創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

池田の頭破作七分・50年-2

2015-02-25 17:39:33 | Weblog
○「創価学会・公明党をブッた斬る」…S60/10…〈日新報道〉
    いま,なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか     藤原弘達
 ────────────────改頁────── 186
3 宗教と「異体同心」と称する有害無益政党
公明党は学会の“影武者僧兵団”
◆もう一つの創価学会
 奇妙なことに、公明党の政治理念は創価学会の宗教理念と全く同じである。政教分離を天下
に公約する以前の公明党の政治理念には、「王仏冥合」が掲げられていた。王仏冥合とは王法
(政治)と仏法(宗教=日蓮正宗)が冥合(神秘的に合玫)して理想社会を建設するという主
張で、総てはここから出てここに帰る教義なのである。日蓮正宗は一閻浮提(世界)の宗教と
いうのが創価学会であるから、その点において、公明党は創価学会なる宗教団体の政治的別働
隊として、そもそも誕生の時から宿命づけられていたわけだ。
 つまり、公明党の政治活動とは、要するに政治を通じて行なう「折伏」なのである。究極の
目的とするところは、議会で多数を占め、へゲモニー(主導権)を握って日蓮正宗を国教化す
ることにある。そうでなければ、公明党結成のそもそもの意味もないし、創価学会の出店であ
るという存在理由もないーと、前著『創価学会を斬る』の中で、私はちゃんと書いているのだ。
      ───────────改頁────── 公明党機構略図……(略)……187
 その後、創価学会・公明党は政教を分離し、公明党は綱領、党規、組織を新たにし、
出直したはずである。宗教政党のイメージを払拭して、国民政党を看板に掲げている。た
しかに、新しい公明党の綱領から「王仏冥」の四文字は消えた。もちろん、創価学会
規則、目的条項にも、「王仏冥合」は見当たらない。
 次に、「政教分離」宣言直後、昭和四十五年六月の公明党綱領をあげておこう。
「一、わが党は、人間性尊重の中道主義を貫く、国民政党として、革新の意欲と実践をもつて、
   大衆とともに前進する。
 一、わが党は、人間性社会主義に基づき、責任ある自由な経済活動と、その成果の公正な分配
   を保障する柽済体制を確立し、社会の繁栄と個人の幸福を、ともに実現する福祉社会の
   建設をめざす。
 一、わが党は、すべての民族が地球人である、との自覚に立ち、平等互恵.内政不干渉の原
   則により、自主平和外交を推進して、人類永遠の平和と繁栄をめざす。
 一、わが党は、日本国憲法をまもり、生命の尊厳と自由平等を基調として、信教・結社・表
   現の自由など、基本的人権を擁護するのはもとより、進んで社会的基本権の実現をめざ
   し、一切の暴力主義を否定し、議会制民主主義の確立を期す」
  旧綱領にあった「王仏冥合」は消えた代わりに新網領に出てきたのは、「中道主義」であ
る。中道主義を貫く、国民政党として、革新の意欲……と続くから、中道主義とは少なくとも
保守イデォロギーではないというように読める。いかにも、四十六年以後(第九回党大会)に
なると、公明党は「中道革新」を謳い始める。
 これは池田大作の「中道政治論」を受けたものだ。公明党新綱領に「中道主義」が登場する
以前に、池田は、公明党について「あるときは自民党と協調し、あるときは社会党など野党と
共闘する……しょせん、いずれに偏らぬ中道をまっしぐらに進むのである」と述べている(“日
本の進路”「公明新聞」四十|年一月一日号)。そして、その年の秋、創価学会青年部総会で、
池田は「中道主義」を定義づけた。それによれば、学会のいう中道主義とは、従来の法華経解
釈の中道でなく、日蓮の仏法=「妙法の中道主義」であるという。公明党の政治イデォロギーは、
この中道主義に立つ政治を目指すものだともいったのである。
 王仏冥合が消え、今度は「妙法の中道主義」だ。特定の一宗派の宗教イデオロギーに立って
政治活動を行なうというのでは、綱領に謳っている国民政党は、またもや大欺瞞である。公明
党は新網領において、旧綱領にあった宗教色を抜いたかの如く装うのだが、それでは、いうと
ころの「人間性尊重の中道主義」は、創価学会会長・池田大作の「中道主義」とは別物だとい
うのであるか。仏教からきた中道主義をもって立党の根底におく以上、宗教政党なることは否
定できまい。少なくとも政党の綱領とは、そのように読まれるものだ。アホダラ経ではないは
ずである。
 それとも、宗教政党にして国民政党、国民政党にして宗教政党と、彼ら一流のおしゃべりを
通用させようという魂胆なのか。曖昧さで、なんとなくゴマ化してしまおうというわけだ。落
語の「ときソバ」式に、万事につけてセコいのだ。いや、セコいだけではない。
 このように口先だけの「分離」を天下に誓っても、紛れもない宗教政党を目的としているな
ら、公明党と創価学会のケッタイな関係は断乎として、糾弾されねばなるまい。政教分離を約
束した時の池田講演の一部には、こうあつたのである。
「……明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん理念にお
いては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれの目的に向って将来
とも進むことは、当然であります……」(「聖教新聞」四十五年五月四日)
 即ち、創価学会と公明党は同じ日蓮の仏法を信じ(理念においては冥合)、実踐面において
はそれぞれの目的(日蓮正宗の折伏と、日蓮正宗に立脚した政治)に向かって進むものだとい
つているのである。要するに、政教分離以前と以後とで、何も変わっていないわけだ。政教一
体を、創価学会のダミー,公明党綱領の色直しですませただけのことである。この点は、公明
党という政党をみる時、不可欠のポイントであろう。
────────────────改頁・つづく──────190

