創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

内藤国夫の池田公明党-32

2016-05-31 08:51:33 | Weblog

今、改めて問う創価学会・公明党 (内藤国夫 1995/4 五月書房)
       ------(22Pから、以下本文)-------

◆馬の耳に念仏
 嘘も方便。創価学会・公明党と嘘言癖は切っても切れない仲。「創価学会が進出するのは、地方議会と参議院どまり。衆議院には進出しません」。会長就任直後の池田氏は、世間向けにこう公言する一方で、組織内部では「これは世間を油断させるためだ。我々が権力を握り、天下を取るには、衆議院進出は当然のこと。だが、力がないうちに言うと潰される。衆議院進出の準備をこっそりと、しっかり進めよう」と“^天下取り”の夢を得意げに語っていたのである。公明党結党以前、公明政治連盟時代のこと。
 だから、公明党は結党のそもそもの始まりから、嘘をつき、世間を欺き、“ダマシ撃ち”のようにして、衆議院初進出を果たしたのだ。
「衆議院には進出しない」との前言をひるがえすのに、也田氏はいささかのためらいも感じなかつた。「皆さん、民衆の総意により衆議院に進出しょうではありませんか」。会長就任四年後の昭和三十九年五月三日、創価学会本部総会で、池田氏はこう呼びかけるとともに、その場で公明党結党を宣言したのである。
「綸言汗の如し」。一度口から出した言葉の重みを池田氏に説きたいところだが、それこそ,「馬の耳に念仏」というものだろう。説くだけムダである。
 嘘言癖が「不治の病」である以上、騙され続けた世間の方が、いい加滅に目を覚ますしか防禦策はない。残念なことではあるけれど、常識が通用する普通の組織とは考えない用心深さが大切となる。
 十一月五日の公明党大会当日、『朝日新聞』は「学会・公明党の本心を問う」と題する社説を掲げた。前日の毎日社説ほどひどい内容ではないけれど、創価学会・公明党の本質と体質がまるでわかっていない点では五十歩百歩の突っ込み不足。「本心を問う」と問いかけて、本心が正直に語られると、本心から信じているのだろうかと、逆に問いかけたいところである。
 公明党の「分党・二段階」方式を、朝日社説は「奇策」「何ともわかりにくい構図」と批判したうえで、こう論ずる。
「公明党は有権者の反応をどう考えているのか不思議に思う。不透明な印象が増すのは、同党と支待母体の創価学会の本心がどこにあるのかつかめないからである」
「新生党などの関係者の中から“学会と公明党は新・新党から逃げ腰だ”という声が出るのも無理はない」
「学会は政党との支持協力関係だけでなく、学会員個人の政党支持の自由も保障するのかどうか、この際明確にしたらどうか」
「今後“一・一ライン”の路線はどうなるのか、そこも知りたいところだ」
「“政治の監視役”という初心に帰るつもりはないのかどうか、聞きたいものだ」
 一読して、いかにも真っ当な問いかけのように思われる。しかし、池田大作氏にとっては痛くも痒くもない質問ばかり。
「そうか、そうか」と言って、「心にもない本心」を語ってくれるだろう。池田氏は「天下取り」の目的達成の日まで、その場しのぎに、いくらでも嘘を積み重ねていくだけ。もしかして、嘘をついているとの自覚さえないかも知れない。こういう特異な人に対する場合、「本心」は「問う」のではなく、「見抜く」しか知りようがない。

◆執念だけは不変
 細川、羽田両内閣の成立によって、いったんは手中にした政権政党の旨みを、どう取り戻すか。
 池田大作氏の本心と狙いは、この一点に絞られる。
「一・一」に乗っかって政権に復帰できるなら、それも良し。「一・一」が挫折するなら、あっさりと使い捨て、自民党との復縁を目指して策略を凝らすまで。二股をかける煙幕作戦のためには「奇策」「わかりにくさ」「不透明」との非難が生じるのは、もとより承知のこと。政権復帰への早道を考えて「分党・二段階」方式を採りながら、必勝決意の賭に打って出た。
 あとは自民党の内輪もめか、自社のヒビ割れを待つのみ。
 半永久政権政党状況が続く間の自民党にとって、将来、不幸・不運にも衆院議席の過半数割れの事態に直面する時があるとしたら、“突支い棒”となって政権の座を維待してくれる助っ人が公明党であると長年にわたり信じられてきた。
 しかし、実際に過半数割れしたとたん、公明党は自民党を蹴落として「天下取り」の夢実現に突っ走った。こうなると憎さ百倍。政権政党時代に創価学会・公明党を甘やかせたのが悔まれてならない。反省三味。一転して、自民党は組織をあげての創価学会・公明党批判派に脱皮した。
 おまけに「一・一」の大チョンボで、社会党が自民党の“突支い棒”の役割を演じてくれることになり、思いがけずも早期の政権復帰が実現した。宿敵と双方が思い込んでいたのに、お互いが助っ人役を演じ合う、意外なレース展開である。
 今後も過半数割れが続く間の自民党にとって、政権政党を維持するのに役立つ“突支い棒”は社会党と公明党のいずれが好都合であるか。それぞれに一長一短がある。
 参院選の愛知再選挙ではっきりしたように、創価学全のとてつもない集票力を考えると、公明党は味方にとっては頼もしい存在だし、敵に回すと厄介である。社会党の集票力は無惨なほどに頼りなかった。
 長年の間、“反自民”をエネルギー源としてきた社会党の活動家やシンパにとっては、“半自民”の現状ポストでは力が入らず、勇み立ちようがない。議員レベルだけでなく、支持者層を含めての宿敵意識からの脱却、違和感,居心地の悪さを克服できるかどうか。
 一枚岩、一致団結を誇りとする公明党とは反対に、社会党は常に党内に不協和音が存在する。
“二本社会党”の伝統よろしく、左右対立は、村山政権下にあっても、片や「村山政権を支え、社民リベラル政治をすすめる会」(中西績介会長)、片や「新民主連合」(山花貞夫会長)ということで、ことごとに角突き合わせる。
 これを健全、党内民主主義の現われと好意的に見るか、だから付き合いづらいとマイナス判断するか、入それぞれだろう。
 結局、自民党内には、“突支い棒政党”として社会党の方を良質と考えるグループと、公明党の方が頼りがいがあると計算するグループが存在する。いずれが多数を制するか、また将来、二派に分裂するかどうか。同様にして社会党内にも、自民党と組んで当然とするグループ、反自民にこだわり、「一・一」との復縁を志向するグループが存在する。
 軍縮か武力重視か。生活者重視か生産者重視か。人権・民主主義・協調尊重か決断と実行を重んじてリーダーシップの発揮に傾くか。地方分権型政治か中央集権型政治か。大きな政府か小さな政府か。今は与野党双方にこれらの考えが分散し混在したまま。
 政界再編のうねりがおさまらず、これからも二度、三度と離合集散を繰り返しながら、すっきりしたグループ分けがさらに進んでいくのかどうか。
 不確定要素が多いなかにあって、ただ一つはっきりしているのは、池田大作氏の虎視眈々たる政権復帰願望と「我こそはキングメー力ーたらん」との天下取り執念のすさまじさである。
 監視の目をうっかり緩めるわけにはいかないと考える次第。     (『諸君!』95年1月号)
       --------改頁--------233

