成仏の直道とは云うなり』また日く『一生成仏の信心南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経』と。

◆ある雑談
○月××日。
 雑談的に各班長、班担と話し合ってみた。山田班担の顔を見るのが何か面映ゆい。全く我ながら
しまったことをしたものだ。毎月零班で、地区担に責められてつらいという山田班担の情につられ
て、二世帯の成果をあげてやり、ひょんないきさつから、咋夜ひょんな関係になってしまった。
「これで毎月零班をださずに济むわ。班長は私のあこがれだったのよ」
 そうもらした山田班担の言葉が耳に痛い。おかしなことになってしまったものだ。これは大変な
四悉檀だ。山田班担に対しては世界悉檀。邪宗に対しては第一義悉檀、対治悉檀。だがこんな冗談
をいっている場合ではない。身を投げ出して成果を出そうという、その山田班担の心は真剣なのだ。
 山田班担に、脇士となる組長、組担がいたら、もっと悠々と折伏できたろうに、日頃の信心指導
は大切である。太田班長がこんなことをいっていた。彼の言うことは確かに真理だろう。
「一口に信心指導といっても、こちらがしゃべって指導しているだけでは駄目だね。座談会とか、
そうした折にふれて、末端にも、どんなことでも良いから、一言しゃべらせることだ。『御本尊さ
まは本当に有難い』それだけでも良い。判らなくとも良いから、ただしゃべらせることだ』と、
よく大幹部から指導されるが、そのとおりだと思うよ。
 しゃべるということは、自分に自信をつけることだものね。俗な言葉でいえば自己催眠というか
な。『有難い、有難い』といっていると、何が有難いのか判らなくとも、確かに有難くなつて、信
じるようになる」
「折伏させることも、その一つの方法だわね。摂受で良いのよ、ただ、ただ『御本尊さまは有難い
のよ』そういうだけで自信がついてくるものなのよ、わたしにもそうした体験があるわ。ねえ中村
班長、そうでしょう」山田班担がわざわざ合槌を求めてきた。
「そのとおりだね。確かにそのとおりだ」
「ねえ中村班長、摂受と折伏をわけると、どういうんだっけ」
 なにもわざわざ皮肉なことを言いださなくともいいだろうに。もっとも山田班担には私の心の冗
該が判ってはいないだろうが……。
「それはね、四悉檀というんだ。まず第一義悉檀、これは真実義悉檀ともいつて、法門を第一に立
てて「この御本尊さまは、木門寿量品の肝心、文底秘沈の大法である』というように説くこと。次
は対治悉檀といって、これは断悪悉檀ともいうんだが、強く相手の邪義邪宗を打ち破ることだよ。
この二悉植は折伏型。世界悉檀、または世間悉檀といって、自然現象とか、社会問題などを例にと
って、仏法を判らせていくこと、更に為人悉檀といって、個人個人の、いろいろの悩みや苦しみに
就いて、それぞれにむいた方法説いて仏法を判らせていくこと、この二つは摂受型だ。御書の顕
立正意抄に『四悉檀を以て時に適うのみ』とある」
「その為人悉檀で良いのよね。『この卸本尊さまを護持すると、あなたの病気は必ず良くなるわ。
とても有難い御本尊さまなのよ』って、それだけでも良いわけよね。有難さが具休的になるから、
末端の信心にも歓喜がでてくるわね」
 そんなに良く判っているなら、もっと末端指導を徹底したら良さそうなものだ。山田班担よ、理
の一念三千であっては駄目だ。すべからく実行してくれ。一日も早く力のある脇士を育てて、だま
っていても、ぽんぽん成果をだせる、そうした山田班担になってくれ。

◆本部幹部会 
○月XX日。
 早いものだ、いつの問にか"折伏の闘志といわれるようになり、班長の任命を受けてから早く
も半年になる。班長で本部幹部会に出席できるのは異例のことだと、地区部長さんにいわれたが、これも日頃の信心のおかげだろう。
 XX年五月三日。朝五時というのに、日大講堂の周辺はすでに長蛇の列だ。富士山を刻み込んだ、
五十円玉くらいのメダル(功労章)をかけた人たちが、ほこらし気に、胸を張って歩いている。第
一回の参院選の時に、法難を受けて警察に留置された大先輩、潜聖増上慢を打ち破って闘かつた
勇士たちだ。
 〔創価学会では、三類の強敵の第三類、僧聖増上慢を、国家権力や報道機関が学会に迫害を加えること、と訳している。昭和三十一年七月の参院選の時、選挙違反の疑いで警察に留置された学会員に対し、創価学会はこれを讃えて功労章を授与した。池田会長自らも、公式行事の席上、誇らし気に功労章を佩用している〕
 こうした大先輩の手によって築かれてきた学会を、生命かけて守りきつていかなければならな
い、と決意を新たにした。
 場内はすでに一ばいの人波だ。演壇の左右には紺やエンジの支部旗,部隊旗が、びっしりと立ち
並んでいて、実に見事だ。白いカバーをかけた二つのソファーは、会長池田先生と猊下様のお席、
そのうしろは理事席だ。ちらほらと理事の顔ぶれも見える。二階には、海外からの代表も勢ぞろい
し、全員入場のあと、満場の拍手でこれを歓迎した。
 午前十時の開会までに、まだ三時間以上もある。軍楽隊の伴奏でコーラス隊が新しい学会歌を披
ろうしてくれた。ユニホームが美しい。この学会歌を、軍楽隊の伴奏で繰り返し手拍子打って練習
する。軍扇片手に全身で指揮をとる参謀や、本部長たちの貫錄はさすがだ。
 おもてから打ち上げ花火の破裂音に交って、鼓笛の旋律が響いてくる。鼓笛隊のパレードがはじ
まったのだろう。年一度の本部総会だけに、毎月の本部幹部会とはスケールが違う。演壇にむかっ
て右側の三階席は、背中に五月の陽ざしを受け、場内の人いきれと両方でむし風呂のような暑さだ。
 場內アナウンスが会長池田先生のご到着を告げる。午前十時六分。一瞬場内がどよめく。拍手の
うちに猊下様やご僧侶が入場。いよいよ会長入場式が開始される。軍楽隊の伴奏と、手拍子と、副
理事長の満身での指揮。力の限りに唄う〝世界広布の歌〟の中を、本部旗を先頭に理事長以下の大
幹部を従えて、会長池田先生が学会歌のメロディーに乗りながら堂々と入場されてくる。場内はま
さに感激のるつぽだ。
 学会歌につづいて、副理事長、理事長から各種の報告、会長池田先生自らが新任理事を紹介され
て、議事に入る。満場ただ酔いしれたような零囲気である。
「……と、このように决定したいと思いますけれども、皆さんどうでありましょうか」
 会長池田先生独得のさびのあるお声と抑揚で、てきばきと議事を進される。みんな、ただ夢中
である。満場割れるような拍手が、しばらく鳴りやまない。
 「では満場一致で決定といたします」
 会長池田先生の力強いお声に場内は熱狂し、湧きに湧いて、つぎつぎと議事が割れかえる大拍手
で可決される。なんと素晴らしい会合だろう。こんなに呼吸がぴったり合った民主団体が、創価学会をおいて、ほかのどこにあるだろうか。
 最後に学会歌の指揮をとつて下さった会長池田先生のご雄姿が、まぶたに焼きついて離れない。
会長池田先生こそが、私たちのホープであり、私たちの信仰のすべてである。

