創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・池田大作をブッた斬る-15

2019-05-31 08:53:27 | Weblog

  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 創価学会・池田大作をブッた斬る
     藤原弘達 1988=昭和63年 (日新報道/¥1,000)                                                         ------(P.65)---(以下、本文)-------

淫祠邪教の名がふさわしい
 生き仏・池田大作は、師匠・戸田城聖に劣らず女好きらしい。戸田城聖は「女房なんかと寝てられるか」と豪語(?)したそうだが、池田名誉会長の女性関係は、学会が組織をあげて打ち消し、モミ消しにかかってきたから、私も、「……らしい」とだけいっておく。

 池田大作を巡る女達が何人いようと、創価学会問題批判の中核ではない。池田の女性スキャンダルくらいで学会組織は崩壊しないだろう。きしみは生じるにしても、その程度どまりとみている。世間の目も、好奇心の範囲というところになる、本来なら、へソから下のブライパシーは、そっとしておいてやりたいようなものだ。
 だからといって、それすらもう時間の問題だ、という学会員も少なくない。「月刊ペン」裁判の時にも、もし証言すれば“水爆”的破壊力をもったといわれた女の証人がいたらしいが、なぜか法廷には出なかったから、不発に終わった。

 藤原行正などは、池田の手にかかった女性が実名で真相をブチまける決心でいる、もし公開されれば池田の「終わりかもしれない」と物騒な予告をしている(「週刊新潮」63・7・14号)が、はたしてどうか。
 池田スキャンダルにはよく、 口紅のついたステテコ云々、と出てくる。ステテコに口紅がついていた、口紅のついたステテコを洗濯した、ステテコはいた池田の膝元に女が侍っていた、というシーンである。
 推理ふうにいうと、スキャンダルの多くは夏の夜に起きたということになろうか。生き仏さまとステテコの取合せも、なんとも滑稽極まる。

 「生き仏」で思い出す。歴史作家の海音寺潮五郎と司馬遼太郎の歴史対談に出る、司馬説である。(「日本史を点検する・対談海音寺潮五郎/司馬遼太郎」講談社)
 「……本願寺さんは戦国時代に宮中に多額の寄付をしてこの門跡を貰った、公卿の列に入った、つまり庶民が(法主が入った風呂の)湯を飲むのは活き仏の湯だからでなく公卿だからなのですね。公卿の血は貴い、そういう土俗信仰がずっと昔からある。なぜその血が貴いかといえば、天皇さんにより近い人だから、つまり神さまにより近い、ということで、そういう土俗思想がある。権力者である将軍の使い湯を庶民は飲みませんし、禅宗の高僧の湯もありがたがらない。こういう土俗思想というのは実に二十世紀のわれわれから見れば、嫌で、あほうらしくて……」

 池田生き仏思想は、日本の土俗思想の歴史からみても奇々怪々なシロモノだ。こういう、生き仏をあがめる人間集団とは、いかにもグロテスクである。池田の女性スキャンダルが生まれる背景には、学会のこのような精神風土があることも見逃せない。多くの学会員女性が生き仏に仕えるいけにえになったのであれば、創価学会の男どもは慚死すべきなのか、それとも、まさに「喜捨」として喜ぶべきか、その判定は微妙なようだ。

 “淫祠邪教”の形容詞は、池田スキャンダルの真偽が法廷で争われただけでも、それにふさわしい。学会が政教一体でふみにじっているに等しい日本国憲法こそ、学会を守ってくれている「護符」のようなものだ。天皇制下の帝国憲法時代にあって、軍隊まで出動して弾圧を受けた新興宗教は、不敬罪とともに淫祠邪教の烙印を押されたものだ。
 今の創価学会の実態は、かっての時代以上に“淫祠邪教”と呼ぶのがふさわしいものかもしれない。
        ----------(つづく)---------67

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創価・池田大作をブッた斬る-14

2019-05-30 07:29:02 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・池田大作をブッた斬る
    藤原弘達 1988=昭和63年   (日新報道/¥1,000)
    ------(P.57)---(以下、本文)-------

 ▼ “池田本仏論”の摩訶不思議さとその害毒
 池田創価学会は、日蓮正宗の「日蓮本仏論」、日蓮から代々の法主に伝わる「血脈」を否定し、「初代牧口会長、二代戸田会長の跡をつぐ、創価学会の信心の血脈こそ、最も正しい仏法修行の軌道……」(「生死一大事血脈抄」の講義)とやってのけた。
 本山・大石寺は代々の法主に「本仏」日蓮の血脈が伝わっているというのであるから、「法主本仏論」が教義だ。池田はそれをひっくり返して、こっちが本物だといったわけである。牧口から戸田、戸田から池田へと伝わった信心の血脈がこっちの方が本物だと主張したので、「池田本仏論」となる。七百年続いた大石寺は堕落して、その血脈は絶えた。抜けガラになったから今度は創価学会がやる、といいだしたも同然である。