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては「《日蓮の妄想!・妄説!・妄言!》
   宗教を語る=源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき--化け物・池田大作

◆これまでも、これからも--池田・創価狂=公明党
  池田創価の脱税不問・証人喚問なしを…自民支持119名…政教一体……で五十年。
  大聖堂・池田会館の建設、お城の購入に勲章・博士号でギンギラ偽善の化け物!!
  1000万の供養・財務……池田の“食事会”“感謝状”もらって歓喜の体験発表ダ!!
  共産党と昔の恩人日顕宗、橋下・松井は‥魔だ・第六天の魔王か提婆達多ダ!!
  戸別訪問・替え玉投票‥法戦だ!!‥法難・国法違反で法難賞もらい体験発表ダ!!
   (森田・佐藤・田原・鳥越・etc、有名電波芸者にテレビ・新聞・マスゴミは買収完了)
  財務・選挙・会合・折伏・新聞啓蒙・ストーカーと、人生の全てを池田に捧げて感動!!
  師匠の池田を守れ!!、悪は多けれど一善に勝つことなし!!…諸天善神の加護で大勝利!!
  偉ぶりで ああ偉ぶりで 偉ぶりで--池田・創価狂=公明党
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池田の頭破作七分・50年-1

2015-02-23 17:58:00 | Weblog
○「創価学会・公明党をブッた斬る」…S60/10…〈日新報道〉
   いま,なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか     藤原弘達
────────────────改頁────── 180
◆ジグザグ路線が現実政治といえるか
 それでは、公明党の現実追随路線が果たしてホンモノの現実的政策をもっていたのか。公明
党の「安保」と「沖縛問題」への取り組み方を中心に分析してみょう。まず、安保「段階的解
消」だ。池田大作は「現時点においては、七○年安保の自動延長はやむをえない。しかし、そ
の後は期間を縮めるとかして漸減にもってゆき、やがて安保撤廃の平和体制とする」と述べた
(「文藝春秋」四十三年二月号)。創価学会・公明党の安保に対する基本的な態度は、「段階的
解消」であった。
 段階的解消は、四十五年、公明党第八回大会において、「七十年代早期に解消されるべきも
の」と、具体的に時期を明示することに変わった。抽象論から一歩前進というべきである。そ
のプログラムをみると、日米安保体制段階的解消の前段階として安保体制の実質的形骸化があ
り、一九七○年代に解消し、そして完全中立に至ろうとするものである。では、安保形骸化と
は具体的には何をさすのか。その点について、--
  ①在日米軍基地の撤去、
  ②事前協議事項の厳格な実施、
  ③防衛力増強義務の拒否、
  ④日本国とアメリカ合衆国との相互防衛援助協定(MSA協定)の廃棄、
  ⑤国連軍の地位に関する協定ほか失効、
  ⑥沖纖の即時無条件返還要求、の六項目をあげていた。
 ところで、公明党のこの主張では、歴史的には安保体制が日本を守る上で一定のメリットが
あつたと評価しながら、他面において、それ以上に日本を戦争に巻き込む危険性がある、とい
ういい方をしていた。また、安保の解消を主張しながら、各国等の反応を考慮し、急激には否
定しないという。中間政党としての特徴である微温的な、中途半端さがそのまま出ているのが
特徴であった。ただ、「一九七九年十二月までに段陪的解消が不可能な場合でもこれを廃棄す
る」と明言しているのは注目されたが、これとても、その発想は、民社党の解消論と社共両党
の即時廃棄論を、いわば足して二で割り、継ぎ木したようなものだともいえる。
 私もかって再三論じたのだが、日米安保条約は、たしかに史上空前の屈辱的条約といえるか
もしれない。いかなる国といえども、殆どその構成も系統も真相も知らされない他国の戦略体
制の中に、総ての国家利益と生存の権利まで委任しながら、しかもこれを甘んじて受けている
などとは、およそ独立国の名にふさわしくないものといわざるを得ないからである。
 いかに集団安全保障の時代であろうと、自からの国家主権放棄にも等しい条約を最大の屈辱
として受け取るのが、われわれ主権者として当然であり、また、義務であるというべきなので
ある。
 ところで、安保条約を考える時、百余年前、日本にとって本意ならざる開国を強要し、それ
によつて歴史的に一つのエポックを画する役割を担ったぺリーの言葉を思い出す。
「われわれの動機の利己性、日本との通商関係が利益であると考え、これを求めたことを承認
するにやぶさかでない。それは知力ある国家すべてが、他国と友好関係をうちたてようとする
動機であると信じている。ナショナル・インタレストを無視して、Iつの国家が他の国家と純
真で私心のない友好関係を持つというようなことをいって、世界を欺瞞しょうとする人たちの
単純さに対しては、われわれは、ただ微笑しうるだけなのである」
 こういう国家としてのエゴイズムを前提に安保をリアリスティックにみつめる限り、われわ
れは安保条約というものに対して、なんらかの姿勢をとらざるをえないわけだ。創価学会・公
明党の安保段階的解消も、あながち非現実的とはいえなかった。しかし、等距離完全中立、ア
ジア、太平洋不可侵・不干渉の国際環境の樹立など、口あたりのいい、キレイごとの羅列で、
安保解消の軍事・政治・経済にわたる具体的な見通しを示さないところに、この党のいい加減
さがあるといわざるを得ない。

