創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会・公明をブッた斬る-33

2019-04-30 07:15:23 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
    ------(P155)---(以下、本文)-------

 政教一致“行進曲”で政界進出
◆ そもそもスタートは政治折伏の野望
 既に述べたように、戸田・創価学会が政治へ進出を宣言したのは、二十九年のことである。
 広宣流布の成る日は、「ある理由により後二十五年以内と確信」したといっている。ある理由とはなんであるか語っていないので知る由もないが、ともかく戸田は確信したワケである。その確信に基ずき、彼が宣言したのは--
「……国立戒壇建立の御教書は衆議院に於て過半数を以て発せられるものである故これが獲得の為にも正法弘通の活動は今後新生面が展開されなければなるまい。昭和二十九年度はその準備の年として邪教との法戦の徹底化、民衆に対する折伏の徹底化が計られる期間であろう」(「大白蓮華」二十九年一月号)
 衆議院における過半数獲得のために正法弘通の活動は新生面を展開するとは、即ち政界進出のことを指す。ハッキリといいきっているのである。「大白蓮華」のこの一文は、折伏行進への号令ではなく、やはり政治宣言なのだ。

 その二年後、第四回参議院選で創価学会は六人の侯補者を立て、三人を当選させるのだが、選挙直後、今度は「大白蓮華」の連載記事で、こう書くのである。
 「このたびの参議院選挙戦では、大いに社会の注目をひいた。宗教団体であるわが学会人から、政治家を出すのかということについて、内外ともに、いろいろの議論が出ている。たとえば日蓮正宗を国教にするとか、また何十年後には、衆参両院の議席を学会人で占めるとか、または創価学会が日本の政治をとるとかいう、あらゆる妄説が唱えられている現状である……」
 要するに、世間の注目を惹いたことで得意になっているだけのこと。その二年前の「大白蓮華」では、国立戒壇建立の御教書を出させるため、衆議院の過半数を構成すべく、正法弘通の活動を展開するといったのに、それを指摘されると、今度は、「妄説」だという。当り前の批判が、どうして「妄説」になるのか。自らは、途中経過として二年前の「衆議院過半数説」の否定はしていない。こうした、すぐにばれるウソやハッタリを連発して煙にまくのが戸田弁説の極意なのだろうが、それにしても、ひどいものである。やはり、かなり強度の精神異常と診断しないわけにはいかない。

 さらに、もう一つさかのぼれば、戸田の第二代会長就任挨拶(二十六年)の中の一節がある。
 「天皇に御本尊様を持たせ、一日も早く、御教書を出せば、広宣流布ができると思っている人があるが、まったくバカげた考え方で、今日の広宣流布は、ひとりひとりが邪教と取り組んで、国中の一人一人を折伏し、みんなに御本尊を持たせることだ。こうすることによって、はじめて国立の戒壇ができるのである」
 まさしく、往きつ戻りつ、ホンネ隠しの一例である。このような戸田の筆法(弁法か)を受け継ぐ池田大作の跪弁は、三十四年参院選直後の主張にも明らかである。この時、創価学会は参議院議席を三人から九人にふやしている。

 「……学会は議員を国会におくって、国会内に小会派をつくるのではないかと懸念しているむきもあるようだが……」(「聖教新聞」三十四年六月二十日)といいながら、「ただ学会から推薦されて立った議員たちが、将来時代の要求として大衆の要望としてそのようなものをつくらざるを得ない場合にはやむをえないことであり、大衆の要望にこたえていかなければならないと思う」と続ける。
 ここでは、再び戸田の「妄説」云々は、「大衆」の名において「妄説」ではないことにすり替えられる。
 「日蓮の遺命」と「大衆の要望」、共に漠々たる大義名分が巧みに使い分けられていることにも、ご注意あれ。