※本部総会の演出効果はまさに百パーセント。
だがこれは民主機搆の完全な破壊だ。ムードに酔った群衆が、「おらが会長さまのお声がかり、うわーっ」と夢中で拍手する。学会の会合はすべてこれだ。
「……したいと思いますが、どうでありましょう」うわーっ。「……決めたいと思います。みなさん良いでしょう」うわーっ。考える時聞もゆとりもない。
 日頃から、末法は創価学会仏である、学会批判には大罰があると、飼い馴らされた群集が、この日選ばれたというエリー意識で、たかまる心をよりいっそう発散する。大拍手、大拍乎で歓喜し感激する。もしも公明党が政権をとって、こうした議会が実現したらどうだろう。
「譲員の歳費を百パーセント増額し、国民の年間所得平均を、現在の四十パーセント以内に抑える。勤労者の休日は年二回とし、われわれは出来るだけ勤労者から搾取しなければならないと、このように決定したいと思いますが、皆さんどうでありましょうか」
 満場わきかえるような大拍手。
「生産者米価を五千円とし、消費者米価はそのまま据えおきとする。また、公共料金は現在の三百五十パーセンとの増額を一率に適用したいと思いますが、皆さん良いでしょう」
 再び大拍手。拍手、拍手で、何も彼も可決されてしまう。
「もしも皆さんの賛成がありますならば、学会以外の邪宗は、すべて死刑に処するよう、刑法を改正したいと思いますが、どうでしょうか」
 これも大拍手で満場一致で可决されてしまう。(本部幹部会や本部総会をもとに想像した場合)
ただただ、今のままで民衆を巧みに操っていくことが価値的で、創価学会の名のとおりの実践だということ を自覚したのが学会精神である。
 一昨年十月の〝正本堂御供養〟にしても、本部総会で可決された予算額は三十億円である。これを十倍以上も超えた三百五十五億という御供養に、罰論をふまえた功徳論をもって一方的に強制的に参加させられ、結果として学会に踊らされていた学会員は、余りにも無批判ではなかっただろうか。
 その結果に何の反省もなく、ただ易々として従い、むしろこれを社会に誇示するが如き学会機構が、民主的機構といえるだろうか、自ら任ずる〝社会の指導者〟が聞いてあきれるではない。
 こうした集団なるが故に、本部総会のあの熱気の中で、参集した幹部はその魂を抜き取られて歓喜しているのである。創価学会自らが衿を正して、昭和四十七年に学会員に御供養金額の総額を返還し給え。銀行の利子だけでも、予算額三十億円を超える計算になる。この利子だけで正本堂は建立できる。小手先細工などは一切やめにして、この銀行利子だけで本部総会の可決どおり、また、戸田城聖氏の遺命どおり、予算三十億円の正本堂を建立し袷え。これができないなら、反人格といわれても、狂人格といわれても、創価学会は宗教団体ではない、あれはファッショだといわれても、仕方あるまい。

◆登山会
〇月××日。
 今月も登山の啓蒙が思うように進まない。登山納金日を明日に控えて日帰り二名、一泊一名の登
山者がまだ決まらない。
「現在は学会員が増えたので一ヵ月前に申し込んでもなかなか登山できない。ようやくあなたを登
山させてあげられるように予定人員を確保したから、来月は登山できるよ」
と木村さんに登山を指導したが、それでも木村さんは「うん」といわなかった。山本班長もお手
あげの様子だ。
「それでもまだ三百万総登山の時より楽だよ。あの時はきつかったな。三百万総登山がはじまって
四ヵ月目には班員が赤ん坊を含めて全員登山してしまった。あとが続かないんだから参ったよ。わ
たしたち夫婦は三百万総登山に十回もいっているし、うちのチビも六回はいっている。本当は学会
世帯は三百万世帯以上あるんだから一世帯一人の登山で三百万総登山になるはずだが、うちの班は
行方不明者も多かつた為だろうが、四人家族で合計三十二回登山している班員さんもあつたよ」
 そうした状態は山本班長のところだけではない。わたしの班もそうだが、他の支部でも似たりよ
ったりの苦労だったと聞いている。仏道修業とは本当にきびしいものだ。止むを得ず来月も班長、
班担が子ども連れで登山に参加することを話あった。登山費だけでも毎月馬鹿にならぬ金額だ。青
年部を登山させるのに登山費を出してやって登山させたことも再三だが、その功徳はこちら持ちだ
から有難いことだ。登山指導会で、大井副支部長が底意地の悪い例の調子で、班長たちをやり込め
ている。
「病人は、できるだけ周囲の人が気を付けてやる。本人がしっかり題目をあげていけば絶対大丈夫
だ。そうだろう。そう思う人は、手をあげて」
 何人かの班長、班担が手をあげた。大井副支部長はにやにや笑っている。
「ほら見事に引っかかった。多分引っかかるだろうと思ったら案の定だ」
 学会の班長、班担は余程頭が悪いのだろうか。それとも題目が足りないのだろうか。会長池田先
生から登山の三大方針として、『老人や病人は登山を差し控えるように。老人や病人はその家族が
代わりに登山してもその功徳は同じであると心得るように」と二つまでが病人に関することを打ち
だされているではないか。
 学会批判をするわけではないが、頭から学会員を馬鹿なミーハー族と決めてかかり、そうした態
度を露骨にあらわす大井お支部長には何かついていけない。代理登山といえぱ、病人の代わりに家
族が代理で登山しても、星野登山部長があの恰幅の良い体躯で雪山房(大石寺内の学会最高幹部用
の宿舎)にでんとあぐらをかき、支部の登山責任者に相当きびしい指導をされる、
 その情景は、歌舞伎の牢名主が新入りの囚人をしごきあげている場面を想像すればびったりくる
とおもう。日頃の信心がたるんでいるから、当日になって代理登山を出さなければならないよう
になる」と、一つ一つきびしく指導されるので、支部の登山責任者はこれを怖れている。
 だから普通の日帰り登山は、代理登山をそのまま本人で押し通してしまう。そうすることによっ
て『付け御開扉』と呼ばれる三百円を、追加納入する手間がはぶけることにもなる。この三百円は
大御木尊さまの御開扉を受けるため、御本山に御供養する浄財である。
 登山当日になった)学会員は相変らずお行儀が悪い。何とかならないものだろうか。品川まで電
車の中を、われ先にと乗り込んで子どもづれの学会員に席を譲ろうともしない。品川からは登山専
用列車である。青年部の輸送班ががきびきびと気持良い。
子どもづれの学会員が三入掛で窮屈そうにしている。その隣りに吉田総支部長が四入分の席を独
占して、足を投げ出して高いびきで眠っている。いささか抵抗を感じるが、抵抗を感じたりしたら
怨嫉謗法になる。罰を受けたら大変だ。朝まだき富士宫駅へ到着、専用バスで大石寺へ向かう。
 御本山では、大化城で仮眠、午前六時から朝の勤行。御開扉は午前十時からだからたっぷり時間
がある。それぞれに抟参のべん当を拡げて朝食をとる。わたしは内緒で大化城を抜け出して、みや
げ品店街の食堂で味噌汁つきの朝食を食べた。
 午前九時三十分大客殿前に集合、大客殿を見学してから御開扉をうける。大客殿は何回見学して
も素晴らしいの一語に尽きる。
 御開扉の後で、戸日先生のお墓に参詣してから、初登山者を案内して御本山を見学。午後二時四
十分三門集合、帰路についた。
 帰りの車中でも座席を独占していた吉田総支部長が輸送班に注意された。吉田支部長は眼尻を
つりあげて怒った。
「青二才のくせに何を生意気言うか、わしは総支部長だ」
 輸送班の青年の態度は毅然として立派だつた。
「登山の時は総支部長でも何でも、みんな同じです。そこの子どもづれのお婆さんを坐らせてあ
げて下さい。車中では輸送班の指示に従つて下さい」
 しかし、吉田総支部長は頑として聞きいれなかった。日頃から非常識な言動の多い吉田総支部長
に対して、是非をはっきりたしなめた、この勇気ある輸送班員に、私たちは心の中でヤンヤの喝采
を送った。日頃からの胸のつかえがとれて、みんな一様にすっきりした面持だった、これはけっし
て学会批判ではない、登山会の楽しい思い出の一コマである。

