創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

新・創価学会を斬る-17

2017-10-31 08:58:59 | Weblog

新・創価学会を斬る 藤原弘達 (昭和56/12 ¥500- 日新報道)

          ----(P105)---(以下、本文)---
オ卜ギ話の座談会
 四十六年五月に入信した中田三重子さん(福井県)は座談会について次のように感想を述べている。
「もし入信して以後も、発表すべき体験のない場合は、御題目のあげ方が足りないと指導されます。その次には真剣に御題目があがっているかと問いただされます。それでもなおかつ功徳のないときは人それぞれの過去現世の因縁があって、一年かかる人も、七年、十年、何十年かかる人もある。過去におけるさまざまの因果であると教えられます。
 それを馬鹿くさいと批判してしまえば、信心は成り立たないもののようです。もし勇気をふるって、何も功徳がないと発表すれぱ、一、二回は懇切に指導されますが、いつのまにか皆はその人を無視していくようです。相手にされなくなるのです。」

 「私の幹部は創価髙校ができたとき副校長をしていた諸富さんのお母さんで“地区担”でした。そこで『小島さん、とにかく私たち勉強したいですから、あなたの感じたこと、何んでも話していただきたい』と言われたんです。
『私ここへ入らせてもらって、ざっと観察したところが、ここに一人だけ人間らしい人がいました。あとは全部ガメツイ人ばかりいました』と言つたんです。ハッキリと露骨に遠慮している性格でないもんですから......。
 そしたら、『こんな人はここにおいてはおけないから、千駄ケ谷の全国大会に行きなさい』と言われました。行く前に、とにかく大会へ行けば会長先生の話で、涙が出て出てと聞いていましたが、実際はさほど感じませんでした。」(千葉県小島たつさん)。

「座談会は、パカバ力しくなって、とってもまともに黙って聞いていられなくなったのです。
 例えば、紙芝居に食堂の絵が三つ書いてある。右の家は信心を熱心にやっている。真中の家はどうでもいいような状態である。左の家は全く何もしていないというように説明するんですね。それからコックさんの漫画を描きましてね、一生懸命やっている家はどんどんお客が来る。真中の家はボツボツ来る。全く信心していない家には客が来ない。それでコックさんがアクビをしながら、“ああ--、どうしてお客が来ないのか、どういう原因なのか?”となげくといったような馬鹿々々しいことを説明する。
 またある人は三年間に五百万円の借金を全部返した。いまは自分の家も建てて安楽に暮しています。
 これも御本尊様のお蔭だと言う。
 泥棒でもしない限り、三年ぐらいでそう簡単に返せるわけがないと思いますが......」

 と神奈川県の帆文子さんはこう語ってきている。いずれにせよ、他の宗教団体に較べ、座談会の帰途にすぐグチがでるのが学会の特色のようである。

◆ 減る一方の座談会参加
 要するに、座談会方式では、そろそろ限界がでてきているようで、非常に低いところにボーダーラインがあって、それ以上の人はだんだんと座談会には出なくなるが、それ以下の人は座談会へ出て来て、自ら進んでどんどん洗脳されて狂信の道へ突進してゆくことになる。
 この脱座談会組をどう防ぐかが、いまの幹部たちの頭痛の種のようであり、見方によれば崩壞しつつある組織の当然のなりゆきともいえる。

 事のついでに言わせてもらうと、一校の会社で課長だ、係長だといえば、水準はある一定のものをもっているものだ。ところが学会のB長になると千差万別、玉石混淆もいいところでブロックにより雲泥の差がある。幹部の質がどんどんと悪化しているというのが現在の学会の偽わらざる姿なのである。
 長野県の松木和夫B長は、学会には底辺というのは何を指しているのかその意味がわからない人がいるという。また『続・斬る』で偽善的小人池田大作という言葉を用いたが、小人を「コビト」と読み池田会長はそんなに背の小さいほうではないと学会員の間で話題になったというからこれには全く呆れざるをえなかった。
 地域座談会、職場座談会といろいろ名目を変えても、踊るビエロと、踊らぬビエロはもう笛の吹き方の違いだけでは、完全には動かなくなってきたといえよう。東京では、外部からの情報がひんばんに入つてくることもあり、座談会出席率は会員数に対して二〇%前後であると大B長が洩らしている。学会・公明党の斜陽化は言をまたないが、その勢力は未だにかなり残っている。それだけにいわば戦時中の突撃隊か切込み隊のような役目を負わされている末端会員になると、いよいよ大変な負債を負わされる。いまや同情の念すら禁じえない次第である。

