創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

自公連立解体論-29

2016-07-31 08:37:01 | Weblog

自公連立解体論  白川勝彦 2008/10/10 花伝社
    ------(141P)---(以下、本文)-------

5 詐術的、謀略的手段を平気で用いる自民党-(そのー)
◆詐欺師やKGBの世界
 創価学会ウォッチャーたちは創価学会の第三の問題点として以下のことを挙げた。
 執拗な攻撃性、暴力性、(司法.選挙など)の制度を悪用、非合法手段の多用、世論操作、やらせ、誹謗中傷、言行不一致、二枚舌、虚偽を平気でいう、品性欠如、ごまかし、自己矛盾,自己撞着、弱者の利用と切捨てなどなど。
 まあ、よく挙げたものである。雰囲気は分らない訳ではないが、これでは一体どこに問題性があるのかハッキリしない。そこで私はこのグループをふたつに分けてみた。
 ひとつのグループは、(司法.選挙など)の制度を悪用、世論操作、やらせ、誹謗中傷、言行不一致、二枚舌、嘘を平気でいう、品性欠如、ごまかし、自己矛盾・自己撞着、弱者利用と切捨てなどである。
 これは詐術的手段を用いる体質といって良いと思う。俗ないい方をすれば、詐欺師の類ということになる。
 もうひとつのグループは、執拗な攻撃性、暴力性、(司法.選挙など)の制度を悪用、非合法手段の多用、世論操作、やらせなどである。これは謀略的体質といっていいだろう。浴ないい方をすれば、スパイや強面のヤクザの類である。
 同じものを両方にいれたのは、詐術的なものも程度によっては謀略的手段にもなるからである。刑法的にいうならば、前者は詐欺の類である。後者は強盗・恐喝の類である。どちらも許されることではなく、刑法では前者より後者の方が重く罰せられている。しかし、政治的・社会的にはどちらも大きな問題点があり、詐術的手段による被害の方が大きいこともある。

◆「自民党をぶっ潰す」発言の詐術性
 創価学会党の本家本元である公明党が詐術的・謀略手段を平気で用いる体質があることは、藤原弘達氏の著書『創価学会を斬る』をめぐる出版妨害事件や宮本顕治共産党議長宅盗聴事件などを丹念にフォローすれば明らかである。このことは多くのジャーナリストがすでに指摘しているので、私がここで繰り返す必要はあるまい。最近自民党は、本家本元の公明党に劣らず詐術的・謀略的手段を平気で弄するようになった。
 その第一に挙げなければならないのは、小泉純一郎前総理・総裁の「自民党をぶつ潰す」発言である。これは二〇〇一年(平成ニニ年)四月の自民党総裁選で小泉氏が使った言葉である。
 この発言には一応、自民党が「私(小泉)の改革に反対するようならば」という前提条件が付いているのだが、それにしてもおかしい。その場合小泉氏がどうやって自民党をぶっ潰すのかということは一切明らかにされていない。要するにレトリックの問題でしかないのだ。そもそも自民党の政治家や党員が小泉氏のいう改革に殉ずるなどと信ずる方がお人好しである。
 思い出してほしい。二〇〇一年(平成一三年)四月の総裁選は、支持率が一〇%を切った森喜朗首相の後継を選ぶ選挙であった。自民党の支持率もかなり落ちていた。そして東京都議会議員選挙と参議院選挙がその夏に予定されていた。都議会議員候補者からは悲鳴があがっていた。自民党全体も喘いでいた。中には自民党崩壊の危機感をもっていた者もいたであろう。
 その党の最高責任者を選ぼうという選挙なのである。だから改革を訴えることは避けて通れなかったのだが、だからといつて改革に反対するようだったら自民党をぶっ潰すという最高責任者を選ぶことなど、自民党の総裁選としてそもそもあり得ることではない。そして小泉氏やこれを支持した国会議員や党員は、自民党総裁に自民党をぶっ潰す権限があると本気で考えていたのだろうか。そもそも最初から論理の矛盾した、いかがわしいスローガンなのである。

◆党利党略・派利派略の政治家--小泉純一郎
 立候補の直前まで、小泉氏は自民党を危機的な状況まで陥れた森首相を支えていた森派の会長だった。
 半年前の二〇〇〇年(平成一二年)一一月にいわゆる「加藤の乱」があった。加藤の乱が起こったとき、国民は圧倒的に加藤氏を支持した。加藤氏は自民党を出るなどと一切いわなかったが、加藤氏が挫折せずにあのまま真っ直ぐに戦っていれば森内閣は間違いなく不信任となり、自民党と公明党は野党になっていたであろう。
 小泉氏はそのような政局の中にあつて、野中幹事長や公明党と共に加藤の乱を鎮圧する先頭に立ったのである。 野中氏は小渕派の代表として幹事長に座っていた。公明党は小渕首相のときに政権に参加して、まだ一年ちょっとしか経っていなかった。せっかく手に入れた政権を離してなるものかと必死であった。
 そもそも森内閣は、小渕首相の急逝をうけて緊急避難的に小渕派や公明党が中心になって作った内閣であった。 本来ならば小泉氏がもっとも敵対していた党内勢力が作った内閣であったが、森氏が首相となったために派閥的な理由で小泉氏はこれを支持したのである。小泉氏は俗にいわれているような理念型の政治家ではなく、きわめて俗物的な派閥型政治家なのである。
 この点について、小泉氏と大学時代の同級生であり、政治家としても同じグループで行動してきた栗本慎一郎元代議士は、小泉純一郎という政治家はもっとも悪しき意味における派閥政治家であると証言している。私自身も栗本氏からこのことを何度も聴いた。
 自民党を改革するといった小泉氏の決意が本物だったとするならば、総裁選に立候補するにあたり率先垂範して森派を解散するくらいしてこそ、自民党改革の決意が本物だということになる。森派の会長なのであるから、小泉氏の決意ひとつでこのことは実行できたはずである。
 それとも派閥の解消は小泉氏のいう自民党改革の中にはいってなかったのだろうか? もしそうだったとしたら、閣僚人事で派閥とは一切交渉しないというのは一体何なのだといいたい。