 しかし、今日の宗教の“家元制”では、これは前代未聞のことだろう。創価学会会長の池田は、日蓮正宗法華講総講頭を務めていた。擅家総代である。跡目相続争いではない。弟子が“家元”になろうというのだからやはりムリ。ムリを承知で“池田本仏”をプチ上げたのは、本山ゆさぶりであり、お得意の学会流マキャべリズムの実践なのだ。
 しかし、これは見込み違いで、本山の猛烈な怒りを買い、池田会長辞任を呼ぶことになった。
 法華講総講頭も退いた。創価教独立という仕掛花火を打ちあげ損ない、全身大ヤケドを負った形であった。

 それでは、会長を退いた池田名誉会長の肥大した権力そのものはどうなったか。北条浩四代会長就任後発表された改正学会会則をみても、名誉会長にはなんの権能もない。「会務を統理する」とある会長が学会最高責任者というが、そんなことは学会員だって信じてはいないのである。名誉会長は学会の象徴を装うが、ガッチリと実権を握ったままである。実権を行使するが責任をもたないのが名誉会長だ。まさに「神権説的絶対君主」に近い。
 四代会長・北条浩(故人)以下、学会新執行部は、就任後すぐ池田に誓約書をとられているのである。「池田先生」を永遠に師匠として仰ぐと誓ったのだが、学会の全資産を池田から預かり「管理させて頂く」の文言がぬけていると、池田の一喝をくらったというほどである。
 現会長・秋谷栄之助は、“終身総務部長”と呟かれている。池田は北朝鮮の金日成のように、学会後継者に自分の息子をと、それなりの世襲制を考えていたから、こうした一度手にした絶対専制権力を自ら手放そうとするはずはない。池田は学会・公明党を私物化したというが、公・私の区分観念など、この人間集団には初めからないのだ。
 創価学会が会則だ、規則だ、体制がどうのといったところで、全く無意味なのである。池田にいわせれば、「魂を失い、原点を見失っては学会はおしまいだ。魂は私なんだ」--である。

 これは、池田“本仏論”が厳として学会を支紀していることを意味する。もはや、名誉会長先生は、学会員の「お父さんのような方」どころではない。生き仏とレッテルをつけた絶対主義王朝の主人なのである。
 生き仏のはずの池田が世襲でムスコを後継者にしょうとしていたというから、この男、一体何を考えているんだ、といいたくもなろう。
 私の元来のホンネは、創価学会の内側のことは「まあ、お好きなように勝手におやりなさい」であるが、右のような「権力偏重」の精神病理をもって一般社会と関わりだすのでは、黙っているわけにもいかないではないか。創価学会の末期的病理は、一般社会をひどく汚染するからだ。池田大作が「オトウサン」であろうと「生き仏さま」であろうと、信仰のことはご自由に、だ。信教の自由だ。だが、その「信仰の自由」をタテにして日本国中に「治外法権国家」をつくることは二十世紀の日本でも世界にも決して通用しないことを、この際、しかと思い知らせるほかあるまい。

 私のいう、社会を汚染する創価学会の末期的病症とは、オープン民主主義の根幹をなす選挙を通じて最も露骨に現われる。そこに見られる創価学会の行動様式は、総ては池田先生のために--なのだ。候補者の応援も、票読みも、選挙違反さえも、池田「先生」のためということになる。公明党は、殆どこうした池田信仰により支えられるのである。さよう、池田“本仏”信仰が創価学会を支配し、公明党を支記し、そして日本の政治をひどく汚染する。これが池田本仏論の大害毒なのだ。
  それは、幸福、ご利益で釣った学会員を中世的な魔術の園に囲い込もうとするようなもので、二十世紀も末にある今日、到底、二十一世紀へ生きのびれるシロモノではない。むろん、大作一代限り、それもできるだけキチンとした「引導」を渡すのは早い方がよい。
     ----------(つづく)---------65

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創価・池田大作をブッた斬る-13

2019-05-29 06:46:05 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・池田大作をブッた斬る
    藤原弘達 1988=昭和63年    (日新報道/¥1,000)
    ------(P.57)---(以下、本文)-------

