創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会を斬る-43

2018-07-30 08:05:34 | Weblog

 <この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
      --言論出版妨害事件-- 昭和45年(1970年)
    ------(P.235)---(以下、本文)-------

公明党は政界における一服の清涼剤になリうるか
 公明党は自民党による保守独裁体制とでもいえるものを、選挙によってつき崩してゆくという点では、もっとも前衛的役割りを果たしているとはいえるだろう。そういう点を、野党勢力としての社会党、民社党、共産党はそれなりに期待しており、いわゆる文化人や学者の中にもそういう期待のうえに、公明党をある程度まで支持している人々もでている。少なくとも保守独裁体制とでもいえるものに対する脅威という点では、社会党や共産党以上だということもできるわけである。
 だが公明党が果たして本当に保守独裁体制を切り崩し、議会制民主政治のルールに乗った政党として発展してゆくことができるかどうか、こういう点に関してはなお多くの疑問が残らざるをえない。
 すでに種々の著書、論文でしばしば強調してきたように、戦後日本の政治は、実質的には親米保守政権による一種の独裁体制が貫ぬかれきた。社会党の片山哲を首班とした中道政権は、半身不髄の社会主義政権として、国民の期待を裏切り、そのことによってかえって保守独裁体制を完成させる水先案内をつとめたという皮肉な結果をもたらした。

 日本社会党はいつまで経っても、「三分の一政党」の壁が破れず、野党第一党というノミナルな地位のうえにアグラをかき、観念的マスターベーシヨンを繰り返し、政権担当の意欲を少しも見せず、むしろそのことによって保守独裁体制の一種の「安安弁」としての役割りを果たしているという観さえなきにしもあらずである。
 民社党は、イデオロギーにおいて議会制民主主義の本格派を目指し、一種の中道政治を標榜しているにもかかわらず、その構戌員からいっても、成り立ちからいっても、パンチのきかないところがあり、「フ口の中で屁をひっているよう政党」という悪口すらでている。
 共産党については、公明党と激しい争いを繰り返しているにもかかわらず、本来同党が組織しなければならない社会の底辺層を、公明党のなすがままにまかせ、社会の底辺の革命的エネルギーを宗教政党にひきわたしているという大きな責任を免かれることはできないであろう。
 しかも反代々木系全学連の反撃にあって、もっぱら現在の組織を維持することに汲々としている観があり、その党勢の伸びはたいしたことはないといわなければならない。

 その意味においては、公明党は行き詰まった日本の政治体制をそれなりにつき崩す戦後的エネルギーを現わすものだといっても必ずしも当っていないことはない。一定の感情的信念体系を選挙活動に直結させ、組織政党として不可欠な下部組織をば、これだけ末端にいたるまで整備した政党は、いままでの日本にはなかったということがいえるわけであり、そういう点においては、既成政党は公明党に学ばなけれぱならないといわざるをえない。末端組織の整備という点に限ればたしかに他を圧している。
 理論やイデオロギーでは「科学的」を誇示する共産党でも、これだけガッチリした大衆組織はもっていないし、総評のうえにアグラをかいている社会党は、正式党員などまさにひとにぎりにすぎす、民社党にいたってはさらにお粗末をきわめるありさまなのである。その意味では、日本政党史のうえで最初の大衆政党は公明党であるという皮肉ないい方も決して出来なくはない。

 本来ならば、もっとも疎外された大衆の組織体であってしかるべき共産党も、戦後日本で一時的にせよ、「民主主義」の思恵に浴した組織であったにすぎない。
 その共産党イデオロギーが、インテリないし自称インテリの理論信仰に支えられた大衆ラジ力リズムの“お経”であるとすれば、創価学会イデオロギーはもっとも非インテリ的庶民的な情感信仰に支えられた大衆ラジカリズムの“お経そのもの”であるといえる。その公明党に、歴史ある既成政党が、臆病カゼをふかしているということは、とりもなおさず現代日本の政治的病理現象を如実に現わすものである。
 ここで公明党の功績とでもいえるものを、しいてあげるとすれぱ、そういう既成政党のだらしなさをパクロし、それなりに一種の清涼剤的な役割りを果たした点にある。しかし、その清凉剤はあくまでも清涼剤であり、一種のクスリともいえるが、それもまた飲みすぎれば、下痢がおこるであろうし、体質がおかしくなる。その点の判定が公明党の功罪を決する一つのポイントになるといわなければならないであろう。
       ---------(238P)-------つづく--

