創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

お笑い創価学会-26

2014-10-31 10:25:38 | Weblog
○お笑い創価学会・信じる者は救われない〈26〉
  池田大作って、そんなにエライ?  佐高信VSテリー伊藤  知恵の森文庫 光文社
──────────────〈中略〉──────── 166
◆危機感と愛の二股商売
テリー「宗教というのは基本的に危機感を煽るでしよう。ひどいところは人類が滅亡
    するとか、大戦争が起こるとか。世の中、ますますひどくなるという、根拠
    なき予想というか、ホラを吹くでしよう」
佐高信「もうこの世は真っ暗闇よ。いますぐ信じなさいというやり方」
テリー「前に宗教は恋愛みたいなものだと言つたけど、危機感を煽るというのは恋愛
    と違うところ」
佐高信「ああ、そうなの。そのあたりはよく分からない。テリー先生にお任せしますよ」
テリー「たとえば、デートするとき、「おい、明日、日本はダメになるから、きょう
    セックスしょう」と言ったら、うまくいかないよね」
佐高信「それは禁じ手だ」
テリー「基本的な夢を語りながら愛を育むでしよう」
佐高信「夢か」
テリー「違いますか。いっしょにいると楽しいという夢ですよ。佐高さん、何を語っ
    ていたんですか(笑)」
佐高信「そんなの忘れた」
テリー「佐高さんの場合は、日本の将来を語って愛を育んだかもしれませんが、普通
    は二人の夢でしょう。楽しい人生、楽しい家庭」
佐高信「そんなこと話すの(笑)?」
テリー「日本の将来を語ったとしても、ああこんなに真面目な人といつしよにいられ
    たら、きっと、私のことも真面目に考えてくれるかもしれない、と夢を持つ
    かもしれませんよ。やはり、恋愛で愛を育むのは夢」
佐高信「正統派だね(笑)」
テリー「正統派です(笑)。多分、昔の麻原彰晃はそれをやっていたはずです」
佐高信「ああ、そう」
テリー「初めは危機感を煽っていない。ヨガをしながら、恋をしていたんです。だか
    ら、オウム真理教は女性信者が多い。そのときは、きっとオウム真理教も新
    鮮だったと思う。一流大学を出て、一流企業に入るような連中が、「なぜか
    人生が切ない」と言うと、「いや、そんなことはない。未来はある」「われ
    われはみんなでいっしょにいようよ」と言って、そういう連中を仲間にして
    いつたと思う。そうやって、組織を拡大していって、あるとき、彼は屈折し
    て危機感を煽りだした。大きくなつた組織を束ねるためだったかもしれない
    し、挫折と自己顕示がそうさせたのかもしれない」
佐高信「俺を信じ、ついてくれば危機が回避できるという子供騙し」
    創価学会もうまく危機感を使い分けている。現世利益というのは、危機感に
    対するアメですよ。危機が訪れても大丈夫だという安心感を与える。根底に
    は危機感がある。それと、病気や災難を免れることができる。信じなければ
    、そうなるという危機感だよね。
    それと、創価学会の雑誌や新聞にやたら池田夫婦の写真が出てくるでしょう。
    すると地方の末端の女性信者の中には、女性問題が本当なら、あんなふう
    に夫婦で出てくるはずがない、だから、女性問題は全部ウソだ、と単純に考
    えてしまう人も出てくる。夫婦愛、人類愛に満ち満ちた池田先生だ、となるわ
    けよ。危機感と愛の二股商売みたいな感じがしてしまう」
テリー「女性大幹部は大奥だから、夫婦の写真を見ても、私だってという気になるけ
    ど、普通の女注会員はそう思うでしようね」

◆死の経験がないのに死の恐怖を植えつける
佐高信「そもそも宗教というのは、やはり死とどう対決するかということが大きい問
    題です。だから、病気になった人が宗教を考えてしまう。
    ところが、死との対決は最後ひとりでやらなければならない。最後の対決は
    誰も立ち入ることができない。いまの宗教のように個人が消えていってしま
    った場合、どのようにして対決するんだろう。死ぬときはみんなひとりだ。
    隣の人がいっしょに死んでくれるわけではない。創価学会に入ると、集団で
    対決するような気持ちになつているのかもしれないけど、それは幻想ですよ。
    幻想を与えているような気がしてならないんだ」
テリー「死について言えば、僕は多くの人が死を重く考えすぎているんじやないかと
    いう気がするんです。
    創価学会の内部で交わされている会話がたまに紹介されているのを読むと、
    創価学会に批判的な言動に対して「あなたは成仏できない」とか「あいつは
    地獄に墜ちる」というような言葉が遣われている。病気と結びつけて言うこ
    ともありますね。
    つまり、死に対する恐怖を物凄く植えつけている。
    見方を変えると、いい死に方をしたかったら修行しろとか、カネを出せ、言
    うことを聞けと言つているようなものです」
佐高信「創価学会を信じてさえいれば、いい死に方ができる、天国に行ける。信じて
    いない者、とくにわれわれのような者は地獄に行くんだろうね(笑)」
テリー「だけど、誰も死んだ経験を持っていないわけでしょう。生きている人間は誰
    も死を経験していない。死というのは、どういうものなのか、よく分かってい
    ない。そのくせ、必要以上に死に対する恐怖を口にする。
    こんなこと言うと誤解されそうだけど、きんさん、ぎんさんのきんさんが亡
    くなつたとき、レポ—ターかなんかが、物凄く悲壮な声でぎんさんに、
    「きんさん、亡くなってしまいましたね」つて、声をかけていたんです。
    百歳以上も元気で生きたんだから、ある意味ではいい人生だったと僕は思う
    んだけど、そのレポーターはまるで若くして急死した人のことを聞いている
    ような感じだった。そう聞かれると、ぎんさんも、辛いから、そんな受け答
    えするでしょう。そうすると、あのテレビを見ていた人は、百歳まで生きて
    も辛いような印象を持ってしまう。
    だから、宗教家は死を恐れるようなことばかり言わないで、もっと楽に死ね
    るようなことを言ったほうがいいと僕は思うんですよ。あまりに死に対する
    恐怖や辛い印象ばかりを言いすぎるんじやないですか。それによつて、相手
    の思考回路を鈍らせて、宗教に入らせることを狙っているように思ってしま
    うよ。死は楽なもんですよ、なんていう と、 誰も宗教に関心がなくなって
    しまうから」
佐高信「中国の魯迅は天国に行きたくないと言っている。その理由は、天国とは善人
    が行くらしい。善人というのは、たいてい自分のことを善人と思っている人
    で、そういう人間は嫌いなので天国には行きたくないというようなことを言
    っているわけ。ある種の辛辣な皮肉なんだね。
    成仏できないというのは、天国に行けないよ、ということでしょう。でも、
    自分で善人だなんて思い込んでいるような人間だけが集まる天国には行きた
    くないという考えもあるんですよ」
テリー「天国に行ったつて、みんながみんないい生活ができるとは限らないよ(笑)」
佐高信「善人と思い込んでいる人の中には、善人面した人も多いからね(笑)」
テリー「そこにまた池田大作みたいなのがいるなら、俺は行きたくないよ(笑)」
佐高信「天国にまで自分だけの豪華な部屋やソファがあったりするんじやないの」
テリー「天国に行ったって、威張っているヤツは威張っているから、平等じやないは
    ずだ。
    僕は池田大作に聞きたいよ。あんたは天国に行って、どこに座るつもりなんで
    すか。
    天国にもVIPルームを作るんだろうな。専用の保養所もある」
佐高信「パナマの将軍だったノリエガが待っていたりして」

