○「創価学会・公明党をブッた斬る」…S60/10…〈日新報道〉
いま,なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか 藤原弘達
────────────────改頁────── 186
3 宗教と「異体同心」と称する有害無益政党
公明党は学会の“影武者僧兵団”
◆もう一つの創価学会
奇妙なことに、公明党の政治理念は創価学会の宗教理念と全く同じである。政教分離を天下
に公約する以前の公明党の政治理念には、「王仏冥合」が掲げられていた。王仏冥合とは王法
(政治)と仏法(宗教=日蓮正宗)が冥合(神秘的に合玫)して理想社会を建設するという主
張で、総てはここから出てここに帰る教義なのである。日蓮正宗は一閻浮提(世界)の宗教と
いうのが創価学会であるから、その点において、公明党は創価学会なる宗教団体の政治的別働
隊として、そもそも誕生の時から宿命づけられていたわけだ。
つまり、公明党の政治活動とは、要するに政治を通じて行なう「折伏」なのである。究極の
目的とするところは、議会で多数を占め、へゲモニー(主導権)を握って日蓮正宗を国教化す
ることにある。そうでなければ、公明党結成のそもそもの意味もないし、創価学会の出店であ
るという存在理由もないーと、前著『創価学会を斬る』の中で、私はちゃんと書いているのだ。
───────────改頁────── 公明党機構略図……(略)……187
その後、創価学会・公明党は政教を分離し、公明党は綱領、党規、組織を新たにし、
出直したはずである。宗教政党のイメージを払拭して、国民政党を看板に掲げている。た
しかに、新しい公明党の綱領から「王仏冥」の四文字は消えた。もちろん、創価学会
規則、目的条項にも、「王仏冥合」は見当たらない。
次に、「政教分離」宣言直後、昭和四十五年六月の公明党綱領をあげておこう。
「一、わが党は、人間性尊重の中道主義を貫く、国民政党として、革新の意欲と実践をもつて、
大衆とともに前進する。
一、わが党は、人間性社会主義に基づき、責任ある自由な経済活動と、その成果の公正な分配
を保障する柽済体制を確立し、社会の繁栄と個人の幸福を、ともに実現する福祉社会の
建設をめざす。
一、わが党は、すべての民族が地球人である、との自覚に立ち、平等互恵.内政不干渉の原
則により、自主平和外交を推進して、人類永遠の平和と繁栄をめざす。
一、わが党は、日本国憲法をまもり、生命の尊厳と自由平等を基調として、信教・結社・表
現の自由など、基本的人権を擁護するのはもとより、進んで社会的基本権の実現をめざ
し、一切の暴力主義を否定し、議会制民主主義の確立を期す」
旧綱領にあった「王仏冥合」は消えた代わりに新網領に出てきたのは、「中道主義」であ
る。中道主義を貫く、国民政党として、革新の意欲……と続くから、中道主義とは少なくとも
保守イデォロギーではないというように読める。いかにも、四十六年以後(第九回党大会)に
なると、公明党は「中道革新」を謳い始める。
これは池田大作の「中道政治論」を受けたものだ。公明党新綱領に「中道主義」が登場する
以前に、池田は、公明党について「あるときは自民党と協調し、あるときは社会党など野党と
共闘する……しょせん、いずれに偏らぬ中道をまっしぐらに進むのである」と述べている(“日
本の進路”「公明新聞」四十|年一月一日号)。そして、その年の秋、創価学会青年部総会で、
池田は「中道主義」を定義づけた。それによれば、学会のいう中道主義とは、従来の法華経解
釈の中道でなく、日蓮の仏法=「妙法の中道主義」であるという。公明党の政治イデォロギーは、
この中道主義に立つ政治を目指すものだともいったのである。
王仏冥合が消え、今度は「妙法の中道主義」だ。特定の一宗派の宗教イデオロギーに立って
政治活動を行なうというのでは、綱領に謳っている国民政党は、またもや大欺瞞である。公明
党は新網領において、旧綱領にあった宗教色を抜いたかの如く装うのだが、それでは、いうと
ころの「人間性尊重の中道主義」は、創価学会会長・池田大作の「中道主義」とは別物だとい
うのであるか。仏教からきた中道主義をもって立党の根底におく以上、宗教政党なることは否
定できまい。少なくとも政党の綱領とは、そのように読まれるものだ。アホダラ経ではないは
ずである。
それとも、宗教政党にして国民政党、国民政党にして宗教政党と、彼ら一流のおしゃべりを
通用させようという魂胆なのか。曖昧さで、なんとなくゴマ化してしまおうというわけだ。落
語の「ときソバ」式に、万事につけてセコいのだ。いや、セコいだけではない。
このように口先だけの「分離」を天下に誓っても、紛れもない宗教政党を目的としているな
