創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

サヨナラ・私の池田大作.№Ⅱ-4

2017-05-31 06:25:43 | Weblog

サヨナラ 私の池田大作-パートⅡ 創価学会・公明党を糾すOB有志の会・編者
                 <2016/5・人間の科学新社、1,512-> 
 ------(26P)---(以下本文)-------

◆ 退職届の扱い方
 昭和48年(1973年)の8月、私は退職届をM編集総局長に提出しました。
 30分ほどして、副会長たちを従えて池田会長が編集室にドヤドヤとやってきて「渋谷はどこだ!」と怒鳴りました。「ここにいます」と池田会長の前に出ると、「あ、君か。ふたりだけで話し合いしてもいいかい?」と言うので、いいですよと答えると別室へ案内されて、二人きりになりました。
 驚いたことに二人きりになったとたんに、会長の態度が下目線になりました。

会長「どうして、辞める気になったの?」
私 「この組織が間違っていると気付いたからです」
会長「何も他の人に言わなくてもいいだろう(私の身内などを調べ済みの様子)
私 「私は折伏した相手に確信をもって勧めましたが、創価学会がもし間違っていたら責任をもって伝えると約束しました。辞める時は開係者には伝える責任があります」
会長「(呆れた様子で)だけど、汚いのは学会だけじやないよー」
私 「センセー、世間が汚いのは知っています。でも、学会だけはキレイだと信じていました。学会が汚ければ僕はここに居られません」
会長「(しばらく沈黙のあと)君にお願いがあるのだけど、きいてくれるかな……」
私 「何でしようか」
会長「君が辞めることを、私が決めたことにしてくれないか?」
私 「??(決めたのは私だよ。でもセンセーの立場もあるね)いいですよ」

 私がそう答えたとたんに、センセーは--「そうかい。本当だね。ありがとう。いいのだね」
 そう言って、ドアをバタンと開けて、別人のような態度で副会長たちに命令しました。
「論説室員を全員集めてきなさい」センセーは、上目線で語り始めました。
「今日で渋谷君は辞めることになった。これは私が决めたことだ。彼は外部の世界で活躍するのだ。いや、必ず彼は戻ってくるから心配はいらない。そうだ、餞別をあげようではないか。Y(私と仲良しの男)、みんなから集めてきなさい」

 Y君が餞別を集めてセンセーに手渡しました。センセーは札束をつかんで私に、「みんなの心からの餞別だよ。遠慮なくとっておきなさい」と得意そうに言いながら、私に手渡しました。私は内心思いました。
 (いい気なものだなあ。自分は一円も出さないで、会員から集めたお金をこうやって自分のもののように使っているのだね。急に餞別を強制された論説室のみなさんは被害者でしたね。お許しください)

あいつは悪いやつだ
 その日の夜、連載執筆仲間のX君から電話がありました。用件は意外な内容でした。
「君に謝りたいことがあるのです。今日、君がセンセーと別れて帰ったあとで、センセーが編集室に残っている人たちを集めて“渋谷は悪いやつだ。共産党のスパイなのだ”と言ったのだよ。そして、一人ずつに紙を配って、それに自分の名前を書き、“渋谷は悪いやつだ”と書けと、すごい剣幕で言われたのです。僕は君が悪いやつでもなく共産党のスパイでもないことは知っていたが、恐ろしくて言われた通りに書いてしまった。思ってもいないことを書いてしまったので謝ろうと思って電話をしました」

 K君の報告を聞いて、あっけにとられて質問をしました。
 私 「全員が、そんなことを書いたの?」
 K 「センセーは1枚ずつ確かめて、よし全員書いたな、と言ったので間違いないよ」
 私 「正直に伝えてくれてありがとう。大変だったね。でもさ、もし僕が君の立場だったら、たった一人でも“悪いやつだ”とは書かなかったはずだよ」
 K 「そうだろうな。だから辞めることができたのだと思うよ」

 それにしても、池田会長の不誠実さ、執念深さには、あきれてしまいました。私はこの組織から離れてよかった。反面教師がたくさんいる奇妙な世界で青春時代の10年を過ごしたが、今後はこんなイヤな組織とは全く関わりなく生きていこう、心の底からそう思いました。

正法に復帰して
 平成16年〔2006年)8月1日、私は33年ぶりに正法に復帰しました。かって自分が折伏した妹の紹介で勧戒を受けたのです。妹夫婦も私と一緒に創価学会を退会していました。20年以上正法からも離れていたのですが、夫が病気で亡くなる前に「創価学会は間違っているが、日蓮正宗は正しいのだから自分の葬式は日蓮正宗でお願いしたい」と言って、自分で日蓮正宗のお寺へお願いしに出かけて行つたそうです。
 妹は日蓮正宗の葬儀で、成仏相で亡くなった夫の姿を見て日蓮正宗の正しさを確信し信心を再開しました。そして、かって自分を折伏してくれた兄の私を救おうとしましたが、私は「オレは組織が大嫌いだ。お前もあまり深入りするな」と憎まれ口を言って受け付けませんでした。創価学会のイヤな組織に懲りて、私は日蓮正宗も含めた世間の一切の組織を避けていました。
 それから数年後、日蓮正宗の総代をしている親戚のA氏の訪問を受けました。彼は「あなたは組織嫌いだそうだが、法華講の組織は学会の組織とは全然違いますよ」と言いました。そして、今年は、第六十八世御法主日如上人猊下の御指南をいただき「地涌倍増」「大結集」という御命題を目指す「決起の年」なので、「あなたも、そろそろ決起しませんか?」と親しみを込めて言ってくれました。
 私は、背中を押されたような感じを受けて、翌日から朝夕の勤行を再開しました。そして3か月後に日正寺で長倉御住職様による勧戒を受けさせていただき、支部総登山にも参加できました。久しぶりで目にした総本山富士大石寺は、懐かしく、まぶしく、心が洗われました。2016年1月の支部登山で、私は勧戒後に受けさせていただいた御開扉が50回目となりました。
 私は、自分のように正法から離れてしまった元創価学会員や、現創価学会員の人たちに一日も早く正法への復帰をされるようにお勧めしています。
       ---------(30P)-------つづく--