言動異常の学会員タイプ
 周知のようにグルリとはりめぐらされた人垣のような円形組織のなかにいる学会員個々人はわざと一つの方向だけしか見せられていない、目をふさがれたバ車馬のようにされている。多くの学会の同志的連繋がないというよりは、バラバラの小グループに分離され、交流できないようにされているといったほうがよい。私的に学会員同士がグループで旅行や会合することは厳禁されている。
 したがって他の地域の学会員がどんなことをし、そして自分が全体のなかでどのような立場に置かれているのかについて、客観的に知るチャンスをもたないシステムになっているということだ。長野県の例でいえば、隣町でありながら、B長同士がお互いにその立場や役割を知らないし、教学指導員が隣地区の人であってもこれがわからぬような仕組みになっているのである。“民はよらしむべし、知らしむべからず”の封建政治の原則がそのまま活用されているともいえるし、イギリスお得意の植民地政策・「分割統治」(ディバイド・アンド・ルール)を地でいっているともいえる。学会員それぞれはバラバラに分離され、無力化され、それだけ組織への依頼心をつよめるネライなのだ。
 二十世紀後半のこの時代、世界でももっとも自由な国といわれる日本に、まだこんな非人間的な組織が存在し、しかもいまだにそういう組織の中におらねば生きてゆけぬように細工されている人々がこんなにいるということは、まことに驚くべきことといわねばならない。組織の命令だけでそのまま動くロボット玩具のような人間がつくられているのだ。

 私のところにはいろいろな人からさまざまな電話が入ってくる。どうもこいつは少しオカシイ、余りにいうことが非常識だなと感じたら「君は学会員か?」ときくことにしている。すると必ずといってよいほど、黙って電話を切るか、威たけ高になってトタンにわめきだすのである。
 また講演会場などで、実に野暮ったいマトをはずれた質問をする者がいる。「創価学会員だろう」というと、やはり黙ってしまうか、わめきだすのである。タイプがおどろくほどに似ているのである。
 このタイプの人と会ったときは、いつも相手の目をジッと見ることにしている。ほとんど目の焦点が定まっていないのだ。普通の人間ならこちらがじっと見れば、当然のこととして見返すワケだが、どういうわけかわざと目が合わないようにするのだ。いわゆる目の光というものがない、目に精彩がないのだ。
“目は心の窓”といわれているが、心に落ち着きがないと、こんな目になるのかという気さえする。
 仕事の関係で多くの学会員と会っているような人も、やはり同じようなことをいっていた。
 初めて会っても目を見ると学会員かどうかがわかるのだという。偶然にしては話が一致しすぎる。やはり精神が不安定なのであろう。見方によると一種の精神異常者の目つきなのである。
 学会・公明党は口を開けぱ“国民の福祉厚生”をもっともらしく唱える。自分たちが社会福祉の精神的汚染源となっていることには少しも気づかないようだ。あるいは気づいていても、わざと無視するようにさせているぬかもしれない。
 見方によると、好きなようにさせておかないと、逃げられる可能性があるし、本部の指令通りにいかない場合がでてくると困るからでもあろう。
 ともかく熱心な信者というのは、学会によって一種の盲目にさせられた人々である。盲人が世間並みの行動がとれないのは当り前であるが、これならば盲人が白い杖を持っているように学会員にもすぐわかるような、警戒色の何か特別なワッぺンでも張っておくとよい。一目でわかれば盲人だから仕方かないと多少は許すかもしれないということだ。
 では実際に動いている学会員像とはどんなものなのか。何人かの学会員の目に映つた実像を学会員自身によって語ってもらうことにする。
       ---------(113P)-------つづく--

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・創価学会を斬る-16

2017-10-30 08:34:01 | Weblog

新・創価学会を斬る 藤原弘達 (昭和56/12 ¥500- 日新報道)