 ▼ 擬似宗教・創価学会の権力構造
 創価学会は、言論出版妨害でつまずいた昭和四十五年、あたかも緊急避難の如く「政教分離」を公約した。事実は、これも戦術的退却にすぎず、公約そのものは反故にされている。高らかに政教分離を謳うと同時に、学会は公明党への干渉を続けている。単なる口先での文句というより、人事から総てについての実質決定である。

 国立戒壇の否定、国教化の否定、政治進出は宗門・学会の事業とは無関係であくまでも大衆福祉のためである、という池田発言がボンボンと出てくる。「国立戒壇」の否定は教義に関することで、一信徒団体が決定するものではなかったはずだが、創価学会はあえてこれをやった。既に、教義は創価学会流ということの何よりの証しなのである。
 もっとも、日蓮の時代の国立戒壇といい、国教化といっても、マイナーからメジャーになりたい願望程度のものとみていいのだが、教義の解釈権をもたない信徒団体が勝手にこれをやったことになる。本尊は本山(大石寺)の持ち物、教義はこちら流というわけで、擬似新興宗教・創価教ムキダシである。

 基本的に新興宗教であるし、それも戦後派であるからには、それにふさわしい教祖が存在する必要がある。狂信的法華経信者・牧口常三郎の「狂」も、二代目・戸田城聖の「信」も、創価教教祖として神格化するには、既に時代が離れすぎていた。
 牧口、戸田ともに、戦後社会で教祖として祭り上げるには、それにふさわしい“神話”が不足していた。  その点、池田大作は三代目会長を継いで以来、学会発展の先頭に立ってきた。池田の戦後史が学会の歴史というわけだ。新興宗教の教祖として死後に神格化される例があるのと異なり、池田の場合、会長就任十年足らずで神格化が始まっているところにも一つの政治的意味があろう。いわゆる神がかり的創唱宗教の教祖でなくして、生存型神格化パーソナリティとしては、あまり類例がなかろう。戦前においてというより明治維新以来、薩長藩閥勢力などにオミコシとしてかつがれた天皇がそうであったが、戦後社会においてはやはり異例中の異例である。

 生存型神格化も、それなりの“神”が必要である。池田自身の名で昭和四十年から書き始められた大河小説『人間革命』(東西書院社長・篠原善太郎の代作という)が、創価学会“池田神話”になる。学会内では、これを現代の“御書”ともちあげる者もでてきた。日蓮正宗に限らず、日蓮信者にとって日蓮“御書”は聖典だが、『人間革命』は“池田神話”であると同時に、創価教の聖典になろうとする。
 このように池田神格化が意識的に進められたワケであるが、池田自身がこうした一種の神格化、個人崇拝の対象になることをどうしても必要と考え、自分の意志でそうしたのかどうか。それとも、池田をとりまく人間どもが彼を祭り上げ利用しようとしたのであろうか。それは恐らく、両者が相関的に作用しながら進んだものであろう。
 組織としても、池田神格化、「絶対君主」化が必要になっていたのである。なぜなら、牧口創価教育学会や戸田創価学会時代の如く、教祖的カリスマ性だけでは創価学会組織の維持運営が難しい。牧口の「狂」と戸田の「信」、この二つは、信仰組織のシンボルになりえても、「権力」として機能するまでに至らない。戸田の「信」、つまり戸田の信仰は牧口の「狂」といささか異なり、会員を奮い立たせる世俗的パイタリティを発揮した。

 戸田の世俗的バイタリティが創価学会を“ご利益”宗教として大衆を惹き付け、その大衆を利用して学会の営利追求が行なわれたのである。田中角栄方式に似ているところがある。つまり、戸田は創価学会の営利虚業組織の基本計画もしくはモデルを完成し、池田がその遺産を継いだ。しかし、それ以後の学会は教祖的カリスマ性がそのまま一種の権力であることを強く求めて動くこととなった。
 池田神格化は、創価学会統合の象徴としてではない。それなりの絶対君主的権力者としての神格化、つまりは神権説的人格づくりなのである。もちろん、このことは公明党による政界進出においても赤裸々に現われる。

 こうして底辺大衆を組織し、そこから集めた金は大衆の救済に向けられず、組織の富、ないしは「軍資金」として、会員大衆をまさに支配する専制的権力のキメ手となった。
 営利虚業集団は宗教法人という無税経営団体を最大限に活用し、その結果手にした社会的、経済的、政治的パワーを、小ピラミッド型「王国」中に組み立てていったのだ。新興宗教の中で、最も徹底して中世的手法をもって底辺層を組織したところに、創価学会の異常な伸び方があったといえるのである。そこから、「池田天皇制」「現代王国」というべきものが生まれたのである。
 池田大作を頂点に典型的なビラミッドを形成した学会組織は、言論出版妨害事件を契機として、見せかけだけでも外の「梯型社会」に合わせようとする動きもでたことがある。それはしかし、あくまでも見せかけにすぎなかった。「梯型社会」のことを、私は旧著の中にこう書いた。 (『新・創価学会を斬る』曰新報道)