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サヨナラ・私の池田大作.№Ⅱ-3

2017-05-30 22:27:25 | Weblog

サヨナラ 私の池田大作-パートⅡ 創価学会・公明党を糾すOB有志の会・編者
                 <2016/5・人間の科学新社、1,512-> 
 ------(21P)---(以下本文)-------

高級車の中で低級な会話
 連載だけでなく、文化欄や特集記事などで学者や文化人をとりあげると、池田センセーは有名人を自分の味方にしてくれたと思って機嫌がよくなります。私は取材の度に詳しい報告書を池田センセーに提出していたので好感を持ってくれたかもしれません。ある時、池田センセーが総本山大石寺での行事に参加するので同乗しなさいと言われて会長専用の高級車に乗せられました。高級車の後部座席にセンセーと肩を並べて座りました。センセーはご機嫌で私に話しかけてくれました。

会長「学者や文化人をたくさん味方にしてくれてありがとう」
私 「いいえ、センセーのお蔭です」
会長「学者や文化人なんてね、札束でビンタすれば99%こちらになびいてくるよ」
私 「そうですか……(すごい自信だな。でも残念だがその通りかもね)」
 
 事実、学者や文化人たちが、創価学会で出している雑誌の原稿料が高額なのを知って近づいてくる気配を私も感じていました。突然に、こんなこともおっしゃいました。
「君を、佐渡とスイスに連れて行ってあげたいなあ」
その2か所は、私が行きたい場所の筆頭だったので「センセーはお見通しなのだ!」と感激するところです。でも、入社のときの履歴書に私が書いたことをすぐに思い出したので、センセーの手の内を見破りました。こんな会話もしてくれました。

会長「君は、大学院でゲンショ(原書)を読んだの?」
私 「はい。ハイデッカーやポルノーの実存哲学をドイツ語の原書で読みました」
会長「そうか。原書はすごいです。私は知っています。原書はすごいです」
私 「??(原書がなぜすごいのかな?エロ本だって訳す前は原書だよ)」

 本山に近づいても、たわいもない会話が続きました。

会長「君は専門があっていいねぇ。私はピエロだよ」
私 「??(どうしてピエロなのかな)」
会長「トインビーがね、私のことを、“あなたは行動の人ですね”って言ってたよ」
私「そうですか。(思想・哲学の人ではないつてことかな)」
会長「(窓を開けながら)君も手を振ってあげてくれないかい」
私「はい。(前方に婦人部の集団がいて手を振り、私もピエロになりました)」

 私は、こんな低級な会話をする池田センセーのお顔をながめながら、「一体この人は、幸せなのだろうか?」と思いました。絶大な権力と莫大な金力を手中にしていて、多くの学会員からの信頼と尊敬を得ている。しかし、自分を必要以上に偉く、優秀にみせようとして代作者に本や論文を書かせたり、名誉や肩書を得るために大金を使って奔走している。だが、「賤しい正体」を他人から隠せても自分自身は「インチキ」を知っているはずだ。
 考えてみたら、私たちは「何が目的で入信したのか?」と問われたら「幸せになりたいから」と答えるのではないでしょうか。そして「なぜ、信心を続けているのか?」と問われたら、以前の私は「幸せを実現している池田センセーの存在があるから」と確信を持って言ったでしよう。「池田センセーにあやかりたい」と思っていました。
 しかし、池田センセーの正体を知ってしまうと師弟関係を解消したくなります。

本部全体会議で罵倒される
 ある日、M編集総局長がニコニコして言いました。
「君は今日一日、仕事をしないで私と付き合ってくれないか。これはセンセーからの許可が出ているのだよ。お金も充分にいただいているから行きたいところへ行こう」
 なんだか気持ち悪いと思いましたが、遊び心が生じて、「それでは、朝から歌舞伎町にでも行って飲み歩きましょうか」
と言ってみました。M氏は、それは面白いと即座に同意しました。どうせ、油断をさせておいて私の本音を探ろうという魂胆だとは思いましたが、このM氏は、坊ちゃん育ちのお人良しなので一緒に楽しむことにしました。
 歌舞伎町で金を使って遊び歩きながら、どうでもよい話をしたあとでM氏が、「何か疑問や不満があったら言ってくれないか」と聞いてきたので酔った勢いで、
「このあいだの論説会議でセンセーが“君たちは学会の金だ、ダイヤモンドだ。ほかの者はみんなクズだよ”と言いましたね。同じ学会員に対してクズはないでしょう。どう思いますか?」と言ってみました。M氏も「確かにそうおっしゃつたね。うん、あれはちよっとね」と同感の様子でした。
 そのあとで、「付き合つている女性はいるの?」と聞かれたので、いないと答えたら、「どんな女性が好きなタイプか教えてくれないか」としっこく聞いて、学会の女子部員を紹介すると言ったので断りました。彼は女子部の全国総合本部長とやらの役職をしているので、どんなタイプでも紹介できると自慢していました。創価学会の女子部員を自分の所有物のように言う態度に吐き気を覚えました。