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創価学会を斬る-42

2018-07-29 08:49:32 | Weblog

<この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
      --言論出版妨害事件-- 昭和45年(1970年)
    ------(P.230)---(以下、本文)-------

衆議院選挙て果たして倍増なるか
 それでは、この公明党は次の衆院選をどのように戦おうとしているのであろうか。ある程度まで具体的にその動きを追ってみることが必要になる。
 だいたい公明党議員には、最初から国会議員になろうと思って入信した人はほとんどないといわれている。入信の動機の中に、政治的な要素や政界への野心があったという人はこれまでのところではまずないとみるのが常識である。公明党議員の入信動機の大半は病気や精神的なものによっている。したがって現在の議員の大半は、自分が現在議員であること自体を、彼等自身が不思議に思つているくらいであろう。「入信してわずか5年か10年後に議員になろうなどとは夢にも思わなかった」と述懐する人もいるが、そうした考えをもつのも至極当りまえなことなのである。
 ところで、ひところは「議員になりたかったら創価学会に入れ」などと一部の学会員の口からいわれたりした。たしかに学会から議員になるコースは、労組幹部や高級官僚以上に当選の確率が高い。「国会議員になるならば公明党」--たしかに早道には違いない。
 しかし、公明党の議員は、早道を意識的に選んだのではなく、雑草のような大衆の中から成長し、思いがけなくも政治をやるはめになったのである。こういう人々のもつ共通の待色と公して、アマチュアのもつよさを指摘できるが、政洽ゲームに関係のなかった人が政治ゲームに一度熱中しだすと、政治のもつ特徴、とくに権力欲--こういったものに対する抵抗素ができていないために、従来は考えられもしなかった人間に次第に変質していくということがある。
 よく僧侶とか神官等の宗教者に権力をもたすと、いままで全く権力に関係なかっただけに、一夜にしてものすごい権力欲の権化に変わるということがよくいわれるが、公明党議員の場合にもそういう傾向があることは否定できない。
 その意味において、公明党議員は非常に権力欲が強くなるし、権力に対する抵抗素がきわめて弱いといわざるをえない。こういうタイプの連中は、議員侯補になり選挙戦にのぞむとなると、猛烈にハッスルすることになる。これを応援する学会員も一体となってハッスルする。一方、学会本部は候補者に対し、名刺に書きこめないほどの肩書きを与えて、大いにその選挙戦を有利にするように努める。そして全員当選をはかる。こういう体制なのである。

 このようなやり方は、次期衆院選でもおそらくは同じようにくり返されることになろう。すでに竹入委員長は「全党のエネルギーを衆院選に結集せよ」という至上命令をだしている。そして自から遊説の第一声を熊本において放ったくらいである。
 熊本ではなかなか余裕のあるところをみせ、記者会見で全国的に追加公認申請がでているので党内で検討中であるといい、追加公認地区として、佐賀、滋賀、香川一区、三重一区、広島一区、兵庫三区、愛知三、五区、福井の9選挙区を検討中の選挙区としてあげている。
 さらにこのとき、それまでの公認候補者75名に群馬二区の公認追加を発表し、やる気十分の構えをみせた。また「解散が延びればもっと公認を增やす」といったともいわれる。公明党幹部はしばしば「解散をひきのばしてくれればくれるほど、わが党の準備態勢はととのって有利になる」というようにいっているが、公明党はいよいよ総力決戦態勢をもってのぞむようである。
 このようにして、公明党のあたるべからざる勢いに押しまくられている感じのする選挙前哨戦であるが、現地の生の声を新聞(前掲「毎日新聞」)から拾ってみると、自民党の大臣経歴もあるA代議士は「公明党に食われていることは事実。だが、自民が丸かぶりではない。各党、各候補とも危険度は分担している、……現役はチャレンジされるから気分的には苦しいよ」というようないい方をしている。
 また社会党B代議士は「私のためには、ヒリヒリしていると宣伝して危機感をあおった方が有利なんだ。しかし実際はそれほどでもない」と割合い楽観的ないい方をしている。しかし、この先生はかって書記長、副委員長など党要職を歴任し、老練政治家として名が通っているが、前回は最下位だった。本当に楽観しているものかどうか、問題が残るであろう。
 ともかく公明党の日常活動は他党の比ではない。折伏を筆頭にあらゆる手段がとられており、“事前運動”は日常的に行なわれている。創価学会というバックがあり、いざとなれば無償で働く学会員の10人や20人はすぐ動員できる態勢である。資材の提供者も集まる。したがつて選挙費にしても、公明党議員候補は自分のカネはほとんど使わずしてすむ。自民党や社会党にとってはまさにジタンダふんでも追いつかない有利さをもっている。選挙のやり方にしてもだんだんとうまくなってきているのである。
 前記の「毎日新聞」はこれを“公明党旋風吹きまくる”として報道しているが、その中で、自民党や社会党の代議士と公明党の選挙対策本部事務局長・鈴木一弘(参院議員)とが興味ある見解をぶつけあっているので、ここに引用しておこう。

