--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
藤原弘達 創価学会を斬る 41年目の検証
言論出版の自由を守る会編 日新報道 2012(=平成24)年
人権侵害・政権簒奪・歴史改竄
創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
------(P.232)---(以下、本文)-------
藤原弘達 創価学会を斬る 41年目の検証
言論出版の自由を守る会編 日新報道 2012(=平成24)年
人権侵害・政権簒奪・歴史改竄
創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
------(P.232)---(以下、本文)-------
◆ 田中角栄自民党幹事長に仲介を依頼
度重なる出版中止の要求が不調に終った創価学会・公明党は、藤原弘達を押さえ込むためにはより強い政治力の発動が必要と判断。竹入義勝公明党委員長(当時)を通じて、田中角栄自民党幹事長(当時)に出版中止の仲介を依頼。田中は藤原弘達に電話を入れて出版の中止を要請するとともに、10月15日と23日の二度、赤坂の料亭「千代新」と「乃婦中川」で藤原弘達と会い、「創価学会を斬る」の出版を取り止めるよう求めた。
田中に出版中止の仲介を依頼した当事者である竹入は、平成10年8月に「朝日新聞」に連載した手記「秘話-55年体制のはざまで」において、その事実を次のように認めている。
度重なる出版中止の要求が不調に終った創価学会・公明党は、藤原弘達を押さえ込むためにはより強い政治力の発動が必要と判断。竹入義勝公明党委員長(当時)を通じて、田中角栄自民党幹事長(当時)に出版中止の仲介を依頼。田中は藤原弘達に電話を入れて出版の中止を要請するとともに、10月15日と23日の二度、赤坂の料亭「千代新」と「乃婦中川」で藤原弘達と会い、「創価学会を斬る」の出版を取り止めるよう求めた。
田中に出版中止の仲介を依頼した当事者である竹入は、平成10年8月に「朝日新聞」に連載した手記「秘話-55年体制のはざまで」において、その事実を次のように認めている。
「創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に動いてもらった」(H10・8・26日付「朝日新聞」)
このうち10月15日の「千代新」での会談の際には、隣室で池田と竹入が、藤原弘達と田中のやりとりに聞き耳を立てていたとの「産径新聞1の報直がある。また平成20年に創価学会から造反した矢野絢也元公明党委員長は、自著「私が愛した池田大作『虚飾の王』との五〇年」において、言論出版妨害事件の経緯と顛末を詳述しているが、その中で10月23日の「乃婦中川」での藤原・田中会談に言及。当時、公明党の書記長だった自分も竹入に誘われて「乃婦中川」に赴き、隣室で会談の成り行きを見守っていたことを次のように明かしている。
このうち10月15日の「千代新」での会談の際には、隣室で池田と竹入が、藤原弘達と田中のやりとりに聞き耳を立てていたとの「産径新聞1の報直がある。また平成20年に創価学会から造反した矢野絢也元公明党委員長は、自著「私が愛した池田大作『虚飾の王』との五〇年」において、言論出版妨害事件の経緯と顛末を詳述しているが、その中で10月23日の「乃婦中川」での藤原・田中会談に言及。当時、公明党の書記長だった自分も竹入に誘われて「乃婦中川」に赴き、隣室で会談の成り行きを見守っていたことを次のように明かしている。
「竹入氏から「お前も来い」と声をかけられて、ノコノコついていった。1969年10月23日のことだ。
場所は赤坂の『のぶ中川』という料亭。(中略)料亭に着いてみると、二階の部屋が三つ並びで押さえられていた。私と竹入氏は一番奥の部屋で待機することになった。真ん中が角栄氏の控え室。一番手前が弘達氏というわけだ。角栄氏が説得に成功すれば、その場で私らもそちらの部屋に移り、そのまま手打ち式になだれ込む、という段取りだった」
この藤原・田中会談の内容とその後の顛末は、矢野の「私の愛した池田大作「虚飾の王」との50年」や、昭和60年10月に藤原弘達が日新報道から出版した「創価学会・公明党をブッた斬る」に詳述されている。当事者の記述だけに、その内容は迫真性に富んでおり、極めて興味深い。以下、その一部を紹介しよう。まずは矢野手記から。
場所は赤坂の『のぶ中川』という料亭。(中略)料亭に着いてみると、二階の部屋が三つ並びで押さえられていた。私と竹入氏は一番奥の部屋で待機することになった。真ん中が角栄氏の控え室。一番手前が弘達氏というわけだ。角栄氏が説得に成功すれば、その場で私らもそちらの部屋に移り、そのまま手打ち式になだれ込む、という段取りだった」
この藤原・田中会談の内容とその後の顛末は、矢野の「私の愛した池田大作「虚飾の王」との50年」や、昭和60年10月に藤原弘達が日新報道から出版した「創価学会・公明党をブッた斬る」に詳述されている。当事者の記述だけに、その内容は迫真性に富んでおり、極めて興味深い。以下、その一部を紹介しよう。まずは矢野手記から。
「ところがここに来ても弘達氏は頑強である。説得になかなか『うん』と言ってくれない。こちらの出した条件はこうだった。最初は強引に、『出版そのものを取りやめろ」と迫ったのだが、それでは弘達氏の受け入れる余地がない。そこで、『初版は出していい。出したうえで大半をこちらが買い取る。新たな増刷はしないと確約してほしい。その代わり、非常にうまみの大きい仕事をこちらから回す』