 数日後、本部の全体会議に出席しました。この会議は聖教新聞社、公明新聞社、学会本部、民音など信濃町にある学会関係の職員全員が一同に会する巨大な集まりです。全員集合して静かに待っていると、池田会長が登場して只今より開会となります。
その日は、池田会長が登場するや開口一 番「渋谷はいるか」と叫びました。一番前にいましたの
 で「はい、ここにおります」と言ったら憎らしそうに私を睨んで、「お前は、揚げ足ばかり取りやがって。生意気なやつだ。お前は女子部をバカにしたな。女子部のみなさん、ごめんなさいと謝れ」
 と大声で罵倒されました。揚げ足とは、会長が学会員をクズ呼ばわりした話だな。それから、女子部の紹介に私が乗らなかったのでご機嫌を損ねたのだな、とすぐわかりました。M氏からの報告だと気づき、あきらめて大声で「おわび」しました。
「女子部のみなさん、ごめんなさい」
 全体会議終了後、編集の女子職員が近づいてきて、そっとささやきました。
「渋谷さん、あなた女子部員に手を付けたのでしょ」(反対だよ、内心つぶやきました)

「牧ロ常三郎」の本は画竜点睛を欠く?
 写真8ぺージ、本文525ぺージの箱入りの豪華本「牧ロ常三郎」が完成しました。昭和47年(1972年)11月18日発行でした。池田会長は私たち執筆者を呼んで会食をしてくれました。会食をしながら本音の言葉がでました。
「読んだよ。良い本だ。聖教で出した本の中で一番良い本だ。……だけどねー、ある人が言ったのだが、この本は画竜点睛を欠くというのだよ」
 それ以上は言いませんでしたが、私にはその意味が理解できました。この本には、文中に多くの学者や文化人などが紹介され、卷末には牧ロ常三郎について、学者や関係者の論評などが26名も掲載。更に牧ロ常三郎を慕う5人の人々による座談会の内容も掲載されていました。だが、「池田大作」の名前は一か所もでてきません。それは当然で、池田大作さんは牧ロ常三郎と面識がないし、牧ロ常三郎の学術書をご自分で論評することはできないと思われたので執筆依頼もしなかったので池田会長を宣揚する本にはしたくない、という私の願いは叶ったのですが池田センセーにとっては気に入らない本となったようです。案の定、聖教新聞社で出した本は必ず一般紙に広告が載るの
に、この「牧ロ常三郎」の広告は皆無でした。私は、編集総局長に「センセーが一番良い本だ、と言ってくださったのに広告が一つも出ないのは変ですね」とそれとなく言いました。すると、数日後に原田秘書室長(現会長)が私のところへやってきて言いました。
「センセーから渋谷さんへの伝言です。これは今日の読売新聞一面の広告のコピーです。牧ロ常三郎先生の本の広告が掲載されていますので、よろしくとのことです」
 私は異常に丁寧なご配慮に感謝しました。予想通りこの本は組織内での販売も一般書店での販売もされず、初版のあと再版をしないで廃刊にされてしまったようです。
       ---------(26P)-------つづく--

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サヨナラ・私の池田大作.№Ⅱ-2

2017-05-29 09:14:38 | Weblog

サヨナラ 私の池田大作-パートⅡ 創価学会・公明党を糾すOB有志の会・編者
                 <2016/5・人間の科学新社、1,512-> 
 ------(15P)---(以下本文)-------