 三十六年、公政連(公明政治連盟)結成、三十九年、公明党結成となるのだが、この変化は戸田城聖が「妄説」といったことが「現実」になるプロセスだったのだ。つまり戸田が、あたかも世間に創価学会の政治進出を云々する「妄説」があるといったのは、あくまでホンネ隠しだったということで、悪質なヤミ屋的論理操作である。

公明党旗上げ、政教一体路線宣言
 政教一体路線で政治に進出してきた公政連、公明党であるが、参議院の小会派に属した段階の議員は、殆どみるべき政治活動をしてはいない。試みに、三十六年度の一年間、第三十八通常国会(三十五年十二月二十六日~三十六年六月八日)、第三十九臨時国会(三十六年九月二十五日~十月三十一日)の参議院における成立法案に対する学会選出議員の表决態度をみると、三十八、三十九両国会を通じ、成立法案二三八件につき、賛成は二三三件(九七・九%)である。反対は五件(一%)。また、三十九国会では全部に賛成している。

 第四十通常国会(三十六年十二月九日~三十七年五月七日)においては、内閣提出法案一六六件(うち継続六件)のうち二件に反対し、そのほか三十七年度予算案三件に反対している。予算案に反対したのは、これが初めてである。そして、この三国会を通じてみる時、第三十八、第三十九国会に比べ、第四十国会における法案反対は目立って増えているのである。即ち予算案(三件)、地方税法一部改正案、所得税法一部改正案ほか九件だ。

 社会党機関紙局発行・中央党学校編「創価学会・その問題点」(三十七年発行)では、「個々にわたって各委員会での審議状況を見ると、学会議員の発言は他の会は会派の議員にくらべて圧倒的に少ない。柏原、原島の両議員は、第三十八議会中全然発言していない。また、反対法案に対する態度も、反対の内容がまことにあいまいである点が指摘できる」と書いている。
 この時期、学会は参議院に九人の議員を送り込んだが、小会派・無所属クラブに所属しているにすぎなかった。とはいっても、先の第三十八、第三十九の両国会に比べ、反対法案が増えたのは、翌、三十八年参議院選挙を控えていたから、いささかなりとも野党色を打ち出す必要はあったのである。

 三十七年参院選挙において、公政連は九人当選、十五議席を獲得し参議院「公明会」を結成する。創価学会が大石寺に大客殿を完成させ、池田大作が法華講総講頭となるのが三十九年である。三百万人総登山(大石寺詣り)が始まり、政教一体にも加速がついた時期だ。五月三日、創価学会第二十七回本部総会で、衆議院進出决定を発表した。
 この日、会長・池田大作の演説で、そのことが明らかにされる。そのまま、戸田の政治進出路線の踏襲であった。
 「……公明政治連盟を一歩前進させたい。公明政治連盟をば、皆さん方の賛成があるならば、王仏冥合のために、また時代の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするもよし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか(大拍手)」(「聖教新聞」三十九年五月四日)
 「……政治部の使命について私は(「大白蓮華」の)巻頭言で『われらは政党ではない。すなわち創価学会は政党ではない。したがって衆議院にコマを進めるものでもない。あくまで参議院、地方議会、政党色あってはならない分野に議員を送るものである』という意味の一項目を書いておきました。したがって、本日をもって、創価学会の政治部は発展的解消といたしたいと思うのであります。……恩師戸田先生も時きたらば衆議院へも出よとのご遣訓があったのであります……」(同)

 創価学会の政治進出は「妄説」であると戸田、池田が口にしてきたのは、右の池田演説にその根拠が示されている。まこと、簡単極まる詭弁である。  創価学会という政党(=創価学会党)はつくらないが、政治に進出する時は学会の政党(=公明党)をつくる--それだけのことだ。詭弁というほどのものでもないかも知れない。本来の政教一体路線を、ここではっきりと宣言したまでのことである。
     ----------(次回に、つづく)---------160

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創価学会・公明をブッた斬る-32

2019-04-29 07:37:09 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
    ------(P151)---(以下、本文)-------

