○池田大作と暴力団… <=12>…西岡研介他……2012(H/24)/8─宝島社
(表紙ウラ)
オウム真理教事件が起こリ,宗教法人法の改正で国会が揺れた1990年代半ば──
永田町であるテープの存在が囁かれた。
山口組の直参、後藤組の後藤忠政組長(2008年引退)と、
池田大作名誉会長の〝腹心〟として学会の裹仕事を担ってきた藤井富雄・都議会公明党
顧問(当時は都議)の密会テープである
このテープが永田町に流出。藤井顧問は後藤組長に対し、当時、自民党の組織広報本部
長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井静香議員の口封じなどを依頼したという。
果たしてその真相は?本書では〝盗聴実行犯〟と初めて接触し、生々しい証言の獲得に成功。
「パンドラの箱」からは、驚くべき事実が飛び出してきた!
────(以下、引用)──────◇─────(78頁から)──◇─────
信濃町コンフイデンシャル
相続問題で国税当局に怯えて迷走する池田大作の〝跡目争い〟!
検証! 長男「博正」をかつぐ御学友派VS現実路線の谷川クループ
山田直樹……ジャーナリスト
2年以上にわたる池田不在のなか、信溏町では異変が進行している。
国税当局も注視する池田資産の相続問題とは?
インサイダー情報をもとに榷カ闘争の中身を検証してみた。
◆『週刊文春』の誤報だった池田大作の再起不能説
巨大教団・創価学会の主である池田大作(84)が公の場から姿を消したのは、2010年5月のことだ。
それ以降、2年余の長期にわたってトップの〝不在〟が続いている。重病説が取り沙汰されるたびに、
創価学会広報室が「池田先生はお元気です」といったコメントを流してきた。 だが、池田の肉声
や動画がまったく発信されない状況で、それを信じている者が、果たして組織内部にどれだけ存在
するだろうか。
そんななか、昨年10月27日号の『週刊文春』は、「衝撃スクープ池田大作名誉会長担当していた
元看護師が語る『厳戒病室』本当の病状」と題する告白記事を掲載した。記事によれば、池田は脳
梗塞を患い、そこから認知症に移行して「再起不能」となっているという。ところが約2ヵ月後、
『週刊文春』は編集長名で「証言したような看護師は存在せず、証言は事実無根」と『お詫び」の
文章を掲載し、池田再起不能説は、あっけなく覆されてしまつた。
この一件で着目したいのは、学会や池田側が、『週刊文春』の編集部に対してお得意の名誉毀損
訴訟を起こさず、「抗議」に終始した点である。池田が公人だとはいえ、「存在しない看護師」の
「証言」によって名誉をズタズタに切り裂かれた記事だつたのだが──
さらに、『週刊文春』側の〝自爆〟で大きなアドバンテージを得たのに、学会側は機関紙『聖教
新聞』にこの一件を1行たりとも書いていない。これまで、メディア側のへマを見逃すような組織
ではなかったのに、である。
不可解な点はまだある。およそ3ヵ月ほど前の情報だ。「実は、池田家の長男博正さんが矢野絢
也さんに会いたいと、申し出てきたんですよ」
確かな筋からの情報だつたとはいえ、耳を疑う話だつた。
池田大作名誉会長の長男である博正(創価学会の副理事長および副会長職)は、池田の継承者候補
の最右翼だと言われてきた人物である。慶應義塾大学卒業後、関西創価学園の教諭となったが、後
に「教え子」と結婚した。しかし離婚してしまう。池田を世襲する瑕疵として、この離婚問題があ
ると言われている。世襲候補では池田夫人・香峯子の名前も取り沙汰されるが、体調不良情報が消
えることはなく、「そもそも一介の主婦に過ぎない人に指導者は無理」というのが学会内の通説だ。
対して、元公明党委員長である矢野絢也は、08年5月から突如として創価学会の攻撃を受けるよ
うになり、訴訟攻撃(詳細は後述)にもさらされてきた政界OBである。最近、学会側と和解したと
はいえ、先の情報が確かなら、池田家の長男がなぜ矢野に会いたいと言っているのか。学会中枢で
は、いつたい何が起きているのか?
◆池田ジュニアか?副会長の谷川佳樹か?