◆後は野となれ山となれ的な発言
 このように小泉氏が改革と称していったことは、論理矛盾もいいところだし、滅茶苦茶なものだった。当時自民党は本当にギリギリのところまで追い詰められていた。また小泉氏にとっては三回目の総裁選の立候補であり、本人は最後の戦いと思い詰めていたのだろう。この総裁選挙からそんなに日を置かずして首相となった小泉氏に私は会ったが、まさかあんな大差で当選するとはまったく考えていなかつたと本気でいっていた。これは多分本音であろう。
 以上を総合すると自民党にとっても小泉氏にとってもギリギリまで追い詰められた状況の中で、口から出まかせ・後は野となれ山となれ的に発言したのが、「自民党をぶつ潰す」発言だったのだ。「八月一五日にいかなる困難があっても靖国神社に参拝する」と発言したのも、遺族会の票目当ての破れかぶれ的な発言なのである。もっとも有力な候補であった橋本龍太郎元首相は遺族会の会長であった。
 そして、五年半の小泉首相の在任の間にどういう結果となったかをみれば、小泉氏の発言が如何なるものだったか理解できょう。まず総裁になったすぐ後に行われた参議院選挙では、小泉フィーバーで自民党は圧勝した。また自民党内の他の派閥は派閥の体をなさないくらいに解体されたのに比べ、森派だけは肥大化し自民党最大の派閥となった。
 それでは、自民党は改革されたのだろうか。確かに馬鹿のひとつ覚えのように改革を口にする自民党や公明党の国会議員が増えたことは事実である。しかし、自民党や公明党が改革されたなどと思っている国民はほとんどいないであろう。政治は結果責任といわれるではないか。
 政治家の狙いや本音は、結果をみることによって明らかになる。

◆詐取した三分の二の議席
 小泉自民党は 二〇〇〇一年(平成一三年)の参議院選挙と二〇〇五年(平成一七年)の郵政解散選挙以外は、実は選挙に勝っていないのである。二〇〇四年(平成一六年)の参議院選挙では、民主党五〇議席に対して自民党は四九議席だった。二〇〇三年(平成一五年)の衆議院総選挙では比例区では民主党に第一党の地位を許してしまったのである。どちらも政治的には明らかな敗北である。
 しかし、小泉氏というと選挙に強かったという印象が残っているのはどうしてであろうか。
 それは二〇〇一年(平成ニニ年)の小泉フィーバーで勝った参議院選挙と小泉劇場を演出して雪崩現象を起こして勝った二〇〇五年(平成一七年)の総選挙の印象があまりにも強烈だったからであろう。
 それでは、郵政解散の最大の問題点は何処にあるのだろうか。私は郵政政策に長く携わり望んで郵政政務次官などを務めた関係で、小泉首相がいうところの郵政民営化はまやかしであり間違っていると断言できる。郵政問題の本質は郵便を含めて通信の秘密をどう守るかという根源的な基本的人権の問題なのである。だが、今回はそのことは触れないことにする。
 小泉氏は郵政民営化の是非を国民に問うことで、民営化法案に賛成した衆議院を解散した。
 ある種の国民投票をやろうとしたのである。しかし、わが国の統治システムには国民投票という制度はない。そのような制度がないのに国民投票的手段を用いたのだ。
 一見民主的に見えるが、郵政民営化賛成ということで投票し、その候補が当選すれば他の問題についても条件を付けず委任を受けたことになるのである。そして現に教育基本法やら防衛省設置法などの重要法案を次から次へと成立させたではないか。
 騙した小泉首相が悪いのか、騙された国民がお人好しというべきなのか、ほとんどすべての人が参加した小泉劇場なので、あえて断定は避けよう。しかし、一見民主的なように見える国民投票というイメージで議席を詐取した手法は、強く非難されなければならない。こういうことが許されれば、エビで鯛を釣ることがいつもできることとなる。

◆創価学会党の面目躍如たる郵政造反議員の復党
「新聞なき政府と、政府なき新聞のどちらを選ぶと問われたら、私は躊躇せず後者だ」といったのは、アメリカ合衆国第三代大統領トーマス・ジェファーソン(1743~1826)である。
 ジエファーソンの時代には、ラジオもテレビもなかった。だからマスコミといえば新聞だけだった。マスコミの監視や批判に晒されない政府は、必ず悪政や暴政を行う政府になるという戒めだ。
 現在のわが国のマスコミは、批判をしないばかりではなく自公“合体”政権と合体しはじめたようである。こうなったらもう悪政や暴政が行われるのは自然の流れというものである。詐術的手段で衆議院の三分の二を超える議席を詐取した自公“合体”政権は、この夏に行われる参議院選挙で仮に負けても、憲法五九条の三分の二条項を使つて悪政を強行しょうとしている。
 郵政造反議員の復党は、このことを念頭において行ったものとみるべきである。郵政民営化賛成で当選した者も、郵政民営化に反対で当選した者も、両方とも自分の物としてしまおうという呆れた根性である。こうなると詐術的というより、政治的謀略といった方がいいだろう。
 詐術的・謀略的手段を平気で用いる創価学会党の面目躍如ではないか。

◆「立派な」謀略国家となる危険性
 創価学会や公明党には詐術的・謀略的行為を実行する特別の組織があるといわれている。私はその関係者にあったこともある。また創価学会が莫大な資金量や新聞の印刷などでマスコミを懐柔していることは広く知られている。
 自民党の場合、私はその中枢にいたことがあるので良く知っているが、近年では党内にはそのような特別な組織はなかった。多分いまもないであろう。独立した個人が基本の自民党では、そのようなことを実行する組織を作ることは、本質的に困難なのである。
 しかし、自民党が電通や一部の右翼的マスコミを使って世論操作やマスコミ介入を行うことは十分可能である。 自民党の広告宣伝費それ自体はそんなに大したものではないが、政府広報などを含めれば電通にかなり払うことは可能である。タウンミーティングなど問題となった政府の広報関係で名前が取り沙汰されたのは、ほとんど電通であった。
 また政府には警察や検察や国税がある。自民党はこれらにも大きな影響力をもっている。これらが政治的意図をもって動けば、謀略に正義の装いをこらして行うことも可能となる。国策捜査などという言葉が最近使われるようになった。そのように感じられる胡散臭い事件も最近よくあるような気がする。こうなったらわが国はもう「立派な」謀略国家である。
 私たちは、心して監視しなければならない。
       ---------(149P)-------つづく--