                               ----(P99)---(以下、本文)---
第三章 欠陷人間製造法とその実例
◆ オトリ美人で入信強要
 まずいわゆる“幸福製造機”の効能をPRし、この恩恵が如何に絶大なものであるかを説くのが折伏である。この場合幸福な人に幸福になるからといっても相手にされるものではない。
 したがって不幸な境遇にある人を探し出すのが、まず学会員の第一の仕事なのである。セールスでいうアプローチができる相手を探すということである。そして「探し当てたら絶対に離すな」という厳命が『折伏教典』で指示されている。
 ところで学会の上司、すなわち幹部は一般とは異なり末端会員にやりこめられるへナチョコが多い。例えば『折伏教典』を一応知っていても、その応用ができないのである。だからちょっとしたインテリに会うと、つけ焼刃の教学用語だけでは通用しない。幅広い豊かな常識がないと太刀討ちできないからだ。
 このようなクラスが自己のぺースで説得できるのはごく底辺の人々が精いっばいである。
 また学会批判をする人に対して、彼等はきまりきったように「信仰の自由は憲法で保障されている」という。まさにその通りで、誰がどんな宗教を信仰しようが自由なことにはいささかも反対しない。ただ信仰の押し売りは止めろ、それは自由への妨害だというだけのことなのだ。
 自分が食べてみておいしかったから、どうしてもこの夏ミカンをあんたも食べなさいと言ったところで、相手のほうがミカン類がいっさい嫌いなら仕方のないこと、それでも食べろと迫るとなると、これは親切ではなく押し売りである。そういうごくシンプルな区別がわからぬから学会員を非常識人とあえていわねばならないのである。
 対話の時代といわれる現代にあって、自分の理論だけを押しつける“折伏”は、言論による暴力的ファシズム的言動だといわねばならない。
 また拝んですべての事が足りるなら、誰も毎日忙しく働く必要がない。これが真っ赤なぺテンであることが多くの実証によつて明白にされている現実に着目するだけでもよいのだ。
 学会員が訪ねて来たらまず悪質なセールスマンだと思えばよい。入信させてまずいことが起こっても絶対にその人(信心親)は責任をとらない。後始末のほうは自分より上位の人へ上位の人へと転嫁する。責任転嫁のいわばくり返しで、とどのつまりは大作も誰も何もしてはくれない。要するにだまされて入ったヤツが馬鹿をみるという結果である
 ちょうど悪質インチキ会社のセールス方法と全く同じだと考えればよい。しゃべりの手口までそっくりだし、入信すれば、明日からでも幸福が飛んで来るようなことをヌケヌケという点も同じである。

 不幸な環境にあれば、誰しもうまい話を信じたくなる。そこが彼らのつけ目なのだ。何んにせよ、勧誘する方は入信させてしまえばよいのだから、考えられる限りの悪ラツな方法を平気で使う。底を割れば簡単な仕掛けだが、これが欲にくらむとなかなか見破れない。一例を挙げると、あるB長が言っている学会得意のボルノ戦術も“折伏”に一役買っている。
 若い人を折伏する場合に、男性なら美人を、女性ならハンサムな男を連れて行くという手である。入信すればこういう人達と交際できるんだ、場合によっては結婚だってできるかもしれないということを暗に「感じる」ようにする。しかし、そういうことはいつさい、口には出さない。そしてそういうオトリの学会員はブロックが違うから、入信してしまうと、その人とはもう顔をあわせることもなくなってしまうのである。うまくできている!

デマ中傷で就職坊害
 東京北区在住の倉内正男さん(仮名)の場合は、この手口で折伏された。良い女性と交際ができ、幸せな結婚ができるといわれたが話通りでない。そこであまりにもウソか多すぎるので退転しょうとしたところ、就職する場合、職場に押し掛けてはデマを飛ばし、悪口の限りを言い触らし、職場にいられないようにされているという。彼を妨害するために自衛隊のなかにまで押しかけて来るというから呆れてものがいえない。
 このほか三人の場合をみてみよう。

 帆文子さん(神奈川県)のケース
「あんたは食うに困らなくても、精神的には自分の主人と別れて、こんな状態じゃないか。人生でこんな不幸なことはない」と言われ、いろいろ考えてみても、やはり女一人では心細いと思つて入信した。

 宮崎きみさん(東京都)のケース
 せがれが会社の仕事でケガをしたのが入信の動機。ある日、田舎から出て来たばかりの若い従業員が機械のそばへ近づいて行った。「入ったら駄目だ!」と叫びながら、せがれが身体を乗り出すように止めに走った。そして勢いあまって機械に突っこみ腕を切断されてしまったわけである。
 そのとき、病院で付添ってた人が、柏原ヤスが住んでいた杉並の人で、学会員だった。その人が「日蓮正宗でないと念仏無限といって無間地獄だとか、禅天魔神亡国というように他の邪宗では身を亡ぼす、禅宗も実に国賊なんでこれもいけないんだ」という話をした。ケガ人がでることは、何かの因縁なんだからと言われた。そのうち近藤さんという人がやってきて、生命論というのを説いて聞かせられ、生命の不可思議ということを考えさせられる。そんなとき母がリューマチで片手不自由になってしまった。そこへもってきてせがれがああなった。これはどうもネ、と考えた次第だった。

