創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

新・創価学会を斬る-12

2020-02-29 08:40:30 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
新・創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道 昭和47年(1972年)
    --傷つけられた大衆の怒声--(目次は、第2回に登載)
    ---------以下、本文)--------59

◆ ② 信心の強制をうらんで子を殺害
 昭和四十六年十二月二十二日の午後、神奈川県大船にある「旭硝子」の社宅に住む橋本紀七さん(31)の長男一成ちゃん〔4〕が行方不明になった。社宅の人たちは会社を休んだり勤務の合間を縫って捜索隊を組織、この日以降、数日間、木枯しの吹く中を一成ちゃんを捜し求めて附近の山の中を歩いた。

 大船警察署に母親から届け出があったのはその日の夜七時半ごろ、警察ではどうも営利誘拐の線が弱いとして同夜から直ちに公開捜査に踏みきった。町内会二十人、警察官三十人、消防団員十人、犬二匹で午前一時まで附近の山を捜したが、何も得られなかった。
 翌二十三日は、朝六時から機動隊員百人を加え、自宅近くから捜索したが、自宅から二百メ
ートルほど離れた笹ヤブの中から一成ちゃんのズックグツが発見されただけだった。
 結局、明けて一月八日に橋本さんの隣りに住む工藤カツ子(30)が自首するまでは、皆目犯人の見当がつかなかったのである。

 工藤カツ子は秋田県の山村のあまり裕福でない家に、七番目の娘として生まれた。中学を卒業すると、お手伝いさんをずっとつづけた。工藤さんとは彼女の姉と工藤さんの兄が結婚していた関係で、見合結婚をしたのだった。
 結婚後も、彼女の姿勢は変わらなかった。掃除と洗濯をきちんとやり、幼稚園の遠足で子供に付き添つて出かけるときも、カーディガンにサンダルばきのスタイルであった。
 外見的には何を考えているのかわからない彼女も、わが子のしつけにはびっくりするほど厳しかった。子どもが言うことを聞かないと、家中にカギをかけて何時間も家に入れないほどたったのである。東北人らしく感情を全く外に現わさない性格であった。

 一成ちゃんはカツ子の手で殺され、物置の脇に埋められていた。動機は女性特有の発作的なものと断定された。しかしその下地は無理に入信させられた創価学会にあったという。「題目をあげろ」、「座談会に出ろ」、「登山しろ」などと無理強いされたウラミが、相手の子どもに集中されたワケである。

 四十二年頃、橋本さんの奥さんから入信の折伏をうけたが、嫌でたまらないのに断りきれずに翌四十三年に入信、四十六年八月に退転した。
 彼女はこの学会員であった四年間を悩みに悩んだ。内向型の性格であったため、悩みは奥へ奥へと進んだわけである。社宅の人たちはこの事件が起こって初めて、彼女が学会員であるのを知ったほどであった。
 学会をやめる直前まで主人には内緒にし、学会員であることを夫に打ち明けるかどうかで非常に苦しんでいた。
 退転する直前になって夫に打ち明け、御本尊を橋本さんに返すと、あの奥さんは感情的になり、何か嫌味を言われそうだと心配し、旭硝子の隣にある三菱電機の社宅に生む学会員のところへ返しに行った。それですベて終りと思っていたら、三か月ぐらいたつて学会から御本尊を返すのなら,信心親に返すのが筋だから、橋本さんに返しなさいと言われわれ、橋本さんの所へ行ってから二人で支部へ行ったのである。
 橋本さんは町内の学会員のなかでもすごい活動家と評判をとっていた。簡単に退転を認めない学会の姿勢が隠然たる策動をしたということであろう。
 いずれにしろ外見は円満なエリート企業のブルーカラー族のなかで学会員同士の起こした悲劇であったわけだ。

◆ ③ 横れんぼの幹部が犯人
 昭和四十六年八月十八日の朝、福岡市香椎にある香椎宮境内の一角で、下半身の着衣をはぎとられた女性の遺体が発見された。被害者は共栄火災海上保険㈱福岡営業所の外交員・黒田和恵さん。