◆ブロック長会と選挙
 ○月××日。
 ブロック長会の席上、文化闘争に対する、いろいろの意見が発表された。
「折伏にいって、学会に反対する人に、それでは信心はさておいて、現在の政治をどう思いますか.
そうきくと、ほとんどの人が不満をもっている。だからそこで、公明党についての説明をするわけ
だが、それではどこのどんな人が立候補するのかと、そうした具体的な話になってくる。
 わたしたちは、何回も××理事にお会いしているから、良くわかるが、一般の人はそうはいかな
い。こんな時、もっと××理事に親近感を持たせる方法がないか」
「たしかにそのとおりの悩みは誰もが持っている。折伏にいっている本人だって、ただ『学会の偉
い入』だとしか答えられない者がいる。『学会の偉い人じゃ、ごめんだな。どうも学会さんはにが
手だからな』そういわれてしまったという体験もあるくらいだ。××理事の学歴や社会的な功績と
か、写真くらいは末端に周知させなければならないだろう」
 どうもまつたく頼りない話である。各地域別の立候補者の学歴や社会的地位、略歴などを説明し
た写真が、聖教新聞の地方版に載っている。これは一度すでに説明済みのはずである。
 この新聞を大いに活用するようにという指導をきいたはずだ。よしんば新聞を活用しなかつたと
しても、××理事の時局講演会のボスターは、はがさずにそのまま、はりつばなしにしてある。そ
の、時局講演会の連れ出しにも問題があったはずだ。××理事を理解したいという人を、どしどし
連れだすために、学会幹部の車はフルに動員した。
 時局講演会の前日に「明日の連れ出しは、選挙当日の投票連れ出しと同じ功徳がある」というこ
とは、末端にまで重ねて徹底したにずである。大ブロックまで提出した連れ出し予定表が、果して
確実に実行されただろうか。
 須田ブロック長は、二十一名のFを連れ出せるはずであった。ところが、須田ブロックに割当て
られた車は、伊藤ブロックの連れだしを応援して、須田ブロックのは一人も乗せていない。車も
用意せずに、自発的に二十一名のFが時局講演会を聞きにいったら、それは大したものだ。
 神田ブロック長は、当日のFの一人一人に、自腹を切っておみやげまで持たせたというが、これ
も行き過ぎといわざるを得ない。まったく法をさげたやり方だ。熱心の余りといえば聞えも良いが
こうしたことは感心しない。こうした問題のあるブロック長に限って、ピントはずれなことをいい
だすのは、やはり日頃の信心が狂っているからだろう。
時局講演会が終った後も、なおポスターをはりっぱなしにしてあるのは、多くの民衆の眼に××
理事を更に印象づけて、追い込みの文化闘争に役立たせるためでもあるが、「あの八百屋の前に、
ポスターがはってあるでしょう。あの××××が立候補者です。本当にわたしたちの幸福を願い、
時局を冷静にみつめて政界浄化の出来る人です」そういって説明し、Fの理解を深めていくことだ
ってできるはずだ。
 勝つという心構えがあれば、どんなことをしてでも、この文化闘争に勝ち切っていけるにずだ。
ブロック長の腹と信心が、この大法戦に大きく影響してくる。「××理事に、是非一票をたのむと、
はっきりいっても良いか。よく末端からそう聞かれるがどんなものだろう」何も××理事というこ
とは必耍ない。××、または××××でなければならない。
 折伏にいっているのだから、最初から「××に清き一票を」では、ほかの邪宗の選挙運動と少し
も変るところがない。現在の政界を浄化し、社会の秩序を高揚して、民衆を幸福にできるのは公明
党だということを、じゅうぶん納得させ、それでは公明党の××を支持しょうという、そうした自
発的な意思を、Fに自覚させた上で信心の問題は別としても「とにかくわれわれ日本民族のために、
××に一票いれることが、一番正しいということが判ったはずです。どんな理由があろうとも、必
ず××に投票しましようよ」というように持っていくべきだ。
 大聖人さまの命を受けて、われわれ創価学会員が、全民衆を救済するという根木を離れての投票
依頼はしてはならないことである。「それでは、実際に追い込みにかかっても単なる投票依頼はい
けないのだろうか」というのがいる。どうしてブロック長たちは、こんなに頭が固いんだろうか。
文化闘争は何度も経験してきているはずである。今度の文化闘争が長期に亘る闘争だから、Fに
対する印象度を確実なものにしていくために、公明党に対する理解をバックとした侯補者の支持を
依頼するので、追い込みには、「××をお顧いします」で良いしこれは従来と変らないものである。
 もちろん必要に応じて、方法を使いわけるべきで、追い込み時にも、新しいFに対しては、公明
党だけが民衆の世論の正しい代表であることを理解させるべきである。また、そうしたほうが確実
だと思われるFに対しても、当然そうしなければならない。いつの場合でもわれわれば、日蓮大聖
人さまの御代官である。
───────(~125頁)───────◇─────────(引用ここまで、つづく)
◆御秘符
 多分1000円前後でしたと思います。当時(昭和40年前後)は、申請したことありません‥希望の病気が治ったとかの先輩・後輩にお会いしたり、体験発表を聞いた記憶もないですね。紹介者等(先輩)から〝こんなのもあります〟程度の記憶でした。

 池田の、怒られ役・いじめられ役で有名な〝秋谷・元・五代会長〟‥どんな病気なのか?‥(会長解任後)こっそり日蓮正宗のある寺院経由でこの〝御秘符〟の申請し‥拒否されたとかの情報が、あるサイトに記載ありましたね。これは、アンチ創価か日蓮正宗シンパが演じた作文の可能性大と思いますが‥‥
 実は、私も昭和50年代のあるとき、創価学会を脱会して日蓮正宗に改宗していた妹に〝長女のアトピーで御秘符〟の相談したことあります。私の退転で組織から〝罵詈雑言〟‥〝長女のアトピー〟は、私の退転が原因‥仏罰であるとの攻撃が一時期激しいときでした。

 はまっている・熱いとき‥悩んでいるとき・迷っているとき‥パニックのとき‥感動しているとき・有頂天のとき‥自分が見えないときの種類はいろいろですね。一念に三千‥その殆どの種は〝自分が見えない〟
 弘安2年の御本尊様は〝願いとして叶はざることなし、罪として滅せざることなし〟‥と私、教授にもなり座談会で何度も講義したんですがねぇ‥
 であれば〝御秘符〟なんて必要ない筈ですね‥‥この単純さが分からない。〝御秘符〟この発想そのものが‥御本尊様で病気は治らない‥罰も功徳もない。日蓮正宗に今もあるのですかね?。

 〝御符〟私の組織では記憶ないんですが??‥今もあるのですかねぇ??‥池田のそれは、昭和49年頃から〝ニセ本尊〟でした‥。〝数珠でぶって魔をはらう〟は失笑でした。題目送るからその電波を受けなさい‥(幼稚園児ですが‥)これは成功ですか??‥。原島元教学部長は一時〝日蓮本仏論〟でしたが‥どれも、いまいちでした。池田のこと、おぞましい、詐欺師、ウソつき‥いろいろありますが、やはり〝悪しき天才〟〝巨大な俗物〟ですか?‥。

(誤字・脱字、文法無視、パクリ・援用・重複・勝手編集も‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)
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これが創価学会だ-14

2014-04-19 09:26:14 | Weblog

○これが創価学会だ…元幹部たちの告白…植村左内…あゆみ出版社…S45.2.10(1970)
──(101頁から)────────◇────────◇────────(以下、援用)
      創価学会選挙戦術補遺
バズセフション 新制中学校生徒や高校低学年生徒、あるいは同年輩の男子部員、女子部員が、数人組をつくつて街中を歩きながら、公明党立候補をについて声高く話し合う戦術である。「お父さんにきいたけど,公明党の00さんは、本当に立派な人だってね」などと、一日中がやがやと歩き回る。
ゆでだこ戰術 三助戦術ともいう。校高学年以上、未成年層の男子部員や女子部員が、公衆浴場の開くのを待期して、閉店までの数時間、浴場の中で「おじさん肩を流しましょう」あるいは「おばさん肩を流しましよう」と非学会員に親しく近づき、公明党立候補者に対する推薦の辞を語りかけること。日曜日などのように、朝風呂のある時は 一日中浴場の湯気に蒸されて、それだけでもゆでだこのようになってしまう。
題目闘争 公明党立侯補者の当選を願って、何時間も「ナンミヨゥホウレンゲキヨウ」と学会独特の題目を、拠点に集まってあげること。各個人が自宅でやることもある。(折伏などの時も同じ)
創価学会・公明党の表面的なソフトムードの中でも、創価学会・公明党が実在する限り、その本質や実態は少しも変れるはずのものではない。

