自公連立解体論 白川勝彦 2008/10/10 花伝社
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5 詐術的、謀略的手段を平気で用いる自民党-(そのー)
◆詐欺師やKGBの世界
創価学会ウォッチャーたちは創価学会の第三の問題点として以下のことを挙げた。
執拗な攻撃性、暴力性、(司法.選挙など)の制度を悪用、非合法手段の多用、世論操作、やらせ、誹謗中傷、言行不一致、二枚舌、虚偽を平気でいう、品性欠如、ごまかし、自己矛盾,自己撞着、弱者の利用と切捨てなどなど。
まあ、よく挙げたものである。雰囲気は分らない訳ではないが、これでは一体どこに問題性があるのかハッキリしない。そこで私はこのグループをふたつに分けてみた。
ひとつのグループは、(司法.選挙など)の制度を悪用、世論操作、やらせ、誹謗中傷、言行不一致、二枚舌、嘘を平気でいう、品性欠如、ごまかし、自己矛盾・自己撞着、弱者利用と切捨てなどである。
これは詐術的手段を用いる体質といって良いと思う。俗ないい方をすれば、詐欺師の類ということになる。
もうひとつのグループは、執拗な攻撃性、暴力性、(司法.選挙など)の制度を悪用、非合法手段の多用、世論操作、やらせなどである。これは謀略的体質といっていいだろう。浴ないい方をすれば、スパイや強面のヤクザの類である。
同じものを両方にいれたのは、詐術的なものも程度によっては謀略的手段にもなるからである。刑法的にいうならば、前者は詐欺の類である。後者は強盗・恐喝の類である。どちらも許されることではなく、刑法では前者より後者の方が重く罰せられている。しかし、政治的・社会的にはどちらも大きな問題点があり、詐術的手段による被害の方が大きいこともある。
◆「自民党をぶっ潰す」発言の詐術性
創価学会党の本家本元である公明党が詐術的・謀略手段を平気で用いる体質があることは、藤原弘達氏の著書『創価学会を斬る』をめぐる出版妨害事件や宮本顕治共産党議長宅盗聴事件などを丹念にフォローすれば明らかである。このことは多くのジャーナリストがすでに指摘しているので、私がここで繰り返す必要はあるまい。最近自民党は、本家本元の公明党に劣らず詐術的・謀略的手段を平気で弄するようになった。
その第一に挙げなければならないのは、小泉純一郎前総理・総裁の「自民党をぶつ潰す」発言である。これは二〇〇一年(平成ニニ年)四月の自民党総裁選で小泉氏が使った言葉である。
この発言には一応、自民党が「私(小泉)の改革に反対するようならば」という前提条件が付いているのだが、それにしてもおかしい。その場合小泉氏がどうやって自民党をぶっ潰すのかということは一切明らかにされていない。要するにレトリックの問題でしかないのだ。そもそも自民党の政治家や党員が小泉氏のいう改革に殉ずるなどと信ずる方がお人好しである。
思い出してほしい。二〇〇一年(平成一三年)四月の総裁選は、支持率が一〇%を切った森喜朗首相の後継を選ぶ選挙であった。自民党の支持率もかなり落ちていた。そして東京都議会議員選挙と参議院選挙がその夏に予定されていた。都議会議員候補者からは悲鳴があがっていた。自民党全体も喘いでいた。中には自民党崩壊の危機感をもっていた者もいたであろう。
その党の最高責任者を選ぼうという選挙なのである。だから改革を訴えることは避けて通れなかったのだが、だからといつて改革に反対するようだったら自民党をぶっ潰すという最高責任者を選ぶことなど、自民党の総裁選としてそもそもあり得ることではない。そして小泉氏やこれを支持した国会議員や党員は、自民党総裁に自民党をぶっ潰す権限があると本気で考えていたのだろうか。そもそも最初から論理の矛盾した、いかがわしいスローガンなのである。
◆党利党略・派利派略の政治家--小泉純一郎
立候補の直前まで、小泉氏は自民党を危機的な状況まで陥れた森首相を支えていた森派の会長だった。
半年前の二〇〇〇年(平成一二年)一一月にいわゆる「加藤の乱」があった。加藤の乱が起こったとき、国民は圧倒的に加藤氏を支持した。加藤氏は自民党を出るなどと一切いわなかったが、加藤氏が挫折せずにあのまま真っ直ぐに戦っていれば森内閣は間違いなく不信任となり、自民党と公明党は野党になっていたであろう。
小泉氏はそのような政局の中にあつて、野中幹事長や公明党と共に加藤の乱を鎮圧する先頭に立ったのである。 野中氏は小渕派の代表として幹事長に座っていた。公明党は小渕首相のときに政権に参加して、まだ一年ちょっとしか経っていなかった。せっかく手に入れた政権を離してなるものかと必死であった。
そもそも森内閣は、小渕首相の急逝をうけて緊急避難的に小渕派や公明党が中心になって作った内閣であった。 本来ならば小泉氏がもっとも敵対していた党内勢力が作った内閣であったが、森氏が首相となったために派閥的な理由で小泉氏はこれを支持したのである。小泉氏は俗にいわれているような理念型の政治家ではなく、きわめて俗物的な派閥型政治家なのである。
この点について、小泉氏と大学時代の同級生であり、政治家としても同じグループで行動してきた栗本慎一郎元代議士は、小泉純一郎という政治家はもっとも悪しき意味における派閥政治家であると証言している。私自身も栗本氏からこのことを何度も聴いた。
自民党を改革するといった小泉氏の決意が本物だったとするならば、総裁選に立候補するにあたり率先垂範して森派を解散するくらいしてこそ、自民党改革の決意が本物だということになる。森派の会長なのであるから、小泉氏の決意ひとつでこのことは実行できたはずである。
それとも派閥の解消は小泉氏のいう自民党改革の中にはいってなかったのだろうか? もしそうだったとしたら、閣僚人事で派閥とは一切交渉しないというのは一体何なのだといいたい。
◆後は野となれ山となれ的な発言
このように小泉氏が改革と称していったことは、論理矛盾もいいところだし、滅茶苦茶なものだった。当時自民党は本当にギリギリのところまで追い詰められていた。また小泉氏にとっては三回目の総裁選の立候補であり、本人は最後の戦いと思い詰めていたのだろう。この総裁選挙からそんなに日を置かずして首相となった小泉氏に私は会ったが、まさかあんな大差で当選するとはまったく考えていなかつたと本気でいっていた。これは多分本音であろう。
以上を総合すると自民党にとっても小泉氏にとってもギリギリまで追い詰められた状況の中で、口から出まかせ・後は野となれ山となれ的に発言したのが、「自民党をぶつ潰す」発言だったのだ。「八月一五日にいかなる困難があっても靖国神社に参拝する」と発言したのも、遺族会の票目当ての破れかぶれ的な発言なのである。もっとも有力な候補であった橋本龍太郎元首相は遺族会の会長であった。
そして、五年半の小泉首相の在任の間にどういう結果となったかをみれば、小泉氏の発言が如何なるものだったか理解できょう。まず総裁になったすぐ後に行われた参議院選挙では、小泉フィーバーで自民党は圧勝した。また自民党内の他の派閥は派閥の体をなさないくらいに解体されたのに比べ、森派だけは肥大化し自民党最大の派閥となった。
それでは、自民党は改革されたのだろうか。確かに馬鹿のひとつ覚えのように改革を口にする自民党や公明党の国会議員が増えたことは事実である。しかし、自民党や公明党が改革されたなどと思っている国民はほとんどいないであろう。政治は結果責任といわれるではないか。
政治家の狙いや本音は、結果をみることによって明らかになる。
◆詐取した三分の二の議席
小泉自民党は 二〇〇〇一年(平成一三年)の参議院選挙と二〇〇五年(平成一七年)の郵政解散選挙以外は、実は選挙に勝っていないのである。二〇〇四年(平成一六年)の参議院選挙では、民主党五〇議席に対して自民党は四九議席だった。二〇〇三年(平成一五年)の衆議院総選挙では比例区では民主党に第一党の地位を許してしまったのである。どちらも政治的には明らかな敗北である。
しかし、小泉氏というと選挙に強かったという印象が残っているのはどうしてであろうか。
それは二〇〇一年(平成ニニ年)の小泉フィーバーで勝った参議院選挙と小泉劇場を演出して雪崩現象を起こして勝った二〇〇五年(平成一七年)の総選挙の印象があまりにも強烈だったからであろう。
それでは、郵政解散の最大の問題点は何処にあるのだろうか。私は郵政政策に長く携わり望んで郵政政務次官などを務めた関係で、小泉首相がいうところの郵政民営化はまやかしであり間違っていると断言できる。郵政問題の本質は郵便を含めて通信の秘密をどう守るかという根源的な基本的人権の問題なのである。だが、今回はそのことは触れないことにする。
小泉氏は郵政民営化の是非を国民に問うことで、民営化法案に賛成した衆議院を解散した。
ある種の国民投票をやろうとしたのである。しかし、わが国の統治システムには国民投票という制度はない。そのような制度がないのに国民投票的手段を用いたのだ。
一見民主的に見えるが、郵政民営化賛成ということで投票し、その候補が当選すれば他の問題についても条件を付けず委任を受けたことになるのである。そして現に教育基本法やら防衛省設置法などの重要法案を次から次へと成立させたではないか。
騙した小泉首相が悪いのか、騙された国民がお人好しというべきなのか、ほとんどすべての人が参加した小泉劇場なので、あえて断定は避けよう。しかし、一見民主的なように見える国民投票というイメージで議席を詐取した手法は、強く非難されなければならない。こういうことが許されれば、エビで鯛を釣ることがいつもできることとなる。
◆創価学会党の面目躍如たる郵政造反議員の復党
「新聞なき政府と、政府なき新聞のどちらを選ぶと問われたら、私は躊躇せず後者だ」といったのは、アメリカ合衆国第三代大統領トーマス・ジェファーソン(1743~1826)である。
ジエファーソンの時代には、ラジオもテレビもなかった。だからマスコミといえば新聞だけだった。マスコミの監視や批判に晒されない政府は、必ず悪政や暴政を行う政府になるという戒めだ。
現在のわが国のマスコミは、批判をしないばかりではなく自公“合体”政権と合体しはじめたようである。こうなったらもう悪政や暴政が行われるのは自然の流れというものである。詐術的手段で衆議院の三分の二を超える議席を詐取した自公“合体”政権は、この夏に行われる参議院選挙で仮に負けても、憲法五九条の三分の二条項を使つて悪政を強行しょうとしている。
郵政造反議員の復党は、このことを念頭において行ったものとみるべきである。郵政民営化賛成で当選した者も、郵政民営化に反対で当選した者も、両方とも自分の物としてしまおうという呆れた根性である。こうなると詐術的というより、政治的謀略といった方がいいだろう。
詐術的・謀略的手段を平気で用いる創価学会党の面目躍如ではないか。
◆「立派な」謀略国家となる危険性
創価学会や公明党には詐術的・謀略的行為を実行する特別の組織があるといわれている。私はその関係者にあったこともある。また創価学会が莫大な資金量や新聞の印刷などでマスコミを懐柔していることは広く知られている。
自民党の場合、私はその中枢にいたことがあるので良く知っているが、近年では党内にはそのような特別な組織はなかった。多分いまもないであろう。独立した個人が基本の自民党では、そのようなことを実行する組織を作ることは、本質的に困難なのである。
しかし、自民党が電通や一部の右翼的マスコミを使って世論操作やマスコミ介入を行うことは十分可能である。 自民党の広告宣伝費それ自体はそんなに大したものではないが、政府広報などを含めれば電通にかなり払うことは可能である。タウンミーティングなど問題となった政府の広報関係で名前が取り沙汰されたのは、ほとんど電通であった。
また政府には警察や検察や国税がある。自民党はこれらにも大きな影響力をもっている。これらが政治的意図をもって動けば、謀略に正義の装いをこらして行うことも可能となる。国策捜査などという言葉が最近使われるようになった。そのように感じられる胡散臭い事件も最近よくあるような気がする。こうなったらわが国はもう「立派な」謀略国家である。
私たちは、心して監視しなければならない。
---------(149P)-------つづく--