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内藤国夫の池田公明党-31

2016-05-30 09:16:53 | Weblog

今、改めて問う創価学会・公明党 (内藤国夫 1995/4 五月書房)
       ------(222Pから、以下本文)-------

◆A代表はチャランポラン氏
 公明新党Aの代表に起用されるのは、東京都議会議員団長を務める都議九期目の大べテランである藤井富雄氏になるらしい。公明党の定年規則(六十六歳以上の議員は存在しないようにする)を無視すること二回。大正十三年八月生まれで、七十歳の現在も藤井氏一入だけが現役議員でいられるのは、池田氏の信任がそれだけ厚いことを意味し、新党代表に就任するのも、池田直轄人事であることを物語る。
 藤井氏が何故、池田氏から重用され、特別扱いを受けるかというと、池田氏に完全に屈伏し、池田氏の命令とあれば、どんなことであれ、百パーセント従う、つまりは池田好みの入間だからである。敗戦後の貧乏どん底時代には“笹の葉”を売り歩いたり、タクシーの運転手をしたこともある。神経が太い“呑気者”というか、どういう状況になっても苦にせず、批判的にモノを考えないタイプ。
“チャランポラン藤井”が党職員たちのつけた渾名。深刻がらず、何でも適当にこなす性癖を皮肉ったものだ。ある時期まで竹入義勝氏(元委員長)の忠実な部下だった。数年前、池田・竹入の人間関係が悪化したとたん、いともあっさり、何の迷いもなく竹入氏を見捨て、長年の親密な関係を絶った。
 自分の意見を待たず、こだわりのない点では、石田幸四郎委員長と似たタイプである。石田氏にしても、青年時代、相思相愛の仲の女性がいたのに、池田氏から別の女性との結婚を勧められると、さっさとそちらに乗り替えて命じられるままに結婚した。池田氏は配下の人間の、こういう絶対的服従資質を冷静に観察し、安心できる屈服者のみをキーポストに起用するのである。
 藤井富雄氏は今後、池田氏の言いなりに、公明新党Aを操縱するに違いない。
 忠臣・藤井氏に比べると、前委員長の矢野絢也氏は、大作好みのタイプとやや異なる。
「矢野はずるい。人間的に信用できない」とマイナス評価しながらも若くして書記長、さらにしびれを切らしてから委員長にも起用したのは、公明党内では稀少価値の才能を買ったせいである。
 そして定年到達以前に、惜し気もなく切り捨て、使い捨てた。
 組織依存の政治家稼業から個人営業の政治評論家に転じた矢野氏は、持てる才能を遺憾なく発揮してペンが冴え渡る。とりわけ『週刊文春』に連載中の「永田町裏ガイド」は回を重ねるごとに興趣が深まる感しきり。「一・一」ラインの政局への判断ミスを「A級戦犯」と厳しく叱りつけ、公明党の解党を「自繩自縛」「踏んだり蹴ったり」として無念の思いを書き記す。
 ベンだけでなく、 口も達者である。
 十一月十日には、自民党小渕派の勉強会で講演し、「創価学会は“一・一”サンと抱き合い心中するつもりはない」「自民党もあまり創価学会を蹴とばすようなことはなさらない方がよい」と熱弁を振るった。
 政界を引退して自由の身になったとはいえ、矢野氏のこれだけの闊達な評論活動は、池田氏のお墨付なしにはあり得ないこと。「一・一」だけに任せておくと、創価学会本体がダメージを受けかねないとの危惧のもと、自民党との修復役を買って出たものと思われる。
 例の「裏ガイド」でも「政治構造のねじれに巻き込まれた創価学会」への懸念を表明し、「犬猿の仲と化した自公関係」を嘆いてもみせる。学会員票を餌にして、自民党を再び釣り上げようとする点では、池田氏と矢野氏が二人三脚を組んだようにも思われる。