料亭満月(青山)で池田大作を諫めた聖教論説委員   渋谷照夫
                                                        法泉山日正寺
満月(青山)で池田を諫める
 私が聖教新聞社に勤務して2年ほど経過した頃、一般の週刊誌に創価学会の内部告発記事が盛んに出るようになりました。驚くべき情報でした。池田会長の側近でなければ知り得ないような情報が書かれていました。創価学会の実態、池田会長の正体が暴露されて、私だけでなく聖教新聞社内に動揺が渦巻き始めました。
 読めば読むほど、創価学会は私が信じていたような正しい組織ではなかったのだ、池田会長は虚像だったのだと確信しました。社内の先輩に確かめてみると驚いたことに既に知っていたという人が多いのです。週刊誌に書かれている創価学会の内部告発記事が事実なら、池田会長は知性と教養に欠けるだけでなく常識にも欠け、あまつさえ信仰心にも欠けている人物だということになります。
 私は不思議に思いました。こんな事実を知りながら先輩たちはなぜ、池田会長を諫めないのだろうか。公明党を含めて創価学会の人事、運営、管理などすベてを池田会長一人に握られているのです。危ない組織です。池田会長の信心がおかしいということは他人事ではない大問題のはずです。
 師匠を諫めるのが弟子の勤めでしょう。信仰者としては断固として諫めるべきだと先輩たちに言いました。しかし、誰一人乗ってくれませんでした。家庭がある身だからとか、親が生きているうちはできないというのです。
 私はひとりで実行することにしました。そのチャンスが向こうからやってきました。内部告発の記事を書いた人物の犯人捜しが聖教新聞社内でも始まり、疑心暗鬼の空気が漂っていました。そして、私を疑う空気が日に日に高まってきました。私が内部告発の記事をコピーして、かって自分が折伏した人たちに真実を知らせるために送っていたことが疑惑を生んだようでした。私を遠巻きに観察したり、私が執筆の仕事をしていた部屋に盗聴器が設置されたりしました。全く身に覚えがない疑惑なので私は平然としていました。しかし、ついに私を査問することになり青山にある満月という寿司店に呼ばれました。池田会長のほか北条副会長はじめ副会長が3人もきていました。センセーは勝ち誇ったように言いました。
「君が書いているのはわかっているのだ。白状しなさい」
 私は、心の準備をしていた演出を試みました。キッと相手を睨み付けて大声で、「センセー、情けないです。師匠ともあろうものが弟子が潔白なことくらい見抜けないのですか、こんな残念なことはありません。センセー、それでも師匠ですか!」
 池田会長は仰天した様子で、副会長たちを指さして叫びました。
「わ、私は君を疑ってなんかいない。お、お前たちが悪いのだ。渋谷君に謝りなさい」
 副会長たちは一斉に土下座して、「渋谷さん、すみませんでした」と一人ずつ、大きな声で謝りました。この副会長たちの愚かな服従の態度を見て、私は腹がたちました。それで、予定していなかった発言をしました。
「あなたたちには関係ないです!」
 これがセンセーの逆鱗に触れました。センセーは狂ったように叫びました。
「これだけ謝っているのに、君は何を言うのだ。いい加減にしろ!」
 この日のことで、私に対する疑いの目は消えました。しかし、池田会長が不利なことはすべて他人のせいにして自分は反省もしなければ責任もとらないことがわかりました。まわりの茶坊主たちが悪い意味で、池田会長のやりたい放題のわがままを援護しているので平社員の私が改革するのは無謀であると悟りました。

初信の功徳
 私は、20歳のときに初めて折伏を受けて入信しました。東京の下町で新聞屋さんの住み込み店員として働きながら受験勉強をしていたときでした。紹介者の方が「願いとして叶わざるはなし」の御本尊様ですよと言ったので、だまされたと思って一日一万遍の唱題を決意しました。その時の願いは「勉強をする時間が欲しい」こと。
 大部屋で雑魚寝をしている生活だったので、勤行の邪魔をされたり陰口を言われたりして楽ではありませんでした。一か月ほどして店長から呼びだされ、
「君は仕事も受験勉強もしっかりやっているようだ。アパートに住みなさい。」
 と言われました。経済的に余裕がないので無理です、と言ったら、「金は私が出してやるから、近くのアパートを契約してきなさい。」 とのことでした。私が折伏した仕事仲間のE君と一緒にアパート住まいができて、勤行も遠慮なくできるようになりました。お蔭で、その数か月後に3校受けた大学に全部合格できたので、一番学費の安い国立の東京学芸大学に入学しました。E君も学習院大学に合格しました。初信の功徳だと思いました。

学内で折伏活動
 大学に入学して間もなく、同じ数学科にG君という創価学会の学生部員がいることを知りました。
 G君も私と同様に母子家庭で仕送りなしで経済的に自立した生活をしていました。二人で相談して学内に東洋学術研究部という文化部をつくり部室も確保しました。毎日のように、その部室で折伏をしたので部員が面白いように増えました。 大学の性格上、家庭教師のアルバイトの求人が多かったので、新聞店の仕事をやめて家庭教師のアルバイトをしながら大学の寮で生活をすることにしました。
 大学の寮は4人部屋でした。先輩たちに「自分は仏教徒なので、毎日勤行をするのでよろしく」と挨拶をして、自分の机の前に御本尊様を御安置して朝晩の勤行をしました。すぐに寮内で有名になり左翼の学生たちに度々質問攻めに合いました。池田会長についての質問や批判が多かったので、池田会長の偉大さを説明するために会長の著書や論文を熱心に読みました。
 大学3年のとき、リッチな建築会社の社長に気に入られて社長の二人の息子たちを専属で教えてくれたら、生活費と住居を保証すると言われました。一軒の家庭教師だけで生活が保障されるようになり、新築のアパートの一室で心置きなく勤行ができるようになりました。入信から約3年で「時間とお金」の貧乏から脱却できました。