◆右旋回で失速すると、今度は左旋回
 そのいい加減さで、四十七年十二月選挙において、一挙に十八議席を失った。選挙直後の中
央委員会は「反自民、反権力闘争強化、各種民主的諸団体と連携強化」を決める。,左旋回,
である。翌四十八年には「安保即時廃棄」が党大会で採択される。即時廃棄は、次にまた「合
意廃棄」、さらに「当面存続」と二転、三転したことは、前にみた通りである。
 沖縄返還についてはどうだつたか。
 ①施政権の即時全面返還と本土化、②核基地撤去、③通常基地の撤去を行なった上、沖縄産
業振興と日本経済への復帰のために、沖縄経済総合開発銀行の設立。
 さらに「施政権返還にいたる過渡期の体制づくり」としては──
 ①自治権を拡大して国政参加を実現する、②産業の振興を図り日本経済への復帰を促進す
る、③教育格差を解消、④社会福祉の増進。(「公明党の歩み」より)
 沖縄返還問題について公明党の右のような構想は、羅列的であって、野党各党の主張と大同
小異、いくばくの径庭もなかつたものだ。
 およそ条約改正や領土問題など外交交渉は、相手のある仕事である。相手がある以上、社会
党、共産党のように即時無条件返還を主張しただけでは実現できるものではない。即時無条件
返還ができないということになれば、沖縄返還は遅れることになる。交渉の中から解决の糸口
を見出していく他はないのである。いたずらに原則論、公式論を振り回して即時無条件返還な
どとワメクだけでは、解決にならないのである。
 四十六年十一月、国会における沖繙返還協定審議で、公明党は初め社共両党と審議拒否に回
つた。そして終盤に至り、一転、「沖縄米軍基地の縮小整理についての決議案」を条件に、自
民、民社とともに賛成についたのである。結果的に公明党は、自からの還択を正しかったとす
るのであろう。
 しかし、沖縄返還のために公明党のやったことは一体なんであったか。安保条約改正のため
具体的にやったことはなんであつたか。そういう沖縄返還、安保問題というものを、党勢拡大
に利用し、政府与党に対する反抗のエネルギーとして利用したに過ぎないという思惑が、その
行動様式の中に明らかに存在しているといわなければならないのである。この点でも公明党の
政策に対しては大きな不信感と疑惑を抱かざるを得ない。公明党が是々非々で現実政治に取り
組むか否か以前の問題なのである。
────────────────改頁・つづく──────184

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては「《日蓮の妄想!・妄説!・妄言!》
   宗教を語る=源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき--化け物・池田大作

◆これまでも、これからも--池田・創価狂=公明党
  池田創価の脱税不問・証人喚問なしを…自民支持119名…政教一体……で五十年。
  大聖堂・池田会館の建設、お城の購入に勲章・博士号でギンギラ偽善の化け物!!
  1000万の供養・財務……池田の“食事会”“感謝状”もらって歓喜の体験発表ダ!!
  共産党と昔の恩人日顕宗、橋下・松井は‥魔だ・第六天の魔王か提婆達多ダ!!
  戸別訪問・替え玉投票‥法戦だ!!‥法難・国法違反で法難賞もらい体験発表ダ!!
   (森田・佐藤・田原・鳥越・etc、有名電波芸者にテレビ・新聞・マスゴミは買収完了)
  財務・選挙・会合・折伏・新聞啓蒙・ストーカーと、人生の全てを池田に捧げて感動!!
  師匠の池田を守れ!!、悪は多けれど一善に勝つことなし!!…諸天善神の加護で大勝利!!
  偉ぶりで ああ偉ぶりで 偉ぶりで--池田・創価狂=公明党
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池田の妄想50年-5