──────────────(~172--引用ここまで「「つづく)

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては「《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作

◆これまでも「「これからも「「池田創価・公明党
  大衆へ「「謀略と欺瞞」「天性のウソつき」「で50年

創価の真相3/3
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お笑い創価学会-25

2014-10-29 09:27:57 | Weblog
○お笑い創価学会・信じる者は救われない〈25〉
  池田大作って、そんなにエライ?  佐高信VSテリー伊藤  知恵の森文庫 光文社

──────────────〈中略〉──────── 160
第3章 なぜ創価学会は異常に増殖したか

◆社会という鏡で見つめるのが自己
佐高信…テリーさんは創価学会と何か接点はありますか。親兄弟とか仲のいい友達が
    会員だつたとか。
テリー…ないですね。
    ただ、僕の家は商売やっていたでしょう、いまは兄貴が跡を継いでいるけど。
    親父の時代に住込みの従業員が、いつのまにか会員になつてしまったことが
    ありましたね。
佐高信…へえ、それで、ほかの従業員を勧誘したとか、テリーさんの家族を誘ったと
    いうようなことはなかつた?
テリー…まだ、僕も子供でしたから、よく分からなかったけど、ある日、突然、部屋
    に仏壇を置いて唱え始めたから、「おい、おい」と思ったことを覚えていま
    すね。
    その従業員が勧誘されていることは親父や兄貴も知っていたようです。親父
    が「誘いに乗ったらダメだよ」と言うと、最初は「入りませんよ」と言って
    いたらしい。
   「何回も来られて、私も困っているんですよ」なんて言ってたのが、そのうち、
   「ちよつと、集会にだけ顔を出してみます。お茶を飲んでくるだけですから」と
   なり、三力月くらい後には、仏壇が剖屋にどーんと置かれるようになった。
佐高信…見事に落とされてしまった。
テリー…子供心にも、信じているものを否定するわけにはいかないなあ、という気持
    ちはありましたね。ただ、あっという間に、仏壇が置かれて、朝からお経を
    唱えられたのには驚いた。勧誘の波状攻撃を受けたんだね。
佐高信…何度も何度も電話や手紙の凄まじい波状攻撃でくるんだから。
テリー…なんか、スケこましといつしょだね。しっこいやつが成功する(笑〕。
佐高信…いま、テリーさんの事務所には若い人たちがいつぱい働いているけど、その
    中に創価学会の人とかはいないの。
テリー…いないですね。マスコミにはあまりいないんじゃないですか。
佐高信…そんなことないよ。採用のときに学会枠みたいなのがあって、マスコミの一
    部にちゃんと学会員がいるよ。
テリー…へえ、そうなんですか。うちの事務所には学会枠はありません(笑)。
    最近の若い人は、自己啓発セミナーに行く人が多いと聞いていますけど。
佐高信…多いの?
    自己啓発とか、自己発見というと、なにか聞こえがいいのか、やってみょう
    という気になるんだろうね。でも、自己っていうのは、そんなに簡単に啓発
    されたり、発見されるものなのだろうか。
テリー…アハハハッ。それはそうだよね。そんな簡単に発見されるのが自己とは思え
    ないですよね。発見したような気になるんでしょうね。
佐高信…自己発見という名の自己いじり。ああでもない、こうでもない、といじって
    喜ぶ。
    普段、自分のことを考えたことがないから新鮮に思える。それで自己が啓発
    されたり、発見されたと思うわけだ。いじればいじるほど大きくなるみたい
    な話だね。
テリー…何かといっしょだ(笑)。気持ちいいんだよね。
佐高信…自己というのは、他人があって自己でしょう。社会の鏡に自分を映して、自己
    を見つめなければならない。いま、生きている社会があっての自分であるこ
    とを知らなければならない。ところが、セミナーの類は社会とか、他人がい
    ない自己なんです。
    鏡のない世界で一生懸命に自己をいじる。
テリー…鏡の前で気持ちいいことしてるんじやないんだ。なんにもない部屋で一皮も
    ふた皮もむけるくらいいじるんだ。
佐高信…あなたと話していると、何か違うテーマを論じているような気になるなあ(笑)。
テリー…そんなことないですよ。自己啓発でしょう(笑)。
    そういうのが流行する基盤は創価学会が増殖したことと同じように思えます
    ね。死ぬまで自分をいじつている。
佐高信…そう。自分たちを映す社会という鏡を持っていない組織。創価学会に入ると
    新しい自分を発見できるような気分にさせる。