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自公連立解体論-28

2016-07-30 09:04:49 | Weblog

自公連立解体論  白川勝彦 2008/10/10 花伝社
    ------(133P)---(以下、本文)-------

4 反自由的で非民主的となった自民党
◆創価学会の第二の特質
 創価学会ウオッチャーは創価学会の第二の問題点として以下のようなものを挙げた。言論封殺、反人権、権力主義、上意下達、中央集権、大衆蔑視、独裁者崇拝、議会制民主主義否定などなど。私はこれを要して「反自由にして非民主的な体質」と呼びたい。
 創価学会党の本家である公明党にはこのような体質が見事なまでに備わつていることは国民の多くが知っているところである。それでは創価学会党化した自民党では、この点はどうであろうか。
 最近の自民党は、公明党に比べてもそんなに遜色のない反自由的で、非民主的な政党となってしまった。そして恐ろしいことは、自民党が反自由的で非民主的な社会や国を作る先頭に立っていることである。

◆“不自由非民主党”との嘆きが……
 「最近、自民党の若手議員のなかには、自民党とは“不自由非民主党”の略だと自嘲気味に言う人が多くなりました。その人自身が不自由非民主党でもいいと思っているのなら、それでもかまいません。しかし、それならば自由民主党と名乗るのはやめてもらわなければなりません。混乱のもとです。
 もっとも、人間は自分にないものを名前につけたがるものだと言う人もいます。自由で民主的でないから、せめて名前だけでも自由民主党。
 公明正大にやれないから、公明党。一面の真理かもしれません。
 これは私が二〇〇一年(平成一三年)五月に発刊した拙著『自民党を倒せば日本は良くなる』の一節(同書二六頁)である。この時点で私はすでに自民党を離党していた。その私に対して多くの自民党の若手義員が“不自由非民主党”という言葉を使って当時の現状を嘆いた。それまで私はそのような表現を使って、自由や民主性がないことを非難したり嘆いたりことを聞いたことはなかった。
 私はそれまでも党執行部などに平気で抵抗してきたし、戦いを通じてそれなりに心身ともに頑強な政治家として鍛えられてきた。そして加藤の乱が起きた時には国会議員でなかったし、加藤派鎮圧を党内で直接受けた訳ではない。良きリーダーを失った若い政治家に私と同じように行動せよという方が無理なのかもしれない。その当時から自民党は、不自由で非民主的な党になり始めていたのだ。

◆なぜ反自由的な政党になったのか
 自分勝手党と揶揄されることはあったが、不自由非民主党などと自嘲気味にも呼ばれなかった自民党が、そうなったのには二つの理由が考えられる。そのひとつは、小選挙区制の導入により選挙において党執行部の権限が大きくなったからであろう。もうひとつは、公明党との連立がもたらした弊害であろう。
 第一の理由を私は故なしとしない。しかし、それのみを理由とすることにも反対である。小選挙区制を採用しているアメリカやイギリスでそのようにはなっていないからである。
 やはり連立の相手である公明党の特異な体質が影響していると考えざるを得ない。最初のころは、不自由程度だったのかもしれないが、連立を組んで一〇年以上経つと、不自由を通りこして「反自由」と表現した方が良いという段階まで来たというべきであろう。
 自由主義を基本的理念としない公明党が、国民の自由について鈍感で敵対的な政策を採るのはそれ自体そんなに不思議なことではない。しかし、曲がりなりにも自由主義を指導理念として標榜している自民党が、国民の自由=基本的人権に対して鈍感かつ敵対的な政策を採用することは許されない。

◆自公“合体”政権と官僚との癒着
 官僚というものは本質的に反自由的なものである。それは古今東西の官僚の通弊である。わが国の政治がいまなお官僚に強く支配されていることは、国民の共通した認識である。国民の代表たる政権党が官僚の反自由的なところをチェックしない限り、官僚の立案する法律や政策は反自由的であり、非民主的なものとなることは当然の成り行きである。
 民主主義体制の国では、官僚は自ら政権を組織することはできない。従って政権を組織しそうな政党に擦り寄り、さらにはこれに寄生して官僚の地位と権限と組織を増殖しょうとする。
 官僚にとっていちばん相性がいいのが、反自由的で非民主的な政党である。すなわち創価学会党は、官僚が望む政党なのである。創価学会党の本家本元の公明党と創価学会党化した自民党が組織する政権の下で、政党と官僚の癒着が進むのは当然の帰結なのである。
 党内のリベラル派を抹殺した自民党には、自由主義の立場から官僚の立案した法律や政策をチェックする能力はなくなってしまった。国民はこの現実を知らなければならない。それでもあまりにもひどい場合には、自民党のリベラル派が一定の歯止めをかけてくれるだろうとの幻想を抱くことは危険である。党内のリベラル派はすでに完全に殲滅させられたからである。

◆自民党の長期政権の秘密
 自民党の総裁は、党の代表であり貴任者である。それは過去も現在も変わらない。しかし、小泉純一郎という自民党総裁は独裁者として行動し、自民党の国会議員や党員はこれを許容するばかりか、熱狂的に歓迎したのである。これまでにも大きな力をもった総裁や実力者はいたが、自民党はその人が独裁者として振舞うことを許容しなかったし、歓迎することなど決してなかった。
 大きな力をもつた総裁や実力者に対して果敢に挑戦する者がいつの時代も常に存在していた。その挑戦者が勝ったか負けたかはこの際あまり重要なことではない。党の権力者を批判する者が党内に常に存在していたことに意味があるのである。
 大きな力をもつ総裁や実力者に挑戦する者は、敗北するケースが多かったことは事実だが、いつかはその存在が大きな役割を果たすことも多かった。振り子の原理による擬似政権交代と呼ばれるものだ。このようなシステムを意識的か無意識的か知らないが自民党が党内にもっていたことが、長い間政権党でいられた大きなカラクリなのである。例えば金権批判で退陣を余儀なくされた田中首相の後継者に、“晴天の霹靂”で三木武夫氏が指名されたことはその典型として多くの人が知るところである。一九九三年(平成五年)の総選挙で野党になった自民党を、一年足らずで自社さ連立政権で政権党に復帰させたのは、保守リベラルといわれてきた私たちだった。護憲をレゾンデートルとする社会党との連立は、憲法改正を声高に叫ぶ自主憲法制定派が主導権をもつ自民党では構想もできなかったであろうし、実現させることは決してできなかったであろう。