 「……この『梯型社会』の特色は、政界、官界、マスコミ界、学界というような新しいエスタブリッシュメント層、ないしは支配層とでもいえるものができたことをあらわす。もっともそういう支配層は私がかって『日本の椅子』(昭和三十七年、文芸春秋刊)の中でも描いたような相互依存の循環的無責任体系とでもいえる関係にあり、支配系列の中核をもたないルーズなもので、何だか『知恵の輪』にでもたとえられるようなものなのだ。しかもそういう新支配層と被支配層との間は多分に流動的である。上下の貧富の差もそれ程顕著なものではない。指導層といってもそれ程威張れるような社会状況にはなってはいない。縱の権威の序列は依然として崩れたままであり、その限りにおいては平等性というものはある程度までこの社会のなかに貫徹されている社会という意味をふくめて、『梯型社会』として……」

 池田創価学会が見せかけだけでも組織原理を外の「梯型社会」に合わせようとしたのは、「民主的外見」を装ったのだ。そうしたペンキ塗りかえのようなインチキ合理主義は、私が既に幾度か暴きだしてきたのだが、本質的なところは一貫して少しも変わってはいない。
     ----------(つづく)---------61

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創価・池田大作をブッた斬る-12

2019-05-28 13:50:18 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・池田大作をブッた斬る
    藤原弘達 1988=昭和63年     (日新報道/¥1,000)
    ------(P.54)---(以下、本文)-------

 ▼ 池田本仏論信仰にならざるを得ないシカケ
 創価学会名誉会長・池田大作がこの組織における絶対的権力者であることは、改めてここでいうまでもない。公明党の実権を握っているのも池田大作なのである。
 学会・公明党という聖・俗をコントロールする池田の権力は、どのような土台の上に築かれているのか。
 一言にしていえば、それは数百万の無名・善良な大衆を中世的迷妄の世界に閉じこめた日蓮正宗信徒団体である。  本来、日蓮正宗信徒団体であるからには、池田も、学会員も、等しく本山・大石寺、“大御本尊”の前では本仏・日蓮の弟子であって、俗世の階層、身分は関係ない。

 しかし、宗教法人・創価学会は、既に日蓮正宗・創価学会であって、大石寺宗門内にある他の信徒組織とは異質なものだ。
 それでは、創価学会は日蓮正宗における別派として自立しうるかといえば、目下のところ、その条件は未だ満たされてはいない。本尊は大石寺、教義は創価学会流に止まらざるをえない。
 このホンネとタテマエの使いわけで本山との関係を維持することは、絶対に不可能である。学会の本山離れ、つまり創価教の立宗計画は、今でも消えてはいないのだ。
 学会内で本山離れの構想を聞かされたことを、元学会員の羽柴増穂が書いている。(羽柴増穂「創価学会からの脱出」三一書房) 

 「一宗一派の旗揚げ、つまり、池田教・創価王国構想に関しては、私も、五十二年当時受講していた“仏教大学四期生講座”で聞かされていました。ある日、宮本忠憲副教学部長から、そのころ、いろいろ論議されていた『仏教史観を語る』(編者注・五十二年一月第九回教学部大会における池田会長記念講演)の話のついでに、--
 『ところで、キミたちは、創価学会にとっての最大の敵はどこか、知っているか?』
 と質問を受け、ほとんどが、
 『共産党ですか……』『国税庁ですか……』などと反対質問をしたところ、
 『とんでもない--』と、しばらく 口をつぐみ、やがて宮本副教学部長は毅然として、

 『キミらは、仏大生だから話してもいいだろう……』と、若干、言い淀みながらも、
 『いいか、しっかり覚えておけ……。創価学会にとっての最大の敵は、宗門だ。つまり、お山だ--』
 とはっきり言い放ったのです。一瞬、私たちは唖然としましたが、宮本副教学部長はなおも決然と、
  『とにかく、日蓮正宗は、たしかに七百年の歴史と伝統はあるが、いまやまったく腐敗堕落し切って、僧侶たちは折伏もせず、もはや形核化している現状である。このときに当たり、池田先生がご出現なされ、現代に即応した新しい仏法を展開することになった。そして日蓮正宗を含めた一大宗教革命を行うため、すでに八王子に広大な土地を準備し、近く学会本部もそこに移ることになつている--』と言明したのです(当日のテープ保存)。
 そのとき、私たちは、すごいショックを受けましたが、
 『いいか、だからキミらは、どんなことがあっても、絶対、創価学会を守れるなッ。池田先生をお守りできるなッ……』」