◆現世の利益を追求する
テリー…いまの若い人は、僕たちと違って、子供部屋をもらって小さいころから自分
    だけの世界を持つことが多いですよね。そして、テレビゲーム、パソコンで
    遊ぶ。友達との付き合いもメールですます。これから、ますますそういう人
    が増えるんじやないですか。
    ビジネスも外に出ずにできるようになる。会社組織に入らず、生きていくこ
    ともできるようになる。「私は自由なんだ」という考え方が人生の基本とな
    る。すでにサラリーマンになるのは嫌だ、フリーターのままでいいという人
    が増えていますね。
    自由であることはとてもいいことで、それを否定はしないけど、人間にはど
    こか誰かに束縛されたいとか、注目されたい、何かを注意されたいという欲
    望があると思うんです。統一教会に入った桜田淳子じやないけど、誰か自分
    を叱ってほしいという気持ちがどこかにある。父親の権威がだんだんなくな
    つている時代になって、ますます、「ちょっと、お前の生き方は間違ってい
    るんじやないか」と言ってくれる人を求める傾向が強くなつていると思いま
    すね。
    そこに、自己啓発セミナーとか、宗教が入り込むすきが生まれている。
佐高信…自由なことはいいことだよね。だけど、社会との関わりを否定することが、
    そのまま自由というわけではないと思う。独り善がりになってしまう。そこ
    が、問題を起こすオウム真理教、ライフスペースの背景にある。
テリー…創価学会がどうしてこんなに大きな集団になつたかを考えると、やはり、井
    田さんが指摘しているように、現世利益という点を見逃せないですね。
佐高信…日本人にとって、宗教というのは死後の不安を鎮めるという面が強かったと
    思う。
テリー…死んだらどうなるというように、来世に対する考え方というのが宗教という
    ことだつた。ところが、創価学会は、現世の利益を唱えた。生きているうち
    にいいことがありますよ、と。
佐高信…カネを積めば長生きしますよというような話になつてしまった。
テリー…いま日本は景気が悪くなつて、生活が苦しくなつたり、自分の将来に不安を
    持つ人がどんどん増えていますね。かといつて、景気がよくなる気配がない。
    一度、リストラされてしまうと、じゃあ五年後に景気がよくなつたからとい
    って元の職場に戻れるわけではない。つまり、今後の人生が明るいと考えて
    いる人はかなり少数になってきている。
佐高信…日本全体がそういう気分になつているね。
テリー…自由に生きたいと思っても、そうはいかなくなる。フリーターで生きること
    ができるというのは、そういう仕事が十分にあつたときの発想ですね。そう
    すると、僕とか佐高さんみたいな人はいいけど、やはり、寄らば大樹の陰と
    思っている人はたくさんいるから、何かにしがみつきたくなる。ここに、ま
    た宗教が浮上する可能性がありますね。
佐高信…優しく迎えてくれるだけで、クラッときて入ってしまう。自分のやっている
    ことに不安を感じる、さらには生きていることも不安に思う人は、「いいん
    だよ、それで」と言ってほしいんだな。
    そして、ランキング社会。宗教団体は、創価学会でもそうだけど、池田大作
    をトップとしてピラミッド型のヒエラルキー社会になっている。ブロック長
    とかいろいろあるんだ。そうするヒ、信者は、信心の深さを肩書きで証明し
    ょうとして、一生懸命にやるんだよね。
    会合、寄付、そして選挙。本来、宗教というのは個人の心の問題でしょう。
    たとえ、肩書きがなくても自分で信じていればいい話だ。まあ、集会のまと
    め役とか、世話役というのなら分かるけど、完全に肩書きを目の前にぶら下
    げて活動の人参にしている。ある意味ではサラリーマンの世界より肩書き社
    会になつているんだよ。心の問題まで権威づけをしょうとしているところが、
    嫌だし、気持ち悪い。
テリー…本当に気持ち悪い。ああ、嫌ですね。
    僕は青年会議所に入っている人も近いと思っているんですよ。自己啓発セミ
    ナーや宗教に入ることと似たような感じ。人間関係の横のネットワークを作
    ると言いながら、集まってはお互いに慰め合い、認め合う。「僕らのやり方
    はこれでいいんだ」と確認し合う。
佐高信…理事長、前理事長、前々理事長とか、そういう経歴にこだわる。ろくなもん
    じやないね。
テリー…それで何とかクラブというのにも、たいてい入っていますよね。社会奉仕し
    ている自分に満足している。
佐高信…日本のランキング社会とびったり合致している。
──────────────(~166--引用ここまで……つづく)

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては…《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作