◆影が薄くなつた市川書記長
 もっとも、それでいて学会関連機関誌には矢野氏の“老醜”や“未練”を痛烈に批判する読者の投書が掲載されており、池田・矢野両氏の人間関係がしっくりいっていないことを窺わせる。
 創価学会の投書の場合、ほとんどが“やらせ”で、執行部の意向を反映したものであるからだ。
 両氏のホンネに通じた公明党古参幹部が解説する。
「池田は基本的に矢野クンを信用していませんからね。自民党との修復役に矢野クンを使うのは、ポーズだけ。別ルートで本人自らが接触しているはず。矢野クンにはこれが不満で、彼の評論活動は“自分をもっと活用せよ”とのデモンストレーションにすぎません」
 矢野氏が健筆を揮う割に、もう一つ説得力に欠けているのは、言動に生臭さがつきまとっているからだろう。早すぎるリタイアのため、“枯れる”ことができない。創価学会の尻尾つきのため、「政界のご意見番」になりきれないのだ。「才子才に倒れる」とか「策士策に溺れる」ことのないよう、この機会に要望しておきたい。
 池田氏との関係が、矢野氏よりもっと微妙になったのが市川雄一氏である。池田氏が「一・一」を見限ったわけではないが、「一・一」頼りにならずとの苛立ちを強め、市川氏を突き放すようになったからだ。池田氏の全面支援があったからこそ、市川書記長は党内きつての権勢を誇れた。
 池田氏による市川使い捨ての日が近いとわかり、もともと人心掌握力の乏しい“エキセン(偏屈)男”のことだから、党内の人気はガタ落ち。命令調の発言がすっかり鳴りをひそめるようになったという。要するに影が薄くなったのだ。
「エキセン男」の命名者である竹入義勝氏や矢野絢也氏は、市川氏の性格の激しさ故に、いずれ創価学会に弓を引くと危惧を語り合ったものである。カッとなると、何を仕出かすかわからない危険人物というわけだ。使い捨てに際し、黙って引き下がるかどうか、けだし、見ものだろう。
 強固なスクラムを誇りにした「一・一」の間にヒビが入るのも、時間の問題である。矢野氏の「裏ガイド」によれば「小沢氏は“学会票を回してあげるから”を殺し文句に、候補の引き抜きをやっている」そうだ。創価学会が本当に「政党支持の自由化」に踏み切るとすれば、せっかくの“殺し文句”が使えなくなる。いや、それだけでなく、創価学会のバックアップを失えば、小沢氏の権力そのものが落日の時を迎える。
 池田大作氏と創価学会が「政党支持の自由化」サインをしきりに出した主目的は、自民党に向けての修復願望表明であるが、もう一つの秘められた狙いは、小沢氏に対して「そうそう言いなりにはならないゾ」との牽制球でもある。一筋繩では行かないところが、池田流儀の真骨頂。小沢氏は、いずれ、いやというほどに池田氏の冷酷さを思い知らされるだろう。

◆決定していない新方針
 さて、創価学会は毎日“スクープ”記事の予告どおり、十一月十日、総務会を開いて、「今後の政治に対する基本的見解」を決定した。一般紙の報道によれば「比例代表では公明新党Bの合流する新・新党を支持するが、小選挙区や参院選選挙区では人物本位で支持を決め、自民党支持もあり得る」ことにしたという。
 ところが驚いたことに翌日の「聖教新聞』を隅から隅まで読んでみても,比例代表と小選挙区とで支持を使い分けるなどとは一言一句触れていない。狐につままれるような思いで、どうして決定内容が達うのか、その謎を追った。
 聖教報道によれば「基本的見解」の内容は「これまでの公明党一党支持を見直し、特定の政党を常に支待する立場はとらず、フリーハンドで臨み、選挙ごとに、その都度、態度を決めていくこととする」とされる。そして「今後の選挙における支持の基準については、候補者個々の政治姿勢、政策、人格、見識、これまでの実績、及び学会の理念に対する理解などを考慮して、人物本位で判断する」とのこと。
 さらに具体的な支持決定に関しては「中央会議またはこれが設置する中央、方面及び県本部の各『社会協議会』において、慎重に検討のうえ行う」ことになった。「基本的見解」では、このほかに「ただ、学会員個人個人の政党支持は、自由であることを再確認しておきたい」と付け加える。タテマエとしては、政党支持を押しつけたりしないというわけだ。
 この総務会決定を受けるかたちで、創価学会は同日、中央会議を開き「新・新党」と「公明新党A」に対する「支持」と「支援」の態度を決定した。つまり、新・新党に対しては「公明党が参加する経緯もあり、当面、国政選挙においては原則として支持する方向で検討していく」一方で、公明新党Aに関しては「庶民の生活に密着した“草の根”の地方政治を推進していくとの結党の趣旨を尊重し支援していく」という次第。
 十一月十一日付けの朝刊で一般紙が一斉に報じた「比例代表は新・新党を。小選挙区は人物本位で」との“新方針”は、総務会でも中央会議でも正式に決められていないようなのだ。
 決めてもいない比例代表と小選挙区の使い分けを、新聞各紙が何故書き立てたか。
 中央会議決定のあとの記者会見で、報道陣の質問を受け、秋谷会長が世間受けを意譏して、そう喋ったからである。
 直前の総務会では「支持決定は中央会議や各地の社会協議会で行う」と決定しておきながら、創価学会の実態は、池田大作氏の一存でどうにでもなる。総務会とか中央会議とかは形式的な力ムフラージュ機関でしかない。
 だから、池田氏の意を受けた秋谷会長は、中央会議にも諮っていない池田構想を記者会見で、あたかも決定事項であるかのように発表したのである。
 憤懣やるかたない口調で公明党本部職員が告発する。
「結局、創価学会は世間をなめてかかっているのですよ。記者会見でもごまかしを平気で言う。“人物本位”とは、池田に“ヨイショ”する人間との意味ですしね。今回に限らず、いつだつてそうなのです。何回嘘をつかれても、怒ろうとしない報道陣だって、どうかしている。なめられているのがわからないのですかねえ」
 本部職員氏によれば、創価学会の戦術・戦略は、世間を引っかき回すこと。学会票がどこの政党に優先配分されるかによって、日本の政治を自在に動かせると驕り高ぶつているというのである。
「学会員個々人の政党支持の自由」にしても、昔から一貫して世間を欺き続ける。
「だって、出版妨害事件を池田会長が世間に謝罪した時にしても“猛省する”という、心にもない言葉を使い、“学会員の政党支持は、従来どおり自由であり、会員の自由意志に全く干渉するものではない”と断言した。表向きは“政党支持の自由”、実態は“政党支持の拘束”を創価学会が変えたことは一度だってありません。世間の人々がなめられっぱなしなのです」
       ---------(228P)-------つづく--