 市中富三さん(東京都)のケース
 入信した時、文京支部(池田支部長代理)に属していた。自分の経営している電気、螢光燈の事業が資金難に陥り失敗してしまった。そこで、どうしたら再建できるかということで非常に苦悩していた。
 そんなとき、ご主人がスェーデンの公使をしたという奥さんが良い宗教団体があり、金は一銭もかからないということで誘われた。

 こうして皆、ワラをもつかむ気持ちで入信させられていったのである。
 最近、『斬る』が出版されてからは、無茶苦茶な折伏はあまりなくなったといわれているが確かにその傾向はある。しかし、全然、無くなったわけでもない。むしろ従来の強制的説得よりも、いやがらせ戦法のほうが比重が多くなっているようである。
 ごく最近では“友人をつくろう”から“友好の輪をつくろう”となってきた。今まであいさつもしなかった人と口をきくように指導される。次にはどのように交際がすすんだかを座談会で体験発表させられる。体験発表で単なる平凡なつき合いだけだと叱咜激励されるわけだ。何か中国接近ムードに歩調を合わせたものを感じないでもない。

心の“処女”を犯す
 折伏すれば座談会に出席させて一種の洗脳工作を始める。池田の講話や大幹部の教義問答がテープで流されるのは以前と変わらない。ここで池田がテープで「--しましょう」というと全員がテープに向って「ハ~イ」と返事をする。これではまるで幼稚園の先生と園児と同じ言葉のやりとりである。
 そして講話が始まると「ありがたい、ありがたい」と言って手を合わせ「生仏様のお話しだ」と感激にむせぶ。なかには涙を流す者すら出る。演出なのか本当なのかよくわからないが、自分には馬鹿々々しくて聞いていられなかったという人が、この間、わざわざ知らせに来てくれた。この人の感じ方のほうが正常なのであろうか。
 非合法と合法のボーダーラインをぬって、大衆の零細な金をかき集めている詐欺漢・池田大作の話がなんでそんなにありがたいのか。 聞いてみても、全くつまらない。手前勝手に解釈した仏法用語をやたらに連発、わかりもしない「御書」に当惑している末端会員に、俺はこんなに偉いんだぞと誇示しているのがここでいう講話なのである。イワシの頭も信心からというがまさに麻薬に酔っているとしかいいようかない。
 ともかくいかにしてありがたがらせて、「お布施」をより多くかき集めるかが、彼等の真の目的なのだ。この後は、おきまりの“地区担”といわれる幹部サマのご出動だ。彼等は口をきわめて池田礼讚をやって、精いっぱいの提灯をもつ。それをまた古手の会員が感心したようなシタリ顔で支持する。これで“暗示の根回し”が終わるわけだ。そしてこんどは新たな犠牲者と化す新入会員とか未会員へ、かわるがわるが、信心の功徳をPRするのだ。多勢に無勢は現代も通用する。プロレスのタッグ・マッチ方式で敵陣営に連れ込まれ、さんざんに痛めつけられるレスラーとすこぶる類似した立場になる。
 あなたの欲しいものは何んでもあげましょうという。初めから口先だけのことだから、何んでもご注文に応ぜられる。不幸に打ちのめされている者は何となくそうなると思い込みがちだし、自分の周りにいるのが人間の皮をかぶった狼であることを全く考える余裕がなくなるのである。気がついたときは泥沼にはまり、もう助けを求めても、どうにもならない状態に入ってしまうのがオチである。

 池田会長は言論出版妨害の時に「処女が輪姦されたような気持…」と言ったがここではまさに“心の処女”を犯す役目を果たしているといってもよい。処女を犯された以上、仕方ないから泣く泣くでも従うほかはないようにさせる。または逆に気の弱い男の場合なら、処女をいただいたからという負い目の殺し文句に参り、一生の不作を抱え込むのと同じ寸法かもしれない。

 最近はあまり堅苦しいだけではということで、唄や踊りなどで盛んに動員をかける。これは激しいリズムでGO、GOを踊らせ失神状態にさせるあの方式を真似たものともいえる。学会が“踊る宗教”にいつ変わったのかは知らないが、何んでも人真似の得意な学会だからこれもさして不思議がることもないといえばそれまでのことではある。
 こういう事態について、ある東京のB長は言っていた。「どうせ学会のメンバーがやるんですから、唄でも踊りでも一般のレベルより低い。だからまともに見ちやいられませんよ」とやっている当人がいうのだからウソではあるまい。
       ---------(105P)-------つづく--

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・創価学会を斬る-15

2017-10-29 08:40:40 | Weblog

新・創価学会を斬る 藤原弘達 (昭和56/12 ¥500- 日新報道)