◆これまでも……これからも……池田創価・公明党
  大衆へ…「謀略と欺瞞」「天性のウソつき」…で50年

創価の真相2/3
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お笑い創価学会-24

2014-10-27 09:52:57 | Weblog
○お笑い創価学会・信じる者は救われない〈24〉
  池田大作って、そんなにエライ?  佐高信VSテリー伊藤  知恵の森文庫 光文社
──────────────〈中略〉──────── 144
〔テキスト〕
絶対帰依の美しさのなかで    小田実
────────(中略)──────◇────────(~151頁)
 来賓は三人だった。三人とも政治家であり、自民党の政治家であり、他には社会党
、民社党の人も、「文化人」も、労働組合の代表者も、あるいは市民の代表者もいなか
った。(当時の)灘尾文部大臣、小林厚生大臣、東東京都知事。三人とも早朝に東京を発
つか、それとも昨夜から来ていたのだろう。主旨は三人とも似たりよったりで、現在
の生活は物質的にはめぐまれたものとなりつつあるが、精神面で欠けている、そこにお
いて、学会の果す役割は大きいというのであるが、ことに、小林厚生大臣は、学会が
発展していることは「厚生大臣として」よろこびにたえないとはっきりと述べて、わ
れわれは物の面、経済の面では国民生活の向上に多少のお手伝いをすることができる
が、心の面では何もできないという意味のことばをつけ加えた。東都知事は、彼の前
回の当選が学会の支持のおかげであったせいか、「お招き下さってありがとうござい
ます。」と何度となくおじぎをして、「日蓮正宗と創価学会のかぎりない発展を祈り
ます。」と彼の祝辞を結んだ。
 こうした祝辞の述べ方は、私の考えでは、憲法違反であろう。ことに小林厚生大臣
の場合はそうではないのか。しかし、それにもましてふしぎなのは、来賓が三人が三人
とも、自民党の現職政治家であったことだ。ほかに、日本人はいないのだろうか。
 そして、学会の人たちは、たいていの場合、自民党の腐敗を口をきわめて攻撃して
いるのではないか。それが私になにかスッキリしないものを感じさせた。
 その私の胸のつかえを一挙に解消させるためか、午後のパーティの半ばをすぎたとこ
ろで、「大客殿」のまえで、鼓笛隊その他による「軍楽隊」のはなやかなパレードが
くりひろげられた。色とりどりの大礼服みたいにアホらしくきらびやかな服装の若い
男女が、池田大作氏が見守るまえを、規律正しい足どりで次々に通りすぎて行く。
 「若さがいつばい」、「青春のエネルギーの爆発」、「彼らの澄んだ瞳」、「彼ら
の力強い足どり」、「日本の未来は彼らの肩に」──私は今これを書きながら、そう
いった常套文句を思い浮べる。
 しかし、私のアタマにより鲜明によみがえって来るのは、いつか『第三文明」とい
う学会の若いインテリの機関誌にのっていた鼓笛隊長の女の人の手記のなかのことば
だ。昨年の九月、青年部の体育大会が開かれ、千七百名の鼓笛隊が行進したあと、「終
了後、池田先生は『みんなよくやった。とくに鼓笛隊には一〇〇点をあげよう。鼓笛
隊も世界一になったね。』と申された。この先生の一言こそ私たち鼓笛隊員が……
つらい時も、苦しい時も、またどんなにきびしい訓練の時も、片時も忘れずに夢にえ
がき、願いつづけてきたおことばであった。」(『信心根本に世界一』白井房子)
 絶対帰依の美しさがそこには、たしかにあるのだろう。そして、それはたしかに甘
美な魅力をもつ。あの戦争が私に与えた最大のことは、疑いをもつということだった
が、それを生き方のよりどころとしょうとしている私のまえで、その美しさは一枚の
壁として立つ。
 しかし、私より年少の人たちにとっては、それはそうでもないのだろう。多くの若
者たちがその美しさに身をゆだねて行こうとする。『第三文明』にのせられている学
会の若きインテリの文章には、きわだった一つの特徴がある。それは何ごとを論じる
のであれ、最後のしめくくりとして、「池田大作先生のおことば」があることである。
 理路整然と述べられていたことが、突然、強引に「おことば」に結びつけられる。
あるいは、論理の破綻を「おことば」が救う──そういった例に、私はたびたびお目
にかかった。
「この先生の一言こそ」、すべてを救うものとして、「片時も忘れずに夢にえがき、
願いつづけてきたことば」であるのだろうか。
 私がこれまでに述べて来たことは、おそらく、いい意味でもわるい意味でも、創価
学会のもついくつかの特徴をあらわしているだろう。いや、これは、他の多くの新興
宗教にも多くの点で共通することかも知れない。
 信者たちを生み出して来た土壌、その土壌を育成するための方法、土壌と宗教の強
い結びつき、あるいは、宗教と政治の握手の仕方、あるいはまた、青年層への働きか
け。たとえば巨大な前衛的な建物を建て、各国産の物を買い入れ、ハイカラと土俗的
なものを混合させ、西洋に負けないとの演説があり、保守派の政治家の来賓祝辞があ
り、はなやかなパレードがあり、若さがみちあふれ、……軍隊まがいの肩章をつけて
いるところもあった。ヒットラー・ユーゲントばりに、若者たちがリーダーのまえを
右手をあげて行進するところもあった。
 立派なグラフ雑誌などが出ているのは共通した現象だが、その表紙にリーダーのワ
イフがほほえみ、なかには、皇太子よろしく、何代目かの小学生の坊やの日常生活の
紹介の組写真があるのまであった。
 そこに共通するものは、たとえば「第三文明」という若きインテリの機関誌にまで
共通して見られることは、絶対者への絶対的な帰依だろう。そこにたとえ論理はあっ
ても、その論理は帰依の内部を動く。帰依を深化させる方向にだけ働き、その帰依自
体をもう一度根本的に疑ってみるという方向には働かない。
 たとえば、創価学会の生みの親牧口常三郎氏の『価値論』は、検討に値する書物な
のだが、その価値は。それがバイブルとなってしまったとき失われるのではないのか。
 『価値論』を今日に生かすためには、それをもう一度根本から疑ってみるという作
業が必要なのだろうが、学会員がときとして発する次のようなことばは、彼がその作
業をすませているかどうか、私に疑念を抱かせるのだ。
「信心しないから、判らないのですよ。」あるいはまた、「信心しているから、私た
ちはちゃんとしているのです。」
 私は、そのちゃんとしていると自分には思える自分をもう一度疑うことから、すべ
てを始めたいと思う。それは、過去の経験と歴史が導き出して来た私の思想なのだが、
そうしたことばを発する学会員もまた、そのような過程をたどって、その絶対的確信
に達したのだろうか。
 戦後の状況の一つの大きな特徴は、不安定ということだろう。たとえば、戦後の世界
では、物価はつねに上りつづけるものとしてある。政治についても、社会についても、
あるいは国際情勢についても、私たちは安定とはほど遠いところにいる。その不安定
は、私たちがもはや絶対者をもっていない、すくなくとも戦前に人々がもつていたほ
どの意味ではもつていないことと結びつくだろう。
 かっては、さまざまな絶対者があった。まず、天皇制、それを頂点にして日本人を
ガンジガラメに縛った社会の価値体系、それと強固に結びついた「国家」という絶対
者。こうした絶対者にたちむかうために、人々は、もう一方の極に絶対者をつくった。
 というよりは、状況が反対陣営の最有力の武器を絶対者にしたてあげたのだと言っ
たほうがよい。こうして、マルクス主義(あるいは、その具体的な実現である共産党)
は、一方の極の絶対者となり、人々の一切の思想と行動の原理がそこに求められるこ
ととなった。
 しかし、今、私たちは、そうした絶対者を、すくなくともかってのような絶対的な
意味ではもっていない。天皇制を頂点として価値体系は大きく崩れ去った。マルクス
主義の絶対者としての地位もかってほどではないだろう(日本共産党の無謬性の神話
は崩壊した)。
 戦前において、人は進歩にくみしようとするとき、マルクス主義に身を寄せるほか
はなかったのだが、今日では、戦闘的なリベラリズムを行動の基盤とすることもでき
れば、「混合経済」を経済体制の理想として考えることもできる。──
 不安定と絶対者がないことが結びつくとき、そこにもう一つ、繁栄からとり残され
て行くという状況が結びつくとき、人は新しい絶対者を待望するのだろう。年おいた
人たちは、それによって安心立命をねがい、若い元気のある若者たちは「なんとかし
なければ……」とふるい立つことだろう。
 ことに、その闘志は、さらに繁栄にとり残されて行く人々の数をふやして行くとい
うような現在の政治のまえで、さらに大きくふるい立つにちがいない。戦後十九年、
人々は喋りに喋った。しかし、喋ったところで、状態は一向によくなつていないでは
ないか。それよりは──そう考える若者のまえを、規律正しく「軍楽隊」の隊列が通
りすぎる。
────────────改頁──────(~157--引用ここまで……つづく)