ら、公明党と創価学会のケッタイな関係は断乎として、糾弾されねばなるまい。政教分離を約
束した時の池田講演の一部には、こうあつたのである。
「……明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん理念にお
いては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれの目的に向って将来
とも進むことは、当然であります……」(「聖教新聞」四十五年五月四日)
即ち、創価学会と公明党は同じ日蓮の仏法を信じ(理念においては冥合)、実踐面において
はそれぞれの目的(日蓮正宗の折伏と、日蓮正宗に立脚した政治)に向かって進むものだとい
つているのである。要するに、政教分離以前と以後とで、何も変わっていないわけだ。政教一
体を、創価学会のダミー,公明党綱領の色直しですませただけのことである。この点は、公明
党という政党をみる時、不可欠のポイントであろう。
────────────────改頁・つづく──────190
◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては「《日蓮の妄想!・妄説!・妄言!》
宗教を語る=源濁れば流れ清からず=
◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき--化け物・池田大作
◆これまでも、これからも--池田・創価狂=公明党
池田創価の脱税不問・証人喚問なしを…自民支持119名…政教一体……で五十年。
大聖堂・池田会館の建設、お城の購入に勲章・博士号でギンギラ偽善の化け物!!
1000万の供養・財務……池田の“食事会”“感謝状”もらって歓喜の体験発表ダ!!
共産党と昔の恩人日顕宗、橋下・松井は‥魔だ・第六天の魔王か提婆達多ダ!!
戸別訪問・替え玉投票‥法戦だ!!‥法難・国法違反で法難賞もらい体験発表ダ!!
(森田・佐藤・田原・鳥越・etc、有名電波芸者にテレビ・新聞・マスゴミは買収完了)
財務・選挙・会合・折伏・新聞啓蒙・ストーカーと、人生の全てを池田に捧げて感動!!
師匠の池田を守れ!!、悪は多けれど一善に勝つことなし!!…諸天善神の加護で大勝利!!
偉ぶりで ああ偉ぶりで 偉ぶりで--池田・創価狂=公明党
いま,なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか 藤原弘達
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3 宗教と「異体同心」と称する有害無益政党
公明党は学会の“影武者僧兵団”
◆もう一つの創価学会
奇妙なことに、公明党の政治理念は創価学会の宗教理念と全く同じである。政教分離を天下
に公約する以前の公明党の政治理念には、「王仏冥合」が掲げられていた。王仏冥合とは王法
(政治)と仏法(宗教=日蓮正宗)が冥合(神秘的に合玫)して理想社会を建設するという主
張で、総てはここから出てここに帰る教義なのである。日蓮正宗は一閻浮提(世界)の宗教と
いうのが創価学会であるから、その点において、公明党は創価学会なる宗教団体の政治的別働
隊として、そもそも誕生の時から宿命づけられていたわけだ。
つまり、公明党の政治活動とは、要するに政治を通じて行なう「折伏」なのである。究極の
目的とするところは、議会で多数を占め、へゲモニー(主導権)を握って日蓮正宗を国教化す
ることにある。そうでなければ、公明党結成のそもそもの意味もないし、創価学会の出店であ
るという存在理由もないーと、前著『創価学会を斬る』の中で、私はちゃんと書いているのだ。
───────────改頁────── 公明党機構略図……(略)……187
その後、創価学会・公明党は政教を分離し、公明党は綱領、党規、組織を新たにし、
出直したはずである。宗教政党のイメージを払拭して、国民政党を看板に掲げている。た
しかに、新しい公明党の綱領から「王仏冥」の四文字は消えた。もちろん、創価学会
規則、目的条項にも、「王仏冥合」は見当たらない。
次に、「政教分離」宣言直後、昭和四十五年六月の公明党綱領をあげておこう。
「一、わが党は、人間性尊重の中道主義を貫く、国民政党として、革新の意欲と実践をもつて、
大衆とともに前進する。
一、わが党は、人間性社会主義に基づき、責任ある自由な経済活動と、その成果の公正な分配
を保障する柽済体制を確立し、社会の繁栄と個人の幸福を、ともに実現する福祉社会の
建設をめざす。
一、わが党は、すべての民族が地球人である、との自覚に立ち、平等互恵.内政不干渉の原