◆ つぎはぎだらけの言葉の遊び
 戸田城聖が死んだ三十三年、池田大作は学会参謀室長、総務を兼ねていた。そして、翌三十四年六月の参議院選挙で創価学会は六人を当選させ、九議席となった。当時池田は学会の政治姿勢を、次のようにいっている。
 「……戸田先生は『学会は新社会主義である』とおっしゃった。すなわち、あくまでも全国民の幸福を基準にして態度を決定し『個人の幸福』と『社会の繁栄』が一致する王仏冥合思想を根本にしたものである……」(「聖教新聞」三十四年六月二十日) 
 「……学会は資本主義でもなければ--資本主義でないということはないが--自民党思想でもなく社会党思想でもない。いま必要なのは第三文明です……最高の文化とは何か、第三文明です。……いまだかってない、全人類が根底から要求しているところの“新社会主義”こそ、王仏冥合の思想である」(「聖教新聞」三十四年七月十日)

 右の引用から、新社会主義、個人の幸福、社会の繁栄、王仏冥合、資本主義、自民党思想、社会党思想、第三文明……と拾い出してみれば、誰でも気がつくであろう。これらの言葉は総て、なんの脈路もない形で羅列されただけである。「新社会主義」がなにゆえ王仏冥合思想を根本とするのであるかはおくとしても、新社会主義の中身は、全く説明がない。個人の幸福と社会の繁栄の一致が王仏冥合だ、これ即ち新社会主義ということでは、曖昧模糊、なんともつかみがたい。

 第三文明は最高の文化です、という時「文明」と「文化」は同じ次元で捉えられているようだし、さらにその   「第三文明」はなにゆえ第三なのであるか--池田の説くところは経文のように調子だけよく、気持よく学会員の耳に届けばよいものらしい。
 経文だけなら、どうせ、わかってもわからなくてもよいのだが、創価学会・公明党の政策、主張は、イデオロギー的対立に反応し、あれでもなければこれでもない式に、いよいよ悪質な欺瞞、つまりは愚民だましのテクニックだけが増幅されるので、フォローしていくだけでもうんざりしてしまう。単なる挙げ足とりなど、私には全く興味がない。
   全人類が求めている「新社会主義」と、創価学会のいう「世界一仏教」とは別なものなのか。宗教としては「世界一仏教」、つまりは日蓮正宗による世界統一を目指すものだが、人類救済のための手段としての政治は別だというようにも聞こえる。公明党は、外交理念として「地球民族主義」をもちだしていた。これが具体的政策となると、日米安保体制の段階的解消、等距離完全中立、日中国交正常化、アジア、太平洋不可侵・不干渉の国際環境樹立等々、あまり国民の中から反対が起こりそうもない、もっともなことばかりを並べたてることになる。
 とはいえ、その日米安保体制段階的解消は、その後、どうなった--即時廃棄を叫んだり、再び軌道修正をするなど、唖然とさせられる無定見ぶりだ。日中国交正常化についても、始発ではあっても発車直前のバスに飛び乗ったに過ぎない。

 「地球民族主義」とは、どういうシロモノなのだろうか。池田大作の『政治と宗教』の中で説くところによれば、こうだ。
 「日蓮大聖人の仏法は、一閻浮提(全世界)の仏法である。わずか日本一国だけを対象とし、問題としているのではない。宗教には国境もなければ民族の相違もない。生命論のうえからも、平等である。日蓮大聖人の大慈悲からすれば、人類は混然一体となって、ともどもに繁栄すべきことを、最大の眼目とされているからである。(中略)いかなる哲学書も、社会主義や民主主義の理論体系も、みな人類の幸福をめざしていないものはないであろうが、しかし、すベて観念論にすぎず明確な実践理論は示しえないのである。ここに、力強い真実の理論体系、実践理念をあたえているものは、東洋仏法の色心不二の大生命哲学を説く、日蓮大聖人の大仏法以外にはないことを知るべきである。しかして、日蓮大聖人の仏法を根本とするならば、かならずや世界連邦の実現も可能となることを訴えるものである」