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては…《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作

◆これまでも……これからも……池田創価・公明党
  大衆へ…“日顕憎し”“日顕ふみ絵・日顕打倒題目”…で50年

創価の真相1/3
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お笑い創価学会-23

2014-10-25 10:12:14 | Weblog
○お笑い創価学会・信じる者は救われない〈18〉
  池田大作って、そんなにエライ?  佐高信VSテリー伊藤  知恵の森文庫 光文社
──────────────〈中略〉──────── 144
〔テキスト〕
絶対帰依の美しさのなかで    小田実
 大石寺という名前は、現在の日本国民の約九割にとつては、まったく無縁の名前で
あり、おそらくきいたこともない名前だろうが、約一割の耳には、それはきわめて意
味深いものとして響く。たとえば、私の知人の一人は、一月に一度、苦心してそこへ
出かけることによつて、生気と元気を注入して帰って来る。つまり、そこは聖地であ
る。そこが聖地なら、私が住み彼が住む東京は、スモッグと汚職と堕落におおわれた
(おまけに、水までもない)「末法」の地ということになる。
 大石寺は、創価学会の聖地だった。学会の発表した数字を信用すれば、三七四万世
帯、約一千万人の日本人にとって、あるいは、たとえば「ヨコス力」に住む二百人の
アメリカ人にとってのメッカ。その数字は、現在のところ、日本の全人口の一割。し
かし、将来には。
 私に学会のえらい人が語ったことがある。
「いいですか、小田さん、全国で約一千万人というと、十人に一人は学会員だという
ことになります。その一人の学会員には、親類もいれば親しい友人も二、三人いるこ
とでしょう。
ということは、すくなくとも日本人が十人いれば、三人か四人は創価学会に敵意をも
っていないことになりますね。学会員の数を、十人のうち四人か五人にもっていきた
い。そうすると、今の計算で考えると、十人のうち八人か九人は学会に敵意をもたな
くなる。残った一人か二人など、これはもう問題になりませんよ。」
その世の中が来たとき、日本は救われるのだろうか。池田勇人氏は、「日本国内閣
総理大臣」の資格で、次のことばを学会によせている。「最近における創価学会の発
展は、まことにめざましいものがある。とくに、まじめな青年が、社会の繁栄、世界
平和を願って活躍している姿は、じつに頼もしい。どうか、曰本の将来のために、ま
すます堅実な発展をしていただきたいと思う。」
 いや、学会は、世界を、人類を救ってくれるのかも知れない。現総理大臣、当時の
衆議院議員佐藤栄作氏は、学会を「人間の危機」を救うものであると考える。また、
今日の政治家に必要なのは哲学だが、その点で創価学会の人たちの抱く信仰と学説は
大きなものをあたえてくれると述べる。
 あるいはまた、衆議院議員中曾根康弘氏は、かって日大講堂で行われた青年部の大
会を河野一郎氏とともに参観し、二人ともにあまりの感動に涙を流したと述べ、会長
池田大作氏の次のことばを感銘ぶかいものとして記録している。「フルシチョフやカ
ストロは、五時間、六時間の長広舌をやるが、われわれの間は、そんな長広舌はいら
ない。」そのことばのあと、池田氏はやにわに金扇をふって合唱の指揮をしたという
(以上、秋谷城永編『創価学会の理念と実践」による)。
 これは大変なことである。学会が日本を救い、世界、人類を救うことを、日本の政
治の中枢にある人たちが明言しているのである。私は考えてみなければならぬと思っ
た。ことに、たとえばフルシチョフやカストロのように「五時間、六時間の長広舌を
やる。」ことがべつにわるいことでもなく、いや、むしろ好ましいことだとかねがね
考え、同時に、指導者がやにわに金扇をふれば合唱の声たちまちあがるといつたこと
がそれほどすばらしいことでもなんでもなく、いや、むしろ危険なことだと考えてい
る私は、ここでとつくりと考えてみなければならない──と、その政治の中枢にいる
人々の意見は述べているかのようであった。
 しかし、私が大石寺へ行ったのは、直接には、学会が日本を救ってくれるのか、世
界、人類を救ってくれるのかを実地に聖地でたしかめてみるためではなかった。ひょ
んなことからだった。大石寺に「大客殿」という巨大な建物ができ、その記念式典に
招かれたからである。
 招待状は「各界の知名人士」 に対して出されたそうだから、彼らのうち、学会が
日本、世界、人類の救世主であることの信奉者、あるいは、少しばかり好奇心に富む
者は出かけて行ったにちがいない。「各界の知名人士」であるかどうかは知らないが
、好奇心なら私は人一倍もっている。
 私は出かけることにした。
「大客殿」は、巨大でなかなかモダンな建物であった。鉄筋コンクリート造り五階建
て。三階大広間には最高五千名の学会員が入ることができる。前会長戸田城聖氏の遺
志によってつくられたものらしいが、その遺志というのが「世界各国の名産を集めて
、総本山に大客殿をつくりなさい。」というのであったそうで、まず案内の女の子、
いや女子学会員はそのことを言い、ついで、「大客殿のまえの噴水はイタリア製(だ
ったと思う)でございます。大玄関の大理石はイタリア製、須弥壇の床はスェーデン
製の黒花崗岩の一枚岩……」と、かなりパス,ガイド的な口調で誇り顔に告げた。
 いろいろなところに気をくばって建てられた建物だった。たとえば、三階の大広間
に行つてみよう。そこで大声をあげれば、二重にも三重にも反響はつづく。そんなふ