学会中枢での出会い
 学部の4年間をアルバイトと学会活動で費やしてしまったので、勉強不足を感じて大学院に進み教育哲学を学びました。この時期に研究、執筆などに没頭できました。
 大学院卒業の頃、文部省などから就職の誘いがありましたが、考えた末に聖教新聞社に入りました。この頃の私は使命感に燃えていて、池田センセーがいらっしゃる学会の中枢で広宣流布に役に立つ仕事ができる幸せを感じていました。
 聖教新聞社の編集仲間は優秀な人たちが多く、未知の知識や情報をたくさん吸収させていただきました。でも、未知の情報の中にショッキングなものがありました。
 最初のショックは聖教新聞連載の「人間革命」のことでした。私が以前から尊敬していた学生部の先輩のT氏が別室を与えられて一人で「人間革命」の校正をしていることを知り、彼の部屋をたずねて行って話し合うようになりました。あるとき丁氏が「君は、池田会長を尊敬していますか?」と聞きました。私は「もちろん、尊敬していますよ」と答えたら、「それは情報が少ないから……」と意味不明なつぶやきをしたのです。その後、私はT氏の言葉の意味がわかりました。
 T氏が校正をしていた原稿の執筆者が池田会長ではないことを間もなく知りました。現代の御書だと教えられてきた「人間革命」を代作者が書いていたとは! 大ショックでした。その後、私は真実を知るため精力的に「情報」集めをしました。その結果、池田センセーの著書のほとんどが代作者の執筆によるものであることがわかりました。大学教授の中に助手に論文を書かせて、それを自分の名前で出版している学者がいて、私は軽蔑していました。あろうことか尊敬していた池田会長も同類だったとは。それまでの池田会長に対する信頼、尊敬が音を立てて崩れていきました。

初代会長の伝記から見えた真実
 池田会長の正体に気づくと、彼が組織全ての人事権を握っていることの危うさを今更ながら感じ始めました。そして、今後どのように行動するかで悩みました。悩んだ末に、私はこの新聞社での仕事で実績をあげようと考えました。
 幸いなことに、私が入社した翌年(昭和46年)の6月6日が初代会長・牧ロ常三郎氏の生誕百年でした。私は、この年の聖教新聞第二新年号に教育者・牧ロ常三郎の「生誕百年を迎えて」の記事の執筆を任されて、特集を書かせていただきました。
 この記事が池田センセーから最大級の評価を受けました。その後、センセーに呼ばれて会食をしたり、豪華な会長専用車に同乗させてもらったりしました。
 私は、今がチャンスと思って6月をスタートに初代牧ロ常三郎会長の伝記を聖教新聞に連載するプランを提起して決定となりました。論説室3人と調査部3人の計6人で取材執筆を担当することになりました。
「牧ロ常三郎伝」の聖教新聞連載は、昭和46年(1971年)の6月1日からスタートしました。
 第一部「価値創造の生涯」、第二部「蘇る思想と学説」、第三部「学制百年と創価教育学説」と長期連載になり翌年の7月31日に終了しました。
  この連載中、1年余りの取材で多くの方々に会い貴重な情報を得ました。副産物の収穫として創価学会の負の遺産にも出会い、池田センセーの実像が更に明らかになりました。連載中や連載終了後のェピソードを、思い出すままにいくつか述べてみます。
       ---------(21P)-------つづく--

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サヨナラ・私の池田大作.№Ⅱ-1

2017-05-28 09:19:13 | Weblog

サヨナラ 私の池田大作.パートⅡ 創価学会・公明党を糾すOB有志の会・編者
                 <2016/5・人間の科学新社、1512-> 
       -------------------- 
はじめに                  小川頼宣
                       元創価学会本部広報部副部長
                       政教分離を考える会代表
 ロシア革命後、スターリンの神格化は海外にも伝染した。成立の事情はそれぞれ異なるが、全体主義であるところは変わりがない。ナチスのヒトラー、中国の毛沢東、北朝鮮の金日成。やや遅れて日本の池田大作。
 創価学会関係者が言う「池田本仏論」とは、池田絶対無謬神話と同義である。
 朝日新聞の論説副主幹北畠清泰氏は「スターリンはレーニンの直系を誇示するためスターリンとレーニンの2ショット写真を合成させ国中に配布しました。また最高医術を駆使してレー二ンの遺体をミイラ化して国民に公開しました。スターリンは『レーニンから最も信頼された後継者である』ことを宣伝したわけです。戸田城聖さんを利用して主導権を握った池田大作さんのやり方によく似ていますね」と私に語ったことがある。
 後継者は本来賛同者か追随者である。創立者と追随者では路線は同じに見えても大きなものが欠落する。池田大作は何を欠落させたのだろうか。

戸田の後継者と信じこませる--魔術的着眼点
 池田大作の場合、おおよそ次のように言うことが出来る。
「池田大作には宗教体験がない。本人も自覚しているらしく、言及はないに等しい。だが野望だけは大きい。
 戸田城聖のように獄中で信念を貫き、日蓮大聖人の仏法に確信をつかんだことのない自分が、創価学会を乗っ取るにはどうしたらよいか?--それには絶対無謬の神話を作り上げることだ。戸田の言動を絶対無謬に仕立て上げ、自らを唯一の後継者として信じ込ませることができれば、絶対無謬の神話は自らのものとなる--このことに早い時期に気が付いた池田大作の着眼点は卓越している。
 打ち込んだ情熱はやましいものだが、学会員に熱と力を与えた。それは強い副作用を伴うものだった。数々の犠牲を出しながら、試みはなんとか成功した。いまや池田大作は二度目の自公政権を実現せしめるに至った」(『池田大作と原島家』人間の科学新社)
 池田大作は「すべて戸田先生から受け継ぎ、私は言われた以上のことをやった」と豪語したが、肝心の戒壇の大御本尊と血脈付法の代々の上人に対する純真な信仰を受け継ぎ損ねた。なくしたものの大きさに気がつかず、ついには日蓮正宗を儀式、典礼部門と見下すにいたった。

