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創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

新・創価学会を斬る-46

2018-12-30 09:19:48 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道
◆ 「天皇制」崩壊のなかから盛り上がった新興宗教-2
       ----------(以下、本文)----------266
 私はこの章の初めに、池田大作が敗戦直後の南原繁にふれ、日本のインテリたちは底辺で汗み泥になっている庶民大衆、その底辺の中に分け入つて足搔いていった創価学会の役割を正当に認めていないのではないか、といっていることを紹介した。たしかにそういう状況下において最も強引な戦闘的折伏を通じて、学会はのびたワケである。しかもそれはすでに第一部でも描いているような、戸田城聖的金融機関システムと抱き合わされたもの、場合によっては“ネズミ講”的システムとでもいえる組織をとって信仰と利殖という二刀流をやってのけたワケである。そのやり方は戦後のはなはだしい経済的困窮、人心の荒廃から一日も早くはい出ようとする大衆の心情をダイレクトにつかんだ。
 やり方そのものはまさに「魔法の園」的中世的とでもいえるような、上からの強引さが直線的でエゴイスティックな大衆要求に対応しながら、これを“ご利益”と“バチ”の二刀流で組織化していったということである。しかもその組織の仕方そのものは、いみじくも大日本帝国軍隊と同じような、驚くべき縦の系列の組織化であったことが、かえって有効な威力を発揮したということがいえるのである。

 しかし、そうして伸びてきた創価学会にしても、いかにも底辺を志向しておりながら、決して、底辺を教済するものではなかったことをいまや知るべきであろう。やったことといえば、貧しい者を救うという名の下に底辺から金を集めて、富を誇示することであった。民衆の精神を支配するために、富を背景としてマスコミを最大限に利用することであった。しかも宗教法人という無税経営団体のフル活用であった。しかもそのように得られたところの社会的、経済的、政治的勢力を「小宇宙的天皇制」、つまり小ピラミッド型「王国」組織の中に底辺から組み立てていったというところに、創価学会の最も持異性のある発展があるのだと思う。
 新興宗教の中で最も徹底して中世的手法を底辺に強行したところに、創価学会の異常な伸び方があったということがいえるのであり、そこからできたものは「池田天皇制」であり、「現代王国」であったということがいえるのである。そういう意味においては、センべィ型が段々と梯形型Ⅳ図に広がるに従って池田はそういう梯形型のほぼトップ・レベルのところに顔を出して、その上辺につらなり、「小さな中世社会」、「小天皇制」社会のようなものを一角に構成したところに、創価学会の大きな特色があったといえよう。

 学会には他の新興宗教集団と違った積極的政治利用、権力志向というものがあり、そういう側面を日蓮正宗の教義や日蓮の文書その他をもって裏づけるというやり方を敢行した。一種の日蓮正宗利用と日蓮利用が前面にでて、それだけ価値論は後退し、段々と“ご利益”と“バチ”の使い分けによって大衆を釣り上げてゆくという中世的魔術的方向へと移行していったといえよう。まさにそういう創価学会組織作りの原理の中にこそ、典型的に前近代的、中世的な時代錯誤が浮きぽりされているということである。

 そういう意味において池田大作はいかにも底辺を志向しているようにいいながら、決してそれは底辺を教ぃ上げたことを意味するものではない。底辺を踏み台にして「小天皇制」をつくったに過ぎないということである。そこに創価学会というものが、スタンダールの「パルムの僧院」さながらに絶対主義の内部のような精神構造を形成し、言論自由など尊重しようにもできないし外からの批判を拒否するし、たくわえた財力を通じてマスコミをコント口ールするし、さらには信者組織の数だけを利用して議員を送り込み、選挙違反すらあえて辞さないマキャベリスティックなやり方を当然視する赤裸々な権力志向を示すことになった大きな精神的背景があるといえるだろう。
 いかにも「自己変革」とか、人間革命とかキレイごとをならベても、そのやり方はおよそ宗教者としての精神的原点を失ったものといわざるをえない。これまでの創価学会の成功はあくまでも政治的成功であり、経済的成功であり、またその幹部の立身出世欲を満足させただけのものであった。

 創価学会内部においてすら底辺は全く救われないバチと呪いの世界、以前と変わらないどころか、もっと程度のわるい「魔法の園」に放擲されたままであった。底辺大衆を底揚げし、これを救いあげるという機能、それは彼らも一応は主観的には志向したかもしれないけれども、結果としてはほとんど何もできてはいないということであろう。これは第一部の中にまざまざと「現証」された学会員内部からの底辺のノロイの声の上にあらわれているといわなければならない。