 黒田さんは昭和八年三月広島県三原市に生まれ、娘時代代すでに実母との折合いがうまくなく何度か家を飛び出すという不運な星の下にあったが、昭和三十二年建築現場主任と結婚、三十九年一月創価学会に入信、三年前から保険会社に勤務した。
 同僚の話によると、彼女は子供を産んだことがないので、体の線が崩れていないし、小柄で可愛い感じだったので、街に立っているとすぐに車が寄ってきて声をかけられたという。その上、外交員という業務、学会活動というように交際範囲が広く、捜査は相当に難航した。
 が、半年の捜査の後、結局犯人は、学会の地区リーダーで学会員の間でもとかくの噂があり、学会の所属まで変えられた元警官で製めん業を経営する岩倉寅夫(45)であった。

 岩倉は学会の会議が終わると必ず和恵さんを車で送って行った。彼女の自宅近所では、夫が出張でいないときによくやって来る四十がらみの男として有名になっていた。殺害理由は当然のことながら極度のシットからきた痴情であった。
 岩倉はこのほか横領、詐欺の余罪もあるしたたか者だった。
 岩倉の家族は事件後、さすがに居たたまれず、東京に移転した。また和恵さんの夫は事件後他の女性と同棲している。
     ----------(つづく)---------69

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新・創価学会を斬る-11

2020-02-28 08:30:20 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
新・創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道 昭和47年(1972年)
    --傷つけられた大衆の怒声--(目次は、第2回に登載)
    ---------以下、本文)--------59

第二章 犯罪事件--その性格と特徴
 犯罪を起こすのは何も創価学会員だけではない。むしろ学会員による犯罪は、日本中の犯罪全体からみたら微々たるものかもしれない。
 しかし、学会の会員数からみればその犯罪率はかなり高い。といって、私はたんに数だけを問題にしているのでもない。 なによりも私が怒りをおぼえるのは創価学会が宗教団体であるといっていながら、家庭破壊、詐欺、殺人などの犯罪を起こすような人々を結果として救いあげてはいないという事実である。
 それどころかむしろ逆に結果としてはそういう人々を製造しているということもできるのである。
 そして、そういう人々がでたとき、学会がどんなにこれをカムフラージュし学会との無関係を装うとも、それはまさに否定できない事実なのである。
 さらにまた「数多い学会員の中にはそういうひとが若干いるかもしれない……」云々という逃げ口上を吐けば吐くはど、学会自体の非宗教性、インチキ性というものを暴露するだけなのである。
 では、実際にどんな犯罪が学会員によっておこされているか、ここで整理しておこう。
 
 《殺人》
 ① 学会員の三角関係--痴情のはて
 昭和四十七年三月二十四日夜半、埼玉県鳩ケ谷市で学会員同士の殺人事件が発生した。この事件の詳報については、「創価学会革新同盟」の関東代表である梅沢十四夫さんのレポートをみてみょう。

 「私の住んでいる家から百メートルほど先で起きた郵便局員殺人事件を新聞は連日大見出しで事の成行を報じた。地元の学会関係者にはすでに被害者吉原とくさん(26)が熱心な創価学会員であることがわかっていたが、大ていの新聞は何故か、連日『某宗教団体』で終始押し通したのである。
 地元の鳩ケ谷市はもちろん、隣の川口市の学会員の不安と動揺は大きく、学会本部でもその善後策に一両日テンテコ舞いであったと聞いた。女子部長の娘を持つある父親は、夜は学会活動をさせたくないと私に語ったほどである。