絶対服従が生み出す人材は--見ざる聞かざるのロボット
  たしかに池田大作の「絶対服従の個人崇拝」は短期的には自己犠牲の精神や忠誠心、あるいは理想主義的な情熱を喚起し、現状を打破する様々な行動を生み出した。しかし池田大作が世に送り出した人物は、初期のものをのぞくと小粒感は否めない。自分で考える人や、池田を超えそうだと目された人は皆粛正された。現在の人材生産ラインは停止したままで、人々は淀みの中で生き腐れを続けていると聞いた。10年20年単位で見ると、言われたことだけをしゃべる入が増えた。彼らの耳は何も聞かない。彼らの目は何も見えない。テープレコーダーをしこまれただけのロボットに、私たちはなにを語ればいいのだろう。

服従が一種の幸福感をもたらす--学会の全体主義
 なぜ個人の思考判断は停止するのだろうか。
 6歳の時フランスの警察に連行され、ナチスの強制収容所へ移送される途中で脱走した精神科医のボイス・シリュル二ク氏は、「歴史を振り返ると、共通点があります。国力が弱くなっているとき、社会が混沌としている時は英雄が求められる。カオスが私かどちらかを選べと迫りながら、権力を掌握していきます。催眠術をかけるように、人々のなかに眠っている怒りを呼び覚まして操作する。同じフレーズを繰り返し聞かされることで思考が停止する。服従は一種の幸福感をもたらします。考えることは疲れますから。これに対して全体主義は、みんなと同じオウムのように繰り返しているから楽だし、仲間にもなりやすい。そのうち、自分たちとは異なるものを軽蔑するようになります。そして他者を抑圧することを罪と思わなくなる」(「朝日新聞」平成27年12月1日)と回想する。創価学会の全体主義の成立過程を見るようで興味深い。

何をもって「存立危機事態」と判断?--安保関連法案の施行
 平成28年3月29日、自公が強行採決した安保関連法案が施行された。内閣が、日本の存立が脅かされる危険があると認定すれば、日本が直接武力攻撃をされなくても自衛隊の武力行使が可能になった。もはや日本はいつでも海外で戦える。
 何をもって「存立危機事態」と判断するのか。
 特定秘密保護法は政府が指定した情報を漏らすと、厳罰を科すことができる。では何が企まれているか判らないではないか。政権中枢に権限と機密が集中すれば、根拠を示さず武力行使ができるのだから。
 言論法学者山田健太は、これは「軍機保護法と同じ趣旨だ。政府は都合の悪い情報を隠す事ができ、それを公にすれば罰せられる。」高市総務相は政治的に公平でない放送を繰り返す放送局に、電波停止を命じる可能性があるという。だが「政府を批判することで放送が止められるなら、事実上、讒謗律と同じ言論統制法だ。-そもそも、国際基準で言えば、メディアに求められる『公正』とは反論の機会をあたえたり、社会的少数者の意見を尊重すること」(「東京新聞」平成28年3月29日)なのだという。

婚姻外性交をしたかどうか--「月刊ペン」裁判の俗議論
 「月刊ペン」裁判のころ、「メディアに求められる『公正』とは反論の機会をあたえたり、社会的少数者の意見を尊重すること」だとの趣旨でマスコミが取材攻勢をかけてきた。学会本部は閉口した。
「月刊ペン」裁判は「池田が婚姻外性交をしたかしないか、俗の俗たる論議が裁判所で進行する訳である。」(『昭和梟雄録』溝ロ敦、講談社十α新書)そのため下ネタ週刊誌や月刊誌まで取材に殺到した。当時の広報室は真実よりも池田無謬神話をまもることに徹してこれを切り抜けた。
 安倍自公政権は、平成26年7月、憲法9条の壁を、解釈変更という形で打ち破った。平成28年7月の参院選挙で自公政権は参院でも3分の2の議席を手にするだろう。ただちに憲法改正に着手する。
  自公政権はそう遠くない将来、日本を巨大軍事国家にするだろう。どれほどの大量の血が流されるかは判らないが、私達は逮捕や投獄をされずに異見を言うことは難しい時代に向っている。これは予測ではなく、残念ながら必然過呈である。

池田大作の引力圏から生通した体験--本書の主旨
 この本の射程距離は憲法改正までの短い歳月ではないと信じている。おそらくは10年、あるいはそれ以上あるのではないか。
  日本を戦争国家にするためアクセルを踏み続けた創価学会と公明党の背後に、神話としての池田大作がいる。戦争で多くの人が死に始めると、池田大作とは何者か。問いかけはそこに収斂されていくだろう。研究者は池田の著作量は多いが思想的な中身は空疎であることに気づく。こんな無内容な人がどうして世の中を引っ掻き回してきたのか、研究の関心はそこに向うほかあるまい。
  昭和の全体主義台頭は「日蓮主義」が大きな役割を果たした。だが、「かかる日蓮を用ひぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」との御金言通り国は亡びた。亡国の悪法は真言だけではないのだ。
 歴史の教えるところによれば、池田大作を絶対と崇めるこのセクトは日本を滅びの淵に誘導する。
 この本は名著「君はヒトラーをみたか」(ワルター・ケンボウスキ、サイマル出版会)を意識して編集された。
 寄稿してくださった方は、池田大作に心を奪われながらも必死で池田大作の引力圏から脱出し、生還した強い心の持ち主である。
 いづれ前著『サヨナラ私の池田大作』とともに歴史の証言として残るものであろうと考えている。
 たしかにセクトの片すみで起った小さな出来事かもしれない。しかし、そこに「絶対無謬神話」と戦った抵抗の志がある。どうかそれを読み取り、できうればそれぞれの立場で松明をともす一助にして頂ければ望外の喜びである。