 日蓮正宗を含めた一大宗教革命を行なうなどという学会の大構想は、昭和五十四年の池田会長辞任、名誉会長就任で、ひとまず消えた。しかし、本山に詫びを入れ、会長から名誉会長に退いたのは池田流の雲隠れ戦術にすぎないのである。学会は本山を操りながら時至るのを待つのだという。
     ----------(つづく)---------57

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創価・池田大作をブッた斬る-11

2019-05-27 07:18:34 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会・池田大作をブッた斬る
    藤原弘達 1988=昭和63年  (日新報道/¥1,000)
    ------(P.52)---(以下、本文)-------

 ▼ 地獄の恐怖をかきたてながら天国への可能性を説く
 人間は罪深いもの……とキリスト教は“原罪"を説く。解脱へ導く仏教はもともと“原罪”意識を説かない。日本に入ってきた大乗仏教は紀元前一、二世紀ごろ興ったものという。大乗仏教以後、仏教には救済思想が入ったという。嫌倉仏教の中で、日蓮は多分に密教的で、解脱を目的とする仏教にむしろ近かったようだ。
 しかし、日蓮はいかにも新興宗教の教祖らしく、強烈なパーソナリティで仏の生まれかわりと自称した。日蓮本仏論である。

 ところで、キリスト教の"原罪"に関して、塩野七生の『神の代理人(中公文庫)に、次のような興味ある一節が出てくる。少し長いが、引用すると--
 「善良な人々に、犯した罪の数々をあばきたて、彼らを地獄の恐怖につき落とすのは、キリスト教会の最も得意とするやり方である。地獄への恐怖をかきたてながら、一方では天国へ行ける可能性をちらつかせるのも止めないのだから、ますます効果的というわけだ。
 キリスト教会が、中世期を通じて、どのように厳格な戒律で人々をしめつけていったかは、キリスト教徒の風俗習慣が頽廃したからだとする聖職者側の弁解だけでは不十分である。人間の本質は変わらなくても、それが罪だとされれば、その人間は罪を負うことになる。そしてこの告発者は、またも修道院から出た。ましてあらゆる罪とそれをつぐなう方法からなる戒律が、一人の人間の手になったのなら少しは論理的にも作れたろうが、何世紀もの間に多くの人々のこねまわした戒律は、常識では考えられないほどの怪物に変わっていた」

 考えられないほどの途方もない戒律の怪物が人々をいかに苦しめたことか。民衆は悩み、悪夢にさいなまれたのである。これを償う方法は、一種の苦行である。一生かかっても償いきれない難行苦行を何とか免れるにはどうするか?
 ローマの教会は、金や不動産を出させて罪をあがなったことにする便法をつくった。金も不動産もない者は、ムチ打ちの苦行ときたのである。これが宗教のおきまりの手口とはいえ、ローマンカソリックはかくして「金と権力の法皇庁」となっていったのだ。

 「金と権力の亡者」と、創価学会をやめた元会員はいう。日蓮の格言は「真言亡国 念仏無間(無限地獄) 禅天魔 律国賊」と他宗をボロクソに批判する。創価学会は日蓮を本仏、つまり根本のホトケとし、“御本尊”を信じなければバチ、信ずれば功徳を与えるという。他宗、即ち邪宗はダメで、“御本尊”一途でなければ救ってやらない、とくる。
 キリスト教は“原罪”思想、こちらは“宿業”だ。宿業の転換のため折伏行に励め、“御供養”に励め、といった具合に入信者を駆りたてる。教会が金を苦行の代償とさせたように、創価学会は宿業の恐怖を与えて“御供養”(上納金)を取りたてた。

 なんと、中世と二十世紀の、ローマ教会と創価学会の、古今と東西が、期せずしてこうも相通じるではないか。創価学会の金集めはローマ法王と比ぶべくもないのだが、二十世紀の日本において、宗教法人の名に隠れた擬似宗教団体が虚業的営利を貪り、しかも一方では政治活動という権力行為をあえて行なう時代錯誤性こそ、私が厳しく追究してきた戦後的虚妄、つまりはペテン性の究極にある問題点である。
 イスラム教国のザ力ート(喜捨)とも似て非なる創価学会の財務は、まさに法をかすめる犯罪的行為--実体はユスリ、タカリの最たるものだが、これについては別項に讓る。
     ----------(つづく)---------54

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