 吉原さんは三月二十四日午前一時半ごろ、うめきと悲鳴を交錯させながら、隣に住む志村憲人さんの表戸を叩いた。志村さんが表に出てみると、彼女は全身血たるまになって倒れていた。志村さんは直ちに『一一〇番』と『一一九番へ』通報したが、救急車が到着する前に彼女の息は絶えた。
 彼女の傷は見るも無惨なものだった。顔、右耳後部、背中、右腹部の四か所が、刃渡り一五七センチらいの鋭利な刃物で刺されており、なかでも右耳後部の傷は、内頸静脈にまで達する致命傷であった。
 黄色のセーターに紫色のスカートという普段着の彼女は、別段、乱暴された形跡はなかった。また室内も荒された形跡はない。電気ゴタツのスィツチは入れたままになっており犯人とはコタツをはさんで話し合っていたと推定されたほどで室内は正常な状態にあった。
 彼女は小学校から中学校を通して、成績は上の部であったが、家が貧しいため高校に進学できず、中学卒業後、すぐに川口の町工場へ女工として働きに出た。学会では少年部の副部長で、『聖教新聞』のプロック配付責任者でもあった。また家庭事情も複雑で、戸籍上「異母兄」になっている兄がいた。この兄も含め、五人家族が六畳一間のアバラ家で生活していた。そして三年前、彼女はこの「異母兄」との結婚を父親から勧められ、それが嫌で家を出て、一人で下宿生活を始めたのであった。

 こういう過去のためか、ひどく人嫌いであり、年頃の娘らしくなく、服装も地味暗い感じの女性だった。学会に入信したのは親にも内緒で五年前ぐらいであった。
 将来の問題については、言うことがかなりまちまちであった。いずれも学会員にもらしていたことなのだが、ある人には『結婚の相手は絶対に学会員』と言っていたかと思うと、別の人には『相手はやはりサラリーマンでなくちゃ』とも言っていた。また『私はSさんが好き』と言っていたかと思うと、また別の人には『私のほんとに好きなのはFさんだけど片思いなんだ』と言っていた。だから搜査員も、彼女はかなり浮気っぼい性格だと判定していたふしもかなりあった。

 犯行から約一時間半後の午前三時頃、中華料理店に勤め、住み込みであるS・O (27)を参考人として本部に呼んだ。彼も学会員で同じブロックに属し、一年ほど前から、特にに彼女と親しい間柄にあったことがわかったからである。また犯行直後の午前二頃、彼が外出先から帰ってくるのを見たという目擎者もでた。
 しかし、彼は取調べに対して、頑強に犯行を否定した。が、次のような耳寄りな証言をした。
 同じ中華料理店に勤め、同じ学会員である小林サキ子(43)と五年ぐらい前から肉体交渉があり、この小林が彼と吉原さんとが親しくなるのを快く思っていなかったというのである。
 現場検証から出た女物のサンダルの足跡が小林のものと一致した。さらにこのサンダルには吉原さんと同型の血痕もついている。直ちに捜査本部は小林を呼び出した。しかし小林は笑いをまじえながら犯行を否認した。
 だが確信をもった溲査本部が四月二日、あらためて追及すると、大声で泣きながら、『彼を吉原にとられたくなかった』と犯行を自供したのである。

 小林はすでに嫁いだ二人の娘と、二十歳になる息子を持つ母親だった。この三角閉係は鳩ケ谷ではすでに項点に達しており、いつか何かが起こることを周囲の学会員は皆知っていたが、それに対して何んの手だてもせず、ただ『熱心な信者ではない』という理由をつけて見守っていただけなのであった。
 御本尊様も御題目も、恋に盲目になり、殺人まで犯す歯止めにはならなかったことだけは事実である。
 小林サキ子は新潟県岩船郡朝日村の出身、昭和二十二年十七歳で同じ村の農家に嫁ぎ、翌年長女を出産した。そして三人目の子どもが生まれてまもない頃、夫は出稼ぎ先で脳出血のため死亡した。そこで小林は三人の子供を抱えて上京、工事現場の飯場や、スーパー、飲食店などを転々とした後、四十二年の七月から鳩ケ谷に住みつくようになった。
 創価学会へ入信したのもこの頃で、小林は今回の犯行について『やっとつかんだ自分の幸せを離したくなかった』と言っている。