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内藤国夫の池田公明党-30

2016-05-29 10:34:44 | Weblog

今、改めて問う創価学会・公明党 (内藤国夫 1995/4 五月書房)
       ------(206Pから、以下本文)-------

片棒を担ぐ大新聞
 狙いは一つ、政権政党の旨み
  公明党Aがいつのまにか公明党Bになり、支援
  と支持の使い分け。これが池田流政界手品
「仏の顔も三度」という。創価学会・公明党絡みで、明明白白な欠陥記事を立て続けに三度も読まされると、いい加減にうんざりする。残念なことに、欠陥記事のいずれもが、私の古巣の毎日新間の紙面を飾ったものだ。後輩記者たちの不明と取材力不足、マンモス組織との恥ずべき癒着ぶりは、まことに情なく、嘆かわしい限りである。
 以下に記事の要旨を再録し、どこが、どう欠陥であるか、具体的に検証する。
 まず、九四年十月二十八日付け朝刊の一面トップ記事と二面の解説記事。
「創価学会が今後の小選挙区比例代表並立制の総選挙では、公明党の合流する新・新党候補に支援を限定せず、政党支持を自由化することによって、自民党候補を支援する道を開く新方針を固めた。この新方針を受け、新宗教団体第二勢力の立正佼成会も、本部の候補者推薦を取りやめ、自主投票に転換する。これで、与野党の枠組みを超えた宗教票の相乗りが進む」
 創価学会が十一月十日開催の総務会で正式決定するのを、毎日の政治部“敏腕”記者が事前にキャッチし、特ダネとしてすっぱ抜いたものである。
 さて、しかし、いくら真相に迫るスクープ記事だとしても、これが果たして一面トップを飾るに値いするだけの二ュース・バリューがあるかどうか。
「分党・二段階」方式で、公明党が新・新党に移行していずれ本当になくなるとしたら、創価学会の公明党単独支持自体が無意味になる。
 奇貨おくべしとばかりに、創価学会は公明党の単独支持をやめるだけでなく、持てる学会員票を他党に大盤振舞するジェスチュアを示す。すでに池田名誉会長以下秋谷会長、野崎副会長らが、半年も前から何度となく「単独支持見直し」発言を繰り返してきた。もはや、耳新しい話では、まるでないのだ。
 旧聞に属する話である以上、特ダネを装うことさえがおこがましい。
 新生党の小沢一郎代表幹事、公明党の市川雄一書記長の「一・一」ライン一辺倒になりすぎたことを反省・後悔する池田大作氏は、遅まきながら、いま懸命に本来の両睨み・二股作戦に方向転換中である。公明党の予想外に早い野党転落で、「一・一」頼りにならずと痛感したために、何とかして自民党との縒りを戻そうと、媚を売るのに恥じ入る様子もない。
  しかし、後悔先に立たず。肝心の自民党の側に学会員票プレゼントを有難がる様子が一部の議員を除き、一向に見られない。「朝三暮四」ではあるまいし。擬餌に飛びつくほど、自民党は餓えていない。
 それだけに、創価学会が学会員票をどこに割り振ろうと、ビッグニュースになり得ない。毎日新聞の“スクープ”記事が悪質なのは、乏しい二ュース性に、内心忸怩たるものがあるせいで、学会票の動向の単独記事とせず、立正佼成会との抱き合わせを図ったことである。これが事実であればともかく、全くのでっちあげというのであるから、始末におえない。
 そもそも、毎日の記事には「創価学会の新方針を受け」とあるが、立正佼成会の側は、“創価学会の新方針”とやらを知る立場にない。それに、上層部からの命令に忠実な学会員票と違って、立正佼成会票は、あまりまとまりがない。推薦はするものの、最終的には個人の自主性に任せる。
 支持する政党も自民党にとどまらず、民社党や社会党にも振り分けられる。どの党の誰を支持・推薦するか、本部が押しつけたりせず、各教会レベルの現場の判断を尊重する。本部は現場判断を承認するにとどまる。
 選挙への取り組み姿勢と熱意が、創価学会と立正佼成会とでは、大きく異なる。同日の論ではないわけだ。それに立正佼成会は従来方針を変更して、自主投票の新方針を決めてもいない。もともとが自主投票方針なのである。
 従って毎日記事が謳いあげる「与野党の枠組みを超えた宗教票の相乗りが進む」のとは全く正反対に、宗教票は学会票と反学会票により一層厳しく崚別されていく。毎日記事は牽強付会そのもの。読者をミスリードすること甚だしい。

◆イロハも知らぬ論説委員
 欠陥記事の二番手は、十一月四日付け朝刊の社説である。
「真の『政教分離』で政界再編を」との見出しのもと、翌五日開催予定の公明党大会に注文と要望をつけるかたちで、以下のように論ずる。
「公明党の結党以来の三十年はいかに創価学会の傘から脱し国民政党に衣替えするかの道程だった、といって過言ではない。実際のところ、公明党は自他ともに許す政策の党だった」
 肯定的に論ずる一方で、批判もしてみせる。
「気になるのは同党の政策の振幅の大きさと、政治倫理への対応でかってほどの潔癖さがなくなったことだ。一事が万事。何かコトがあると創価学会の顔色をうかがう体質は、そう変わったとはいえない。結党宣言のさわりである“ともに語る大衆”とは創価学会員だけでなく、広く国民大衆を意味していることを肝に銘じてほしい」
 前半と後半とで、論旨がいかに矛盾するか、論説委員氏はお気づきでないのだろうか。
「傘から脱する三十年の道程」であれば「顔色をうかがう」必要はないはずだ。「政策の党」であれば「振幅が大きい」こともなかろう。
 公明党の三十年の実態は、社説が論ずるのとは正反対に、池田氏によって支配され、私物化され、番犬扱いの域を結局抜け出られなかった恥ずべきものである。「政策の党」であるどころか、「ノリとハサミ」の政党と揶揄されたことで知られる。他党の政策のオイシソウなところだけを継接したとは、知る人ぞ知る事実。現に、公明党の候補者全員が創価学会の集会に出かけて支持を訴える際に、政策についてはおくびにも出さず、「池田先生のご期待に応えさせて」と絶叫し、「池田先生のご構想実現の尖兵たらん」と誓い、「先生」「先生」とラブコール競争を繰り広げるのは、今や、有名な話である。
 毎日の論説委員氏は、創価学会問題のイロハとも言うべき、初歩的な実態をもご存知ないようだ。不勉強ぶりは落第点なみである。
「大衆」が、組織内部では「創価学会」を意味し、なかんずく「池田先生」を意識しての誓いであることも、創価学会問題の常識と言える。「肝に銘ずる」わけがない。
 今に始まったことではないが、毎日新間の創価学会関連報道のだらしなさに辟易していたところ、止めを刺した感しきりなのが、欠陥記事三番手の登場である。