2015-02-20 17:28:54 | Weblog
○「創価学会・公明党をブッた斬る」…S60/10…〈日新報道〉
   いま,なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか     藤原弘達
────────────────改頁────── 174
2 ピジョンなき政権欲ボケ
  なぜ、こうも路線が終始一貫を欠くのか
◆クルクルと路線変更するにはワケがある
 前章にみたとおり、公明党路線の振幅の大きいこと、「右往左往党」「世論調査党」「ジグ
ザグ路線党」の異名がつけられているほどである。
 なぜ、そのようにジグザグコ—スをたどるのか、いま少し、その時々における変転ぶりを検
討してみる。
 例えば昭和四十六年十一月の、いわゆる沖縄国会において、野党共闘で徹底抗戦を示してい
たにも拘らず、終盤に至り公明党は党決議案を条件に自民党と組み、国会審議再会を図る。こ
れにより、野党は敗退、沖縄返還協定は成立した。文字通り、一夜にして共闘を裏切る体の
“変り身”の早さは、言論・出版妨害事件における田中角栄及び佐藤・自民党への借りを返し
たものだ。
出版妨害に一役買わされた田中角栄の、「少々のお節介をやきすぎたが……政治に素人集団
だから、面倒みてやって、将来何かの際に備えたかった」という弁解を思い出すことができる
のである。
〈くるくる変わる公明党〉一覧省略 ────────────改頁────── 175
次に四十八年になると、安保即時廃棄、自衛隊違憲の疑いあり、が出てくる。この間、四十
七年総選挙の敗北がある。この時は、十八議席を失った。ここから、公明党は革新路線への転
換を図る。安保即時廃棄も反自衛隊姿勢も、その表われだ。首長選挙でも、それまでの自民党
支援から社共寄りへ動き、自民党案小選挙区制に対しては、社共両党と共闘を組む。ただし、
第十一回中央委員会(四十八年五月)では「政権構想につながる持続的・包括的共闘と、個々
の国民的要求の課題での共闘は区別する」とした。
 共産党との共闘は「国民要求の課題」に限ったのだが、いずれにしても、公明党の“革新
色”は強まったとみえた。選挙で党勢退潮とみれば革新寄り、勢いづけば保守と組む。そうい
うバターンをとる、特異な嗅覚をもつ政治集団なのである。私が、創価学会・公明党の「保
守」も「革新」もそれ自体は大した意味をもっていないというのは、このことである。しか
し、それは政党間の党利党略の力ケヒキよりも、政治をヤミ取引をテコに混迷させ、国民の判
断を誤らせるという点では、まことに悪質で危険な体質という他ない。
 ともかく、五十一年総選挙で公明党は五十五人も当選させ、第三党・野党第二党の地位を挽
回する。期せずして、創価学会・公明党は内と外からの難題を抱え、“革新色”はおろか、野
党色も薄めて自民党及び民社党にすり寄っていった。再び路線変更である。

◆変り身の早さだけがとりえ
 創価学会・公明党にとって、この時期、内外からの難題は大きく分けると二つあった。一つ
は本山・大石寺との確執・相剋から、宗門及び学会内部に噴き出してきた批判、内紛、造反事
件である。外からの難題とは、「特別財務」の名目で集めた膨大な資金による学会の資産づく
りが、注目と疑惑を招いたことだ。田中角栄の“列島改造”ブームの小型版よろしく、創価学
会は全国に約四百か所の会館、土地、数十万坪単位の研修所(ホテルなみの施設)、墓苑を手
に入れた。資産総額は二兆円ともいわれたものである。この驚くべき、宗教団体らしからぬ資
産づくりについて、民社党が動いた。(次頁の表は内藤国夫著『創価学会の野望』より)
 五十二年四月、民社党は「創価学会の取得、保有する不動産等に関する質問主意書」という
のを、政府あて提出の準備にかかった。
 思いがけない伏兵──民社党の動きに、創価学会・公明党は狼狽した。質問主意書は、学会
所有全国各施設が、①非課税対象になっていれば宗教法人保護措置濫用の脱税行為に当たると
して実態調査を要求、②国立・国定公園地域内の学会施設に通念を超えた許可の疑いなどがあ
り、許可申請内容、許可状況、及び許可内容と現実の施設実態との相違の有無につき調査、報
告を要求していたものだ。民社党の質問主意書は、公明党から頼み込み、提出は食い止めた。
────────────────改頁────── 178
開館、開所、新装した創価学会施設(改装、建築中も含む。数字はその年度……省略
────────────────改頁────── 179
政治問題化することなく不発に終わったのであるが、ナ二があつたかは問う必要もない。以後
の状況をみることで十分である。
 この他にも、外からの難題は、五十一年に創価学会が池田スキャンダル(女性関係)問題
で、名誉毀損として告訴した「月刊ペン」裁判がある。十年裁判となったが、未だ決着をみる
に至つていない。
 さて、五十年になると公明党は、第十三回党大会において、安保合意廃棄(外交交渉によ
る)と改める。この方針転換は、さらに四年後には、日米安保条約は「当面存続」となる。自
衛隊については、専守防衛、シビリアン,コントロールを強化して保持すると、完全に認知す
ることになる。
 続いて、五十五年になると、公明党は反自民の規定をはずす。人間ノ正道ハコレ滄桑、とい
う言葉がある。変化するのが人の世の姿であり、変化なければ進歩もあり得ないというもの
だ。しかし、いかに正道ハコレ滄桑とはいえ、公明党のかくもめまぐるしい“変身”ぶりには
誰しも首をひねるところだ。うさん臭さ、眉ツバものと思わせられる。
 要するに、公明党の“変り身”の早さは、進歩でも前進でもない。時流の表面だけを見るも
のの、底流は考えない。政党として現実変革の意志などあるわけはないから、現実追随のため
には百八十度方針大転換は、朝メシ前だ。路線転換の理由、自己批判は一切、この党には無用
────────────────改頁────── 180
である。もちろん、党内での批判は出るが、もともと、上意下達の議員政党である。執行部の
「……字句の修正ならともかく、原案否定となれば執行部として重大な決意をしなくてはなら
ない」(政教分離後の新綱領審議における書記長発言)といった姿勢で押し切る党である。
 反自民→革新寄り→革新離れ→親自民も安保即時廃棄→段階的解消→当面保持も、公明党と
して党勢維持、拡張のため計算づくであったのだ。学会票だけでは限界にきているからには、
学会以外の支持票を掘り起こさなければならない。そのため、現実追随路線を選んだのであろ
う。政教一致はタナ上げしたものの、政権の一角にとりつく戦略からしても、公明党のジグザ
グ路線は、絶えざる監視のマトにされなければならない。
────────────────改頁・つづく──────180