 自民党A氏「つまり社会全体にある精神的貧困なんだ。一方に戦争の影響があり、一方では人間の意識と、文化、科学技術の急テンボの進歩との間にギャップができている。精神的な落後者、極端な例がヒッピーだ。彼等はすがれるものを求め、公明党はそれにアビールする。これを国民的な課題として解決しない限り公明党は伸びるね。公明党が社会党にとって代わるかもしれない」
社会党B氏「不幸だね、公明の進出は。宗教が政治に優先するんだから民主主義ではない。われわれがだらしない、ということもある。ただ竹入君の目標は結構だが、それほど政治はあまくないぞ。公称600万人の信者がいるからふえるとしても、衆院では45名前後が限界だろう。60名なんて将来でも考えられない」
 これに対し鈴木一弘は次のように反論している。
「要するにほかの党のヤキモチなんだ。今度の選挙によってはじめて本格的な民主政治ができる、とわれわれは堅く信じている。“政界に新風を”という声は世間にあふれているじやないですか。60前後は押せば見込みがあるということだ。委員長がいったからには、とにかく獲得する……」

 ともあれ、2大政党ともども公明党の進出に対して、それなりの衝撃をうけていることは紛れもない事実といわなければならない。
 それではいったい今度の衆院選で、公明党はどれぐらいの議席を獲得できるであろうか。単純に計算すれば、次期衆院選で候補者を立てると当初いった75選挙区中、45選挙区では、公明党全国区得票数が前回衆院選最下位当選者の得票数を上回っているわけであり、そのほか信者数の増大もあろうから、竹入委員長の最低51名当選という数字もなんら驚くにあたらない。数字のうえではたしかにそういうことも可能であろう。しかし、これはあくまで数字のうえだけのことであり、政権の帰趨にかかわる衆院選は、参院選や地方選のように単純なものではなく、それなりの事情もある。まずは結果は見てからのお楽しみというよりほかないということであろう。
       ---------(235P)-------つづく--

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創価学会を斬る-41

2018-07-28 06:17:22 | Weblog

<この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
      --言論出版妨害事件-- 昭和45年(1970年)
    ------(P.227)---(以下、本文)-------