◆独裁者が指名した後継総裁
 小泉氏の後継総裁に安倍晋三氏がなれた最大の理由は、当時独裁者として自民党に君臨していた小泉純一郎総裁が陰に陽にあらゆるテク二ックを使って事実上安倍氏を指名したからである。
 総裁選は確かに行われたが、最初から党内でもマスコミでも消化試合と揶揄されていた。小泉首相の“改革路線”に対して明確なアンチテーゼを提起する侯浦者は立候補することすらできなかった。
 自民党には田中角栄支配といわれる時代がかなりあった。私の国会議員としての前半の活動は、この田中支配から自民党を解放することにあったといっても過言ではない。その時代でも、今回のような気の抜けた総裁選はなかった。
 二〇〇六年(平成一八年)の総裁選を観ていて私が感じたことは、委員長選挙を一回もやったことがない公明党の党首選びと一体どこが違うのだろうかということだった。私にはその差異は見出せない。政治的にはまったく評価する経歴も材料もない安倍晋三氏に、党内の国会議員が我も我もと先を急いで群がって行くのは、おかしかったというより不気味だった。
 小泉氏は独裁者として振舞った。これに反対する者には刺客が放たれ、抹殺されたのが郵政解散選挙だった。小泉劇場と呼ばれた政変劇である。刺客を志願する者が多くいたし、これを歓迎する多くの国民がいたことを私たちはこの目で観た。
 このような政治的ビヘイビアを見て、近隣の諸国がわが国に対して恐怖の念を抱いたのは、私は想像に難くない。わが国の軍事独裁政権に蹂躪されたアジア諸国が、わが国に対する警戒感をなかなか捨てきれないのは、実はこんなところにあるのではないか。
 わが国民には独裁者を好む性癖があるのかもしれない。自由を愛し、民主体制を望む者は、このことを常に自重自戒しなければならない。
 安倍首相は、独裁者であった小泉首相が事実上指名した後継者である。安倍氏が独裁者となれるかどうかはいまのところ不明である。業績が芳しくなければ、安倍首相は自民党の独裁者にはなれないであろう。しかし、自民党という政党の国会議員や党員が独裁者を許容し、いい方を変えれば独裁者を望む体質が多分にあることを私たちは忘れてはならない。

◆党運営は国家運営のモデルである
 政党の運営の仕方を国民はよく観ておく必要があると私は考えている。なぜならば、政党の運営の仕方を観ているとその政党が政権をとった場合、同じような仕方で国家を運営するからである。
 共産党政権の国では、共産党の体質を反映した国家運営がなされていた。このことは多くの人々が知っているところであろう。これは共産党政権の国だけにいえることと私は思っていない。
 自由主義国家には、健全な自由主義政党がなければならない。わが国の憲法は世界に冠たる自由主義憲法だか、わか国が世界に冠たる自由主義国家かと問われたとき、自信をもってそうだといい切れる人が一体どのくらいいるだろうか。それは長い間政権を担当してきた自民党が健全な自由主義政党でなかったところに原因を求められる。
 党内リベラル派を殲滅した自民党に、自由主義者と呼べる人が一体どのくらいいるのだろうか。私は自らの体験に照らして、それは“木に登って魚を求める類だ”と考えているが、甘い幻想を抱くことだけは危険だとあえて忠告しておく。
 公明党は、創価学会党の本家本元として見事なまでに反自由的であり、非民主的な党である。
 そして選挙協力を餌に、公明党は自民党に対して創価学会党たる持質を強く求めているだろう。
 党内の実力者を批判したり対抗することを止めた自民党の国会議員が、肉食動物のとしての牙をもつ公明党のこのようなプレッシャーに抵抗するとは私には考えられないのである。
 自民党は今後ますます反自由的になり、非民主的になっていくであろう。私はその例をあえて指摘する必要を認めない。多くの国民がこのことを随所で感じていると思うからである。

◆今は昔--自分勝手党
 自分勝手党などと揶揄されたころには、まだ健全な自由主義政党になる一縷の望みはあった。
 少なくとも私は自分勝手党の中に二〇数年間いて、自由闊達に行動した。それが許されたし、そのような者が所属する派閥から党の指導者=総裁や幹事長が何度も出た。大手を振って歩いていたかどうかは別にして、肩身が狭い思いをしたことはまったくなかった。
 そのような党風の中で、自民党は国民世論を反映する党の運営や政策をある程度実行せざるを得ないシステムを党内にもっていた。自分勝手党の時代ならば、刺客作戦など決して成功しなかったであろう。“私は偉大なるイエスマン”と臆面もなくいうおかしな幹事長は決して現れなかったであろう。
 昭和二〇年代の自由党(自民党の前身)の除名騒動などがあった激しいバトルは、書物の中でしか私は知らないが、一九八〇年(昭和五五年)のハプニング解散は実際に私はこの目で観た。大平内閣の不信任案に賛成した候補者もほとんど当選した。中選挙区制だったからと片付けることはできないであろう。日本風にいえば判官贔屓、中国風にいえば造反有理、アメリカ風にいえば反デクテイター(=独裁者)ということであろうか。いずれの国においても独裁者は嫌われてきた。
 しかし、公明党と自民党には独裁者がいるか、あるいは独裁者を求める体質があるということに私たちは注意しなければならない。自民党と公明党が合体して組織する政権(私はこれを自公“合体”政権と呼ぶこととする)を握っている、正確にいえば国民が握らせていることを、私たちは忘れてはならない。
       ---------(140P)-------つづく--