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては「《日蓮の妄想!・妄説!・妄言!》
   宗教を語る=源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき--化け物・池田大作

◆これまでも、これからも--池田・創価狂=公明党
  池田創価の脱税不問・証人喚問なしを…自民支持119名…政教一体……で五十年。
  大聖堂・池田会館の建設、お城の購入に勲章・博士号でギンギラ偽善の化け物!!
  1000万の供養・財務……池田の“食事会”“感謝状”もらって歓喜の体験発表ダ!!
  共産党と昔の恩人日顕宗、橋下・松井は‥魔だ・第六天の魔王か提婆達多ダ!!
  戸別訪問・替え玉投票‥法戦だ!!‥法難・国法違反で法難賞もらい体験発表ダ!!
   (森田・佐藤・田原・鳥越・etc、有名電波芸者にテレビ・新聞・マスゴミは買収完了)
  財務・選挙・会合・折伏・新聞啓蒙・ストーカーと、人生の全てを池田に捧げて感動!!
  師匠の池田を守れ!!、悪は多けれど一善に勝つことなし!!…諸天善神の加護で大勝利!!
  偉ぶりっこ ああ偉ぶりっこ 偉ぶりっこ---池田・創価狂=公明党
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池田の妄想50年-4

2015-02-17 10:40:56 | Weblog
○「創価学会・公明党をブッた斬る」…S60/10…〈日新報道〉
   いま,なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか     藤原弘達
────────────────改頁────── 164
変転きわまりないジグザグ路線
◆公明党の中道主義はまやかしだ
 私が公明党の中道主義はまやかしだというのは、次の理由からである。
 公明党は、資本主義と社会主義、唯心思想と唯物思想、こうした対立を止揚した高次元の生
命哲学に基ずく中道主義政治なるものを掲げる。この中道主義を唱えながら、常に第三勢力的
位置を占めようとするため、革新的ポーズを装う。これが創価学会・公明党の政治姿勢をいっ
そう曖昧なものにしている。
 池田大作は、時に共産党ばりに「保守か革新かといえば、革新の中の革新」とまでいう。し
かし、一般的にいって、現在の宗教は世界的にも保守的な位置にある。公明党の場合も、例外
ではない。日蓮正宗とはいえ、宗教の教義を根底におく以上、体質的にはどうしても保守的と
断定してさし支えなかろう。特に共産党とは、究極的には、まず絶対に相容れない。なるほ
ど、創価学会・公明党が現状打破的スローガンを掲げ、保守政党の自民党を批判攻撃する時、
一見、革新的にみえる。とはいえ、その政治行動はしばしば右顧左眄、実態は捉え難いものと
なる。仔細に点検すれば、保守か革新か──ではなく、一つは日蓮の「遣命」であり、他は社
会大衆の要望とを見合わせながら不断に浮動する社会層が創価学会の基盤となつている、当然
の対応であるともいえる。
 したがって、公明党の説くところ(「公明党の歩み」)の「中道政治で平和と繁栄の新社会」
を建設する、「大衆福祉で豊かな生活」を実現する、「戦争のない平和な世界」をつくりあげ
る等々のビジョンは、そのにぎにぎしさにもかかわらず、大した意味も現実味もない政策しか
打ち出せないということでもある。
 当面は、第三勢力=中道主義ということで洞ケ峠をきめこんでいるだけのことなのである。
 仏法民主主義、人間性を尊重する真実の民主主義は、日蓮正宗創価学会の王仏冥合の暗喩と
しか思われない。これを創価学会流でいけば、「個人の幸福と社会の繁栄を一致させ、真の大
衆福祉を実現する」ためには、全国民の創価学会員化が不可欠の条件になる。