                       ----(P94)---(以下、本文)---
「組織的悪人集団」の暗躍
 このほか、香川県の江美純三郎さんからは参議院選挙の際、農繁期であるというのに夫一人だけに麦刈りをやらせ、妻は学会員として連日選挙運動に夢中になり、我慢がもはや頂点に達した夫と夕食中ロ論になり、そのまま子供を連れ出して入水自殺した事件とか、氏の同級生である中野ツイさんも大阪四条啜で同じく選挙に関連して入水自殺、という報告かきている。
 いやしくも日本国という立派な法治国のなかに生存していて宗教を信仰しているといえば誰しも、一応は円満な社会人、常識人を想像するのが当然であろう。
 それが全くそうでないところに、学会・公明党の異常体質があるわけである。何回もくり返すことになるが、創価学会という組織は決して宗教ではない。宗教の仮面をかぶった一つの「権力」であるということを徹底的に再認識しなけれぱ、問題の本質を解決することはできないということなのである。ところがこれらの例にもみるように学会員・公明党員はともすれば法をくぐり、人の信を裏切り、口と行動は全く逆のことをなして社会悪をばらまいているのである。一世一代の詐欺師戸田城聖についていろいろの手口を学び、インチキ金融会社の取締役営業部長としてらつ腕を発揮した池田大作が会長として指導する以上、当然こうなるのが当り割なのかもしれない。抑圧された学会員は非学会員にも進んで敵を求めるのだ。
 またボス池田により一応社会的に何んとか通用できるように引き立ててもらった幹部が、会長の指示に従わないわけはない。
 最近は「何か悩みが出来たらすぐに解決しなさい。一つの悩みをそのままにしておくと悩みはどんどん増えます。解決できない人はどしどし本部に来なさい」などと言っているそうだが、その本部の態度たるやまさにかっての参謀本部か何かのようなもので一兵卒(会員)がのこのこ出掛けて行っても鼻であしらわれるのが関の山なのである。

 『週刊新潮』(四六・一二・二五)の告発シリーズで警察庁がつくった「詐欺紳士録」八百人を公表できない人権のカラクリというなかで自由法曹団団長の岡崎一夫弁護士が「今さらそんなものを出すなんておかしいですよ。詐欺だろうが、窃盗だろうが、悪い者は片っばしから捕えればいいんですね。ところか実際には、毎日の新聞に報道されている通り、泥棒は横行し、人殺しは起こる。これは何故かといえば、警察国家たるべく、そっちのほうにばかり金を使ってやるからですよ。警察予算の半分以上、七〇%近くもこれに金を使っているでしょう。そんなことするから下の者はやる気をなくし、検挙率も落ちるんですね。そこにこそ根本的な問題があるんです」と言っているが、この警察国家(=注)というところを創価学会・公明党本部と言い直せば、告発のスジとしては全く同じになるといっても過言ではない。<注・警察国家=警察権力をもって国民生活のすみずみまで監視・統制する国家体制=goo辞書)>
 相手か学会員でなければ一切の約束事は反古にしてよいし、仕事の代金、工賃など支払わなくてもいいのだという発想、そして欺しとった金は功徳のために若干でも寄付したさい、寄付すればそれは浄財だという。金儲け三段論法である。濡れ手に“アウ”ではないが、自分が何もしないで金を集めるとしたら、これしか方法がないわけなのかもしれない。

 金を集めることが終局の目的なのだから、学会は自然に何らかの意味で一種の“悪人の集団”とならざるをえない。学会という傘の下に確信犯がかくまわれ、その学会員はおがむことで罪状が消滅したと信じこまされている。鵜匠につかわれる鵜であり、汚職の下級官僚と全く同じ立場である。池田大作、竹入義勝等はこの事実をどう考えているのだろうか。麻薬に犯されたヒッピー集団と何等変わることのない学会・公明党の行動は、まさに目に余るものがあるのだ
 もし『聖教新聞』にも常に書いてあるように「誠実と真心で接し、友誼活動を進めよう」とか「社会には貧しい人、悩める人、病弱な人、邪険な人等々さまざまな人がたくさんいるが、それらの一人ひとりを真心から救済していくのが私どもの生命である」という文句を本心から言っているのだとすれば、子の犯した罪を償う観点からも、倒産者には救済資金を、不渡手形はそれなりに金をだして回収すれば、それこそ最も明快な折伏ではないのか。そしてこの十月十二日完工の正本堂建立資金の残りはすべてこれを寄付者に返したらどうであろう。
 かって非合法時代の日本共産党に“トラック部隊”なる別働隊が組織されたことがある。トラックを使って大量の物資を動かし、それを換金することにより、党運営資金の一助にした。
 例えぱ共産党員またはシンパが紙店を経営する。紙問屋の信用を得た段階で大量の紙を信用で買い、横流ししたところで会社を倒産させ姿をくらませてしまう。いわゆる計画倒産である。
 学会・公明党がまたこの手口を使い出していることは、いろいろの事例からしてもほぼ確かなようである。個人的、組織的に経済事犯の上積みを重ねつつある。したがって被害者はどんどん告発し、池田大作へ直接抗議の手紙を出すことだ。ただし返事が絶対に来ないことを覚悟してのうえである。
 食べ物と女の恨みは恐しいといわれるが、女子部員をはじめ、婦人部をおかしな異性行為に組織的に駆り立てている疑いも多分にある。これではいろんな事件があとを絶つはずがない。
 またここで声を大にして言わねばならぬことがある。『続・斬る』でも述べておいたがこれらの学会員犯罪を報道するマスコミが『週刊新潮』ただ一つを除いて、いずれも「某宗教団体」という名称しか使わないことである。