◆一体、何を言いたいのか
 九四年十一月六日付け朝刊の一面の大半を埋め尽くすようにして報じられた「“安らぎ”のありか」と題する連載の企画記事第一回。十一月五日、東京ドームに五万五千人を集めて開かれた創価学会青年部主催の「ストップ・ザ・人権侵害」集会と、十一月一日、自社さ政権三党の国会議員二十二人が参加して、四月会が試みた“リレートーク”型式の「緊急フォーラム」とを並列して素材に採りあげたものである。
 派手な扱いの割には、何回読んでも、何を読者に伝えたいのか、肝心のメッセージが少しも伝わってこない。 空疎な記事の典型。あたりさわりのないように書く意識が強すぎ、二千二百余字も費やしながら、「一体、何を伝えようとしているのだろう」と、一面トップを飾った意味が、さっぱりわからないのだ。
「いまや日本宗教界の流れは“政治”をめぐって二分される形になった」と記事に書かれる。しかし、その十日ほど前には「宗教票の相乗りが進む」と報じたばかりではないか。あるいは二月末の紙面では、同じく一面トップ記事の扱いで「創価学会が立正佼成会と対話開始」と、あたかも和解の動きが本格化したように報道したこともある。「二分」なのか。
「相乗り」なのか。無責任さと一貫性のなさは呆れるばかりのものである。
 九四年十二月十日に結成される新・新党に、公明党がどう開わるのか。公明党の「分党・二段階」方式には、どういう狙いがあるのか。そして政界再編成がさらに混迷化するに際し、創価学会が政治に対し、どういうスタンスをとろうとするか。新聞記者が真相に迫り、隠された事実や秘められた狙いを抉り出し、読者に伝えるベき重要テーマにコト欠かない。
 新・新党づくりに対し、公明党と創価学会がどういう役割を演ずるか。筆者は『諸君!』誌九四年十一月号の「月報」で「公明党が解消してなくなると真面目に考えている公明党本部職員はほとんどいない」という事実を伝えるとともに、どこかで“どんでん返し”があること、交渉相手や世論を、いずれ煙に巻いていくはずであることを予告した。
  その後の実態は予告どおりに進んで、「分党・二段階」方式という、従来のシナリオにはなかった“煙幕”作戦の一端が明らかにされた。
 新・新党に参加するのは、公明党所属の衆議院議員五十二人と改選期の参議院議員十三人の計六十五人のみ。三年余の任期を残す非改選期の参議院議員十一入と三千二百余人の地方議員及び党本部職員六百余人の全て、つまり公明党本隊部分は、とりあえず、そっくり温存されることになった。
 公明党は、これを新党Aと新党Bに分党するとしたのだが、面白いことにAとBの内容が当初構想とはそっくり入れ替わった。読者はお気づきだろうか。新・新党に移行する代議士主体のグループが、当初は「公明新党A」とされた。しかし、変更理由を説明されぬまま、こちらがいつのまにか「公明新党B」に呼称変更された。 温存される本隊の方が「公明新党A」に格上げされたもののようだ。公明党の本流であると示したかったのだろう。
 しかも、創価学会は新・新党に対しては、「支持」という言葉を使い、公明新党に対しては「支援」という別の言葉を使って、微妙な使い分けを試みた。さらに残留組の新党Aが、新・新党に合流する時期について、市川書記長は党大会後の記者会見で「四年後の一九九八年の参院選までをめどとしたい」と語った。
“どんでん返し”がお得意な組織のことだから、四年後にどうなつているか、さっぱりわからない。「支持」と「支援」の巧妙な使い分けを見ても、筆者は新党Aが新・新党に合流することはないだろうと予測する。
 前委員長の矢野絢也氏さえもが、「週刊文春」の連截コラム「永田町裏ガイド」で「四年後までに残留組も新党に合流と執行部は言うが、おそらく新・新党へは参加しないだろう」と、いともあっさり、かつ、はっきり書く始末。
「支持」と「支援」とで、辞書を調べても、違いがよくわからないが、創価学会用語では両語の間に相当な隔たりがある。選挙に際し、学会員が候補者事務所に陣中見舞の金銭を届け、私生活を犠牲にしてでもF(フレンド票)取りに熱中するかどうか。するのを「支援」と称し、しないのを「支持」と使い分けるわけだ。
 そして「支援」対象の「公明新党A」を、そう簡単に解消し、新・新党に合流させるはずがない、と筆者は診立てる。臆病で用心深い池田大作氏のことだから、「ルビコンを渡る」とか「退路を絶つ」とかの、取り返しのつかない選択はしない。どういう状況になっても、どちらの側にでも“寝返り”ができるよう、“受け皿”や“逃げ道”だけは用意しておくのが、大作流儀である。
 そのことへの理解を深めるためにも、池田氏の人間使い分けの巧妙・狡猾さを、ここにあらためて検証する。
       ---------(221P)-------つづく--