10年6月3日、池田大作は、創価学会にとっての重要行事「本部幹部会」に欠席し、以後不在が
続いている。この日、原田稔会長は、池田のメッセージを紹介している。
〈皆が、創価学会すべての責任を担つて戦う時が来ているのである。学会の将来にとつて、今が一
番大事な時である。ゆえに、私を頼るのではなく、君たちが全責任をもって、やる時代である。
私は、これからも君たちを見守つているから、安心して、総力を挙げて広宣流布(筆者注:組織拡
大のこと)を推進しなさい。
指揮権放棄、あるいは全権委讓とも受けとれる内容だった。「君たちが全責任をもって」と言い、
後継者の指名はなかった。池田が「病気」や「一時的な体調不良」に陥っているという説明もない。
裏を返せば、現在も『池田は元気」なのだ。事実はどうであれ、創価学会にとつてはそうなので
ある。
もっと言えば、このメッセージによつて池田は「引退』(名誉会長や創価学会インタナショナル会
長等の肩書は放棄していないが)し、現在は原田稔会長=正木正明理事長が、組織をガバナンス(管
理・統治)していることになる。
こうしたなか、池田時代では考えられなかったことが、この1年間に起きている。
原田は学会の王道を歩んできた。東京都出身で。12歳の時に入信。東大時代から池田大作に直接
指導を受けたと言われ、卒業後は創価学会本部職員となり、池田の秘書業務を担う「第一庶務」に
配属された。
その後、幹部の登竜門である青年部長を経験。第一庶務室長を経て、学会の人事、カネの実務を
握る本部事務局事務総長に就任、01年から副理事長を務めた。
脇を固める正木理事長は、教団内で伸長著しい創価大学グループのリーダーで、同大学の同窓会
組織「創友会』の委員長を務めた。そして池田の次男・城久(29歳で急死)を支える学友グループの
一員として頭角を現した。創価学会内で、「池田先生が亡くなった後のことを、我々は考えなくて
はならない」という〝タブー〟を公言したこともある。
これまで男子部長、青年部長、壮年部長、総東京長などを歴任。ここ数年は原田会長を飛びこえ
ていつきに会長就任か、とも囁かれた人物だ。
昨年10月で原田=正木体制は、任期5年の2期目に入った。これで池田家の長男、博正の世襲が
遠のいたようにも見える。
ところが会長人事を巡って、急浮上している話がある。
「次期会長は谷川佳樹副会長」「交代は今秋」といった、もはや〝確定人事〟であるかのような話だ。正木、谷川と博正はほぼ同世代。少し前は、正木次期会長説も流れていたのだが……。
ある学会員がこんな話をしてくれた。「谷川は学会中枢の創価大学閥とは異なり東大閥。原田の
後輩ですね。ただ、正木理事長のような池田ファミリーとの密接な関係はない。創価大学閥が、
なんと言っても組織の主流で、先生自身重宝してきた。しかし先生は、出身閥だけでなく選挙の手
腕も評価対象にしている。谷川さんはその点で、遜色のない経歴です。谷川さんが正木さんの任期
満了前に会長に就任するには、先生自身の指示がなければ無理です。
逆に、先生が明確な意思表示をすることが困難なら、『後は託した』と言われた組織が决定しな
ければなりません。
しかし、原田=正木体制が2期目に入ったばかりなのに、早くも会長の交代説が流布すること自
体、異様である。
池田の意思は学会組織内に行き渡つているのだろうか。いないとすれば、実権を握る争いが発生
する芽は充分にある。実は次期会長人事、さらに言えば学会の今後と長男博正の処遇すべてに絡ん
でくるのが「矢野問題」である。
◆「矢野問題」がなぜ鍵を握るか?