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自公連立解体論-27

2016-07-29 07:08:44 | Weblog

自公連立解体論  白川勝彦 2008/10/10 花伝社
    ------(123P)---(以下、本文)-------

3 排他独善、高じて批判者を抹殺する自民党ーその2
◆まんざらでもない自分勝手党
 排他独善、高じて批判者を抹殺する体質は、創価学会のもっとも非民主的で反社会的な問題点として多くの識者が指摘するところである。このような体質となった自民党すなわち創価学会党化した自民党について、前号に引き続いて私が実際に体験したことなどをも踏まえてさらに詳しくみることとする。
 私は一九七五年(昭和五〇年)に衆議院選挙に立候補することを決意し、そのための政治活動を始めた。国政に参加することを目指しているのであるから、いかなる政党に所属して政治活動をするかということは曖昧にはできない問題であった。私は躊躇することなく自分が所属したい政党は自民党だと表明した。
 その理由は極めてはっきりしていた。その当時存在していた政党の中で、自由主義を党の基本的な理念としていた政党は自民党しかなかったからである。日本社会党は社会主義、日本共産党は共産主義、民社党は民主社会主義、公明党は人間性社会主義をそれぞれ党の基本理念として掲げていた。自由主義者を自認する私としては、少なくともこれらの党に所属することは理屈としてできなかった。
 自民党が自由主義を掲げていたからといって、自由主義政党であるかどうかは別問題である。
 私も一八歳の時から政治活動をそれなりにやっていたので、それほど単純にみていたわけではない。例えばナチスの正式名称は、国家社会主義ドイツ労働者党である。
 しかし、自由主義と明らかに異なる政治理念を掲げる政党に所属することはできない。また自民党が自由と民主という看板を掲げている以上、自由主義そのものを否定することはできないだろうと考えたからである。そして私の政治活動の目的は、日本に真の自由主義政党を作ることだった。真の自由主義政党がなければ、わが国の自由主義を本当に発展させることも、根付かせることもできないと考えたからである。
 これは基本的には間違いではなかった。自民党は自由主義者が集まって作っている政党などという高尚なものでは決してなかった。 自由主義などを全然理解できない人々もけっこういた。しかし、立派な自由主義者もいた。私の政治の恩師である大平正芳氏などは、戦後におけるもっとも毅然とした自由主義者であった。こうした優れた自由主義者が一派(宏池会)をなすことができたのも自民党であった。
 自民党は自分勝手党などと揶揄されることもあった。二〇数年間自民党に籍をおき、党本部の重要な役員もいくつかやったが、この表現はそれなりに自民党の本質をいい当てているように思う。しかし、それほど捨てたものでもないと思うこともあった。
 ひとつは、戦後のわが国の政権を担当し、日本を自由で豊かな国にしたことである。自由主義や民主主義とまったく相反することをやつていたのではこういう成果をあげることはできない。ふたつめは、私のようなかなり激しい自由主義者でも苦労がなかった訳ではないが、それなりに活動することができることであった。

◆自由主義政党とタブー
 自由主義社会であるかどうかは、いかなる主義や主張でも自由であることである。自由主義社会では、たとえ自由主義を否定する考えといえどもその自由を認めるということである。自由な社会では、そのような考えが尊敬されることはないであろうが--。
 自由主義政党は、本来は自由主義者が集まって作り、自由主義の理念に基づき党の運営や政策が遂行されることが理想である。自民党はそれほど立派な自由主義政党でなかったことは確かである。しかし自由かつ民主的に運営されてきたかどうかは別にして、少数意見を排除したり批判者を抹殺するようなことはなかった。
 自民党は自主憲法制定すなわち憲法改正を党是とするといわれている。本当はこのことも怪しいのだが、現在の憲法を改正する必要は見出せないと公然と主張していた私を排斥したり除名したりすることはなかった。私がそのような主張をすることは何の支障もなかったし、その主張の故に党内の池位が不安定になったり不利益となるようなことはなかった。
 自由主義政党で、社会主義を基本理念とすべきと主張することなどは政党の性格からしてありえないが、それ以外は本来自由でなければならない。私にいわせれば自由主義に反するような主張をする者もけっこういたがそれ故に除名されることはなかったが、それと同じように私のような者も除名されるようなこともなかった。田中角栄氏が党内の三分の一近くの議員を集め大派閥を形成していたときでも、田中政治を批判することはできたし、現にそのような動きもあった。
 自由主義政党においては、タブーは許されない。自由主義の政治思想には、侵すことのできない絶対的な存在としての神も仏も国王も指導者もいない。そのすベてが批判の対象となる。
 その批判に堪え得るもののみが、政治の世界に君臨できる。「偽りの絶対的な存在」は、批判を嫌う。これを弾圧しようとする。その最も激しい形態が、批判者の抹殺である。

◆エゲツない落選工作
 創価学会党の本家である公明党の批判者抹殺は有名である。公明党の要職にあった者でも例外ではない。かって公明党委員長であった竹入義勝氏や委員長、書記長であった矢野絢也氏に対して、創価学会・公明党は社会的に抹殺すべくその機関紙などを使つて罵詈雑言を浴びせている。少しでも池田大作氏を批判すれば、誰であっても容赦呵責ないのだ。
 私も自民党から同じようなことをされた。最初のそれは二〇〇〇年(平成一二年)の総選挙の時である。私は新潟六区から自民党公認候補として立候補した。私は自民党が公明党と連立した後も、党内有志と共に「政教分離を貫く会」を設立するなどしてこの連立に反対してきた。
 だから公明党が私を推薦しないのは構わないし、私も創価学会や公明党の推薦を受けようとは思わなかった。創価学会・公明党は、新潟六区で民主党候補を推薦し、熱心に応援した。
 こうなると話はちよっと違ってくる。総選挙というのは、与党対野党の政権を賭けた戦いなのである。党の執行部としては、自民党の侯補である私を勝たせなければならないのである。
 連立を組んでいる公明党に対して少なくとも野党候補を推薦・応援することくらいは止めてもらうようにするのが執行部の最低限の仕事である。しかし、当時の自民党執行部は、公明党と一緒になって私を落選させることに汲々としていた。
 新潟六区はコスタリカ方式で、かっての私のライバルであった自民党議員が比例区に回り、小選挙区から立候補する私を支援する番だった。その議員の地盤だったところは、その議員の力で私の票を出すことが勝敗を決することになる。党執行部はその議員が選挙区に入ってそのような活動をさせないようにした。私が落選したのは、その議員の地盤とする地域で思うような票が出なかったことに直接の原因がある。
 私は当時秘書の不祥事で苦しい選挙戦を余儀なくされていたが、それでも一一万四四〇四票を獲得した。惜敗率は九五・五%であった。常識的な比例名簿を作っていれば私は文句なく復活当選していたが、訳の分らない比例名簿を作って惜敗率四一・〇%の者が当選するようにされていた。こういうエゲツないことをした張本人が、当時の野中広務自民党幹事長だった。彼こそが自民党を公明党に売り渡した「売党分子」である。