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内藤国夫の池田公明党-29

2016-05-28 06:45:37 | Weblog

今、改めて問う創価学会・公明党 (内藤国夫 1995/4 五月書房)
       ------(206Pから、以下本文)-------

◆ヒステリックに決意表明
 創価学会は内部にある、さまざまに深刻な問題を隠蔽するため、“仮想敵国”を常に必要とするのであろうか。九四年十一月五日には、東京ドームを青年部と女子部の怒りの人々・七万人で埋め尽くし、大抗議集会を開催するとか。池田氏一入の“難”を逃れるべく、七万人が動員されるわけ。呆れるほかはないハッスルぶりである。声をやたらと大きく出し、人数をとことん集めた方が、正義を手中にし、勝利を不動にするとでも錯覚なさっておられるようだ。
「四月会」の方に、応戦するつもりはさらさらない。病める体質を凝視するのみ。どれだけ拳を高く振りあげようが、相手にならないのだから、結果は、“のれんに腕押し”“糠に釘”。大騒ぎすればするほど、あとで大恥をかくだろう。
 創価学会は十月九日の東京集会でも青年部長、男子部長、女子部長の幹部三氏が「四月会と闘う決意」をそれぞれに表明した。
 まず谷川佳樹青年部長。
「四月会こそ“政教一致”で宗教弾圧を画策するのが本音。創価学会を“排他的、独善的”と非難するが、四月会こそ排他的で独善的である。四月会に対し徹底的に闘ってまいりたい」
 ついで佐藤浩男子部長。
「四月会の狙いは“創価学会つぶし”の一点に尽きる。私たち青年部は四月会をはじめとする、不当な権力の黒い策動に対しては、これを完全に打ち砕くまで、徹底して戦うことを誓う」
 さらに中村江利子女子部長。
「四月会こそ、女性の人権の敵であると、断言しておきたい。人権抑圧の四月会の横暴に対し、今こそ、断固“ノー”と叫び、四月会と戦い抜きます」
「戦う」ことが、何と好きな人たちであることか。
 悪口・中傷が専門の『創価新報』ともなると最新号の九四年十月十九日号では、まるで戦争が始まったかのようにセンセーショナルな、「四月会」への“宣戦布告”特別版。これまで主流だった“日顕宗”糾弾キャンべーンは全く影をひそめてしまった。“主敵”は今や宗門よりも「四月会」へとサマ変わりしたのである。
「青年部“信教の自由”を守る闘争を開始」
「権力の介人に断固たる行動を決議」
「四月会の政教一致体質を糾弾」
 一面は全面ぶち抜きで特大見出しが躍る。二面、三面、さらに四面、五面と見開きで、これでもか、これでもかとばかりにおどろおどろしい糾弾特集記事が満載される。
 毎度のことながら、創価学会批判の全てを「学会躍進への妬み」「悪意にみちた中傷」「ためにするデッチあげ批判」「ひかれものの小唄」「愚劣極まりない茶番」等々とするお得意の罵り言葉が羅列されるのみ。
 喧嘩相手をたじろがせ、うんざりさせるのが狙いであろうが、だとすると効果はほとんどない。
 病める危険な体質を見せつけられ、創価学会批判の大切さ、その必要性に対する確信を深めさせられるからである。あるいは外部向けよりも、組織内部の締めつけを狙っての拳振り上げかも知れない。弱い犬ほどよく吠えるのと同じ類のことであろうか。
“喧嘩学会”と別称される創価学会ではあるが、その実態は“こけおどし”である場合が少なくない。初めのうちこそ、なりふりかまわず攻めかかってくるけれども、時の経過につれて、ボロを出し始める。そして一件落着してみれば、負け戦だった事例が珍しくないのだ。所詮は無茶で無謀な難癖づけの限界であろう。
 日蓮正宗の宗務院で学会相手の紛争処理担当の渉外部主任・梅屋誠岳師(神奈川・寿照寺住職)が、宗門側の無敗ぶり(ということは学会側の勝ち知らず)の“戦果”について数字をあげながら説明する。
「刑事、民事、それに行政関係と、創価学会はやたらに告発したり裁判に持ち込んでくるんです。海外を含め、全国規模ではイヤガラセ訴訟や刑事告発が二百三件もの数多さにのぼります。そのなかでシロクロの結論が出たのが、つい最近ちようど百件になりました。なかには和解して双方引き分けのも六件ありますが、宗門が敗訴したのは一件もありません。宗門は負け知らず。逆に学会側は一勝もしていないことになります」
 百件のうち過半の五十九件が納骨施設と墓地に関する刑事事件としての告発。「大石寺が遺骨を不法投棄している」とか「寺院が県や市の許可を受けずに納骨管理しているのは違法だ」と警察署に訴えるわけだ。一応送検処分はされるものの、検察庁段階で例外なしに不起訴処分となる。
 同内容を民事訴訟に訴えてもいるが、すでに大阪地裁などで学会側の訴えを棄却する判決が出されている。「寺院が信徒の遺骨を預かるのは自然の行為であり、納骨業務許可の有無とは関係なし」とするのが裁所の判断である。
  和解の六件も墓地に関するものが多く、購入済みの墓地の解約に応じろといった類の訴え。
 勝訴で宗門側が一番喜んでいるのはアメリカの口サンゼルス裁判所によるヒロエ・クロウの訴えの却下。創価学会としては、この裁判の法廷に“日顕法王”を引っぱり出そうと大いに期待したが、アメリカの裁判所の判断は冷静そのもの。「ヒロエ・クロウは名目的な原告にすぎず、本当の提訴人は創価学会である」と見抜いたうえで「このような異常な訴えに裁判所が管理権を行使するのは“フェア・プレイと実質的正義”の精神に反する」と却下判決を下したのである。
 このほかに、やれ“学会葬”を僧侶が批判したのは遺族にとっては名誉毀損になるとの訴えが出されたり(判決は「僧侶の正当な布教活動である」として棄却)、学会員の寺院総代が住職に対し、寺の会計に不正がある、寺の帳簿を公開しろと訴えが出されたり(判决は「総代の任期が切れており、訴えの資格がない」として却下)と、イヤガラセ訴訟は目白押しの感じ。
 しかし、梅屋主任の語るとおり、創価学会はこれまでのところ連敗を続け、一つの勝訴もない。
 宗門は宗務広報で「宗門百戦全勝=創価学会は全敗。創価学会関係事件百件の結果出る」「創価学会の悪辣な策謀をあらゆる場において断固粉砕してまいりましょう」と意気軒昂である。
「仏法は勝負」が口癖の池田大作氏。「私は今まで、全ての闘いに勝ってきた」と豪語することが多いが、さて、この不名誉な百件の戦績を、どのように言い訳するのだろうか。“こけおどし”批判への反論を伺いたいものである。