       中村君の日記から2
        〈班長時代〉
以信代慧 ○月×日─。
とうとう会社から退職勧告を受けた。考えてみれば無理もない話だ。自分では一生懸命勤めたつ
もりだったが、学会活動と両立しなかった。
 人事課長から数値的にここ三年間の勤務状態を指摘されたが、月平均三日は欠勤している。私の
ミスに基づく書類上の手違いから、会社測に与えた損害が約百八十万円。しらないうちに居眠りし
ていた延べ時間が五百四十時間だという。良くも綿密にしらべたものだ。本当だろうか。
 べつに欠勤したくて欠勤したわけではない。折伏闘争や登山会など、学会闘争の必要上、止むを
得ず欠勤したのだ。誰もわざわざ意識的に会社に損失を与えたり居眠りしたりしたわけではない。
 広宣流布のため、王仏冥合達成のために、真剣に闘ってきたからだ。毎日夕飯を噛み噛み学会闘
争に飛び出して、帰宅は深夜を回ってしまう。時には夜を徹して題目闘争もやる。そうした結果と
して、人問の体力の限界線がはっきり現われただけに過ぎない。
 世界最高の仏法を護持して、世界平和と民衆の幸福のために闘った。この大目的のために会社と
いう小さな存在が、多少犠牲になったとしても、その結果、将来に返ってくる何倍かの功徳を考
えたら、会社が今、私を退職させることは、会社にとって実に莫大な損失である。これは仏法に
照らして、実にはっきりしていることだ。そうした重大な意義をわきまえもせず、世法のままに流
される邪宗の企業はあわれでならない。さつそく支部長さんに指導を受ける。
「それは良かったな、お芽でとう。君には世界広布、王仏冥合逮成という大きな使命がある。学会
活動を優先できる仕事でなければ、君の仕事として不適当だ。ちょうど良い。保険会社の集金人を
やり給え、お世話しょう。今の君の給料より、いくらか安いかも知れないが、これなら思い切り学
活動もできる。どんどん福運を積んで、君をやめさせた、その会社の社長を顎で使う身分になる
んだ。仏法は勝負だ。必ずそうなることに決まっている。それに君、御本尊さまは有難いじゃない
か、普通だったら君が会社に与えた損害を賠償して当りまえのところを、全然責任を問われないと
いうのは、これは日頃の君の信心の結果が厳然として現われているじゃないか。しっかり頑張って、
会長池田先生の御鴻恩にお応えしていこうな。期待しているぞ」
 本当に涙がでるほどに有難い境涯だし保険会社の給料は日の丸商事より七千円ほど安いが、その
分は妻が食堂のお手伝いさんとして、月収七千円で働けることになつた。
まったく以信代慧の信心とはいえ、妙法である。支部長さんはこれを、四信五品抄の御文証を引
いて指導して下さった。
「御金言に、慧又堪えざれば信を以て慧に代え,信の一字を詮と為す、不信は一閛提謗法の因・信
は慧の因,名字即の位なり。とあるが、これはわれわれ末法の凡夫には、南無妙法蓮華経の境涯を
すぐにつかめる智慧がない。したがって、御本尊さまを信ずる、その信が智慧に代わるのだとおお
せられているわけで、以信代慧の信心がすべて根本だという意味だ。君の今度のことも、決して君
の智慧で解决したわけではない、たゆまぬ君の信が、君の将来に輝かした境涯を見極めさせてくれ
たわけだ。これからも率先して学会闘争をやり切ることだ」
 と。使命感に燃えて頑張ろう。
因果倶時 ○月××日─
 今日、志田さんから非常に難かしい質問を受けた。「御本尊さまを信心していても不幸な人が多
い。また、御本尊さまを信心していなくとも幸福そうな人がたくさんいる。わたしは大工ですが今
日まで数多くの住宅の新築に働らいてきました。しかし、住宅を新築した人の中には、学会員が一
人もいませんでした。これはどういうわけでしようか? 邪宗の人たちがどんどん立派な住宅を新
築して、学会員は間借り生活であえいでいる」─と。なかなか良い質問だ。
「それはね、その人の過去世の宿業によるんです。また、その人の福運にもよります。だから、福
運のある人は今世で信心しなくとも幸福になっている。しかし、その福運が切れた時はみじめです
よ、その時にはもうどうにもならない。あれよあれよという間に不幸のどん底に落ち込んでいく。
わたしたちは過去世でよほど悪い宿種を積んできたんでしょうね、それに福運もない。だからしっ
かり組織に付いて、素直に信心して宿命を打開し、福運を積み重ねていくんです。
「そうしてたゆまずに、疑わずに信心していけば死ぬ前には必ず成仏して、楽しくて楽しくてたま
拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
らない人生を、たとえ三ヵ月でも半年でも過ごすことができるんです。このように積み重ねた福運
は决してなくなることがない。だから来世は幸福な生命として生まれてくるんです」
 判り易く説明したがどうも理解できないらしい。
「でも折伏された時には、この御本尊さまを護持しただけで幸せになると、そういわれたんです
が」全くそのとおりである。「この仏法は因果俱時の仏法です。日寛上人の当休義抄文段に、『善
の境智和合すれば則ち因果有り、謂く信心は是れ唱題の因、唱題は是れ信心の果、因果を具すと雖
も唯一念にあり』とあるように、たとえ、過去に少しも福運を積んでいなくとも、大御本尊さまを
信ずる一念の中にあらゆる因位の万行が含まれ、それだけの修行をつんできたと同じことになるの
てす。これを六波羅蜜自然在前ともいいます。また、未来のあらゆる幸福境涯を現在の瞬問に開く
のです。
 また、大聖人さまの観心本尊抄に『釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す、我等此
の五字を受持すれば自然に彼の因^の功徳を請り与え給う』とありますが、これは釈尊つまり権・
迹・本の釈尊であり、また十方三世のあらゆる仏を代表して釈尊といわれているのです。つまり、
あらゆる仏の因位の万行、果位の万徳は、ことごとく三大秘法の大御本尊さまを信ずる一念の中に
そなわるといわれているのです。これはやはり因果俱時を説かれたものです。
 しかし、その外面的なあらわれ方は因果異時としてあらわれます。だからたゆまぬ信心が必要な
のです。十字御書に『今又法華経を信ずる人は、さいわいを万里の外よりあつむべし』とあるよう
に、大御本尊さまを信じた入はすでに、ありとあらゆる福運を積んでいるのです。現在の瞬間瞬間
を幸福に生きることこそ、大聖人の仏法に生きる姿です。
 つまり、直達正観とか、即身成仏というのは、この因果俱時についていつていることで、それは
生命の奥底を問題にしているのです。だから単にいたずらに人の姿をみて自分の信心をぐらつかせ
てはいけません。
 仏法とはきびしいものです。御義口伝に『秘とはきびしきなり、三千羅列なり、是より外に不思
議之無し』とありますが、三千万法も一念の中にあるのです。一念がすべてを決定するのです、だ
から疑わずに信じて、しっかり信心していきましょう。そうしていけば必ず幸福で幸福でたまらな
い境涯になれるんです"判りましたね。判ったら頑張るんだよ」
 そう指導して帰したが、今度はこっちが判らなくなってきた。
 受持即観心といい、直達正観といい、因果俱時という。したがって末法は無戒律だという。だが
現実の姿はどうだろう。学会員は余りにもみじめな人が多い。また、「男女関係はいけない」とか
「金銭貸借はいけない」とか「学会員としての誇りを失わず、社会から注目の的であることを心し
て、社会人として立派に振る舞え」などと、会長池田先生自らが戒律として学会員を指導されるの
はどういうわけだろう。支部長さんに指導を受けたら「それは学会批判だ、御本尊さまの罰を忘れ
たか」と一喝されてしまった。いけない。いけない。疑ってはいけない。今までの信心がすべて水
の泡だ。御本尊さまに心からおわびし、六時間の題目をあげた。
撮影会 ○月X日─。
 日頃、折伏の第一線で活躍する班長、班担当員の労をねぎらって、会長池田先生が、とくに班長、
班担当員と一緒に写真を撮って下さることになった。この発表を聞いた班長、班担当員の喜びは、
まるで幼な児が、久し振りで母親にでも逢ったような、それは大変な喜びようだった。
 会長池田先生が、末法今時の偉大な指導者として、御出現になったればこそ、学会員一人一人の
幸福な境涯が未来に約束されている。政界に社会に家庭に、つぎつぎと先生の打ち出される大理念
が滲透して、やがて理想の国家が誕生する。
 今、わたしたち一人一人が、先生のお使いとして、法戟(選挙戦)に折伏戟に参加させて頂くこ
との喜びは、信心した者でなければ理解できない喜びである。まして会長池田先生とご一緒に、写
真を撮って頂くことなど、誰もが想像さえしなかった、望外の喜びに違いない。
何時だったか、まだわたしが組長の頃、本部幹部会の会長退場式の時、会長池田先生が、あの大
きな手で、わたしの手をしっかり握って下さってしっかり頑張ろうね』と、そう励まして下さっ
た、あの先生の手の温くもりが、まだ生々しく蘇ってくる。『これを君にあげよう』そうおっしゃ
って下さった白檀のお珠数が、未だに何時かの、あの夜の街での先生との避逅を、はっきりと思い
出させてくれる。こうした思い出の一つ一つが、ともするとたるみ勝ちな、わたしの信心への無言
のムチともなってくれてきた。
 今は、めったに(最幹部ならいざしらず)会長先生にお会いできない幹部たちが、先生と一緒
に写真を撮って頂けるということは、この撮影会に参加した班長、班担の信心を、きっと、更に更
に不動のものとして育てていくことだろう。何という素晴らしい先生だろうか"
 撮影会当日のことについて、細かい指導を地区部長から与えられた。まず服装を正すこと。男子
は背広に白ワイシャツ、必ずネクタイを締めること。女子はスーツを着用のこと、等々。撮影会当
日が平日なので、わたしの会社でも、班長、班担当員が、ごつそり休んで撮影会に参加することに
なる。後日の上役からの風当りは、相当強いに違いない。しかし学会のこの大目的を理解できない
あわれな上役たちの寝言は、痛くもかゆくもなく受け流すことができる。班長、班担たちの、この
晴れの檜舞台のために、会社企業がギセイになっても、将来の世界の大発展にくらべる時、そんな
犠牲は当然無視されるべきものである。
──────────────◇─────────(~110頁、引用ここまで、つづく)
◆以信代慧等
 懐かしいですね、はまっているときに仏法用語で〝以信代慧〟〝因果倶時〟等の教義に触れると感激イッパイになるんですねぇ‥若かった!!、バカだった‥切ないです。‥‥反省。
〝撮影会〟‥‥池田、サービスの安売りしていましたね。信心あれば必要ない筈ですがね。当時は感激していましたね。一緒に撮影したのか、その写真購入したのか、もらったのか記憶がない‥その〝雰囲気・先生は偉い〟だけが残っている‥バカだった‥切ないです。‥‥反省。