8 強引きわまる公明党選挙作戦
◆ 複雑微妙な各党の思惑
 創価学会は労働組合においても、学生運動においても、ともかく、それぞれの分野で第三勢力の結成をもくろんでいるが、そういう組織自体、創価学会の政治支店とでもいえる公明党の選挙母体にもなり、また有力な運動員にもなり、それなりの役割を果たすことは間違いのないところといってよい。いまや解散必至といわれおり、次の衆議院総選挙においては、現在の25名からいっきょに倍増以上を期しており、公明党の衆院選にのぞむ態度はまことにアンビシャスである。
 現在の段階において、衆議院は佐藤訪米後そう長い期間をおかずに解散され、一月総選挙となる線が濃く、各党とも街頭宣伝にのり出しているが、ここでも公明党は他党以上に意欲的に地方遊説その他の前哨戦をはじめている。
 さる1969年9月5日、竹入公明党委員長は熊本において「現有勢力25名を51名にふやす」と、かっての池田首相の所得倍増論のような、公明党議員倍増論をブチあげたことは記憶に新らしいところである。そして日を経るにつれ、「51名はおろか60前後の議席を獲得したい」と強気になっている。 そこには、こういう一種の躍進ムードとでもいえるものをもりあげ、ようやくゆるみ出した学会員のタガを引きしめようという意図がみられる。しかし、かかる公明党の強気によって大いに影響をうけ、それなりにあわてて、対策に苦慮しているのが自民党、社会党をはじめとする各党である。
 
 こうした公明党進出表明に対する各党の反応を新聞(「毎日新聞」1969年9月23日)から拾ってみると、自民党=「無気味だな」といういい方、社会党=「泣く子とアレ(公明党)には勝てないよ」と、まるでハレモノにさわるようなありさま、まことだらしないものである。公明党があたかも爆弾か怪物でもあるかのような表現をしている。しかし選挙のたびに、公明党の進出によってそれなりの影響をうけてきた各政党にとっては、このような受けとり方もあるていど無理からぬといえよう。なかでも民社党は、衆議院でも第3党としての地位を奪われる可能性が強く、その表情は自民党、社会党以上に複雑である。
 衆院選にのぞむ公明党の態度は一種の勢いにのっている。そしてそれなりの自信もあるのだろう。竹入委員長は強気をおもてにだして「社会、共産党との共闘は今後考えなければならない」
 と、暗に「公明党は独自の路線と、独自の行動で進むのだ」と政府自民党に対する対決の姿勢もみせている。しかし、それをどこまで本気でいっているのか、そしてどこまでその線をおし通すことができるか、これはこれまでに創価学会・公明党が示してきた日和見的豹変ぶりをみると、まずは額面どおり受けとらない方が賢明といえそうである。泣く子と地頭には勝てないけれども、公明党のいうことは“マユツバ”ものだからである。

 第3党ないし第3勢力としての役割り、しかもそれがユニークなものになるということはいったいどういうことを意味するか。常識的にいえば、一種の是々非々主義を前提としてのみ第3党的、第3勢力的役割りが可能になるということである。これは見方によればはなはだ日和見的なやり方であるということにもなるが、第1党か第2党にそのまま一貫して同調するなら、その存在理由そのものがなくなるのであるから、公明党に限らず、第3党は宿命的に一種のオポチュニスティックな役割を営まざるをえなくなる。このことは一つの前提的常識として認めなければならない。
 しかし、それがそれなりにうまくいき、国民大衆を納得させるものであれば、良識ある第3党といわれることになろうが、やり方を誤まれば節操なき事大主義として非難をうけることにもなろう。こういうジレンマ自体は、第3勢力ないし第3党といわれるもののいわば不可避的な宿命といわなければならない。
 その点では、公明党は盲目的とでもいえる信仰に基礎をおいているゆえ、節操のなさ、事大主義、デタラメぶりも、内部から厳しく追求され、理論闘争が起こってくるという可能性はほとんどないといえよう。しかし、こうした形で伸びてきたものであるだけに、ある時点で頭打ちとなり、大衆が急にフラストレーシヨンを起こした場合は、まさにシャボン玉のようにしぼんでしまう可能性も同時にもっている。そういう意味において、公明党の選挙のやり方のなかには、ヒビのはいったガラスのような脆さが常にその裏側に伏在しているといわざるをえないであろう。
       ---------(230P)-------つづく--

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創価学会を斬る-40

2018-07-27 06:48:37 | Weblog

 <この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
      --言論出版妨害事件-- 昭和45年(1970年)
    ------(P.221)---(以下、本文)-------