 小林のアパートと、Sが住み込んでいた中華料理店の部屋とは四メートルぐらいしか離れておらず、窓越しに彼の動静がわかるので、彼が部屋にいないと、吉原さんのところに行ったに違いないと邪推し、すぐに吉原さんの下宿へ飛んで行った。
 Sは、小林に誘われたのがそもそもの始まりであるが、いったん関係ができると、小林は絶えず『もしあんたが若い女を好きになってあたしを捨てたら、あたしはその女を不幸にしてやる、殺してやる』と脅していた。
 事件が起こる前は、小林のシットが異常なほどに激しくなっており、仕事が終わると、小林はSにつきまとって、常に口論が絶えなかったという。
 事件当夜、吉原さんは学会の会合が終ってから、ある幹部の家に立ち寄り、一度、下宿に戻ってから二人の女性会員と銭湯に出かけた。この間、Sは何回もムダ足を運んだ。午後十一時になってようやく吉原さんと会いと午前一時まで話をし、キスをして別れた。小林は、Sが部屋を出て行った直後から後をつけ、ここまでの一部始終を見張っていた。兇行はこの三十分後に起こった。
 吉原さんの両親は言う。『この辺の田舍町では、男と女が夜中に歩き回っていたら世間からいろいろ言われるが、これが学会活動だと大っぴらにできる。皆、これを利用してたんだ。』

 この事件後、学会は例によって例の如く、同じ鳩ヶ谷市の他ブ口ックの会合でも「吉原は曼荼羅を焼き、御題目も熱心ではなく、名ばかりの学会員だった」とデマ放送を開始している。
 さらにこの事件の翌々日、公明党を離脱させられていた市川和夫鳩ケ谷市議が復党を許されたのである。彼は四十六年九月、市議会の教育文教委員長であり、市の教育を指導する立場にありながら、運転免許証をボールペンで改ざんしたのが発党、刑事事件となり、党を離脱させられていたのである。
 地元の人ならば誰でも、吉原さんは純粋で熱心な信者であったことを知っている。それだけにこの市議と吉原さんに対する態度が現在の学会の指導性をよくあらわしているものとして多くの批判をよんでいる。」
 ところでこのSの入信勳機が実に傑作としかいいようがない。

 「小林と関係し始めた当時から、ぼくはあの人に脅迫されてきました。いつの間にか周囲に噂もたつし、ぼくはとても悩んだんです。そこである人に誘われて、学会に入ったんです。救いを求める気持でした。」
 それなら入信と同時に、キッパリ手を切るなり、何かやれそうなものだと考えざるをえないのだが、入信後も彼は小林との関係をズルズルつづけたばかりか、食事や洗濯の世話までしてもらっていたとある。
 こういう人間関係のルーズさや一種の打算による“助け合い”がかなりの学会員の入信の動機にあるといえるかもしれない。

 創価学会は、広宣流布のため、大聖人様の御使いとして活動するものには、御本尊様の加護がある、絶対に不幸にならないと指導する。「いかなるところにあそびたはむるとも遊行しておそれなきこと獅子王のごとくなるべし」という大聖人の御書の文句まで引用する。
 いまや巨大なるマンモス教団にのし上がつたけれども、そのような学会教学のこじつけロジックは現在もそのまま生きているはずである。
 たしかにこの殺人事件を含め、数多くの学会員の関係した刑事事件は発生の状況も多種多様で同一には論じられないが、現象的には、それぞれ異なるとはいえ、学会お得意の仏法上の論理からみれば根っ子で連なるものが伏在しているといえなくもないのだ。すなわち、……
 「腹、悪しき者を天は守らせ給わず」
 「......但し御信心によるべし......」
 等々の文証にしても、信心至上主義が行動の合法性ののワクをいとも力ンタンにっき破る可能性を含んでいることも否定できないと、このレボートは解説している。
     ----------(つづく)---------65

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新・創価学会を斬る-10

2020-02-27 09:03:18 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
新・創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道 昭和47年(1972年)
    --傷つけられた大衆の怒声--(目次は、第2回に登載)
    ---------以下、本文)--------55