矢野は公明党書記長、委員長を務めた後、政治評論家として活躍してきた。
19 93年に『文藝春秋』誌上で、公明党当事者の視点から政界劇をえぐつた手記「二重権力闇の流
れ」を連載したこともあるが、筆者は矢野を「公明党は批判しても、学会批判は行なわ
ない」と理解していた。池田に弓引く者=造反者ではなく、創価学会も矢野の身の処し方を許した
うえで、批判を加えてこなかったようにも見える。
実際、矢野の手記には、受けとり方によつては、公明党批判と捉えられる部分や、〝やんわりと
した学会の実態描写〟がある。学会・公明党側がその一部を問題視したが、彼らの「申し入れ」を
受け人れたうえで、一部が書き直されて単行本化されたという経緯もある。
そんな矢野の身辺に異変が起きたのは、05年4月末のことだった。事の経緯を見ていこう。
まず学会側から突然、矢野に面談の申し人れがなされる。創価学会・戸田国際会館で面談に応じ
た矢野の前に学会側が持ち出したのは、先の『文藝春秋』のコピーだった。いくつもの赤い付箋が
ついていて、学会側は「青年部がこの記事で怒っている。謝罪文を書いてくれ」と矢野に迫つもと
いう。12年も前の、矢野にとっては解决済みと認識していた一件が、唐突に持ち出されたのだ。
謝罪文の文面があらかじめ用意されていたので、矢野は本意ではなかったが、「丸く収まるなら」
と承知した。さらに学会側は、「10 0万円寄付してくれ」とも申し入れている。
「罪滅ぼしは財務寄付(筆者注:献金)しかない。そうすれば、青年部の怒りも収まる」
矢野の著書ではこう説明されているが、これはきつかけでしかなかった。先述したように、手記
発表以後、学会の実態を暴露したり、批判するようなことはやつていない。事態は収束すると思つ
ていた矢野だが、今度は創価学会青年部が面談を申し入れてきた。つるし上げに近いものだったが、
結局矢野は「文藝春秋の記事については謝る。今後マスコミに文書は書かない。創価学会に対して
恩返しする」という内容の誓約書に、やむなくサインした。政治評論家としての活動の道が、これ
で断たれてしまった。
それでも、創価学会からのバッシングは止まなかった。再び公明党OBが矢野の自宅を訪れ、
今度は手記のベースになっていた「手帖」を預かると言い出したのである。このなかには、政界だ
けでなく矢野家のプライべートなこと(銀行口座や個人連絡先等々)も記入されていた。それでも矢
野は「手帖を預ける念書」に署名し、「手帖」を彼らに渡した。実際は〝持ち去り〟に近いものだ
ったと言い、以降矢野と創価学会は裁判で争うことになつていく。
◆矢野VS学会、突然の和解の真相
矢野の身辺の異変を最初に伝えたのは、『週刊現代』(08年8月6曰号)だつた。「手帖」持ち去り
の当事者は、かつての矢野の同僚の元公明党議員3人。
彼らはこの記事と、次号にも掲載された矢野自身のコメント入りの記事について、矢野と講談社
を「名誉毀損」で訴えてきた。『週刊現代』05年8月13日号では矢野が、「手帖を私が自ら進んで
渡したということではありません。〔OB議員もちは)4回にわたって矢野宅に来訪し、その都度、
執拗な要求があり、『プラインバシ—の侵害になる』と言う強い抗議をしたにもかかわらず、手帖
を無理矢理に持ち去ったのです」と述べている。
矢野側は、「手帖」の返還などを求めて反訴し、最高裁まで争われたが、矢野側勝訴で結審
〈09年9月)する。これでようやく、矢野の「手帖」が手元に戻ってきた。ちなみに矢野は、この訴
訟と前後する08年5月、谷川副会長を含む創価学会幹部7人に対して「脅迫によって謝罪させられ、
評論家としての生活を奪われた」などの理由で、損害賠償請求の民事訴訟を起こしている。この時、矢野は創価学会を脱退し、ついに"造反者"となった。この訴訟のことは『週刊新潮』が報じたのだが、記事に書かれた訴状の内容「谷川が矢野を脅迫した」(要旨)という部分を槍玉に挙げ、今度は
谷川が単独で、矢野を名誉毀損で訴えてきた。
矢野が原告となった裁判では、一審で学会側が勝訴、二審の終結間近になつて急転直下、両者は
和解することになったのだ。学会側は一審で勝ったものの、谷川の「脅迫」については裁判所が事