◆市長選に幹事長のお達しが……
 二〇〇六年(平成一八年)五月、私は郷里の十日町市の市長選挙に立候補した。国政に関する私の意見や想いはいろいろあったが、私の意見は結局容れられなかったのだからそれはすべておいて、--郷里のために働こうというのが私の抉意であった。私の後援会青年部から強い要請を受けての決断であった。
 私は国政の問題を十日町市にもちこむ気など毛頭なかった。私のことをいろいろと心配してくれるかっての先輩同僚が私のために支援してくれた。私としてはこういう先輩同僚から応援に十日町市に来てもらいたいと思ってその段取りを取ろうとしたら、当時の武部自民党幹事長から白川の応援に行くことは罷りならないとの通達が自民党議員に流された。
 十日町市長選挙において、自民党は誰も公認も推薦もしていないので、党規違反の問題は起きない。しかも人口六万ちょっとの市の市長選である。こんな選挙に党の幹事長がわざわざお達しを出すなどということは、かつての自民党では考えられなかった。
 創価学会・公明党がこの市長選にタレントや国会議員を投入し、白川にだけは入れるなと活動したと聞いた。前記のお達しにもかかわらず私の応援に来るという同僚の議員のところに、創価学会の県長が電話をかけてきて応援に行くのを見合わせるようにいったという。そのために応援にこられなくなった同僚が何人もいた。
 私は当時こんなことを何とも思わなかったし、大騒ぎもしなかった。またそんなことが私が選挙に敗れた原因とも思っていない。いま考えてみると批判者を抹殺せよという体質の現れだったと思うので、あえて記した次第である。

◆加藤派の殲滅の仕方
 加藤紘一衆議院議員も基本的には公明党との連立に慎重かつ批判的であった。それは一九九九年(平成一一年)の自民党総裁選に立候補した時の加藤氏の主張をみればよく分る。その加藤氏が二〇〇〇年(平成一二年)一一月いわゆる「加藤の乱」を起こした。その是非や敗因を分析することはこの際省略する。
 問題は加藤の乱後の自民党の対応である。自民党は加藤派に属していた古賀誠衆議院議員を幹事長に抜擢した。この人事の狙いは、加藤派を殲滅するため以外の何物でもなかった。加藤派は見事にズタズタにされた。党内で大きな存在であった加藤派は、一〇数人の小派閥に転落させられた。自民党は幹事長という要職を加藤派殲滅のために使ったのだ。
 加藤氏は、大平正芳氏直系のリベラル派であった。リベラル派が全体主義的体質を強くもっている公明党との連立に批判的になるのはやむを得ないであろう。これが公明党との連立志向派には気に入らなかったのだろう。公明党からの要請があったのかもしれない。 そして古賀氏自身が野中氏と並んで自民党を公明党に売り渡した売党分子そのものである。
 加藤派の殲滅は、自民党リベラル派の殲滅でもあった。自民党には、政治的母体としてのリベラル派はいまや存在しない。加藤氏は二〇〇〇年(平成一二年)の総裁選では小泉純一郎氏に協力したが、小泉氏とその周辺は加藤氏を決して許していなかった。加藤氏が秘書の脱税問題で議員辞職に陥れられたのも、彼らの思惑が背後にあると推測している。

◆傍若無人な態度と物のいい方
 最近テレビはやたらと政治家を出演させる。中には政治家にちょん髭までかぶらせるものまである。かぶらせるテレビ局も問題だが、かぶる方もかぶる方だ。それはそれとして、これらの番組を見て感じることは、自民党や公明党の政治家の態度と物のいい方である。
 戦前に大政翼賛会というものがあつた。大政翼賛会の推薦を受けて議員となった者を翼賛議員と呼んだ。私は翼賛議員などもちろん知らないが、多分いまの自公“合体”政権の政治家のような態度と物のいい方をしていたのではないかと思うのである。自公“合体”政権の政治家にとって、小泉改革や日米同盟は天皇の政治(大政)と同じように神聖不可侵のものらしい。
 最近になって小泉改革の綻びが指摘されるようになった。小泉氏が主張したことは、アメリ力のネオコンと呼ばれる人たちと同じであって、自由主義の思想の中でも少数意見に過ぎないのである。
 日米同盟の世界観にいたっては、わが国の保守政治の中でも全体として認知されるものではなかった。ほんの一部の保守反動と呼ばれる人たちの主張でしかなかった。同盟関係などという表現は、普通は軍事などを考える際に使われる言葉である。軍事だけを考える場合、ものごとを批判的に考えないのがその特徴である。国全体の外交や安全保障を考えるにあたっては、いろいろな視点からものごとを考えなければならない。批判的な観点も当然に必要である。
 ところが自公“合体”政権の政治家には、このような視点がまったくないのである。小泉改革や日米同盟に批判的なことをいう野党の政治家に対して、論拠を示さないで小馬鹿にしたような態度で反撃する。タブーを認めない非国民に対するような態度と物言いなのである。排他独善は、党外の人にも及んでいるのである。そしてこの排他独善が高じて、いずれ国民を抹殺する刃となるであろう。
       ---------(131P)-------つづく--

 

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自公連立解体論-26

2016-07-28 08:30:25 | Weblog

自公連立解体論  白川勝彦 2008/10/10 花伝社
    ------(117P)---(以下、本文)-------

2 排他独善、高じて批判者を抹殺する自民党--その1
◆巨大な政治的な存在--創価学会
 私がこれから論じようとするテーマは、「創価学会党化した自民党」である。
 自由主義政党や社会主義政党の場合、それを分析したり批判しょうとしたとき、学問的な一定の概念を用いることができる。しかし「創価学会党」なるものは日本にしか存在しない特殊な政党であるから、創価学会党とは何かをまず定義しなければならないことになる。そして創価学会という存在もまたきわめて特殊な存在である。だからけっこう厄介なテーマである。
 創価学会は宗教法人法に基づく団体であることは疑いないが、宗教団体というそのことを問題とする人もけっこう多い。小泉チルドレンなどをみていると衆議院議員イコール政治家ととてもいえないように、宗教法人法に基づいて設立された団体だからといって、イコール宗教団体と呼べるかとの疑問が出てきてもそれ自体は不思議ではない。これまでも宗教法人法に基づいて設立された団体であっても、世間の普通の意味における宗教団体と呼べないものも数多くあった。
 しかし本稿はこのことを直接のテーマとするものではない。それは宗教や宗教法人法の専門家に譲ることにする。本稿が対象とするのは、信者というのか会員というのか知らないが、構成員が一〇〇〇万人いるといわれている、現に存在している創価学会という団体である。創価学会は実に巨大な社会的な存在であり、かつ政治的な団体でもある。日本の政治を論じる場合、創価学会に関心をもたざるを得ないし、それは必要なことでもある。わが国の政治学者やジャーナリズム,マスコミがことさらに創価学会から目を背けようとしていることの方がおかしいのである。

◆排他独善-ー高じて批判者抹殺的体質
 宗教的な存在としての創価学会についてどのような問題があるのか、私はそれなりに本を読んだり、いろいろな人の話は聴いたことあるが専門家として論ずる能力も資格もない。政治的な存在としての創価学会には関心もあるし、それに関与せざるを得なかった。だからある程度勉強もしてきた。社会的な存在としての創価学会についても私はかなりのことを知っている方だとは思うが、専門的なことはいえない。
 そこで私は宗教的・社会的な存在としての創価学会について、数人の専門家に集まってもらい、創価学会の特質や問題点などを全面的に聴いた。この団体は実に多くの問題点を抱えているようである。この団体の特質や問題と指摘される特異で異常な体質は数え切れないほどあるようである。
 しかし、数の多いことをもってよしとしない。特に政治的な論述や演説では、問題点はひとつがいちばん良い。創価学会の場合、とてもひとつという訳にはいかないようだが、私は少なくとも五項目に絞ってもらいたいとお願いした。最終的には五項目に絞られたがこれはけっこう難しい作業だった。
 創価学会の特殊な体質・問題点として、排他独善的でありさらにはこれが高じて批判者を抹殺する特異性をあげることについては全員の意見が一致した。従って、まずこの視点から創価学会の問題点ーー創価学会党の問題点を親てみょう。
 なお創価学会党とは何かを考察する場合、いちばん分りやすいのは公明党をよく観察することであろう。創価学会も公明党も、公明党は創価学会党であるといわれることを嫌い、いろいろな策を弄しかつ意味のない努力をしているが、多くの国民は公明党を創価学会党と政治的に認識している。私もそう思っているし、本稿でいまさらこのことを論証しようとは考えていない。国民や私のこうした政治的認識は長い間の多くの事実に基づくものだからである。

◆民主主義とタブー
 娑婆(しゃば:仏教用語で、人間が現実に住んでいるこの世界--広辞苑)に住んでいる生身の人間などという者は、多かれ少なかれ独善的なものである。そんな人間が作る団体もまた独善的であり、排他的なものであることは否定できない事実である。このように独善的かつ排他的な人間や団体の人権や利害を調整するシステムとして民主主義が生まれ、多数決原理によって共存共栄をはかる努力がなされている。
 しかし、信仰の自由とは、科学的合理的に証明することを求められないことを信ずる自由である。いかなることやものを信仰しようが信仰の自由である。従って宗教団体にこうした傾向があることはある程度やむを得ない。
 だがそれは信仰の自由にとどまっている限りにおいてであり、ある信仰に基づく具体的な行動が社会的なものとなったとき、それが法律や社会的な規範によって批判されることを妨げるものではない。
 創価学会においては絶対に侵すことができないタブーがあるという。それは創価学会の名誉会長である池田大作氏の言動について疑義を呈したり批判することだという。ちなみにタブーとは、「触れたり口に出したりしてはならない物・事柄」と広辞苑にある。創価学会においては、池田大作氏の存在・言動は批判的に触れたり口にしてはならないタブーなのである。
 宗教団体としてそれが特殊例外的な特質なのかどうか、私には詳しく論じる能力も資格もない。しかし社会的な存在としては、現在の価値観に従えばかなり特異な存在となる。政治的な存在においてはそれは特異であることはもちろんであるが、民主主義に違青する許容されない危険な体質とみなされる。なぜならば民主主義の政治の世界では、自らの主張や政策の正当性を科学的・合理的に論証し、相手の主張や政策を同じように反駁することによって利害を調整することが政治の営みと考えられているからである。

◆批判者を抹殺しょうとする自民党
 池田大作氏という特定の個人的存在を絶対不可侵とすることが宗教の世界でどう評価・論及されるのか、それは専門家に委ねよう。しかし創価学会においては前記池田タブーに違背したり批判する者を絶対に許さない、さらにはこれを抹殺しょうという特異性があるという。これは宗教の世界でもきわめて待異かつ異常な体質とされているようである。
 民主主義の政治の世界では、反対者批判者を抹殺しようとすることは决して許されない。
 反対意見が多数決原理によって否定されることは日常的によくあることである。しかし賢明な多数者は少数の反対意見もできるだけ納得させる努力をする。
 創価学会党の本家である公明党において、池田タブーに違背した政治家が抹殺されていったことを私たちは数多くみてきたところである。同じようなことが自民党でも行われるようになった。抹殺と言えば刺客という言葉が乱舞した郵政問題を想起する人が多いと思うが、郵政問題は詫び状を出すことで許された。
 自民党の中の本当のタブーは、公明党との連立問題である。公明党との連立に反対や批判することはタブーなのである。勇ましそうなことをいう自民党の国会議員はけっこういるが、いまや自民党と公明党の連立を問題にしたり批判する者はいない。タブーなのである。このタブーに違背した者はいずれ抹殺される。池田批判は公明党との連立批判となる。公明党が池田タブーに支配されているように、自民党の国会議員も池田タブーに洗脳されたかもしくは無批判となった。
       ---------(122P)-------つづく--

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自公連立解体論-25

2016-07-27 07:15:07 | Weblog

自公連立解体論  白川勝彦 2008/10/10 花伝社
    ------(112P)---(以下、本文)-------
1 序にかえて
◆本誌発行人の謀略(?)
 この論文を書かなければならなくなったのは、本誌の発行人乙骨正生氏の謀略(?)である。
 私は雑誌などに投稿を頼まれたとき、以前はタイトルも自分でつけていた。雑誌社の方針でまれに変えられることはあったが、普通はこれがそのまま私の書いた物のタイトル・見出しとなった。一九九六年(平成八年)のころ創価学会問題で俵孝太郎氏と話す機会が多くあった。そのとき俵氏からタイトル・見出し・文中の小見出しなどはすべて雑誌社まかせで自分で付けたことなどないということを聞いた。一九九六年(平成八年)月刊誌『諸君』に掲載されたあの有名な「新進党は創価学会党である」という論文のタイトルも雑誌社の方で付けたのだろうか。
 私は二〇〇一年(平成一三年)から月刊誌『財界展望』に「政界談義『白川勝彦の“日本を斬る”』」というコーナーに時事評論を五年間にわたり書いた。新党・自由と希望を立ち上げたころであつたので忙しさにかまけ、見出しや小見出しや誤字・脱字の訂正まで編集者にまかせた。これはかえって良かった。やはりモチ屋はモチ屋である。以後普通の場合、投稿を求められた場合、このようにしている。
 過日、久々に乙骨氏と会い、旧交を温めた。このとき本誌が発刊されたこと、その発行人兼編集長ときにはライターも同氏が務めていることを初めて知った。自らの不明をおおいに恥じた。数冊をパラパラとその場で読んだ。なかなか面白そうであった。そのとき最近自公連立についていくつか思うところがあるので私も小論文を書こうかといったところ、乙骨氏から巻頭言「閻魔帳」に一文を書いてほしいと頼まれた。書こうと思っていた論を展開するにはちょっと枚数が少ないようには思ったが、発行人自らの依頼なので快く受け入れた。指定された締切日までには必ず原稿をデジタルで入れるが、タイトルや誤字などは編集部の方で付けてほしいと頼んでおいた。ただしタイトルが決まったら念のために教えろよとも付け加えておいた。