(誤字・脱字、文法無視、パクリ・援用・重複・勝手編集も‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)
 

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これが創価学会だ-13

2014-04-16 09:49:59 | Weblog
○これが創価学会だ…元幹部たちの告白…植村左内…あゆみ出版社…S45.2.10(1970)
────────────◇───────────◇────────(以下、援用)
     創価学会活動の実際
◆蹶起大会
 恒例として、創価学会では、俗に「ニッパチ」といって嫌う不景気な二月、八月を〝折伏の月〟
としている。不景気で倒産する会社など、折伏の対象が増えるからである。また、折伏に出かける
学会員にとっても、残業などがこの月はないから都合がよいわけだ。このほかの月に、折伏をやら
ないという意味ではない。とくに、組織の総力を結集して、折伏に専念するのが、折伏の月として
の年中行事だ。したがって、折伏の月を迎えた学会員たちの心構えは、折伏に対しての激しい盛り
あがりをもっている。
 その結果だけが、信心の厚薄を推し測る唯一の尺度とされている創価学会では、仏法は常に勝負
だとされている。その成果で、ほかの誰にも負けてはならないのが、創価学会の仏法だ。それだけ
ではない。折伏の月の成果は、普段の月に倍増した功徳がある。そのかわり、罰もまたそのとおり、
────────────────改頁────── 83
成果がでなかったら、心のしんにまでも突き刺さるような、みじめさを味わわなければならない。
成果の全然でなかった、いわゆる零班の班長が、地区部長から、あるいは時に支部長や総支部長
から、眼から血がでるほどまでに搾られる姿は、はたで見ている者を慄然とさせるほどの凄惨さが
ある。零班をだした翌月は、その班員全部が罰の生活を送らなければならなくなると、そういわれ
ているからだ。
 結論からいうと、罰も功徳もない本尊を掲げて、創価学会の事業収益の増加のためと、公明党の
選挙稼ぎのためにだけ役立つ折伏だが、そうした事実に盲いて、夢中で折伏する当事者たちには、
生命をかけた、真剣な闘争なのだ。それだけに、折伏の月の冒頭に行なわれる蹶起大会は嵐を呼ぶ
緊迫感におしつつまれてすさまじい。
 創価学会○○会館で、XX支部の総蹶起大会が開催されていた。学会員たちが、会場狭しと押し
ひしめいて、男も女も、老も若きも、手拍子打って学会歌を斉唱していた。
 正面の壇上に、日の丸の軍扇をかざした中年の小太りの紳士が、軍扇ごと体中を振り動かして、
指揮をとっている。「すりゃあ─」「さっ」、時おり特徴のある掛け声を掛けて、壇上狭しと指揮
をとりまくっている。ものすごい気迫だ。
 歌声も、折伏の熱意に燃えたぎって、手拍子の音までが勇壮な響きをもっている。歌詞もメ口デ
ィーも、いやでも人を奮いたたせずにはおかない、不思議な力を秘めている。
「濁悪のこの世行く学会の
────────────────改頁────── 84
行く手をはばむは
なにやつなるぞ
威風堂々と信行かざし
進むわれ等が確信ここに
今日もまた明日もまた
折伏の
行軍つづけば
血も湧きあがる
………………」
 歌いつづける学会員たちは、邪宗打ちてし止まんの気慨に蹶起し、たった今にも飛びだして行か
んぱかりの迫力が、満場を圧している。場内の盛りあがりが、こうして最高潮に達した時、地区部
長たちの確信発表がはじまった。一人の地区部長が立ちあがった。
「K地区は、今までも、何処の地区にも負けたことはない。今月も、地区員打って一丸となって、
壮年も婦人も、男子も女子も、四者一体の闘いを勝ち切って行く。今月のK地区折伏目標百二十世
帯!!」
 怒鳴りつけるような口調で、確信を発表する地区部長に答えて、満座の中から所属地区員が一斉
────────────────改頁────── 85
に起ちあがった その中の一人、これは班長だろう、が、両手を突きあげて「うおーっ」と吠えた。
つづいて「よしやろう、百二十世帯は平っちゃら、日本中の邪宗を片っばしから踏みつぶしてやる。
さあ一同勝閧!!」と叫んだ。
 男子たちが老いも若きも、天に突き抜けとばかりに右手を突きあげながら、「えいえいおー、え
いえいおー、えいえいおー」と大勝鬨をあげた。これに拍手を送っていた婦人の一人が、黄色い声
をはりあげた。
「わが地区の折伏目標百二十世帯は、なにも殿方たちの手をわずらわせることはありません。わた
したち婦人部と女子部で、ちょいちょいと、お軽く頂いてしまいましょう」さ、勝利を目指してフ
アイト!」
 今度は婦人たちが右手を振りあげながら、「ファイト!! ファイト!! ファイト!!」と勇ましい
声を一斉に張りあげた。まさに闘魂のかたまりだ、そこには女らしい優しさは微塵もない。より抜
きの女性軍のエートたちだ。場内には、屋根までが吹っとびそうな妖気が踊り狂っている。
 また一人、また一人と、つぎつぎに地区部長たちが確信を発表していく。そのたびに場内はわれ
かえり、沸騰し、戦死たちが雄たけびをあげる。
 かくて、折伏戦の幕は切って落とされたのだ。戦士たちは野に散り、激しく波紋を押し拡ろげて
いく。
────────────────改頁────── 86
◆折伏闘争
 いよいよ折伏戦だ。それぞれの地区では、支部蹶起大会にひきつづいて、出陣式が行なわれる。
 各班長が、それぞれの確信目標を発表し、勝鬨やファイトで気勢をあげるところは、支部蹶起大
会とほとんど同じだ。二重三重の闘志をあおりたてられた、一騎当千の荒武者たちは、それぞれの
ホームグラウンドで、綿密な作戦計画に従つて果敢な折伏戦を展開する。〝
「タコ足」というものがある。学会員一人一人について、その知己や友人たちの家庭の家族構成、
現在の宗教、創価学会に対する反応などが細かく記入されている。友人知己でなくとも、一度折伏
したことのある人はタコ足に記入される、タコ足にしたがって、折伏の方法や時期が検討されて、
それぞれの分担が決められる。
 あと一押しで陥落しそうな人には、その地区の中で折伏の闘志といわれる人が、班に聞係なく応
援することもある。─だれが応援しても、折伏成果は、「タコも」に記入された時の学会員、つまり
最初にその人とつながりのあった学会員のものになる。
 折伏戦では、同じ地区內の班は班同士、同じ支部内の地区は地区同士、それぞれにしのぎを削っ
て成果を競い合う。支部には各地区の折伏成果一覧表が、地区には各班の折伏成果表が、一番目に
つき易いところにでかでかと貼りだされる。これは、折伏成果が一世帯あがるごとに、該当の地区
または班の上に赤丸が書き込まれる仕組みになっている。何処がどれだけ折伏したかということは
折伏成果表を見れば、誰の目にも一目瞭然、はっきり判るだけに、いやが上にも競争意識が高めら
────────────────改頁────── 87
れる。折伏は、二、三人が一組となって相手方を訪れるか、班座談会、あるいは地区座談会といっ
たところへ、相手方を連れだして行なわれる。班座談会や地区座談会に連れだされた人のうち、十
人中八、九人の人は創価学会に入信させられてしまう。なにしろ学会員たちが、いれ替わりたち替り
責めたてるから、判ったような判らないような気持のままで、入信してしまう人が多い。
 そうした折伏の時に、学会員たちの使う言葉は、ほぼ似たりよったりのものが多い。日蓮大聖人
の四箇格言(真言亡国。念仏無間。禅天麗。律国賊)を適当にもじって、現証論的に相手を責めた
てる邪宗破折型。「真宗の家には男が立たない」などとはその良い例だ。
「御本尊さまの功徳は絶対なのよ、どんな願いごとでも必ず叶えられるんだから」とか「初信の功
徳といって、はじめて創価学会に入信すると、どんな人でも入信した時の願いごとは叶えられる」
とか、これにわけのわからぬ仏教用語の教学単語を交えて責める功徳強調型。
「学会というところは、みんな血の通い合った家族と同じなんだよ」とか「われわれの目的は、世
界の理想境建設だ」というような、仲間づくり目的観強調型。中には「御本尊さまは信じられなく
とも、人間は信じられるでしょう、だからこのわたしを信じて」などという泣き落し型まである。
 日曜日はどこの地区でも折伏のかきいれ時だ。動員できる限りのものは、乗用車でもオートバイ
でも動員して、地区で待機させる。地区(普通には、地区部長の自宅)の中では、折伏の一流闘士た
ちが腕をなぜて新来者を待ち構えている。ほかの学会員たちは、折伏しょうと思う人(新来者)を
地区に連れだしてくる。これを拠点闘争という。
────────────────改頁────── 88
地区に連れて来られた新来者(新人ともいう)は、一流闘士たちに折伏されて、否応なしに言いく
るめられてしまう)それでもなかなか入信しない人は、ほとんど強制的に入信させられてしまう。
「もう判っただろう、何度いっても同じことだ。誰のためでもない、あんたのためだ。さ、やろう
よな、お芽出とう」
 これで周囲の学会員たちがパチパチと拍手して、一丁あがりということになつてしまう。〝折伏さ
れている本人にすれば、やるともやらないともいわないうちに「お芽出とう」といわれて拍手され
たんだから、なんとなく照れくさい。仕方ないから入信する、とこうなってしまう。
 入信を決意した人たちは、附近で待機していた機動部隊が、もよりの日蓮正宗の寺院にピストン
輪送する。日蓮正宗寺院での御授戒は、普通は午前十時、午後二時、午後六時の三回だが、折伏の
月である二月、八月の日曜日などは、随時に御授戒をしている。ある程度入信者が溜ったところで
御授戒をはじめる。
 こうして学会員の大量生産が、あたかもオートメ化よろしく進められるわけだ。そのかわり、こ
うして安直に入信した人たちは、退転(脱会)するのも安直だ。〝その歩止まりは、平均して三割強
というから余りぱっとしない。創価学会の公称世帯数が、鰻昇りに増えるのは、こうした退転者を
差し引かずに、入信者の総トータルを加算しているからだ。
 このほかに、折伏成果を増やすための、苦しまぎれの幽霊もある。幽霊世帯数までが、どんどん