◆ 四六時中監視される
 山田久子さん(仮名・埼玉)は連日の折伏攻勢により強度なノイローゼというよりも、精神分裂症状を起こされてしまっている。告訴状を持参したが、字も文章もきわめてしっかりしているだけに、何んともあわれさを増すばかりであった。彼女は戦国時代からつづいた名門の一族であり、父が以前、学会に入信したが、三年ほど前に退転した。

 彼女によると、彼女自身、創価学会の折伏のいいカモになっているという。住居内にテレビカメラや盗聴器が据え付けられているのだと主張する。これは学会の折伏が、悪口を言ったり、ねばり一筋で折伏する段階ではなく、相手をすベて知ることから折伏するという戦法に変わったからだそうだ。
 彼女は四十六年十一月、現在の団地に引越してきたが、その付近は学会員が増加しているのだと盛んに言う。彼女は四六時中監視されており、彼女の立ち寄りそうなところはすべて協力を求められており、監視に一役かっていると断ずる。
 彼女が在京中に受けた被害届を一応見てみょう。

告訴状
 昭和四十七年四月
  警察署長 殿
      住所・氏名

 私は東京都港区在住の
 関枝ツヤ(創価学会員)他一名を告訴致します。

〈理由〉
 (1) 昭和三十八年八月母が血清肝炎の為、白金台の東大付属病院に入院中、私は当時三歳になる子どもを連れて手伝いに通っておりました。
  通い始めて半月位たった朝、掃除をする為、四畳半の窓を開けますと水島さんの塀の所(水島さんの庭の塀が地境になっており、そこからニメートルほど離れて実家の家が建っております。その塀はちょうど家の四畳半と三畳の大きな格子窓と向い合っておりました。奥の家はその二メートル幅の通路を使って出入りしております)青田さん寄りに2/3~3/4ぐらい燃えた四、五本の薪が組み合わされて置いてありました。当時、変だなとは思っておりましたが、そのまま放っておきました。後に関根が私に嫌疑をかけ、近所へ触れまわったことは事実です。

 (2) 昭和三十八年六月、当時、千葉県東葛飾郡江戸川台に居住しておりましたが、近所の明治牛乳販売店で小さな包が紛失しました。その場に居合わせた私に嫌疑をかけ、販売店主によって、これも近所に触れまわられたことは事実です。

 以上(1)(2)は何れも創価学会の会員により名誉が毀損されたもので、これらの理由により告訴致します

 学会、公明党のために警察はずいぶんとよけいな仕事が増えてきたようである。こういう会員もロクロク指導もできないでトラブルをかえって大きくする団体というものはいったい何かという気がしてくる。こちらの頭がへンになりかねないほどにバカバカしいことがおこっているのだ。

精神病院へ日参
 福岡県の岡田三男さん(仮名)の手紙は判読が困難だったが、大略次のようであった。

 「藤原さん聞いてもらって下さい。私は昨年三月十六曰から今でも創価学会員からの呪いの言葉をあびせられてから、毎日毎晩、不眠不休でなやんでおります。昨年の地方選挙の時にある人から入信をすすめられ、ことわりますと、今にお前にたたりがあると言われまして‥‥(中略)
 三月十九日より病気にかかり、仕事にも行けず生活にも困り…。創価学会および公明党はそのようにこわいものですか。
 人を呪い、人を殺すような団休ですか。私は毎日精神病院に行っております。
 朝から一日中、夜も耳の中に『バカタレホーレン』の声が聞えて困っております。」

 率直に言わせてもらうなら、こういう被害者はゴマンといるし、著者のところにもずいぶん電話や手紙がきているが、私は残念ながら精神科医でもないし、また一人一人を治療するカウンセリングもできない。しかし、こういう一種の人間破壊をされた日本人を、どしどしつくりあげていきながら、何んら恥としない池田大作をはじめとする学会幹部の欺瞞性とインチキ性をば徹底的に叩かねばならない義務をいよいよ痛感している。

 他人に相談をもちかける段階なら、まだしも多少の心のゆとりがあるといえようが、完全に自分の周囲の状况がわからなくなり、自分だけの意志で行動するようになると、明らかに反社会性をそのまま露呈した汚染源となる可能性大なのである。そしてこれらの反社会的感覚が唯我独尊的信条によって正当化され、自分は何をしても大聖人様が護ってくれるなどと信じ込むとアウトローの行動を平気で行なうことにもなり、やがて忌わしい刑事事件まで発生させることにもなるのだ。
     ----------(つづく)---------58