第三の“全学連”も結成
 創価学会は組織になるものは何でもいいから使おうとしている。そうなると当今大流行の全学連的学生運動に対しても無関心ではありえない。当然学生運動の組織化にも乗り出してゆくということになる。
 「安保」「沖縄」「大学立法」をめぐり学園紛争はいまやその極点にある。日本の大学は荒廃と混迷をつづけているわけである。(これについては私の著書『この日本をどうする』のシリーズ第一巻“日本教育改造案”でくわしくふれておいたので、それを参照していただきたい。)
 こういうような状況下において、創価学会は新学生同盟なるものを結成したが、これは新労組の結成、後援会の結成とともに創価学会の新らしい動きを示すものである。
 学会はこれまでも青年部に非常な力をいれてきており、それは戸田城聖第二代会長以来の伝統にもなっている。その青年部の核となってきたのがほかならぬ池田会長その人である。こうした中でも最近とみに重要さをましてきているのは学生部であるといわれている。いかなる大衆運動においても、青年はその前衛であり、また第一線のエネルギーになるものである。老人が主体となっている団体が保守的であり、退廃的であり、消極的になるのはあらゆる組織についていえる。戦争中、青年を第一戦で使うため青年がやたらにほめあげられたが、邪宗撲滅、全国民折伏の意気に燃える戦闘集団創価学会において、青年や 学生がとくにオダテられ、実体以上に高く評価されるのも当然の傾向であろう。
 新学生同盟の結成は1969年9月25日、東京で結成準備会が開かれたことから具体化された。これまでは創価学会学生部の学生が中心となり「大学立法」「安保」「沖縄」などについて、その研究と運動方法の討議がかなり地味につづけられてきた。 たとえば「大学立法反対」では「大学立法粉砕全国連絡協議会」(略称・全協)のもとに運動を展開した。新学生同盟はこれを発展的に解消させてできたものである。
 創価学会の学生運動は、これよりさき、1969年5月3日に池田会長が「学生運動の第3の道」を提唱して以来、学会内において本格的にとりあげられ、それが今日の「新学生同盟」の母体となっている。これもまた会長のお声がかりでできたものなのである。
 この新学生同盟は今後どのような動きをとるか、これはやはり現在の大学問題、学生運動の動向からみてそれなりに無視できないものをもっている。結成準備会においては新学生同盟の目的として次のような三点がかかげられている。(「朝日新聞」1969年9月26日)

 一、地球民族主義、絶対平和主義に立脚して「反戦」の戦いを推進する
 二、人間主義に立脚して真の政治、経済、教育、文化の建設のため戦う
 三、英知と知識の総合の上に新らたなる学問を創造する
 これは月並みな創価学会学生版と評価できよう。前記「朝日新聞」は新学生同盟の当面の学内活動について「全共闘運動の一定の意義は認めるが、バリケードは戦術としても拙劣」「全共闘、民青など他の学生組織と場合によっては共闘もありうる」「学生自治会は否定しないが、いまの自治会は多分に形がい化しており、新学生同盟から自治委員を送りだすことはしない」「基本的には反戦、反権力の闘争」といった考え方を報じている。
 また 政治問題と して は 「安保廃棄」「沖縄無条件即時返還」「日中国交回復」などを掲げ、当面はティーチインをやるとか、自主講座をひらくとか、集会や討論会をもうけるとか等、地味なかたちで訴えてゆきたいという態度をとっている。学会流の民青および反代々木系全学連に対する批判をふくみながら、学生運動のエネルギーに割りこむ姿勢をしめしている。学生運動は学生運動なりに学会のエネルギーになり、戦闘的エネルギーとして活用しうればよいという考え方が底にあることがよみとれるであろう。
 この新学生同盟の発足によって、70年問題において、民青、反代々木系、右翼系の中に一枚割りこんで、四ッ巴の主導権争いが展開されることになり、そうでなくても内ゲバまで発生して騒然としている大学は、いよいよ戦国乱世を地でいくような、はなはだしい乱脈な争いの中におかれることになりそうである。