組み入れられて、実数の何倍もあるような、創価学会の公称世帯数が、その膨大な数値として世論
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を驚かしているのが現状だ。正確な創価学会の実教世帯敉は、某調査機関の集計によると昭和四十
二年八月現在で、公称世帯数の約五分の一弱だという。
 どんなことをしても、どんなに頑張ってみても、折伏成果がなかなか伸びない地区がある。こう
した地区の地区部長は、毎夜十一時から開かれる地区部長会の席上で、支部長や総支部長から、眼
玉のとび出るほどにどやしつけられる。
「〇〇地区郎長、前に出なさい。おまえは成果表を見たことがあるか。良く見て見ろ、赤丸が二十
ばかり違っていやしないか。なに、違っていないって? ほう、それでお前は平気なのか。信心し
ているのか、していないのか、どっちなんだ。えつ、おい。〇〇地区部長。今月はなんだと思って
いるんだ。えつ、おい、なんとか返事をしたらどうなんだい。それでお前は、会長池田先生の弟子
だと思っているのかね。どうした。どうしたというんだよ、えつ、おい。〇〇地区部長おまえの、
かおつきはだな、変に丸っこいかおつきして、地区部長ってかおじやないな。めんどうくさいから
地区部長やめちまえ。そのほうが、おまえに似合いというものだよ。わかるかねその意味が。おま
えのかおは、功徳が欲しいつてかおじやないな。罰をもらいたいっていうかおだよ。もう良いから
帰って寢たら、寝たらそのまま地獄行きだ。それがお前に似合いだろう。お前っていうかおじやな
いな、きさまっていうかおでもないよ。そのくせ人並に造作をくっつけて、おい○○地区部長、わ
かるのか。どうなんだい、折伏やるのか、やらねえのか。やる気あるなら明日までに成果をあげて
こい。すくなくとも、六世帯はやるんだぞ。やらなかったら、明日こそは許せないよ。頑張るんだ
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このはねかえりは、当然のことながら地区部長から班長に行く。班長たちは寝ているところを地
区部長に叩き起こされて、地区に集まり、夜を徹して題目をあげる破目に立たされてしまう夜が
明けるとそのまま折伏に駆りだされる。
 どうでも出さなければならない。六世帯の折伏成果を目指して、班長たちは、それぞれの勤めや
仕事を放てきせざるを得なくなる。仏法は、世法にも国法にも優先し、仕事で金は儲かっても、そ
れでは成仏できないからだ。折伏は『まず静かに説いて聞かせ、その上反対するならば、獅子王の
力をもって屈伏せしめなくてはならない』(折伏教典245頁)
◆文化闘争
 創価学会は折伏の団体だと、昔はそういわれていた。しかし、ここのところ、折伏の団体という
よりは、むしろ創価学会は、選挙戦の文化闘争の団体だ。
 最近における一連の選挙で,創価学会はついにその馬脚を現わして、公称世帯数と、実世帯数の
間の、甚だしい開きの大きさに、あらためて創価学会の組織づくりをやりなおさなければならない
ことを、いやというほど思い知らされた。
 たとえば、都知事選挙で、公明党の矢野書記長などは投票日の前日まで「いまの票読みでは最低
八十万、うまくいけば百二十万とれる」と表明していたが、実際には六十万そこそこしか得票でき
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なかった。ということは、創価学会の実世帯数が、公称世帯数に比べて、とんでもなく少なかった
ことを、はっきり証明してしまったことになる。
 これでは大変だというわけで、文化闘争から折伏闘争へと、闘争方針の転換をはかり、昭和四十
二年六月を〝教学の月〟として、選挙団体から、宗教臭ささに、学会員たちの足を一歩踏み込ませ
た。つづいて、七月を折伏の月として、班一世帯を折伏目標に、折伏への体質づくりをフル回転に
持っていくための、トレーニングをはじめた。八月は恒例の折伏の月。さらに十月……。しだいに
創価学会は、その地金を再び現わしはじめてきた。だからといって、文化闘争を思い切ったわけではない。折伏によって漸増した世帯数を固定票として、やがて来る国会選には、再び気勢をあげることは決まっている。宗教という仮面の中で、常に振り回わされつづける学会員たちは、まことにお気の毒の限りだ。(昔は、わたしたちもそうだったが……〕
創価学会が国会議員選挙に手をそめたのは昭和三十一年。
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この時の公称世帯数は四十万世带"この時は参議院選に三人を当選させたが、このころから、文化
闘争という名の選挙違反が活発に行なわれていた。「仏法は常に国法に優先する」から、そこには
いささかの罪悪感も認められない。
昭和三十一年七月七日、本所二葉小学校で行なわれた、柏原ヤス、原島宏治(初代公明党委員長、
故人)両氏の参院選応援演説で、二代会長戸田城聖氏が、なかなかふるった演説をしているから、
創価学会の、文化闘争に対する基礎理念を知るための参考として、そのスタンドプレーぶりを、正
確な記録にもとづいて再現してみょう。
「このごろは、学会が何か悪いことをやってるみたいに、新聞に書いてある。何が悪いかといえば、
啓蒙運動が悪いという。なにを言っているかというのだ。戸別訪問が悪いというのは、戸別訪問を
することによって、金をばらまくから、金をやって買収するから、戸別!訪問はいかんということに
なるのだ。立法の精神は、そこにある。われわれ同志は、断じて買収なぞは、おこないません。
 深く自分の尊敬する先輩を、今度の参議院に出すために、友人、知己をたずね、親類をたずねた
って、それが、なんで戸別訪問だ。それを戸別訪問だといって、警察が騒いでいるのには、わけが
ある。りっばな選挙妨害なのです。それ、なぜ選挙妨害をしたかといえば、ようく見てごらんなさ
い。自民党は、四人三人までは必ず立てられると思ってやってみたところが、案外に、柏原ヤス、
原島宏治の線が強く出てきちやって、あわてたのは安井謙と、深川タマエであります。安井謙は、
自民党八十三人の議員のうち、八十人までは安井をかついでいるのです。あとの三人が深川タマエ
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をかついでいるのです。その八十人のなかに、警務委員という委員がいるのです。これは、ォマヮ
りさん、署長が、この警務委員に頭が上がらないのです。
いよいよ自民党が負けそうになってきた。そこで、この警務委員が動きだして、警察の署長を使
って、選挙妨害を始めたものであります。しかも、警察には、記者クラブというものがある。その
記者クラブへ、少しなにかの違反があればすぐ呼び出しをかけて、そうして、あたかも摘発したか
のごとく、新聞記者に書かしているものであります。新聞記者も記者だよ。あんなのは新聞記者と
はいえない。ハトボッボの記者みたいなものだ。私から言わせれば、自民党のだれからか、金をも
らったに違いない。でなければ、あんなに一生懸命に、自民党のタメになるように、しかも、柏原
君を落とす作戦のために、あんなバカなことはやりませんよ。今、ですから、都会議員の連中は、
柏原ヤスは落ちると、こう見ている。だから、やっと胸をなでおろしている、ふざけるなというの
だ」そんな弱い創価学会の団結ではありません。必ずや、あすは、五十万票以上出して、警察署長
や、不正刑事の高慢な鼻をひっくり返してやろうと思う。
 今、学会におきましては、捜査本部をこしらえてあります。警察署長ならびに刑事諸公の不正を
調査しております。選挙妨害と申しますものは、懲役三年、ほんとですよ。それに職権乱用、人権
じゅうりんの罪が加わるものでありまして、このなかに刑事がいて聞いていてくれてるといいのだ
がなあ。その不正刑事を、逆に留置場へ入れてやろうという計画です。刑事なんていうものは気の
弱いもので、月給が安いから、よぼよぼしたものと思いまして、署長さんから、創価学会の、なに
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か不正があったらつかんでこいと言われたけれども、強い者はつかめない。そこで、ばあさんとじ
いさんをつかんで喜こんでいる。こんなことを、刑事の悪口なんか言わせたのは、警察の署長が言
わせたのだから私の罪ではない。私は天地神明に誓って、悪いことはしておりません。諸君らもし
いないだろう」
 当時さかんに派手な選挙違反を犯し、どしどし摘発されて浮足だった学会員に対して、投票日を
翌日に控えての、学会得意のはったりだろうが、それにしても、宗教団体を表看板の、大衆組織の
会長の発言としてはひどすぎる。
 当時参謀室長だつた現会長池田大作氏も、この時の参院選で選挙違反に問われて逮捕されている
が、彼にも違法に対する罪悪感や、反省はいささかも認められない。
 昭和三十二年七月十七日、池田会長が釈放されたその日に、大阪中之島中央公会堂で行なった講
演の記録があるから、記してみる。国法を犯すことを平然と、いささかもひるまぬ創価学会の伝統
は、今なお、その組織の本質の中に生かされている"
「このたびは、たいへん長いあいだ御心配をおかけしましたが、本日正午に大御本尊さまの加護を
受けながら、元気いっぱいでこのように出所してまいりました。ありがとうございました。すべて
のことは全部、大御本尊さまが見通しであると、私は信ずるのであります。
 会長先生(戸田会長)は、三類の強敵のなかにも潜聖増上慢があらわれてきた。このように申
されておりますが、『大悪起これば大善きたる」との日蓮大聖人さまの御金言のごとく、私もさら
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に、より以上の祈りきつた信心で、皆さまとともに広宣流布に邁進すると決心するしだいです」
 この池田現会長の発言の意味は、『わたしが、身を挺して学会活動を推進し、文化闘争を戦い切