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新・創価学会を斬る-9

2020-02-26 08:57:54 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
新・創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道 昭和47年(1972年)
    --傷つけられた大衆の怒声--(目次は、第2回に登載)
    ---------以下、本文)--------48

◆ 狂信母娘のなれの果て
 葉山生男さん(東京都)の妻は、入信以来、夫と別居生活をし、狂信的に信心をつづけている。学会員すらも妻への説得をあきらめ「葉山夫婦はとうてい救い難い」とサジを投げてしまった。知能指数が低いところへ、偏見をもったため、もう世の中の常識とはすっかり縁遠い人間になり、ただ毎日毎日御題目だけをあげている生活なのである。

 さらに不幸なのは、母とともに別居した娘で、これが教学部の指導員となり、学会活動以外には目もくれず、一家の不幸に輪をかけている始末である。
 それが選挙になると、別居中の父親のところへ来て、「お父さん、公明党に入れてくれ」と平気でいう。「いくら宗教の教学に強くても、政治家になれるものではない。竹入や矢野だって自民党の陣笠クラスにもかなわない。それ以下の者に投票するような幼稚さはもってない」と突っばねている。
 もう妻と娘は精神病院へ入院したも同じだとあきらめている氏の心中は察するに余りある。

両親を見殺す学会息子
 名古屋市に住む長瀬峯子さん老夫婦も、息子が学会員となって以来、学会活動に奔走、事業を省みなかったことから倒産、そのため老夫婦は面倒を見てくれる人が誰もなく、非痛な老残の人生を送っている。息子は家に寄りつかないし、いまや自殺しかないと老夫婦で話し合うという悲惨さである。
 こういう悲惨な実例は数限りなくあるが、学会のほうはどういういい方をしているのだろう。まず次の文章をよんでもらいたい。

 「これから話すことは、少しむずかしいかもしれないが、哲学的な問題にふれることとする。
 体験発表で、病気がなおった例は多いが、貧乏から金持ちになった話しは少ない。この、病苦と貧乏の苦悩は、重大問題である。人間の病気には六つあるが、このうち、医者でなおるものが三つ、なおらぬものが三つ。宗教は医者の力でなおすことのできぬ病いを、根本からなおす力のあるものである。
 自分の知識でわりきれぬものを、わりきることのできるものを信心という。人間とは、なんでもわりきりたいものである。いまは宗教と科学との世界の闘争である。宗教は心を中心とした学問であり、科学は物を中心とした学問である。

 生命の問題、生活の問題は、科学ではどうすることもできない。東洋哲学は、三千年前からでき上がっている。病苦に悩まされているものが、なおりたいためには、御本尊様という機械をつかまなければならぬ。どのような精密な機械でも、使用しなければ役立たぬ。これは、生命哲学上のことであり、科学の分野とは少しく違う。動力は信心、折伏である。
 いかなる病気も、この信心によってなおすことができるのである。日本の国から不幸をなくしたいがために、折伏するのである。
 心に悩みのあるものも、ここに多く集まっているであろう。きちっと信じ、念じなさい。一年間の約束をします。断じて月一名の折伏をし、朝夕の五座三座の勤行を欠かさず、必ずすばらしい功德をうけるように。」 (『戸田城聖先生講演集上』一四七頁~一四八頁)

 といった具合なのである。イイ気なもので、まことにふざけたやり方といわざるをえない。

廃人同様にされた人々
 学会員のいる家庭はほとんどといってよいほど家庭不和になっているが、次の事例は個人から完全に人間性を奪った結果、一時は廃人同様にされてしまった人人の実態である。