実認定していた。一方、谷川が原告となった裁判は、一審が継続中だつた。ふたつの裁判が、突如
として「和解」で終結したのである。
よく考えると不思議な話である。そもそも元公明党議員の3人はなぜ、矢野に目をつけたのか。
当時はまだ、矢野は〝造反〟していたわけではない。
創価学会は矢野の「手帖」がどうしても必要だつたとしか思えない。
また学会側が、「手帖」を手に入れた時点で矢野へのバッシングを止めていたら、果たして矢野は
〝造反〟していただろうか。その後もパッシングが執拗に続いたため、「窮鼠猫を嚙む」 矢野が、
訴訟に踏み切つたのだ。学会側は読みを間違え、結局は公明党OB側の敗訴によって「手帖」が矢
野の手に戻ってしまった。
創価学会・公明党の大誤算である。
この裁判に注目してきた創価学会に批判的なグループが、背景をこう見立てる。
「和解のキーマンは谷川です。控訴審で次期会長候補が再び脅迫行為を(裁判で)事実認定されると
なるのはまずい。矢野から今後、学会攻撃を控えるという担保を取れるなら、矛を納めようという
判断ではないでしょうか」
だが、話はそれほど単純ではないだろう。学会側からは、矢野に対してさまざまな人脈を通して
水面下の〝事前和解交渉〟があったという。一方で、進行中だつた矢野原告の控訴審では、矢野の
方が窮地に立たされていたという証言もある。
たとえば裁判長の問題である。この裁判を担当した加藤新太郎裁判長は、かって「池田大作にレ
イプされた」いう女性(原告)が創価学会を訴えた訴訟で、「訴権の濫用」を理由に原告を門前払い
したことがある。矢野原告の控訴審でも、被告側(学会側)に与したとしか思えない裁判長の発言が
数多く飛び出している。谷川らに脅迫行為(威迫)があったという矢野側の主張にも、疑問を呈して
いるようだった。
つまり一審より厳しい判決が、矢野側に下される可能性もあつた。
こうした状況を前提に考えると、創価学会はみすみす有利な判決が期待できるのに、〝寸止め〟
で和解に応じたことになる。将来会長として嘱望される谷川に傷をつけたくなかったと説明する関
係者もいるが、果たしてそれだけなのか。
過去、池田が一審で敗訴したり、第五代目会長の秋谷栄之助も現役時代に敗訴した経験がある。
もつと別の事情があつたのではないだろうか。
───────(~84頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく)
◆日蓮(宗)は《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=
◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
その親分は、史上類なき・(おぞましき)池田大作=(カリスマ王)池田大作
◆これまでも……これからも……池田創価の公明党
大衆の 抵抗勢力続けて……50年
◆橋下市長 公明党の裏切りに激怒。一生かけて公明党潰す宣言!7月3日
(表紙ウラ)
オウム真理教事件が起こリ,宗教法人法の改正で国会が揺れた1990年代半ば──
永田町であるテープの存在が囁かれた。
山口組の直参、後藤組の後藤忠政組長(2008年引退)と、
池田大作名誉会長の〝腹心〟として学会の裹仕事を担ってきた藤井富雄・都議会公明党
顧問(当時は都議)の密会テープである
このテープが永田町に流出。藤井顧問は後藤組長に対し、当時、自民党の組織広報本部
長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井静香議員の口封じなどを依頼したという。
果たしてその真相は?本書では〝盗聴実行犯〟と初めて接触し、生々しい証言の獲得に成功。
「パンドラの箱」からは、驚くべき事実が飛び出してきた!
────(以下、引用)──────◇─────(78頁から)──◇─────
信濃町コンフイデンシャル
相続問題で国税当局に怯えて迷走する池田大作の〝跡目争い〟!
検証! 長男「博正」をかつぐ御学友派VS現実路線の谷川クループ
山田直樹……ジャーナリスト
2年以上にわたる池田不在のなか、信溏町では異変が進行している。
国税当局も注視する池田資産の相続問題とは?