 ともあれ、すでにヤクザの出入りに近いような内ゲバ闘争によって死者まで出している大学扮争は、まぎれもなく社会問題であり、治安問題であり、政治問題となっており、末期的症状を呈しているわけであるが、この波乱の中にさらにもう一石を投じた形で新学生同盟なるものが参加するわけである。この新組織が彼等の考えているように大学紛争の救世主になれるかどうか、それとも単なる傍観者に終るか、まさにみものともいえよう。だが、実は学生運動の大きな退潮期を見こして組織をつくっておくという程度のものといえるかもしれない。
 それは創価学会会長の“お声がかり”ででき、出所進退すべて会長まかせの学生運動組織であり、その点では代々木系にせよ反代々木系にせよ、これまでの全学連学生運動とはかなり質の違ったものだからである。あるいは学会所属の大学生が全共闘と共に“暴走”して学会の威信に傷がつくのをおそれ、この辺てコントロールしようとする意図があるかもしれないし、学会内部の“造反”を防ぐためエネルギー発散の場を与えようとする意図もあるかもしれない。
 しかし、いずれにしても学会の意思でどうにでもなる組織であることは間違いなく、学会伸張のための一翼として将来にそなえたものと考えられる。それにしても「安保廃棄」の主張は、公明党の「段階的解消」と矛盾するものといえよう。
       ---------(225P)-------つづく

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創価学会を斬る-39

2018-07-26 07:28:40 | Weblog

 <この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
      --言論出版妨害事件-- 昭和45年(1970年)
    ------(P.215)---(以下、本文)-------

既成労組は無視戦術
 いうまでもなく、こうした創価学会の新労組結成の方針に対しては、労働界からさっそくさまざまな批判がでている。それは「未組織労働者を結集するというが、果たして可能か」、「既成労組との関係をどう調整するのか」と半ば創価学会の組織能力を疑い、半ば自分の組織を侵されることを恐れての批判なのである。
 たとえば、労働界の総本山・総評では--
 「民主労働協議会は、労働団体とはいえないし、組織化などはおそらく出来ないだろう。」といういい方をしており、
 同盟では--
 「同盟の中にも約20万人ぐらい創価学会員がいるのではないかと思われるが、その人達が全部、公明党のつくる労組に参加するかどうかは疑わしい。したがって特にこれといった対策は考えてない。」というような表現をしている。
 その受け取り方は割合い楽観的なようだが、その背後には「たとえ組織化ができても、それはかえつて労働組織からの疎外をまねくだけではあるまいか」という常識的な考えがあるようである。
 それにしても、わが国の雇用労働者3148万人のうち、総評、同盟などに組織されているのはほぽ1086万人で全体の34パーセントにすぎず(1968年)、約3分の2の2000万人は未組織であるから、組織する余地はまだまだ十分あるわけである。学会の組織能力からすれば、総評、同盟が楽観視するほど甘くはない、ということもいえるわけで、学会のねらうところには、たしかに既成労組の弱点があり、一つの大衆網拡大の盲点があるといえる。
 ただ、こういう未組織労働者層は、総評、同盟といった組織からもれた、まさに「落ち穂」的存在として散在しているだけに、その組織化はおそらく困難をきわめることであろう。しかし、これまでの創価学会の組織づくりのやり方でいくならば、総評、同盟に対抗する労働組合組織をそれなりにつくることも不可能でないかもしれない。ただそれが労働組合組織といえるかどうか、これについては議論の余地があろう。