 高校教師をしていた大町義夫さん(仮名・大阪府)はあまりにも真面目に信心したが、やはり高校教師としてのインテリ的疑問が常に頭をもちあげていた。そこからはげしいノイローゼ症状を引き起こし遂に現職から身を退くという悲慘な結果になった。彼は心機一転をはかろうと渡米したが、強度のノイローゼはすっかり彼の体内に入りこんでしまつていた。
 彼の回想は脈絡がないが、ちょうど酔っばらいか全体としては話の筋が通らなくても、ある部分、部分を明確に記憶、指摘しているのによく似ている。彼は言う--

 「アメリカに行きサンフランシスコの南端のほうにいたんですが、今度はむこうの学会員にやられました。あるアパートを月八十五ドルで借りて住んでいました。下の階に熊本出身の七十一歳のおじいさんが住んでいて私に言うことには私が住み始めてからこのアパートの様子がおかしくなったとね。
 どんなかというと、売春婦のような女が四、五人いて、夜のニ畤、三時、四時頃までテレビやラジオをかけっぱなしにして、全く私を寝かせない。その上、客引きしてきては男とセックスをする。それが全部筒抜けに一部始終が聞こえるのです。そんなときは必ずあの池田の声がする。それいま行ってやってこいとかなんとか、全くえげつないことを言って私をせきたてるんです。

 だいたいアメリカの学会員はヒッピー族のなかに多いんです。何処かちよっとした旅行なんかに出掛けると、そんな連中がまつわりついてきて、金を使うな、仕事をする必要はないなんて言う。人問誰しも雲や霞を食べて生きていられるわけないから……。結局、私にたかるのが目的だったんです。」
       -----◇-----◇-----◇-----
 大町さんより、もっとひどい症状の学生がいる。明治大学政治学科の学生で山口信夫さん(仮名)である。
 彼は義母が生家に来るようになってからおかしくなったらしい。その義母の関係者がいずれも学会員なのである。彼は、現在四六時中あまり目立たぬ学会・公明党員の小さな妨害に悩まされていると告白している。そのレポートは原稿用紙八枚にぎっしりと書かれているが、その要点だけを拾ってみる。

  ・ 下宿の大家がいずれも学会員なので、連日いやがらせに会い三回も下宿を変えざるをえなかった。彼の実家は北海道にあるので目下、上京中。
  ・ 書店、路上、喫茶店、映画館、電車のなかですぐ隣の人が学会,公明党の話をする。
  ・ 品川で催された民社党主催の藤原弘達の講演を聞きにに行き、その著書を読み始めた頃から妨害が烈しくなった。
  ・ 通常行なわれる妨害は、チェッ、チェッという舌打ちや、たん、つばの連射である。
  ・ 「公明党に行け」「君はどういう理由で入信しないのか」とあらゆる人から言われる。
  ・ 義母は大きな仏壇もって来たし、『潮』や、学会の出版物、池田大作の著作物がたくさんある。実家の陶器店には学会員がやってきて長話をしてゆく。
  ・ 共産党やギリシャ正教会に相談に行く途中、後髪をひかれるような美人に誘惑めいたことをされる。
  ・ 警視庁防犯係や生活相談所に行っても「部屋に閉じこもってないで、外に出なさい」といわれるだけ。
  ・ いまの下宿の大家が『公明新聞』をとっているし、千住東一帯に学会関係者が多い。
  ・ 都営アパートでバイトの配達中、エレべーター内で中年の婦人に『聖教新聞』をチラつかされ、「こんなの読まない」と言われる。
  ・ 住んでいる地区の学会の責任者が足立署の前のパン屋だということがわかったので会おうとすると、いろいろな人が交通事故、ガス、火事に会うと演出したような脅泊をする。
  ・ 『続・斬る』を電車のなかで読んでいると、いつの間にか周りをかこみ、新聞をとり出して本が他の人に見えないようにする。
  
   たわいのないことのようだが、ウソではない。当人は結構、この種のいやがらせに悩んでいるのである。
     ----------(つづく)---------54

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新・創価学会を斬る-8

2020-02-25 08:57:25 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
新・創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道 昭和47年(1972年)
    --傷つけられた大衆の怒声--(目次は、第2回に登載)
    ---------以下、本文)--------43

