--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・池田大作をブッた斬る
藤原弘達 1988=昭和63年 (日新報道/¥1,000) ------(P.65)---(以下、本文)-------
▼ 淫祠邪教の名がふさわしい
生き仏・池田大作は、師匠・戸田城聖に劣らず女好きらしい。戸田城聖は「女房なんかと寝てられるか」と豪語(?)したそうだが、池田名誉会長の女性関係は、学会が組織をあげて打ち消し、モミ消しにかかってきたから、私も、「……らしい」とだけいっておく。
池田大作を巡る女達が何人いようと、創価学会問題批判の中核ではない。池田の女性スキャンダルくらいで学会組織は崩壊しないだろう。きしみは生じるにしても、その程度どまりとみている。世間の目も、好奇心の範囲というところになる、本来なら、へソから下のブライパシーは、そっとしておいてやりたいようなものだ。
だからといって、それすらもう時間の問題だ、という学会員も少なくない。「月刊ペン」裁判の時にも、もし証言すれば“水爆”的破壊力をもったといわれた女の証人がいたらしいが、なぜか法廷には出なかったから、不発に終わった。
藤原行正などは、池田の手にかかった女性が実名で真相をブチまける決心でいる、もし公開されれば池田の「終わりかもしれない」と物騒な予告をしている(「週刊新潮」63・7・14号)が、はたしてどうか。
池田スキャンダルにはよく、 口紅のついたステテコ云々、と出てくる。ステテコに口紅がついていた、口紅のついたステテコを洗濯した、ステテコはいた池田の膝元に女が侍っていた、というシーンである。
推理ふうにいうと、スキャンダルの多くは夏の夜に起きたということになろうか。生き仏さまとステテコの取合せも、なんとも滑稽極まる。
「生き仏」で思い出す。歴史作家の海音寺潮五郎と司馬遼太郎の歴史対談に出る、司馬説である。(「日本史を点検する・対談海音寺潮五郎/司馬遼太郎」講談社)
「……本願寺さんは戦国時代に宮中に多額の寄付をしてこの門跡を貰った、公卿の列に入った、つまり庶民が(法主が入った風呂の)湯を飲むのは活き仏の湯だからでなく公卿だからなのですね。公卿の血は貴い、そういう土俗信仰がずっと昔からある。なぜその血が貴いかといえば、天皇さんにより近い人だから、つまり神さまにより近い、ということで、そういう土俗思想がある。権力者である将軍の使い湯を庶民は飲みませんし、禅宗の高僧の湯もありがたがらない。こういう土俗思想というのは実に二十世紀のわれわれから見れば、嫌で、あほうらしくて……」
池田生き仏思想は、日本の土俗思想の歴史からみても奇々怪々なシロモノだ。こういう、生き仏をあがめる人間集団とは、いかにもグロテスクである。池田の女性スキャンダルが生まれる背景には、学会のこのような精神風土があることも見逃せない。多くの学会員女性が生き仏に仕えるいけにえになったのであれば、創価学会の男どもは慚死すべきなのか、それとも、まさに「喜捨」として喜ぶべきか、その判定は微妙なようだ。
“淫祠邪教”の形容詞は、池田スキャンダルの真偽が法廷で争われただけでも、それにふさわしい。学会が政教一体でふみにじっているに等しい日本国憲法こそ、学会を守ってくれている「護符」のようなものだ。天皇制下の帝国憲法時代にあって、軍隊まで出動して弾圧を受けた新興宗教は、不敬罪とともに淫祠邪教の烙印を押されたものだ。
今の創価学会の実態は、かっての時代以上に“淫祠邪教”と呼ぶのがふさわしいものかもしれない。
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