◆幼い娘の争奪戦
 もう一つ、この際、是非とも報告しておきたいのが、一人娘を奪い合って悲惨な抗争を続ける高知県窪川町在住、田辺浩三氏の近況である。田辺氏のもとに九四年九月二十八日、高知家裁須崎支部の臼山正人裁判官から「決定書」が送付された。「十月十日までに娘を母に引き渡せ。引き渡せない時は翌十一日から一日につき五万円の金を支払え」と命ずるものである。
「四月会」大阪シンポジウムに参加した田辺氏は「高知県から来ました、子供連れです」と言って、こう訴えた。
「判決に従って娘を元の妻である母親に引き渡さないと、私には一日五万円の罰金がかかってきます。一力月に百五十万円。小学校に入るまでに五千万円、民法上、子から親を選択できる十五歳までですと二億円もの巨額なものになります。私は娘を引き渡すつもりが全くない。罰金を払うこともしません。判決の不当性を主張し、徹底的に闘うしかありません」
 田辺氏が娘の不本意な争奪戦に巻き込まれたのは、創価学会員の妻が、生後一力月の娘に「御授戒」を受けさせ、“学会っ子”として育て、“池田先生の弟子”にしようとしたせいだった。
 一歳と三力月の時に娘を母親のもとから奪い返し、以来三年近く父親の手による子育てを統けてきた。
 この間に、妻側からの申し立てで離婚が成立。親権をめぐる争いでも「乳幼児期の養育には母子間の愛着行動が不可欠」との“母親優先の原則”を唯一の理由に「親権者を母親と定める」との判决が確定済みである。
 法治主義からすると、判決は履行されねばならないが、現実には“父娘生活”が定着し、娘は母親に対し何のなじみも待たない。母親もまた“宗教優先”の生活を過ごしており、娘への愛着は父親の方がはるかに優る。
 田辺浩三氏は十月六日、高松高裁に対し「抗告」を申し立てた。
「娘は幼いながらも父親の下での生活を望む意志を表明しており、その意志に反して娘を母親に引き渡すことは出来ない。引き渡しを命ずるのは、娘の人格を否定し、物品同様に扱うことであり、父と娘の“自由及び幸福追求の権利”を損なう。母親への引き渡しは娘の“思想及び良心の自由”と“宗教的入格権”を侵害するもので、到底応じられない。遅延一日につき五万円の支払いは,その理由が示されておらず、極めて過大である」
「一日五万円の支払い」は元妻側の申請を裁判官がそのまま受け入れたものだが、さて、小さなレコード店店長の田辺氏の側にそれだけの支払い意思もなければ、支払い能力もない。強制執行しょうとしても“赤紙”を貼って、競売にするだけの財物がないのである。つまり、裁判所側には、決定権があるのみで、実質的な執行権に欠けると思われるのだ。
 それでも、もし、国家がある日、強制執行に踏み切るとすれば、そのとたんに全国紙の社会面トップ記事を飾るに十分なほどの二ュース・バリューを持つ事案と愚考する。
  創価学会が絡むと、こうして単純な子育てまでが厄介きわまりないトラブルに卷き込まれる。
 地方の一家事紛争ではあるけれど、今後の関心事項として強制執行の前途を注目したい。
                            (『諸君!」94年は12月号)
       ---------(213P)-------つづく--

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内藤国夫の池田公明党-28

2016-05-27 08:07:20 | Weblog

今、改めて問う創価学会・公明党 (内藤国夫 1995/4 五月書房)
       ------(200Pから、以下本文)-------

◆「亀井を撃て」
 証人喚問要求を初め、自民党による創価学会批判の急先鋒は亀井静香運輸大臣。創価学会・公明党は自民党との復縁を願いながらも、亀井氏だけは許せないとする。村山内閣攻撃にしても、ターゲットを亀井氏一人に絞り込んだ。閣僚辞任に追い込むべく、公明党は、スキャンダル捜しに躍起である。
「亀井を撃て。力タキを取るんだ」
 そう厳命してやまない池田氏は、記者懇でも亀井氏への憎悪をむき出しにした。
「愛知県の参院再選挙で、亀井が選挙応援に出かけているのをテレビでたまたま見たんです。それでムカッとして、学会の選挙応援につい力が入つてしまった」
 亀井氏は閣僚入りして「政治権力」の座に就いた。そのために創価学会批判は、しばしの休戦状態である。しかし、亀井氏が抜けたあとの「憲法二〇条を考える会」の代表代行には、論客の白川勝彦氏が就任し、国対委員長の島村宜伸氏や若手の衛藤晟一氏らと協力、創価学会追及の材料捜しに余念がない。
 白川氏は社会党の伊東秀子、金田誠一氏らと組んで「リベラル政権を創る会」を結成し、自社さ政権づくりの突破口を開いた人で知られる。強権政治の「一・一」ライン復権を阻止するためにも、つい創価学会批判に力が入るわけだ。その白川氏と無二の親友であるのが、川崎ニ郎氏という人間関係。その関係が今回活用された。
 深谷発言を受けて関連質問に立った川崎二郎氏は、創価学会員による嫌がらせ電話殺到に備えて、あらかじめ自宅などの電話番号を変更するほどの覚悟と準備を積み重ねた。そして質問をまず、こう切りだしたのである。
「国会の予算委や政治改革委で,この一年ほどの間に十八人もの議員が“政治と宗教の問題”を採りあげている。そして十八人のいずれの質問でも“政教一致の深まり”を指摘しているのです」
 川崎氏は復習するように十八入の議員が指摘した政教一致の実態や脱講運動と称する人権侵害、放火、暴行、寺院襲撃等の数々の事例をあらためて列挙した。
 川崎氏は、その狙いについて説明する。
「十八人もの議員が国会で問題としているにもかかわらず、新聞、テレビのマスコミが少しも報道していない。強いものから逃げてしまっている。それで私は創価学会の実態を国民の皆さんに知ってほしいと願い、テレビ中継されていることでもあり、あえて総ざらいしたのです。政治とは大衆の理解を得ながら、大衆に向かって話をしていくもの、というのが、私の信念でもありますから」
 創価学会がいつまでも暴走・脱線を重ねるのは、自分たちの行動や発言が、白日のもとにさらされないとの隠花植物的性癖によるというか、夜陰に乘じての思いあがりがアクセルになるせいである。
 それだけに、各家庭のお茶の間にストレートに届けられるテレビの国会中継で、こうして総ざらいするのは、太陽光線をしっかりとあてる、陽光のもとにさらけ出す効果がある。“懲りない集団”も、少しは恥ずかしくなり、いささかのブレーキ効果が生じるのではなかろうか。
 しかし、創価学会がどう対応したかといえば、川崎質問の翌十月十二日、川崎氏の地元(三重一区)である三重県上野市で青年部主催の「権力による宗教への介入に反対する緊急集会」を開いて川崎発言を糾弾した。
 他宗教団体の「信教の自由」を侵す点で、大いに問題ありと指摘された「六万人総登山の断固粉砕発言」にしても、反省するどころか、堂々と開き直る。
「私たちから見れば、仏法の正義に反する“悪と闘う”のは当たり前である。宗門に対する学会の闘争は、私たちの宗教上の信念にもとづく主張。川崎氏は“宗教団体は『粉砕』という言葉を使ってはならない々とでも言うのか」
「これでは質問ではなく、質問に名を借りた“意図的な悪宣伝”と言うほかはない。国会の場で、それも公共の電波を使つて行う--これほど卑劣なことはなく、断じて許せない」
 こういう反撃に接すると、この人たちは、批判を謙虚に受けとめるとか、少しは反省して体質改善の努力を試みるとかとは、全く無縁の唯我独尊組織であり、かつ批判拒否の不治の病であることを、あらためて思い知らされる。要するに救いがない。
 国会中継を聞いた宗門幹部憎侶が残念そうに語った。
「私どもに直接調べに来られれば、もっと生々しい材料を提供できたはず。一人暮らしの老婦人に包丁を突きつけて脱講を迫るなど、創価学会は平和や民主主義を唱える資格がまるでないことをいくらでも立証できます。政治家は肝心なところで取り引きをなさるので、いま一つ信用できないのですが、池田さんの証人喚問が実現するのを私どもも期待しております」