 社会主義や民主主義は総て観念論であり、実践理論は示していないが、真実の理論体系、実践理念を与えるものは日蓮の大仏法だというので、これぞまさしく観念論の最たるものであろう。社会主義、民主主義を超えた理論体系、実践理念を日蓮の大仏法によって示したものは何もない。地球民族主義が新しい理念であるかの如く説くが、笹川良一の「世界は一家、人類はみな兄弟」と何ら変わるところがない。例によつて、突如、「地球」と「民族主義」を貼り合わせただけのことである。
 宗教には国境もなければ民族の相違もないというが、それこそ地球上にはいろんな宗教が、それぞれ唯一絶対のものと信じて存在している。夫子自身、日蓮の仏法を唯一絶対の位置に置き、他は総て邪教としている。その自家撞着をタナにあげ、世界を一宗に帰依させようという論理である。その前に、苛烈な宗教戦争をも辞せずという决意でもあるのか、その実践方法をむしろ聞きたいところだ。
     ----------(次回に、つづく)---------154

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創価学会・公明をブッた斬る-31

2019-04-28 09:57:30 | Weblog

    --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
    ------(P149)---(以下、本文)-------

◆ クルクルと変わる客寄せ口上
 七百年前の日蓮の時代に果たし得なかった一種の宗教改革を現代社会の条件に強引にあてはめ、宗教改革から政治改革まで夢想し、これをそのまま実行するということなら、イランのホメイニ的次元、現実に世界中で政治的テロが宗教的狂信に民族的対立をからめて続出しているのであるから、そうそう、驚いてばかりはおれまい。  
 この種のアナクロニズムや宗教的予言の呪縛から解放され、信仰としての日蓮正宗、組織としての学会を巣離れしない限りは、一人前の政治集団とはいえない。それでいて、議会政治や政党政洽を前提とするビジョンやプログラムがいかに麗々しく掲げられても、所詮お題目だけの呪文であり、仏壇へ供える献花のようなものなのだ。
 中世の呪文を唱え続ける公明党が今日でも異質の政党として行動せざるを得ないのは当然の因果応報であり、その日和見主義、現実べッタリの追随路線は、その体質の必然的結果に過きない。
 「その日その日の出来ごころ」は、総てこの、自らの政治判断をもたないで、なんらかの絶対者ないし擬似絶対者に安易に総てを供託した者の気楽さかもしれないが、「奴隸」としての当然至極な心理状態ということにもなる。

 それでも形式的に政党である以上は、やはり民意の洗礼を受けなければならない。創価学会会員票のみで一定の議席が支えられた段階では、至極簡単であった。初期の創価学会の政治進出が、素人臭さ、アマチュアのもつある種の清新さと謙虚さとして世間の目に映ったのも、当然ではあった。
 ところが、政党をつくって公明党となり、政権を狙うとなると、唯一の選挙基盤たる創価学会票ではとても足りない。まさに、頭打ちなのだ。議会内改党勢力としての伸びは、もう先が見えてくる。
 選挙でF票(学会員が掘り起こしてくる同情票)、浮動票(かっては外米と呼んだ)をつかむためには、宗教政党の“素顔”に、柄にもない、色とりどりのお化粧を施す必要がでてくる。

 国立戒壇建立の「御教書が衆議院の過半数の構成を以て発せられるもの」(つまりは公明党単独政権)が、単なる戸田の思いつきで、いかに非現実的なハッタリ的幻想であつたかは、数の上で早くも“現証”された。
 このことは、言論・出版妨害事件で政教分離を公約する以前、既に幹部たちにはハッキリと自覚されていた。だから、公明党が初めて衆議院進出を果たした四十三年、三十二人が立候補、二十五人が当選した後、公明党は、今度は「中道政治」を強調し始めるのだ。
 中道政治、中道主義なんていうアピールはまこと中身は暖昧で、単なるスローガンどまりのシロモノである。   
 公明党の中道主義の論拠となっているのは、「日蓮信者の中には右翼の大物もいるが、あれらは化けものだ。共産党も話にならん。われわれは、右でも左でもない」といつた戸田城聖の言葉くらいのもの。
 衆議院に政党として進出したとなると、王仏冥合、仏法民主主義では、とてもじやないが“通用”しないことも思い知らされる。ナチスばりの折伏大行進時代のイメージも、自ら払拭する必要に迫られる。