サヨナラ私の池田大作 パートⅡ/目次
はじめに       --------------------小川頼宣
料亭満月(青山)で池田大作を諫めた聖教論説委員-------渋谷照夫
私が聖教新聞社を辞めることになった理由     --------成瀬久昭
創価大学生の時、池田大作の虚像を見た     --------荒木賢治郎
妨害の中で無所属4期化年町議^市議を務める   -------池田利秋
池田名誉会長の虚像 創価公明党の暗部を知り脱会------新岡健志
〈対談〉池田創価はどうしてカルト化したのか  ---------福本澗一×木村福子
さようなら創価サヨナラ公明            ---------福本潤一
 《池田創価の変質を検証》①
 コラム①:演出された現代の生き仏
 コラム②:風化させてはいけない言論出版妨害事件
 コラム③:聖教新聞論説室について
文化祭で「センセー」「センセー」と叫ばせる宣揚の実態 -----小多仁伯
“言論出版妨害事件”の当事者として            -----岩崎文彦
池田大作を会長にした原島家の長男が語る        -----原島昭
まぼろしの池田・レーガン会議はいかにしてつぶされたか-----小川頼宣
 《池田創価の変質を検証》②
 〈鼎談〉福本潤一・小川頼宣・小多仁伯
 〈その1〉ポスト池田の主導権争いの果てに
 〈その2〉政教分離の約束はどうなっていったか
おわりに                        ---------水口和夫
       ---------(9P)-------つづく--