◆ 自民党顔負けの公明党後援会組織づくリ
 個人後援会の組織づくりは自民党の専売特許であり、これが派閥をつくると同時に、政党の規律をみだしており、大いに問題があるものとして批判されているが、この個人後援会づくりを公明党もいよいよやりだしたようである。労働組合もつくれば何でもつくる。組織づくりのためにはハレンチにも何でもやるといっても過言ではないかもしれない。
 もっとも、「王仏冥合」の実践からすれば、「国民の2分の1の支持」をうることも必要だから、そのためには手段を選ばないということなのかもしれない。これまでの公明党に対する支持はほぼ創価学会員に限られ、会員以外の支持にほとんどえられなかった。そればかりか、むしろ会員外の人を敵にまわすようなかたくななやり方をやってきたために敵のみ多くなり、学会員外を味方にするということは実質的に不可能に近かった。こういうことでは議員の大量当選は不可能であることを悟ったか、せっせと自民党顔まけの後援会づくりを手がけ、会員外からも広く支持をえようとしてきている。これは自民党の“マネ”である。良い“マネ”か悪い“マネ”かは別として、ここに公明党の性格がよく現われているといえよう。
 見方によれば、こうでもしなければ一般有権者からほとんどというより、一票も獲得できなくなりつつあるということかもしれない。後援会をつくることによって地域住民との連繋を強め、彼等の利益も考え、なんらかの同調、共鳴を求め、かくして創価学会・公明党と一般有権者との距離をちぢめ、いわば一種の同質化をはかろうとするものである。学会員の獲得をするとともに、公明党の支持者獲得のために駒をすすめてきたということであり、ある意味においては正学会員でないもののシンパサイザー化をねらってきたわけである。裏をかえせば、このことは創価学会員、信者獲得の伸び率が鈍化してきたために、新らしい手段による拡大策を考えてきたとみられよう。
 しかし公明党の後援会なるものは、自民党、社会党のそれとははなはだ二ュアンスが違うようである。自民党、社会党の場合はまさに個人の後援会であるが、公明党の場合は選挙戦にみられるように、あくまでも党を中心として組織づくりが行なわれているわけで、個人よりも党の支持層拡大が主眼である。その意味においては共産党と非常に類似している特色をもっている。

 ところで話をかえて、ここで共産党との一面における類似性、そして他面における異質性によって生じている問題を少し述べておこう。共産党とは前述のように一面では類似性があり、そのため選挙戦ともなると、末端においては衝突不祥事件とでもいえるものをたびたび起こしている。犬猿の仲の公明党-共産党の“サルカニ合戦”は、まことに賑やかな様相を呈している。
 今回の都議達(1969年)でも、お互いに“ビラ”のハギトリ合戦をやっているし、中傷とパクリと陰謀という、低劣きわまりない手段を弄したとお互に誹謗しあっている。しかし、それ自体一種のなれあいだ、という説もある。その根拠として、公明党と共産党の張り合う選挙区は、必ずといっていいほど両党の地盤の固まっていない脆弱なところでだということが指摘されている。したがって、そこで張り合えば張り合うだけ両党の地番が固定化し、ともに自党の団結を固め、運動員をひきしめる。ハッスルさせるために張り合わせる戦術をとっているのだという見方があるわけだ。
 このことは日本の選挙戦の末端における実質的な競合としてじゅうぶん考えられるが、そのことが事実かどうかはともかくとして、そうしたことがいろいろといわれるほど、公明党と共産党の合戦は激烈をきわめているということである。これは両党の支持層が社会の底辺に存在するということと、他面において表面上の幾つかの類似にもかかわらず、基本的には同質の違いがあるためといえるだろう。

 その違いとは何かというと、一方の公明党は宗教政党であり、他方の共産党は「宗教は阿片である」というマルクスの言葉を信奉する宗教否定政党であるということである。公明党がいくら唯心論と唯物論とを弁証法的に止揚して、「新らしい理念だ」といっても、結局は一種の精神主義をかざす宗教政党にほかならず、共産党にいわせれば、まさに資本主義的イデオロギーのプロパガンダ政党ということになる。だからギリギリの点では異質のものなのである。その意味において、末端における公明党と共産党の“サルカニ合戦”のような争いは理論闘争というよりも、究極点における違和感からくる争いといえよう。そこでは物理的な力で押しまくる以外にはないということになろう。これが暴力不祥事件すらも発生させかねない背景になっているわけである。
 もっともこのような両党のエネルギーは、それなりにたいしたものだという見方もできる。
 もしこれが政策論争として生かされていけばスジも通ろうというものだが、「王仏冥合」をたてにとる公明党と、「マルクス主義」を金科玉条とする共産党とでは政策論争をする共通の場がないといえる。
 ともあれ、創価学会・公明党は会員の伸びの鈍化とともに、一方では共産党的細胞から、他方では自民党的個人後援会の組織にいたる方法まで多角的に使うことにより、党勢拡大の新らしい波をつくろうと必死になっていることは、それなりに注目する必要があろう。
       ---------(221P)-------つづく--

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