うに建物はつくられているのだろう。それが五千人が入って、たとえば「南無妙法蓮
華経」と「お題目」をとなえ、あるいは、「第三文明の歌」をたからかに合唱すると
なると──私は、その日、午後の記念パーティだけに招待されていたのだが、特にた
のみ込んで、午前の大法要にももぐり込ませてもらったら、大広間いっぱいに人々が
坐っていた。あれはたしかに五千人だったのだろう。まず「南無妙法蓮華経」の大合
唱だった。それにつれて、中央の須弥壇の扉がしずかに自動的に開く。「ご本尊」が
拝めるのである。「南無妙法蓮華経」の声はさらに高くなる。それはさまざまな抑揚
をつけて、さまざまな調子でつづく。こちらにそれに抗するだけのものがなければ、
いつのまにか体ごと浮かび上って行くようなほどの迫力はある。甘美な魅力もある。
絶対帰依の魅力と言おうか。受身の魅力と言おうか。
 五千人は、ただの、なみの信者ではなかった。この記念すべき法要に参加するだけ
あって、「部隊長クラス」(?)以上の人たちであった。彼らは懸命にジュズをまさぐ
る。
老いも若きも必死に声をはり上げる。私一人がとり残される。その私をおおい包みか
くすようにして、「お題目」の大合唱はつづく。その大合唱は、はたして、日本、世
界、人類を救うのであるか。
 池田勇人氏、佐藤栄作氏はそれを信じ、また、中曽根氏は、この絶対帰依の大合唱
のなかで、涙を流したのか。いや、中曾根氏が涙を流したのは、たとえば「第三文明
の歌」、あるいは「広宣流布の歌」であったのかも知れない。
 法要の最後近く、それは池田大作氏ではなかったが、扇子をもった男が壇上に上り
、彼の音頭とりで、ふたたび大合唱が始まった。今度は、さっきの「お題目」の場合
とちがって、沈ウツな自己抑制のひびきはなかった。たからかな解放の叫びであっ
た。「お題目」によつていつたん内へむかった力が、内へむかうことによって凝集し
たあげく、その扇子の指示する方向にむかって爆発する──そういった感じだった。
ただ、その方向はどこへ向いているのか。私は気にかかった。
 法要の【演出」はかなりみごとだった。ことに、すべてが時間通りにてきばきと進
行していくことに、私は感心した。池田大作氏の演説は、これもみごとということば
をそこに冠してもよい。簡単で要を得ていた。今や戸田城聖先生の遺志は実現された。
苦難に苦難を重ねること三十年、今ここにようやく春が訪れた。しっかりやってくれ。
拍手がどよめいた。熱狂的な拍手だった。
 演説はもう一つあった。大石寺の坊さんの演説だった。それは長かった。池田氏の
をみじかく、事務的経過をふくめた坊さんのを長くしたのも、前者をきわだたせるた
めの「演出」であるのかもしれない。
 坊さんは語った。世界の平和について。第三文明について。その大上段の議論は、
突然、「大客殿」の話になる。前段と後段のつながりぐあいがはっきりしないうちに
話は進み、またしても、「イタリア製の大理石、スェーデン製の……」彼が演説をす
る頭上には、ゴーカなシャンデリアがきらめいているのだが、彼はそれについても、
ひとくさり述べなければならない。「これは池田先生がご外遊のみぎり、ウイーンで
お買い求めになったチヱコスロバキア製のシャンデリアで……」
 私ば微笑したくなる。皮肉の意味でなくそうしたくなる。戸田氏の「世界各国の名
産を集めて」云々のことばは、それはそれなりに世界にひろがる宗教たろうとする彼
の理想の表明であったのだろう。その理想が、いつのまにか、バス・ガイド的な自慢
話になってしまったこと、私はそれに興味をおぼえる。しかし、そうした列挙は、そ
れなりの効果を人々にあたえるのだろう。
 日本の各地からこれから何十万、何百万となくやって来る、おそらくこれまで西洋
とはなんのえんもゆかりもなかった人々にむかって、その「イタリア製」「スェーデ
ン製」「チェコスロバキア製」の何トカは無限の効果をもつものかも知れない。この
「大客殿」がまだ建築中だったとき、一人のオバチャンが叫んだのだという。「まあ
立派なものができるわ。あのなかにほんとに入って行けるのね。」
 坊さんは話をつづけた。……この「大客殿」は、ル・コルビュジェ先生のお考えに
なったピロティ建築です。池田大作先生の命によって私はョ— 口ツバに行かせてい
ただきました。
 そのル,コルビュジェ先生のおつくりになったマルセイユのァパートのピロティを
見ましたが、設計者の方の話によると、それよりもこの「大客殿」の方がよくできて
いるとのことでした。……
 神殿とアパートのピロティを比べることはばかげているというのは、これはここで
はあまりにも気の利きすぎた、ソフィストケイトされた意見なのだろう。すくなくと
も、そうした意見を、そんなふうに一蹴し去るだけの力が、坊さんと聴衆とのあいだ
の結びつきにはたしかにあった。あるいは、その聴衆を生み出して来た日本の社会の
土壌にあるのだと言ってもよい。
 その大広間に集まっている五千人の顔は、「部隊長クラス」の面々の顔は、一言に
して言えば、地域社会のオピニオン・リーダーの顔だった。真面目えいえいと働き、
独学で教養を身につけ、いささかかたよったかたちで身につけ、何かことあるときに
は、その地域でのたのもしいリーダーとなる。
 私は、戦争中、空襲のさなかに献身的に働いた防火班長や警防団の人々のなかに、
そうした顔を見たことがあるように思う。あるいは、戦後、小さな前近代的な会社で
労働組合をつくろうとして自分の身を犠牲にしてしまった知人の顔にそっくりの顔も
いる。彼も真面目だつた。働き者だった。そして、独学的な教養の持主で、いささか
偏狭であった。
────────(~151頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく)