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公明党=創価学会の真実-30

2017-05-27 09:34:52 | Weblog

公明党=創価学会の真実 乙骨正生 (2003/1  かもがわ出版 1800-)
    ------(204P)---(以下本文)-------

あとがき
 創価学会・公明党が自民党との連立政権に参画して早くも三年が経過した。
 いまや創価学会・公明党の政界に対する影響力は、本書の序章でも触れたように、時の総理大臣が公明党の党大会で池田大作名誉会長を礼賛するという由々しき事態にまで立ち至っている。
 本書でも具体的に指摘したように、宗教的イデオロギー、宗教的バッションに基づいて会員を扇動、恒常的に選挙活動を繰り広げる創価学会の実態は、単なる宗教団体ではなく、「永遠の指導者」である池田氏を「国主」に祭り上げ、国家の覇権を握ろうとする特異な宗教政治団体と見るべきであろう。
 そうした特異な宗教政治団体の野望を実現することを目的とした公明党の政権参画は、憲法二〇条一項後段の「いかなる宗教団体も国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」との「政教分離」規定に違反すると筆者は考えている。
 平成五年八月に成立した細川護熙氏を首班とする非自民連立政権に公明党が参画した際には、筆者同様、日本の政界やマスコミ・言論界の大勢も、「政教分離」の観点から公明党の政権参画を批判、ないしは危惧を露わにした。だが、それから九年の歳月を経た今日、日本の政界やマスコミ・言論界は、巨大な集票力と集金力をもつ創価学会の「票縛り」「金縛り」に屈し、創価学会・公明党に対する批判や監視の姿勢を放擲したばかりか、公明党大会での小泉首相の池田礼賛が象徴するように、いまや創価学会の膝下に迎合、土下座するまでにいたっている。
 そうした現実を背景に強気になった創価学会・公明党は、政権内部におけるへゲモニーの掌握をいっそう進めるとともに、ここを先途と創価学会・公明党に批判的な立場にある人物や団体を「撲滅」するための熾烈な攻撃を仕掛けている。
 そうした攻撃の一環として創価学会がもっとも力を入れているのが、司法制度を悪用しての批判的言論の封じ込めである。具体的には、創価学会に批判的な言論の片言隻句をとらえて名誉毀損訴訟を乱発し、批判的言論を封じ込めるというものである。
 これと連動して創価学会・公明党は「報道による人権侵害を許すな」などのキャンペーンを張り、名誉毀損訴訟の早期成立や損害賠償額の高額化、人権やプライバシーの保護に名を借りた言論抑圧法である個人情報保護法や人権救済法の制定に全力を傾注。創価学会に批判的な言論を押さえ込むための法的な環境整備に血道をあげている。
 筆者も、そうした創価学会の司法的救済に名を借りた名誉毀損訴訟を、四件提起(他に公明らの刑事告訴一件)されるとともに、機関紙誌において「ガセネタ屋」「詐欺的売文屋」「ブラックジャーナリスト」「妄想狂」「言論の殺人者」などと、あらんかぎりの罵詈雑言を浴びせられている。
 自らは批判的立場にある人物や団体に対して、人権も名誉も無視した悪罵の限りをつくす一方、自らに対する批判的言論は名誉毀損にあたるとして提訴する。実に狡猾かつ欺瞞的なやり方である。
 しかも問題なのは、こうした創価学会の司法制度の悪用に対して、裁判所が歯止めとして機能していないことである。本来、公正・中立・客観的立場から、司法制度を悪用する創価学会の濫訴体質に一定の歯止めをかけるべき裁判所が、むしろ創価学会のキャンべーンに乗せられる形で言論・表現の自由を掣肘する姿勢を見せ、各種メディアの創価学会関連裁判でも創価学会勝訴の判決を相次いで出していることは、憂うベき事態といわざるを得ない。
 かくいう筆者も、創価学会から提訴されている四件の訴訟中、一件(週刊新潮との共同被告事件)は、最高裁で敗訴確定。残る三件のうち一件(和歌山講演事件)も、まともな審理もないままに東京地方裁判所で五〇万円の損害賠償を命じるとの敗訴判決を受けている(現在、控訴中)。
 その一方で、筆者が創価学会の名誉毀損に基づく提訴に対抗するために、創価学会を被告として提訴した創価学会の筆者に対する名誉毀損を指摘しての反対訴訟は、創価学会提訴事件と関係性がないとして却下され、審理すら行われないのである。幸い、平成十四年十二月十八日、東京地裁民事39部は、三件の訴訟のうちの一件(「フォーラム21」5月1日号事件)について創価学会側の請求を棄却、創価学会敗訴、筆者勝訴の判決を言い渡した(創価学会側が控訴)。し
 かし、第一章で触れた「コーヒーカップ事件」に象徴される司法制度を悪用しての批判者、対立者攻撃にはいまだに歯止めがかかつっておらず、創価学会の濫訴により応訴の負担を余儀なくされている。
 青年時代から「天下取り」を叫び続けた池田氏は、創価学会が実質的に日本を支配する体制を構築することを目指し、公明党による政権参画と、優秀な学会員子弟を官界・司法界・マスコミ界、経済界その他に送り込む「総体革命」というプロジェクトを創価学会の組織あげて推し進めさせたが、いま、まさに日本社会は、そうした創価学会・池田氏の思惑通りの社会に「革命」されつつあるといえる。
 こうした日本社会の現実に危惧を抱き、憂慮する学者・ジャーナリスト等とともに、筆者は昨年来、「フォーラム自由21」と題する勉強会を開催していたが、平成十四年三月、新たに宗教と政治、宗教と社会に関する正確な情報を発信するための雑誌媒体として、「フォーラム21」と題する隔週刊誌を発刊した。
 本書は、その「フォーラム自由21」のニュースレ夕ーならびに「フォーラム21」に掲載した原稿に、若干の加筆等を行いまとめたものである。
  平成十一年末に筆者は、かもがわ出坂から『公明党=創価学会の野望『自・創』野合政権を擎つ」を上梓させていただいたが、本書は、いわばその続編である。
 いま日本では北朝鮮の拉致問題が大きな社会的関心を呼んでおり、多くの国民が金正日という異常な指導者に率いられた北朝鮮の実態について、認識をあらたにし始めているが、実は、「偉大なる首領様」に率いられた北朝鮮と、「偉大なる仏教指導者池田先生」に率いられた創価学会の体質は酷似している。
 かたや金日成・金正日、こなた池田大作氏に対する個人崇拝。いっさいの批判を拒否し、唯我独尊的な自画自賛を繰り返すプロパガンダ体質。人権も名誉も省みず批判者・対立者を悪罵する独善的で排他的な体質。目的達成のためには手段を選ばない謀略的で暴力的な体質。少年・少女時代からの徹底した洗脳教育。そして人文字にマスゲームなど、両者にはあまりにも共通項が多い。
 北朝鮮は金日成・金正日父子が政治権力を完全に掌握した世界である。そして日本では「永遠の指導者・池田大作先生」に率いられた創価学会・公明党が、いま政権の一角に足がかりをつけている。
 まだ政権を完全に掌握していない現段階でも、創価学会に批判的な言論活動を行う筆者は、尾行、盗撮をはじめとする恒常的な監視や嫌がらせ、機関紙誌による中傷誹謗、さらには名誉毀損訴訟の乱発と、名誉毀損訴訟での勝訴判決に基づく文藝春秋社(週刊文春)、新潮社(週刊新潮)、小学館(週刊ポスト)、講談社(週刊現代)、日本ジャーナル出版社(週刊実話)に対する原稿料、コメント料の差し押さえまで行われており、創価学会は「乙骨を社会から追放せよ」「乙骨を干上がらせろ」「極悪を撲滅せよ」と叫んでいる。
 創価学会が政治権力を完全に掌握した際に到来する社会が、北朝鮮と同じような社会にならないとの保障はない。否、むしろ批判的言論を展開する筆者に対する創価学会の熾烈な攻撃に鑑みるならば、創価学会が政治権力を掌握した日本社会は、いまの北朝鮮とほとんど同質の社会になることは火を見るよりも明らかである。
  二一世紀の日本社会を、言論の自由、信教の自由をはじめとする基本的人権を謳歌し、民主的で平和な社会とするか。それとも特殊な宗教イデオロギーに支配された宗教政治団体に実質的に支配された息苦しい社会にするか。いま、日本は、その岐路に立たされている。
 末文ながら、創価学会・公明党の圧力が強まる中、本書の刊行に尽力していただいたかもがわ出版の湯浅俊彦氏に心から御礼申し上げる。
 二〇〇二年十二月吉日
            乙骨正生      おわり
       ----------------本項おわり--

次回から--
    サヨナラ 私の池田大作・パートⅡ  創価学会・公明党を糾すOB有志の会・編者
         <2016/5・人間の科学新社、1512->   

    --です。ご期待下さい。
          

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