◆「四月会」とは何か
 池田氏の証人喚問阻止絡みで、創価学会が今、異常な取り組みと反撃を試みているもう一つの動きが、「四月会」糾弾キャンべーンである。
「六万人総登山」の無事終了で、宗門攻撃が一段落したというか、中だるみ状況にあるため、かって宗門攻撃に注いだ全エネルギーを今度は「四月会」に振り向けた格好。戦前の“鬼畜米英”さながらに“鬼畜四月会”の憎悪むき出し作戦を全国規模で急展開中なのだ。いかにも創価学会らしい過剰反応そのもの。憎しみをぶっけるターゲットがあると、とたんに奮い立つ。この時とばかり、会員の危機意識をあおり立て、お家の一大事さながらに「先生をお守りしょう」と“ハイル池田”の忠誠心競争になだれ込むのである。
 十月八日以降の『聖教新』は、連日のように「四月会」糾弾の動きを書き立てた。
「全国三百の大学の学生が立ち上がり“野合集団・四月会を微底粉砕”すべく抗議集会を各地で連続的に開催する」(八日)
「女子部が“宗教弾圧の横暴は許さない! ”として全国で五十万人の正義の主張運動を展開する」(九日)
「青年部主催の緊急東京集会が開かれ、首都圏の代表千人が集い、“不当な宗教介入と断固闘う”ことを決議」(十日)
 といつた調子である。
 東京集会に出席した副会長で創価大教授を兼務する桐ケ谷章氏は、「四月会」を「戦前の宗教弾圧に酷似し、“信教の自由”を圧殺する危険な団体」と断罪した。
「四月会は政治権力を背景とした団体であり、創価学会に圧力を加えることを目的とする。極めて重大な人権抑圧的傾向を持つ。権力の一部が自らの保身と野望のため、自分たちに都合のいい宗教を糾合して、権力の維持に利用しょうとしているのが本質なのです」
 まさしく“針小棒大”な難癖づけ。
「四月会」の実態は、そんな大袈裟なものではない。九三年八月、細川内閣の成立で公明党が政権与党入りしたのをきっかけに、池田大作氏が支配する世の中になってはたまらないと、嫌悪感と危機意識を覚えた学者・文化人と宗教団体とが結束し、初めて同じテーブルに着いただけ。
 現実の行動としても、これまでにたった一回、九月に大阪で公開シンポジウムを開いたにとどまる。「信教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇談会」が正式名称であるが、長すぎるので略称を「四月会」とした。“創価学会天下”となっては困る、それを防ぐには啓蒙活動が必要ではないかと同憂の入々が、一九九四年四月頃から準備し始めたため、年度の始まり、春の盛りでもあることだしと、単純に命名された。
 六月の設立総会には、自民党の河野洋平、社会党の村山富市、さきがけの武村正義の三党首が来賓として顔を揃えたが、深い意味はない。当時の羽田内閣のもとで、野党の立場にあり、小沢・市川両氏主導の「一・一」ラインに対抗する党派の代表としてお招きしただけ。その直後に、思いがけずも自社さ政権が誕生し、三党首が「政治権力」の座に就きはしたものの、だからといって、「四月会」が「政治権力を背景とした」などときめつけるのは、こじつけもいいところ。
 代表幹事には評論家の俵孝太郎氏が互選され、立正佼成会や霊友会など宗教六団体と有識者八入が常任幹事となつて会の運営を協議する。かく申す筆者も柄にもなく常任幹事役を引き受けさせられた。一力月に一回前後の頻度で開かれる常任幹事会に顔を出す。出席しての正直な感想は、要するに同憂の士が同じテールに着いたことに意味があるだけの、まことにフワフワした、ルーズでゆるやかな会合でしかない。
 文字どおり「お互いの信教、思想、信条のあり方を尊重しあい」ながら、「自由にモノが言える社会」を守っていこうとするのが会員の共通認識である。「創価学会弾圧」の意思もなければ、その能力もない。単なる啓蒙団体を目指しているにすぎない。
 従って「四月会」の実態を知る者からすると、創価学会の度を越した「四月会」攻撃はクレージーで滑稽でしかない。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
 ではないけれど、「四月会」は創価学会が目をつりあげて騒ぎ立てるほどに御大層な組織ではない。しかし、その実態を無視して、“枯れ尾花”にすぎないものを、“幽霊”であるかのように恐怖宣伝し、総攻撃をしかける創価学会の「ハイル池田」的体質の危うさを再確認する意味では、「四月会」結成の、それなりの意義があったと納得もするのである。「四月会結成の目的が早くも達成された」との皮肉まで聞かれる。
       ---------(206P)-------つづく--

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