 “知る権利”ということを盛んに主張しているマスコミが、会社、学校、団体等の名称ははっきり報道するのに、何故、宗教関係だけをぼかすのか。それとも“某宗教団体”と書くことは創価学会の代名詞だとする協定でもあるのだろうか。
 学会をめぐる言論自由の問題は、いまたに解決していないといわざるをえない。こういう先例が重なって、言論界が自らの手で自らの自由を封殺する可能性大なりと断ぜざるをえない。
 余談になるが、私に加えられたあの言論妨害問題はどうも日本のマスコミの上ではウヤムヤにされた感があり、事の詳細な真相は一般国民に必ずしも正確に知らされてない。私は私なりに民主主義の大原則を大きく汚したこの問題の全貌を後世の史料としても一冊の本にまとめる必要を痛感している。
       ---------(98P)-------つづく--

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・創価学会を斬る-14

2017-10-28 08:40:18 | Weblog

新・創価学会を斬る 藤原弘達 (昭和56/12 ¥500- 日新報道)

        ----(P89)---(以下、本文)---
⑯ 会員欺しの詐欺行脚
 昭和四十年十二月八日、千葉県市川市のキャバレー・ホステス田路節子(33)は総額千七百三十四万七千五百円の詐欺、窃盗で神戸地検へ送検された。田路は学会の地区担と教学部講師であった。
 田路は大島つむぎをタネに、月二割の配当を出すということで信者仲間三十八人から金を集め、遂には夜逃げをし、東京に来たのであった。
 田路はさらに東京に来てもバーのホステス相手に「安いクリーニング屋を知っている」と偽わり、洋服を預っては入質していたのである。

⑰ 欺した金で女子部員と豪遊
 四十年十月二十八日には、富山で同じく学会員仲間から一千六万円をだましとつた学会員詐欺漢が富山県高岡署に捕まった。
 男は元三井生命高岡支部出張所長森田義雄(50)で私文書偽造、同行使詐欺、有価証券偽造、同行使詐欺、偽証横領、保険募集取り諦りに関する法律違反などの罪名である。森田はこれらだましとった金で、高岡市末広町のバー、料理店など、毎晩ニ万円の豪遊を重ね、さらに学会員仲間にバーのホステスが多いことから、彼女らをつれて宇奈月温泉や、姫川温泉を泊り歩いていた。

⑱ ニセ弁護士で念書偽造
 梶原富作夫妻(山梨県富士吉田市上吉田二二七三)は突然の強制立退租置を法務官から示達され、この世のなかが真暗闇になるように感じた。ときに昭和四十五年六月のことである。
 梶原さんは渡辺ようという近所に住んでいる人から「息子が大学を卒業するまで、土地と家を貸す」という口約束で、現住所を借り受け、個人営業の土建業や乳牛飼いで生計をたてていた。家賃や地代を一度も延滞納したこともないし、まだ渡辺さんの息子が大学を卒業するまで二年もあるので、すっかり安心していたわけである。
 もろちん、強制執行のお触れはあった。かなり前に花園企業という横浜の会社会長から催告書が届いていた。内容は、実際の家屋、土地の所有主は自分であり、あなたとは賃貸契約を結んでないので、即刻、明け渡してもらいたいというものであった。もろちん梶原さんはすぐに渡辺さんのところへ、事の次第の説明を求めに行った。ところが渡辺さんは「すべては私が取り仕切っているのだから心配ない、そんなものはすっぽらかしておけばよい」という返事なので、梶原さんは安心していた。
 ところが結局は、相手側が四人の弁護士をつけ本裁判にもち込み、山梨地裁で梶原さんは敗訴した。この裁判で渡辺さんが原告側に有利な証言をしたことはいうまでもない。梶原さんは東京高裁にまで控訴にでたが、ここでも敗訴になり、昭和四十七年三月二十四日に精神的、経済的損失を受けて立退かざるをえなくなったのである。