売春を強要された母子家庭
 乱れた男女関係が麻薬のようなものだといったが、学会では、女子部をそんな方向に導いている事例がある。
 長女と長男の母子家庭、病身がちでパートの仕事も定まらない柴田浩子さん(東京都)の場合がそれである。

 中学二年であった長男ともどもに学会員となり、学会活動をするよう強要される。長男は学会発行の書物を読んでも意昧が理解できず、悩みに悩んだあげく、四十一年、定時制高校も職場も捨て、北海道に逃避したりした。職場にいると必ず学会連絡の電話がしばしばくるため、三回もその後職場を変えた長男が会社から帰宅すると、待ちかねたようにタ食も終わらぬうちに、折伏だの座談会にと、区役所勤務の上司が迎えに来る。
 帰りは夜の十一時過ぎ。食事も入浴をする時間もなく、疲れ果てて、翌日は会社を休まないと健康が保てない状態がつづくのであった。

 日曜日は早朝から家に、青年部、女子部、婦人部が替るがわる押しかけてくる。女世帯の気安さのためか、学会員の出入りがはげしい。
 貧しくて病んだ母親が愚かな心から入信した結果がこの有様であった。それでも皆、幸せになれるならと、朝タの五座、三座、学会発行の経本と題目をあげつづけた。
 幹部から長男は青年部、娘は女子部、母は婦人部の班長になるよう命令が下ったが、かたくなに断わりつづけた。班長になると毎月定った人数の折伏をやり、班長としての責務を果たさねばならず、その上選挙ともなれば、職場を投げ打つ覚悟が必要だといわれたからである。

 案の定、選挙になると“色仕掛け”で異性に働きかけ票を集めよという電話連絡が再三くる。そのことで母が幹部を詰問したところ、内密に娘を別居させてしまった。地区の婦人部に娘の住所を再三教えてくれるよう懇願しても、「住所は知っているが、学会を辞めようとする人に知らせることはできない。
 辞めるなら一人で辞めよ。子供たちまで辞めさせることは断じて許さぬ」という返事。
 その後、娘は学会員と自由結婚し、何事よりも御本尊、会長、組織が大事という狂言者になり、男児まで出産(三十八年)しながら、同じ学会員の女子に良人と子供を奪われいまや離婚されてしまった。

 学会の地区支部では、どうにも話にならないので、地元の警察署にすがった。警察の連絡に対しても婦人部長、女子部は知らぬ存ぜぬの一点張り。
 そこで顏見知りの大ブ口ック長でもある市会議員等(他のひとりは市役所勤務)に相談した。
 ……(中略)……
 『あなたはいま、打ち出の小槌を捨てようとしている。常住御本尊様みなさい。あなたはみすぼらしい生活をしているでしょう。(中略)いままた宝の御本尊様をどうしょうというのか、あなたもみぞに首をつつこんで死にたいのか』
 ひとりは、現在一億という財産がある。また、もうひとりの人も、それぐらいの金は自由に使える状態にある。
 わたくしは、二十何年生きているかどうかわからぬが、二十年信心をつづけていった暁に、良かったと思う人と、みすぼらしいしい姿をつづける人が出よう。
 (中略)……すり替え、詭弁の回答がつづく……

 二代戸田会長は、学会はモルモットでなく、人間で実際に試験をしているのだから、たいしたものだといわれたが、信心をやめれば貧乏になるし、また反対に、信心したものは、功徳で一家は丈夫で、月一回ぐらいは温泉へ遊びに行ったり、映画を見たりできるようになり、楽楽とした信心になれる。
 それは、二十年後に起こる、ひとりひとりの生涯の問題なのであります。がっちりとした信心をしてください。」 (『戸田城聖先生講演集上』二六八頁~二七一頁)

 講演でいっていることが実例といかに違いすぎるかの典型的ケースでもあろう。
 次にそういう実例を示してみょう。文字通りの人間破壊--「人間革命」ではないですぞ、それこそ人間そのものを破壊されたケースがこうもあるのだ!
     ----------(つづく)---------48

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