創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

しんぶん赤旗の戦い-03

2016-02-14 09:10:51 | Weblog


(政教一体)公明党・創価学会 政権参加を問う しんぶん赤旗・特別取材班
               新日本出版社  800-  2000/3
    -------(P18)--以下、本文--

 池田大作創価学会会長(当時)の「猛省」講演(1970年5月3日第三十三回本部総会) から
       講演の主な論点は次の通り。

◆言論出版妨害問題で「猛省」「おわび」
「今回の問題は、あまりにも配慮が足りなかったと思う。また、名誉を守るためとはいえ、これまでは批判に対して、あまりにも神経過敏にすぎた体質があり、それが寛容さを欠き、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。今後は、二度と、同じ轍を踏んではならぬと猛省したいのであります。私は、私の良心として、いかなる理由やいいぶんがあったにせよ、関係者をはじめ、国民の皆さんに多大のご迷惑をおかけしたことを率直におわび申し上げるものであります」

◆「国立戒壇」の表現は将来とも使わない
「一部になお疑惑がもたれ、学会の政治進出の目的は、国立戒壇にあるのではないか、したがって、それは憲法違反ではないか、更に現在は民衆立でも、やがて国会で三分の二の多数を占めて、国立にするのではないか等と、さまざまに心配されてまいりました。たしかに、かってそれに近い表現もあったことも事実であります。(中略)
 まず第一に、本門戒壇は国立である必要はない。国立戒壇という表現は、大聖人の御書にもなく、また誤解を招く恐れもあり、将来ともに使わないと決定しておきたいと思いますが、いかがでありましょうか。(全員挙手)
 第二に、国教化は、一閻浮提という世界宗教の意義からはずれ-その宗教の力なきことを意味するものであり、かねてからこれを否定してきた、私どもの意思を更に高らかに宣揚したいと思いますが、その点もいかがでしょうか。(全員挙手)
 第三に、将来、国会の議決によって国立にするのではないかという疑惑に対しても、本門戒壇は、どこまでも、純真な信心を貫く民衆の力によって築かれ、意義づけられることを明らかにしておきたい。(中略)
 第四に、したがって政治進出は、戒壇建立のための手段では絶対にない。あくまでも大衆福祉を目的とするものであって、宗門、学会の事業とは無関係であることを、再度、確認しておきたい」

◆公明党との間係は分離する
「創価学会と公明党の開係は、あくまでも、制度のうえで、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。〔中略)今後、たとえ票が減ろうと、議員数が減ろうと、それが世論の要望であり、本来のあり方であるならば、近代政党として、当然の道であります。具体的には、議員で、学会の役職を兼任している場合、党の仕事に専念していただくために、学会の役職は段階的にはずす方向にしていきたい。(中略)また、学会は、公明党の支持団体ということになります。当然、学会員の個人個人の政党支持は、従来通り自由であります。学会は、日蓮大聖人の仏法、三大秘法の御本尊を信奉する宗教団体であって、政党支持について、会員の自由意思には、全く干渉するものではありません。(中略)
 選挙に際しても、公明党は党組織を思い切って確立し、選挙活動もあくまで党組織の仕事として行なっていただきたい。むろん、創価学会も支持団体として従来通り地域ごとの応援は当然していきたい。党員についても、学会の内外を問わず、幅広くつのって、確固たる基盤をつくっていただきたいと、公明党に要望したい。(中咯)以上のように、創価学会と公明党を分離していくことを提案いたしますが、賛成の方は挙手願います。(全員挙手)

◆「王仏冥合」の原理
「社会的活助の次元には、宗教性を持ち込む必要は毛頭ないし、むしろ、直接、持ち込むことは、信心即生活の誤った解釈であり、立正安国、王仏冥合の原理からの逸脱といっても過言ではありません。(中略)公明党は、安国の次元に立つものであり、立正を問題にする必要はない。むろん、個人として立正を確信することは信教の自由であるが、党としては一切、宗教上の問題を政治の場で論議する必要はない。また、あってもならない。また、宗教上の目的を党の目標とする必要もないし、すべきでもない。あくまでも、現行憲法の定める信教の自由を遵守し、宗教的には中立を貫き、政教分離でいけばよいと思うのであります」

◆かたくなな反共主義はとらない
「共産党に対する、これからの基本的な考えを述べておきたい。現在、共産党と学会が、常に敵対関係にあるかのような印象を世間に与えております。しかし、これは私の本心ではない。(中略)私としては、こうした泥仕合はできるかぎり避けたいというのが本意であります。我々は、かたくなな反共主義を掲げるものではない。また、そうあってはならない。
(中略)ただ不当に、私どもの信仰を圧迫する動きに対しては、信教の自由を守るために、正当な防衛として戦っていくのはやむをえない」

◆非民主的体質は改める
「学会の体質ということについては、言論問題をめぐる種々の批判のなかでも、論議されてきたことでありますが、私どもとしても、受け入れるべきは冷静に受け人れ、改めるべきは、率直に改めていかなくてはならないと思う。(中略)無理な学会活動をして、社会に迷惑をかけることは、大謗法であり、学会の敵であります。(中略)退会したいという人に対しては、道理だけは尽くしても、決して執拗にとめてはならない」
       ---------(21P)-------つづく--

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