サヨナラ 私の池田大作-パートⅡ 創価学会・公明党を糾すOB有志の会・編者
<2016/5・人間の科学新社、1,512->
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◆ 退職届の扱い方
昭和48年(1973年)の8月、私は退職届をM編集総局長に提出しました。
30分ほどして、副会長たちを従えて池田会長が編集室にドヤドヤとやってきて「渋谷はどこだ!」と怒鳴りました。「ここにいます」と池田会長の前に出ると、「あ、君か。ふたりだけで話し合いしてもいいかい?」と言うので、いいですよと答えると別室へ案内されて、二人きりになりました。
驚いたことに二人きりになったとたんに、会長の態度が下目線になりました。
会長「どうして、辞める気になったの?」
私 「この組織が間違っていると気付いたからです」
会長「何も他の人に言わなくてもいいだろう(私の身内などを調べ済みの様子)
私 「私は折伏した相手に確信をもって勧めましたが、創価学会がもし間違っていたら責任をもって伝えると約束しました。辞める時は開係者には伝える責任があります」
会長「(呆れた様子で)だけど、汚いのは学会だけじやないよー」
私 「センセー、世間が汚いのは知っています。でも、学会だけはキレイだと信じていました。学会が汚ければ僕はここに居られません」
会長「(しばらく沈黙のあと)君にお願いがあるのだけど、きいてくれるかな……」
私 「何でしようか」
会長「君が辞めることを、私が決めたことにしてくれないか?」
私 「??(決めたのは私だよ。でもセンセーの立場もあるね)いいですよ」
私がそう答えたとたんに、センセーは--「そうかい。本当だね。ありがとう。いいのだね」
そう言って、ドアをバタンと開けて、別人のような態度で副会長たちに命令しました。
「論説室員を全員集めてきなさい」センセーは、上目線で語り始めました。
「今日で渋谷君は辞めることになった。これは私が决めたことだ。彼は外部の世界で活躍するのだ。いや、必ず彼は戻ってくるから心配はいらない。そうだ、餞別をあげようではないか。Y(私と仲良しの男)、みんなから集めてきなさい」
Y君が餞別を集めてセンセーに手渡しました。センセーは札束をつかんで私に、「みんなの心からの餞別だよ。遠慮なくとっておきなさい」と得意そうに言いながら、私に手渡しました。私は内心思いました。
(いい気なものだなあ。自分は一円も出さないで、会員から集めたお金をこうやって自分のもののように使っているのだね。急に餞別を強制された論説室のみなさんは被害者でしたね。お許しください)
◆ あいつは悪いやつだ
その日の夜、連載執筆仲間のX君から電話がありました。用件は意外な内容でした。
「君に謝りたいことがあるのです。今日、君がセンセーと別れて帰ったあとで、センセーが編集室に残っている人たちを集めて“渋谷は悪いやつだ。共産党のスパイなのだ”と言ったのだよ。そして、一人ずつに紙を配って、それに自分の名前を書き、“渋谷は悪いやつだ”と書けと、すごい剣幕で言われたのです。僕は君が悪いやつでもなく共産党のスパイでもないことは知っていたが、恐ろしくて言われた通りに書いてしまった。思ってもいないことを書いてしまったので謝ろうと思って電話をしました」
K君の報告を聞いて、あっけにとられて質問をしました。
私 「全員が、そんなことを書いたの?」
K 「センセーは1枚ずつ確かめて、よし全員書いたな、と言ったので間違いないよ」
私 「正直に伝えてくれてありがとう。大変だったね。でもさ、もし僕が君の立場だったら、たった一人でも“悪いやつだ”とは書かなかったはずだよ」
K 「そうだろうな。だから辞めることができたのだと思うよ」
それにしても、池田会長の不誠実さ、執念深さには、あきれてしまいました。私はこの組織から離れてよかった。反面教師がたくさんいる奇妙な世界で青春時代の10年を過ごしたが、今後はこんなイヤな組織とは全く関わりなく生きていこう、心の底からそう思いました。
◆ 正法に復帰して
平成16年〔2006年)8月1日、私は33年ぶりに正法に復帰しました。かって自分が折伏した妹の紹介で勧戒を受けたのです。妹夫婦も私と一緒に創価学会を退会していました。20年以上正法からも離れていたのですが、夫が病気で亡くなる前に「創価学会は間違っているが、日蓮正宗は正しいのだから自分の葬式は日蓮正宗でお願いしたい」と言って、自分で日蓮正宗のお寺へお願いしに出かけて行つたそうです。
妹は日蓮正宗の葬儀で、成仏相で亡くなった夫の姿を見て日蓮正宗の正しさを確信し信心を再開しました。そして、かって自分を折伏してくれた兄の私を救おうとしましたが、私は「オレは組織が大嫌いだ。お前もあまり深入りするな」と憎まれ口を言って受け付けませんでした。創価学会のイヤな組織に懲りて、私は日蓮正宗も含めた世間の一切の組織を避けていました。
それから数年後、日蓮正宗の総代をしている親戚のA氏の訪問を受けました。彼は「あなたは組織嫌いだそうだが、法華講の組織は学会の組織とは全然違いますよ」と言いました。そして、今年は、第六十八世御法主日如上人猊下の御指南をいただき「地涌倍増」「大結集」という御命題を目指す「決起の年」なので、「あなたも、そろそろ決起しませんか?」と親しみを込めて言ってくれました。
私は、背中を押されたような感じを受けて、翌日から朝夕の勤行を再開しました。そして3か月後に日正寺で長倉御住職様による勧戒を受けさせていただき、支部総登山にも参加できました。久しぶりで目にした総本山富士大石寺は、懐かしく、まぶしく、心が洗われました。2016年1月の支部登山で、私は勧戒後に受けさせていただいた御開扉が50回目となりました。
私は、自分のように正法から離れてしまった元創価学会員や、現創価学会員の人たちに一日も早く正法への復帰をされるようにお勧めしています。
---------(30P)-------つづく--