◆タイ卜ルを見て驚いた
 乙骨氏とは別件で連絡を取り合ったが、年末の忙しさにかまけタイトルの報告はなかったし私も確認はしなかった。押し迫ったころ本誌一月一日号が送られてきた。タイトルをさっそく見てちょっと驚いた。
「公明党との連立で創価学会党に変質した自民党」である。
「前進党は創価学会党であるが、自民党は大きいので公明党と連立を組んでも創価学会党にはならないと主張する者もいた。かって新進党を創価学会党と激しく叫んだ人である。しかし、この八年間の自公連立の固定化により、自民党はやはり創価学会党となった。公明党が政権に参加し、選挙まで一緒になつて戦うようになった必然的結果なのである。自民党は公明党と連立を組むことにより変質してしまったのだ。これは自民党という政党の性質やメカニズムを分析すれば簡単に分ることなのである」
 確かに私の小論にはこのように書いてある。しかし、これは漢詩ではないが前に出てきた文章と韻を踏むような軽いタツチで書いたものである。この小論では「これは自民党という政党の性質やメカニズムを分析すれば簡単に分ることなのである」というところに主眼があった。
 従って引用した文章の後の三段で巻頭言風ではあるがこのことを書いている。
 正直にいって困ったと思った。だがそれは創価学会や自民党から睨まれることになるからなどというものではもちろんない。そんな臆病風に吹かれるくらいだつたら最初から投稿するなどとはいわない。私が困ったと思った理由は別にある。

◆「創価学会党」の論拠を示す必要が
 自民党はいちおう天下の公党である。しかも政権党である。いや正確には政権党のひとつである。残念ながらワンランク格下げである。私たちがかって「自民党は政権党である」というときには誇りと気概と責任をもってこの言葉を使っていた。いまの自民党諸公にはこのような気概や迫力をもつて発言や行動している気迫を感じることができない。
 しかし、自民党はいやしくも(本当に卑しい党になったが……これはもちろん韻を踏んでの表現である)政権党のひとつであることに変わりはない。その自民党を「やはり創価学会党となった」というには、それなりの論証が必要であろう。もちろんこのことを論証するには与えられた枚数は少なかったし、巻頭言にはふさわしくない。だから頼まれた原稿は自民党の性質や運営のメカニズムというところに重点をおいて書いたのだ。
 從ってタイトルとしては「大株主を得た幸せな社長小泉・安倍首相」くらいがいいところかなあと思っている。私がこのようなタイトルを付けてさえおけば、私はこれからの論文を書かなくてよかったであろう。しかし、賽は投げられたのだ。
 年末乙骨氏と忘年会で会う機会があった。そこで私は以上のことをいつて同氏を軽くなじった。乙骨氏曰く、「白川先生からいただいた原稿に中途半端なタイトルを付けてはかえつて失礼なことになる。
 原稿の中に『自民党はやはり創価学会党となった』とありましたから、私がこう付けました」
 このこと自体に私は何の不平や不満はない。しかし、やはり天下の自民党を創価学会党という以上、これにはもう少し論拠を示さなければならない。乙骨氏に本誌でもう少し紙面を与えるようにいった。同氏がこれに同意したことはもちろんである。こうしてこの連載は始まることとなつた。

◆変質してしまった自民党
 衆議院の三分の二を超える化け物のような自公連立政権がいまわが国を支配している。そして戦後六〇年余の伝統的な政治的価値観からいえばハッキリいって悪政といえるひどい政治をやっている。暴政といってもいい局面も数多くある。
 長い間一党で政権を担ってきた自民党は、それなりに国民世論を反映せざるを得ないメカ二ズムをそのなかにもっていた。それは件の巻頭言で書いたとおりである。しかし、そんな自民党はいまや存在しない。公明党との連立によって自民党は完全に変質してしまった。そこにわが国の政治がおかしくなった原因があるのである。
 創価学会・公明党が自民党候補を選挙で応援するようになって、野党がなかなか勝てないようになったために最近では自公連立を問題にする人たちが増えてきた。しかし、本質はそんな問題ではないのだ。自民党候補に創価学会・公明党がつくことにより、プラスもあればマイナスもある。それは戦い方の問題である。一九九六年(平成八年)の小選挙区制の下で初めて行われた総選挙では、自民党はこの点を徹底的に攻撃することにより勝つことができた。
 そのとき『諸君』に掲載された政治評論家俵孝太郎氏の「新進党は創価学会党である」という論文は、自民党にとっても小選挙区で厳しい戦いを余儀なくされていた自民党候補にとってもベイブル的論文であった。この論文はわが国の政治史に残るいくつかの優れた政治評論のひとつである。現在にも通ずる鋭い指摘が数多くある。
 俵氏と一緒になって憲法論から政教分離を主張した私には、自公連立政権の問題点とりわけ自民党の創価学会化を指摘しなければならない責任がある。本来は自民党の問題であるが、政権の大部分を占める政党の問題であるから日本の政治の問題でもある。日本の政治を動かした俵氏の名論文に匹敵するものを書く自信はもちろん私にはないが、自民党を愛しその改革のために命を懸けて戦ってきた者として、その経験をふまえれば何がしかの参考になるものは書けると思っている。私にそのようなことを書けよという深慮遠謀が本誌発行人である乙骨氏にはあったのかもしれない。深慮遠謀であるから冒頭「謀略(?)」といったことはお許しいただきたい。以上をもってこれから論ずるテーマの序とする
       ---------(116P)-------つづく--

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