 創価学会のいう謗法とは、邪教の徒が日蓮正宗をののしったり、日蓮正宗の信仰を妨げるこ
とである。謗法の徒というのは、日蓮正宗・創価学会以外の人間をさしていうのであるから、
 世間一般の人間が病気が治らず死ぬのはバチが当たったというわけだ。お題目をあげて信心し
たにもかかわらず死んだ時は、功徳があつたのだと強弁する。その点、この宗教ほどご都合主
義の詭弁を使えるものはない。例えば、こんなふうだ。
「問 御本尊にお願いしたけれども、重病の子供が死んだ。なぜ死んだのか。
答 私にひとりの気違いの子供があつたとする。狂人になったのは子供自身であるが、この
子をわが子としなければならないのは、私の宿習である。そこでだれが信心しなければならな
いか。子供ではない。私が泣いて御本尊に願って願いきつたとき……その子供は死ぬか、また
は、なおるか、どちらかである。その子(死んだ子供)はもう生まれてきているよ。そこで君
が考えなければならないことは、このありがたいことを、功徳と思わずにナゼ死んだのかと思
えば、大謗法で、罰は君がうけるんだよ」(小平芳平「创価学会」〈利益と罰について〉)
 このコジツケと脅迫をもってして、なお人間尊重といえるのか。恐れ入る他はなかろう。そ
れが、政党として「大衆福祉で豊かな生活」「戦争のない平和な世界」を説くのだ。こんな人
間性尊重の民主主義もあることを銘記するだけでケッコウ、という他ない。それとも、学会流
功徳と公明党の仏法民主主義は別の次元だというのだろうか。そうではないらしい。
 そして、またまた新しい指標がつくられ、「資本家であろうが労働者であろうが、人間性と
いう共通の広場に立って、保守と革新、東と西という現在の対立を克服し、信頼と調和による
新しき社会を建設」(「公明新聞」四十二年元旦号。傍点著者)するという。人間性といつても、何
といってもよろしい。原点はみえみえ、後は甘つちょろい言葉をつくれば、それで用は足りる。

◆中道主義、中道政治も具体性を欠き陳腐そのもの
 公明党の中道主義、中道政治は、池田の中道主義イデオロギーそのままである。公明新聞に
発表した中道主義、中道政治より前に、池田講演(四十一年十一月、学会青年部総会)が主張し
ていた。
 作家の松本清張との対談の中で、池田は中道主義について述べている。
「戦前は、極左か極右にかたよつており、真の中道はなかった。西洋には極左、極右の他に中
道派があった。戦後は保守、革新の葛藤をみるにつけ、へーゲルの弁証法ではないけれど、時
代は中道を欲していることは否定できない。とくにわれわれの中道主義は、民衆から盛り上っ
たものである。仏法の中道主義という哲学を裏付けにしたものだ。したがって抽象的な軽薄な
中道とは全然ちがう」(「文藝春秋」四十三年二月号)
 ここまでみてきても、中道主義、中道政治は言葉として語られるだけで、これといった具体
的イメージすら浮かんでこない。資本主義でもない、社会主義でもない第三の道として出てき
た創価学会.公明党の中道主義だが、矛盾対立を止揚して高次元の別のものをつくる、という
弁証法的発想にしても、今さらのように陳腐極まるとしか、いいようがない。
 公明党は、こういう中道主義、中道政治を唱えるが、遂にそのなんたるかを明らかにしな
い。仏法の中道主義哲学が裏づけになる、というにとどまる。つまり、公明党の中道は資本主
義か社会主義かの中間などではない(彼らは民社党をそのあたりに位置づけている)が、さり
とて、弁証法的に止揚されて次元に立つものでもない。政治的、政策的無定見性に基ずく、
それなりのフリーハンド、無手勝流の立場を、自ら称して中道と呼ぶようである。
 まやかしというには、いささか子供だましのトリック論理なのだが、これが公明党結成以
来、日本の政治に常に混迷と屈折と停滞をもたらしてきたといえなくもなかろう。