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては…《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作

◆これまでも……これからも……池田創価・公明党
  大衆へ…“日顕憎し”“日顕ふみ絵・日顕打倒題目”…で50年

★創価学会法論大惨敗:無知との遭遇(真実版)2
コメント
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お笑い創価学会-22

2014-10-23 09:45:38 | Weblog
○お笑い創価学会・信じる者は救われない〈22〉
  池田大作って、そんなにエライ?  佐高信VSテリー伊藤  知恵の森文庫 光文社
──────────────〈中略〉──────── 136
◆政教分離はすでに死語か
佐高信…政教分離という言葉を若い人は知っているのかな。もしかすると、死語にな
    っているんじやないかと思うことがあるんだけれど。
テリー…そうかもしれませんね。公明党が政権に入ってますます死語になる。権力に
    都合の悪いことはどんどん消されていくでしょうからね。
佐高信…公明党が連立政権に入って、創価学会が想像しているよりはるかに大きな権
    力を持ってしまった。池田大作が陰の総理大臣なんだからね。
テリー…ヨーロッパにはキリスト教を党名に入れた政党もあるけど、これはアメリカ
    でもそうなんだけど、宗教がもっと漠然とした意味になっています。教祖の
    ような個人が牛耳ることなどない。日本の公明党は池田大作党でしょう。こ
    んなことはありえない。
佐高信…池田の私党だ。せめて、池田個人が支配する創価学会から独立しろというレ
    ベルの政教分離だね。無理だろうけど。
テリー…政教一致の公明党の議員は、憲法より教義、すなわち池田先生を取るでしよ
    うね。ヤクザといつしょ。法律より組の規則のほうが大事というのにそっく
    り。
佐高信…その通り。国民のためではなく、池田のための政治を目指しているのが公明
    党だ。
    日本人の宗教というのは、かなり漠然としている。お正月に明治神宮に初詣
    でに行つたかと思うと、お彼岸、お盆がある。酉の市といえば大勢の人が集
    まる。冬はクリスマスだ。神様、仏様、お釈迦様、キリスト様という世界で
    すよ。
佐高信…もともと日本人の宗教観は来世利益が中心。宗教は来世のことを考えると思
    われてきた。ところが創価学会、公明党は現世利益なんです。ここが非常に生
    臭い。「学会に入ると現世の利益が手に入る」というわけだ。
テリー…本来、宗教というのは生臭くないというのが、われわれのイメージですよね。
佐高信…生臭くないという前提で創価学会、公明党を考えると大間違い。生臭さ、
    「この世でいい思いをしますよ」を売り物にしていることをはつきりさせな
    いと。
    それともう一つ、政教分離でいえば、ヨーロッパには批判の歴史がある。宗
    教が政治と結びついたとき、どういうことになるかという認識があって、政
    教分離がきちんと行われている。
テリー…日本には政教分離の歴史がないよね。だから、鈍感な部分がある。
佐高信…公明党が政教分離しているかどうかなんてじつに簡単な話なんだ。公明党の
    人たちに、「あなたは池田大作を批判する言葉を吐けるか」という質問をす
    れば一発ですよ。彼らにそんなことはできないわけだ。政党人が批判できな
    い人物を持っている、
    しかも全員。そんなものが政党であるはずがない。
    いちばん力を持っている人物を批判する自由がないというのは、なんの自由
    もないのと同じことなんだ。
テリー…批判しないんではなくて、批判できない。根本の問題だ。
佐高信…政教分離を問題にすると彼らは「信仰する自由はないのか」と反論する。信
    仰するのは自由だ。それをいかんとは言っていない。
    もちろん、創価学会に問題があることは別ですよ。たとえ、問題があっても、
    それを信じることには自由がある。
    でも、政治の世界は別だ。批判する自由があるかどうかが問われるんだよ。
    そこをはっきり考えろと言いたい。
テリー…本当にそうだね。宗教団体に限らずなんの組織もそうだけど、批判ができな
    い組織は不自然だし、成長もしない。
佐高信…だから、いまの二〇代の人なんか、この人たちどうして政教分離なんて言っ
    ているんだろうと思つているかもしれないよ。
テリー…そうすると、佐高さんと僕で上げた拳をどこに下ろしていいのか、分かから
    なくなつてしまいますね(笑)。
佐高信…政教分離なんて言わずに、公明党に池田批判をする自由があるかと言ったほ
    うが、若い人にも分かりやすいと思うよ。
テリー…そのほうがいいよね。自民党の中で公明党、創価学会を批判している人たち
    もその一点でいけばいいのに。