と提案した。だが、弘達氏は頑として首を縦に振らない。
とうとう角栄氏が我々の部屋へ来て泣きついてくる。例の威風堂々とした、押し出しのいい普段の姿とは打って変わって、いかにも困り果てた風情である。
『おい。弘達、ダメなんだよ。固くてダメだ。全然聞き入れようとしないよ』
しかしこちらとしても、ハイそうですかと引っ込むわけにはいかない。
『そんなこと言わないで。なんとか頼む。もう一押し、二押ししてみてくれ』
竹入氏がそう言って、仕方なく角栄氏は再び弘達氏の部屋へ。しかしまたも拒絶されてしまう。
『おい、やっぱりダメだぁ』
『こっちこそダメだ。なんとかしてくれ』
今にして思えば、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの天下の自民党幹事長を、なんともひどい役どころでコキ使ったものである。これもまた学会や池田先生を守るためという、我々の執念の発露なのだ」(「私の愛した池田大作『虚飾の王』との50年」)
と提案した。だが、弘達氏は頑として首を縦に振らない。
とうとう角栄氏が我々の部屋へ来て泣きついてくる。例の威風堂々とした、押し出しのいい普段の姿とは打って変わって、いかにも困り果てた風情である。
『おい。弘達、ダメなんだよ。固くてダメだ。全然聞き入れようとしないよ』
しかしこちらとしても、ハイそうですかと引っ込むわけにはいかない。
『そんなこと言わないで。なんとか頼む。もう一押し、二押ししてみてくれ』
竹入氏がそう言って、仕方なく角栄氏は再び弘達氏の部屋へ。しかしまたも拒絶されてしまう。
『おい、やっぱりダメだぁ』
『こっちこそダメだ。なんとかしてくれ』
今にして思えば、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの天下の自民党幹事長を、なんともひどい役どころでコキ使ったものである。これもまた学会や池田先生を守るためという、我々の執念の発露なのだ」(「私の愛した池田大作『虚飾の王』との50年」)
同様に、藤原弘達も「千代新」「乃婦中川」での田中との会談の様子を次のように書いている。
「当時の自民党幹事長・田中角栄が、私に会いたいというので、赤坂の料亭『千代新』へでかけたのは10月15日のことである。この時、私が『この問題について総理(注・佐藤栄作)は知っているのか』とただしたところ、田中幹事長は『総理には、いっていない。自分は竹入らとの平素のつきあいから頼まれたものだ』と言明した。
田中角栄の、私の本の出版を初版だけにして、その殆どを買い取る。斡旋4案は、要するに、本をヤミからヤミへ葬ろうというもので、もちろん、私は一蹴した。再度、10月23日夜、同じ赤坂の「乃婦中川」で会った時、私は田中角栄にいった。「角さん、こんなことやっていたら、あんたは絶対に総理大臣になれませんぞ』--今でも覚えている。あの田中角栄が顔面蒼白になったものだ。
これで談判決裂になったのだが、私としては、田中角栄がこの問題に介入したことは最後まで伏せておくつもりだった。(中略)
「当時の自民党幹事長・田中角栄が、私に会いたいというので、赤坂の料亭『千代新』へでかけたのは10月15日のことである。この時、私が『この問題について総理(注・佐藤栄作)は知っているのか』とただしたところ、田中幹事長は『総理には、いっていない。自分は竹入らとの平素のつきあいから頼まれたものだ』と言明した。
田中角栄の、私の本の出版を初版だけにして、その殆どを買い取る。斡旋4案は、要するに、本をヤミからヤミへ葬ろうというもので、もちろん、私は一蹴した。再度、10月23日夜、同じ赤坂の「乃婦中川」で会った時、私は田中角栄にいった。「角さん、こんなことやっていたら、あんたは絶対に総理大臣になれませんぞ』--今でも覚えている。あの田中角栄が顔面蒼白になったものだ。
これで談判決裂になったのだが、私としては、田中角栄がこの問題に介入したことは最後まで伏せておくつもりだった。(中略)
しかし、その後も妨害やイヤガラセは続出した。あまつさえ、12月13日、NHK二党間討論(共産党--公明党)において、公明党・正木良明議員が「そんなこと(出版に対する圧力、妨害)はしていない。全くのウソである」と全面否定した。ここに至っては、もはや、何おかいわんやである。黙っていては、私が言論人として自殺行為に等しいウソをついたことになる。
12月15日、『赤旗」記者の取材を受けた時、私はいった。
『よし、こうなれば名前を公表しよう。それは自民党の田中幹事長だよ…:NHKテレビ討論会という公の場で、公明党代表が出版妨害などしていない、全部ウソだといったのだから、私も黙ってはいられない』
言論・出版妨害に田中角栄が介入した事実は、こうして私の口から明らかにしたのである」(「創価学会・公明党をブッた斬る」)
----------(つづく)---------235
12月15日、『赤旗」記者の取材を受けた時、私はいった。
『よし、こうなれば名前を公表しよう。それは自民党の田中幹事長だよ…:NHKテレビ討論会という公の場で、公明党代表が出版妨害などしていない、全部ウソだといったのだから、私も黙ってはいられない』
言論・出版妨害に田中角栄が介入した事実は、こうして私の口から明らかにしたのである」(「創価学会・公明党をブッた斬る」)
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