 折伏大行進のさなか、戸田城聖は週刊誌記者に勇ましくブチあげている。
 天皇一家の神道を改宗させる、と意気ごんでいるそうだが。
  いますぐというわけではないが、あれも邪教だ。天皇ご一家に何の罪もないが、神道である限り、いつかはわれわれの折伏の対象になる」(「週刊読売」三十年十月三十日号)
 二十五年以内に広宣流布が成る(衆議院過半数を制し、国立戒埴建立)と号令を発した戸田当人としては、当然の答ではあった。

 ところで、創価学会・公明党は、四十二年に「中道主義」を掲げる段階で、国立戒壇建立を否定も肯定もしなくなる。それどころか、この問題にはマトモに触れようともしないのである。中道主義、中道政治のスローガンが出てくる過程において、戸田時代の「二十五年以内に広宣流布達成」の大目標がどのようにして修正されたのかは、全く黙して語らずだ。この中道政治への転換が、その後綿々と続いて今日に及ぶ虚妄と方便、ウソの上塗りの政治的序説に当たるものである。“床屋政談”でも外野席からの野次、岡目八目、素人政治批評であっても、時に庶民の鋭い政治感覚、キラリとしたものをもっているものだ。

 創価学会・公明党から出てくる政治スローガンとなると、そんなものは皆無、あたかも通行人の群を呼び込む客寄せ口上の如きものだ。左様、寅さん……テキ屋のタンカの方が、はるかにワサビが効いている、とでもいっておこう。
     ----------(次回に、つづく)---------151

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創価学会・公明をブッた斬る-30

2019-04-27 07:41:06 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
    ------(P142)---(以下、本文)-------

第二部 公明党は有害無益だ
     ・ 公明党は悪質なヤミ行為の温床だ
     ・ 公明党は有害無益。百害あつて一利なき組織だ
     ・ 公明党は一種のゴキブリかカビである。大掃除が必要
     ・ 公明党は政党ではない。一宗教団体の「僧兵」であり「政治出張所」に過ぎない
     ・ 公明党は民主政治衰亡のシグナルである

 1 公明党は創価学会の「奴隸」勢力
   公明党の“革新”なんて、ちゃんちゃらおかしい

◆ 昨日革新、明日は保守、その日その日の出来ごころ
 公明党なる政党は、まやかし政党であり、未来への展望は総て学会任せ、池田大作任せである。彼らの政治行動は、池田大作追随、革新とか保守とかの次元で論じることすら無意味である。要するに、政党としての「志」は学会任せであるから、学会のリードがなければ、無定見に、生物的カンで動いているに過ぎないゲリラ的徒党集団ということでもあろう。

 昭和初期に、郡司次郎正という大衆作家が「侍ニッポン」を書き、映画化されると大ヒットした。その主題歌がまた大流行したものだ。その歌詞に、「昨日勤王、明日は佐幕、その日その日の出来ごころ、どうせおいらは裏切りものよ……」とあった。公明党をみていると、まるで「昨日革新、明日は保守、その日その日の出来ごころ」で、しかも行動だけはバ力に能動的で、内面的には一種のニヒリズムなのだ。小説や映画の主人公なら、「その日その日の出来ごころ」などと、ちょっと陰鬱な顔をしてニヒリスティックに自嘲するとそれなりにうけるかもしれぬが、ここまで堕落した「奴隸」に、果たして自嘲するだけの“自分の精神”があるのかどうか、という気さえする。

 そもそも、創価学会が政治に進出したのは、昭和三十年の統一地方選挙からである。この地方選挙に先立ち、二十九年元旦の「聖教新聞」社説が、広宣流布の完成はあと二十五年以内と確信すべし、と書いた。第二代会長二戸田城聖の筆である。
  「……この期間に日蓮大聖人様出世の本懐であらせられる弘安二年十二月十二日の大御本尊に対し奉り日本一同に帰依して国立戒壇建立の御教書が発せられるであろう。否発せさせなければならないのである。御教書とは衆議院に於て過半数の構成を以て発せられるものである故これが獲得の為にも正法弘通の活動は今後新生面が展開されなければなるまい……」(傍点著者)

 いかにも高利貸し的感覚のホラ吹き、戸田ドン・キホーテらしい夢を描いていたものだ。それでも、ビジョンとはいっておこう。この当時の創価学会は、会員十数万世帯である。後に、七八〇万世帯を誇号することを思えば、二十九年のこの夢は、すこぶるネズミ算的な読みだけはできており、誇大宣伝にしても何となく愛嬌があるのだ。この種の夢は、日本国民を教化し国立戒壇建立、即ち日蓮正宗を国教化すべしという日蓮の遺命を、そのまま創価学会の政治使命におっかぶせただけのもの。アナクロニズム(時代錯誤)には違いないが、日蓮自身にも似た誇大妄想的愛嬌だけはあるのだ。

 ところが、これが「聖教新聞」社説にとりあげられると、広宣流布の日は「ある理由により、あと二十五年以内」と、もっと正確な予言めかして書かれる。予言は、日蓮自身もはずれっ放しだったが、戸田のそれも、見事にはずれる。二十五年どころか、十六年目の四十五年に創価学会・公明党は、国立戒壇否定、政教分離を宣言せざるを得なくなったのである。 日蓮のはずれた予言がはずれっ放しのままで、今日においても創価学会・公明党を心理的に拘束する呪縛となつたままなのである。
     ----------(次回に、つづく)---------148

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創価学会・公明をブッた斬る-29

2019-04-26 09:02:03 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・公明党をブッた斬る   藤原弘達
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
    ------(P134)---(以下、本文)-------

◆ この創価学会に未来はない
 仏教のみならず、神道、キリスト教、回教……その他、日蓮正宗以外の宗教は総て邪教だとする創価学会の独善性、偏狭性、即ち狂信性は、他に類をみない、すさまじきものである。彼らは、他宗を邪教、インチキ宗教、オガミ屋と、口を極めてののしる。
 南無妙法蓮華経の御本尊を拝み、題目をあげれば病気が治る、カネが儲かる--創価学会だけはインチキでなく、邪教ではないのである。御本尊を拝んで御利益があることはリクツでは説明できぬ、体験したものでなければわからないのだ、と強弁する。

 他を邪教よばわりする時、結局は己にそれがハネ返ってくる。そのパラドキシカルな表現を、あくまで否定し続けるのである。天にツバする者の譬えとは、このことだ。

   --創価学会の世帯数変遷と主な事件--

 しかし、私がここでいっておきたいのは、このような創価学会・公明党が、未だに政教一体路線を推し進めている危険な存在だということである。いくたびとなく私は繰り返してきたが、政治と宗教はあくまで別個の領域にあるものとし、厳然と区別されなければならない。これは、近代国家原理の大前提である。
 古代、中世を通じて、宗教は権力にタッチすることで堕落し、人間を幸福より不幸にする機能を果たし、時に大衆を欺き、大衆をマヒさせる阿片ともなったことは、マルクス主義の宗教観ならずとも、宗教に対する透徹した重要な見方である。
 宗教が権力に近づく時、必ず反動的役割を果たすものである。それ故に、近代社会においては、宗教はできるだけ人間の内面世界で機能するものとしてその領域を確定し、政治と宗教の関係を混同させないようにすることを基本的な建前としている。
   しかるに、創価学会・公明党は、依然としてこの近代社会における大原則をふみにじり、政教一体、政権獲得を夢みるのである。
 十五年前、政教分離を天下に約束した後でも、池田大作は創価学会“奥の院”(公明党議員との懇談会)で放言している。もちろん、形は放言だが、ホンネである。

 「少し力をつけて日本中を変えよう。ケン力学会はじめよう。それでまたたたかれて…静かになって……これをくり返そう。忍従ばかりで、いい顔ばかりしていたら成仏はできない。
 公明党が眼中になく暴れ回わるのはいいことだ。だいたい日蓮主義というものは元来過激だね。その方が男らしいよ。おとなしいと『みんな日蓮宗ですね』と妙信講あたりがいうよ。
 どうみても日蓮大聖人の仏法ははげしいね。だからヘタ読むと気違いになるよ…… またいつかやろう。もう少しガッチリしてきたら。もうそれ以上いかないというとき、いっぺんやろう。こっちは大折伏を号令するから」(段勲編『創価学会・公明党の研究」)

 池田が、「日蓮大聖人の仏法ははげしい、ヘタ読むと気違いになる」といっているのはまさにホンネだ。  ところで、創価学会では、“依義判文”という言葉を使う。
 学会で軍歌を歌うことについて解説するに、依義判文では、「日本男子と生まれてきて、戦の場に立つならば」を、邪宗との戦いの場とする。「散るべきときに清く散れ」は、弾圧にひるむなであり、「御国にかおれ桜花」は、日蓮正宗は桜花のように薰れ、であると解釈するわけだ。“依義判文”は、こじつけには、まことに便利な教えである。
 池田大作=ホメイニ説は内藤国夫も説くところだが、イスラム教シーア派のホメイニ指導する体制を“依義判文”で日本に日蓮正宗政治をもちこもうというに至っては、時代錯誤の狂信と呼ぶ他ない。

 創価学会は信教の自由の下で、かくも巨大な教団を組織し得た。わが国憲法では、宗教に対する国家公権力の保護、援助、支配、統制を厳しく排除している。憲法第二十条、第八十九条で政治と宗教の分離をハッキリ規定している。即ち、信教の自由の裏づけである。
 創価学会の独善性、排除の論理は、自ら信教の自由をふみにじり、ただただ権力そのものにとりつこうとする。既に、政教一体路線で、公明党の最近の動きは権力の一角に食いこむ手立て(自民党との連合論)をとり始めたとみなければならない。政教一体路線の学会・公明党が権力志向で突っ走る今、彼らの果たす役割は最も反動的で狂信的勢力としての「主役」以外にはない。これぞ、まさしく、ファシズムへの道である。
 私が繰り返してきた創価学会・公明党による政教一体路線がもつファシズムの危険性は、全世界に狂信とテロの嵐が吹きまくる現在、いかに強調しても強調し過ぎるということはない。
 ファシズムが、ヒトラー、ムソリーニのような制服姿で進軍してくるとは限らない。ナチの抬頭について、『ヒトラーとは何か』(セバスチャン・ハフナー著、赤羽龍夫訳)の中に、次のような記述がある。

 「……ヒトラーは决してそう簡単に極右に組み入れるわけにはいかないのである。むろん彼は決して民主主義者ではなかった。彼は人民主義者だったのだ。つまり自分の権力をエリートにでなく、大衆に依拠する人間だった……彼の最も重要な支配の手段は大衆煽動のデマゴギーだった。そして彼の支配の道具は、决して組織された階層秩序ではなく、相互の調整もなく、先頭に立つ彼という人物によってただ一緒にまとめられている無秩序な大衆組織の束だったのだ……」

 政教一体の実働部隊、創価学会の政治出張所となっている公明党の「僧兵」的役割については、第二部において究明しなければならない。
     ----------(次回に、つづく)---------141  

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