 こういう意味においても、創価学会が戦後社会における民衆の宗教的渇望を吸収して、底辺を解放する変革のエネルギーとしての役割を果たしたとは到底評価することはできない。むしろ創価学会という巧妙な一つの知能犯的営利集団をそこに作っただけである。
 みよ! 結果としてつくったものは何か。正本堂その他の大伽藍であり、創価大学であり、公明党であり、大石寺周辺の土地買い占めであり、大作のベストセラーづくりである。まさに彼等自身が攻撃してやまなかった既成宗教集団そのままのものしかそこには何ひとつ実現されていないではないか。そういう事実が、何よりも雄弁に創価学会の果たした客観的役割を物物語り、その位置づけとしては決定的なものにしていると言わざるをえまい。底辺を志向しながら底辺は少しも創価学会によって救われてはいない。彼等は幸福にはなっていないし、日本の底辺問題は何一つとして解決されていないと、いわざるをえない。それが創価学会のの本質にほかならない。

 法華経や日蓮正宗の中にある擬似変革性を勝手気儘に乱用し、大衆をいかにも救い、社会を変革するかの如き幻想を与えながら、結果としては一種のマッチ・ホンプに終わっているのだ。
 栄えるのはお寺であり、宗教団体の組織であり、坊主であり、幹部に過ぎない。まさに「一将功成って万骨枯る」である。天皇制はこれを如実に実践し、やがて崩壞した。創価学会も、底辺を利用してそのトップ集団を一定の社会的レべルまで持ち上げた機能はあっても、底辺自体を解放するエネルギーには全くなっていなかった。むしろこれほどロコツに底辺大衆のェネルギーを利用した組織はないといった方が正しいだろう。
 結果としては反革命の安定した大衆的拠点になっていたといわざるをえまい。それは宗教の本来持つ保守性を越えており、その限りでの知能犯罪指数は高いということでもある。
 創価学会問題とでもいえるものが、たまたま言論の自由妨害、出版妨害の事件として噴火したという意味のなかには、それがまさに天皇制の残渣、大日本帝国の精神的残渣をかき集め、しかも内容的にはほとんど変革されないままのものであったことからも一種の必然として発生したといわざるをえまい。

 昭和三十四年に私は、アメリカへ奴隷として送られた黒人のなかで出世した少数者が西アフリカに帰ってつくった国、リベリアを訪問したことがある。リベリアは最も古いアフリカ大陸における黒人独立国であるといわれている。しかしそのリベリアの中で行なわれている政治のやり方は、アメリカの一部少数の富んだ白人エリートがアメリカの大衆プアー層をコントロールする技術をそっくりそのままで、黒人自らが黒人を支配するというもので、その現実にふれて、いたく驚いたことがある。そのリベリアに関して私が抱いた感懐は、そっくりそのままに戦後民主主義の落穂をかき集めてできた創価学会のうえに感ずるものなのである。

 創価学会問題というものは、そういう意味において体質的にまだほとんど解決されてはいない。ただ創価学会をしてそこまでのさばらせた日本の政治状況の問題点とか、エコノミック・アニマル化した日本の経済の問題点とか、さらには同じように口では言論自由を唱えながら、経営的利害に弱い日本のマスコミの体質の問題点等々、それはそのままで戦後民主主義社会とでもいわれるもののもつ、それなりの歪みと病理を象徴していたといわなければならないのである。
 その意味では創価学会を「斬る」ことのみが私の問題意識ではない。創価学会をそこまでのさばらせた既成宗教集団の無力と怠慢、大衆に対する宗教的救済のサボタージュ等をむしろ厳しく非難しなければならないであろう。公明党をあれだけのさばらせた日本の革新勢力の無策無能も、共産党を含めて大いに問題にしなければなるまい。またそういう創価学会以外の新興宗教組織が、創価学会とならんで政治と安易に妥協し、そして信者を動員して政党、特に自由民主党、保守勢力の個々の議員の御用機関化している現実もやはり学会以上に大きな問題であるといわなければならない。

 マスコミにいたっては、こと創価学会に関するかぎり言語道断でり、創価学会について国民の「知る権利」を自ら封殺してきた大いなる責任を感じて然るべきであろう。大衆とか国民とか“民主主義”の決まり文句を格好よく綺麗にいうことはいっても、そのドロドロとした底辺に対してほとんど働きかけようとしなかった。結局は大衆を軽蔑していたということかもしれない。そのうらはらに一種の愚民感情の伏在を感じる。多くの進歩的知識人の創価学会問題についての発言にもそれを感じたものである。あの事件はいろいろの意味でそういう点での戦後責任の所在のようなものを透視したといえるのではないかと思う。
 そのような意味をふくめて、私自身は『創価学会を斬る』という本が社会に与えた影響というものをかみしめ、その意義を推し進める必要を、戦後日本の病理剔扶の必要と直結していまさらのように自分自身の責任としても痛感せざるをえない。
     ----------(次回に、つづく)---------272