則により、自主平和外交を推進して、人類永遠の平和と繁栄をめざす。
一、わが党は、日本国憲法をまもり、生命の尊厳と自由平等を基調として、信教・結社・表
現の自由など、基本的人権を擁護するのはもとより、進んで社会的基本権の実現をめざ
し、一切の暴力主義を否定し、議会制民主主義の確立を期す」
旧綱領にあった「王仏冥合」は消えた代わりに新網領に出てきたのは、「中道主義」であ
る。中道主義を貫く、国民政党として、革新の意欲……と続くから、中道主義とは少なくとも
保守イデォロギーではないというように読める。いかにも、四十六年以後(第九回党大会)に
なると、公明党は「中道革新」を謳い始める。
これは池田大作の「中道政治論」を受けたものだ。公明党新綱領に「中道主義」が登場する
以前に、池田は、公明党について「あるときは自民党と協調し、あるときは社会党など野党と
共闘する……しょせん、いずれに偏らぬ中道をまっしぐらに進むのである」と述べている(“日
本の進路”「公明新聞」四十|年一月一日号)。そして、その年の秋、創価学会青年部総会で、
池田は「中道主義」を定義づけた。それによれば、学会のいう中道主義とは、従来の法華経解
釈の中道でなく、日蓮の仏法=「妙法の中道主義」であるという。公明党の政治イデォロギーは、
この中道主義に立つ政治を目指すものだともいったのである。
王仏冥合が消え、今度は「妙法の中道主義」だ。特定の一宗派の宗教イデオロギーに立って
政治活動を行なうというのでは、綱領に謳っている国民政党は、またもや大欺瞞である。公明
党は新網領において、旧綱領にあった宗教色を抜いたかの如く装うのだが、それでは、いうと
ころの「人間性尊重の中道主義」は、創価学会会長・池田大作の「中道主義」とは別物だとい
うのであるか。仏教からきた中道主義をもって立党の根底におく以上、宗教政党なることは否
定できまい。少なくとも政党の綱領とは、そのように読まれるものだ。アホダラ経ではないは
ずである。
それとも、宗教政党にして国民政党、国民政党にして宗教政党と、彼ら一流のおしゃべりを
通用させようという魂胆なのか。曖昧さで、なんとなくゴマ化してしまおうというわけだ。落
語の「ときソバ」式に、万事につけてセコいのだ。いや、セコいだけではない。
このように口先だけの「分離」を天下に誓っても、紛れもない宗教政党を目的としているな
ら、公明党と創価学会のケッタイな関係は断乎として、糾弾されねばなるまい。政教分離を約
束した時の池田講演の一部には、こうあつたのである。
「……明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん理念にお
いては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれの目的に向って将来
とも進むことは、当然であります……」(「聖教新聞」四十五年五月四日)
即ち、創価学会と公明党は同じ日蓮の仏法を信じ(理念においては冥合)、実踐面において
はそれぞれの目的(日蓮正宗の折伏と、日蓮正宗に立脚した政治)に向かって進むものだとい
つているのである。要するに、政教分離以前と以後とで、何も変わっていないわけだ。政教一
体を、創価学会のダミー,公明党綱領の色直しですませただけのことである。この点は、公明
党という政党をみる時、不可欠のポイントであろう。
────────────────改頁・つづく──────190
◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては「《日蓮の妄想!・妄説!・妄言!》
宗教を語る=源濁れば流れ清からず=
◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき--化け物・池田大作
◆これまでも、これからも--池田・創価狂=公明党
池田創価の脱税不問・証人喚問なしを…自民支持119名…政教一体……で五十年。
大聖堂・池田会館の建設、お城の購入に勲章・博士号でギンギラ偽善の化け物!!
1000万の供養・財務……池田の“食事会”“感謝状”もらって歓喜の体験発表ダ!!
共産党と昔の恩人日顕宗、橋下・松井は‥魔だ・第六天の魔王か提婆達多ダ!!
戸別訪問・替え玉投票‥法戦だ!!‥法難・国法違反で法難賞もらい体験発表ダ!!
(森田・佐藤・田原・鳥越・etc、有名電波芸者にテレビ・新聞・マスゴミは買収完了)
財務・選挙・会合・折伏・新聞啓蒙・ストーカーと、人生の全てを池田に捧げて感動!!
師匠の池田を守れ!!、悪は多けれど一善に勝つことなし!!…諸天善神の加護で大勝利!!
偉ぶりで ああ偉ぶりで 偉ぶりで--池田・創価狂=公明党