◆「お笑い池田大作」
テリー…このごろ、大相撲は面白くないですよね。人気も落ちてきた。その原因の一
    つは相撲協会を批判できないことだと思うんです。それでなくても、親方と
    か一門という世界でしょう。
    そんな人たちが集まって運営されている相撲協会は昔からの体制がガチッと
    出来上がつていて、批判に耳を貸さない体質になっている。テレビも新聞
    もどこか協会に遠慮していて批判が鈍い。もし表だって批判したら、相撲の
    取材に響くんでしょうね。協会にそういう体質があるから、マスコミは弱腰
    になっている。
    だから、相撲協会を批判しているのは、本場所の取材とは関係ない週刊誌だ
    けですそういう組織であることが相撲人気を下げているんです。
佐高信…うーん。僕は相撲が好きなんだけど。
テリー…へえ、ああいう体質を認めるわけではないでしょう。
佐高信…それはそうだよ
テリー…共産党も批判できない。
佐高信…そう。最近、ソフトムードを装っているけど、できないね。
テリー…だから、本当の成長はない。
佐高信…ない。創価学会も新聞やテレビはほとんど批判しないよね。学会員に不買運
    動でも起こされてはかなわないと恐れているんだろうな。
    そこがますます創価学会の体質を閉鎖的にしている。
佐高信…テリーさんは、『お笑い北朝鮮」をやり、『お笑い日本共産党』をやった。
    みんな閉鎖的というところが同じだね。創価学会はどう?
テリー…池田大作さんは十分、お笑いになりますよ。
佐高信…創価学会がテリー伊藤を寄せつけないか。
テリー…多分ね。信濃町の本部周辺を歩いただけで叱られた(笑)。あそこはガード
    が堅いと思うね。
佐高信…北朝鮮や共産党より堅いかもしれないな。ということは、やっぱり、おかし
    いんだよ。外部の人間でも無害な者、ヨイショする人間は受け入れても、少
    しでも批判しそうな人間は拒否する。そんな組織ということだ。
テリー…この本でますます佐高さんや僕を受け入れない。まあ、受け入れてほしいと
    は思いませんが、批判を聞く耳くらい持ってもらいたいですよ。
佐高信…無理だろうな。いちいち批判を聞いていたら、池田大作はトップでいられな
    くなるからね。

◆批判を書けば山ほどの手紙が来る
佐高信…昔から、自民党は創価学会には脇が甘かったことを教えてくれるのが小田
    実さんの「絶対帰依の美しさのなかで」という一文。この本に収録したレ
    ポートの中でいちばん古いものなんだ。一九六四年、東京オリンピックが開
    かれたころに発表された。もうすでに池田大作が創価学会の会長になつてい
    て、この年に公明党が結成されている。
    小田さんは五〇〇〇人もの学会幹部を集めて行われた大石寺の「大客殿」の
    記念式典に参加している。玄関の大理石はイタリア製、シャンデリアはチェ
    コスロバキア製とか、アホみたいな説明を聞かされて、五〇〇〇人がお題目
    を唱え、池田の挨拶に歓喜する姿を見せられ、パレードまであったという。
テリー…気持ち悪いな。俺なら逃げ出してしまう。
佐高信…彼は好奇心で行ってみた。何でも見てやろうの精神だね。
テリー…これを書いたとき、小田実さんのところにミカン箱二つか三つくらいの手紙
    が来たそうだ。もちろん、激励ではなく、「昼だけだと思うな」というよう
    な脅しが中心。
テリー…もう、そのころからそういう体質だったんですね。いまも、そう変わってい
    ないようだけど。
佐高信…小田さんは勇気があったと思う。あのころ、折伏、つまり創価学会の勢力拡
    大の動きがいちばん激しかったはずだ。どつさり、嫌がらせの手紙が来るよ
    うな時代だった。
テリー…もし、そんなにもらっても、いちいち読む気もしないだろうけど、毎日、毎
    日、ドサッと手紙が来るのは不気味だよね。街を歩いていても、電車に乗っ
    ていても、嫌な気分になってくる。
佐高信…小田さんの作品の中に、昔からいかに自民党が創価学会を大事にしていたか
    が分かる話が出てくる。池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘というように総理
    大臣になった人物が、学会を持ち上げているんだ。そのころから、学会の組
    織票に自民党は注目していた。佐藤栄作は、学会が人類の危機を救うとまで
    言っているし、中曽根康弘は青年部の会合に出席して涙が流れたという。
テリー…そんな話を聞くと、こっちのほうが悲しくて涙が出てくる。票になればなん
    でもいいというのは、いまも昔も同じなんですね。
佐高信…だから、公明党は自民党がいじって大きくしたんだ。
    この小田論文はいま読んでもじつに新鮮だ。当時から、彼ははっきりと創価
    学会の体質を見抜いている。創価学会の危険性、不気味さ、池田大作の自己
    演出と独裁性……だから、ミカン箱いっぱいの手紙がきたんだろうな。
    彼はこう書いている。「不安定と絶対者がないことが結びつくとき、そこに
    もう一つ、繁栄からとり残されて行くという状況が結びつくとき、人は新し
    い絶対者を待望するのだろう」。つまり、天皇制、国家という絶対なるもの
    がなくなって、経済成長に取り残された人たちが、池田大作を絶対者として
    崇めているという構図を彼は読み取つた。
テリー…一発で見抜いた。その点、自民党の大物は票にしか見えなかった。いまと同
    じだな(笑)。ほんと、政治家って、楽な仕事ですね。
────────(~143頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく)

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては…《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作

◆これまでも……これからも……池田創価・公明党
  大衆へ…“日顕憎し”“日顕ふみ絵・日顕打倒題目”…で50年

★創価学会法論大惨敗:無知との遭遇(真実版)1
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