ったからこそ、少しも悪いことをしていないのに、官憲に逮捕されてしまった。しかしこれは、日
蓮大聖人もおおせのように、やがて広宣流布できることの瑞相だ。これからも皆さんと一緒に頑張
つてまいります』ということになる。
ぞくしゅ.3ぞ5じょう1人 どう4んぞ5 3よ5まん
 発言中の潜聖増上慢とは『創価学会員を迫害する強敵に、一、俗衆増上慢、二、道門増上慢、
三、潜聖増上慢の三つ』がある。
 このうち潜聖増上慢とは、国家権力や報道機関などが、故もなく創価学会員を迫害することで、
この潜聖増上慢があらわれたことは、『広宣流布近しの瑞相』と教えている。敢えて皮肉にいうなら
ば、『大悪起これば大善きたる』とはまさにそのとおりで、彼は昭和三十五年、創価学会第三代会
長に就任している。
 創価学会では、この時選挙違反で逮捕された人たち、さらに次の選挙で逮捕された人たちに、富
士山を浮き彫りにした銀製のメダルを贈って、国法を犯してまでも選挙票を掻き集めた、その功績
を表彰している。国法を犯したことを、堂々と讚えることさえおかしな話なのに、そうした学会員
たちにだけ贈るメダルを、功労章と呼んでいるのは、正気の沙汰ではない。これだけは、創価学会
でなければできないことだろう。
 しかし、何故にこれほどの選挙違反を犯してまで、参院選に打って出なければならなかったのか、
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 二代会長戸田城聖氏は次のように説明している。
 「仏法王法に冥じ、王法に合するその時をつくるのが広宣流布の下地です。その時機をつくらな
かったならば、ただ広宣流布、広宣流布というだけです。日蓮大聖人さまは『勅宣並びに御教書』
とおつしやっているが、勅宣とは、天皇陛下のお許しです。御教書とは、国会の許可です。その国
会の許可を取るためには、いま政治というものに関心をもたなかったら、いつになつても御教書を
もらえないでしょう。
 つまり国立戒壇を建立するのに、国会の許可を取り付ける必要上、参議院に出馬するのだという
わけだ。
 池田会長は、昭和三十五年六月十日、名古屋市^金山体育館で、
 「創価学会は衆議院には出ません。なぜならば、あくまで宗教団体ですから」
と言明している。しかし、政界に打ってでるため、まことしやかに語られた、表面上のこうした
発言は、次第に本来の目的にむかって、その正体を現わした発言に置き換えられていった。
 昭和三十七年七月二十日、公明会結成式の席上、池田会長は、
「真実の大政治家として、全民衆を救っていく力は、その時代に応じた政策を運営しきり、活動し
きっていく源泉は妙法蓮華経を護持したものでなければならない」
 と、喑に将来の進路をほのめかしている。昭和三十九年五月三日になると、いよいよその仮面を
かなぐりすてて、
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「公明政治連盟を一歩前進させたい。すなわち、公明政治連盟をば、皆さん方の贊成があるならば
王仏冥合達成のために、また時代の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするもよし、衆議院に出
すもよし、このようにしたいと思いますけれど、いかがでございましょうか。(拍手)それでは全員
の賛成を得ましたので、これをもって決定といたします」
 という池田会長の発言となって現われた。
 それでは、創価学会員即公明党員かというと、最初の頃は、そうではないといっていた。創価学
会員が、どの政党を支持しようと、それは創価学会員の自由で、創価学会員必ずしも公明党の支持
者でなくとも、一向に差しつかえない、ということだった。池田会長は、
「創価学会と公明党は、全く別個のものであります。創価学会は宗教団休であり、公明党は政治団
体であります」
 といい切っていた。ところが、この発言と同じ昭和四十年に、これも同じ池田会長が、まったく異
なる発言をしているから、恐れ入った次第だ。つまり、
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「価学会と公明党の関係について、この際はっきりさせておきます。一人の人間について宗教の面
から見れば創価学会員であり、政治面から見れば公明党員であります」
 ということになつてしまった。
 この猫のような変り身の早さに、創価学会員たちはただ、黙々としてつき従ってきているから、
さすがお家芸の罰論とはいえ、見事なものだ。
 最近では、創価学会会長の池田大作氏が、王仏冥合の戦いに功績あったとする公明党の議員諸
候に、その功績の度合いに応じて金賞・銀賞・銅賞を贈っているから、創価学会即公明党の本質は、
一段とはっきり浮きあがっている。
 国立戒壇建立から、政権の座獲得へと、急速に回転しつづけた王仏冥合論の中で、創価学会員た
ちは命ぜられるがままに、公明党の選挙票を、何一つ疑うこともなく掻き集める。公明党の立候補
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者に投票すれば功徳があり、支持しなければ罰がある。公明党の立候補者のために、外票を搔き集め
ることは、折伏したのと同じだけの功徳がある。三つ子にでもわかるような、とぼけた理論だが、学
会員たちは、これを信心だと思い込んでいる。
 功徳が欲しいからとか、福運を積み重ねて、一日も早く成仏したいからと、学会員たちは、否応
なしに賭ける駈けずり回る。こうした文化闘争は、またの名を〝王仏冥合の闘い〟あるいは〝大法戟〟ともいわれて、横線組織(ブロック)を主体に闘争が展開される。
 地方選挙、衆,参両院選挙を問わず、選挙の公示前から、票固めやら外票獲得が活発に行なわれ
る。「長年のリウマチで、腰の立たなかったお婆さんが、公明党の議員に投票したとたん、長年のリウマチが治って腰が立った」
 というような、馬鹿気たことを大まじめで信じている学会員が沢山いる。こうした学会員たちは、
「普段折伏しろといわれても、なかなか折伏できるものではない。投票を依頼することは、折伏し
たと同じだけの功徳がある」この機会にたくさん福運を積んでおかなければ損だ。選挙は年中ある
わけではない」
 というわけで、普段は折伏しないような学会員までもが、功徳を目指して結束する。まず折伏の
タコ足と同じシステムの、「サーチライト」と呼ぶ有権者掌握台帳が作られて、一日一日のブロッ
ク員の文化闘争の状況や、その日に獲得した外票、その家族の支持状態などが記入される。外票の
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伸び悩む地域には、手弁当に旅費を自弁の学会幹部たちが、他の地域から大量に投入されて、こま
めに外票を稼ぎ出す。
 婦人部の外票闘争に、ささやき戦術というのがある。きれいに化粧した学会婦人部員が、駅頭の
雑踏などをえらんで、鼻の下の長そうな殿方に、公明党の立候者名をソフトにささやく戦術だ。
毎晚九時過ぎにブロック長会が開かれて、いろいろの作戦が練られ、ブロック員に指示される。
戸別訪問も、「聖教新聞」や「大白蓮華」を持ち歩いて、もし、警官に訊かれたら、信心指導とか、
折伏と答えるようになどと、そうした細かな注意までがブロック員の一人一人に伝達される。
 戸別訪問の別名をフレンド闘争といい、外票をFというフレンドの頭文字をとつたものだ。綴
り方教室というのがある。これは婦人部だけの選挙闘争で、遠隔地に居住する親類や知己にあてて、
その地域での公明党立候補者に対する投票依頼を、封書で書き送る戦術をいう。一定の日時に、前
もって指示された場所へ、便箋と封筒を待って集まり、創価学会から示されたひな型に従って、投
票依頼の書状を書き、郵送料自弁でいつせいに投函する。
 とにかく、固定票に対する立候補者の地盤割りは、きちんとされているから、その地域に必要な
外票は、なんとしてでも搔き集めなければならない。だから地方選挙の場合など、時には、会期中
の国会を放りだしてまでも公明党の国会議員が駆けつけて、さらに入念な票固めをすることもしば
しばある。
 こうした文化闘争の成果は、ブロック組織を通して学会本部に報告され、必要に応じて新たな闘
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争指令が発せられる。最後に、サーチライトなどの作戦書類は、投票日前夜、大ブロックに集めて
焼き捨て、選挙違反の痕跡をきれいに消し去って、投票日を迎えることになる。
 投票日には、それぞれの拠点で題目をあげつづけ、サーチライトで確認した内票外票が、百パー
セント投票されることを祈念する。また、ブロック員から、刻々と內票外票の投票状況が報告され
て、これが集計されていく。投票所へは誰が誰を連れ出すかの、連れだし分担が、投票日前日まで
に決められて、この決められた分担にしたがって投票状況が掌握される。連れ出しに機動部隊が活
躍するのは、折伏戦の時と変らない。やがて投票率百パーセント。後は開票を待つばかり。
────────────────◇────────────(引用ここまで、つづく)
◆詭弁・すり替えの天才‥‥池田!!
 昭和三十七年七月二十日、公明会結成式の席上、池田会長は、
「真実の大政治家として、全民衆を救っていく力は、その時代に応じた政策を運営しきり、活動しきっていく源泉は妙法蓮華経を護持したものでなければならない」
(‥‥省略‥‥)
昭和三十九年五月三日になると、いよいよその仮面をかなぐりすてて、
「公明政治連盟を一歩前進させたい。すなわち、公明政治連盟をば、皆さん方の贊成があるならば王仏冥合達成のために、また時代の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするもよし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけれど、いかがでございましょうか。(拍手)それでは全員の賛成を得ましたので、これをもって決定といたします」
 という池田会長の発言となって現われた。