 裁判で敗訴になった大きな原因が梶原さんが昭和四十四年十月十八日に書いた“誓約念書”(後記)にあったことは論をまたない。
その日、梶原さんは創価学会堀内清太郎を初めとする二十数人の全く知らぬ人間たちに囲まれていたのだった。この連中は口々に梶原さんをなじり、貸してもない土地、家屋を勝手に不法占拠しているのだから、直ちにその非を認め、立退くよう念書を作り印を押せと迫った。このとき、何処から持ってきたのか、警察の車らしきものを庭先に置いたり、弁護士と称する人間もそのなかにいた。しかしこれはその後になって二セ弁護士であることがわかった。
 いずれにせよ、さまざまな精神的脅迫を加え、無理矢理に念書を書かせ、拇印を押させたのである。文面もあらかじめ用意されてあった通りに書き写しさせられた。

  誓約念書
 富士吉田市上吉田字堰林弐弐七参番地に居住しておりますが、該地は私が居住する権利のない事を認めました。
 付きましては今後所有者に対して御迷惑は掛けません。尚家族の立ち退きは昭和四拾四年拾壱月末日にする事とし念書差入れて誓約致します。
 但し現在居住しておる既設建物は私方に無償提供して下さる事を了承しました。
  昭和四拾四年拾月拾八日
                          梶原富作
                      立会人 堀内清太郎
                                   (原文のまま)

 その後、裁判が進行すると、創価学会のメンバーが、あらゆるところにデマを流し、梶原さんの味方になるような人たちに妨害を加え、梶原さんの借地を、期限前に勝手に処分したりした事実が明白になったが、いずれも裁判という公的な面には出てこない陰湿な方法をとっていたので、どうにもならず、全く卑怯きわまる行動であった。

⑲ 学会墓地は必要ない?
 昭和四十七年三月三日のヒナ祭りの夜、午後六時半頃、日蓮正宗高尾墓園の墓石をメチャメチャにひっくり返している男がいた。墓園の近くの会社員の通報により八王子署員がかけつけたときは、すでに三百八十基の墓石が倒されており、場所は墓園の西側部分に属するところであり、卒塔婆や花立てなども引き抜かれて散乱していた。ここは多摩丘陵のすぐ北側で、約一万平方メートルの墓地内に創価学会員の墓、約五千基があるところ。
 犯人は元大阪市職員松木保(21)で、松木は先月末ぶらりと家を出たままということだった。
 松木は「太陽がゴウゴウと鳴り大地がゆれ動き、そのとき、墓石に手を掛けたら軽く倒れていった」と一般の人が聞いたら、どうにも見当のつきかねることを口走っていたが、これは、学会員が強度のノイローゼになったときの発言態度、内容に酷似している。松木は現在、精神病院へ拘禁されている。
 墓園は国分寺市にある同宗の寺院が管理、近くにも管理事務所があった。
 同墓園は四十五年一月にも初代会長牧ロ常三郎、二代会長戸田城聖らの墓を含む約七十基が倒されたが、犯人はまだ見つかっていない。

   ---------(94P)-------つづく--

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・創価学会を斬る-13

2017-10-27 07:50:58 | Weblog

新・創価学会を斬る 藤原弘達 (昭和56/12 ¥500- 日新報道)

        ----(P84)---(以下、本文)---
被害③
 株式会社三幸繊維(京都市上京区宝町通丸太町上ル大巾町二六二の二)代表取締役伊藤喜一、外山秀雄等による不渡手形千六百万円の件である。
 ことの起りは今井寛ニ(奈良県大和郡山市材木町八番地)が当社を訪れたことによる。今井は私の知人である読売新聞社小幡不三夫の紹介によるものである。
 今井の用件は三幸繊維に商品を入れたいから送って欲しいということだった。三幸繊維の社長伊藤喜一は創価学会の京都の幹部で、資産も会社の所在地百坪があり、地価は坪三十万円ということだった。
 また販路は創価学会の組織を通じているから絶対不安はないと断言した。
 初めて商品を送ったのは七月であったが、三幸繊維の不渡りは第一回目が十一月に発生したのである。
 その時点では商品は全部売りつくされ、在庫はゼロであった。不渡り発生と同時に京都に行き、伊藤喜一氏と代表取締役二人制の会社なので、もう一人の代表取締役外山秀維と話す。
 三幸繊維の土地が伊藤のではないことがその時わかった。伊藤の叔母のものだった。負債返済のため叔母を説得して担保提供者になってもらい、金を借り返済するということになった。
 しかし一向に履行しないので再三履行をせまる。ようやく一月二十四日文書により履行予定日を定める。文書左の如し。