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新・創価学会を斬る-45

2018-12-30 09:13:52 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道
       ----------(以下、本文)----------260
「天皇制」崩壊のなかから盛り上がった新興宗教-1
 そういう天皇制社会における、いわゆる民間信仰とか新興宗教の役割と天皇を中心とする神道国教主義との関連、さらには天皇制の国家道徳とでもいえるものがそういう新興宗教などとからみ合いながら、体制の論理ないしは体制内における精神支配機能としてどういう役割を果たしたかという点についてにややこしい表現になるけれども、次のような私の文の一部を紹介しておこう。
       「このような官僚の……省略『近代日本国家原理・139~140』」
  やや難解な表現なので、いわんとする要点をかいつまんで解説しておこう。
 つまり天皇制社会のオーソドックスな体制の精神を代表したものは官僚的合理主義である。
 それば儒教の変形されたもので、西洋から入ってきた市民思想の形式的な合理性を加味して、「一君万民」の名の下に一見民主化したかのような見せかけをとりながら、他方では官僚制の身分的差別のエトスともなり、そうすることによって、体制そのものの「秩序の擁護者」としての役目を果たそうとしたものにほかならない。

 天皇制社会における人間差別の、新しいエトスになったものは封建的身分ではなく、国家への勲功であり、勲功をあげることのできるような能力、さらには学力という点で、およそ非宗教的な、俗人的なモラルが、この社会を貫いていたといえるだろう。そういうモラルに対して、天皇絶対主義を代表するかの如き神道信仰さえも、一種の“脇役”的機能に甘んじざるをえなかったということでもある。
 他の新興宗教にいたっては、もっともっと脇役的機能しか与えられず、天皇制国家倫理とでもいえるものに対しては、あくまでも相対的な“小さな道徳”として位置づけられた。「小さな道徳」は容易に神秘やまじない等々と結びつき、最も通俗化された形態として“ご利益”とか“バチ”というような民衆の利害関心に密着するようなものが、かえって信仰のささえとなる皮肉な運命を担ったのである。そんなものは天皇制国家倫理からみれば、小さなエゴイズムに過ぎないとして、平素は無視するが、それがのさばってくれば弾圧するということにもなる。だから政治的な影響をおよぼすとみれば、治安維持法にひっかけてやられたり、不敬罪にひっかけてやられるというような形で、下からの信仰にささえられた新興宗教も少し大きくなると上からの弾圧を受けるという、一種の“自動制御システム”が天皇制社会においては、むしろ体制の論理として必然性をもっていたともいえるのである。

 だからこそ、さきの私の引用した論文の最後に述べているように、そういう民間信仰とか新興宗教というようなものは、“弾圧”をうけまいとすれば、結局、民衆のエゴイスティックな救済を求めるにすぎないものとして、基本的には非政治的傾向をその本質とせざるをえなかったということにもなるのである。
 そういう民衆のエゴイスティックな救済要求に対応しているという点では、戦前の創価学会的イデオロギーも何らの例外ではないといえる。創価学会の価値論の中で“利”というものに非常に大きなウエイトをおいたということは、決して偶然ではないのである。

 そういう意味において、さまざまな新興宗教ないしは民間信仰というものを媒介としながら創価学会はそれに既成宗教との癒着、哲学的味つけ等々をやっているけれども、これまでの新興宗教の機能というものとほとんど本質的には何も変わってはいなかったといえる。少なくとも戦前天皇制社会における役割という点では、特に注目に価するものは可もないといってよい。
 そこで舞台は一転する。昭和二十年八月十五日以後に起こった社会的変革によって、Ⅱ図の「ダンゴ重ね型」天皇制社会から、Ⅲ図のいうなれば「センべィ型」へと移行する。

 敗戦が天皇制社会に与えたショックというものはまさに全構造的なものであった。それを「かさねダンゴ型」が吹きとんで「センべィ型」になったと表現したのだ。国家神道もまた例外なく吹っ飛んだワケだが、天皇がアイマイな象徴に変わったように神道国II教主義の崩壊も内容的にはアイマイなものになった。靖国神社問題にしてもそうである。そうかといって「無名戦士の墓」というような存在には転身できないし、非常にデリケ—トなニュアンスが残るのだ。物理的にペシャンコにされただけで、内容的変革をともなわない矛盾がそこにもでているといえるだろう。