(‥‥マスコミ向け‥昭和四十年‥)
 それでは、創価学会員即公明党員かというと、最初の頃は、そうではないといっていた。創価学会員が、どの政党を支持しようと、それは創価学会員の自由で、創価学会員必ずしも公明党の支持者でなくとも、一向に差しつかえない、ということだった。池田会長は、「創価学会と公明党は、全く別個のものであります。創価学会は宗教団休であり、公明党は政治団体であります」‥といい切っていた。

 ところが、この発言と同じ昭和四十年に、これも同じ池田会長が、まったく異なる発言をしているから、恐れ入った次第だ。つまり、
「価学会と公明党の関係について、この際はっきりさせておきます。一人の人間について宗教の面から見れば創価学会員であり、政治面から見れば公明党員であります」ということになつてしまった。
 この猫のような変り身の早さに、創価学会員たちはただ、黙々と‥‥(‥‥省略‥‥)

 慣れてしまえばあたりまえ‥‥かくて、折伏と同じ功徳・罰論、邪宗との法戦・福運を積む、成仏する、金賞・銀賞・銅賞、色紙の贈呈‥如来の使いだ、戸別訪問??‥
戸別訪問も〝聖教新聞を持って訪問〟布教でした‥と指導した。世法より仏法が上なのだ。

 私のカミサン(73)‥選挙モードになると〝池田ことば〟の乱発で、特に元気イッパイ‥グループ長になって益々元気、夫(74)の私、家を出て一年。そうなんです‥私の古傷の〝カサブタ〟を‥じわーと‥剥がすんですよ。勿論、剥がすのは私のカミさんです。
いろいろあって離婚しない。切ないですね。‥‥〝バカ女〟(で) アンチ創価の ブログ書く

(誤字・脱字、文法無視、パクリ・援用・重複・勝手編集も‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)
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