<この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
--言論出版妨害事件-- 昭和45年(1970年)
------(P.235)---(以下、本文)-------
◆ 公明党は政界における一服の清涼剤になリうるか
公明党は自民党による保守独裁体制とでもいえるものを、選挙によってつき崩してゆくという点では、もっとも前衛的役割りを果たしているとはいえるだろう。そういう点を、野党勢力としての社会党、民社党、共産党はそれなりに期待しており、いわゆる文化人や学者の中にもそういう期待のうえに、公明党をある程度まで支持している人々もでている。少なくとも保守独裁体制とでもいえるものに対する脅威という点では、社会党や共産党以上だということもできるわけである。
だが公明党が果たして本当に保守独裁体制を切り崩し、議会制民主政治のルールに乗った政党として発展してゆくことができるかどうか、こういう点に関してはなお多くの疑問が残らざるをえない。
すでに種々の著書、論文でしばしば強調してきたように、戦後日本の政治は、実質的には親米保守政権による一種の独裁体制が貫ぬかれきた。社会党の片山哲を首班とした中道政権は、半身不髄の社会主義政権として、国民の期待を裏切り、そのことによってかえって保守独裁体制を完成させる水先案内をつとめたという皮肉な結果をもたらした。
日本社会党はいつまで経っても、「三分の一政党」の壁が破れず、野党第一党というノミナルな地位のうえにアグラをかき、観念的マスターベーシヨンを繰り返し、政権担当の意欲を少しも見せず、むしろそのことによって保守独裁体制の一種の「安安弁」としての役割りを果たしているという観さえなきにしもあらずである。
民社党は、イデオロギーにおいて議会制民主主義の本格派を目指し、一種の中道政治を標榜しているにもかかわらず、その構戌員からいっても、成り立ちからいっても、パンチのきかないところがあり、「フ口の中で屁をひっているよう政党」という悪口すらでている。
共産党については、公明党と激しい争いを繰り返しているにもかかわらず、本来同党が組織しなければならない社会の底辺層を、公明党のなすがままにまかせ、社会の底辺の革命的エネルギーを宗教政党にひきわたしているという大きな責任を免かれることはできないであろう。
しかも反代々木系全学連の反撃にあって、もっぱら現在の組織を維持することに汲々としている観があり、その党勢の伸びはたいしたことはないといわなければならない。
その意味においては、公明党は行き詰まった日本の政治体制をそれなりにつき崩す戦後的エネルギーを現わすものだといっても必ずしも当っていないことはない。一定の感情的信念体系を選挙活動に直結させ、組織政党として不可欠な下部組織をば、これだけ末端にいたるまで整備した政党は、いままでの日本にはなかったということがいえるわけであり、そういう点においては、既成政党は公明党に学ばなけれぱならないといわざるをえない。末端組織の整備という点に限ればたしかに他を圧している。
理論やイデオロギーでは「科学的」を誇示する共産党でも、これだけガッチリした大衆組織はもっていないし、総評のうえにアグラをかいている社会党は、正式党員などまさにひとにぎりにすぎす、民社党にいたってはさらにお粗末をきわめるありさまなのである。その意味では、日本政党史のうえで最初の大衆政党は公明党であるという皮肉ないい方も決して出来なくはない。
本来ならば、もっとも疎外された大衆の組織体であってしかるべき共産党も、戦後日本で一時的にせよ、「民主主義」の思恵に浴した組織であったにすぎない。
その共産党イデオロギーが、インテリないし自称インテリの理論信仰に支えられた大衆ラジ力リズムの“お経”であるとすれば、創価学会イデオロギーはもっとも非インテリ的庶民的な情感信仰に支えられた大衆ラジカリズムの“お経そのもの”であるといえる。その公明党に、歴史ある既成政党が、臆病カゼをふかしているということは、とりもなおさず現代日本の政治的病理現象を如実に現わすものである。
ここで公明党の功績とでもいえるものを、しいてあげるとすれぱ、そういう既成政党のだらしなさをパクロし、それなりに一種の清涼剤的な役割りを果たした点にある。しかし、その清凉剤はあくまでも清涼剤であり、一種のクスリともいえるが、それもまた飲みすぎれば、下痢がおこるであろうし、体質がおかしくなる。その点の判定が公明党の功罪を決する一つのポイントになるといわなければならないであろう。
---------(238P)-------つづく--