◆状況しだいで、中道という名の往きつ戻りつの変節
 衆議院に進出した公明党は、三十二人の候補を立て二十五人当選であった。もちろん、その
ベースはそっくり創価学会票だ。衆議院においては、従来の政党地図に第三勢力として登場。
 このとき自民党は得票率五〇%を割り、保守退潮の危機感を抱いた。
 この年の東京都知事選で、公明党は自民党の呼びかけを蹴り、独自候補を立てた。保守、革
新のいずれにも寄らず、フリーハンドなのである。
 ところが、四十三年に公明党は、原子力空母佐世保入港に反対、一大集会を組織、民社党を
“第二自民党”と攻撃、安保条約の段階的解消を発表する。原子力空母入港反対も、民社“第
二自民党”論も、安保の段階的解消も、国民の自民党批判、憲法改正・日米安保強化反対とい
う革新上げ潮ムードに乗ったものである。安保の段陪的解消論といっても、即時廃棄は非現実
的であるが、将来は「当然解消されるべきもの」と、及び腰で常識論をもちだしたというとこ
ろだ。
 そこへ、四十四年から四十五年にかけて、言論・出版妨害事件が起きる。世論のフクロ叩き
にあった創価学会・公明党は、池田大作の“お詫び講演”で、政教分離を公約する羽目に至っ
たのである。公明党はその後、第八回党大会で政教分離を決定、新綱領を採択して党規、組織
を改正した。新綱領の第一に、今度は国民政党への転換が示された。
 言論・出版妨害事件に関し、敢えて重複を承知でいうなら、事件の直接的ヒキガネとなった
『創価学会を斬る』の出版妨害に、自民党幹事長(当時)・田中角栄が介入したことで、創価
学会・公明党の反自民、革新寄りがいかにみせかけであったかが、白日の下に明らかにされ
た。
 それ以後の公明党の動きをみると、自民党支配勢力と公明党の水面下の連繋は切れることな
く続いていた。それは、佐藤内閣(田中幹事長)から田中内閣、そして自民党カゲの支配者と
して“闇将軍”と呼ばれた田中角栄全盛時代を通じて、ほぼ一貫していた。
 田中全盛期と公明党の野党第二党安定期は、ビタリと符節を合しているのである。まさに
「カクの傘」に安全保障されたケッタイな野党ということだ。
 しかもその間、公明党は保守、革新、中道革新と往きつ戻りつし、めまぐるしい。そのめま
ぐるしさを、年表ふうに記してみよう。
────────────────(省略)────── 
 ざっとみただけでも、公明党が保守、革新、中道と揺れ動く時は、党勢の消長、保革の力関
係、社会情勢の動向とパラレルだ。保守、革新、中道を往きつ戻りつは、いかにして第三勢力
として割り込み、キャスティングポートを握るかの日和見のみである。

────────────────改頁・つづく──────172

◆昔バリ活・今、悶々とする自分が恥ずかしい人…のブログから
……偽本尊問題にもひとこと言いましょうか。
 創価は日寛がどうの血脈がどうのとか、新たな本尊を信じさせるためにあれやこれや弁明し
てましたが、それも本心ではありません。
 破門されて罵ったはずの宗教の本尊を持ってくるだの、カラーコピーするだの理屈も倫理も
滅茶苦茶なのは百も承知しています。
 当然、自分はそんな本尊など信じてませんし、心の支えになどしてません。
 それ以前に前の本尊だってどうだっていいんです。
 どっちもどうだっていいから、回収したり廃棄したりコピーしたり都合に合わせて好き放題
しているんです。

 何度も言いますが、それが正しいと思ってるんじゃなくて「正しいと思わせてる」だけなん
です。 正しいなんてある必要はない。要は信じさせれば信者はそれで幸せに思う。
 信じさせてしまえば何を持ってきても有難がたがってくれる。
 感謝して幸せだと言ってるんだからいいじゃないか。
 これなしでは生きられないとまで言ってるんだ。何が悪い?
 それが、創価(トップ)の本音です。

 創価の大半を占めているのは、このトップの企みにまんまと騙されている信者ですが、騙さ
れている末端を責めても意味はありません。かといって上は絶対に認めないし、こんなネット
の論争にも絶対に乗りません。
 創価を撲滅させたいなら、末端がこれに気づいて脱会するのが一番なのです。
 会員がいなくなれば上は騙しようがない。こうなるまで上は騙し続けますから、悪事を止め
させるには気付くこと。
 そして脱会することです

(誤字・脱字・文法無視‥パクリ・援用・勝手編集‥‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池田の妄想50年-3