インサイダー情報をもとに榷カ闘争の中身を検証してみた。
◆『週刊文春』の誤報だった池田大作の再起不能説
巨大教団・創価学会の主である池田大作(84)が公の場から姿を消したのは、2010年5月のことだ。
それ以降、2年余の長期にわたってトップの〝不在〟が続いている。重病説が取り沙汰されるたびに、
創価学会広報室が「池田先生はお元気です」といったコメントを流してきた。 だが、池田の肉声
や動画がまったく発信されない状況で、それを信じている者が、果たして組織内部にどれだけ存在
するだろうか。
そんななか、昨年10月27日号の『週刊文春』は、「衝撃スクープ池田大作名誉会長担当していた
元看護師が語る『厳戒病室』本当の病状」と題する告白記事を掲載した。記事によれば、池田は脳
梗塞を患い、そこから認知症に移行して「再起不能」となっているという。ところが約2ヵ月後、
『週刊文春』は編集長名で「証言したような看護師は存在せず、証言は事実無根」と『お詫び」の
文章を掲載し、池田再起不能説は、あっけなく覆されてしまつた。
この一件で着目したいのは、学会や池田側が、『週刊文春』の編集部に対してお得意の名誉毀損
訴訟を起こさず、「抗議」に終始した点である。池田が公人だとはいえ、「存在しない看護師」の
「証言」によって名誉をズタズタに切り裂かれた記事だつたのだが──
さらに、『週刊文春』側の〝自爆〟で大きなアドバンテージを得たのに、学会側は機関紙『聖教
新聞』にこの一件を1行たりとも書いていない。これまで、メディア側のへマを見逃すような組織
ではなかったのに、である。
不可解な点はまだある。およそ3ヵ月ほど前の情報だ。「実は、池田家の長男博正さんが矢野絢
也さんに会いたいと、申し出てきたんですよ」
確かな筋からの情報だつたとはいえ、耳を疑う話だつた。
池田大作名誉会長の長男である博正(創価学会の副理事長および副会長職)は、池田の継承者候補
の最右翼だと言われてきた人物である。慶應義塾大学卒業後、関西創価学園の教諭となったが、後
に「教え子」と結婚した。しかし離婚してしまう。池田を世襲する瑕疵として、この離婚問題があ
ると言われている。世襲候補では池田夫人・香峯子の名前も取り沙汰されるが、体調不良情報が消
えることはなく、「そもそも一介の主婦に過ぎない人に指導者は無理」というのが学会内の通説だ。
対して、元公明党委員長である矢野絢也は、08年5月から突如として創価学会の攻撃を受けるよ
うになり、訴訟攻撃(詳細は後述)にもさらされてきた政界OBである。最近、学会側と和解したと
はいえ、先の情報が確かなら、池田家の長男がなぜ矢野に会いたいと言っているのか。学会中枢で
は、いつたい何が起きているのか?
◆池田ジュニアか?副会長の谷川佳樹か?
10年6月3日、池田大作は、創価学会にとっての重要行事「本部幹部会」に欠席し、以後不在が
続いている。この日、原田稔会長は、池田のメッセージを紹介している。
〈皆が、創価学会すべての責任を担つて戦う時が来ているのである。学会の将来にとつて、今が一
番大事な時である。ゆえに、私を頼るのではなく、君たちが全責任をもって、やる時代である。
私は、これからも君たちを見守つているから、安心して、総力を挙げて広宣流布(筆者注:組織拡
大のこと)を推進しなさい。
指揮権放棄、あるいは全権委讓とも受けとれる内容だった。「君たちが全責任をもって」と言い、
後継者の指名はなかった。池田が「病気」や「一時的な体調不良」に陥っているという説明もない。
裏を返せば、現在も『池田は元気」なのだ。事実はどうであれ、創価学会にとつてはそうなので
ある。
もっと言えば、このメッセージによつて池田は「引退』(名誉会長や創価学会インタナショナル会
長等の肩書は放棄していないが)し、現在は原田稔会長=正木正明理事長が、組織をガバナンス(管
理・統治)していることになる。
こうしたなか、池田時代では考えられなかったことが、この1年間に起きている。
原田は学会の王道を歩んできた。東京都出身で。12歳の時に入信。東大時代から池田大作に直接
指導を受けたと言われ、卒業後は創価学会本部職員となり、池田の秘書業務を担う「第一庶務」に
配属された。
その後、幹部の登竜門である青年部長を経験。第一庶務室長を経て、学会の人事、カネの実務を
握る本部事務局事務総長に就任、01年から副理事長を務めた。
脇を固める正木理事長は、教団内で伸長著しい創価大学グループのリーダーで、同大学の同窓会
組織「創友会』の委員長を務めた。そして池田の次男・城久(29歳で急死)を支える学友グループの
一員として頭角を現した。創価学会内で、「池田先生が亡くなった後のことを、我々は考えなくて
はならない」という〝タブー〟を公言したこともある。
これまで男子部長、青年部長、壮年部長、総東京長などを歴任。ここ数年は原田会長を飛びこえ
ていつきに会長就任か、とも囁かれた人物だ。
昨年10月で原田=正木体制は、任期5年の2期目に入った。これで池田家の長男、博正の世襲が
遠のいたようにも見える。
ところが会長人事を巡って、急浮上している話がある。
「次期会長は谷川佳樹副会長」「交代は今秋」といった、もはや〝確定人事〟であるかのような話だ。正木、谷川と博正はほぼ同世代。少し前は、正木次期会長説も流れていたのだが……。
ある学会員がこんな話をしてくれた。「谷川は学会中枢の創価大学閥とは異なり東大閥。原田の
後輩ですね。ただ、正木理事長のような池田ファミリーとの密接な関係はない。創価大学閥が、
なんと言っても組織の主流で、先生自身重宝してきた。しかし先生は、出身閥だけでなく選挙の手
腕も評価対象にしている。谷川さんはその点で、遜色のない経歴です。谷川さんが正木さんの任期
満了前に会長に就任するには、先生自身の指示がなければ無理です。
逆に、先生が明確な意思表示をすることが困難なら、『後は託した』と言われた組織が决定しな
ければなりません。
しかし、原田=正木体制が2期目に入ったばかりなのに、早くも会長の交代説が流布すること自
体、異様である。
池田の意思は学会組織内に行き渡つているのだろうか。いないとすれば、実権を握る争いが発生
する芽は充分にある。実は次期会長人事、さらに言えば学会の今後と長男博正の処遇すべてに絡ん
でくるのが「矢野問題」である。
◆「矢野問題」がなぜ鍵を握るか?
矢野は公明党書記長、委員長を務めた後、政治評論家として活躍してきた。
19 93年に『文藝春秋』誌上で、公明党当事者の視点から政界劇をえぐつた手記「二重権力闇の流
れ」を連載したこともあるが、筆者は矢野を「公明党は批判しても、学会批判は行なわ
ない」と理解していた。池田に弓引く者=造反者ではなく、創価学会も矢野の身の処し方を許した
うえで、批判を加えてこなかったようにも見える。
実際、矢野の手記には、受けとり方によつては、公明党批判と捉えられる部分や、〝やんわりと
した学会の実態描写〟がある。学会・公明党側がその一部を問題視したが、彼らの「申し入れ」を
受け人れたうえで、一部が書き直されて単行本化されたという経緯もある。
そんな矢野の身辺に異変が起きたのは、05年4月末のことだった。事の経緯を見ていこう。
まず学会側から突然、矢野に面談の申し人れがなされる。創価学会・戸田国際会館で面談に応じ
た矢野の前に学会側が持ち出したのは、先の『文藝春秋』のコピーだった。いくつもの赤い付箋が
ついていて、学会側は「青年部がこの記事で怒っている。謝罪文を書いてくれ」と矢野に迫つもと
いう。12年も前の、矢野にとっては解决済みと認識していた一件が、唐突に持ち出されたのだ。
謝罪文の文面があらかじめ用意されていたので、矢野は本意ではなかったが、「丸く収まるなら」
と承知した。さらに学会側は、「10 0万円寄付してくれ」とも申し入れている。
「罪滅ぼしは財務寄付(筆者注:献金)しかない。そうすれば、青年部の怒りも収まる」
矢野の著書ではこう説明されているが、これはきつかけでしかなかった。先述したように、手記
発表以後、学会の実態を暴露したり、批判するようなことはやつていない。事態は収束すると思つ
ていた矢野だが、今度は創価学会青年部が面談を申し入れてきた。つるし上げに近いものだったが、
結局矢野は「文藝春秋の記事については謝る。今後マスコミに文書は書かない。創価学会に対して
恩返しする」という内容の誓約書に、やむなくサインした。政治評論家としての活動の道が、これ
で断たれてしまった。
それでも、創価学会からのバッシングは止まなかった。再び公明党OBが矢野の自宅を訪れ、
今度は手記のベースになっていた「手帖」を預かると言い出したのである。このなかには、政界だ
けでなく矢野家のプライべートなこと(銀行口座や個人連絡先等々)も記入されていた。それでも矢
野は「手帖を預ける念書」に署名し、「手帖」を彼らに渡した。実際は〝持ち去り〟に近いものだ
ったと言い、以降矢野と創価学会は裁判で争うことになつていく。
◆矢野VS学会、突然の和解の真相
矢野の身辺の異変を最初に伝えたのは、『週刊現代』(08年8月6曰号)だつた。「手帖」持ち去り
の当事者は、かつての矢野の同僚の元公明党議員3人。
彼らはこの記事と、次号にも掲載された矢野自身のコメント入りの記事について、矢野と講談社
を「名誉毀損」で訴えてきた。『週刊現代』05年8月13日号では矢野が、「手帖を私が自ら進んで
渡したということではありません。〔OB議員もちは)4回にわたって矢野宅に来訪し、その都度、
執拗な要求があり、『プラインバシ—の侵害になる』と言う強い抗議をしたにもかかわらず、手帖
を無理矢理に持ち去ったのです」と述べている。
矢野側は、「手帖」の返還などを求めて反訴し、最高裁まで争われたが、矢野側勝訴で結審
〈09年9月)する。これでようやく、矢野の「手帖」が手元に戻ってきた。ちなみに矢野は、この訴
訟と前後する08年5月、谷川副会長を含む創価学会幹部7人に対して「脅迫によって謝罪させられ、
評論家としての生活を奪われた」などの理由で、損害賠償請求の民事訴訟を起こしている。この時、矢野は創価学会を脱退し、ついに"造反者"となった。この訴訟のことは『週刊新潮』が報じたのだが、記事に書かれた訴状の内容「谷川が矢野を脅迫した」(要旨)という部分を槍玉に挙げ、今度は
谷川が単独で、矢野を名誉毀損で訴えてきた。
矢野が原告となった裁判では、一審で学会側が勝訴、二審の終結間近になつて急転直下、両者は
和解することになったのだ。学会側は一審で勝ったものの、谷川の「脅迫」については裁判所が事
実認定していた。一方、谷川が原告となった裁判は、一審が継続中だつた。ふたつの裁判が、突如
として「和解」で終結したのである。
よく考えると不思議な話である。そもそも元公明党議員の3人はなぜ、矢野に目をつけたのか。
当時はまだ、矢野は〝造反〟していたわけではない。
創価学会は矢野の「手帖」がどうしても必要だつたとしか思えない。
また学会側が、「手帖」を手に入れた時点で矢野へのバッシングを止めていたら、果たして矢野は
〝造反〟していただろうか。その後もパッシングが執拗に続いたため、「窮鼠猫を嚙む」 矢野が、
訴訟に踏み切つたのだ。学会側は読みを間違え、結局は公明党OB側の敗訴によって「手帖」が矢
野の手に戻ってしまった。
創価学会・公明党の大誤算である。
この裁判に注目してきた創価学会に批判的なグループが、背景をこう見立てる。
「和解のキーマンは谷川です。控訴審で次期会長候補が再び脅迫行為を(裁判で)事実認定されると
なるのはまずい。矢野から今後、学会攻撃を控えるという担保を取れるなら、矛を納めようという
判断ではないでしょうか」
だが、話はそれほど単純ではないだろう。学会側からは、矢野に対してさまざまな人脈を通して
水面下の〝事前和解交渉〟があったという。一方で、進行中だつた矢野原告の控訴審では、矢野の
方が窮地に立たされていたという証言もある。
たとえば裁判長の問題である。この裁判を担当した加藤新太郎裁判長は、かって「池田大作にレ
イプされた」いう女性(原告)が創価学会を訴えた訴訟で、「訴権の濫用」を理由に原告を門前払い
したことがある。矢野原告の控訴審でも、被告側(学会側)に与したとしか思えない裁判長の発言が
数多く飛び出している。谷川らに脅迫行為(威迫)があったという矢野側の主張にも、疑問を呈して
いるようだった。
つまり一審より厳しい判決が、矢野側に下される可能性もあつた。
こうした状況を前提に考えると、創価学会はみすみす有利な判決が期待できるのに、〝寸止め〟
で和解に応じたことになる。将来会長として嘱望される谷川に傷をつけたくなかったと説明する関
係者もいるが、果たしてそれだけなのか。
過去、池田が一審で敗訴したり、第五代目会長の秋谷栄之助も現役時代に敗訴した経験がある。
もつと別の事情があつたのではないだろうか。
───────(~84頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく)
◆日蓮(宗)は《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=
◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
その親分は、史上類なき・(おぞましき)池田大作=(カリスマ王)池田大作
◆これまでも……これからも……池田創価の公明党
大衆の 抵抗勢力続けて……50年
◆橋下市長 公明党の裏切りに激怒。一生かけて公明党潰す宣言!7月3日