 同じような打撃をうけたのは、形だけの国家神道主義という枠の中に包摂されて、江戸時代35来政治権力のいわば〝 御用機関”と化していた既成仏教集団であった。戦争を肯定し、日本の軍国主に対しても、いうならば精神的宣教師のような役割を担わされていた。神道国教主羨も戦争の末期においては、一種の尊皇攘夷思想を鼓吹し、ちょうど幕末における平田神道のような危機意識の動員に駆り出されたが、既成の仏教宗派もなんとかかんとかいいながら、そういう愛国的ナンョナリズムのようなものの枠の中にスッポリ入ってしまっていた。ほとんど何んらの権力との抵抗もおこなわず、まさに天皇制国家の運命と宗教的役割とをほぼ完全に同一化する方向を選んだことは否定できない。

 国家神道主義が敗戦によっていっきょに崩壊したかの如く見えながら、むしろ国家神道のほうは空中にただようような形になって拡散し、既成仏教集団のほうは経済的にも社会的にも同じょうな影響を受けて、大日本帝国の崩壊とともに大沈滞を余儀なくされたのである。
 こういう事情に対して、民間信仰、民間信仰の中でも特に新興宗教は、天皇制権力との緊張関係にあったものほど、敗戦によって一種の「解放」された感があったといえよう。敗戦を契機として「獄中十八年」の共産党員が一種の英雄として解放されたように、新興宗教もはじめて本当の信教の自由らしきものを獲得し、まさに解放の恩典には浴したということがいえるのである。それは創価学会だけの事情ではない。立正佼成会にしても、PL教団にしても、その他もろもろの新興宗教というものが敗戦後の荒廃の中で驚くベき勢いをもって信者数を獲得していったのである。神道国教主義の枠内において権力の道具となり、「御用」機関化していたところの既成宗教集団の民衆教化的機能が国家とともにまさに運命をともにして低迷するなかにおいて、新興宗教の多くは生々としてよみがえった。まさに共産党と同じように解放されたということである。
 共産党や戦前における社会主義運動家、思想家等々、天皇制権力に対する何んらかの敵対者とみなされるものは、宗教から政治運動までおしなべて弾圧をうけていたわけであるから、それらの解放事情も実によく似ているということである。
     ----------(次回に、つづく)---------266

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新・創価学会を斬る-44

2018-12-28 09:27:25 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道
       ----------(以下、本文)----------255
「底辺志向教」としての評価
 日本の知識人だとか、進歩的な文化人だとかいわれるような人の中にはやれ「革命だ、革命だ」と叫びながら、結局うわずみのカッコのいい変革論を重ねて、最後は要するに底辺である大衆は馬鹿であった、だから、日本で革命はできないのであるという結論づけをするのがいる。つまり一応底辺エネルギーを志向しながら、それに最終的にはクルリと背を向けていくという言動の矛盾である。そういう“底辺志向”と“結果離反”というマッチボンプ式の矛盾というものがなぜおこるのかということは、ともかく日本人の精神構造の一視点として分析してみる必要があるものかもしれない。

 もっともここで、そういう分析を専門的にやるつもりなど毛頭ない。日本の底辺の精神形態をば宗教との関連で大まかに素描するくらいが精いっぱいのところである。その場合、近世はともかくとして、日本の中世までひろげ、日蓮の時点までさかのぼってこれをとやかくいっても、ここではあまり意味がない。やはり徳川以降における日本の宗教のあり方の中で、民間の、底辺のこころを支えた社会構造的な条件は何であったかということが、ここでの問題になろう。
  そこでとりあえず、Ⅰ図をみていただくことにしよう。士農工商の身分を三角形のビラミッド型にかさねた典型的な階層制社会を図示したものである。徳川封建制社会にほかならない。この社会がまこと厳格な身分的差別によつて成り立っていたことは周知のところであるが、このような徳川幕府の支配を正当化した宗教ということになると、いわゆる宗教色の最も薄い儒教の道徳であった。それが武士道などの侍道徳の原点となったが、本質的には一種の宗教倫理であったことはいうをまたない。社会や改治との関連で宗教を見るかぎり、日本の中世と近世は大いに様相をかえている。中世の支配階級が己れの安心立命とともに国家の鎮護をのぞんで宗教に祈祷やおまじない等を期待していた。魔術的支配手段としての仏教の機能は、その権力性ともどもに、儒教を通じて排除抑圧されていったところから、まさに日本の近世は誕生したという表現も可能であろう。徳川幕藩制の支配というものは仏教の支配力排除と政治利用、それにキリスト教に対する徹底的弾圧という点に、その宗教に対する政治的特色をもっている。
 仏教勢力の弾圧とならんで、仏教自体がほぼ完全に徳川幕藩制に対する権力支配の道具として利用されもした。鎖国政策によるキリスト教弾圧の名の下に〝宗門改め帳”などを通じ権力支配のための一種の戸籍係りのような役目すら、仏教は宗派を問わず、担当させられたという表現すら可能であろう。

 こういう支配秩序のできた社会において、農・工・商の底辺大衆、被支配層の精神を支える信仰として、仏教がどれだけの力をもちえたか、まさに大いなる疑問なのである。既成仏教が形骸化して心の支えにならないから、底辺大衆はそれなりに彼等なりの信仰を欲した。それが幕末においては“世直し”と結びつく“お伊勢参り”という形でも表面化してもいるが、お伊勢信仰は根づよく、この社会の底辺に生きつづけていたし、他方では神仏混淆の様々な民間信仰を混在させて、迷信やおまじないなどに救いを求める魔術的信仰のカクテルの中に底辺民衆は放擲されていたというようにもいえるだろう。
  そういう底辺大衆の信仰事情というものは、明治維新後においても本質的にそう変わっていないといわざるをえない。その点については拙著『近代日本の国家原理』のなかの「近代日本における国家倫理の特質と神権説との関連」という論文でも分析されているところである。ともかく徳川封建制は明治維新によって天皇をいただくところのⅡ図(重ねダンゴ型)に示すような“ダンゴ重ね型社会”に移行した。この社会の支配層、治者の新しい道徳になったものは西洋文明思想と力クテルさせられた仏教思想だったともいえる。まさに佐久間象山の「西洋芸術、東洋道徳」という言葉に象徴される西洋と東洋の使い分け思想であり、それ自体は一種の「信仰」でもあったのだ。東洋の道徳を儒教が代表し、西洋の思想は、なるべく信念や神とは無媒介な“芸術”つまりは一種の技術として捉えられた。そういう東洋と西洋の使い分けの技術信仰によって天皇をいただく文武官僚をはじめとする支配階級の精神が支えられたのに対して中間層以下の国民大衆がいうならば一種の“魔術の園”に放任された状態というものは、徳川時代以上に拡大された形で広がっていったといえる。
 例えば天理教などはすでに幕末に発生しているが、金光教を初めとするところの民間宗派神道をはじめとして、天理教、大本教、人の道、立正佼成会、妙智会、霊友会等々の種々雑多な新興宗教というものが“おじや”のように雑居する底辺信仰事情においては徳川時代と本質的にはかわらず、むしろひどくなっているということもできるのである。

 そういう意味において、天皇制支配を支える宗教が神道国教主義だというけれども、これは構造的には必ずしもあたっていない。明治維新の名分にもなった神道国家主義は、その当初から廃仏棄釈運動を通じて、かえって空転してしまったからである。そして一方では仏教がほば完全に天皇制権力に前時代以上に完全隷従すると同時に、神道自体も民衆のこころからは浮きあがってしまつたのである。そして結局は天皇家の先祖崇拝のお祭というような形におさまり、多分に祭祀的、儀礼的なものにとどまったということがいえるのである。
 日本はそのような意味においても内容的には神道国教主義ということは必ずしもいえないので、神道国教の役割は天皇中心主義の祭儀をおこなうことにあったといってもよい。ともかく廃仏希釈運動の空転の結果、神道は拡散し仏教はよりつよく権力に助命を求めたために、権力への抵抗力を決定的に失ってしまう。この社会で立身出世する人々は天皇制道徳とでもいえる新しい国家倫理を身につけ、身分でなく、一定の能力と勲功を背景にしながら治者への道を歩むことができるけれども、そういう道を歩むことのできないところの中間層以下の人々は、依然として徳川時代と同じような“魔法の園”ともいうべき、驚くべき底辺信仰の“カビ”のような世界に沈倫せざるをえなかったという表現もできよう。
 そういう底辺大衆は「体制の倫理」の中にその精神の救いを求めることはできないシカケになっていた。精神だけではなく、経済的悩みや病気をいやすことすら、必ずしも体制からの十分の救助を期待できなかった。そういう民衆ほど、かえって様々な民間宗教にその救いを求めていくのである。そういう救いを求める人が多くなればなるほど、まさに新しい「神仏のラッシュ・アワー」が生まれたわけである。戦後はそれがさらに「大ラッシュ・アワー」として展開するのである。

 そういう新興宗教の果たした役割、民間信仰の杲たした役割というようなものの中で、大本教弾圧事件など最も象徴的なものの一つであった。天皇制権力はそういうものも結局国家全体からみて有害なものと考えれば、不敬罪でこれを起訴するとか、治安維持法にひっかけて弾圧するとか、つまり天皇をいただくところの国家主義的精神体系に対する反逆者呼ばわりをすることによつて、そういう一種の宗教勢力の一般的影響を阻止し、その組織は権力によって粉砕しょうとする事件が、かえって徳川時代以上に数多く発生しているのである。
     ----------(次回に、つづく)---------260

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新・創価学会を斬る-43

2018-12-27 08:28:55 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道
       ----------(以下、本文)----------250
学会は「法華経」利用の最悪見本
 私は法華経について特別に研究したわけではない。これまで法華経自体を宗教学的に勉強する時間も、また信仰的な興味もなかったことは率直に認めなければならない。
 しかし日本の思想をいろいろと追求していくと、どうしてこんなに日蓮宗が奇妙にいろんな問題の接点に現われてくるのかということから、法華経とはいったい何であるかということに、かねて興味をもったものである。

 最近では戸頃重基・金沢大学教授の「変革思想としての法華経」(既掲『中央公論』)という論文を通じていろんなことを教えてもらった。これによると、法華経の歴史は古く、聖徳太子から最澄を経て中世に至るまで、だいたい時の宮中、幕府等において国を護る聖典中の最高の権威あるものとして、支配階級の信仰のより所にされたものである、ということである。
 当時の法華経理解がどの程度であったかということには多くの問題があるようである。ともかく外から伝わってきた仏教経典の中にあって、法華経がいわゆる「鎮護国家」、すなわち、国を護るという政治的な使命をもっており、国難を排除し、国を乱すような外敵を払いのけるための祈祷の教典であったことは間違いのないところのようである。
 そういう意味においては、法華経が「行」を通じて発生し、法華経を拝み学ぶことを通じて国を安んじたいという支配者の願望を反映したものであったことは否定できないところであろう。そこから“護国祈願”なるものが行なわれている。その中で最も有名だったのが、最澄が行なった、建武天皇七百三十七年から八百七年までのもの、その道場となったのが比叡山の延暦寺であったという歴史をもっている。古くは聖徳太子や最澄から、現在にいたるまでえんえんとつづく仏教の歴史の流れのなかにおける法華経の役割の大きさを改めて確認することの必要を感じている。

 そして、そういう歴史の流れの中において、日蓮とはいったい何であったかということに、当然法華経というものを介しても突き当たらざるをえないようである。私は、創価学会のやり方が七百年前の日蓮聖人の言葉をアレコレと引きながら、今日の状況に強引に当てはめていくやり方をば余りにもアナクロニズムであり、時代錯誤であると批判したものである。日蓮がすぐれた法華経の行者であり、また日本人としては珍しく権力の弾圧に抵抗した強烈な個性をもつ偉人であり、日本の仏教史上特異な地位を占めていることを否定するものではない。素晴しい坊さんであったことは問違いない。彼自身が貧しい海女の子として生まれながら、その身分的性のハンディ・キャップをはねのけるためにも既成宗教集団と激しく戦わざるをえず、既成集団と戦うことによって弾圧を受け、しかも当時の元寇という国難を背景として、彼の宗教者としての言動がまさに仏教史上に生き生きとした光彩を放っていることはまた何人もこれをみとめる宗教的歴史的事実なのである。
 その日蓮の中における法華経の占めた役割等々についてここで解説を試みるつもりはない。
 またそれだけの原典や文献に当たって、これをこころみるだけの時間的余裕ももってはいない。

 ただ、日蓮自身が「日蓮今生には貧窮下賤の者と生まれ、旆陀羅が家より出たりし」(佐渡御書)と自称しているように、日蓮が底辺の生まれであるということが当時の中世社会における大きなハンディ・キャップとなり、そのハンディ・キャップが同時に彼の法華経行者として権力への抵抗を生む一つのエトスになっている点に大きな興味と関心をもつものである。まさに日本人に珍しい強烈な反骨の僧なのだ。こういう日蓮の巨人的性格から発して、日蓮宗における様々な分派が流れでた。
 直弟子の数だけ日蓮宗派があるといわれるような分派を生み、日蓮正宗もまたそのひとつであるといえる。だから日蓮は解釈の仕方によつて実にさまざまなエスプリの源泉となる。とくに“護国”“国家鎮護”のナショナリズムの面が非常に強調されたことも事実である。これも所詮は権力者を諫める、いわゆる“諫争”の根拠になっても、それ以上の意味をもつかどうか疑問なのだが、そういうものが年を経て近代にまで生き続け、日本の新興宗教にも様々なイデオロギー的影響を与えていることもまぎれもない事実なのである。

 そのなかでも明治以後、田中智学を経て、髙山樗牛、井上日昭、さらには北一輝にまでつながる「炎の流れ」は無視できまい。やがて“一人一殺”ないしはクーデタを肯定する右翼的テ口リズム等々として爆発する日本ファシズムの思想と行動に、独特の激しいエトスを与えたことは否定できないところといわなければならないだろう。
 「制度の矛盾をすベて人間の自覚の問題におきかえるのが、パースナル・レボリューション(人格革命)を唱えるファシズムの特徴である」と前掲の戸頃論文は言っているが、パースナル・レボリューションとはまさに文字通りピッタリ「人間革命」なのである。制度の矛盾すベてを人間の自覚の問題に置きかえていっている池田大作的発想の中からは、そういうファシズムの精神的特徴が、まこと遺憾なく思想史的な意味でも表明されているということである。
 「内なるファシズムを否定する」などといって、内面的反省についての当りのよいキャッチフレーズにしているようだが、こういう池田大作における「内なるファシズムを否定する」という発想自体の中に、まさにファッショ的エトスというものが潜んでいることを否定することはできないのである。
 
 ここで私は、井上日召や北一輝についてのベるつもりはない。ただそういう法華経が幸徳秋水とか尾崎秀実のような社会主義者ないし共産主義者達にも、独特な変革のエトス、変革の倫理、行動の自信を与える経典になっているという側面をもっている点が無視できないのである。
 一方では超国家主義のエトスとなり、他方では革命のエトスとなりうるようなものを、イテ゛オ口ギー的には一体これをどうみるべきなのか。ここで日本ファシズムにおける一方の指導者橋本欣五郎のことを思いだす。彼がソビエトにおける駐在武官の体験を背景にして、天皇を戴く共産主義的ロシア革命方式をもって日本ファシズムの、彼等なりの変革のイデオロギーにしなければならないといっていることだ。「天皇を戴く共産主義」……これと同じように政治的には全く左右両極に分かれるようなラディ力リズムをそれなりに支える根っ子になれるものが法華経の魅力なのかもしれない。とくに日蓮において行動化された基準に対する恣意的解釈はまさに基準なきにひとしいくらい勝手放題になっているといえるのだ。

 創価学会はそういう日蓮宗の中の一派、日蓮正宗を最大限に政治的に利用し、その立場を拡大しながら、王仏冥合、政教合体の政治的進出の方向を理論づけたり、さらに貧しい民衆層に足場をもつといいながら、底辺のエネルギーをチヤッカリと吸いあげ、最終の心身ともに老衰した段階においては「大師」号を自らに欲した日蓮のごとく、結構権力を志向したということもいえるのではないか。
 ともあれ私は、法華経理解の最も悪しき形態、日蓮利用の最も悪しき形態が創価学会において極まっているという感じをもたざるをえないということなのである。
     ----------(次回に、つづく)---------255

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新・創価学会を斬る-42

2018-12-26 07:49:11 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道
宗教の世界の中での「創価学会問題」-2
       ----------(以下、本文)----------245
 すなちそういう意味において、私は創価学会問題といえるものを宗教利用の最も悪しき形態であるとして、真向うミジンに斬ったのである。その犯罪性は言論弾圧にあらわれ、他宗教を邪教呼ばわりすることにあらわれ、独善的強圧的折伏行為の上にあらわれていいた。しかも無反省であり、民衆の自由をふみにじり、人間の自発性を無視し、しかも政治利用、経済利用の最も悪しき堕落した形態が、創価学会の運営にいかんなくでていることをきびしく指摘したワケである。

 しかし、それはひとり創価学会だけの姿であるのか。こうみた場合、私には創価学会だけのことだとはいえないように思えるのだ。立正佼成会はどうであろう、PL教団はどうであろう、霊友会はどうであろう、妙智会はどうであろう……。全国には実に十五万有余のともかく宗教法人と名のつくものが存在しているといわれる。キリスト教、カトリック、プロテスタント各派を初めとして、神道、民間神道各派、仏教各派等の既成教団、それに新興宗教、まさに「神神のラッシュ・アワー」なのである。それは神々のみともいえないかもしれない。むしろ「神と仏のラッシュ・アワー」というべきかもしれない。つまりそれだけの宗教法人が大衆から提供される零細な金を集めながら、ともかくも生息し得ているということ、その限りにおいては日本は驚くべき『宗教大国』といってもいいかもしれないのである。各宗教法人に入信している信者の数を文部省へ届けでたもので集計してみると、日本の人口をはるかに越える一億七千万が数えられているそうだ。しかしその中で自分の家の宗派がどうとかというのでなく、自分自身の心の信仰をこの宗教に対してもっているとはっきり宣言できる人がどれだけいることであろう。ほとんど形の上だけの既成宗教への儀礼的服従であり、内面とは全く無媒介である。

 神々が神々だけでラッシュ・アワーをつづけるだけで、人と神との精神の交流はない。人と仏との心の交流もないのだ。つまりは、宗教の本来目指さねばならないカンジンのものがほとんどないということなのである。
 その意味においては、まさに“エコノミック・アニマル”ではないけれども「宗教的アニマル」という表現すら妥当するかもしれない。この驚くベき日本の宗教状況、見方によれば宗教過剰状況における実質的な非宗教的状況、それはまさに宗教の形があって内容がなく、その機能が失われている社会ということにほかならない。
 “大衆の欲望”に対応するような宗教は、結構次ぎから次ぎへと創られるけれども、まさに「大衆消費材」としてインスタントに消えていくということでもあろう。“おじや”のように混在しながら、これといった実効性ある機能ももたないままに“空転”しているという見方もできるであろう。しかもこの国は結構物質的に繁栄しており、しかも大量に宗教を消費しながら日本の民衆の精神はいつまでも貧しいのである。
 この陰湿な、ジメジメとした底辺の土壌には当然のこととして綺麗な花が咲く前に、まず力ビが発生するのである。私が『斬る』を書いたとき、中学時代の恩師がわざわざ次のような手紙をくださって、激励されたのを思いだす。

 「創価学会問題はしょせん日本の底辺に発生するカビである。カビも少量の間は放任しておけばいいし、日が当たれば自然に乾くかもしれないけれど、そのカビがあまりにもはびこってきたときは大変だ。やはりミズムシのように蔓延すれば歩けなくなるし、またそれがへドロのように溜れば水が飲めなくなり、空気も汚染する。いわば精神公害化するということだ。ここまでくれば思い切った治療、切開手術はせざるを得ないと思う。頑張りなさい」

 四十七年四月までの約三年間、私は文化放送で“モーレツ・テレホン”という番組をもった。電話で様々な底辺大衆のうめきにも似た訴えを聞きつづけこれにただちに解答を与える番組で、なかなか人気があったものだ。そこにでてきた声はその時その時でトーンはちがうけれどもほぼ一貫して素朴な底辺大衆の声であった。いうなればドブ川の中のメタン・ガスのようにブッブッブッとイヤな臭いを発しながら、絶えず発酵している感じであった。このドブをきれいに浚えることがいったいどうしたらできるものかどうか。そういう疑問をたえずもったものである。それをしないからといって、けしからんと筒単にいえるであろうか。そうそういうベくして容易なことではないのである。

 この“ドブ川メタン・ガス論”と“カビ論”とは底辺のタトエとしてどこかで似ているといえるかもしれない。そこにあるものは明らかに底辺の貧しさであり、愚かさであり、無知蒙昧であり、ドロ臭さであり、醜さであるといってしまえばそれまでである。しかし、その底辺をどのように底揚げし、ドブ川の水を少しでもきれいにし、カビを少しでも掃らう努力をどういうようにするかということが、結構日本の宗教の課題でなければならないはずなのである。

 創価学会は、残念ながら戦後二十七年の歴史の中においても、すでに既成宗教集団並みの、絵に画いたような堕落をしていることはもはや否定できないところである。権力を誇示し、富の上にアグラをかき、大衆を軽蔑しているのだ。そして創価学会会長・池田大作はあたかもかっての天皇の如く、自分の言ったことがそのままで組織の命令になり、憲法になるんだと公言するにいたる。“朕は国家なり”といったルイ十四世と全く同じセンスである。「自己変革」などできるものではなく、むしろ「革命前夜」といってもよいだろう。宗教者としての謙虚さは殆ど見当らない傲慢そのものの段階にまでつけ上っていたといってよい。その意味においては、創価学会は宗教利用の最も悪しき形態である。
 なるが故に安易に政治を利用することができ、安易に富をむさぼることができる。その富によってこれまた安易に大建造物をつくって、信者の多数を誇示することができる。なるが故にハレンチにマスコミを悪用し、言論自由を妨害する等々の、およそ宗教者にあるまじき行動をとり、しかも反省力がなくて平然としておれる精神的背景になっていたといわなければならないのである。

 そこに私は精神のファシズムの危険性を感じたということである。それは政治におけるファシズムの臭いだけではない。経済においても文化においても、また言論の問題においてもそういう危険性、恐るべきバクテリアにも似たところの徽菌性を感触し、カビを感じ、ヘドロを感じたのである。だからこそ、断乎として斬らざるを得なかったということでもある。
 しかし、斬ってそれで柊わったとはいえない。依然として創価学会はただ低姿勢をとりながら平然と生きていける、まことハレンチきわまる集団なのである
     ----------(次回に、つづく)---------250--

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