2015-02-15 11:09:23 | Weblog
○「創価学会・公明党をブッた斬る」…S60/10…〈日新報道〉
   いま,なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか     藤原弘達
────────────────改頁──────160
◆第三勢力を狙う“革新”もどき
 地方議会、参議院までは、政党色のない分野(池田発言)だから、政党活動ではないといっ
てきた創価学会が、衆議院進出を決めて公明党なる政党を誕生させたのである。学会の政治活
動別働隊が公明党であることは、前記、池田の演説が十分に語っている。
 ところで、学会のいう、政党色があってはならない分野における公政連の基本政策をみる
と、核兵器反対、憲法改悪反対、公明選挙・政界浄化、参議院の自主性確立が挙げられてい
る。ここにみる限り、公政連の基本政策は明らかに革新寄りだ。
 一方、公明党が結党宣言とともに発表した綱領は、公政連の基本政策に比べ美文調に流れ、
政党の綱領としては、ナニをやろうとするのかの訴える力に欠けていた。このことは何に由来
するのか。それは、公政連結成時と公明党結成時における、それぞれの時代的背景、彼らを取
り卷く環境の甚だしい違いだと、私はみる。
 三十五年は、新安保条約で日本中が揺れた年である。国会に押し寄せる安保反対のデモと狂
騒の中、時の首相・岸信介は、自衛隊出動を本気で考えたといわれる。新安保条約は自民党に
よって強行採決、岸内閣から池田内閣へと代わった。韓国では、学生を先頭に四月“革命”の
波が、李承晩大統領を辞任に追い込んだ。日比谷公会堂における演説中、社会党委員長.浅沼
稲次郎が右翼少年のテロで倒れる(十月)。新安保条約の後、翌三十六年、三十七年も、内外
ともに政治的に緊迫が続いており、一方、池田内閣は所得倍増、“高度経済成長”のバラ色の
夢を約束する。
 このような背景を置いて、公政連の基本政策をみると──
「一、核兵器反対いかなる理由を問わず核兵器の製造、実験、使用に反対する……この反対
運動はいかなる主義、主張にも偏せず世界平和、人類の幸福のため断固行なうものである。
 二、憲法改悪反対主権在民を基本的な精神とし、戦争の放棄を規定する『日本国憲法』を
擁護し……」
とある。三年後、公明党の綱領ではどうか。
「一、二十世紀の繁栄は、皮肉にも、核兵器、ミサイルなど、悪魔的殺戮兵器をうみだし、人
類は、繁栄か威亡か、二者択一の瀬戸ぎわに立たされるにいたった……わが公明党は、王仏冥
合の大理念を高く掲げて、地球民族主義にのっとり、人類の危機を救い、世界に恒久平和の礎
を築くことを誓うものである。
 二、いま世界は、資本主義、社会主義の両体制にわかれ、たがいに欠陥と矛盾を露呈しなが
ら、その克服の道を求めて暗中模索をつづけている……わが公明党は、豊かなる人間性を基調
とする人間性社会主義によつて、個人の幸福と社会の繁栄が一致する、大衆福祉の実現を確約
するものである。
 三、新しい政党は、現代社会のあらゆる階層のいっさいの民衆を包含しうる、大衆政党でな
ければならない。わが公明党は、国民大衆のなかに仏法民主主義、すなわち人間性尊重を基調
とした真実の民主主義の基^をつくり……言論、思想、信仰の自由など基本的人権を尊重……
われわれは、大衆とともに語り、大衆のために戦い、大衆の中に死んでいくことを誓うもので
ある……」
 公明党のこの綱領は、公政連時代の基本要項と照応するものである。作文的であり、美文調
にすぎて具体性のないのは当然だとしても、高度経済成長時代の入口に立った日本が、公明党
網領にそれなりの色あいを投げかけているのも無視できまい。東京オリンピック開催の年であ
り、“もはや戦後ではない”と経済白書が謳ったのは、この時期なのである。高度経済成長の
波は明らかに創価学会にも及んでいた。大石寺正本堂建立を池田大作はブチあげ、建立供養金
三五五億余円を貢ぐのは、その翌年(四十年)である。
 綱領は、核兵器の脅威、人類を破滅から救うのは「王仏冥合、地球民族主義」により、資本
主義か社会主義かの対立克服の途は「人間性社会主義」だとしている。
 公明党は、結成当初において、「地球民族主義」と「人間性社会主義」を標榜することを通
じて、一種の第三勢力を目指していた。いわゆる“革新性”は、第三勢力としての党勢拡張の
ため、その色を、時に強く、時に後退させる。保護色であり、また同時に警戒色でもある。後
に出てくる「中道主義」とは、そのまやかし的複合とみなければなるまい。
────────────────改頁・つづく──────163

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては「《日蓮の妄想!・妄説!・妄言!》
   宗教を語る=源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき--化け物・池田大作

◆これまでも、これからも--池田・創価狂=公明党
  池田創価の脱税不問・証人喚問なしを…自民支持119名…政教一体……で五十年。
  大聖堂・池田会館の建設、お城の購入に勲章・博士号でギンギラ偽善の化け物!!
  1000万の供養・財務……池田の“食事会”“感謝状”もらって歓喜の体験発表ダ!!
  共産党と昔の恩人日顕宗、橋下・松井は‥魔だ・第六天の魔王か提婆達多ダ!!
  戸別訪問・替え玉投票‥法戦だ!!‥法難・国法違反で法難賞もらい体験発表ダ!!
   (森田・佐藤・田原・鳥越・etc、有名電波芸者にテレビ・新聞・マスゴミは買収完了)
  財務・選挙・会合・折伏・新聞啓蒙・ストーカーと、人生の全てを池田に捧げて感動!!
  師匠の池田を守れ!!、悪は多けれど一善に勝つことなし!!…諸天善神の加護で大勝利!!
  偉ぶりで ああ偉ぶりで 偉ぶりで--池田・創価狂=公明党
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする