『自民党と創価学会』 佐高 信 (集英社新書 2016/5)
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◆ 不買運動という「脅し」
「批判者の系譜」として藤原の次に紹介したいのが内藤国夫だが、内藤が亡くなって間もなく、私は一九九九年八月四日付の「社会新報」のコラムに、こう書いた。題して「乗っ取られるのは“日本”」。
〈七月二五日のTBS系『サンデー・モーニング』で、「公明党は全日空機ハイジャック犯と同じ」とコメントした。とにかく操縦桿が握りたいと、自民党と連立を組む。前の選挙では反自民と言っていたのに、クルッと引っくり返って平気なのである。盲点を衝いてチェックを受けずに包丁を持ち込んだ犯人と、それも似ている。これまで私は公明党をコウモり党と呼んでいたが、これからは“ハイジャック犯党”という呼び方も加えよう。
公明党あるいは創価学会ウォッチヤーとして知られる内藤国夫が亡くなった。学会員に呪い殺されたわけでもあるまいが、いまからちょうど三〇年前に書かれた内藤の『公明党の素顔』を読み返すと、この組織は、その体質において、まるっきり変わっていないことがよくわかる。それは恐ろしいほどである。つまりは、池田大作の私兵集団なのだ。
一九六七年二月某日の都議会公明党控室に、どこからか、「背もたれつきのふかぶかとした大きな椅子」が持ち込まれる。もちろん、会長(当時)の池田大作の“御座所”で、池田愛用のザブトンも学会本部から運び込まれた。公明党議員を励ますため、池田が来るのを喜んで、彼らは大掃除までして迎えるのである。
「公明党のことをいくら批判されてもわれわれはかまわない。ただ、池田会長が公明党の黒幕だというような批判だけは許すことができない」
こう力む議員もいたというが、彼らは“黒幕”ではなく“白幕”だとでも言いたいのか。
「そもそも、公明党には『立候補システム』がない」と内藤は指摘する。三〇年経っても、それは変わらない。上御一人の任命制だからである。
また、公明党は批判されることが特に嫌いな政党で、議員も部外者の批判にヒステリックに反発する。「批判恐怖症とでもいうのか。自分たちほどその真意が理解されずつねに誤解され続けているグループはないと信じこんでいる」とも内藤は断じている。
結局、三〇年余り前に東京都で起きたことが、これから日本において起ころうとしているのだろう。
美濃部(亮吉)都政で水道料金の値上げが問題になった時、最初、絶対反対と言っていた公明党がコ口ッと変わつて贊成にまわった。
「ぐらぐらしていて見識がないじやないか」と批判すると、彼らは、「われわれが反対したからこそ値上げが一年も延び、しかも値上げ幅が小さくなったのだ」
と言つて胸を張り、
「それだったら、もっと反対し続ければ」
と突っ込むと、
「水道会計が赤字を出している以上、値上げは認めなければならない。われわれは社会党(当時)のように何が何でも値上げ反対という無責任な態度はとれない」と答えたとか。
盗聴法の反対から賛成に転じたリクツとまったく同じ。結局、外に開かれていない宗教政党だから、こうなるのだろう。
七月一二日昼、私は市民運動の人たちと共に公明党にデモをかけた。信濃町周辺を歩きながら、“カムバック・公明党”と呼びかけたのだが、彼らにその声は届いていない。ハイジャック犯党の公明党にハイジャックされるのは自民党だけでなく、日本である〉
内藤は『公明党の素顔』でこんな体験を披露している。内藤が公明党をちょっと批判する記事を書いたら、ある都議会議員から、こう注意された。
「おたくの新聞の読者のなかには学会員も大ぜいいることだ。こういう読者をあまり怒らせないほうがいい、われわれが不買運動を始めたらどういうことになるか。われわれがやろうと思えば一人や二人の記者はどうにでも動かせるのだ」
これに対して内藤は、
「新聞社とはそんないいかげんなものじゃない。新聞にとって読者はたいせつだが、事実をありのままに書くのはそれにもまして大事なこと。記事が読者のお気に召すかどうか、というようなことを私たちは記事を書くとき、いちいち考えない。記事に対する批判はご自由だし、歓迎もするが、それは事実かどうかという立場からしてほしいな」
と反論した。
内藤が東京都庁の記者クラブにいたころ、自民党は、公明党からの「時には不合理な要求と思われるほどのもの」でも、それを呑んだという。
「こんなことがあっていいのですか」と幹部が知事や副知事に声をあげる場面さえあったとか。
---------(184P)-------つづく--