                記
 株式会社三幸繊維の負債決済について資金到達のための不動産の担保提供の件
 交渉の第一回見通しを昭和四十六年一月末日迄に申し上げます。履行予定日を昭和四十六年二月八日と致します。
 昭和四十六年一月二十四日
 京都市上京区室町通丸太町二六二の二
               伊藤喜一 (印)
 株式会社
  桑都染美会殿
 だが期日に履行されない。履行をせまると再び文書で履行を約束してきた。

                記
 ㈱三幸繊維の桑都染美会に対する残債額
 一金壱阡六百万円也                  
 について半額の一金八百万円也に対しては代表二人制の立場から私が決済致します。
 昭和四十六年二月二十八日
 京都市上京区室町通り丸太町二六二の二
 株式会社三幸繊維
              代表取締役 伊藤喜一 (印)
 ㈱桑都染美会
 代表取締役 平本俊雄殿

 しかし文書で約束していても履行せず当方として強硬処置を取らざるをえないとせまり公正証書により履行を約させる。
 公正証書は京都地方法務局所属公証人中田慎一第八万七千六百五十六号、詳細は別紙証書(凸版参照)の通りで、四十六年七月二百五十万円、同年八月二百五十万円、九月二百九十九万五千八百円也で完済するものとする。
 この後、公明党八王子市議会池田たけとし議員にこのことを話し、昭和四十六年四月末日伊藤喜一を当社に呼び池田氏立会いで完済を約させる。池田氏と伊藤は京都知事選挙で行動をともにした仲であった。伊藤は池田氏に対して『学会員として御本尊様をけがすようなことは致しません。必ず証書にもとづいて完済致します』と言い、池田氏も伊藤に『学会員としてはずかしくないよう履行してほしい』と言って別れた。
 しかし伊藤は一向に決済する様子もなく、止むなく月に一度催促に京都まで出向き、その間、電話で度々催促するが一向に履行されない。無駄だと思いながら創価学会本部に電話をし、『学会の活動的幹部がこのような不始末をしていいのでしょうか。この件については度々連絡するのですが、一向にラチがあかず、創価学会とはかような人の集まりですか』と質す。
 しかし学会本部の市民相談室の山本某はくり返すように『学会と学会員は別だから、文句があれば警察に訴えろ』と言う。さらに学会の指導法についてなじると『悪い人がいるから創価学会は存在しなければならない』と柳に風の答えである。

 京都、大阪に巣食う彼等一味の悪党から受けた被害は不渡手形三千五百万円であり、その手形は現在証拠として所持している。
 また伊藤に被害を受けたという山中友蔵氏(京都市東山区祇園町南側五六二)は私に言う。『私は昭和四十年伊藤を知り、手形割引を頼まれ総額五百四十九万円を不渡りにされ今にいたるも一銭の返済もなく、いつかは伊藤等に天罰が当たるでしよう』と手紙(四十六年八月二十七日)で訴えている。
 さらに福井祐司氏(大阪市阿倍野区文里三丁目十三番五号)は『伊藤という人間は全くひどい。伊藤のため私の会社は目茶苦茶にされてしまった。大阪から出ている公明党の国会議員が先輩だから話して善処してもらおうと思っている』と告げてきた。

被害④
 四十六年九月七日毎日新聞都下版にでかでかと報道された“ドルショック倒産第一号”という記事であるが、これは八王子の大手羽織業者である牧島織物有限会社のことである。
 牧島も創価学会員で、常にいろいろな人に一生懸命おがめば手形を決済する金の工面などはすぐにつく。自分はそうなっている、だから創価学会に入りなさいと折伏していた人物である。本当におがんでいたならば、またそうなるならば百三十万円の不渡手形などは解決するはずである。総額一億三千万円の負債といわれている。累積赤字をドルショックという絶好の口実に使ったのである。
 金子(八王子市)にある創価大学からどんな人が育つか、心配でならない。あの創価大学の近くを通る度に私のつかまされた不渡手形が、この大学の建設資金の一部かと思うとくやしくてたまらない。
 創価大学の学生は、学会人のかような不届き極まる行為を知っているのであろうか。財界から不浄な金が政党に流れるというが、創価学会には、われわれの血と汗の結晶が吸いあげられ、われわれを塗炭の苦しみに追いこんでいるのだ。
       ---------(89P)-------つづく--



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする